前半
気付いたら、わたしはジョウロを持って森の中に立っていた。
周辺は見上げるほどの木々が生い茂り、背後には丸太で組まれたログハウスみたいな小屋、目の前には小さな畑がある。
ようやく期末試験が終わって、明日から試験休みだという夜、ちょっと夜更かししてから自分の部屋のベッドに寝たはずなのに、何故???
いろいろとわけがわからなかったけれど、一つ思い至ったことがあった。
畑にジョウロ。
わたしはどうやら、この畑に水やりをしようとしていたらしい。
作物の一つに向けてジョウロを傾けると、何故かその一つだけでなく、全ての作物にきらきらと水がかかった。
「………………」
今度は足下にあった草に水をかけてみる。水は草とその周辺にしかかからなかった。
もう一度作物にかけてみると、やはり畑全体に水がかかる。しかも、この小さな容器の中に入っているとは思えない量が。
どうやら、簡単に畑全体への水まきができるお役立ちグッズのようだ。
それでわたしは、一つの結論を導き出す。
ここは日本、いや、地球ですらない。
こんな質量保存の法則を無視した便利グッズが、地球に存在するわけがない。
とすると、ここはいったいどこなのか。
わたしはいつ、どうやってここに来たのか。
帰る方法はあるのか。
……
…………
…………………………
考えてたらお腹が減ってきた。
わたしは、周囲を見回して人を探した。
明らかに人の手がかけられている畑があるのだ。人がいないわけがない。
見える範囲に人がいないとわかると、わたしは小屋の戸口に立って控えめにドアを叩いた。
「ごめんください~。誰かいませんか~」
聞き耳を立てていたけれど、中から返事も物音も聞こえない。もう一度、今度は最初より強く叩いて声を大きくしたけれど、やはりうんともすんとも聞こえてこない。
どうやら不在らしいので、次は周辺を歩き回ってみた。木々の近くに寄ってうっそうと茂った薄暗い森の中に目をこらしたり、小屋の裏側に回ったり。
でも、確認できた限り人影も人の気配もなかったので、わたしは仕方なく小屋の前に戻ってきた。
そして大きく息を吸い、周囲に向かって叫んでみる。
「誰かいませんか~」
呼びかけたあとは口を閉ざして耳をすましたけれど、聞こえてくるのはそよ風に揺れる木々の葉擦れや、遠くで鳥が鳴く声ばかり。
ホントに誰もいないのだろうか?
空腹が耐えがたくなってきて、わたしは小屋のドアを開けてみることにした。ノブを回してそっと引いてみると、ドアはすっと開いた。鍵はかかってなかったらしい。
「ごめんくださーい……」
遠慮がちに中を覗いてみたけど、そこにはやはり誰もいなかった。
薄暗い室内に、小さなテーブルと椅子1つ。窓際にシンプルなシングルベッドもう片方の脇に調理台と戸棚がある。
「……………………」
…………………………背に腹は代えられない。家主にはあとで謝って労働でお返ししようと考え、わたしは戸棚を開けて中を覗いてみた。
戸棚の中には何もなかった。食べ物どころか食器一つさえも。
「………………」
わたしはどこかほっとしていた。食い物ドロボウにならずに済んだと。
だからといって空腹がおさまったわけじゃない。
わたしは小屋の外に出た。
目の前の畑には、おあつらえ向きに作物が実っている。ただし、サヤエンドウだが。
細い茎の先に実っている平たいさやを、わたしはしゃがんでじっと見つめる。
……さっきへんなジョウロから水をまいちゃったけど、大丈夫?
これもドロボウだとはわかってるけど、やっぱり背に腹はかえられない。
わたしは左指でさやをつまみ、右指でさやの付け根を持ってぷちっとやった。
その瞬間、左指の間からサヤエンドウが消える。
わたしは落としたのかと思って下を見た。でもサヤエンドウは落ちてない。
そのとき、背後でざらざらという音がした。驚いて振り向くと、小屋の入り口に置いてあったかごに、サヤエンドウがこんもりと積み上がっている。
「………………」
最初から置いてあっただろうか?
かごはあったような気がするが、サヤエンドウは入ってなかったはずだ。もし入っていたら見逃すはずがない。なぜならわたしはおなかが空いて食べ物を探していたのだから。
わたしはそろそろと近づいて、おそるおそる一つ手に取った。
張りがあってみずみずしい。たった今摘んだばかりのようだ。
それを持って畑に戻る。
サヤエンドウの枝の先をあちこち見てみたけれど、さっきまでたわわに実っていたサヤエンドウが、一つ残らずなくなっていた。
「──」
考えるより、まず空腹をなだめるのが先決だ。
わたしは手にしているサヤエンドウをじっと見る。それからさやをむいて、またじっと見る。
そして思い切ってかじってみた。
……まずい。
加熱したサヤエンドウしか食べたことのないわたしには、生のサヤエンドウは青臭くてできれば食べるのを遠慮したい代物だった。
さて、どうしたものか。
加熱して食べたいけれど、小屋の中には電子レンジはもちろんない。コンロらしきものはあったけど、どうやって点けたらいいかわからない。
そもそも、お皿などの食器類がなければ、フライパンや鍋などの調理器具もない。
木切れをこすりあわせて火をつけて、木の葉を燃やして、小枝にサヤエンドウをさしてあぶってみる?
できる自信もないことをつらつら考えていると、不意に声をかけられた。
「まいどー」
わたしはびっくりして飛び上がりそうになった。大声を出しても返事がなかったので、この近辺には誰一人いないと思いこんでいたからだ。
いたんなら返事くらいしてほしい。
ぶつぶつそんなことを思いながら振り返ると、そこにはチューリップハットを目深にかぶった人間がいた。サヤエンドウが積み上がったかごをしげしげと眺めて言う。
「できのいいサヤエンドウだね。しかもこんなにたくさん。10000ゼニーで買い取るけど、どう?」
そう言いながらわたしのほうを向き、口元だけでにやっと笑う。目は帽子に隠れて見えない。
周囲を見渡してもやはり誰もいないので、わたしに話しかけているのだと判断して返事をした。
「それ、わたしのじゃないです」
すると謎の人物は、冗談はおよしなさいとでも言いたげに手のひらをひらひら振る。
「いや、キミのでしょ? そこはキミの畑で、その畑から収穫したんだから」
わたしの畑?
「いえ、わたしの畑じゃありません」
「いやいやだって、キミがボクを呼んだんじゃないか。そんなことをできるのは、この森の主だけだよ」
「……」
呼んだかと言えば、確かに呼んだ。「誰かいませんか~」と。でもそれは、サヤエンドウを売るためじゃない。
私の困惑をまるっきり無視して、謎の人物は話を進めた。
「そのサヤエンドウ、放っておくとどんどん値段が落ちていくよ? それにサヤエンドウを食べたきゃ調理器具や食器類も欲しいよね。コンロの火種は? 火種がなきゃコンロは使えないよ。サヤエンドウを売った代金でそういうのを買ったらどう?」
狙いすましたように、わたしのおなかが「くく~」と鳴る。
私はこの謎の人物の提案に負けて、自分が食べる分のサヤエンドウを除いた残りを売り、その代金でフライパン、お皿、フォーク、コップ、ボウル、サラダ油、塩胡椒、火種、そして次の作物の種を買った。
わたしから買ったサヤエンドウを自分が背負ってきたかごに入れた謎の人は、
「まいどー」
と、来た時と同じことを言って、木立の合間に消えていった。
サヤエンドウをとっておいたり調理器具を買ったりせずに、調理不要の食べ物を買えばよかったと気付いたのは、謎の人物の姿が全く見えなくなってからだった。
なんだかんだ四苦八苦しながら過ごしているうちに、私は畑と小屋が自分のものだという気がしてきた。所有者が一向に現れないからだ。
そのうちわたしは、自分がやっていることが、中間試験終了後に始めたゲームみたいだということに気付いた。
森の中で作物を育て、それを売って、必要なものを買う。
よくよく見てみれば、ここはゲームの始まりの画面をリアルに再現したような場所だった。
もしかして、ゲームの中に入り込んじゃった?
いやいや、そんな非現実的なことあるわけが……でも、夢にしては触感とか食感とか、妙にリアルだし……。
……
…………
……………………
ま、いっか。
服も買えたので衣食住は事足りるし、さしあたって命の危険もない。
もともと試験休みはゲーム三昧で過ごすつもりだったし、ゲームと同じことができるなら楽しまないという手はない。
そんなわけで、わたしは元の世界に帰れるまで、ここでゲームを続行することにした。
森に入ってきのこや木の実を採り、まいどーのおじさん(←名前がないと不便なので命名した)から牛とにわとりを買って飼育し卵や牛乳を手に入れる。
いろんな食材を手に入れて、余剰分を売り払うと、お財布と食生活がうるおった。
使い切れないほどのお金がたまってきたある日、一人の中年の男性がやってきた。
「働き口を探しているんだが、何か仕事はないかね?」
「ありますよ。そこにある空き地を、今ある畑と同じ面積耕してほしいんです。8000ゼニーでどうです?」
男性はしばしぽかんとし、それから慌てて言った。
「そんなにもらっていいのかい? ていうか、ふらっとやってきた赤の他人をあっさり信用しちまって、あんた大丈夫なのかい?」
「大丈夫です」
わたしはそう言ってシャベルを取りにいく。
これはこういうイベントなのだ。一定金額かせぐとシャベルが買えるようになり、シャベルを買うと仕事がほしいという人がやってきて雇うことができる。昨日まいどーのおじさんからシャベルを買っておいたから、今日あたり来ると思ってた。むしろ「大丈夫なのかい?」と聞かれたことのほうがびっくりだ。
わたしがスコップを渡した時、男性はこう訊いてきた。
「そういや、おまえさんの名前を聞いてなかった。なんていうんだい?」
名前……ゲームの中だからユーザーネームのがいいんだろうな。
「82kda1k0nです」
率直に答えると、男性は目を丸くした。
「は? はちにーけー……???」
「二十日大根を数字やアルファベットに置き換えたんです」
男性は困惑気に眉をひそめる。
「おまえさん……そりゃあホントに人の名前なのかい?」
何故だか知らん、82kda1k0nという名前によっぽど抵抗があるみたいだ。試験中も考え続けてやっと決めた名前だというのに、残念だ。
とはいえ、確かに「はちにーけーでぃーえーいちけーぜろえぬ」と口頭で呼ぶのは大変なので、わたしは妥協することにした。
「呼びにくいようでしたら、ハツカと呼んでください」
「ああ、そのほうがいい。おれはゴンザっていうんだ。よろしくな、ハツカ」
ゴンザさんはそう言って、表情をなごませた。
ゴンザさんは半日足らずで開墾を終えた。……どうりで「そんなにもらっていいのかい?」と言われたわけだ。ゲームの説明書にあった金額にせず、ちゃんと交渉すればよかった。
でも、約束は約束だ。わたしは言ったとおりの金額を渡す。
賃金を受け取ったゴンザさんは、困惑した顔でわたしとお金を交互に見た。
「………あんた、ホントに大丈夫か? 人がよすぎて心配だよ」
そんなに危なっかしく見えるのだろうか?
わたしだって相手がいい人か悪い人かくらい考える。ただ、今ここでそれを考えるのは無駄なだけだ。
「このイベントの発生条件がそろったから、あなたはここに来たんです。だったらあれこれ考えても仕方ないです。このイベントをこなさなきゃゲームが進まないんだから」
「は? イベント? ゲーム???」
ゴンザさんは、私が言っていることがさっぱりわからないらしく、しきりに首をひねる。
そりゃそうか。ゲームの中の住人にとってここは現実の世界なんだから、ゲームうんぬん言われたってわかんないよね。
「今わたしが言ったことは、気にしないでいいです。わたしが頼んだ仕事をしてくれたのだから、わたしは自分が提示した賃金を支払って当然です。明日以降も来てくださるなら、その時に賃金について話し合いましょう」
ゴンザさんはやっぱり気が引けると言って、もう一面畑を作ってくれた。
わたしはそのお礼に昼食をふるまい、野菜を一袋おみやげに持たせた。
翌日から、仕事を求める人が次々やってきた。
ゲーム進行が速すぎるよ。二人目以降が雇えるようになるのに、もう少し時間がかかるもんじゃないの?
けど雇えるだけのお金はあるんだし、仕事はたくさんあるんだし、雇わない手はない。
わたしは雇った人たちに小屋と畑の周りの木を切ってもらい、畑を増やして宿を建ててもらった。
その頃になるとまいどーのおじさんはやってこなくなり、代わりに森の外の商人と取引するようになっていた。
そのためか、作物の売り値が高くなり、宿からの収入も入るようになっていたため、わたしの貯蓄はどんどん膨らんでいく。
わたしはさらに人を雇って森を切り開いてもらい、家を建てて、住みたいという人たちに売っていった。最初に小屋があった近くには集落ができあがり、小さいながらも商店がいくつか開いた。
ある日、ある人にこう言われた。
「いっそここに町を作ってしまいませんか?」
わたしは即答した。
「作るつもりないです」
辞退されるとは思ってなかったんだろう。その人は戸惑いながら言った。
「え? 町長になって商業許可を出したほうが、楽にもっと稼げるじゃないですか」
このゲームには町長ルートというのが存在する。今の誘いにYESと答えると、町が作られはじめ、商業許可を出した相手から利益に応じて謝礼を受け取れるようになる。
町が発展するほどもらえる謝礼が増える代わりに、どうやって人を集め、町を大きくしていくかを考え、実行していかなければならない。判断を間違えば町は衰退していってしまう。その時には農園主に戻れなくなっているので、町の衰退=ゲームオーバーだ。
ゲームオーバーになったとき、なにが起こるかわからない。元の世界に帰ることができない以上、危ない橋は渡れない。──というのはタテマエ(?)で、おもしろいように作物が収穫できるのに、町長になるほうがもうかるからってその楽しみを諦めるのが惜しいだけだったりするのだが。
わたしの意志が揺るがないのに気付いて、その人は町を作ろうという提案を引っ込めた。収益が一定量入れば、今の人か他の誰かが町を作ろうとまた提案してくる。その時に農園に飽きていたら、転職を考えよう。
ところが、わたしの農業熱は、冷めるどころかますます上がっていった。
作れば作るだけ売れるし、高値=流通量が不足してる=取引先に感謝されるということで、わたしは取引先に話を聞いて不足が予想される作物を育てて売ることに熱中した。
ここで暮らすうちに知ったんだけど、この森は魔法使いの森と呼ばれているのだそうだ。ある国の王都にほど近い場所にあって、かつて国の危機を救ったという魔法使いにほうびとして与えられ、国が存続する限り魔法使いとその末裔が所有することを認められているのだという。
……ゲームにそんな設定あったっけ?
まあ考えても仕方ない。森はもはやわたしのものだと認定(?)されているし、わたしが魔法使いの末裔だと誰もが信じて疑わない。
チートとも言えるような力を発揮しているのは森であって、わたしはごく普通の人間なんだけど、みんなわたしが魔法使いだと思いたいみたいなのでその誤解はそのままにした。
ある日金髪碧眼の、美形な王子様がじきじきにやってきてこうおっしゃった。
「おまえが作物を売るから作物の値崩れが起きて、関係者が食っていけなくなると困り果てている。よっておまえに、作物の出荷停止を命じる」
王子様は口の端をひくつかせながら、尊大な態度で命令してくる。
何で口の端がひくひくしてるんだろう? ……それはともかくとして、わたしは考えた。
野菜の値動きは毎日聞いてるけど、ここ最近値崩れが起きそうな野菜の話を聞いたことがない。
そのことからして、王子様は野菜の値崩れをくい止めるためではなく、別の理由でわたしに野菜の出荷をやめるよう言ってきているのだろう。
“別の理由”って?
……そこまで考えても意味はないな。これは多分、わたしが作物を植えて出荷するを繰り返してばかりでゲームを先に進めないから、強制イベントが発生したに違いない。
うーん、残念。作物の取引、まだまだ楽しめたのにな。
わたしは小さくため息をついて返事した。
「わかりました。野菜の出荷量を減らします」
今拒否したところで、また同じようなイベントが発生するのだろう。同じイベントを繰り返すより、ここでYESと答えてしまったほうが面倒がない。
王子様はにやっと笑った。
「物わかりがいいな。では本日よりそのようにせよ」
そうして王子様は、たくさんのお供を引き連れて機嫌よく帰っていった。
結局、王子様が始終口の端をひくつかせていた理由はわからなかった。
作物の出荷を禁止されたわたしは、すぐさま酪農に力を注いだ。
畑の一部に大きな畜舎を建てて、大部分の畑に家畜の飼料を植える。
そうして最初に買った乳牛から生まれた乳牛たちを移すと、乳牛たちは次々仔牛を生んで畜舎はまたたくまにいっぱいになった。……深く考えちゃいけない。ここはゲームの中だ。こんなご都合主義なことが普通に起こる世界なのだ。
わたしの一絞りででっかいタンクいっぱいに溜まる生乳を、雇った人たちがチーズにしたりバターにしたり、そのまま瓶に詰めたりして出荷した。
ちなみに、作物の出荷停止を命じられたその日に育てていた大量のキャベツは、ほとんどを牛のえさにした。牛にキャベツを食べさせていいかわからなかったけれど、美味しそうに食べていたし、その後体調不良を起こした牛もいなかったしで、大丈夫だったのだろう。
その数ヶ月後。
あの美形な王子様が再びやってきて、気難しい顔をして言った。
「また苦情が出ている。おまえのところが生乳やチーズやバターを大量に出荷するから、取引価格が落ちて利益が上がらないのだそうだ」
もう次の強制イベント? 展開が早いよ。
わたしは内心ため息をつきながら返事した。
「わかりました。生乳やチーズやバターの出荷を停止します」
王子様は前回みたいなご満悦な顔をせず、なんだか面食らったような表情をして言った。
「わ、わかったならそれでよい」
そう言うと、何故か動揺しながらそそくさと帰っていく。
そしてその日も、王子様は口の端を引くつかせていた。前回ほどではないけれど。