後半
王子様視点
魔法使いの森に向かうこと三度目、王子の気は重かった。
二度までも、命令に従順に従った森の主も、三度目となる今度こそ堪忍袋の緒が切れるに違いない。
二度目の命令のさらに数ヵ月後、強欲貴族たちが三度目の訴えにやってきた。
一度目は作物。
二度目は乳製品。
どちらも森が大量の商品を街に出荷するため、取引価格が下落して商売にならないという訴えだった。
取引価格が落ちれば、収入が落ちて生活に困る者たちも出てくる。
だが、これらの訴えは不当であったと、あとから判明した。調査したところ、森が出荷を始めたことで多少値は下がったものの、供給と価格が安定して住民は喜んでいたのだ。
その反面、品薄の商品を高く売って儲ける手法が使えなくなった。
それを不満に思った一部商人たちが、懇意にしている貴族を通じて訴えてきたというのが事の真相だ。
強欲な奴らに知らず加担させられていたかと思うとはらわたが煮えくりかえるが、命令を撤回することはできなかった。
悲しいかな、ここは吹けば飛ぶような弱小国。貴族たちが国を守ってくれなければ国は存続し続けられない。そんな事情から、貴族たちの機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
そして三度目の訴えは、森が食料の大量買いを行っているというものだった。
最近、市場に出回る食料が不足し、価格がどんどん上がっている。そんな折、森が食堂を始めたというのだ。値段が安いから、森食堂は連日大賑わい。
街は食料不足で困っているのに、森が大人数に食料を提供し続けられるのはおかしい。これは森が食料を買い込んで森食堂で売っているからに違いない──と言うのだ。
訴えてきた強欲貴族の一人が言った。
「王子は先日、我らが懇意にしている商人たちに、商品を売り渋ったりせず市場に出すよう命じられましたが、商人たちをありもしない罪で責めるより、森を取り締まるべきではないのですか?」
よく言ったもんだ。一部の貴族が権力を振りかざして市場に入る直前の食料を買い占め、それを懇意にしている商人に売っていることを、王子はとっくに突き止めている。
だが、それを明かすことはできない。なぜならば、悲しいかな、ここは吹けば飛ぶような弱小国。(以下略)
そしてめんどくさがりの父王が「わかった。望むようにしよう」と言えば、王子はそれに従うしかないのである。
王子は正直、強欲貴族たちが言う「森食堂は連日大賑わい」は話半分かそれ以下だと思っていた。
収入を断たれた森に、市場全体が品薄になるほど大量買いできる資金があるわけがない。それどころか、人を雇う金もなくなって、農園の管理も行き届かなくなっているに違いない。
そんな森に、連日大賑わいするほどの食事を用意できるはずもなく、『森のわずかな収入減もおまえたちは根こそぎ潰したいのか』と内心憤ったものだ。
ところが、魔法使いの森に到着してみて、王子はあぜんとした。
いつの間にか出来上がっていた広い空地に、たくさんの椅子とテーブルが並べられている。昼時とあってほぼ満席で、おまけに行列までできている。
「いらっしゃいませ~! 食事をしたい人は、列に並んでくださいね~」
「数はたくさんありますから、慌てなくても大丈夫ですよ~」
声を張り上げているのは屈強な男たち。野太い猫なで声に、列に並んでいる子どもたちは大はしゃぎだ。
王子にとって理解しがたい光景だが、そんなことを考えている場合じゃなかった。
強欲貴族たちが言った通り、いや、それ以上じゃないか。
まさか本当に森が大量買いを行っているのか?
いやいや、調査書からすれば強欲貴族たちが結託して買い占めを行っていて、買い占めた食料のほとんどは悪徳商人たちの手に渡り、森が大量買いする隙などどこにもない。
だとしたら、ここで出されている料理の材料はいったいどこから?
一日当たりどのくらいの食事が提供されているのか計算していると、不意にのほほんとした声をかけられた。
「あ、いらっしゃい。王子様もお腹が空いてるんですか?」
はっと我に返った王子は、すぐそばに森の主が立っているのに気付いて怒鳴った。
「これはいったいどういうことだ!?」
怒鳴りながらも、王子の口の端はひくひくと震える。
相手はどんな力を持っているかわからない魔法使いの末裔。
怒らせれば、得体の知れない力を使ってくるかもしれない。
その怯え──いや、緊張が、口の端に現れてしまうのだ。
森の主は、不思議そうに王子の口の端を見つめながら答えた。
「どういうことって、町の食料が高くなりすぎて困ってる人たちに、食事を提供してるんですよ」
「それは知っている。わからないのは、ここで提供されている料理の材料はどこで手に入れたかということだ」
いらいらしながらこう言った王子に、森の主はきょとんとして答えた。
「どこって、ウチの畑ですけど?」
「嘘をつくな! どう考えたって森だけで生産できる量じゃないだろう! まさか本当におまえが食料買い占めの犯人だったのか!?」
「買えるわけないじゃないですか。忘れたんですか? 食料の出荷停止を命じてウチの収入減を絶ったのは王子様です」
まったくもってその通りだ。王子は言葉に詰まる。
森の主は、小さくため息をついて言った。
「大量の食料があるのは、国外に売り出そうと思って長期保存できるものをたくさん作ってたからです。国内はダメでも、国外ならOKですよね? で、そろそろ国外に売りに出す方法を考えなくちゃなーっと思ってたところに、以前よくしてくれていた商人さんたちが、町は食料不足で価格が高騰してるから、森から食料を出荷してくれないかって相談に来たんです。けど、森はほら、町への出荷が禁じられてるから……」
言葉を途切れさせた森の主は、またもやため息をつく。
……これはもしや、言外に非難されているのか?
だとしても、王子は反論も怒ることもできない。
二度に渡る出荷停止命令は、森に対して不当だった。
二度目は特に、言い訳もできない。不当であるとわかっていながらも、命令を伝えにきたのだから。
言葉を途切れさせたあと、森の主は再び口を開こうとしない。王子の反応を待っているのだろう。
王子は迷って悩んだ末に、ようやく口を開いた。
「あのような命令を下して、その、す、すまなかった……」
たとえ吹けば飛ぶような弱小国の王子でも、人並みのプライドはある。
そのプライドを押さえ込んでなんとか謝ると、森の主は思わぬことを口にした。
「ああいうイベントだったんだから、仕方ないです」
「イベント???」
どういう意味だか、さっぱりわからない。
首をひねっていると、森の主は「まあ、それはともかく」と話を仕切り直した。
「親切な人たちにいろいろ教えてもらってるんで、王子様の立場もだいたいわかりますよ。王様がめんどくさがりで、貴族たちから安請け合いしたことを王子様に丸投げして、あとは知らん顔なんでしょ? 王子様には決定権がないし、お国の事情から貴族たちの機嫌を損ねるわけにはいかないし、大変なんだってね」
王子はがっくりうなだれずにはいられなかった。
国の恥部が、庶民の間にまで広まってる……。
しかも、情けない自分(←王子)のことまでばっちりと。
そんな王子の肩を、森の主はぽんと叩いた。
「中間管理職はツラいねぇ。ドンマイ」
森の主を怖れ──もとい、警戒する王子は、肩をびくっとさせながら、『中間管理職って何だ?』と思う。
そこはあえてつっこまず、素直になぐさめを受け入れた。
「原因はわかってるんだ。だが関わっている者の中に貴族がいて、手出しすることができない。このままではマズいというのは重々承知しているが、解決する手段がないのだ」
「あるそうですよ?」
「え?」
思わず顔を上げて訊き返すと、森の主は淡々と告げた。
「ですからあるんだそうです。解決する方法」
「……それはもしや、父王から関わっている貴族に命令を下すという方法だと言ったりしないだろうな?」
不信の目を向ける王子に、森の主は手をひらひら振って言った。
「いやいや、そんなことは言わないですよ。王子様に命じていただきたいんです。──『魔法使いの森はこれより3日後に、以前の取引価格の半額で食料を出荷せよ』って」
「は?」
意味がわからずぽかんとする王子に、「王子様もちゃんと働いてくださいね」と言って森の主はにっこり笑った。
魔法使いの森が3日後に、以前の取引価格の半額で食料を出荷する。──この話は、またたく間に町中に広まった。
つまり、少なくとも3日我慢すれば安い食料が手に入る。そのため、誰もがバカ高い食料を買うのをやめた。
それに危機感を抱いたのは悪徳商人たちだ。安値の食料が出回ってしまえば、自分たちが抱える在庫はみる間に価値が下がってしまう。
今の内に在庫を処分してしまわなければ。
価格をどんどん安くしていったけれど、誰も見向きしない。3日もすれば以前の半値で買えるようになるのに、それ以上の価格で買うのはバカらしいからだ。
森への出荷命令が出されたこの日、町の食料の価格は以前の価格を下回った。
悪徳商人たちは、強欲貴族たちに泣きついた。
悪徳商人たちに儲けさせてもらっている強欲貴族たちは、またもや王に直訴した。
「魔法使いの森に何という命令を下したのです!? おかげで価格破壊が起きていても誰も買おうとしない。市場は壊滅的打撃を受けています。即刻、かの命令を撤回してください!」
いつもなら「わかった。望むようにしよう」と言う王が、この時は違う言葉を口にした。
「その件は王子に一任している。王子と話をするがよい」
それを聞いて、強欲貴族たちは王子に詰め寄った。
「王子!」
王の隣にいた王子は、とぼけた顔をして言った。
「おまえたちに森を取り締まれと言われたから、取り締まっただけだ。市場に食料が出回れば、価格も落ち着いて民が喜ぶ。半値としたのは、これまで不便をかけた民たちへの詫びだ。利益などでやしないだろうに、森の主は町の人たちのためになるならと快く承諾してくれたぞ」
強欲貴族たちとしては森食堂の営業停止を命じてくれさえすればよかったのだが、王子に正論を言われてしまっては反論することができない。
強欲貴族たちはすごすごと引き下がるしかなかった。
2日目には、食料の値段は以前の価格の半値を下回った。
するとようやく、食料を買おうとする人々が現れた。しかし、彼らは商品を見て買い渋る。
「これは古すぎるんじゃないかい? こんなにひからびたいもに、金なんか払えないよ」
「こっちの麦もダメだね。カビが生えてるじゃないか。魔法使いの森で食べたパンはそりゃあいい小麦粉を使っててね、こんなのを今日買うくらいなら、明日を待って森の食料を買うのがいいや」
買い占めと売り渋りによって商人の倉庫に長く置きっぱなしになっていた食料は、ほとんどが古くなってしまっていた。客はその中でも比較的よいものだけを選んで買っていくので、悪徳商人の店から客はいなくなり、あとには見向きもされなくなった食料の山が残る。
3日目、森は約束通り、以前の価格の半値で食料を出荷した。
食料を積んだ荷馬車が十数台、列を作って森から町へと向かう。
その様子を眺めながら、王子は隣に立つ森の主に言った。
「そなたの作戦が、見事成功したな」
森の主から、淡々とした返事がくる。
「あれはわたしの作戦ではなく、良心的な商人さんたちが考えたことです。森で食堂を開いたのは、町の人たちのためだけじゃなくて、王子様をおびき寄せ──いえ、王子様がやってくるきっかけを作るためでもあったんです。ウチが作物や乳製品の出荷禁止言い渡されたのは、今回の価格高騰に関わった貴族たちが、ウチが出荷するから儲けられないと訴えたからなんでしょ? だから、町のみんながウチで食事をしてバカ高い食料を買わなければ、また訴えるに決まってるって。そしたら王子様がまた命令を持ってくるでしょ? みんなの予想通りでしたね」
「……」
そこまで読まれていたとは。なんとも情けなく、言葉が出てこない。
森の主は、荷馬車の列に目を向けたまま話し続けた。
「言っておきますけど、この作戦が成功したのは、王子様のおかげでもあるんですよ? 王子様が乗ってくれなければこの作戦は始めることもできなかったですし、貴族たちが訴える前に王子様が王様にこの件を任せてほしいって言ってくださってなかったら、失敗に終わってましたもん。ホント、感謝してるんですよ」
言われた通りにしただけだが、感謝されて悪い気はしない。
なかなか感謝される機会に恵まれない王子は照れてしまい、それをごまかすために別の話題を振った。
「あー言うまでもないことだが、明日以降も魔法使いの森から食料を出荷することを許可する。もちろん半値ではなく、市場の適正価格でだ」
喜ばれると思っていたのだが、森の主の返事は違った。
「ありがたいですけど、市場が落ち着き次第出荷量を減らして、最終的に出荷をやめるつもりでいます」
「何故だ? 国外に売りに出そうとしていたくらいであろう? 国内で売ったほうが楽ではないか」
「それはそうなんですけど、ウチが出荷しなくたって、もともと市場には必要量の食料が出回ってたんですよね。価格をつり上げてた奴らは別にしても、わたしがそこに大量の食料を出荷したせいで困った人はいると思うんです。──わたしは、この国の人たちに迷惑をかけたいわけじゃないんです。作物を国内で売る以外にも稼ぐ方法はあるはずなので、これからその方法を見つけていこうと思っています」
そう言って微笑む森の主に、王子は思わず見惚れた。
他者の利益を考え自らは身を引く高潔さ。
王子が何ともできなかった問題の解決に貢献したのだから、その見返りを要求してもいいのに、そのことがまったく頭にないような純真な瞳。
得体の知れない力を持っているかもしれないが、この娘に他人を害する力をふるえるとは思えない。
口の端をひくつかせて怯えていた自分がバカみたいだ。
これからは森の主を一人の人間として扱っていこう。
「そういえば、そなたの名前を聞いてなかったな。なんという?」
森の主にだって名前くらいあるはずだ。今まで訊ねなかったのがおかしいくらいだ。
森の主は小首を傾げて答えた。
「わたしの名前ですか? 82kda1k0nです」
人の名前とは思えない奇妙な言葉に、王子は目をむいて訊ねる。
「は? 本当にそれがそなたの名前なのか?」
森の主は不本意そうに答えた。
「一生懸命考えた名前なのに、みんなそんな風に拒否反応を示すんですよね。なのでハツカでいいです。みなさんもわたしのことをそう呼んでいます」
「だったら最初からそう名乗れ!」
その後、悪徳商人たちは商売に行き詰って町を去った。金づるを失った強欲貴族たちは、それまでの贅沢な暮しのつけを払わなければならなくなり、金策に忙しくなって城に顔を出さなくなる。
うるさい貴族たちを見かけなくなってほっとしたのもつかの間、今度は別の貴族たちがうるさくなった。
森の主が反乱を起こさないよう、何らかの手段を講じるべきだと主張するのだ。
彼らは魔法使いの森の食料生産能力と、食料高騰の際に森の主が民の信頼を集めたことに驚異を感じていた。
何しろ我が国は吹けば飛ぶような弱小国。もし森が反乱を起して我が国の民を味方につけたら、国に勝ち目はない。食料を生産する民を奪われる上に、森は無尽蔵かと思うくらいの食料を持っているのだ。多分すぐに食料が底をつき、国は白旗を上げることになるだろう。
森の主が他国と通じるという懸念もある。共謀され、国の内から外から攻められたらひとたまりもない。
王子自身は、森の主──ハツカが反乱を起したり他国と通じてこの国を攻めるといった可能性はないと考えていた。だが、ハツカはまだ若くて素直な性格をしていて、人にだまされ我が国と敵対するということはありえる。
森を確実に我が国の味方につけるべきだ。
そう結論が出たその日、貴族の1人が発言した。
「森を支配下に置くよい方法が思いつきましたぞ!」
ハツカと敵対したくない王子は、机に身を乗り出すようにして訊ねた。
「どんな方法だ?」
「森の主を王子の花嫁に迎えるのです!」
王子は思わずむせかえってしまう。
ごほごほと咳き込む王子にかまわず、その貴族は話し続けた。
「王子妃、いずれは王妃となると聞けば、森の主も悪い気はしないでしょう。むしろ人々にかしづかれる立場を得られると聞いて喜ぶのではないですか? そして我が国を背負って立つ立場になれば、自らに剣をつきつけるような真似はしないと存じます」
咳き込みがおさまってきた王子は言った。
「おい、結婚することになるのは俺なんだぞ? 俺の意見は聞かないのか?」
するとさらに別の貴族がにやにやしながら言った。
「聞くまでもなく、王子は森の主にご執心ではありませんか。知っておりますぞ。王子が森に足しげく通っていることを」
指摘されて、王子は頬を赤らめた。
「あ、足しげくなど通っておらん! 第一俺にはそのような時間ないではないか!」
「その多忙の合間にこまめに通っておられるではないですか。次の予定の時間を考えると滞在時間などないに等しいだろうに、それでも会いに行こうとなさるのは、恋に他なりませんぞ!」
「ちっ違う! 断じてそういうことはない!」
「顔を真っ赤にして否定されても、説得力ありませんよ。さあ、善は急げです。さっそくまいりましょう」
「おい! ちょっと待て!」
森へと追い立てる貴族たちに抵抗しながらも、王子はまんざらでもなかった。
ハツカはありきたりな容姿をしているが、心根はとてもよい。
時折妙なことを言うので困惑するが、一緒に過ごす時間が心地よくてついつい通ってしまっている。
森の集落の者のみならず、町の住人からも慕われている彼女なら、民のことをよく考える、よい王子妃、王妃になることだろう。
結婚すればハツカは城に住むことになり、わざわざ森に出向く手間もなくなる。
ついついハツカとの結婚生活を思い描いてしまったが、現実はそうはいかないと王子は気付いていた。
相手は森という領土をたまわった者の末裔とはいえ、立場は平民と変わらない。
森に到着する直前にそのことに気付いた貴族たちは、王子と、特に自分たちの体面を保つためにあーだこーだと話し合いをした。吹けば飛ぶような弱小国の貴族でも、王子妃、いずれは王妃となる座を無条件で平民に差し出すような真似をするのは、プライドが許さないというのだ。
そこで理由をつけることにした。
畑のど真ん中で衆目を集めながら、貴族の1人がハツカに言い渡した。
「先日の食料価格高騰をおさめた功績をたたえ、そのほうびとして王子の花嫁として城に迎え入れよう」
「つつしんでお断りいたします」
即答だった。
同行した貴族の一人が、それに腹を立てる。
「この寛大なほうびを断るというのか! つまりは王子妃なるということで、いずれは王妃にもなれるというのに!」
貴族にとっては名誉なことなのだが、ハツカはそれを一蹴する。
「そういうの興味ないです。王子妃とか王妃って、国に対するいろんな責任とか義務とか背負わなきゃいけないでしょ? そういうプレイ興味な──いえ、わたしには無理です」
……“プレイ”。また変な言葉が飛び出した。
それはともかく、ハツカが王子妃とか王妃といった立場を望むわけがない。何しろハツカは、王子も庶民も同じ扱いをするのだ。丁寧な言葉遣いをするし1人1人に敬意を払っているけれど、王子だからといって特別な敬意を払うわけでも、ことさらに丁寧な言葉遣いをするわけでもない。
そもそも権力の座に興味があるのなら、王子に媚を売っていたはずだ。
それをしないハツカだから、好意を持ったのだ。
別の貴族がハツカに言った。
「王子妃となれば、農園の仕事などしなくてよくなるのですぞ? 着飾って美味しいものを食べ、毎日優雅に暮らせるのです」
「そんなの、きっと3日もすれば飽きちゃいますよ。それにわたしは、農園の仕事が楽しくてしかたないんです。失敗なしであっという間に作物が育つんですよ? まだまだ楽しめるのに、やめるなんてもったいないです」
……ハツカならそう言うと思った。
王子はたそがれた気分になる。
森に通うようになってすぐ気付いたが、ハツカは農園の仕事を心から楽しんでいた。あの暮らしを捨てるなど、ハツカには考えられないことなのだろう。……それにしたって、少しは迷ったりしないのだろうか? こうもきっぱり断られると、男としての自信をなくす。
プロポーズを断ったハツカを怒った貴族が、顔を真っ赤にしてまた怒った。
「王子妃としての暮らしを、そ、そんなのだと!?」
「あ、ごめんなさい。王子妃っていうルートがあるなんて説明書に書いてなかったから、どんな仕事をするのかよくわかってないんですが、きっと町長ルートみたいに生産性が直接ある仕事から離れなきゃいけない上にめんどくさいと思うんです。そういうの、わたしには向いてないなぁって」
「言うに事欠いて“めんどくさい”とくるか!」
貴族はかんかんになって、今にもハツカにつかみかかりそうだ。
ハツカの話にたびたび出てくる“説明書”とは何なのか、いずれ訊ねてみたいものだが、王子はとりあえずこの場を収めることにした。
「よい。ハツカは魔法使いの森の主という特別な立場にいる。我が国に属しながら我が国の介入を受けることのない立場だ。価値観に違いがあるのもしかたのないことだろう。──それに、このたびの目的を忘れたか?」
「──」
最後の一言を耳元で小さく告げてやると、顔を真っ赤にして怒っていた貴族は怒りを引っ込めささやいた。
「ですが、これでは目的を果たすこともできません」
「──俺にいい考えがある」
王子は貴族との会話を終わらせ、ハツカのほうを向いた。
「ところでハツカ。そなた、森農園で作った食料を国外に売り出したいと言っていたな。国境をまたいで商売するには、相手の国で商業権を得たり、関税の問題があったりしてややこしいぞ。貿易に詳しい者を相談役として寄越そう。そういったほうびなら受け取ってくれるか?」
王子がそう言ったとたん、ハツカの顔がぱっと輝いた。
「え! ホントですか!? きゃー! 貿易開始ミッションクリアー! やったーー!!!」
絶叫に近い声を上げて、ハツカは両手のこぶしを天高く振り上げる。
「こ……この娘は、一体何を叫んでいるのですか?」
困惑する貴族に、王子はこそっとささやいた。
「気にしなくてよい。つまり、俺の申し出に大喜びしているということだ。こうして適度に彼女の望むものを与えていれば、こちらを裏切ることはない」
それは貴族に対する言い訳で、ハツカに望むものを与えられて、王子は満足していた。
余計な仕事が増えることになるが、こんなに喜んでもらえるなら苦労のかいもあるというものだ。
「あーもう! このミッション長かったー。まさか価格高騰イベからこっち来るルートだったなんて! 王子様も、どうやったら貿易始められるか悩んでたの知ってたはずなのに、人が悪いなぁ。あ、でも結婚お断りしなきゃ出てこない、隠しルートだったってこと!?」
わけのわからないことを叫び続けているハツカに近寄ると、小柄なハツカは王子を見上げて満面の笑みで言った。
「ともかく、王子様ありがとう!」
この笑顔をもらえただけで、結婚を断られて傷ついたプライドも癒えてしまう自分はどうしようもないな、と王子は苦笑いを浮かべた。