プロローグ「3月2日、月曜日」
この世には理解出来ないことがたくさんある。
どうして生物は死ぬのか。
どうして人は愛し合うのか。
どうして、自分はこんな目に遭わなければならないのか。
「逃げ……なきゃ…………」
少女は左足を引きずりながら、夜の森を進む。
必死だった。痛い。服は破けていて、身体中に傷があり……心も、痛かった。
背後から怒号が聞こえる。人間の、成人男性の声だ。
その声に少女の足はすくみ、その場にへたりこんでしまう。
「ぁ……」
やだ、きっと死ねない、死ぬよりも痛くて、死ぬよりも苦しくて、やだ、やだやだやだやだ
ガサッ
「ひっ……!」
すぐ側の茂みが音を立て、男が姿を現す。深い闇に浮かぶのは、狂気の瞳と刃の閃き。包丁だろうか、そんなことは少女の意識には無かった。
男が躊躇いなく、刃を動けなくなった少女に突き立てる。
傷を負わなかった右足を、金属が深く抉る。
少女の絶叫がこだまする。狂った男は手を止めない。再び振り上げられた腕が、少女にさらなる痛みを与えようという瞬間だった。
少女が、突然消えた。後には、男だけが残された。
「え、あれ……?」
少女が気付くと、そこは見知らぬ場所だった。春先の街、そして日本には違いないが、なんだか違和感があった。ただの知らない土地、ではないような……。
身体中を苛んだ傷は綺麗に無くなっており、制服のようなものを身に付けている。
「ん……っ!」
鈍く、長い頭痛が少女を襲った。手近なコンクリートの壁に手を付き、堪える。
それが治まった時、少女は理解した。今は、行かねばならないところがあると。少女は歩き出す。
この日は、3月2日、月曜日。少女が向かう高校の合格発表の日だった。
そして、少女が頭痛の後にもう1つ理解したこと。それは、
(時間を……超えたんだ……)
人智を超えた力を持った少女。彼女にも、それは初めての経験だった。