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10話後編「7月30日、木曜日」



10話の後編になります。




 




「わあ……!」


 美海に急かされながら辿り着いた縁日。目を輝かせて美海は感嘆の声を上げる。毎年来ているのに毎年感動出来るのもすごいと思う。


「みーちゃん、クーちゃん、あれやろあれ!」

「すごいテンションですね……」

「初めて来た子どもみたいですねぇー」


 美海に引っ張り回されながら、2人が呟く。去年までは私が袖を引かれていたけれど、今日の美海はとにかく空ちゃんと境の2人と遊びたいらしかった。とはいえ、美海に腕が2本しかないから私は引っ張られていないだけだとも思う。


 私は、人混みに紛れて見失わないよう着いていく。多少離れてしまっても美海の声が聞こえてくるのは助かる点だった。


 ヨーヨー釣り、金魚すくい、射的、輪投げ……美海は活動的なものをどんどんやっていく。


「おじさん!射的やるよ!」

「あいよ!ほれ、5発だ」

「なんで!?8発でしょ!?」

「嬢ちゃん毎年来てたくさん落としてく子だろ、それとも腕が鈍って足りねえか?」

「……言ったね、5発でいいよ」


 そう言って景品を何故か6個落としたり、


「皆で輪投げしよ輪投げ!」

「いいですよぉー」

「あたし出来るかな……」

「……私もやらなきゃダメかしら」

「はいこれカナちゃんの分ね」

「…………」


 何故か私も含めた全員で輪投げをすることになったりした。予想通りと言うべきか、美海がかなり上手いのとは対称的に空ちゃんはかなり下手だった。


 付き合わされたのはその時くらいで、私は基本的に見守る方向で行動している。2人もまんざらでも無さそうだから、放置していても大丈夫そうだった。


(それよりも……)


 それよりも、私には考えなくてはならないことがある。空ちゃんとのことだ。空ちゃんと仲直りは出来たものの、私達はまだ少しギクシャクしていた。


 距離感を測りかねている……そんな感じで、一緒にいても、会話もぎこちなければ空気も固い。自然にしなければと意識すればするほど上手く話せなかった。


 複数人であればさっきのように自然なリアクションも出来るけれど、2人の時がやはり問題だ。私は、私の気持ちに関わらず空ちゃんの人間不信が治るまでは付き合うつもりで、その為に2人きりになることも少なくない。だというのに今のような状態は好ましくなかった。


(できれば今日、なんとかしたいのだけれどね……)


 今度はくじ引きの列に並び始めた3人に一声かけて、私は一旦別れた。大した用じゃなくて、軽食を用意しようと思っただけだ。






 結局たこ焼きと屋台の子ども向けのラムネを人数分買い、今は喧騒から少し離れた小さな公園のベンチで4人でそれをつまんでいる。


 美海は大量の景品が入った袋を抱えながら満足そうにたこ焼きを食べている。私も他人ひとのことは言えないけれど、つくづく好みが庶民系の子だった。


「この安っぽさがいいですねぇー」

未来みくさん、それ褒めてるんですか?」

「もちろんですよぉー」


 境も特に文句は無いようだし、空ちゃんも振り回されてただけにしてはどこか楽しそうだった。


「この次は何をするんですか?」


 空ちゃんは美海に訊く。今日は完全に美海が仕切っている(連れ回している)ため、予定は彼女に訊くのが早い。衝動的に行動してはいるけれど、美海にも押さえておきたいポイントがいくつかあるはず。


「へっほぇ」

「飲み込んでからにしなさい」

「……ん…………えっとね、これから花火があるんだ。それであそこの神社まで行きたいの」


 穴場らしいんだ!と付け加えて、立ち上がった美海は小高い丘の上に見える神社を指す。今年はそんな場所までリサーチしていたらしい。


「ね、行こ!」

「あっ、その……」


 空ちゃんが少し躊躇い気味に視線を落とす。彼女は猫舌で、たこ焼きをまだ1つしか食べられていなかった。リンゴ飴でもないし、これを持って歩くのは少々行儀が悪いようにも思える。


「あー、そっか、じゃあ待つよ。ゆっくりでいいからね?」


 美海は仕方ないといった風情で腰を下ろした。早く行きたい、よりは皆で行きたい、の方が大きかったらしい。


「じゃあ、あたしと美海さんで先に行きましょうかぁー」

「えっ?なんで?」


 境が1つの提案をした。


「美海さんは早く行きたい。でも空野さんを置いていくのもイヤ、だから折衷案ですぅー」

「あたしにはみーちゃんが着いて来てくれて、クーちゃんにはカナちゃんに付き添ってもらうってこと?」

「会長、道解りますよねぇー?」

「ええ、解るわ」


 境は意外とそういう所で頭の回る子だ。生徒会活動でも、洗練されたアイデアを出すことは少ないけれど数を出してくれる。時間をかければそれらをより良いものに昇華させる力もあり、かなり頭の良い子だと私は見ている。


 それに、空ちゃんとの関係をあと一歩修復したい私にとっては好都合だ。2人の方が込み入った話もしやすい。私は境の提案に乗っかることにした。


「美海、行ってきたら?」

「うーん……」


 やはり4人でいたいのか、美海は少し考え込む。が、すぐに結論は出たようだ。


「うん、解った。クーちゃん、ゆっくりでいいからね。よし、みーちゃん行くよ!」

「走ると危ないですよぉー」

「はーやーくー!」


 浴衣に下駄で走り出す美海を追うように、境も小走りで走り出す。彼女は1度だけ振り返り、私に向けてウィンクをして、再び美海を追っていった。


 それを見てやっと、あの子は解っててあの提案をしたのだと気付いた。心の中で感謝しておく。


「美海さん、楽しそうだね」

「あの子は毎年あんな感じよ」


 手元のたこ焼きに穴を空けて冷ましながら、空ちゃんは言う。祭囃子と人々の喧騒は遠く、公園には虫のが響く。


「…………」

「…………」


 なんとなく、沈黙。空気はやはり固かった。私がさっきまで美海に甘えていたことをひしひしと感じ、気分が沈みかける。


「……お姉ちゃん」

「なに?」


 先に話を切り出したのは、空ちゃんだった。……私達の関係がまた少し、変わろうとしていた。 






【7月30日 SIDE 美海】




 私はみーちゃんと一足先に神社へ向かう。歩いて10分くらいかかる距離で、道行く人はごく少数だった。この分なら本当に空いてる穴場なのかもしれない。


「人通りが少ないですねぇー」

「うん、花火が上がる場所自体は遠くだからね」

「夜で人が少ないと不安ですねぇー」


 全然不安じゃなさそうな声でみーちゃんが言う。人通りの少ない暗い道で女子2人だから普通は躊躇うのかもしれない。


「あたしがみーちゃんを守るから大丈夫」

「そんなことになったら、あたし惚れちゃいますねぇー」

「ほ、惚れるなんてそんな、やめてよもー」


 冗談めかした返しをされたけど、あたしは本当にそのつもりだ。あたしがみーちゃんを危険からきちんと守る。だからカナちゃんもみーちゃんとあたしを先に行かせてくれたんだと思う。


「美海さん」


 街灯の少なめな夜道に、あたしの下駄の音だけが響く。神社に近付くにつれ、すれ違う人の数はどんどん減っていく。


「んー?なにー?」

「空野さんのことですけど」

「クーちゃん?」


 みーちゃんの口調に、あたしは気を張った。みーちゃんがこんな口調の時は、絶対に真面目な話だ。けどみーちゃんの目は、あの「人を探るような目」じゃなかった。だからあたしはほんの少しだけ気を緩める。


「あの子……どう思いますか」

「どう?……うーん」


 どうって言われても普通に友達だけど。みーちゃんは真面目な言い方をしてるけど、どんな答えを求めているのかはちょっと解らなかった。だからあたしは素直に答えることにした。


「いい子だと思うよ。今時珍しいくらいの。あとは、まだ少し人が怖いのが見えるよね。カナちゃんに対しては仲直りしてからもちょっと固いけど……今頃お話ししてるんじゃないかな」

「そうですね、あたしもそう思います……いえ、はっきり言いましょう」


 みーちゃんには違う意見があるようだった。この子はかなり頭が良いし、とても鋭い。


「空野さんは、異常です」

「異常……?」


 なんだか物騒な言い回しだった。みーちゃんは1度振り返り、誰もいないことを確認してから続けた。


「さっき、お2人が来る前に少し空野さんと話したんです」


 遠くから太鼓の音と、何かのアナウンスをしているようなスピーカーの声が小さく届く。本当に気を緩めて聞いてていい話なのかな。


「空野さんは、確かに会長にレイプされてました」

「あたしもカナちゃんから直接聞いてるよ。もちろん詳細は聞いてないけど」

「はい。それで空野さんは「お姉ちゃんの気持ちと向き合いたい」と、そう言ったんです」

「クーちゃんらしい感じだね」


 健気というか、なんというか。他人のことを先に気にしてしまうタイプの子。カナちゃんを大事に思っていることもあるだろう。


「さっき美海さんも言いましたよね、まだ人を怖がっていると」

「うん。あたしとかは平気みたいだけど、それでもたまに怖がることあるよね」


 それはたまに感じる。クーちゃんは、見知らぬ相手でなくあたしとかみーちゃん相手でも、ごくまれに怯えたような目をすることがある。彼女に染み付いたトラウマは簡単には消えない。


「……そんな人が、レイプされかけて平静を保っていられると思いますか?」

「それは……」


 どうだろう。人によってはそんな人もいるのかもしれない。けど、言われてみれば少し不自然だった。みーちゃんの考えすぎ、と即答できないくらいには。


「うーん、カナちゃんがそれだけ信用されてるんじゃない?」

「そうかもしれません……あたし、もう1つ気になることを聞いたんです」


 神社が近付いてくる。辺りには民家があるばかりでコンビニも無い。お祭りに行く人が多いようで、民家すらも明かりがついている家は少なかった。


「空野さんは、あの時のことを「確かにHなことをされましたけど、特になんとも思ってないです」とそう言ったんです」

「なんとも?」

「はい。怖くは無いし、空野さんの方から距離を置くことは無いと」

「えっと、さっきの話とは違うの?」


 あたしには、同じ話が2回飛んできたように思えた。別にみーちゃんもわざとそういう言い方をしてるわけじゃないみたいだから、あたしが悪いのか、ちょっとややこしい話なのかもしれない。


「レイプがなんともないなら、空野さんの怖がっているものって……なんなんでしょう」

「…………」


 クーちゃんの怖いもの……男の人の方が怖いのは見てて解る。けど、襲われることは怖くない……?いや、そんなはずはないし……。あたしは混乱してきた。


「空野さんが男性だけを怖がるわけじゃないのはあたし達が立証しています。今の彼女は、会長だけを怖がらないんですよ。異常なほど」

「それは……」


 やっぱり、カナちゃんが信用されてるとか……何かの理由があるんだろう、とあたしにはそれくらいのことしか解らない。けど頭が良くて洞察力にも優れたみーちゃんには何かが引っ掛かるのかも。


「あ、ここ。この階段登ったら到着だよ。……でも、カナちゃんだけ怖いならともかく、逆なら問題無いんじゃない?」

「…………それが問題にならなけば良いんですけど……まだ推測でしかないのでこれ以上は言い過ぎになっちゃいますね」


 あたし達は境内へと続く階段を登っていく。この先からも人の声は聞こえない。花火は……始まるまでまだ少し時間がある。カナちゃん達、間に合うかな。


「みーちゃんは頭良いから、あたしじゃ力にはなれない。けど、全部を抱え込まないで、話せることは話してくれていいよ。聞くだけなら出来るから」

「ええ。そうしますね、今日みたいに」


 出会った時は胡散臭いと思ったけど、この子も自分の手の届く世界を大事にしたいだけなのかもしれない。今ではそう思う。


 もう階段を登りきろうというその時。それは境内から聞こえてきた。


「やめてください!……誰か!」

「大人しくしろ!」


 女性の悲鳴と、男性の怒鳴る声。あたしは素早く頭を巡らせる。


(多分女性が襲われてる。ここは巻き添えにならないように、みーちゃんを逃がすのが先決……)


 あたしは浴衣の裾を破いてスリットを作り、下駄を脱ぎ捨てる。このままでは素早く動けないからだ。


「美海さん……」

「……見付からない内に逃げよう。みーちゃんを危険な目に遭わせるわけにはいかない」

「でも女の人が」

「知らない。警察に連絡して任せるべきだよ」

「そんな……」


 みーちゃんは、不安と、少しの非難が混じった目であたしを見る。この非常識な状況で自分の安全より他人を気にかけられるのは結構すごいことだと思う。


「あたし達に助けられると思うの?……なによりあたしは、みーちゃんが怪我をしたりするのは嫌」


 こんなこと言い合ってる間にあたしは逃げたかった。最悪、みーちゃんだけでも逃がしたかった。それは、みーちゃんにも解っている。けど、目の前の人を見捨てるのは、みーちゃんの良心が許さないんだろう。


(そんなの、生きていくのには要らないんだよ……)


 シビアな考えかもしれない。けど、そうしなければ死ぬような状況も世の中にはある。今回はそこまでではないかもしれないけど、危険を認識したら、回避するのは早いに越したことはない。


 あたしは判断に悩むことはなかった。みーちゃんをあたしの思うように動かすより、みーちゃんが納得してこの場を離れてくれるようなポイントを探す方が早い。


「あの人はあたしが助ける。だからみーちゃんは近くの家に行って警察に連絡して。その人の家から出ちゃダメだからね」

「でも美海さんは」

「早く。あたしは平気だから。言うことが聞けないならみーちゃんを無理矢理抱えて逃げるよ」

「……わかりました」


 みーちゃんが階段を駆け下りていく。反対にあたしは駆け上がる。みーちゃんに、こんな非合理な所があるなんてね。……優しい子だとも言うけどさ。


 境内についたあたしの目に映ったのは、予想通りの光景。2人の若い男が1人の女性を襲おうとしている。


「何してんの」

「んー?」


 あたしの声に男達が反応する。顔を上げ、邪魔しにきたあたしの顔を見る。殺気はないから、あたしの方が油断しなければ大丈夫だ。


「イイコトすんだよ、ガキは帰んな」

「それとも混ざる?」

「お断り。その人を放して」


 あたしは気付かれないように身構えた。言って聞くような感じじゃない。まだあたしと彼らの間には距離があるから、なんとかして彼らを女性から引き離したい。


「じゃあお前が代わりになれよ」

「わかった。それでいいから彼女を放して」

「逃げんなよ」

「逃げない」


 あたしの言葉よりも、解放された女性が腰を抜かして動けないことの方に安心して、2人が近付いてくる。……あたしは出来るだけ引き付ける。


(彼らと女性に15歩分の距離が出来たら……)


 その時が勝負だった。腕が鈍ってなければいいけど。あたしは心の中でカウントする。13、14、15!


 身を低くして駆け出す。一瞬で男に近付き、鳩尾みぞおちにひねりを加えた拳を入れる。ひるんだ男の顎に向けて逆の拳を振り抜いた。


 男が失神する感触を確かめながら、もう1人に隙を見せる。あたしが認識した時点でまだ驚いた顔をしてたけど、すぐにあたしに向けて怒りを見せる。遅い。あたしのテンポが狂いそうなくらい遅かった。


 男は掴みかかって捕らえることを選択したようで、腕を広げて被さってきた。あたしは素早く身体を男の下へと躍らせ、男が突進する勢いを利用して地面に投げ付けた。


(今のあたしの動きは80点、だったかな)


 一応、男達が本当に気を失っているか確認してから、あたしは浴衣の帯を外し、男達の腕をまとめて後ろ手に縛った。ちょっと無理があったけど、多分大丈夫でしょ。こいつら弱いし。


「大丈夫ですか?」

「ありがとうございます……」


 女性は声がまだ震えてたし、立てないみたいだけど、怪我とかはしてない。良かった。あたしは浴衣の前を押さえながら女性の隣に座って、みーちゃんが連絡してるはずの警察を待った。


 ……けど、数分もしない内にあたし達の前に現れたのは警察と、それから何故かカナちゃんとクーちゃんとみーちゃんだった。


「美海さん!」


 みーちゃんはあたしに駆け寄り、抱き付いてくる。あたしとしては大したことしてないから丸っきり平常心で、逆に照れくさかった。


「ごめんなさい、あたしのせいで」

「まー、気持ちは解らないでも無かったしね。それに、みーちゃんはあたしのこと見抜いてたからあんなこと言ったんでしょ?」


 みーちゃんは、それにはノーコメントだった。多分、図星だ。じゃなきゃあんなこと言い出したりしない。あたしなら女性を助けられると解ってて、だからただ逃げ出すことに罪悪感があった。それから、あたしに頼ることにも。


「それより、どうしてカナちゃんとクーちゃんが?」


 あたしは、カナちゃんに訊いてみる。その後ろでは男達が警察に連れていかれ、女性も保護されていた。あたしは帯だけ返してもらって、残ることにした。女性がちゃんと説明してくれるでしょ。


「境が伝えてくれたのよ」

「そうなんだ?近くの家に助けを求めるように、って言ったのに……」

「美海」

「ん?」


 ……カナちゃんは、あたしの頬を平手でひっぱたいた。静かなその目には、隠しきれない怒りがにじんでいた。



 




【7月30日 SIDE 歌撫】




 お祭りの夜、美海さんと未来さんは花火がよく見えるらしい神社に先に向かって、あたしとお姉ちゃんが残された。湯気の立つたこ焼きが無くなるまで、もう少し時間がかかりそう。


 4人でいた時はそうでもなかったけど、2人きりになるとどうしても接し方が難しく感じてしまって、話しにくかった。……でも。


「……お姉ちゃん」

「なに?」


 あたしは、この固い空気に切り込みを入れる。仲直りは出来た……と思ってるけど、それから直接会うのは今日が初めてだった。


 また友達から……そんなことを言ったし、お姉ちゃんの気持ちも考えると、何を話していいかはやっぱり解らない。そんな状態のままお祭りを過ごしちゃったけど、せっかく顔を合わせたんだから今日ここでちゃんと自然にお話できるようにしたかった。


「あたしと、今ちょっとだけおしゃべりしてくれる?」

「……ええ、もちろんよ」


 あたしと目線が交わらない。きっとお姉ちゃんもあたしと同じ、自然にしようとして不自然な状態なんだと思う。あたしは話題を決めないまま話し出した見切り発車を、強引に繋ぐ。


「……こないだあたしね、野良猫を触ったの。小さくて可愛くてね、それで」


 いつものように。あたしは話した。今のこのおかしな関係を修復するべきはきっとお姉ちゃんじゃなくて、あたし。いつも甘えてばかりのあたし。お姉ちゃんにしてあげられることがあるなら、してあげたかった。


「本当はご飯もあげたかったんだけど……毎日あげられないのに、きまぐれでご飯あげたら可哀想だなって思ってやめたの」


 あたしが上手く話せてるかはよく解らないけど……お姉ちゃんの表情は少しずつ柔らかくなっているような気がする。それが嬉しくて、自然に言葉が口をついて出てくる。


「次の日にはいなくなってたんだけど……どこかで元気にしてたらいいなあ」

「野良猫を触ったら、ちゃんと手を洗うのよ?」


 お姉ちゃんから、反応があった。あたしが話すだけじゃなく、きちんと会話になり始める。


「大丈夫。お父さんにもよく言われるもん」

「……お父さんは、もう怖くない?」

「うん。よほどのことがなければ大丈夫だよ。お姉ちゃんのおかげ」

「違うわ。それは貴女が自分で乗り越えたものよ」


 お姉ちゃんが、前のようにあたしと話してくれる。あたしはそれだけで幸せだし、嬉しかった。恋愛とかはまだよく解らないけど……とりあえず、お姉ちゃんも笑顔を見せてくれた。


 それから長い時間じゃないけど、あたし達はおしゃべりをした。帰り道に話していたような、取り留めもないような話。あたし達の関係が変わるようなことがあっても、こんな話が出来る関係は失いたくなかった。


 ……失いたくないけど、目を逸らしちゃダメ……だよね……。


 あたしは冷めたと思われるたこ焼きを口に運ぶ。あっ、まだちょっと熱い。


 ……お姉ちゃんは、あたしが好きだと言った。あたしもお姉ちゃんのことは好き。でも、同じ言葉でも意味は大きく違う。お姉ちゃんの言う「好き」は、あたしには全然解らないものだから。


 熱かったたこ焼きをラムネでなんとか飲み込んで、同時に決心を固めた。


「お姉ちゃんは、さ。あたしが好きだって言ってたよね」

「……ええ」


 ゆるい話題で、緊張とか変な空気が無くなった所であたしが言い出した、「大事な話」。ベンチで隣に座るお姉ちゃんも、ついに来たか。みたいな顔をしていた。


「こないだも言ったけど、あたしの好きは、お姉ちゃんの好きとは違うと思うの」

「…………」

「お姉ちゃん……そう、お姉ちゃんとして、好き」

「そう……でしょうね」


 お姉ちゃんは、沈んだ顔はしていない。少し緊張した……何かを考えている時の顔だ。あたしは最後のたこ焼きに穴を空けて、冷めるのを待った。


「でもね、その……あたしにもよく解らないことがあって」

「解らないこと?」

「あたし……お姉ちゃんにその……された時、嫌な感じはしなかったの」


 これは本当。あたしはお姉ちゃんとHなことするのは嫌じゃない。でもそれって、恋人として好きな人の気持ちじゃないの?……たくさん考えたけど、あたしの気持ちはそれとは違うものだと、確信を持ってそう思った。


「でも、あたしはお姉ちゃんを恋人としてはまだ見れなくて……矛盾してるよね」

「どうなのかしら……私も初めてだから……」


 お姉ちゃんにも、解らないことはあるらしい。


「ね、お姉ちゃん。あたし、この矛盾した気持ちがなんなのか確かめたい」


 お姉ちゃんの目をまっすぐ見る。あたしの気持ちがなんなのか。それを確かめることがお姉ちゃんの気持ちとも向き合うことに繋がるような、そんな気がした。


 繋がらないとしても、何もしないまま時間が過ぎるのは嫌……ううん、危機感すら覚える。


「お姉ちゃんの「好き」と同じなのか、違うのか……解るかもしれない」

「空ちゃん……貴女は……」


 お姉ちゃんは少しの苦悩を表情に滲ませた。その間も、あたしはお姉ちゃんの瞳から目を逸らさない。そしてお姉ちゃんは一息を吸う。




「貴女は…………私のものにしてみせるわ」




 えっ……?なんだか、やたら男前に、突然告白されてしまった。あたしの心臓が大きく跳ねる。顔が熱くなるのが、自分でも解った。


 お姉ちゃんはなおも真剣な表情のまま、その瞳であたしの目を射抜く。


「貴女の気持ちが恋なのか、それは私にも解らないわ。私だって初めてだもの」

「う、うん……」

「けれど、私のことが嫌いじゃないなら……私に恋をさせてあげる」


 お姉ちゃんは、腕を回してあたしの肩を抱く。心拍数が、どんどん上がっていく。拒否しようとは、思えなかった。き、聞こえてないかな……あたしがドキドキしてるの……。


「貴女は私のもの…………可愛い空ちゃん……」

「お姉ちゃん……」


 あたしを見るお姉ちゃんの瞳が熱っぽくて。腰が浮き上がるような、ふわふわするような感覚があたしを襲う。また……上手く力が入らない……。


「空ちゃん……キス、してもいい……?」


 お姉ちゃんは甘えたような声であたしに問う。ズルいよ。そんな可愛い声、普段出さないのに……。そんな甘い声で言われたら断れないよぅ……。


「うん……優しくしてね……?」


 あたし達は、2度目のキスをした。最初の時とは違って、乱暴さはない。それに、今回はキスだけで、他の所を求められることもなかった。


「んっ……」


 気持ちよかった。お姉ちゃんの匂いに包まれながら、お姉ちゃんとキスをすることが。改めてキスをしてもやっぱり嫌だとは感じなくて、むしろいいとさえ思える。もっと、お姉ちゃんを感じていたい。


 お姉ちゃんの鼓動が伝わってくる。息遣いが聞こえる。安心する。あたし達は、しばらくそうしてお互いを確かめ合った。……けど、その時間は長くは続かなかった。




「会長!空野さん!」




 息を切らしながら、未来さんが走って戻ってきた。あたしはその声に驚いて飛び退いたけど、お姉ちゃんには慌てた様子は無い。み、見られても恥ずかしくないのかな……。あ、いや、そうじゃなくて。


「何かあったのね」


 お姉ちゃんは冷静に、そして素早く荷物をまとめる。普段掴み所の無い未来さんは、あたしにも一目で解るほど焦っていた。それに、美海さんの姿も見えない。


「あたしのせいで、美海さんが……美海さんが……!」

「境、落ち着いて説明しなさい。それから空ちゃんも、荷物をまとめて」

「う、うん!」


 あたしも慌てて荷物をまとめて、お姉ちゃん達に着いていく。






「つまり、暴漢に襲われていた女性を美海が助けに行ってる。そういうことね?」


 早足で歩きながら未来さんが言うには、神社には暴漢に襲われている女性がいて、美海さんが助けている。未来さんは警察に電話してから、あたし達を呼びに来たと、そういうことらしかった。お姉ちゃんが浴衣に下駄だから走れないけど、そこまで聞いて安心したように息をついた。


「……なら美海は大丈夫よ。電話、気付けなくてごめんなさい」

「あたし……女性をほっとけなくて……美海さんなら助けられるって解ってて……美海さんは逃げようって言うし、そうするべきだって解ってたのにどうしても女性を見捨てるのが後ろめたくて……どうしていいのか解らなくなって……」


 未来さんは今にも泣きそうだった。あたしにも少しは解る。パニックになって、とんでもない判断をしちゃって、後悔すること。きっと今も、未来さんは気が気じゃないはずだった。


「いいのよ。普通の状況じゃなかったんだもの。私達に連絡しようと思い付いてくれただけ上出来よ」


 初めこそ焦りが見えたけど、今のお姉ちゃんには余裕がある。乱暴な男の人がいるって話なのに、まるで美海さんが絶対に無事だと確信しているようだった。






 あたし達が神社にたどり着くと、すぐ後ろからパトカーが来て、警察の人があたし達を追い抜いていった。長い階段の先に、境内が見えてくる。


「美海さん!」


 未来さんが美海さんに駆け寄り、抱きついた。美海さんは見知らぬ女性に付き添っていたようで、近くには男性が2人縛られて倒れていた。……よかった。美海さん、浴衣の裾は破けてるし帯もしてないけど、怪我は無いみたい。


「ごめんなさい、あたしのせいで」

「まー、気持ちは解らないでもなかったしね。それに、みーちゃんはあたしのこと見抜いてたからあんなこと言ったんでしょ?」


 警察の人が男性を縛っていた浴衣の帯をほどいて美海さんに渡し、何事か話した後、男性警官が暴漢を連れていき、婦警さんが女性を保護していく。


「うっ……く……」


 未来さんは、美海さんに抱き付いて泣いている。あたしが未来さんの立場だったら、きっと足がすくんで動けなくなってたと思うし、未来さんの行動は結果的に女性を救った。美海さんにも怪我は無いから、決して失敗じゃない。


 周りは皆きっとそう言う。結果、誰も怪我しなかったんだから、大丈夫って。けど、未来さんは美海さんを危険に晒した自分をずっと責めるんだろうなって思うと……あたしはどんな言葉をかけるべきなのか解らなかった。


「それより、どうしてカナちゃんとクーちゃんが?」

「境が伝えてくれたのよ」

「そうなんだ?近くの家に助けを求めるように、って言ったのに……」

「美海」

「ん?」


 その瞬間、お姉ちゃんは美海さんの頬を平手で張った。お姉ちゃんの後ろにいたあたしには、表情は解らない。見えたのは、驚いた表情の美海さんだけだった。


「お姉ちゃん……!」

「空ちゃんは少し黙ってて。境、貴女もよ」


 ピシャリと言い切るお姉ちゃんの声には凄みがあった。背筋がゾッとするようなその迫力に、あたしは抵抗出来ずに押し黙る。もし正面に立っていたら、へたりこんでいたかもしれない。


 未来さんは、声を上げて泣いている。多分だけど、頭の中は色んな感情がごちゃ混ぜで、どうしていいのか解らないんだと思う。けど、美海さんがお姉ちゃんに叩かれたのも自分のせいだと、また責任を感じているのが一番大きな要因に違いなかった。


「美海、どうして私に連絡を寄越さなかったの」

「……1人でも対処出来ると思って……」

「ふざけないで。貴女が取るべきだった行動はなんなのか、解らないわけではないでしょう」


 お姉ちゃんは、相当怒っていた。その怒りを直接向けられる美海さんが、少し震えているほどに。


「みーちゃんを連れて、すぐにその場を離れること……」

「美海、貴女勘違いしているようね。今の私は貴女の友人では無いわ」

「っ!……申し訳、ございません……」


 恐ろしかった。暴漢を無傷で撃退して余裕の表情をしていた美海さんが、既に半泣き。反論なんてしようものなら、この世から消されてしまいそうなほどの威圧感だった。


「貴女は境を連れて逃げるべきだった。そして安全を確保した上で警察と私に連絡を入れるべきだった」

「はい……仰る通りです……」


 あたしは震えながら話す美海さんがあまりに可哀想で、お姉ちゃんが美海さんを責める言葉を口にする度にさらに泣いてしまう未来さんを見ていられなくて、怖いのをこらえて口を開いた。


「お姉ちゃん、無事だったんだし、ね?その辺で……」

「空ちゃん」

「は、はい」


 怖い……!お姉ちゃんは振り向きもせずにただあたしの名前を呼んだだけ。なのに脚が震え出すほど怖かった。


「この子は1人で対処しようとした。私に連絡すれば複数人でより確実に解決に向けて動けることを解っていながらね」

「で、でも1人でも解決出来るって思って、ちゃんとその通り解決出来たんだし……」

「私の下でそれは許されない行為なのよ。境と一緒に行動していながら、リスクを減らすことを怠るなんて……ありえないわね」

「申し訳ございません……!」


 お姉ちゃんは、未来さんを危険に巻き込みそうになったことを怒っているんだ。お姉ちゃんには、1回だけ助けてくれる部下の人達がいる(らしい)。女性を助けるにしても、すぐにお姉ちゃんに連絡してその人達と一緒に行動すれば、未来さんを安全な所に逃がしながら女性もより低リスクで助けられた。そういうことだ。


「貴女の処罰は、追って伝えるわ」

「処罰って、そんな……!」

「クーちゃん、いいの……」


 美海さんが、力なく言う。なんだかそれが当たり前なようで、見ているだけで心が締め付けられた。


「今のあたし達はね、主従関係なんだよ……ミスした人に罰があるのは当たり前でしょ?身内だからってひいきしちゃいけないんだよ」

「それは……そうかもしれませんけど……」

「それに、あたしはみーちゃんを危険に晒した。もしかしたらあたしが取り逃がして、みーちゃんが襲われるようなこともあったかもしれないんだよ」


 それは考えすぎだと思ったけど、お姉ちゃんや美海さんが身を置く世界は、そういうシビアな世界なのかもしれない。そう思ったら、何も言えなかった。


「解ったようね…………美海、怪我はない?」

「うん……みーちゃんも平気?」

「はぃ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「大丈夫。誰も怪我しなかったんだから。ね?みーちゃんも泣き止んでよ」


 お姉ちゃんがまとっていた威圧的な空気が消え、口調も元に戻る。主従関係から、友人関係に戻った……ってことかな?


「よかったわ……もう、こんな無茶しないで頂戴」

「うん、ごめんね……」


 お姉ちゃんは美海さんの頭を優しく撫でる。……やっぱり心配だったんだ。さっき怒ってたのは、心配してたからこそなのかな。それから、わんわん泣いてる未来さんを皆で苦労してなだめた。




 未来さんも少し落ち着いて来た頃、あたしの遥か後ろで、閃光が散る。花火が始まったんだ。あたし達は、夜空に咲いては散っていく花を、障害物も人混みもない特等席で観賞する。……皆の気持ちは、純粋に花火を楽しむにはちょっと複雑だったけど。


 あたしの7月は、そんな風に過ぎ去っていった。





 浅海 奏と空野 歌撫。2人には時間はあまり残されていないと、彼女達はすぐに知ることになる。




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