第三十八話
「なぁ、ロン」
「お? どした、コウ。何だか微妙そうな顔して」
「いや、何と言うか……」
「む、お前にしては珍しくはっきりしないね。悩みがあるなら聞いてやろうじゃない」
「悩みというか……この部屋なんだが」
「この部室がどうかした? もしかして、やっぱり不満あったり?」
「不満は……ない。確かに、倉庫代わりに使われていたくらいだから、日当たりは良くない。けど、風通しは良いし、工夫次第でどうにでもなる。後から部室棟の一室へ強引に捻じ込んだにしては上々だろう」
「コウがそこまで素直に俺の成果を褒めるなんて珍しいじゃん。苦労した甲斐があったよ。もっとも、アヤちゃんの協力あってこその話なんだけどね」
「けど、やっぱりお前が手際よく話を進めてくれたおかげだと思う。お前あってこその、この部室だと俺は思うよ」
「な、なんかそこまでべた褒めされると照れますな……!」
「近くには購買部もあるし、授業で使うことの多い施設の中心にある部室棟だから来やすい。本当に良くやってくれたと俺はお前を評価する」
「すげぇ褒めるな! 何かだんだん気味が悪く……はっ! まさか、いつも一緒にいたのに、ふと別々の作業をして距離を置いた途端、俺という親友のありがたさに気づいた。その気持ちはいつしか友情を超え、情熱的な感情へと変化してしまったというのか……! だめだ、コウ! 俺にはアヤちゃんという心に決めた人がっ……!」
「ただな……」
コウは極力そちらを見ないようにしないまま、ゆっくりとある方向を指差す。
「ガン無視っすか。……あれがどうかした?」
「どうかした? と簡単に流せるものじゃないだろう……なんで……」
呻くように先を続ける。
「なんで窓にびっしりと男達が張りついてるんだ?」
かなりの意志力を消費してそちらを見れば、密集する無数の男子生徒達の姿があった。
彼らはそう広くない窓枠に収まろうとして、一人一人が奪い合うように場所を取り合っている。
まるで強い雨の中をやって来たかのように、視線の先の全員がずぶ濡れであるようだ。
重なり合うように密集しているので熱が生まれ、それにより湧き出る汗を互いの身体に擦りつけあっているのだ。
熱を帯びた吐息によって、窓が白く染め上がっている。
初めからそういう窓なのかと錯覚しそうになるが、白く濁る度に無数の腕が伸びてくるので、それは否定される。手の汗を塗すように次から次へと曇った窓を拭ってしまうのだ。
彼らは周りの全員を敵としながら、目的を共通させていた。
それはこの部室の中へ血走る目を向けること。
その様子はさながら飢えた肉食獣のようであった。
「あれは、ほら……あれだよ。餌を見せたら集まって来た子犬たち、みたいな?」
「おい、俺の目を見て言え。あれが子犬とかそんな可愛いものに見えるのかお前は」
「ま、まぁ、確かに。子犬は例えが悪かったかも知れないけど、実際そんな怖いものじゃ……」
ロンは改めて目を向ける。
どういう結論に至ったと言うのか。窓の向こうにいる彼らは、取っ組み合いに次ぐ取っ組み合いの乱闘を起こしていた。
男達の熱き戦いは人知れず始まっていたのである。
「怖いものじゃ……怖いものじゃ…………怖いかも知れない」
「なんであいつらあんな必死なんだよ……」
二人の会話は、汗にまみれ、怒号で窓を震わせ、肉の壁となった彼らの耳には遠く届かない。
クライニアス学園で部活として認められる条件は三つある。
一つ目が顧問を見つける、二つ目が部室を確保する、そして三つ目は部員数が五人以上であるというものだ。
一つ目はコウとリーネが何とか見つけ、二つ目はロンとアヤが交渉の末に勝ち取った。三つ目に関しては反則手だが、ロンの友人から名前を借りることで条件を満たした。
コウ達は全ての条件を満たした。
よって、手続きを済ませることで晴れて、一度廃部となった「学園不思議調査部」はここに復活したのだった。
それが一昨日の放課後のことだ。
部活を学園に登録するための手続きといった、優先するべきことがいろいろあった。なので、コウとリーネは確保したという部室を見に行くのは後回しにしていたのである。
そしてようやく、本日が初披露となったのだが、
「見ろよあれ。お前、部室に入る直前に笑みを絶やさないで、とか訳の分からない注文をしたよな? それを忠実に守った結果、リーネが笑顔のまま恐怖に震えるという奇妙な体験をしてるじゃねぇか」
唐突にロンが言い出したこと。
それを言われたリーネと、横で聞いていたコウは首を傾げるばかりだったが、現状がその答えだった。
部室に入って僅か数分。いつの間にか廊下には男子生徒達が集まり、汗で汗を洗うような闘争が生まれていたというわけである。
ロンの注文とは、一人いるだけでも恐ろしい状態の男子生徒達に対し、笑顔を振りまけということだったのだ。
リーネには偽りの悪評がまとわりついている。
そのため、彼女は感情を凍らせて表情を固まらせる術を身につけてしまっている。そしてだからこそ、罰ゲームのような注文に応えられてしまった。
今、彼女は笑顔を凍らせている。
「何なんだよこの恐怖体験。そろそろ本気で説明を求める」
「いやー、何と言いますか……。実は部活を立ち上げるために部室を確保するって、ほとんど無理なことなんだよね」
自身の能力を高める向上系の部活と、疲れを癒すための休息系の部活。学園では部活をこの二種に分けて呼び、生徒達は思い思いに選んで活動をする。
娯楽が限られる学園生活において、部活というのは有力な選択肢だ。
故に、数もそれなりにあるが、「それでも自分達だけの部を作りたい」と思う者は毎年少なからず現れる。
つまり、空いている部室というのは、大変貴重なものなのだ。
ロンの話を聞いてコウは疑問に首を傾げる。
確か、現在自分達が部室にしたここは倉庫に使われていたと聞く。貴重であるなら、どうしてそんな使い方をしていたのか。
「そう言いながら、お前はこうしてここを押さえて……あぁ、つまり、ここは例外だったってことか」
「正解! 本当にコウは話が早くて助かるなぁー」
「いいから、先を話せ。早くしないと人が集まり過ぎてやばい。あいつらそう広くない廊下に何人密集してるんだよ……」
「予想になるけど三十人はいるんじゃないかな? この部室棟にいるほぼ全員。……どうしてここが倉庫に使われていて、俺達が確保できたのか。その理由はこの状況が物語っているとも言えるんだよね」
「この状況?」
コウとロン、そしてリーネで部室内にいること……ではないだろう。どう考えても、見るだけでむせそうな彼らの存在に違いない。
ロンは一つ頷くと、ちらりと男子生徒達の塊を見る。暑かったのか、ほとんどの者が上の服を脱いでいた。上半身裸の男達が全身でぶつかり合っている。ロンは素早く目を逸らした。
「ご、ご覧のありさまで、学園に数ある部室棟の中でここは男しかいないんだ。どうしてそうなったのか、最初の理由は分からない。偶然だったのか、それとも意図的なのか。けど、今分かるのは男しか入部しなさそうな部が、ここの部室棟には集まってるってことだよ」
「それであんなにむさ苦しいのか……。ちなみに、入ってる部っていうのは?」
「えっと、筋肉増強鍛錬研究部、この部はいかに筋肉を効率よく逞しく、そして美しく磨き上げるかについて、熱く語り合う部で……」
「説明求めたのに悪い、もういいわ。他のも話さなくていい」
「いやでも、うちの学園で教えてることが教えてることじゃん? だからこれが結構馬鹿にならなくてね」
「俺は馬鹿にしてるから断ったんじゃない。男達がひしめく光景を見ながら、筋肉についての話を聞きたくないだけなんだ。一つ聞いただけで正直、胃が重くなってきた」
「ちなみに部長さんは窓の向こうで四人抱えながら、笑顔でこっちに手を振ってるあの人」
「やめろよ。極力あっちに目を向けたくないんだから」
「あ、そういえばあの部長さん。コウのことを謙虚な筋肉の持ち主だから凄く興味あるって言ってたよ」
「…………さっきからリーネへ向けられる熱い視線の中に混じって、俺へ向けられてるものがあるような気がしてたんだよ。気のせいだといいと、思ってたんだけどなぁ」
謙虚な筋肉とは何だろうと現実逃避しつつ考えれば、そこにロンから付け加えられる。
「是非二人っきりで筋肉比べしたいってさ」
「よし、この話は終わりだ」
話も脱線していたので、コウは強引に話を戻す。
「それで、それがどうしてこの部屋が空いていた理由に繋がるんだ?」
「ああ、それはね、レッテルが貼られてるから」
「レッテル?」
コウがその言葉を聞いて思い浮かべるのは、不良生徒、成績最下位、半端者という自分に貼られたものたち。そして、リーネに対しての悪い噂関連のものだ。
つくづく、この学園は噂や評価がまとわりつくものだなと、コウは薄笑いを作る。
「しょうもないな」
「だね。でも、この学園では強力だよ。……話を戻すとこの部室棟に入る部たちはレッテルが貼られる」
「それは?」
コウは自分に関するものはともかく、リーネに関してのことを考えて感情を低くする。
しかし、ロンの口から出てきたのは気が抜けるものだった。
「女の子にモテない」
「……は?」
「だから、女の子にモテない」
コウが拍子抜けだという顔をしても、ロンは怯まない。
「いつしかこの部室棟に入る部は暑苦しく、汗臭く、不潔だという話が広まったのだ!」
「不潔はともかく、二つは真実っぽいのがまた……」
窓向こうの廊下で繰り広げられている男子生徒達の蒸し風呂を見れば、否定しようとは思えなかった。
「そして話はその部員達も同じだってことになって、この部室棟に入る部に所属する男子は暑苦しく、汗臭く、不潔だと言われるようになった。その結果、この部室棟に部を作れば、女の子にモテないという仕組みになってしまったのだった!」
だから新規に部活を立ち上げるとしても、ここだけは避ける、ここだけは絶対に無理だとされて今まで空いていたということだった。
そこにコウ達は「学園不思議調査部」を入れたのである。
「女子生徒だけで部を立ち上げようとした場合はないのか? 男ならともかく、女だけならそのレッテルだとか面倒なことにはならないだろう……多分」
この学園だと、ないとも言い切れないのが微妙な話である。
ロンはあったと頷いたが、すぐに表情を暗くした。
「果敢にも女の子だけで、ここに部を作ろうした話はあったみたい。だけど、その時もほら、今回みたいなことになっちゃったみたいで……」
「あぁ、なるほど……」
普通の女の子ならこの光景を見れば、悲鳴を上げて逃げ出すだろう。
リーネは今に至るまで辛く危険な目にあってきて、普通の女の子とは言い難い。
そのことを引き合いに出す時点で、この状況はおかしくないだろうか。とコウは思ったが口には出さない。
「……しかし、すげぇ執念だな。あいつら、何であそこまで真剣なんだ?」
「それはほら、あそこにいるのは男子寮から教室に行って、放課後は男ばかりが集まる部室棟へ行き、また男子寮へ帰る生活を繰り返しているやつばかりなわけよ」
「……つまり?」
「女の子に縁がない! だから、女の子と話す機会がない! 女の子を直視することもままならない! 女の子にどう接すればいいのか分からない! そんな初心な男の子達が一目リーネちゃんを見ようと、ああして集まって、少しでも長く見ていようと全身全霊で戦っているんだよ」
「初心な男の子って……ん?」
そこでコウは疑問に思った。
「そんな初心な男の子? ……達がどうしてここまで積極的なんだ? いくら縁がないとはいえ、授業中は女と一緒になることもあるだろ。その時に見ることすらできない奴らが、どうしてここに集まるんだよ」
ロンの話の通りなら見に来るにしても、もっと遠慮がちにと言うべきか、消極的な態度を見せそうなものだ。
コウがどうなのかと顔を向ければ、悪友はとても目を泳がせていた。
「……おい」
「な、なんでしょうか?」
「お前、この状況に関係してるだろ?」
コウが低く、静かに問いかければ、ロンはしばしの後、自分の頭をこぶしで小突いた。
「ちょっぉおと、俺ってば無茶をしちゃいまして、この部室について交渉する際に、あの紙を見せちゃたり」
「あの紙って…………まさか、お前」
ロンはまだ持っていたのか、ポケットから折りたたまれた紙を取り出す。
文面にはこう躍り出ていた。
『学園不思議調査部。活動内容、学園に存在するありとあらゆる不思議、謎を解明すること。今なら、美人で可憐な部長先輩に罵ってもらえます! お触りは厳禁! ただし、誠意次第で相談受付!』
「これが、立ち上げる部だと説明しまして……」
「……お前、さっき確保できたのは、アヤのおかげでもあるって言ったのは」
「この可愛い子が部員ですよ旦那ぁ~、みたいな?」
「いかがわしい店の売り込みと同じじゃねぇか」
そりゃこんだけ騒ぎになるわ、とコウは大きく溜息をつく。
「馬鹿なんじゃないかとは思ってたけど、本当に馬鹿だったこいつ」
あのアヤがそんなやり方を許すはずがないので、恐らく彼女に気づかれないように話を進めたのだろう。
そういうことに関しては器用な少年なのである。
「やだなぁ、流石に部長は俺で副部長はコウであり、彼女達は部員だって説明してあるよ?」
「なにそのだから大丈夫みたいな言い方。問題は何一つ解決してないからな? その紙を見せた時点でもう判定は黒だからな?」
コウはちらりと横目でリーネを確認してから、声を小さくする。
「これでリーネの悪い噂が増えたらどうするつもりなんだよ……」
リーネに対して向けられる噂。それらは彼女から人を遠ざけ、彼女を傷つけている。
コウは友人として、共に向き合っていかなければならないことであるし、対策も考えていかなければならないことだと思っている。
だからこそ、いかがわしい店を連想するやり方によって、彼女の悪い噂が増えるようなことがあってはならない。
「ロン、分かってるよな?」
軽い調子を消す。こればかりは一切の冗談も許さない。
そのことが伝わったのだろう。ロンはコウが先ほどまでとは違うことを察すると、一つ息を呑み、その上で真摯に答えて来た。
「……その点は、大丈夫。徹底した」
「根拠は?」
「うーん、コウには理解できないだろうやり方だから、根拠を言うのは難しいかも。けど、俺は信用してる。あいつらがこの件でリーネちゃんを悪く言ったり、変に誤解するようなことはないよ」
部室の交渉で各部を回った際に、何か話をしたということだろうか。
自分には理解できないことだと言われ、コウは思考を巡らせる。
じっくり考えた。そして、結論を出した。
問い詰めることはできるだろう。しかし、今回はやらないでおくことにした。
「……分かった。あそこのやつらの人間性だとか性格を知らないから、俺には判断出来ない。だから、信用してるというお前を俺は信用することにする」
コウがそう告げると、ロンは少し目を見張り、それから照れくさそうに笑った。
「ありがとう。……しっかし、コウもリーネちゃんに関することになると真剣だね」
「当たり前だろ。こればかりは誰だって真剣にならざるを得ないだろう」
「でも、前のコウだったら…………いや、そうだね、それが普通か。誰だってそうするよね」
「何だそれ、変な奴だな」
ロンは何でもないと誤魔化す。
その反応を訝しく思ったが、これ以上聞くのは無意味だろうと判断するしかなかった。
コウはもう一つ気になっていたことを尋ねることにする。
「お前が例の紙を見せたせいで、あそこのやつらはリーネに変なことしようとしてるんじゃないのか?」
小さくしていた声を普通程度に戻しながら言う。この先はリーネにも聞かれても良い話をしようと言外に表していた。
それを察したロンの方もコウに合わせ、声量を元に戻しながら返してくる。
「その点は徹底したから本当に大丈夫。変なことどころか、触るのもなしってことになってるし、リーネちゃんのことも考えて、話すのも厳しいかもって伝えてある。あっちも見れればいいくらいに思ってるはず」
ロンは交渉の際にこちらの説得もしなければならなかったと、その時の苦労も吐露した。
「それでここまで集まって、あんだけ大騒ぎするのか?」
「甘い、コウは甘いよ。放課後だけとはいえ……いや、放課後という限定的な時間だからこそ、同じ屋根の下に女の子と一緒にいることができる上に、見る機会が巡ってくる。しかも可愛いときたら、青春を感じるには十分ですよ」
「同じ屋根の下って……そう言えなくもないけどさ。……なんか、あそこにいる全員がそうなのかと思うと悲しくなってきた」
「一部はコウ目当ての筋肉部の方達だけどね」
「人が懸命に忘れようとしてるの察しろよ。というか筋肉部って、嫌な略し方だなおい」
「あはは、コウさんってば人気者ですなぁ~」
「よし決めた。今からお前をあそこに投げ込む」
コウは立ち上がると透かさず飛び掛かる。
「ちょっ! えっ、本気で? まっ、待っあぁ!?」
即断即決、有言実行。抵抗は無駄だった。ロンを放り出すと素早く扉を閉めて鍵をかける。
扉は何度か叩かれたが、数秒もしない内に叩かれなくなった。
扉の向こうから友の断末魔を聞こえたが、コウは気のせいだろうと思い込むことにした。
「あの、コウ……」
振り返れば固い笑顔のリーネが話しかけてくる。
もちろん、声は震えていた。
「私はいつまでこうしていればいいんでしょう?」
「あー、ちょっと待て」
部室内を見回す。窓を遮ることのできそうなものを探すが、なにぶん荷物はまだ少ないので物がない。
コウは仕方なく、最低限の品としてとりあえず持ち込んだ椅子を窓の前へと運ぶ。
そして靴を脱いでから上に乗り、立ち上がる。
「リーネ」
ブレザーを脱ぐ。
「はい?」
「今から見るのは内緒」
返事を待たずに実行する。
窓の上部分、壁の一部にコウが得意とする特殊展開で攻撃魔術を展開。選択するのは土属性初級攻撃魔術『石獣の牙』。
これを応用して超極小に魔力を消費し、小さな突起を壁の二か所に作る。
(今まで生きてきた中で、一番しょうもないことに魔術を使った気がする……)
そこに脱いだ上着をかければ簡単な仕切りだ。窓枠内の全てを隠せるわけではないので、端っこからなどは見えるに違いない。
だが、隙間から覗き見ようとしなければ、部室内が見えることはないだろう。落ち着く暇などない乱闘状態なので、向こう側から見られることはない。
「これでよし」
椅子から降り、元の場所に戻して座ったところでリーネが礼を言って来る。
「すみません、変なことに魔術を使わせてしまって……ありがとうございます」
「いいさ、お前が悪いわけでもない。それより、俺らが顧問探した際、ロンが作った名簿にフィナーリル先生の名前がなかった理由が分かったわ」
コウは先ほどロンから聞いた話の一部と共に、疑問だったこととその答えについて話す。
部員人数の誤魔化し、いかがわしい店を思わせる説得。
これは、あの何事にも公平な教師に知られてはまずいことだ。咎められるのは間違いない。
だからこそ、ロンは教師にばれた時の可能性を考えて、ミシェルが顧問にならないように名前を載せていなかったのだ。
「ロンさん……」
リーネが疲れたように項垂れる。
そんな彼女に対してコウは苦笑を浮かべつつ、一応悪友の弁明をしておく。
「正攻法でやっても部室獲得が無理だったのも確かだしな。やり方はともかく、あいつもあの手この手を使い尽くすつもりでやったんだろう。ビンタ十発ぐらいで許してやってくれ」
「それは許したと言えないんじゃ……」
リーネが淡く笑みを作る。それから、頷いた。
「ロンさんが頑張ってくれたのは分かってます。だから、責めるつもりはありません。……けど、本音を言えば、せめて事前に言っておいて欲しかったですね」
「じゃあ、やっぱりビンタ百発するしかないな」
「増えてるじゃないですか」
くすくすとリーネが口元を隠しながら、作りものではない笑みを浮かべる。ようやく落ち着けたようだ。
コウはそれを確認してから、この状況をどうするか考えることにする。精神衛生上、ここはよろしくない。
しかし、脱出しようにも出入り口は扉しかなく、開けた先は汗が飛び散る男乱舞だ。そこにリーネを連れて行くわけにはいかない。
リーネを抱えて窓から飛び降りるという選択肢もあるが、ここは三階なので誰かに目撃されれば、明日の話題を独占することになる。
(さて、どうするかな)
そう思っていた時だ。廊下から聞こえていた怒声が種類を変えたのは。
「なんだ?」
「なんでしょう?」
ほぼ同時にそう口にして互いに顔を見合わせる。
怒号はどちらかというと悲鳴になっているように聞こえた。
「冷眼視の眼鏡だ!」
「全員、散れ! 散れえええええぇ!」
「物理的にも精神的にも凍らされるぞ!」
「もう正座は嫌だぁあああああ!」
騒然としていた窓の向こうが更に慌ただしくなっている。
それほど広くない廊下に推定三十人もいるのだ。何かから逃げようとしているようだが、なかなか捌ける様子はない。
そして、突然だった。怒声や悲鳴が途絶える。
読めない状況にリーネが愕然としているが、コウは知った気配がやってくるのを感じて一人理解した。
「やっと来たのか」
「え?」
リーネの疑問に答えるよりも早く、窓を誰かが除いているのが見える。といっても、コウがブレザーで大部分を隠しているので、それが誰なのかは目で確認することはできない。
だが、一体誰なのか確認する必要はない。コウ達にとって、もともと来る予定だった人物だからだ。
その人物は中を確かめると迷いなく扉のノブに手をかける。
開かない。
「あ、鍵閉めたんだった」
コウは立ち上がると素早く鍵を解除し、扉を開ける。
「どうぞ、先生」
「……あぁ」
コウはやって来た眼鏡の金髪教師、ミシェル・フィナーリルを部室内へと招き入れた。
数十の単位で男子生徒達が並んで正座しているのが、視界の隅に映ったが見なかったことにする。何故か半裸の悪友も見えたが、これも見なかったことにした。
「自分で脱いだのか、脱がされたのか。それが問題だな」
「何か言ったか?」
「なんでもありません。どうぞ、おかけになって下さい。机と椅子くらいしかないので、お茶は出せませんが」
ミシェルは頷くと、リーネの対面に腰かけた。それを見ながら扉を閉める。もう大丈夫だろうと鍵はかけないでおく。
コウもリーネの隣に座り、顧問にもなった担任教師と向かい合う。
彼女は開口一番にこう言った。
「クラーシス、ヴァルティウス、あの馬鹿共はなんだ? 廊下が室内よりも暑いとはどういうことだ」
「なんだ、と言われましても。あれがあいつらなりに新しく入った部を歓迎してくれた結果なんじゃないですか?」
「あはは……」
まさか真相を話すわけにもいかないので、知らないふりをしておく。リーネが乾いた声をもらしていた。
ミシェルは一度廊下へ目を向けるが、どうでも良かったのかこの話題を切って捨てた。
「まぁいい……。今日は二人だけなのか?」
「さっきまで三人だったんですけどね」
「先に帰ったのか? まだそんな時間ではないと思うが」
どうやら廊下に並んで正座する集団の中に、ロンが紛れていたことに気づいていないらしい。
「ええ、ですが別段やることもないですよね? だったら、俺らだけで十分です」
「それもそうだな」
ミシェルは特にこだわる様子もなく頷いた。
ちなみにいつもリーネの傍に控えているはずのアヤは課題があると言って、放課後開始と共に女子寮へと帰っていた。もちろん、何度も、しつこいほど何度もコウにリーネのことを任せる旨を伝えた上である。
(俺と早朝の模擬戦をするために早く寝ていたので、課題を溜めてしまったと言っていたが……)
護衛役以前に、一人の学生としてどうなのかと思ってしまう。コウとリーネは完成度に違いはあれども、ちゃんとやれているのだ。
今度何か言わなくては駄目だなと思っていると、ミシェルが室内を見回す。
「今回は事前に伝えた通り、顧問として部室の様子を確認しにきたわけだが……何もないな」
「倉庫状態だったのをなんとか片づけて、ようやく物を持ち込み始めたところですからね」
室内にはコウ達が使用している机と椅子以外は、ほとんどないと言っても良い状態だ。
どの部室にも共通に備えられた本棚はあるが、それも何も入っておらず空だった。
まさに、これから始めるという雰囲気なのである。
「いいじゃないか。案外、そういう時も楽しいものだ」
何か感じ入るものがあったのだろうか。
この教師にしては珍しく軟らかい笑みを浮かべて見せた。
「経験者は語る、ですか?」
からかえばすぐに睨んでくる。ミシェルの学生時代について触れると、照れ隠しなのかこうした反応が返ってくるのだ。
おっかないとコウは目を逸らすが、彼女は溜息一つと共に流した。顧問を頼んだあの日より、何度かやったやり取りなので彼女の方も慣れてきた様子だ。
「それで、貴様らはどういう形で活動するつもりなんだ?」
これにはリーネが答えた。
「しばらくは先輩方……先生達の活動を真似してみるつもりです」
「それが賢明だろうな。こんな意味の分からない部、手探りでやるには面倒だろう」
「先生がそれを言っちゃうんですね」
ミシェルはそ知らぬ顔だ。
彼女はクライニアス学園卒業生である上に、当時はコウ達が復活させた学園不思議調査部の部員だったのである。
復活という形で立ちあげた割に、その実態を正確に把握していないコウ達にとって、彼女の存在はかなりありがたかったりする。
「では、生徒用掲示板にいろいろと張り出すということだな?」
ミシェルの問いにコウ達は頷いた。
学園には用途ごと様々に掲示板がある。基本的には学園が生徒に向けて情報を記載するためにあるのだが、その中に生徒が情報を貼り出せる掲示板が複数ある。それが「生徒用掲示板」だ。
部活勧誘の張り紙、魔導具の材料を求める生徒の声、生徒が開催する小規模な催しの告知があったりと、学園内での公開的な情報で溢れている。
「それなら学生執行会の認可印がなければ、張り出しても剥がされるからしっかりと通すように」
「学生執行会?」
コウが聞き返すと横のリーネが教えてくれた。
「部活立ち上げの申請をするために行ったところですよ。ほら、アヤがロンさんを締め上げた」
「あぁ、あいつが女の先輩に抱き着こうとした時のか」
「貴様らは手続き一つで何をしてるんだ……」
ミシェルは呆れ顔である。あれはロンが悪いのでコウとしては釈然としないものがあるが、行く先々で騒いでるのも確かなので反論し辛かった。
「しかし、学生執行会でしたっけ。確か、生徒だけで運営してるって聞きましたけど、本当なんですか?」
「そうだが、それがどうかしたか?」
「どう、というわけではありませんが。生徒に権力を与えてるというのは、良い事なのかと思いまして」
学生執行会はミシェルが言ったように、生徒の行動を認可したりと、学園からある程度の力が与えられている。
場合によっては生徒を罰することができるし、学園に対して働きかけることもできると生徒達の間で囁かれていた。
その実態が部活と違って顧問もおらず、生徒だけで動かされているというのだ。
コウは遠回しにちゃんと管理できているのかと問いかけ、それにミシェルは表情を崩すことはなかった。
「問題ないさ。権力と言っても一般の生徒以上、教師以下程度のものだ。流石に大きな罰則は教師が間に入って行うしな。行事や部活関連のことなどは丸投げしているが、それ以外に任せている仕事は少ない。あるとすれば風紀関連か? 教師と生徒の中間として、よく働いてもらっているよ」
ミシェルという教師の性質上、学生執行会と相性がいいのだろう。言い方には何処か褒めるような響きがあった。
「……さようですか」
「なんで貴様がそんなことを気にする?」
「不良生徒的に怖い人達のことを知りたいな、ってだけですよ」
「不良生徒だと言われている自覚があるのなら、態度を正して職員会議に名が出ないようにしろ」
「性分なので難しいです」
きっぱりとコウが言うと、ミシェルは驚くほど綺麗な笑みを浮かべた。
「去勢してやってもいいんだぞ?」
「生徒に去勢って……犬や猫じゃないんだから」
コウの呟きには取り合わないことにしたのか、ミシェルはリーネに向き直る。
「正式に部活として執行会の方で認められたなら、その内部費も下りるだろう。掲示板に調べたことを張り出すための紙を用意するにしても、始めたら何かしら必要な物が出て来ると思う。部費は顧問が認めなければ使えない。なのでヴァルティウス、その時は貴様が私に言いに来い」
「わ、私ですか?」
「残念ながら、ここの部長と副部長は当てにならないからな。一番まともそうな貴様に任せる」
「先生! 部費で剣を買ってくれないでしょうか? もしかしたら必要になるかも知れないので!」
コウはあらゆる事態を想定してミシェルに願い出た。
担任兼顧問の教師は冷笑を浮かべている。
「このように、副部長は特に変な注文をしてきそうだからな。……クラーシス、貴様も廊下の連中の仲間入りをするか?」
「リーネ、この重要な仕事をお前に任せるよ。なに、お前ならできるさ……」
コウの打って変わった態度にリーネは目を瞬かせたが、おかしそうに口元へ手を当ててから頷いた。
「はい、分かりました」
「よし、ならそろそろ私は行くぞ。授業の準備があるんでな」
ミシェルは未練なく立ち上がり、部室から出ていこうとする。
その背をコウは止めた。
「あ、先生」
「なんだ?」
ミシェルは立ち止まったが完全に振り返ることはなく、首を僅かにこちらへ向けるだけだ。
用が済んだらさっさと行こうとするのは、ある意味彼女らしい。
「調査部の主な活動……噂とかを調べるですが、そのやり方とか教えてもらえませんか?」
「やり方か……」
何か言いかけたようだが途中で止まる。
それを不思議に思うコウ達に向けて、彼女はこう続けた。
「それは自分達で考えてみろ。私達のやり方を準えるだけはつまらんからな。ただし、問題になるようなことはするな。手詰まりになったら助言くらいはしてやる」
その口元が何処か楽しげに見えたのは気のせいだろうか。
ミシェルはそれ以上言葉を残すことなく、部室を出ていった。
「リーネ」
廊下がまた少し騒がしくなっている。ミシェルの登場が原因だろう。
「……はい」
やり方を教えてもらえなかったことで、リーネは難しい顔をしている。
そんな彼女にコウは口の端を上げて見せる。
「とりあえず、楽しんでみようぜ」
リーネが目を丸くする。
彼女はそのままじっと見つめてきたが、ゆっくりと表情を崩した。
「はい!」
こうして、コウ達の部活は始まったのだった。
お読みいただきありがとうございました。