7話「6月9日、火曜日」
小さな豆知識その15
「カナちゃん、ウチのお風呂広いよね?」
「そうね。私達でも泳げるくらいだもの」
「けどさ、庭は広くないし、建物のバランスから考えても、お風呂だけ異様に広くない?」
「ええ。かなりのスペースを取っているはずよ」
「なんで?」
「昔、父親が泳ぎたくて改築したのよ」
「おじさん……」
生徒会室の窓から見える景色は、雨。今日は風もあるせいか、海も荒れている。梅雨入りはそろそろだ、と既に先週には言っていたけれど、今週は月曜から金曜まで雨の予報だ。そう聞くと、梅雨って感じするわよね。
「会長ぉー」
「なにかしら」
生徒会書記の境だ。この子、一昨日美海と知り合ったらしい。連絡先を交換していた。私を介してだけど。
「なんで今日はこの子がいるんですかぁー?」
境の疑問もごもっとも。今日は生徒会室に境と鹿野君を呼び、空ちゃんを連れてきたのだから。やることは1つ。
「空ちゃんを正式に紹介しようと思って」
「そうなんですねぇー……お友達ですかぁー?」
「それは空ちゃんの方から」
私は空ちゃんに促す。彼女が望んだことは、「境と鹿野君とも仲良くしたい」ということだった。
彼女は生徒会室に入った時から緊張しきりだ。大丈夫。貴女は、美海とも仲良くなれたのだから。
先月私が遊園地に行っている間、空ちゃんは美海の客として泊まりに来ていた。要領を得ない美海の話と、天然な空ちゃんの話を統合すると、「金曜日は話すことを中心にして、いい関係を築けた。土曜日は映画を観に行ったり、ショッピングをした」というのが大筋らしい。
先月遊園地に行った、ということは、私が鹿野君に、…………思い出すとちょっと恥ずかしいわね。……あれがあってから日が経っているということだけれど、私が出した結論はこうだった。
1、まずは、空ちゃんの精神状態の回復。
もし私が空ちゃんに「好きです」と告白したとして、彼女は今受け入れられる状態じゃない、と私は考えていた。
医者にも行かせた。結果は「しばらく通ってください」だったそう。通院、と言えば大したことは無さそうだけれど、精神的な傷や病は入院させると悪化する可能性もある。つまり、基本的に通院はかなりの重症だと思っていい。
そんな状態の人の精神に、さらに負担をかけるのは良くない。ということで、告白とかどうとかは私の中で先送りとなった。
そもそも、私は空ちゃんを好きとか、冷静になってみると本当なの?雰囲気に流されてない?と思えてくる。この先送りの時間を使って、今一度自分の気持ちを確認する必要もあった。
2、次に、空ちゃんの「目的」の達成
これが曲者。空ちゃんからまだ具体的な話を聞いていない。私を頼るまでもなく達成出来るならそれはそれで構わないけれど、これは私には展望が全く無い状態だった。
けれど、目的に関しては入学式の時から言っていることで、つまり空ちゃんにとっては最優先事項のはず。……オーラなんてものを信じて私に話しちゃってるけれど。私に話が回ってくるなら、私もそちらを優先しようと思っている。
空ちゃんを支えること。空ちゃんの近くにいてあげること。それが私の今のところの方針だ。
ともあれ、空ちゃんは必死に声を絞り出した。鹿野君がいるせいか、今日は特に声が小さい。……よく考えたら、男性を女性より怖がるのは、男性に何かされたからなのかしら。
「ぁ…………たしは、空野 歌撫です……………………おね、じゃなくて、奏さんの……友達で………………お二人とも……お知り合いに…………なれたら……………って…………」
「会長のお友達なんですねぇー、あたしは境 未来ですぅー、よろしくですぅー」
「僕は鹿野 絢斗。……その、僕は男だし、無理はしないでね」
「よろしく……お願いします……」
美海が話しやすいだけなのか、男性がいるせいなのか、空ちゃんの話し方は初日のそれだった。やっぱりまだまだ「普通」には遠いのかしらね。私はそんなことを考えていた。私の恋……かどうかはまだ未定だけれど、それが進展するのはいつになるのかしら、とも。
唐突に話が動くのは、夜のことだった。
私はいつものように、寝る前の読書をしていた。最近は美海に借りた小説を読んでいる。仕事が終わらないのか、今日はまだ美海は来ていない。ふと時計を見れば、時間は21時を少し過ぎたところ。
すると、ノックの音。美海はノックをしない。外から私に呼び掛けてくるだけだ。だとすると、今は美海はまだ仕事中で、その上で私に用があるのだろう。
「入りなさい」
「失礼いたします」
私の予想通り、美海はメイド服着用のまま、丁寧な所作で一礼してから部屋へ2歩だけ入った。
「用件を言いなさい」
「はい。お嬢様に見ていただきたいものがございます。……地下へお願いいたします」
「…………すぐに行くわ。他の方は?」
「勤務時間を終え、帰宅しております。呼び戻しますか」
「必要かしら」
「私の見立てでは必要無いかと」
「ならいいわ。行きましょう」
私と美海は、自宅の隠された地下へと向かった。
地下。私の裏の仕事場。そもそも、私の家には美海を含めてメイドが15人雇われている。けれど、それは交代で休みを取るにしても明らかに不自然。何故なら、両親は家にはおらず、私も平日は学校がある。
そう。メイドは今の我が家には必要ない。むしろメイドしか普段我が家にはいない。その理由が、自宅地下にある。メイド達には、普段そこで給仕以外のビジネスをしてもらっていた。他ならない、私の指示で。
ビジネスの内容は多岐に渡る。もちろん人数の少なさから多くの量はできない。その代わり、ソフトウェア開発、広告作成の代理、データ整理……PC上で出来ることはほぼ何でも請け負っていた。ただし訳あって、この小さな企業を私が管理していることは秘密。たとえ、両親であっても。両親にも、メイド長から「メイド長自身が奏のために興した。いずれは奏の企業の土台とするかもしれない」と伝わっているはず。
長い階段を下り、地下へと辿り着く。そこはマンションのようにたくさんの扉が並ぶ、無機質な白に覆われた空間。階層は1つしかないが、ここには目的別に分けられた、25もの部屋が存在する。
美海は私を先導し、「24」と書かれた部屋の扉を開ける。電気は付けっぱなしにしておいたらしく、中は明るい。私を先に通し、美海は扉を閉めた。念のためか、施錠もする。
部屋の広さは8畳ほどで、この部屋はコンピュータが多く並んでいる。一般的な企業でも使われるような、業務用のもの。この部屋は「他の企業との連絡」に使われる部屋だ。
「見てほしいものってなにかしら?」
「こちらのPCでございます」
「口調戻していいわよ、どうせ誰もいないわ」
「……このPCにね、カナちゃん宛のメールが届いたの」
「……私宛?」
この地下で行われるビジネス。その企業管理者、つまるところ社長は、名義上メイド長になっている。実質的にも彼女がほとんど管理していて、私はデータ類は把握していても、よほどの事が無ければ余計な手は出さない。企業の実質的な管理者が名義と違う、というのは問題になりかねないもの。だから、私宛のメールが企業用PCに届くことは無い。
しかし、確認すると確かに件名は「浅海 奏へ」となっている。さらに、送信された日付が17年後になっている。怪しいことこの上なかった。けれども、私は躊躇うことなく未開封のそれを開く。本当に未来から過去へ渡ることがあると、私は知っていたから。空ちゃんが本当に未来人なのか、その物的証拠となるかもしれない。そう思ったから。
本文には、以下のように書かれていた。
件名:浅海 奏へ
この先は独りで読むこと。また、内容の一切の他言を厳禁とする。また、このメールは開封後1時間で痕跡を残さず消滅する。
望んだものが欲しければ、以下の内容を信じることを推奨する。
空野 歌撫の目的は自身を救うことである。
空野 歌撫は人間から生まれた存在。されど人間ではない。
外的要因による死を持たず、自身の外傷を治癒することが可能である。
故に彼女は死なない実験動物として酷使されることになり、最終的には研究員の心的疲労、暴力衝動の捌け口としてあらゆる苦痛を与えられる。
結果、空野 歌撫は深い心的外傷を負い、精神は崩壊を迎える寸前となる。
故にその前に空野 歌撫を過去へ転送した。
空野 歌撫はその未来を変えるため、「自身を実験動物としていた企業」を捜索している。
何らかの形で件の企業が空野 歌撫を実験動物としない未来へ変化させることで、空野 歌撫は救われる。
空野 歌撫が捜索する企業は、浅海 奏が空野 歌撫の為に起こした行動から発見される。
空野 歌撫を救いたければ企業を発見した後も「行動」せよ。
「意思」を持って。
「世界」より
本文はここまでだった。当然、独りで読むこと、を確認した時点で私は美海に見ないように「主人として」指示をした。だから、この内容は私しか知らない。自動で消えるとは書かれているけど、私の方でも消しておく。私に出来る限り、痕跡を残さないように。
「美海、読み終わってメールも消したから楽にしてて良いけど、このメールについて考えさせて頂戴」
「わかった。黙ってるね」
私は複数回読んで、本文を完全に暗記した。深く、思考の海に沈んでいく。
まず、差出人が「世界」となっている。これは空ちゃんが言っていた、神様みたいな存在だ。不自然なものを嫌う印象だったけど、今回はやたら不自然なものを送ってきたものね。
ただし、もし本当だとすれば神にも等しい存在によるメール。企業用のPCに届けたのは、「世界」からのものであることに信憑性を持たせるためだったのかもしれない。
次に他言無用の件。誰かに漏らせば「世界」から何をされるか解らない。書き方から考えて、危害が及ぶ可能性は高い。内容的にも無関係な人には話せないが、本人にも話さない方がよさそうだった。
そして、空ちゃんが人間ではない、不死の存在であること。これは初耳で、空ちゃんから聞いていない。わざわざ外的要因と書いてあることからすると、外傷や薬物では死ななくとも寿命はあるのかもしれない。……けれど、未来から来た事は告白して、どうしてこの事を黙っていたのかしら。
そして、外傷を治癒する能力がある。……外傷を治癒?私は何か引っかかった。記憶のどこかが、それは間違いだと叫んでいる。思い出せ、思い出せ。…………。
「……美海、貴女は空ちゃんとお風呂に入ったと言ってたわね?」
「うん。お泊まりに来たときにね」
「その時、空ちゃんの身体に、傷って無かったかしら」
「傷?…………あ、あったよ。首の付け根、左の方。切り傷みたいの。生まれつきの傷だって」
そうだ。私もそれを見たんだ。入学式の日、生徒会室で一瞬だけれど。
それが不死の証なのかしら……。とにかく、その傷以外は消えるということらしい。部位の完全な欠損等も修復されるのかだとか、どれくらいの時間がかかるのかだとか、意識的に治療ができるのかだとかは書かれていない。「世界」さん、言葉が足りないわよ。
そして、空ちゃんが研究と称した拷問を受けることになること。死なないから何でも試せる。何をしても良い。……とんだクズ野郎ね。見付けたら同じ思いをさせてやる。そいつらだけは絶対に許す気は無い。
……でも空ちゃんが拷問を受ける未来を変えたらその人達悪いことしてないわね。その辺は追って考えましょうか。
そして、空ちゃんの目的はその企業の捜索。前に私の両親の会社について訊いてきたことがあったけれど、それもこの為だったのかもしれない。
その企業とは、私の行動から発見されるらしい。私が意識的に「空ちゃんの為」として行うことの中にヒントが隠されていたりするのかもしれない。けれど、やっぱり「世界」は言葉が足りない。
そして、その企業が判明した後も行動する必要がある。これは当然のことで、そのまま野放しにしておいたら未来は変わらない。だから倒産させるなり、そこまでしなくとも、生物研究分野だけ潰しても構わない。そこは判明した後でいい。
情報量が多い。問題が問題だけに、すぐには方向性がまとまらないわ。まずは数日かけて情報を整理しましょう。
私は、美海を連れて地下を後にした。決意する。必ず、空ちゃんを助け出す。そんな未来にはさせないと。……ところで。
「美海、貴女メイド服あまり似合わないわね。絞ってるはずなのに胸が平らなんだもの」
「どうして急にdisるの!?」
私は早速自室で考えをまとめ始める。美海はお風呂を済ませ、パジャマ姿で私のベッドの上で横になりながらゲームをしている。私としては、美海にはリラックスした状態で私の部屋に居てもらうのが理想だった。私では解らないことは、彼女に意見を求めるつもりだった。別の視点が欲しいのだから、美海には同じように考え込まれては困る。
まず、私はこの小さな企業の経営権を公的に自分に移す必要があるかもしれない、と考えた。元々そうするつもりだったけれど、大学を出てからでもいいかもしれない、そうでなくとも、高校を出てからでいい。私はそう思っていた。それを、高校在学中に移すことも視野に入れる。
私の両親は、いずれも大企業のトップ。その一人娘が若くして企業のトップとして活動を始めたとなれば、話題にならないはずはない。それを利用して企業を動かす重役との交流を行い、空ちゃんの捜す企業の情報を集める。しかしこれは大がかりな計画になる。少し様子を見てからにするべきね。
そもそも、世界とやらは何故過去へ人間を送ったのか。救えるのなら、救えばいい。私は、世界こそ不自然だと感じていた。
空ちゃんを過去へ渡らせたこと。私に救わせようとしていること。その割に重要な情報が欠如していること。空ちゃんにはテレパシーのような何かで情報を与えたにも拘わらず、私にはメールだったこと。17年前という近い時代へ送ったこと。不自然な点が多すぎる。
「ねえ、美海。神様がいるとするじゃない?」
「神様?うん、まあいるかもね」
美海は向こう側を向いている。振り返りもしないけれど、話を聞いてさえいれば今はそれでよかった。
「その神様が誰かに預言を与えたとするわ」
「ゲームとかマンガでもあるよね、そういうの」
「その中で、与える情報があまりに少ない理由ってなんだと思う?」
「うーん……架空の話なら、盛り上げるために謎を残したりするよね」
盛り上がり……ね。私も少しは考えた。私達を弄んで、適当に場をかき回して遊んでいるだけなのではないかと。ただ、それでは私としては意味がない。世界の目的が解れば、私のすべき行動の方向性が定まるのではないかと考えていたから。だから、私達を弄んでいるとなると、私の判断で動くしかない。私の判断で動くのなら、世界がどう考えているのかの分析は意味の無いものになってしまう。
「それか、その人ならなんとか出来ると信じてるとか」
この可能性もある。それなら、私からアプローチをかけてさらなる情報を引き出したい。いくらなんでも買い被りすぎている。……あるいは、あの量の情報を統合した上での私の判断なら充分空ちゃんを救えるということなのか。
「あとは、知らないとか?」
「知らない?」
「神様にだって、解らないことくらいあるんじゃない?神話でも結構間の抜けた神様いるし」
「一応言っておくけれど、神話は創作よ」
しかし、知らない……。その可能性は考えていなかった。世界は、私に最大限の情報を与えた。空ちゃんを救い出す、最大限の努力の結果が今の不自然で穴だらけな状態。……空ちゃんは常識のように語っていたし、それだけ大きな存在ならこの可能性も低そうね。
ダメね。世界さんのことなんて考えても解らないわ。結局私の独断で行動するしかなさそうだわ。…………だったら、どうしていこうかしらね。
浅海 奏は、最善策を探る。……「世界」は何も知らない。それは、神にも等しい存在ではない。少し、並の人間より優れているだけの存在。そのことを彼女が知るのは、もう少し先の話である。
小さな豆知識その16
空野 歌撫は料理が上手い。ただし、指を切る回数は多い。