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神無月探偵事務所  作者: 君嶋
神無月探偵事務所
2/8

第二章 愛の呼ぶ方へ

 ある人が言った。

「出会いは必然的なもので、意味があって出会うのだ」と。

それが本当かどうかなんて知らないし、信じてもない。

だがそれが本当と仮定するのなら、その必然を組み合わせた奴をボコボコに殴ってやりたい。

「衣更月! お茶をくれ」

 手に持った大量の本を本棚に入れている衣更月の背後から声が聞こえた。それが誰であるのか考えずとも分かった。だがあえて反応はしなかった。

「うんと熱い緑茶を頼むよ。私は熱いお茶が好きなのだ。茶葉は昨日と同じ玉露で良い」

 意図的に無視を決め込んでいる衣更月を知ってか知らずか、お茶を頼んだ人物は楽しそうに話を進めた。

「お茶はやはり美味しい! 葉をお湯にかけただけで凝縮していた旨味や風味が口いっぱいに広がるんだよ! 安心させるような温かさと風味がたまらないっ! お茶はすごいっ!」

 緑茶の良さを延々と話すが、衣更月は聞き流す。黙々と本の整理をする。

「おい、聞いているのか! お前の耳は飾りか!」

 するとその反応に痺れを聞かせたのか、背後から荒々しい声が聞こえた。それでも衣更月は無視を決め込み、作業をする。黙々と、背後にいる人間の存在を消す。

 そんな態度が不服だったのか、緑茶の良さについて語っていた人間が、あからさまに分かる大きなため息を吐いた。

「最近の若い子は、嫌なことや面倒なこと、辛いことがあるとすぐに顔を背けるんだ。全くそういう根性は社会では通用しな……」

「っさいっ! 淹れてこればいいんだろ! 淹れてこれば!」

 我慢の限界を超えた衣更月は、整理途中だった本を適当に置くと台所に向かった。

 一週間近く放置していたのか流しは食器やカップ麺の容器などが散乱し底が見えない。

(茶を入れる前に流しを綺麗にしないといないのかよ……、ありえない……)

頭を抱える。ため息しか出ない。

そして今、陥っている現状を嘆いた。

(どうしてこんなことになってんだよ――――…………っ)

一日前のことを思い出した。

訳が分からぬまま美女に手を引かれてやってきたところは、古い二階建てのビルであった。下は喫茶店が入っていた。

こんな古いビルに喫茶店なんてあるのか、と不思議に思っていると、美女は階段で二階へ向かった。

そして美女はある部屋に鍵を使わずそのまま入って言った。おいおい不用心だな、と思いながら衣更月はドアの前に立つ。

ドアには段ボールで「神無月探偵事務所」という汚い字で書かれていた。

(段ボールって、もっと良いものがあるはずだろ……。しかも字が恐ろしくて汚い……)

かろうじて読めるが、まるでミミズがのた打ち回るような汚い字であった。何かを燃やしたときに残るカスのようだ。笑いを通り越して悲しくなってきた。

美女に対して同情心を抱きながら、部屋のドアを開け、衣更月は驚いた。

「汚っ!!」

 部屋に入って衣更月は目を見張った。

 衣更月の視界に入る部屋全体が汚い。床には紙や空のお菓子の袋、靴下や服などが乱雑に置かれていた。テーブルも飲みかけのペットボトルや缶、食べ終わったカップ麺などが散乱していた。

床が見えないようなゴミ屋敷状態ではないが、それでも「探偵」という言葉を掲げている以上人はやってくる可能性はある。こんな状況で人を迎えることなど出来ないし、してはいけない。

 ありえない、と胸中で言葉を吐くと、突然ばたばたっという音と共に、目の前に何かが横切った。 驚きのあまり衣更月は息を呑む。

そして先程目の前横切った物体が美女に向かって飛んで行った。

「おお、寂しかったか? すまない、ミー」

 良い子にしていたか、と美女は肩に乗ったミーという物体の頭を撫でた。

 (…………と、り……、というか、カラスだろ、あれっ!?)

 カラスはどこにでもいるから珍しくはない。だが部屋にいるのは珍しすぎる。衣更月は仰天した。

 カラスは五十センチぐらいの大きさで、柄のない漆黒の色をしていた。でっぱりのないつるっとした額。鋭く細い嘴。小さいがくりっとした黒い瞳。

 どう見てもカラスだった。

 制服の上からロング羽織を羽織し、カラスを戯れる美女の図は明らかにおかしい。こんな光景を見たことがある人間など絶対にいないだろう。レアと言えば、レアなのかもしれないが、誰がこんな光景を見たいと思うのだろう。

 (激しく帰りたい…………)

 衣更月は横目で床に落ちるゴミをちらりと見ながら、ため息を吐いた。

 そんな衣更月の気持ちなど知らない美女は肩に乗るカラスの首を撫でながら、来客用のソファー前に設置されている机の椅子に座った。


「……まあ、座りたまえ」

 ソファーを勧めた。

 そのソファーには空のペットボトルやお菓子が置いてあった。よく見るとお菓子のクズや汚れが多々あった。だが座れなくもないが座りたくなかったので、遠慮した。

 もし客が来たら驚くだろうな、と思ったが、すぐに、こんな寂びれて汚い場所など誰も来ないだろうなと考え直した。

「…………――――で、俺は何をしたらいいんだ?」

衣更月は深いため息を吐いて、美女に問いかけると椅子に座った美女はふふんと笑った。

「簡単だ、私の助手になれば良い。私が言ったことは絶対服従で従えば良い。私がケーキを買って来いと言ったら買って来て、お茶が飲みたいと言えばお茶を入れて、踊れと言えば踊り、身体の穴と言う穴から油を出せと言えば出す、……なあ、簡単だろ?」

「まず最後の注文は、お前が手本を見せろ。ここですぐ、やってみろ。簡単だったらやってみろ」

「冗談だろ、冗談。冗談が通じないなんて頭の固い奴だな…………」

 カラスに、そうは思わないか、と問いかけながら笑う美女に衣更月は怒りを抑えた。

 相手のペースに呑まれたら負けだ。無駄な体力や精神を使ってしまう。

 そう思った衣更月は冷静を装いながら話を続けた。

「……それで俺はお茶くみとかやればいいんだな?」

「基本的にはそうだな。でもクライアントの依頼次第で君にも仕事を手伝ってもらうことはあるがな」

「そもそも依頼は来るのか?」

「週に一回あるか、ないか、くらいだな」

 頻度としては少ない方ではあるだろうが、流行らないお店の典型的な立地条件や部屋の汚さを見て、まだ人は来る方だと思いながら、話をする。

「仕事っていうのは具体的に何をしているんだ?」

「具体的には浮気調査やペット捜索、ストーカー退治、身辺調査など様々だな」

「何でも屋みたいな感じだな」

「まあ、そんな感じだ。……だがだからと言って、全ての依頼を受けるわけではないぞ」

 そう言うと美女は突然立ち上がった。カラスも驚いたのか、美女から離れた。

「私はその依頼に愛がなければ仕事はしないっ!!」

「…………はあ!?」

 黒い髪とロング羽織を揺らしながら、勢いよく美女は言葉を発した。

 だが衣更月にはそれが理解出来ず、思わず間抜けな声を出す。

「旦那から慰謝料をたっぷりふんだくろうとして浮気を捏造させる輩、勢いで買った動物が大きくなりすぎて処分してくれと依頼してくる輩の依頼は絶対に受けないっ! 私利私欲のため、相手への憎悪のために依頼をするなど言語道断っ! 逆にそんな輩は私が成敗してやる!」

 両手に拳を作り、エア敵を想定して殴りつける。死んでしまうのではないかというぐらいの暴行をエア敵に向ける。

そんなことをしていたからなのか、美少女は話に熱が入る。

「私は愛のためにしか働かない! そこに愛がなければ動かない! 愛を感じなければ尽くさない! すべては愛の為にわがままに、私は君だけを傷つけない!」

 最後のフレーズはどこかで聞いたことがあった上、言葉の脈絡が理解出来なかったが、きっと色んな意味で疲れているのだと自己解決し、冷めた目で美少女女を見た。

「子供の頃から大切にしてきたぬいぐるみの捜索依頼、愛していた妻の失踪依頼、親友の誕生日のサプライズイベントの企画依頼など、その対象に愛があれば私は何だってやるのだよ!」

 漆黒の瞳に星を瞬かせながら語る美少女は、止まる気配が全くない。

「活動自体は愛を護り育むことをしているから、本来の店の名前は『愛の店』というのが妥当だな。……まあ出来ることなら『神無月探偵事務所』ではなく、『愛の店』という素晴らしい名前に変えたい」

 語りはエスカレートする。

「愛は素晴らしいのだよ! 愛するって美しい! 愛されるって尊い! 愛し愛されることで人は心が豊かになる! 幸せな気持ちになるっ!」

 遠い目をしながら、先程エア敵を倒すために作っていた拳の片方を上にあげ、熱弁する。

「愛を肥料に心が成長するのだ! 人に関わらず、万物愛がなければ生きていけない! 逆に言えば愛があれば生きていける! 愛があればどんな困難でも乗り越えて見せるのだ!」

 何か良いことをしたような曇りのない真っ直ぐな笑顔で語る。うっすらと額には汗を浮かべ、頬は紅潮する。

 夕日が沈む。カーテンのない窓からオレンジ色の光が入る。美少女を照らす。

 美しい黒髪や白い肌、すらっとした身体。美しい容姿。

 普通なら恋に落ちても、純粋に綺麗だと思ってもおかしくない光景だろうが、先程までの流れを見ていたら、そんな気持ちは一切湧かない。

羽織りながら愛について永遠と語る美少女などは怖すぎる。

それ以上に怖いのは、時折、机に立ったカラスが首をじっと衣更月を見る。人を軽く殺しそうな鋭い瞳が衣更月の姿を捕える。勝手に帰るなよ、とでも言いそうな眼。

本気で帰りたいと思った。一秒でも早くその場を去りたいと思った。

「どうだ! 素晴らしいだろっ! 愛!」

 気持ちよさそうに語った後、美少女は衣更月の姿をやっと捕え、同意を求めた。

 まるで飼っている愛犬の可愛さを永遠と語る飼い主、はたまた、数式や数字の素晴らしさを説明する数学おたくのようだ。いや、それ以上にタチが悪い。動物や数字と違い愛は目に見えない。証明できない。だから愛の素晴らしさを語られてもピンとこない。


 (第一、興味がない)

それを手に入れるためには、何かに関わらなければいけない。別に嫌ではないが、面倒だ。進んで関わろうとは思わない。

だから、こんなネジが一本もないどころか、歯車を支えるネジが一本も存在しない暴走人間など本当なら関わらない。

 そして、美女は、二言三言何か話してきたが、呆れてものが言えなくなった衣更月の耳には入らなかった。

 すると美女は、そう言えばと言って、口を開いた。

「自己紹介がまだだったな。私は睦月ゆずは。君は?」

「…………衣更月」

「衣更月くんか、よし、これから宜しく」

 そう言って睦月と言った美女は衣更月の近くへ歩み寄ると、手を差し出した。にかっと笑みを浮かべる。

 真っ赤な羽織から伸びる白い手を見つめ触れようと迷うも、満面の笑みを浮かべる睦月を目の前にすると拒否することが出来ず、渋々衣更月は手を取る。

 だがもさっという音と肌触りがした。

 眉を顰め手を見る。

「…………おい、カラス俺の手を握るな」

 カラスが衣更月の手を握っていた。吸い寄せられそうな大きな瞳を衣更月に寄越しながら見つめる。瞬き一つしない。真っ直ぐな瞳で。

 明らかに警戒をしている眼であった。天敵や獲物を目の前にして目を逸らさない行動そのもの。

 肉食動物の鋭い視線に戦慄を覚えながらも、何故かふつふつと対抗心が湧いてきてわざとカラスの羽を強く握って、笑った。いつも外で繕う笑顔を浮かべた。

 それを見たカラスの瞳に宿る光がぎらりと光ったと思った突然、衣更月の目の前に現れると両羽を使って器用に首を絞めた。

「イってぇ、ばかっ! はなせっ!」

 首を絞めるカラスをはがそうとするも、なかなかはなれない。

「はなせ、クソカラス! 唐揚げにしてコンビニで売るぞ! そしてまずいって言われてゴミ箱に捨てられる運命を嘆く結末に導いてやるぞ! ……ああっ、くっそっ! はなれろっ!」

 カラスとの醜い攻防戦を繰り返していると、それを見ていた睦月は何を勘違いしたのかふふふっと楽しげに笑い出した。

「喧嘩するほど仲がいいって本当だな。仲良きこと良いことだっ!」

「おいいっ! 本当にそう思うのかっ! ちゃんと見極めてから言え! 見てみろ! こいつは俺を殺す気だっ! 絞め殺しているだろっ!」

「……ふむ、言われたらそうかもしれないが、だからと言って私は助けることは出来ない」

「なんでだよっ!」

「ミーにはのびのび育って欲しいんだ……、ミーは体が弱くてな、小さい頃から私が育てた子なんだ、だから元気な姿を見るとな、やっぱり嬉しいんだ……」

 追憶しながら涙目を浮かべ、うんうんと頷く美女に噛みついた。

「おいいっ! それが俺の首を絞めていい理由にはなってないぞ! そんなの横暴だろ! 理不尽だろ! まるで子供の怒りがおさまらないから落ち着かせるためにサウンドバックになってくれ言って一方的に殴られている状態だぞっ!」

 少し潤んだ瞳を擦りながら呟く睦月に、衣更月はカラスに首を絞められながら一喝した。

 それでもなかなか睦月はミーと言われるカラスを退かすことを渋った。

 (…………ぜってぇー、アルバイトなんてしないっ!)

 衣更月は朦朧とする意識の中で、そう強く思った。

 そして次の日、睦月に学校が終わったら事務所に来るように言われたが行く気はさらさらなかった。

だが正門には睦月とミーがいた。

色んな意味でお迎えが来たのだと思い、脱兎の如く逃げたが、それに気づいた睦月はミーに命令をし、衣更月は捕まえた。

最初に出会ったときと同じように制服の上からロング羽織(今回は淡い水色に金魚が泳いだ涼しげな柄だったが、着こなし方は全然涼しげではなかった)を羽織った美女は衣更月の襟元を掴むと、有無を言わさず引きずった。まるで風呂途中脱走した猫を回収する主人と猫の図のようだ。

 何度か放せと、叫ぶがそれを受け入れられることはなかった。

 そして現在に至る。

 (…………帰りたい――――…………)

先程襟元と引っ張られていた所為で痛む首を撫でながら呟いた。

今でも帰りたい気持ちは変わらないが、それでも簡単には変えることが出来ない。それは睦月が飼っているカラスが常に衣更月を監視しているというのもあるが、それ以上に睦月の羽織を汚した負い目がある。その分のお金がやはり稼がなくてはいけない。そこまで無責任ではない。

 なので嫌でも当分の間ここで働かなくてはいけない。

 そう思うと、ため息しか出てこなかった。


 そんなことを終えながら流しに詰まれた食器や空のカップ麺を片づけ終え、水を入れたヤカンに火をかけた。

すると睦月と戯れていたミーが、突然近寄ってきた。ガアガアと鳴きながら、衣更月の周りを飛び回る。それを鬱陶しいと思いながら、完全無視を決め込む。

それに気づいたのかミーは鋭い嘴で衣更月の頭を突きだした。

痛みはあるものの無視して、お茶の準備をする。

その態度に苛立ってか、ミーはより強く突く。血が出てくるのではないかというくらい強く突く。頭が揺さぶられ、急須から茶葉が落ちる。

「だあぁぁっ!! 邪魔だっ、邪魔っ! ってか、いてぇよ、馬鹿! お前の毛と言う気をむしり取ってつけペンにしてやろうか!」

「うるさいぞ、衣更月。ミーはお腹が空いていると言っているんだ、だから何か買って来い」

 突然台所にやってきた睦月が命令口調でそう言った。

 当然だと言わんばかりの言葉に衣更月は大きな口を開けた。

「はあ!? どうしてこのクソ鳥なんかのためにエサを買ってこなくちゃいけないんだ!」

 周りから爽やかな笑顔を浮かべる好青年で通っているも、睦月絡みだと完全に本性が出てきてしまうが、もう気にしてはいられなかった。むしろ気にしていない。最初の出会いで本性を見せてしまったのだから。

「君は私の助手だぞ! それは至極当然のことだよ! ワトソンの上司であるホームズも買っていた動物の世話や買い物、家事掃除、仕事の切盛りなど色々とサポートしていたらいいな~って思う」

「思っているだけかよ! 適当だなおい。……とりあえず、俺はこんな鳥のためなんかにエサを買いに行くのはごめんだ。俺はお茶を作るのに忙しいんだっ、息をするのに精一杯なんだっ」

 衣更月はミーの所為で頭部から出てくる血を無視しながら、急須に茶葉を入れる。

 すると突然強い力で肩を叩かれた。骨が軋むぐらい強く。

「とりあえずうだうだ言わずに買ってこい、いいな。君は羽織を汚したんだ、それを忘れるな」

 ドスのきいた硬い声で言い放つ声。女が出せそうにもない低い声。

 だが表情は至って笑顔。逆にいつも以上に微笑んでいる。怖いぐらいの満面の笑み。

 妙な緊張感のある笑みに圧倒されていると、びーっと言う低い音が部屋で響いた。

 (……なんだ、この奇妙な音は…………)

 首を傾げると、睦月の漆黒の眼が輝いた。

「お客様だっ!」

 そう言って、睦月は玄関にかけた。ミーもそれを追って飛んで行った。

 台所から客を対応する睦月の声が聞こえた。

(……あの音がインターホンとかありえねえ、初めて聞いたぞ…………)

ビーってなんだ、ビーって、と思いながら、お茶の用意をする。

そして睦月たちがいるであろう居間に歩んだ。

睦月は客の対面に接しされたソファーに座り、ミーは剥製の置物のように大人しく机立っていた。

「どうぞ、飲んでください」

 衣更月は息をするのと同じくらい自然に満面の笑みを浮かべながら、客にお茶を出した。

客は、可もなく不可もない、至って普通の女。三十過ぎに見え、左手の薬指には指がはめられていた。

「あら、ありがとう……」

衣更月の輝いた笑みに女は簡単に頬を赤らめた。

 それを横目に立ち上がると、女の目の前に座った睦月は、私のお茶はどうした、というジェスチャーをする。それに首を振ると、睦月は不服そうに眉を顰めた。

「…………で、我々に依頼したいこととは?」

 気を取り直した睦月が、お茶を飲む女に声をかけた。

「…………それより責任者はいらっしゃらないのでしょうか?」

「現在所長は不在なので、私がお話を聞きます」

「……ですが、…………」

 言葉を詰まらせながら、女は戸惑う。

 それもそうだ、依頼を年端の行かない娘に頼むなど出来るはずもない。

「安心してください、私はこれでも一人で何件もの依頼を遂行させてきました。ご心配しなくても大丈夫です」

 満面の笑みを浮かべる睦月の笑みは人の有無を聞かない圧倒的な強さがあった。その表情を見れば頷かずにはいられず、女は渋々承諾した。

「……わかりました、お願いします。……依頼ですが、この子を探して欲しいんです」

 そう言って鞄から写真を取り出し、テーブルに置いた。

 写真には毛並みのよさそうな真っ白い上品な猫がいた。瞳は綺麗なブルーで、手足と垂れた耳、顔のポイントは黒い。衣更月はバーマンと言う種類の猫ということを一瞬で理解した。

「名前はチェリーで、五日前から突然いなくなってしまって……っ」

 唇を震わせながら訴えた。


「一体、どこへ行ってしまったの……っ、チェリー……」

「心当たりは捜索してみました?」

「…………心当たりと言いましても……、チェリーは家猫なので外は一度も出したことはないの……」

「では、チェリーちゃんと親しかった人物とかいましたか?」

「どうでしょう……、チェリーは大人しい子なので誰かに懐いているところ見たことないです……」

 睦月は手に持っていた写真を見つめながら、そうですか……、と呟く。

「ちなみにチェリーちゃんを可愛がっていましたか?」

「えっ……、どういう、ことですか……?」

「言葉のままです」

「……主人は我が子の様に大事にしていました……」

 目を伏せながら弱弱しく答えた女を睦月は黙って見つめる。

 そして満面の笑みを浮かべると、頷いた。

「わかりました、引き受けましょうっ!」

「本当ですか!」

依頼を了承すると、女は嬉しそうに声を上げた。

「……あと、一つ質問なのですが、この写真はいつ撮影したものですか?」

「……写真ですか? 写真は確か、三か月前ぐらいに撮影したと思います。……それがどうかしたんですか?」

「いえ、ただ結構前に撮られたものであれば姿が変わっているのかと思っただけです」

「それは心配ないと思います。変わっていないと思います」

「わかりました、ありがとうございます」

 睦月は礼を言った。

 そして依頼料やこれからの事を話して、女は席を立った。テーブルに置かれたお茶をちゃんと全て飲んで。

「お茶美味しかったわ、ありがとう」

「それは良かったです」

 衣更月に対してねっとりとした声を出す女に、気持ちわりぃなと思いながらも、表情は爽やかな笑み浮かべていた。

 そして睦月と衣更月は女を見送るためにドアまでついていった。

「有難うございました。何かありましたら、連絡ください」

「はい、わかりました。ご連絡します。……あと、……」

 一礼をした女に対して睦月は丁寧に対応する。

 そして何か言いにくそうに、重い口を開いた。

「…………猫は自分の死期を察すると主人の前からいなくなると言います。もしかしたら、チェリーちゃんもそれに当てはまるのかもしれません……」

「それは困りますっ、絶対にっ!」

 睦月の言葉に突然大きく、切羽詰まった声を出す。

 一瞬空気が重く、張りつめた。

 それに気づいた女は恥ずかしそうに、視線を反らした。

「…………あの子がいなくなったら、私一体どうしたら…………っ」

「申し訳ございません、不安にさせてしまって。例えばの話ですので、心配しないてください」

 非礼をお詫びすると、女も少し安堵したように表情で頷いた。

「私どもが全力でチェリーちゃんを捜索いたしますので、安心してくださいっ」

 胸をどんと叩きながら、強すぎる瞳の中の光がじっと女を捕える。射抜くよう真っ直ぐ、瞬き一つしない眼差しで。

 その眼差しに女は息を呑み緊張しながらも、小さくお願いしますとだけ言って、事務所を後にした。

 バタンというドアを閉めた音が響く。

 すると、睦月が、あー……、と面倒臭そうにため息をついた。

「…………あの人、チェリーを嫌っているね」

「何言っているんだ?」

 突然言い出した睦月の言葉に驚いた衣更月は、言葉を続けた。

「そんなことはないだろ、あの人すごく心配していたし……」

「まあ、心配と大きなくくりにするのなら当てはまりはするが、大切なペットがいなくなった飼い主の心配の分類ではないな、あれは。……それに、写真のチェリーは怯えていた」

 睦月は応接間に設置された大きな机の椅子に座りながら話す。

「猫が怯える傾向として、目の瞳孔が開き、耳が垂れるというのがある。それが写真のチェリーには当てはまる」

 睦月の説明を聞きながらチェリーが写っていた写真を改めて見返す。

 言われてみれば、確かに耳が垂れ、瞳孔が開いていた。

「あと、彼女の腕や手には複数の引っ掻き傷があった……」

「それだけで、嫌っているっていう証拠にはならないだろ。もしかしたら最近飼い始めて、チェリーもあの人に慣れていなかっただけだったのかもしれない」

「その考えも無きにしも非ずだな。……だが、私には何となくわかるよ。チェリーが怯えているのが」

 机に立っていたミーを抱きしめ、頭を撫でながら顎をしゃくった。


「ほら、訴えているだろ? 写真のチェリー」

「俺には分からないな……、怯えているとか……」

「まあ君は動物に好かれなさそうだもんな、分からなくて当然か……」

「当然みたいな言い方をするなっ! ムカつくな!」

「ちなみに私は動物には好かれるぞ! まるでムツグロウさんのように動物が寄ってくる! 身体全身に毛がつくぐらい動物にすり寄られ、唾液まみれになるぐらい舐められる! どうだ羨ましいだろっ、参っただろ!」

「……ある意味参った」

 ジェスチャーを交えながら熱心に語る睦月を冷ややかな感情で見つめていた。

 そのままにしていたらヒートアップして面倒臭いことになりそうだったので、話を戻した。

「…………で、どうやって捜索するんだ? 聞き込みとかするのか?」

「普通はそうするが、今日はもう遅いな……」

 そう言いながら睦月は事務所の窓を見た。外は暗く、人工的な光が灯り始めていた。

「帰りが遅くなってはご家族が心配するだろうから、君はミーのエサを買ってくるという任務を終えてから帰りなさい」

「そのまま帰してください」

 すると睦月とミーは不服と言わんばかりに、ぶーっぶーっと言った。

 買って来い買って来いコールが何度も起こるのに耐えきれず、結局エサを買うと言う任務を遂行して帰ることになった。


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