表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神無月探偵事務所  作者: 君嶋
神無月探偵事務所
1/8

第一章 縁は異なもの味なもの


人と話すは面倒臭い。

話を聞くのも面倒臭い。

人付き合いなんて面倒臭すぎる。

 人と関わらず生きていけたら人生楽に生きていけるのにとも思う程に、人づきあいは面倒臭い。

 それは人との会話が苦手というわけでも、スキルがないわけでもない。

(むしろ、俺が――――――…………)

「衣更月くんっ!待ってっ!! どうして逃げるのぉ……!? 聞いてる? 衣更月くんっ!」

 獲物を捕らえる肉食動物のような女が全力疾走で追いかけてくる。その緊張感と恐怖に衣更月涼は一心不乱に逃げる。

 (人より愛想が良いからイヤなんだっ――――…………っ!!)

 心の中でそう叫びながら衣更月は走った。

「分かった! これはあれね、海辺で恋人たちがきゃっきゃうふふしながらかけっこをするあれね! きっとそうよね! もう衣更月くんったらぁ!」

 ふふふっと笑いながら、人が沢山いる街の歩道を女は全力疾走する。

 熱が最高潮に達しているからなのか、笑っているのに瞳の奥には光が一切ない。ただあるのは、恐怖にも似た狂気だけだ。

 それが怖くて走る。

だがその行動が逆に女の火をつけたようで、足が早まる。

 走っている間、何度も人にぶつかり人の視線を奪ったにも関わらず、周りの人間は一切干渉してこない。助けてくれというオーラを出しながらも、人は驚くだけで一切干渉してこない。

 目撃していながらも助けない人たちを殴ってやろうかと思うが、それを遂行する余裕もなく衣更月は走った。そんなことをいちいちやっていたら猪のように走る女に食われてしまう。

「衣更月くん待ってっ! どうして逃げるの! 照れてるのっ? そうよね、照れてるのよねっ。衣更月くんは照れ屋だから私と一緒に手と話すのも、一緒にいるのも恥ずかしいのよねっ! でも大丈夫! 私はそんな衣更月くんでも大好きだから、心配しないで!」

 女はふふと笑いながら、馬鹿みたいに盛り上がる。一人で。

 そんな女を気持ち悪いと思いながらもそれを告げる余裕はない。

ただ走った。

この状況を打破しなければ、この女は永遠に追い続けてきそうだ。衣更月は考えた。どうやって撒くことが出来るのか。

だが大通りの道のため道はずっと真っ直ぐに続いている上、小道は全て入り組んでいる構造で下手に入ってしまって捕まったら洒落にならない。そのため簡単方向転換は出来なかった。

(だからと言って、このまま走っているわけにもいかないっ…………)

 眼が据わっていない女は何をしでかすか、どんな力を発揮するのか、分からない。痺れを切らせた女が、赤い布を見た闘牛のように突進してくるのも時間の問題だ。

 どうすれば良いのだ、と思考を巡らせ、一瞬視線を下に向けた、刹那、

「っ、ぐぅ……っ」

 何かにぶつかる。

息を詰まらせ、自然と足が止まった。

 そのタイミングで、

「うわっ――――…………!」

 凛とした女の声が聞こえた。

衣更月は反射的に視線を上げた。

 すると目の前には案の定女が立っていた。

 衣更月は目を疑った。

 それはぶつかったことに対してでもなければ、女だったと言う事実でもない。

 驚いたのは、ブレザーの制服の上から、着物のロング羽織を羽織っているということだ。

 (…………マジ、かよ…………)

 衣更月は驚きのあまり女をまじまじと見た。

寒いから家にあったから羽織りましたというノリではないことは見てすぐに理解した。

あまりにも女がそれを着こなしていたからだ。きっとそれは、普段からそういうスタイルなのだ。

 腰まである長髪の黒髪に、賢そうな切れ長の瞳。ふっくらとした白い頬に、小さな赤い唇。美女だった。百人すべての人間が美女と認識出来る程に圧倒的な美女。その上純和風の顔立ちなので、着物は似合う。

だが紺色の制服を着ている上から、真っ赤なベースに白い桜菊のロング羽織を羽織るのは明らかにおかしい。怪しい。不自然すぎる。

 (……なのに、違和感を抱かないことが違和感なんだ…………。これは俗にいう、違和感仕事しろというやつなのか…………っ)

 年は衣更月と同じ高校生ぐらいだろうに、妙な貫禄があった。堂々と、凜と佇んでいるものだから、一般的に妙な格好が、妙ではないと言う不可解な認識を与える。

目の前で起きている現実に戸惑った。

「おい、君…………」

 そんな時、不自然な格好をした美女が衣更月に視線を向けると、声をかけた。

 衣更月は何だと思いながら、見た目通り涼やかな声の持ち主の美女を見た。


「これ、どうしてくれるんだ?」

 美女の言っている意味が分からず、眉を顰めるも、すぐにそれを理解した。

 美女が持っていたコーヒーがぶつかったことでこぼれたのか、真っ赤なロング羽織には黒い大きなシミができていた。

それを見て、衣更月はさーっと血の気が引いた。

「君が前を見ず走ってきたから、羽織が汚れたじゃないか! どうしてくれるんだっ!」

「……え、あ――……、えっと…………」

「君、弁償だよっ! 弁償っ!」

「…………弁償、ですか…………」

 そのワードを何個も頭で並べながら、目の前の汚れた羽織を見つめた。

 数えるぐらいしか着物に触れたことがない衣更月でもその羽織が高級であることは理解できた。

「ちょっと、何この女! 何なの衣更月くんっ!?」

 言葉に詰まっていると、いつの間にか衣更月の背後に牛女がやってきた。

 先程まで憎らしかった相手が今は救世主に思えた瞬間だった。手と手のシワを合わせて「な~む~」と合掌したくなった。

「……知らない人です。ぶつかって、羽織を汚してしまったんです…………」

「そうなの? だったら私が弁償するわ! 一応社会人だから、君よりはお金を持っているしね」

 女は衣更月の役に立てることが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべながら肩にかけていたバッグから財布を取り出した。

 その光景を見ていた美女が美しい形の眉を顰めた。

「……誰だ、この女は? 君のアベックか?」

「アベック……、違います…………」

 今では死語に近い言葉を使っていることに驚くあまり、素直に首を振った。

「えっ…………!? ヒドイっ、その言い方! もしかして私のことは遊びだったのっ! 嘘でしょ!?」

 衣更月の言葉に女はみるみる顔色を変え、発狂し始めた。

 そんな女とは対照的に衣更月は冷静になり始めた。

「……と言われても、本当のことだから。貴方と喋ったこれが初めてで…………」

「確かに喋ったのはこれが初めてかもしれないけど、いつも瞳で会話していたじゃない。おはようからおやすみまで暮らしを見つめた仲じゃないっ」

「言っている意味がよくわからないですけど、気持ち悪いからもうやめてください」

「ヒドっ! そんな言い方ないでしょっ! だって毎朝いつも笑いかけて挨拶してくれたじゃない!」

「……まあ、したかもしれませんけど、そんなのただの社交辞令みたいなものですよ。誰にだってやります」

「誰にでもあんなことしているのっ!? そんなのってあんまりだわっ!! もうそんな人だとは思っていなかった! 奥手で恥ずかしがり屋だから話しかけないって思っていたのに!」

 身体全体を使って感情を露わにするヒステリック女を冷ややかに見つめる。

それを周りにいた人間たちも好奇の視線を向ける。それを恥ずかしいと、早く終わってくれと衣更月は思っていると、突然涙目になった女が突然衣更月の胸に飛び込んだ。

「じゃあ、じゃあ、今からお付き合いしましょう。それだったら良いでしょ? それで今のことはチャラにしてあげるから! 私たちお似合いのカップルだと思うの! なんたってあなたと出会った人は私が運命の人と出会えるってテレビで言っていた日なの……っ! だからね……っ!」

「失せろっ、ブス」

 上目づかいで延々と語る女に嫌気がさして衣更月は、汚いものを見るかのような冷ややかな眼で女を見ながら、冷淡に言葉を吐いた。

 すると女の瞳が大きく見開き、小さな唇と肩が震える。

「…………えっ……、うそ、よね…………? 私に対してそんな言葉使うはずないっ!」

 嘘よ嘘よって一人ブツブツ呟きながら、衣更月をじっと見つめる。

 どうして一言も喋ったことのない人間に対しておめでたい感情を抱けるのか理解できない。

 (……いや、理解すること自体しない)

 相手のことを理解するのも、相手のことを知るのも面倒だ。接するのも、話すのも、面倒だ。何もかもが面倒だ。どれぐらい面倒臭いかというと、例えるぐらい面倒臭い。

「うるさい、ホント黙れ。さっさと帰れ!」

 衣更月は女の卑下するような冷たい眼差しで見つめた。

 面倒だ。

 これ以上この電波女と同じ空気を吸っているなど気持ち悪い。気分を害する。苛立つ。

「お前の顔なんて見たくない」

 氷の刃のように鋭く、そして冷たく言い放った。

 その言葉を聞いて女は薄い肩を震わせ、大きな瞳から涙をぽろぽろと流した。

「ヒドイっ! ずっと……っ、ずっと一緒にいようねって言ったのに…………っ!」

 流した涙をコンクリートに一滴落とし、女は「バカっ!死ねっ!」と言って走って行った。

「一緒にいようなんて言った覚えもないし、言いたくもないわ! ボケっ!」

 衣更月は小さくなっていく女の姿に向かって怒鳴った。

 そして視界に女の姿が見えなくなると、衣更月は安堵滲むため息を吐いた。


 妄想過多な電波女がいなくなったことは安心した。

だが久しぶりに本性を出してしまった。

(知り合いは、いないよな……)

知り合いが見ていたら色々と面倒になる。

いつも周りには温厚で、愛想の良い対応をしている。

それは猫を被っていると言えば被っているのだろうが、自分にはそんな感覚があまりなく、ただ自然にそういう態度をとってしまう。

だが本質は乱暴で、周りの者に対して無頓着で、冷めた感情を抱く。

それがばれるのが怖いとは思わないが、ばれたら面倒になることは予想できているから、見せない。愛想よく笑っていればすべては上手くいく。何でも上手くいく。

だから知り合いでも、他人でも話すときは、周りに視線を釘付けにするような作り笑顔を浮かべ適当に流す。

はずなのに、今日は上手く出来なかった。

 (それもそうだ――――…………)

 学校が終わり帰宅しようと駅で電車を待っているとき突然、肩ごしから見ず知らずの女の顔が出てきた。

触れるか触れないかぐらいの絶妙な位置に顔があった。女は何も告げずにただ衣更月を見た。恐怖のあまり、反射的に笑顔を作り「こんにちは」と言ってしまったのが運のつき、女はぱあっと花が咲いたような笑みを浮かべると、

『私ずっと声をかけてもらえるの待っていたのよ! どうして声をかけてくれなかったの!  寂しかったんだからっ! でも今日やっと声をかけてもらったんだから許してあげるっ! それでももう学校終わったのよね? だったら今から遊びに行きましょう! どこが行きたい? どこでも良いわよ、貴方が行きたいところだったらどこでも良いわ!』

と、息継ぎなしのマシンガントークを始めた。約20分で息継ぎをするウミガメにも勝てるぐらいの肺活量ではないかと思うぐらい。

それが知り合いならまだしも、全く知らない人間。そんな人間の顔が至近距にあった恐怖もそうだが、突然語りだしたことに対して逃げ出したいと思うのはおかしなことじゃない。むしろ、普通だ。

衣更月はヒットアップする女を余所に、脱兎の如く逃げ出した。

だがそれを見て女は「どうして逃げるの?」と言って追いかけてきた。

そして今に至る。

 (ストレスが積もり積もれば繕うのも無理ってもんだ…………)

 しょうがない、と深いため息を付きながら自分自身で納得した。

「……よし、帰るか」

 安心した衣更月は気を取り直して、帰ろうとした刹那、

「おい待て」

 硬質な声と共に肩を叩かれたので、衣更月は声のした方へ視線を向けたタイミングで、ロング羽織を羽織った美女が視界の端に映る。

「歯を食いしばれ」

 美女がそう吐き捨てると、突然衣更月の腹に強い拳を入れた。

「ぐぅ…………っ」

 突然のことで状況が理解できない衣更月であったが、それでも腹に息も出来ぬほどの強い衝撃が走ったことは分かった。まるで多勢の力強い突きを食らった寺鐘の気分だ。

衝撃のあまり脚がよろけ尻もちする。

苦しさのあまり息が詰まり、視界に光が走りチカチカとした。

「な、なにするんだ……っ!!」

 やっと息を吸えた衣更月は怒り交じりの声を出した。

「成敗。君は愛に裁かれたのだ」

「はあ!?」

すると拳を構えながら仁王立ちする美女は、座り込む衣更月を見下しながら答えた。

 美女の言っている意味が分からず、まじまじと見つめた。

 頭は大丈夫なのか、いや制服の上から羽織をしている時点で大丈夫ではないのか、と短時間の間に思考が巡っていると、美女が衣更月の胸元を掴んで、骨格も体重も身長も平均以上にある衣更月を易々と引き起こす。ぐえっと息が詰まる。

「来い」

 衣更月を立たせると、次は手首を掴み有無を言わせぬ勢いで引っ張った。強引に引っ張るものだから、足が勝手に動く。

白く細い腕にどうしてこんな力があるのか不思議でたまらなかったが、それ以上にこの状況が気になった。

「……おい、どこに連れて行くんだ!!」

「君は心が貧しい。愛が足りない。愛に飢えている。だから私が鍛え直す」

「はあ!? 何言っているんだよ! 俺はそんなこと望んでないっ!」

「望んでいなくても必要だ」

 ますます言っていることが分からない。理解の範疇を超えている。日本語を話していても、相手に全く伝わらなかった意味がない。理解できなさすぎて、気持ちが悪い。恐怖を覚える。


 (……だから、妄想女も電波女も嫌いなんだ……っ!)

 面倒すぎる。厄介すぎる。

 早く逃げ出したい。

 だが簡単に逃げ出せない。

それは美女が衣更月の手首に痕が残るのではないかというぐらいの力で掴んでいるからだ。びくともしない。振りほどけない。逃げられない。

もうどうしたらいいんだ、と焦っている。

「それに、君は私の大事な羽織を汚した」

「っ………、それは…………」

「ちなみにこの羽織は一点物で、価値はゼロが六ケタだ」

「百万っってことか!? 嘘だろっ! ありえないっ!」

「惜しい、五百万だ。皇族や政治家、人間国宝たちに愛される着物を作る名匠、桐ノ院正憲が、牛首紬という高級素材を使用しているから当然の値段だ。安いぐらいだよ」

 ふふんと鼻で笑いながら答える美女を見て、それが嘘ではないことを悟った衣更月は顔が引きつった。背中がひやりと冷たい。

「……ウソ、だろ……、俺は金なんて持ってないぞ…………」

「心配するな、羽織分の金を請求しようとは思っていない。クリーニング代で大丈夫だ」

「クリーニング代……、いくらだ?」

「専門のところへ行かないと分からないな……、普通だと高くても二万ぐらいで出来るが、この生地は繊細だし、もしかしたら難しいかもな……。とりあえず、安くても十万はするかもしれない」

「十万っ!?」

 衣更月の声が裏返る。

すると、美女はふわりと笑った。

「でも持っていないだろ?」

衣更月の心中を察した美女の言葉に衣更月は素直に頷いた。

全額ではないことは救いだが、それでもアルバイトのしていない高校生には手の届かない額だ。アルバイトを何ヵ月かして返済したら良いのかもしれないが、それは難しい。

衣更月に対して誰もが好意をもつ、もしくは持ちすぎて妙な行動を起こす人が多々いるため、出来る。なので出来るならアルバイトはもうやりたくなかった。

実際アルバイトをするたびに、そこで衣更月巡って小さな暴動が起こる。殺し合いまでは行かなくても、女同士の暴力や女の彼氏が入ってきて刃傷沙汰になる。

封印していた思い出が過っていると、美女は妙案だと言わんばかりに喉を鳴らし笑った。

「だったら、身体で返せばいいのだ」

 美女の言葉に驚きよりも、恐怖が走った。

 美女もやはりそこいらの女と一緒なのだろうか、と思ったが、すぐにこの女はそこいらの女たちより性質が悪いと思った。

(制服に着物の羽織、その上男の身体を易々と起こせるなど、そこいらの人間はやらない。こいつは、変人だ!)

 そんな衣更月をよそに美女は手を放す。

美女は黒い髪と羽織を揺らしながら振り返った。

「ちゃんと労働して返済するんだぞ、君」

 美女は腕を組みながら、満面の笑みを浮かべた。

「私のところに来い。丁度人手が欲しかったんだ」

「人手?」

 一方的に話を進める美女の言葉に引っかかりを覚え、問いかける。すると美女は唇を上げてにやりと笑った。

「愛のお店だよ。人に愛を与え、愛を渡し、愛を育てるお店」

 美女は黒い瞳を細めた。

 太陽が沈み、影が濃くなる。少女の影が長くなる。

 吹く風が美しい黒髪と鮮やかな羽織を揺らす。

「今日から私の助手だよ、ワトソンくんっ」

 宜しく、そう言って衣更月に手を差した美女は、無邪気に笑った。

 今までに見せた表情で一番綺麗な表情だった。

 だが衣更月には悪魔の微笑みにしか見えなかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ