第七話
広大なウィールス平原のほぼ中心に悠然と佇む古城。名は「パースライト城」。
その全容は他に存在する城などを平均として考えると、やや小さいと言えるが、「城」と名に付くだけに、その佇まいは何処か雄大である。
その昔、この城はとある街の中心であった。
パースライト城を根城とする領主が治めていたその街は、領主がそれなりに有能だったこともあり、それなりに栄え、領民も毎日を笑顔で過ごせる街だった。しかし、領主が病に倒れ、そのまま亡き者となった時にそれは終わりを告げる事となる。
領主の息子が後を継ぎ、領地を支配し始めると領民達の生活は一変した。
その息子はそれなりに有能だった前領主である父親の背を見て育つことはなく、贅沢だけを覚えた愚か者だったのだ。
領民のために父親が懸命に築き上げた財産も簡単に食いつぶした。その上、財産がなくなると、今度は領民から血税を絞り上げる始末で、領民達が街から姿を消していくのに時間はかからなかった。
結果、父親の代からいた家臣達にも見限られ、代替わりしてから次の年を迎える事なく街は滅んだのである。
滅んだ街の領地は返上という形でガルバシア王国の管理下に置かれるが、特筆すべきことのない土地の平凡さ、辺境の地とも言える位置にあったことから、誰も欲しがらず、人の手が加えられることなく放置されることになる。
長い年月をかけ、静かに埃を被り、歴史から名を消すまで放置されたそんな街だった。
しばらく月日が流れると、名をなくした街に目をつけた男が現れた。
その男はガルバシア王国において偉大な騎士であった。時に、絶大な力で敵を屠り、時に、全てを見通しているかのような知謀で味方を救った。その経歴は歴史書に名を連ねるのに値する男であった。
ある日、功績を認めた国王が褒美をやろうと男に尋ねると、男は名もなき街を欲した。
国王は訊ねる。何故、廃れた街など欲しがるのかと。
それに対する男の答えは、特筆すべき点がないということは、良い点はないが、悪い点もないということである、というものであった。
男にはやりたいことがあり、それを成就させるためには恵まれすぎる環境はいらないと言った。国王は男の言い分に頷き、名をなくした街を男に与えるのだった。
正式な手続きをして名もなくした街を手に入れた男はすぐに行動を起こした。
人を雇い、廃墟となったパースライト城周辺の建物を取り壊し、男が望むものを建て、城の修繕や改築、清掃を行い、城としての機能すら徹底的に直した。
しばらくして城としての機能を回復させ、周りを取り囲む建物が増えると、小さいながらも国と言っても差し支えのないものが存在していた。
全ての修繕が完了したことを聞いた国王が、男に領主着任の祝いの言葉と、これからの発展に期待していることを伝えると男は意外な言葉を返す。
陛下、私は街を築いたのではありません。
その言葉に国王を含め、関係者などの周りの者達は驚愕した。男の熱心な様子や、城の機能を回復させたことから、国を作り上げようとしていると、誰もが思っていたからだ。
では、何故、城を修繕し、周辺に建物を建てたのかと、不思議に思った国王は男に聞いた。それに対する男の答えは、またもや予想外なものであった。
国王の問いに、男は笑ってこう答えた。
私は学校を開きたいのです。
こうして長い年月をかけて名をなくした街は、クライニアス学園と名を得て、再び歴史に登場する事となった。
そして、偉大な騎士と呼ばれた男は、現在どうしているかというと――――
「次は学園長の言葉です」
司会進行役を務める教師の声が場に響く。声量はごく普通に喋る程度なのに、それは遠くまで聞こえる。魔術によって声が届くようになっているのだ。
拡声された声を聞き、場にいた全ての者が居住まいを正す気配が広まった。
高い位置にある壇上へ一人の老人が歩み寄る。ほぼ全ての者の目が壇上にいる人物の下に集まった。
そこは煌びやかな空間だった。
白を基調とし、絵を描くように細やかな装飾が施された壁。外が明るければ光を入れられるように出来ている開放的な天井。窓ガラスは分かりづらいが、強度と質がかなり高く、カーテンすら上等な赤い布に金糸で意匠が凝らされている。床には当然のように塵一つ落ちていない。
ここはウィールス平原中心に存在するクライニアス学園内で、中央に聳え立つパースライト城内の中で一番広い講堂でだった。
学園の主な行事はここで行われると言っても過言ではない場所だ。広さは、一階から四階のテラスまでで、中等部と高等部合わせて二千人弱が入りきるというのだから驚きである。
多様なことに対応出来るよう、建物自体に魔術で様々な機能が備えられており、温度変化は勿論とし、音響、防音、光量などその他多数が用意され、防御設備すらあるというのだから驚きである。
現在、学園に新入生を迎え入れてから初めての始業式が執り行われていた。
壇上の老人が生徒達を静かに見渡す。そこには期待や不安、緊張といった様々な気配があった。老人はそれを感じ取ると柔らかく微笑む。
それから口を開き、始業式の締めとなる言葉を言おうとしたのだが、講堂の出入り口が少し騒がしいことに気がついた。
出入り口側の生徒達も騒ぎに気づいたのか、振り返り何事か確認しようとしているのを、老人は視界の隅で捉えた。
そして、扉がゆっくりと開き二人の男子生徒が姿を表した。
大きな声ではないが、口争いをしているのが、一番遠い場所にいる老人からも見て取れた。
「仕方ないっしょ!? 気がついたら時間がなかったんだから!」
最初に入って来た方の男子生徒は、本人なりに声を抑えているつもりなのだろうが、静まりかえっている講堂内でその努力は虚しく、老人にも僅かに聞きとれるくらいに大きい。
後から入って来た方の生徒の声は聞き取れない。口を開けているので黙っているわけではないようなので、おそらく講堂内が靜かであることを意識しての行動だろう。
「つか、コウも教えてくれればよかったじゃん!?」
最初に入って来た方の男子生徒は、どうやら後から入って来た方の男子生徒に文句があるようで、そのために声を荒げているようだ。
後から入って来た方の男子生徒が、呆れたと言うように、分かりやすいくらい大げさな仕草をした。声を荒げる男子生徒の言葉から察するに、遅刻が自分の所為だけではないことを主張したのだろうか。
わざわざ大げさな仕草をした辺り、後から入って来た男子生徒は、もうほとんどの生徒達に注目されている事に気がついているのだろう。
「お前なぁ!? もっと俺に優し、く……」
ここで老人と声を荒げる男子生徒の目が合った。そしてようやく講堂内のほぼ全員から注目の的になっていることに気がついたようだ。
慌てて後から入った男子生徒の方へ目を向けているが、そこに姿はなく、既に適当な列に並び周りに溶け込んでしまっている。いつ溶け込んだのかは老人にも分からなかった。
声を荒げていた男子生徒はおろおろと戸惑いを隠さず、さっきまでに比べて十分の一程度の声量で、謝罪の言葉を口にすると適当な列へと加わった。
老人は一連の流れを見終えてから、怒ることなく再び柔らかな笑みを浮かべると、先ほどの続きを始める。
「生徒諸君。新たな日々を迎える最初の君たちと、こうして対面出来たことを嬉しく思う」
その昔、偉大な騎士と呼ばれ讃えられた男は、老人となり、多数あった選択肢の内からこの道を選んだ。
この道を選べたことを生涯後悔しないだろう。
輝かしい無限の可能性を秘めた未来の若者達の姿を見る老人――――クライニアス学園創設者ゼウマン・クライニアスは心の底からそう思うのであった。
2012/01/05
一部文章と誤字・脱字を訂正致しました。
2012/06/28 4:11
一部文章と誤字・脱字を訂正致しました。