9話「7月7日、火曜日」
小さな豆知識その17
空野 歌撫は、霊の類いはダメである。
メイドの朝は早い。……今日は休みなんだけどね。けど仕事ある日もほぼパソコンと向き合ってばかりだからそんなに語ることもないんだよねこれが。
今日は七夕。織姫と彦星が1年に1回会える日。先週少し雨が降ったけど、朝起きてカーテンを開けたら、今日はすごくいい天気だった。
「天の川見えるかな」
自室で独り言。見に行く予定を立てたわけじゃないから、天の川が見えなくても別に構わない。それに、雲がなくても空気が悪くて多分見えない。そういう時代だもん、仕方ないよ。
今は朝8時。のんびりで全然平気だけど、準備しなきゃ。みーちゃんと約束あるから。期末テストの最終日なんだって。あたしには、ちょっと懐かしい響きだ。あたしはちょっとオシャレでもしようか、なんて考えながら洋服を選び始めた。
……早過ぎた。あたしは洋服選びに悩むような性格じゃない。ましてやデートでもないんだもん。朝ごはん食べて、軽くシャワーを浴びて、それでも時間が余る。約束は12時なのにまだ9時だもん。……しょうがないなー。
「メイド長ぉー!いるー?」
「なんですか大声を出して。はしたない」
あたしはメイド長を呼んでみた。メイド長は大抵1階より上にいるから呼びやすいんだよね。暇な時に。
「おー、出てきた出てきた」
「用がないなら仕事に戻りますよ」
「いいじゃん、ちょっとあたしの悩み聞いてよ。暇でしょ?」
「貴女に悩みですか……なかなか面白い冗談ですね」
「いや冗談とかじゃなくて」
拒否しない、ってことは付き合ってくれるってことなんだけど、たまにイラッとくる言い方をする。あたしは真剣に悩んでいるというのに!
「先週くらいからカナちゃん、元気無いと思わない?」
「……気付いていましたか」
「そりゃあ、毎日一緒にいればね」
伊達にカナちゃんと暮らしてない。むしろあたしは、メイド長が気付いていたことに驚いた。カナちゃん、あたしにすら悟らせまいと普通を装ってるんだもん。
……あたしも、内心かなり心配だった。でも、カナちゃんならきっと話してくれると信じてるから、無理に訊くことはしてこなかった。
「……これは私の個人的な意見ですが」
「お?メイド長がそんな言い方をするのは珍しいね」
「……美海さん、貴女きちんとお嬢様とお話した方が良いと思いますよ」
「ん?なんで?」
てっきり平気だとか言うと思ってたから、あたしは思わず訊き返した。しかもなんであたしがカナちゃんと?
「お嬢様はおそらく、貴女にとっても複雑な事情を抱えておられます」
「カナちゃんの元気が無い原因、あたしにも関係あるって言うの?」
あたし、なんかしたかな……。でも様子がおかしくなった日は、学校から帰ってきた時点でなんか変だったから……。
「原因は貴女ではないと思いますよ。ただ、きちんとお嬢様とお話すること。その中で、貴女に関係する話も出てくるでしょう」
「ふーん?まあ、今夜にでも話してみる」
変なの。あたしにはよく解んないからカナちゃんに直接訊こう。メイド長はいい加減難しい話し方をするのはやめるべきだね。
「とにかく、ちょっと早いけど出かけてくるね。夕食には帰る」
「はいはい、いってらっしゃい」
呆れた声に見送られて、あたしは家を出た。傘はいらないかな。……雨、降らないよね?
「お待たせしましたぁー」
「みーちゃん!」
あたしとみーちゃんは、無事に会えた。みーちゃんは制服のままだ。この子の可愛い私服を見るのは楽しみの1つになってたから、少し残念だけど。
「とりあえず、ご飯行こっか」
「はぁーい」
あたし達は、一緒に行こうと約束してた店に向かう。その途中、話題がふとカナちゃんのことになった。
「あ、そういえばカナちゃんがさ、最近元気無いんだよね」
「…………」
「みーちゃん?」
みーちゃんは歩きながら、考え込むような仕草をする。なんか変なこと言ったかな。あ、それかみーちゃんも気付いてたとか?
「……その話、詳しくお話しましょうか」
「う、うん……」
いつもの間の抜けた感じじゃなく真剣な声で言われ、あたしは気圧された。学校で何かあって、カナちゃんはそれを隠してるのかな。
「着いた!ここ!」
「お好み焼きですかぁー。美海さんらしいですねぇー」
あたしが選んだのはお好み焼き屋だった。自分で鉄板で焼くタイプのお店。油跳ねが気になるとも思ったけど、ここはそれを防ぐための紙ナプキンもくれる。だから大丈夫かなーって。
「紙ナプキンはくれるけど、油跳ねるのとか気になる?」
「全然平気ですよぉー」
「じゃあ決まりだね!」
あたし達はお好み焼き屋へ入っていく。なかなか1人で入るのはハードルが高いから、今日はみーちゃんを誘った。久しぶりのお好み焼きだ。
「とりあえず、頼もっか?」
「そうですねぇー」
あたしは店員さんを呼んで、お好み焼きを2種類頼む。
「それで、カナちゃんが元気無いこと、みーちゃんも気付いてたの?」
「そうですねぇー、気付いてましたよぉー」
「どうしてかは知ってる?」
「知ってますよぉー」
みーちゃんの目は、あの、あたしの瞳の先を覗き込むような目だ。
「知ってるなら教えて。あたし、心配で……」
「……順を追って話しましょう。空野 歌撫さんは知っていますよね?」
「うん。お友だちだよ」
みーちゃんは口調が違っていた。あの語尾を伸ばすのがキャラか何かなのは知ってたけど。こういう話し方をする時は、真面目に話してくれている時だ。
「空野さんは先日、会長と2人きりで話していました。学校の屋上で」
「2人だけの秘密の話、だよね」
「その通りです。内容までは知りません。でも、あたしは屋上へ向かう2人を見かけましたし、「独りで戻ってくる」会長も見ました」
「2人で内緒話して、カナちゃんだけが先に戻ってきた……」
真っ先に思い付くのはケンカだ。何か大事な話をしたんだけど、揉めちゃったとか。それならカナちゃんが元気無くても不思議じゃない。きっと、仲直りしたいんだ。
「ケンカしたわけでは無いと思いますよ」
「えっ?」
あたしの心を読んだように、みーちゃんは予想外のことを言い出した。
「あたし、匂いには少し敏感なんです。独りで戻ってきた会長と、少しだけ話したんですが……会長から、空野さんの匂いがしました」
「……?」
どういうことだろう?7月入ってから暑いから、カナちゃんが屋上に長時間いて汗をかいたとかなら解る。でもクーちゃんの匂い?
「これは根拠の無い推測ですが、会長と空野さんはあの日屋上で、致してたんだと思います」
「いたしてた?……って、何?」
あたしにちょっと学が足りないせいか、言ってる意味がよく解らなかった。何かをしてた、ってことは解るけど。
みーちゃんは、目を細めた。
「……ごまかしてるんですか?」
「いや、違うの、本当に解らなくて……もう少し噛み砕いた言い方をしてくれたら、助かるかなー、なんて」
みーちゃんの目が少し怖い。本当に底知れない目をする子だな……。
「……あの日、2人は屋上で肉体的に愛し合ったのではないか、と言ったんです」
「………………え」
……あたしは、処理しきれない事態に混乱していた。愛し合った?カナちゃんとクーちゃんが?だからカナちゃんからクーちゃんの匂いがした?待って肉体的にってことは、つまり、その……。
「えっと、カナちゃんとクーちゃんは、そういう関係ってこと?」
「……それも違うと思います」
「違うの?」
「多分違うから、会長は落ち込んでいるんです。会長によるレイプだったんだと思います」
「ご、ごめんね、ちょっと整理させて」
えっと、カナちゃんは先日、クーちゃんを屋上へ連れ出して、その…………アレをしたと。それが合意じゃなく衝動的にやっちゃったことだから落ち込んでる……?
「だいたい話は解ったと思う……あれ」
「お好み焼き、焼いちゃいますねぇー」
「あれ!?あたしそんなに考え込んでた!?」
店員さんが持ってきたことにも、みーちゃんが焼く準備をしていたことにも、全然気付かなかった。
みーちゃんが生地を鉄板に流すと、いい音がする。ちなみにあたしには焼き方のこだわりとかそんなものは無い。いや、話を戻そう。
「じゃあ、もしかしてクーちゃんも……」
「いいえ。この件に関しては空野さんも会長を心配してました。あたしを避けてるみたい、とも言ってましたね」
……強いんだな、クーちゃん。もしかしたら、怖い思いをしたかもしれないのに、あたしよりずっとカナちゃんを心配していたのかもしれない。……胸が、締め付けられるように痛んだ。
「ここからが本題です。美海さん」
「カナちゃんを元気付けてあげないと、だよね」
「……それだけですか?」
みーちゃんは鉄板の様子を見ながら話す。あたしとは視線を交わさなかった。
「美海さん。さっきの話の流れで解ると思いますが、会長は空野さんのことが好きです。恋愛対象として」
「うん。それは解るよ。というか、なんとなくそうかなー、とは思ってた。そこまで進んでたのは予想外だけど……」
「けれど、空野さんはそこまで会長を好きなわけではない。確かに友達としてはかなり好きでしょうけど、恋愛対象じゃあない」
「そうなんだ?じゃあ、カナちゃんには立ち直って頑張ってもらわないとね」
「……それで、いいんですか。あなたは、あの2人が」
「みーちゃん」
あたしは声のトーンを1つ落としてみーちゃんの言葉を遮った。みーちゃんの手が止まる。鉄板を跳ねる油の音だけが、後に残された。
「あたし、ストレートに言ってくれないと解らないんだ。…………何が言いたいの?」
みーちゃんは片面が焼けたお好み焼きをひっくり返した。再び生地の焼ける音が激しくなる。
「伝えるなら、今夜しか無いですよ」
「伝えるって?あたしは言ったよ、ストレートに言ってくれないと解らな」
「美海さん」
今度はあたしが遮られる番だった。みーちゃんが今あたしに向けてるのは、あの目だ。……その目を今向けられるのは、気に入らない。
「あたしは、解らないフリをされるのは嫌いです」
「…………」
お見通し、ってことかな……。だからあの目は嫌なんだ。見透かしたような目。……本当に見透かしているからこそ、気に入らない。
「いつから気付いてたの?」
「初めて会った日からです」
「……そっか。誰にもバレて無いと思ってた」
あたしは諦めた。この子は確信している。自分の予想が間違っていないことを。そしてそれは、間違っていない。
みーちゃんは両面焼けたお好み焼きを切って、半分をあたしの皿に乗せた。あたしはそれにソースとマヨネーズをかけていく。
「とりあえず、次のを焼く前に食べよっか」
「……そうですね」
あたし達は「いただきます」と手を合わせ、食べ始める。熱い。もう少し小さくして食べれば良かった。味がよくわかんないや。
「……みーちゃんの思ってる通り。あたしは、カナちゃんが好きだよ。恋愛対象として」
「…………」
「せっかくのチャンスだから、慰める時に想いを伝えて、カナちゃんの気持ちをこっちに向かせろ、って言いたいんでしょ?」
「……我ながら卑怯だとは思います」
「でも、いいの」
あたしは、それを伝えるつもりはない。
「あたしの想いはね、カナちゃんと一緒にいたい、それだけなの」
「……」
「どんな形でもいいから、隣を歩かせてほしい。それが叶うなら、カナちゃんが他の人と結ばれても全然構わない」
「…………それは、恋ではなく、愛じゃないですか」
「さあ?あたしにはその2つの違いはわかんないもん」
難しいことは解らない。けど、あたしはカナちゃんが泣くのは嫌だし、カナちゃんのことを支えていきたい。カナちゃんがクーちゃんを好きで、その想いを遂げる為にあたしを頼ってくれたなら、あたしは喜んで協力する。
「今回の件もあたしはカナちゃんから話してくれるまでは訊くつもりはなかったんだ」
「不器用な生き方ですね」
「まあね。……でも、今夜は、ちょっとお話しようかな、なんて」
「ご飯を食べたら、お買い物に行きましょうかぁー。付き合いますよぉー」
「……かなわないなあ」
カナちゃんとか、メイド長よりも厄介な子だな。全部先回りされちゃう。あたしの方が歳上なのに、しっかりしなきゃ。
あたし達はその後、2人でショッピングをして、夕方にはお別れした。夕食には帰る、って言ってあるしね。
その夜。あたしはいつものようにカナちゃんの部屋へ行く。今日もカナちゃんは普通を装っていた。
「カナちゃん入るよー」
あたしはわざと返事を待たないでドアを開けた。カナちゃんは読書中だったらしく、あたしを認識するや否や本を閉じた。
「返事を待つようになったと思っていたのだけれど」
「今日は、七夕だよ?外行こうよ外」
カナちゃんは訝しむような顔をした。なんで?みたいな。……まあ、自分でもすごく急な提案だとは思うけどさ。逆の立場なら多分同じ顔をするし。
「今何時だと思っているの?」
「カナちゃんは何時に外出ても安全でしょ」
「……仕方ないわね」
あたし達は出られる格好に着替えて、外へ出た。星はあまり見えないけど、天の川らしき光は見えていた。行き先など無く、並んで歩いていく。
「カナちゃんさ、先週何かあったでしょ、クーちゃんと」
「っ!」
核心を突くようなことを突然言ったせいか、カナちゃんは驚きが目に見えた。珍しい。
「カナちゃんはさ、クーちゃんのことが好きなんだよね」
「……多分、そうだと思うわ」
「多分?」
……ん?なんかあたしとかみーちゃんが思ってたのと違う?
カナちゃんは雲1つない空を見ながら話す。あたしは、その綺麗な横顔を見ながら傍らを歩いた。
「私は空ちゃんが好きだ、ってはっきりと言えない。自分の気持ちがわからないのよ」
「……先週感情に任せてクーちゃんに手を出したけど、自分の気持ちが解ってなくて混乱してるの?」
カナちゃんは少し戸惑ったような顔をした。昔はともかく、今のカナちゃんは基本的にカンペキだ。困ったり悩んだり、ましてや解らないことなんて、久し振りのことに違いない。
「それもバレてるの?」
「みーちゃんにね」
「……確かに私は空ちゃんが好きだけれど、この気持ちは恋なのかしら。友達に向けるものと、何が違うと言うの?」
「恋だよ」
はっきり、即答であたしは言い切った。カナちゃんは驚いたように目を丸くしていた。今日は本当に珍しい。1日の間に2回もカナちゃんが驚きを表に出すなんて。
「随分はっきり言うのね」
「カナちゃんは、クーちゃんに一緒にいてほしくて、笑顔を向けてほしくて、それに、クーちゃんが他の人と話してると少しイラッとしたりして……違う?」
「違わないわ。……それが何?」
カナちゃんはそれが恋そのものだって気付いてないんだ。……恋愛初心者だもんね、仕方ないか。これに関してはあたしのが上手だもん。たまにはあたしが教える側になろう。
「独り占めしたい、誰かに渡したくない、自分と離れないでほしい…………それはもう恋なんだよ」
恋は欲しがるもの。愛は与えるもの。……なんて、さっきみーちゃんが言ってたんだけどね。だったらカナちゃんのこれはきっと恋。感情がクーちゃんを離したくなくて、手を出しちゃったんだ。
「カナちゃん、恋っていうのは、理性じゃ出来ないんだよ。それは、カナちゃんが感じるもの」
「私……私は……」
カナちゃんは再び空を見上げた。考えているんじゃない。思い出すような、何かを感じ取るような表情。視線の先を追っていけば、やんわり明るい夜空。天の川ははっきり見えないけど、天の川なんて必要ないのかもしれない。
(天の川が無ければ、2人はいつでも会えるんだもんね)
…………あたしの恋とも、もうお別れかな。未練なんて無いからいいんだけどね。ああ、今朝メイド長が「あたしにも関係する事情を抱えてる」って言ってたのもこれなのかな。……あたしも隠すの下手なのかな?
やがてあたしに目を向けたカナちゃんは、吹っ切れた顔をしていた。もう、あたしの助けはいらない。
「美海、ありがとう」
「別にいいよ、あたしが勝手にやったことだもん……あ、そうだこれ」
あたしは、用意してきた紙袋をまさぐる。昼間みーちゃんと選んで買ったものだ。
「じゃーん!」
「珍しいわね、それを買ってくるなんて」
「たまにはいいでしょ!」
あたしが買ってきたのはちょっとお高いアイス。あたしとカナちゃんの中で、コンビニアイスを上回る数少ない高級品だ。
「あっちに公園あったでしょ、一緒に食べよ!」
「ちょっと美海、引っ張らないの……もう」
あたしはカナちゃんの手を引いて走った。そんなことで、あたしは幸せだった。結ばれなくても、カナちゃんが他の人を好きでも、あたしのことが嫌いでもいい。
……でも、心の片隅に少しだけ、あたしの居場所をください。
小さな豆知識その18
「美海さん、出番多かったですねぇー」
「で、出番?」
「もはや主人公でしたねぇー」
「みーちゃん?」
「……あたしも、頑張ってるんですけどねぇー……」
「(今度、スイーツでも奢ってあげよう……)」




