うなぎのかばやき
秀真ノ国 阿珠山 の西麓には広大な樹海が広がっている。
神代の昔より、耳長、土竜、犬鬼、 猫又、豚鬼などの数々の種族が氏族ごとに住まい。
樹海の森の恵みと阿珠山の大地の恵みとで、少々の争いはありながらも平和に暮らしていた。
樹齢100年程の若木、といっても大木のうろに一匹の犬鬼のオスが悄然と座り込んでいる。
犬鬼種は群れをもって行動するのが常であるのに、彼はうろの中でただ一匹。
突然死した親方の跡目争いから、瀬降り(集落)を追い出されたオスは途方に暮れていた。
追い出されたときに名前も取られてしまった彼には、身に着けた衣服と両刃の短剣、綱付き自在鈎があるのみだ。。
森の中で生きるすべしか知らない彼はほとほと困り果てていた。
ハグレモノの生き残るすべは少ない。
里に降りるか、群れの目を盗み細々と森と大地の恵みを得るか。
里に降りるにしても先立つものは何もない。
メスなら春をひさぐ手もあろう。
森で暮らすのならば、絶えず周囲に気を配らなければならない。
出会えば必ず争いになる。
のんびりというより、のんべんだらりと暮らしたい彼には到底、許容できることではない。
何が悪かったのか・・・
親方の娘にちょっかいをかけたことだろうか?
だが、彼女もまんざらではなかったはずだ。
親兄弟がいなかったからだろうか?
その分、狩りの獲物は多く獲っていたはずだ。
今となっては知る術もない。
まずは今日の糧を得なければ。
うろを離れ、ほかの瀬降りとの折衝地帯の湖へと赴く。
ここならばハグレモノでもある程度の自由がきく。
本当ならば猪や兎の肉でも食いたいが背に腹は代えられない。
猫又種のように魚を食うしかない。
大きめの石を両手で掴み上げ、湖内の岩場へと近づく。
適当な岩へたたきつければ、何かしらの魚が手に入るはずだ。
これが一番濡れなくて済む。
ゴッ
ガッチィ~~ン
岩陰からぷかりと、黒く長い魚が浮き上がってくる。
うなぎだ・・・
ぬるぬると掴みづらく、生で食うと喉や腹が痛みあまり美味くない。
火を通しても骨が固く食いづらい。
ハズレだ。
落胆しながらもすばやく爪でひっかけ手に取る。
無いよりは増しだ。
火種もなく、生で齧ろうとした瞬間。
がさりと背後で音がした。
空腹と狩猟のことで頭がいっぱいになっていたのを今更ながら悔やみ、両刃の短剣を構える。
現れたのは瀬降り(集落)のものではなく豚鬼種の男であった。
「オホッ!!丸々太ったいいウナギを持ってんじゃぁねぇか!」
自分のとったウナギを指さしニヤニヤと笑っている。
まるで両刃の短剣など見えていないかのようだ。
「コレ ホシイカ?
クイモノ コウカン ナラ ヨイ。」
「半分くれるなら、美味く料理してやるぜ。
どうだい?」
美味くなるのならば交換でなくともよいかもしれない。
グィとウナギを豚鬼の男に押し付けると、両刃の短剣をしまい込む。
「交渉成立だな。」
豚鬼の男は三本の指でウナギを捕まえると、背嚢から木の板と大きな針を取り出す。
ドンとウナギの頭を木の板に針で打ち付けると器用にさばいていく。
なるほど、ぬめるのならば固定してしまえばよいのか。
首元から短剣を入れると半分ほど切り裂き、そのあと骨に沿って歯を入れていく。
アレならば硬い骨も簡単に取れる。
タンタンと捌いた身を二つに分け、どこから取り出したのか長い串を打っていく。
「着火」
中空に手のひらほどの炎の塊が飛び出る。
驚いたことにこの豚鬼は呪術師らしい。
長い串は炙るためのものか。
瀬降り(集落)にいたころは考え付かないような手間をしているが、要は焼いているだけだ。
これがどうして美味くなるものかと思っていると。
「ドジャァァ~~ン。」
黒い液体に満たされた壺を取り出してきた。
アレは、里のものが使う醤だろうか。
だが若干甘い香りが漂ってきている。
ドボンとその壺にウナギを漬け込み再度、火で炙る。
その瞬間。
得も言われぬ芳香が立ち上る。
その芳しき香りは、甘くそれでいて香ばしい。
森の果物や蜂蜜のような柔らかなだけではない甘い香り。
胃の腑を掴み上げるような攻撃的な香り。
油と合わさり、立ち上り煙が纏わりつく。
我知らずヨダレが垂れてくるのを止められない。
この香りたつものを、殺してでも奪い取りたい。
疾く 疾く 疾く 疾く 疾く 疾く 疾く 疾く 疾く
両刃の短剣に手をかけようとしたところで
「おまっとさん。
しっぽのほうは身が締まって美味いぜ。
焼くことで疾る香り。さしづめ、うなぎの香疾焼ってとこかね。」
目の前に差し出されるウナギ。
あと、ほんの少しでも遅れていれば・・・
ひったくるように奪い取ると、熱さにも構わず齧りつく。
パリパリとした皮を突き破り、滴る油の甘みと黒い液体の甘み。
それを引き立てる醤のしょっぱさ。
咀嚼するたびに合わさり渾然一体となる。
美味い。
今まで生きてきた中で一番美味い。
間違っていたのだ。
ハズレていたのは自分の考えだったのだ。
手間と智慧があれば、不味いと思っていたものも美味くなるのだ。
里に降りよう。
森の智慧だけではない、新しい智慧を掴むのだ。