佛跳牆
徐光は僧である。
とりわけ武をもって己が信仰と正義のために行動しようという武僧である。
杖を片手に諸国を経巡り、武を磨き弱者を助け信仰を広めるのが目下の標である。
「お坊さま、お助けいただけないでしょうか?」
乾物が名物のとある村の菜館で般若湯を嗜んでいると、恰幅の良い商人の男に声をかけられた。
「私にできることならな。」
おどおどとこちらを伺うようだった男の顔が、パッと笑顔に変わる
「店主っ!!こちらのお坊さまに追加のさ・・般若湯と肴を!」
対面の椅子に腰かけるとすぐさま酒食を注文し、頭を下げる。
「わたくしは、この村で乾物を商っている鄭と申します。
お助けいただきたいこととは、最近見かける豚鬼種の男のことなのでございます。」
深刻そうな顔で男は語りはじめる。
一昔、いや二昔前ほどならば問題もあろうが、今の世では豚鬼種にも歴とした人権は認められている。
まぁ種族自体が荒くれ、悪食であるのは致し方ないが。
「その豚鬼が悪さでもしているのか?」
豚鬼が起こす問題といえば大抵が、喧嘩刃傷沙汰、数を頼りに無頼を働く夜盗強盗山賊の類も少なくはない。
「いえ、お坊さま。
それが、なんと申しましょうか・・・何もしていないのです。」
チラチラとこちらを見る鄭に、釈然としないものを感じながらも続きを促すために目線を返す。
「ここ一月ほどなのですが、たびたび山から降りてきては壺や乾物を買いあさり、また山へ帰っていくのです。
豚鬼が乾物などを買うとは思えず、しかもたびたびのことでございます。」
「まぁ珍しいことではあろうが良いのではないか?
金払いが良いのであれば上客であろう。」
徐光が答えると同時に、ぐっと身を乗り出し囁くように答える。
「金貨1枚にもなる量の乾物でございます。
こう言っては何ですが豚鬼がそれほどの財を持っているとは思えず、なにか裏があるのではないかと。」
「金・・・それは・・・確かに。
では頼み事とはその 豚鬼が何をしているのか探って来いというわけだな。」
鄭はパンと手を打ち、にこやかに
「お察しの通りでございます。
豚鬼種も人でございますれば強硬な手に出るわけにもいかず難儀しておりました。
よろしくお願いできませぬでしょうか?」
机に頭をこすりつけんばかりに礼をして頼み込む姿に、徐光の気持ちも揺れる。
要は素行調査であろう。
僧のすることではないが、荒くれの豚鬼相手では斥候仕事ともいえなくもない。
少々、懐も寂しくなっている折でもある。
煩悶としながらも
「よかろう。」
受けてしまった。
背に腹は代えられないのである。
また、豚鬼の男の行動に少々の興味もある。
ついぞ料理などするはずもない豚鬼が、料理しなければ食えぬ乾物を金貨1枚も買っている。
よからぬこと・・・といっても思いつくことはないが・・・をしているのか。
それとも操られているのか。
つらつらと考えているうちに追加された般若湯と肴が届く。
その夜は、上機嫌な鄭と飲み明かし探索は次の日となった。
山中の道を進むこと数刻。
進む先に見える小屋から煙が上がっているのが見える。
昨日の話では使われなくなった炭焼き小屋に豚鬼の男が住み着いているのではないかということだったが、どうやらその通りである。
道を観察しても轍や複数の足跡など見受けられない。
「徒党を組んでいるわけではなさそうだな、さてさて。」
したこともない仕事で、策もなくここまで来てしまった。
幸い腕に自信はあるのが救いか、あたって砕けろとばかりにずんずんと進み。
小屋のドアをたたく。
「誰かおられぬか!」
もう一度ドアを叩こうとしたところで、野太い声で返答がかかる。
「こんな山んなかに、どちらさんだい?」
汗だくになった豚鬼の男がのっそりと小屋の横から現れ、不機嫌顔でじろりと徐光を睨み付ける。
「拙僧は修行中の沙門。徐光と申す。
煙が見えたのですがる思いで訪ねさせていただいた。
願わくば一飯の温情を賜りたい。」
実際、腹は減っている。
昨日の般若湯の飲み過ぎで朝飯が喉を通らなかったのだ。
ちょうどよく
ぎゅるるるるるるるるる
と腹の虫も雄たけびを上げる。
「なまぐさものしかねぇが、中に入ってまってな。
とっておきを食わせてやるよ。」
苦笑いを浮かべドアを指し示すと自分は小屋裏へと引っ込んでいく。
ついていきたい衝動に駆られるが、家主である豚鬼の男の指示に従っておくことにする。
逃げられたとてどうということもない、家内になにか不審物でもあればもうけものだ。
ドアを開け、中に入ると簡素なテーブルとイスが二脚に食器棚とベッド。
奥に見えるのは炭焼き場に続くドアだろう。
これといったものはない。
というか物自体がほとんどない。
金貨1枚分の乾物と壺の類も見当たらない。
探し回りほどの広さもなく、あとは炭焼き場しかないと思っていると奥のドアが開き、人の頭ほどの大きさの壺を抱えた豚鬼が入ってくる。
「そこに座っててくんな。」
ドンとテーブルの真ん中に壺を置くと、食器棚からスープ皿と木の匙を取り出し自分と徐光の前に。
壺は蓋をされ、継ぎ目は何か粘土のようなもので封されている。
においもなく、中の状態もまったくわからない。
スープ皿を出したということはスープが入っているのであろうが、こんな状態の壺を使ったスープなど聞いたことも見たこともない。
「中に入ってんのは近くの村の乾物と森の恵みさ。
じゃぁ、開けるぜ。」
蓋と壺とを捩じりあげ、封をとく。
その瞬間、わずかに開いた隙間からこぼれ出る香りに徐光の胃袋がギュッとつかまれたような錯覚を覚えた。
包み込まれるような柔らかく馥郁たる香。
知らず知らずのうちに壺の内側を覗きこむが、琥珀色のスープが湯気を立てている。
近寄れば近寄るほど香りが纏わりつき、一層強く胃袋を刺激する。
「坊さんでも堪らねぇかい?」
声をかけられる瞬間まで、まったく豚鬼のことが頭から抜けていた。
豚鬼以外の痕跡は見当たらない。
ということはこの蠱惑的なスープを作ったのは豚鬼なのは間違いがない。
「これは貴君が拵えたものなのか?」
がっちりと両手で壺を抱え上げ、スープ皿に注ぎながらにやりと答える。
「あぁ、支度と研究で一月で金貨1枚が吹っ飛んだがね。
炭焼き場で三日三晩、火加減を見ながら蒸し煮にしたものさ。」
注がれ、空気と触れ合うことでこれでもかというほどに香りが広がっていく。
抗えない。
右手が勝手に匙を取り、左手が皿を掴む。
一匙分のスープを口に含んだ瞬間、匙を投げ捨てスープ皿から一気に飲み干してしまった。
歓喜歓喜歓喜、法悦にも似た快感が体を駆け巡る。
般若湯で荒れた胃をやさしく慈しむような滋味でありながら、本能を蹂躙する旨み。
飲めば飲むほど旨みは一層濃く感じられ、滋味は身体全体に染みわたるようだ。
ほぅ
吐く息までが惜しい。
間髪入れずに空いた皿に、とぷとぷと注がれるスープ。
無言でグィグィと飲み干す。
都合3度ほど繰り返す。
「この香りと滋味、堪らぬ。
仏も跳ねおき虜になる。」
ぐっと手をだし、お代りを辞退するが指先が震えている。
「なら、こいつの名前は佛跳牆で決まりだな。」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて答える男は続けて言う。
「干しアワビ、干し貝柱、フカヒレ、干し海老、干しイカ、干しナマコ、
イノシシの干し肉、アヒル肉、タマゴに干しキノコ数種に干し竜眼。
スープで戻ったこいつらの味は格別だろうなぁ。」
徐光は僧であることをやめることにした。