第六話
「残ったのは俺達だけか……」
いつもの夢。
ここ最近で特に見ることの増えた夢。
「と言っても、俺達は数に入らないか」
いつもの調子でケラケラと笑いながら話す男。その男に寄り添う女がいるのも、この夢のいつも通り。夢とは分かっていても、自分の意志が反映されることがないのもいつも通りだ。
「もう、そんな風に言わないの」
そう言う女も寄り添う男と同じく笑っている。しかし、それは男に比べて余裕がなく、無理をしているのが窺えた。
見てみれば女は腹に手を当てており、その手は真っ赤に染まっている。身動き一つで痛みに顔を顰める女を、男が気遣うように抱き寄せる。そうすると傷が消えたわけではないが、女の顔色が幾分か和らいだ。
「坊主」
男が呼ぶが夢の中の僕は、女の真っ赤になった手から視線を外せずにいた。
「坊主!」
男が再度、今度は強く僕を呼ぶ。夢の中の僕がびくりと体を震わせ、慌てて男の方を見た。しかし、男の視線が僕の方へ定まる事はない。
目をやられていた。
それに気づいた僕は体を強張らせ、何度も声を出そうとして失敗し、それを見かねた女が僕の手を掴むと、男の肩へと導き触れさせた。
その感触に気づき、男は僕の手首の辺りを掴むと位置を確認したのか、見えない目で僕を真っ直ぐに見据える。
「いいか、坊主。この戦いは負けだ」
そんなことは言われなくても分かっていた。
周りを見回す。戦略級大規模魔術によって無数に抉られた大地。爆発の余波だけで崩された建物。傷を負って泣き叫ぶ兵士達。膨大な量の骸。そして、視界を汚す赤色。
とても夢とは思えない程に鮮明な光景がそこには広がっていた。
「まぁ、増援なし、物資の補給なし、ついでに栄誉もなしで最前線に立てばこうなるよな」
男がまたケラケラと笑う。僕はこの笑い方が好きではなかった。
笑いながら男は言う。
「それでだな、坊主、お前はまだ若い……というか子供だし、怪我も少ないから逃げろ」
いきなりのことに僕は反論しようとしたが、男はそれを遮るように続ける。
「坊主、お前はこれから先、俺以上に強くなる。だけどな、お前がどれだけ強くなっても、乗り越えることの出来ない壁は必ず現れるはずだ」
そこで男は傍らの女を強く抱き寄せると、何処か悔しそうな、そして悲しそうな表情を浮かべた。
「でもな、どんな壁が立ちはだかっても、自分が守ると決めた大切なものは絶対に守り通せ。乗り越えられないなら壁に穴でもあけろ、穴が無理なら遠回りしていけ、遠回り出来ないなら地面を掘り進め。どんなことをしてでも、大切なものを諦めたりするな」
そして、強く僕の胸の辺りに拳をぶつけてくる。
目が見えないのによく当てられたと変な感心をしながらも、僕はその衝撃に今まで堪えていたものが溢れそうになった。しかし、泣いてることを知られたくなかったので、ぐっと堪える。
こんな男特有のやせ我慢は、思えば目の前の男から学び取った気がする。
「いいか、絶対に俺のように失敗するんじゃないぞ……?」
男の言葉を合図にしたのか、女が詠唱を始める。その時の僕には分からなかったが、それは対象を一瞬で別の場所へと移動させる魔術である『転移』だった。
女の魔力はすでに枯渇しており、無理に魔術を展開すれば命に関わる事は明白だった。慌てて止めようとする僕に、女は詠唱を止めずに微笑むと僕の頭を撫でた。
僕はこうやって頭を撫でて貰うのが好きだった。
「もう、私は助からないから。それにこれは未来へと繋がる意味あることだから」
そう言った後、女は撫でるのをやめると僕をそっと押した。力は全然籠もっていなかったのに、僕はそれだけで数歩後ろへ下がってしまう。
「そうら、坊主」
男が僕に何かを投げ寄越す。少し僕の位置とは外れた場所に投げられたそれを、落とさぬように慌てて掴んだ。
「俺の国では弟子が免許皆伝となった時、一人前の証として師が弟子に得物を授けるんだ。そんなんでも高いものだから、大事にしろよ?」
本当はお前にはまだ早いがな、と言ってケラケラと笑う男。渡されたものは男がいつも大事にしていたナイフだった。
形状は質素だが、剣身に現代の魔術では再現出来ない、失われた技術で特殊な文字が彫られ、強い力が籠められているものである。
男が自身の師から授けられたものだと、前に自慢していたことを思い出す。
それに気づいた僕は慌てて返そうとするが、近くで何かが破裂した衝撃と轟音で、それどころではなくなってしまう。
「ちっ、もう来たのかよ。まだか!?」
男が女を急かす。そして、女が自分の展開した魔術に二、三度頷くと男に返事する。
「出来たわ、あと約二十秒後に……」
女がそう言った後、僕の周りだけに構成された術式陣が浮かび上がる。
そう、目の前の二人は対象になっていなかった。
後に分かったことだけど『転移』は一人送るさせるだけでも、膨大な魔力、緻密な計算を必要としていた。つまり、命を削って女は魔術を展開していたのだ。
僕は本能的に手を伸ばすが、二人はその手を握り返すことなく、ただ微笑み返すだけだった。
「じゃあな、コウ。強い男になれよ?」
「さようなら、コウ。いい男になるのよ」
男が僕の名前を呼んだのはこれが最初で最後だった。そして術式陣が強く激しく光り出す。
まるで暴走したかのようだが、女の魔術に関する腕を知る僕はそう思わない。その証拠として、暴走しているかのような魔術はしっかりと制御され、発動へと向かっていた。
二人の遺言ともいえる言葉を聞いた後、僕は体全体が揺さぶられたかのような衝撃を覚え、意識が魔術の光に飲み込まれていった。
それが、僕が姉のように慕っていた人と、師匠と呼んでいた人との最後の記憶となった。
「――――っ!」
ベッドの上でコウは飛び起きた。いつも見る夢だった。コウがまだ自分を俺ではなく、僕と言っていた頃の話だ。
汗でぐっしょりとした自分の体を見下ろしてから、コウは窓の外を見た。外はまだ暗く、夜中と言ってもいい時間であるようだ。
ここはクライニアス学園の学生寮の一室で、コウの同室であるロンは二段ベットの上段で、まだすやすやと寝ている。
コウはロンを起こさぬよう静かにベッドから抜け出し、音を全く立てずに自分用の物入れを探る。そこから長方形の木箱を取り出し、蓋を開け、中から布に巻かれた物を丁寧な手つきで取り出した。
「…………」
巻かれた布を取り除くと、そこにはコウが夢の人物から渡されたナイフがあった。鞘から引き抜くと刃に彫られた文字が僅かに光を放ち、暗い部屋の中を優しく照らした。
それをコウは何もせずにただじっと見つめた。その目に映る感情は読み取れない。
どれくらいの間、コウはそうしていただろうか。窓の外は少しだけ明るくなっていた。
コウはそれを横目に確認すると、息を一つ漏らしてから、静かにナイフを鞘に戻す。そして、丁寧に布を巻いていき、木箱に戻すと物入れの一番奥に仕舞った。
次いでコウは寝間着から、動きやすい運動用の服に着替えると、ロンを起こすことなく部屋を出る。そうしてコウは日課である鍛錬をしに行くのだった。
学園に住む人々が起き始める時間直前にコウは部屋に戻ってきた。この時間に帰って来ることも、いつも通りであった。
部屋を出る時は終始音を立てなかったコウだったが、部屋に入る時は気にせずに、普通に音を立ててドアを開ける。この時間になるとロンも起きているはずなのだ。
「おはよう、いつものか?」
案の定、眠そうにしながらも起きていたロンが、欠伸をしながらコウに朝の挨拶をしてくる。ついでに何も言わずにコーヒーを渡してきた。
「ああ、そうだよ。そろそろ人が起きてくるから戻ってきた」
肯定しつつカップを受け取り、椅子に座るとコーヒーを啜る。
コウの好みを知るロンが煎れたコーヒーはブラックだった。コウは少し機嫌良さげに笑みを作る。
「毎日よく続くねぇ……しかも他の人に見つからないように、魔術で姿を見えなくした上に、気配を消して行ってるんでしょ? 本当によくやるよ」
そう言ってロンは、角砂糖が二つ入ったコーヒーを飲む。二つの角砂糖が生み出す絶妙な甘苦さが、朝のぼやけた思考を晴れやかにする、と言うのが本人談である。
「別に義務感でやってるわけじゃないからな。鈍るといざという時に対応出来なくなる」
「昨日、リーネちゃんを助ける際に散々暴れておいて、まだ動き足りないのか……」
「あの程度、準備運動にもならん」
コウは立ち上がり、二杯目は自分で入れに行く。そんなコウをロンは半眼で呆れたように見つめた。
「準備運動って……まぁ、いいけど。それより、お前はもうちょい有り難く飲めよな。学生寮の部屋で、コーヒーを飲めるのはこの部屋くらいだぜ?」
コウ達の部屋でコーヒーが飲めるのは、ロンが集めているガラクタの一つに、熱に強い器と改造されたランプがあるからである。ロンはこれらや他のガラクタを利用して、自分でコーヒーを煎っている。
胸を張るロンであるが、売店に行けば普通に売っているし、食堂に行けば難なく飲める。しかし、コウもそれを言うつもりはない。
学生寮の決まりで各自の部屋に飲食物を持ち込むことは禁止されている。けれども、そんな決まりを律儀に守っているのは、よほど真面目な者を除けば誰もいない。だが、持ち込むには寮長の地味に厳しいチェックの目を掻い潜らなければならない。
買いに行くのも面倒であるという単純な理由も合わさり、コウは彼の主張を否定することはなかった。
「へいへい、ありがたや、ありがたやー」
「……それ本当に有り難く思ってるか?」
「え、超思ってるけど?」
疑いの眼差しを向けるロンであったが、昨日馬車で話題に上がった時計を見ると、突然慌てだした。
「おぉ!? のんびりしてる場合じゃない! 早く準備しないと始業式に遅れる!」
「いや、俺は着替えるだけだから」
実際に、トレーニングでかいた汗は水を浴びてすでに流しているし、コウは髪を整えたりと外見を気にする方ではない。なので、着替えるだけでいい為に準備の時間はかからないのだ。
「ちょ、ずるい!」
「いや、ずるいって言われてもな」
しかし、女の子に好かれたいロンは、身だしなみを常に気にする方なので、仕度に割と時間がかかる。
慌てて準備を始めたロンを放っておき、すぐに着替えを終えたコウは、窓の外に空を自由に飛ぶ鳥の番を見つけた。じゃれ合っているのか、一定の空間で体を擦るように軽くぶつけ合っている。
コウはそれを特に理由なく見つめながら、今朝見た夢を思い出していた。
あの夢は、前々から見ていたが、ここ最近になって見る頻度が多くなってきていた。それがコウには何か意味があるような気がしてならなかった。
(……師匠。俺はあんたから譲り受けた物を持つには、まだ相応しくないと思う)
コウは鳥の番から目を移し、次に自分の右手を見つめた。そして、自分が過去に行ってきたことを思い返す。そうしてから目を閉じると「それでも」と続ける。
(いつか、あんたが言った大切なものが見つかった時、全力で守ることを二人に誓うよ)
閉じた目に映るものは、まだぼやけている。しかし、それは何かが見え始めたことを意味していた。
目を開き再び右手見る。無意識の内に固く握りしめられていた。
「よし、準備完了! 待たせた、行こうか!!」
ふと、何となくコウは窓の外を見た。そこにはただ青空が広がっているだけだ。コウはそれを確認すると、何故か微笑みを浮かべていた。
「おせぇよ」
答えるコウの様子は、いつもと同じ飄々としたものである。だから、ロンがコウの内心を知ることはない。
二人は部屋を出て、そして駆け足に寮を出た。外には部屋から見た以上に空が広がっている。コウは一度だけそれを確認し、
「ん、行きますか」
などと呟く。
そうして、コウ達にとって波乱の新学期が始まるのだった。
2012/01/05 15:06
一部文章と誤字・脱字を訂正致しました。
2012/06/28 3:52
一部文章と誤字・脱字を訂正致しました。