第三話
ウィールス平原をコウは疾走する。その速さは凄まじいの一言で、少女やドリークたちとの距離を凄まじいペースで縮めていく。
コウは右手で腰にある剣を僅かに抜き、すぐに抜ける状態かを確認する。
（しかし、妙だな）
剣に集中させていた意識を前方に向け、再び疑問について考える。その間も足は止めず、むしろ更に加速させていった。
少女が襲われている。
単純に考えれば魔物が存在する物騒な世の中である。それはあり得ない話ではないだろう。しかし、それでもコウの中で疑問は浮かび上がった。
護衛がいないこと。これはドリークたちにやられたと仮定してとりあえず置いておく。コウが疑問に思うのはドリークたちの行動であった。
ドリークという魔物は単体で行動するのが主で、群れを作ることはまずない。そのはずなのに、現状少女を襲うドリークたちは集団で囲みを作り襲っている。
何故、単独で狩りをするドリークに集団狩猟の技術があるのか。その点がコウには不可解であった。
普通、群れを作って集団で狩りをする魔物や動物は、生まれてから死ぬまでの一生を群れで過ごし、その過程で集団狩猟を覚えていく。
狩りとはどういうものであるのか、それを子どもの内に覚えて、大人になるとそれを次の世代へ伝えていくのだ。
例外はあるかも知れないが、普通はそうやって時間をかけて狩猟を覚えていくはずである。
つまり、ドリークが突然群れを作ったのは、何か原因があると考えるべきだろう。単独で狩りをする魔物や動物なら、例え同種でも一つの獲物を得る為にお互いを潰し合うのだから。
もちろん、進化の過程で集団狩猟を会得したとも考えられるが、それにしては今回は急すぎる。これがドリークたちの数が二、三匹くらいであれば違和感は少なかった。しかし、少女を襲う数は十匹。最近、群れることを覚えたにしては、いくらなんでも数が多い。
故に、コウはその考え方を捨てた。
（そもそも群れを作るには、それを統べる存在が不可欠だ）
思い返してみても『遠視』で見た際に、そんな存在は認められなかった。そうなると一つ仮説が生まる。コウとしてはとても面倒な仮説である。
（何処かでトカゲたちを操っているやつがいる……？）
思いついてから可能性を自分の中で検証する。残念ながらそれが状況的に一番可能性が高いかもしれなかった。
何者かが魔物を操り少女を襲わせている。そのように考えれば、護衛が一人もいないことに説明がつく。
少女が襲われていることが計画的なことであるとすれば、護衛を抱き込むなり排除するなりした。そう考えれば自然ではないだろうか。
（もしかして、面倒な事に首を突っ込みかけてるか？）
もし考えが的中してしまえば、今回の脅威を排除したところで、大本を何とかしない限り、何かしらのことにコウは巻き込まれることになるかも知れない。
（……憶測ばかり考えても仕方がないか）
単純に護衛が魔物にやられただけかも知れない。慢心した結果一人で逃げているのかも知れない。可能性はいくらでもあるのだ。何も判断材料がない状態で、考えても仕方がないとコウは割り切った。
コウは少女を助けることだけに気持ちを向け、気合を入れるついでに速度を更に上げる。
少女は枯渇状態であり、抵抗が全く出来ない状態である。
コウとしては少女の周りに展開した対物理障壁は、ドリーク程度では絶対に突破出来ないと自負している。しかし、少女がそのような事を知るわけがない。
ドリークたちは休むことなく突破を試みようと、牙を剥き、爪を叩きつけ、何度も体当たりを繰り返している。
少女からすればいつ壊れるかも分からないものの中からそれが見えるのだ。その恐怖は尋常ではないだろう。
（なんて考えている内に大分近づいたな）
ドリークたちはコウの接近に気がついていない。少女も何が起こったのか理解出来ていないまま、体を強張らせてドリークたちを見つめていて、コウの存在に気がついていないようである。
コウは思考を戦うことへ切り替えた。走りながら右手で素早く剣を抜き、上段へ振り上げ踏み込むと、一番近くにいたドリークの背を薙ぐように切りつけた。
「ギィイイイィ！！」
背中から切りつけられ、ほぼ胴を半分開かれたドリークが特有の甲高い鳴き声を上げた。ドリークの命が零れだし、平原に広がる緑に赤い点を生み出す。
コウはそれを横目で、ちらりと見るだけで直ぐに他に目を向けた。少女を含め、その場にある全部の目がコウに向けられる。先ほどの断末魔を聞き、障壁破りに夢中だった他のドリークたちが、一斉にコウに気づいたようである。
「ギギャァアアア！」
一匹減り、九匹になった内の中で、比較的コウに近かった三匹がコウに威嚇を始めた。残りの六匹は囲もうとしているのか、コウを中心に円を作るようにしてゆっくりと動き始めている。
（やっぱり動きが不自然だ。ドリークなら普通こっちを確認した時点で、威嚇後に一斉に襲いかかって来るはずなのに……）
しかも、ドリークらしくない動きをしている時は動きが少し遅いようである。これは何者かがドリークたちの意志を潰し、指示を出して強制的に動かしている証拠であった。
少女が囲まれずに逃げていられたのも、この状態が理由の一つなのかも知れない。
（……そうなると何処かで操っている奴が、こちらを見ている可能性があるな）
見ている者がコウの接近に気がつかなかったということは、それほど近くにはいないのかも知れない。
一点を限定することで長距離から見ることでき、難易度も高くない『遠視』に対して、『感知』や『探知』といった探索系の魔術は、自分を中心にした範囲しか調べられない。
その上、調べられる範囲は術者の技量に依存するので、余程の熟練した者でないと、広範囲における展開は出来ないのだ。
突然出現した障壁に対策を講じなかったこと、接近が容易く成功したこと、それなりの数とはいえ単体ではそれほど強くないドリークを従えていることから、襲わせている術者自体の力量は、それほど高くないとコウは判断した。
おそらく、一匹減らされた今になってようやくコウを認識したくらいだろう。
コウは自分の推測が当たりつつあることに気づき、表情には出さないが心の中でそっと溜め息をつく。
そして少女の様子を見てみた。すると、ばっちりと目が合ってしまった。何か奇跡でも目撃したかのように、コウを信じられないとばかりに凝視している。
少女は呆然とした様子で呟くように言葉を漏らした。
「何故、ここにいるのですか……？ それに来るのが早すぎる気が……」
その言葉はコウに話しかけているのか、それとも少女の思っていることが、口から出てしまった結果なのか判断出来なかった。
とりあえずコウは意識して軽い調子で答える。
「駄目って言われると、逆にやりたくなるよな」
まるで悪戯小僧のような言葉であった。
これには少女の緊張を解こうというコウの狙いがあった。緊張する相手に軽口をたたくと、相手は呆れたり怒ったりするものだ。しかし、コウは感情が恐怖で支配されているよりは、その方がずっといいと思っている。
恐怖に支配されていては出来ることも出来なくなってしまう。もちろん、笑うのが一番ではある。
少女の場合、流石についさっき死ぬ寸前だったので、笑う余裕はなかったようだ。コウの言葉に顔を顰めている。
「……馬鹿なことを言っていないで早く逃げて下さい」
呆れ半分といった様子で少女はそう促す。この場へ駆けつけたコウを見ても、助けを求めるつもりはないようである。
とてもではないが、駆けつけた者に対する言葉ではない。人によっては怒りを買う態度であった。しかし、特にコウは気にしなかった。むしろ、何とも言えない笑みが浮かんでしまったくらいである。
「そう言うなって、折角ここまで来たんだから助けさせてくれよ」
コウと少女は声が届くとはいえ、少し離れた位置にいる。しかし、気丈に振る舞う少女の瞳が、実は揺れていることをコウの目はしっかりと見ていた。
少女は見た目こそ平気な顔をしているが、本当は決して平気とは程遠い状態であるはずなのだ。だからこそ、コウはあくまで軽薄な調子で語りかける。
「好い加減にした方がいいですよ？ 最初こそ不意打ちで倒せましたが、次はないのですから」
その甲斐あってか少し怒りが混じっているものの、少女が恐怖に押しつぶされることは避けられているようだ。
コウは少し怒り始めている少女から視線を外し、話している間に囲みを完成させていたドリークたちに目を向けた。
包囲を完成させたのにも関わらず襲ってこないのは、指令を下している術者が様子を見ているからだろうか。
「一匹倒したのにも関わらずこの扱い。俺はそんなに駄目そうに見えるか？」
コウは大げさに肩を落としながら、顔だけは上げて言う。言葉とは裏腹に、特に落ち込んだ様子もなく語りかける相手は、少女ではなくドリークたちだった。
「ギギャ！」
長く沈黙していたドリークたちだったが、まるで話しかけられたのを合図にしたかのように、一匹が鳴き声と共に飛びかかってきた。
「危ない！」
少女の警告と肉を打つ鈍い音がほぼ同時に響いた。
衝撃に備えるという考えが及ぶ前に放たれた一撃は、対象が三回ほど地面を弾んだ後、剥きだしていた岩に激突してようやく止まるほどの威力だった。
「グギャッ！？」
ドリークの短い鳴き声が場に響く。それは勝利の雄叫びに類するものではない。鳴き声の主は激突した岩の横で痙攣し、そして間もなく動かなくなったのだから当然である。
飛びかかってきたドリークをコウが剣も使わずに、手の甲で殴る――所謂裏拳で殴り飛ばしたのだ。
「えっ……？」
口を開けて唖然とする少女。少女はコウが何をしたのか、全く分からなかったようである。
驚く少女を置いてきぼりにドリークたちは続けて襲いかかってきた。
コウから見て、前面にいた二匹が牙を剥きながら迫り、後ろに回り込んでいた三匹も同時に動き出していた。
後ろの三匹をコウは無視し、先に前から迫る二匹に意識を向ける。
足を踏み出すのと同時に、コウは右側にいたドリークに剣を投擲した。抜く動作と投げる動作が、ほぼ同時に行われたかのような速さだった。剣は空気を切り裂き、反応する間もなくドリークの体を貫いて地面へと縫い止めた。
貫かれた痛みでのたうち回る仲間に気を掛けることもなく、前から迫っていたもう一匹が牙の並んだ口を広げ、コウに一本でも多く突き刺さんとばかりに飛びかかってくる。
それをコウはただ見つめていて、ドリークが地面を蹴ろうとした瞬間には体を沈ませていた。力を一瞬で溜め、次の瞬間、下顎から上顎まで貫かんばかり勢いで拳を突き上げる。
「ギャッ！？」
飛びかかったはずのドリークは、折れた牙と唾液などが混ざった赤い液体をまき散らしながら、空中で半回転し、地面に落ちてから痙攣を何度か繰り返した後に息絶える。壊されたのは牙だけでは留まらなかったらしい。
コウは剣によって地面に縫いとめられたドリークの元へ歩く。その姿は無視した背後から迫るドリークたちのことなど、忘れているかのように無防備である。
背後から迫っていた三匹の内、二匹がコウの両足を狙い、地面を這いながら口を広げ、残りの一匹が首もとを狙って飛びかかってきた。
「後ろ！」
少女は目の前で行われていることを驚きによって、硬直しながら黙って見守っていた。しかし、コウがドリークたちに背を向けたままである事に対して焦りを覚え、思わず二度目の警告を口にしたようだ。
警告虚しく、今更振り向いたところで、ドリークたちの牙から逃れる事は不可能だろう。それほどまでに少女から見たコウは無防備過ぎた。だが、コウの動きは少女の予想を超えることとなる。
剣が刺さった場所の少し手前で、コウの下にドリークたちが到達した。
コウは振り返ることなく右へ左へと細かく跳ぶと、それだけで足を狙っていた牙を躱し、同じ要領で首を狙っていたドリークの脇をすり抜けるように避ける。
更に、地面に着地する前にドリークの尻尾を掴み、子供が玩具を振り回すようにドリークを頭上で振り回すと、足を狙った二匹の内、手前にいた方へ掴んでいるドリークがぶれて見える程の速さで叩きつけた。
「なっ……」
それを見た少女が言葉を失っている。
ドリークという魔物はそれほど大きな体躯ではないが、その見た目とは裏腹に百キログラムと、かなり重量がある。成人男性が二、三人は集まらないと持ち上げるのは辛いだろう。
それなのにコウはその重さを腕一本で持ち上げたどころか、振り回して見せたのだ。いくら鍛えていようとコウの細身からは、想像も出来ないような怪力である。
叩きつけられたドリーク、それを体で受け止めた方のドリークも苦しそうにもがくが、そこに戦う力は残されていないだろう。
コウはその二体を一瞥した後に、足を狙った残りの一匹に目を向ける。
「さて、と……残ったのはお前だけだな」
コウの言葉に少女は疑問に思い周りを見回す。
ドリークは全部で十匹。最初に一匹、威嚇していたのが三匹、コウの後ろに回り込んだのが三匹である。六匹は倒したのが、コウの視線の先にいるドリークの他に三匹はいるはずである。
少女はそう思い、そういえば存在感のなかったその他の三匹を探す。そして、少女は本日何度目になるのか分からない驚愕を覚えた。
「嘘……」
少女は呆然と呟く。その他の三匹は少女の後ろ側で三匹とも真っ二つになっていたのだ。少女は信じられないと首を振る。驚いているのは真っ二つになっていることだけではない。
おそらく魔術による行いだと思われる三匹の処理。それが魔術を扱う術を知る少女が、気づかない内に行われていたので驚いたのだった。
コウ以外この場には誰もいない。そしてコウの戦いを少女はずっと見ていたが、魔術を展開する素振りはなかった。
敵が複数いる状態で魔術を展開するということは、熟練者でもない限り自殺行為に等しいので、魔術を展開しないのはある意味当然である。
それに、戦い方から少年は近接戦闘に長けた者であると、少女は推測していた。魔術を扱うとは思えなかったのだ。
この世界に武術と魔術の両方を極める者というのは存在しないのだ。
何故なら武術、魔術、どちらも修練を重ねれば重ねるほど、知識を増やせば増やすほど、極めることは無理だと悟らざる得ないほど奥が深いのだ。
その両方を極めるなど、中途半端な結果を生み出す愚行であるとされている。二つの道を極めし存在というものは絵空事であるはずなのだ。
――しかし、現にドリークたちは少女が気づかぬうちに処理されている。ではコウがどちらも極めようとすることが可能なほど天才だということだろうか。
少女は混乱しながらも何とか答えを導き出そうとしたのだが、それより先に終わったのは戦いの方であった。
「ギギィ……」
意志を潰され完全に操られていたはずのドリークだが、生物の本能が魔術に勝ったのだろう。コウに恐怖したのである。
最後に残ったドリークは完全に戦意を喪失したようで、弱々しく鳴くとこの場から逃れようと身を翻そうとした。しかし、それをコウは許さず、音もなく足を動かし、地面を踏みしめると最初に投擲した剣を引き抜く。
そして、ドリークが身を翻し終える前に距離を詰めると、躊躇なく剣を振り下ろした。
綺麗な緑の絨毯に赤い斑点が生まれ、この場にいるのがコウと少女だけになった。それと同時に少女を守っていた青い光の壁が薄れ、光の粒となって消えた。
「…………」
おそらく苦しむことなく一瞬で命の灯火を消した最後のドリーク。それを見ながら少女は被っていたフードをゆっくりと後ろにどけると、首の後ろに手を回して長い髪をマントの下から出した。
そして、顔を曇らせて静かにコウを見てくる。
「なんだ？ 最後の一匹は逃げだそうとしたみたいだし、可哀想だから逃がしてやればよかったか？」
相手は魔物だぜ？ と、コウはわざと馬鹿にするように笑う。そして、剣を左右に振り、滴る赤いものを極力飛ばしてから鞘に納めて少女へと近づく。
この時、コウはフードの下に隠されていた少女の容姿を初めて見た。
髪は茶髪で長さは腰の辺りで切り揃えられている。その髪は逃げている際に砂埃を被ったのか、所々くすんでいるが、それでもその髪が艶やであることが確信出来てしまうほどだ。
瞳の色は髪色と同じで、愁いを帯びた寂しげな目は何かを哀しんでいるようである。それは今だけではなく、まるでいつもそうしていたがために、それが当たり前であるかのようだった。
鼻はすっと通っており、小さな口は花弁が乗せられているかのように淡い桃色。
目や鼻、口といった顔の部位がどれも平均を逸しており、またその配置も絶妙で、まるで歴史上最高の人形職人が、何十年もかけて最初から最後まで手がけた最高傑作であるようだ。
肌は透き通るかのように白い。そこに病的な白さはなく、不思議な魅力を見る者に覚えさせるだろう。
その艶やかな髪、人形のように整った容姿、透き通るかのような肌。そして、憂いを帯びた瞳は、少女に儚げな雰囲気を与えていた。
普通の声量で話せる距離まで近づくと足を止める。身長はコウの胸の辺りくらいであることが確認出来た。
コウは少女の容貌に少し驚くが、ロンがこの場にいたら騒いで面倒だった、という程度の少々残念な感想を抱くだけだった。
そんなコウの内心など知るよしもない少女は、問われた言葉に少し考える素振りを見せた後に、真っ直ぐと目を合わせながら揺るぎなく答えた。
「……あのまま逃がしていれば、平原を彷徨って近くの村に辿り着き、少なからず被害が出てしまったでしょう。あなたのしたことは正しかったです」
そこで一度顔を俯かせ、間を置いてから少女は再び顔を上げると、更に言葉を続ける。
「最後の一匹に剣を振り下ろす瞬間、あなたはとても申し訳なさそうな顔をしていました。私のせいで嫌な事をさせてしまい、本当にすみませんでした」
そう言って沈痛な面持ちで少女はコウに頭を下げた。
コウは少女の言ったこと、そして行動に面食らう。それを表に出さずにあえて不機嫌そうな声音で、頭を下げ続けたままの少女に語りかける。
「そんなのお前の勘違いだ。勘違いで頭を下げることなんてない」
「……そう、ですか。その、改めて、お礼を言わせて下さい。この度は助けて下さってありがとうございました」
少女はコウの言葉に一度顔を上げ、何処か納得していない様子であった。しかし、コウの態度から言っていることを覆すことはないだろうと判断したのか、今度は感謝の言葉を口にした。
その判断の良さに、コウは感心しながらもやはりそれは表に出さず、軽い調子で少女の感謝に答える。
「ま、そっちの気持ちは受け取っておく。お礼はちゃんと言わないとな」
「……不思議な人ですね」
先ほどまでとは違い、今度は打って変わって気分よさげにコウは笑いかける。
その様子に少女は目を瞬かせ、不思議そうにしているが、そこには微笑みと呼べるものが存在した。
少女が笑った事で、襲われた恐怖は心に深い傷となったわけではないようだとコウは安心したが、言わなければならないことがあったので、少し怒った表情を作る。
「お前さ、念話の時の事なんだが、巻き込みたくないという気持ちは分かる。が、危ない時はちゃんと助けを求めようぜ」
「ですが……」
何か事情があったかもしれないが、コウはそこを譲ることは出来なかった。少女もコウの言葉を理解出来るようだが、それでも素直に受け止めようとはしない。
仕方なくコウは言葉を重ねる。
「本当にやばい時は利用出来るものは全て利用する……くらいの気持ちでいないと、この世の中は生き残れないぜ？」
「いえ、それもどうかと……」
「いいんだよ。それに女は男相手なら大抵のことをやっても許されるからな」
結構、滅茶苦茶な事を言っているが、コウは本気でそう思っているので、今回ばかりは軽い様子がない。
「やばくなったら助けを呼ぶ。いいな？」
「いえ、あの、今回は助けを呼ばなかったことには理由が……」
その勢いに押されて少女も強く否定出来ないでいるが、それでも最後の抵抗にと口を開く。しかし、それはコウが言葉を遮ることで失敗してしまう。
「い、い、な？」
「……はい」
結局、コウの言うことは一部以外は正論であるので、少女は反論らしい反論も出来ずに頷く事となった。
少女が頷いたのを満足げに見たコウはまた笑顔になる。
「よしよし、いい子だ。それで……あー」
「どうかしましたか？」
「そういえばお互いに自己紹介がまだだった」
「……そう言えばそうですね」
困ったようにコウは頬を掻き、少女は照れたように笑う。コウは少女に手を差し出す。
「俺はコウ・クラーシス。クライニアス学園で次の月の日から高等部二年になる」
そうコウが言うと、少女は何故か驚いたように目を開いた。コウはその理由が推測出来たので、特に何も言わない。
驚きで少し動きを止めていた少女だが、手が差し出されているのに、何もしないのは失礼なことだと思い出したのか、慌てた様子でコウの手を両手で包み込み、緊張した様子で握り返した。
「私は……リーネ・ヴァルティウスです。同じく、クライニアス学園で月の日から高等部二年生になります」
少女――リーネが名前を言う瞬間に、顔の表情が動きかけたのを、コウは見逃さなかったが何も言わない。代わりにと言うには、変ではあるが困った表情を作る。
「あー、やっぱり学園の関係者……しかも予想通り学生か。まぁ、そうだよな」
そんなコウの言動にわけが分からないといった様子でリーネが首を傾げる。
「ん、気にしないでくれ、こっちの話だから」
「そうですか……あの、いろいろと聞きたいことがあるんですが」
手を離しながらリーネが遠慮がちにそう言ってくる。
「だよな。俺もヴァルティウスには聞きたい事と、言っておく事あるし」
コウもそう言ってくるのは予想の範疇であったので、特に拒否の言葉を言ったりはしない。何から言おうとコウが考えていると、首を傾げながらリーネが尋ねてくる。
「ヴァルティウスって言い辛くないですか？」
「んん？」
最初の質問がこのような内容であったことに、コウは面食らい思わず脱力した笑みを浮かべてしまう。
「まぁ、若干言い辛くはあるが初対面だし」
コウがそう答えると、リーネは少し考える素振りを見せた。そして意を決したとばかりの表情でコウを見上げてくる。
「名前で……リーネでいいですよ」
「ん、いいのか？」
「はい」
少女は強く頷いた。何処となく表情には緊張が見て取れる。
何か名前に思い入れでもあるのだろうかと、コウは思い、それならば素直に提案を受け入れることにした。
「それじゃ、改めてよろしくな、リーネ。お返しに俺も名前で呼んでくれ」
「はい、よろしくお願いします。コウ」
コウが名を呼ぶと、リーネは安心したように微笑み、そして嬉しそうに返事をするのであった。
そんなリーネにやはり名前に対して思い入れがあったのだと、コウは一人納得し、お互いに話すべき事を確認することにした。
「それじゃ、いろいろと話すことがあるわけだが――」
「お～い！ 大丈夫か～？」
コウが話し始めようとしたその時、馬蹄と馬車の車輪の硬質な音と共に、遠くから声が聞こえてきて話を遮った。
「……なんか来るタイミング良すぎじゃね？ 事が終わってから来るとか」
声の発信源の方を見てみれば、ロンが手を振りながら馬車を操り、こちらに向かって来ているのが見えた。
「あの方は一緒にいらした方ですよね？」
「そ、まぁ、あいつと合流してからお互いに話すか……ん？」
そう言ってロンと合流すべく歩き出したコウなのだが、いきなり険しい表情を作り、遠くを睨む。
「どう、なさったのですか？」
リーネが心配そうにコウを見る。
コウは遠くを見つめたまま反応せず、おもむろに胸の前で十字に手を動かし、そのまま何事もなかったかのように歩き出す。
「今のは？」
「何でもない」
突然のコウの行動に、当然驚いたリーネであったが、それ以上リーネが尋ねてもコウは「何でもない」と繰り返すだけであった。
余談ではあるが、数日後に遠征返りの騎士達が偶然にもウィールス平原にて、指名手配されていた男の死体を見つけた。
その男は魔物使いであり、魔物を操り、人を襲わせたのが罪状で、その死体は四つに分けられていたそうだ。
そんな話があったのだが、それはコウ達にとって今は関係のない話であった。
更に余談だが、枯渇状態のため、体に力が入らないリーネに、コウが何食わぬ顔でお姫様だっこを実行し、リーネを赤面させたまま合流を果たしたのもまた別の話である。
2011/12/31 8:43
一部の文章、誤字脱字を訂正致しました。
2012/06/25 16:50
一部の文章、誤字脱字を訂正致しました。
