第三十七話
ゼウマンは二人の隊員が去るのを見届けながら胸中で呟く。
(そろそろ無視出来んな)
ここ最近、隊員達の間で仕事中の過失が増えていた。
それは他の同系統の組織(王国騎士団など)に比べれば、明らかなほどに少ないものだろう。
しかし、今までは殆どないものだった。それが出始めたのだから、十分に変化と捉えることができる。
原因は簡単に予想ができた。ある日を境にしているからだ。
(先日の校外授業……思っておったよりも、手痛かったかも知れん)
行われた校外授業の際中に、生徒があってはならないことで怪我を負った。
学園の警備部隊は国内で完璧な守り手だと認識されている。
直接聞いたわけではないが、本人達も誇りにしていたに違いない。
それが傷つけられたのだ。
しかも、彼らにとって最悪の結果である、守るべき対象が危険な目に合うという形で。
誉からだろうと、学園を愛するからだろうと同じだ。彼らはそれぞれに持つ信念を傷つけられた。
その上、生徒の中には両腕に重傷を負った者もいる。彼らにとっては自分達が傷つく以上に痛手だったに違いない。
(若さは時に強さとなるが、やはり弱さとしての一面が強い、か)
経験の少ない隊員ほど、動揺が顕著に表れているようなのだ。
去っていたった彼らもその一例に加わったというわけである。これは何かしらの手を打っておくべきだろう。ゼウマンはそう思案する。
そして、隊員達の姿が完全に見えなくなり、十分離れたことを確認すると口を開いた。
「当分は膨大な魔力が溢れようと何があろうと、奇声でも発しない限り誰も来ない。折角、人払いをしたのだ、姿を見せてはいかがかな?」
一人残った状態での言葉は、ただの独り言でしかない。
しかし、返事があった。
後方より飛来してきたそれをゼウマンは身体を傾けることで躱す。
それは細長い杭だった。近くの木の幹に突き刺さったので、止まった状態で確認できる。
長さは十二センチほど。細く、幼子の指程度しかない。黒色で、何か塗ってあるようだ。恐らく、光沢の一切をなくすためのものだろう。
ゼウマンは片眉を上げる。
「不躾なものだ。お主らの業界では挨拶の代わりに暗殺をするのか?」
ぱち、ぱち。何処からともなく、手を叩く乾いた音が響いてきた。音は連続したが、継続はしなかった。随分と手を抜いた拍手である。
続けて声が聞こえてきた。
「挨拶と暗殺をかけた洒落ですか? 面白いですねぇ、流石は偉大な騎士様。洒落の方も偉大というわけだ」
背後だった。ラグトルにとってそう遠くない距離である。
いつの間にか、人がそこにいた。
ラグトルはそちらを見ずに答える。
「なに、もっと褒めてくれても構わんぞ?」
「ばぁーか、皮肉に決まってるだろうが。つまらなさ過ぎて鳥肌が立ったくらいだよカス。ちなみに拍手はさっきの一撃を避けたことに対してのみへ向けています」
「それは手厳しい限りだ」
妙な言葉遣いをすると思いながらも、とりえず言葉を返す。
ここでようやくラグトルは振り返って声の主の姿を見た。
黒い。それが誰もが真っ先に抱く感想だろう。
まず服の上下が黒色であることから始まり、履物のショートブーツからポケットの多いベスト、腰のポーチらしきものまで全てが黒かった。
「見た目が怪しいと思いましたか? おいおい、明日を生きる若者達を育てる機関の長が、人を見かけで判断しちゃぁ世も末だな。てめぇ様はお子様にそんなことをお教えになられるんですかぁ?」
思考を読んだように適当な調子で罵ってきた。
対して、ラグトルはわざとらしく肩を軽く落として見せる。
「どう見ても学園の者とは思えない、そのような姿で登場したのだ。礼節を弁えるどんな紳士淑女だろうと、お主を怪しむだろうさ」
「だから、その学園関係者だと思えないってのも、判断材料は見た目だけではありませんか。よく聞きません? 一見怖そうだけど実は優しい近所のお兄さんとか。そういう人達がいることも忘れてはいけませんよー?」
けたけたと一人で笑い出した黒ずくめの人物。ゼウマンは構わないで黙って観察する。
風貌から分かることは少ない。声は高いものの、身体つきから女ではないと思われた。
それ以外は判断するのが難しい。
全身を黒い衣類で覆い、露出しているのは目元くらいである。首元まで布の垂れた奇妙な頭巾を被り、頭髪すら完全に隠すという徹底ぶりだ。
目元周辺の僅かな範囲から覗く肌色以外は、瞳の色までも印象と同色だ。
爪先から頭の天辺までのほとんどが黒い人間である。
「腹黒くもありますよ」
またもや思考を読んだように男が言う。
見透かすような物言いに、精神的に未熟な者は動揺するかも知れない。
しかし、老練しているゼウマンに通用することではなかった。
「その身なりを前にすれば、誰でも思いそうなことだな」
「なるほど、一理あります。いやぁ、やっぱり偉大な騎士様は凄いですねぇ」
微塵も、敬いなど伝わってこない。むしろ、その逆のものが向けてきていることが感じられる。
ゼウマンは短く言い渡す。
「下手な挑発は止めよ。意味をなさない」
「これはこれは。強い自分は、こそ泥なんぞ相手にもしないってことですか?」
「……現役は退いておる。だが、気配を絶って背後から襲う術を磨いている者を、こそ泥だと判定するほど平和ボケしたつもりはない」
ゼウマンは木の幹へ、ちらりと目を向ける。
それに、と続ける。
「意味を履き違えるな。いくら油断させようと、時間の無駄という意味だ。お主のような者に隙を見せるはずがなかろう。なぁ、黒杭よ」
黒抗。
それは評判の悪い暗殺者として――――もっとも、暗殺者の評判に良いも悪いもあったものではないかも知れないが――――伝え聞く通り名だった。
使う得物の特徴からから生まれた名である。
ゼウマンが言ったことに対する返答だとばかりに、男……黒杭は煙が薄れていくように纏う雰囲気を変えた。
「私のことを知っていましたか。そこまで有名になったつもりはないんですけどね」
「艶を殺した黒色の杭。すぐに思い出した」
「……あぁ、あなたは有名人である立場上、私みたいな仕事の人間に詳しいというわけですか」
「それもあるが、お主のやり口は聞いただけなのに嫌でも記憶にこびり付いておる」
黒杭の口が裂けるように弧を描いた。
見る者を不快にさせる、歪な笑みを浮かべていた。
「そこまで御存じでしたか! 針山、串刺し、磔……どの作品のことを聞いたのかは知りませんが、どれも私にとって自信の持てる作品ばかりです。きっと気に入っていただけたと思うのですが、いかがでしたか?」
まるで好きな物を語る子どものように、黒杭は嬉々として語る。自分が今まで手にかけてきた者達を作品だと評して。
ラグトルは静かに問う。
「作品とは、本気で言っておるのか?」
「えぇ、そうですが? どうして確認する必要があるのです。当たり前ではないですか。私は暗殺者でありながら芸術家でもあるのですよ」
「……お主にとって人とは何だ?」
「おおっと、取材ですか? 彼の偉大な騎士様自らとは至極光栄ですね。いや、それだけ私が優れているというだけの話ですか。やっと時代が私を認める時が来ましたか」
「いいから答えなさい」
「随分と強引な記者様だ。ええ、えぇ、いいですとも。私は寛大でもあります。気にせず、お答えしましょう。人とは、ずばり材料です。人は醜い存在であります。しかし、私が手を加えることで、何度も何度も丹精込めて打ち付けることで、美しいものへと昇華するですよ。そもそも、どうして私がそのことに気づいたのかというと、とある少年と少女の双子との出会いです。子どもならではの彼らの柔肌に、私の杭が突き刺さっていくことで――――」
「……もうよい」
「何ですか、まだ話の序章も終わっていませんよ?」
「いや、十分理解した……更生できるのならばと思ったが、それは無理のようだ」
自分の行いを悦に浸りながら語る黒杭を睨む。
ラグトルは断言した。
「やはり腐りきってしまっておるようだ、お主は」
「言ってくれるではありませんか。初対面の人間にはっきりと人格否定されたのは久々ですよ。…………もっとも、自分で自分が正常だとは思っていませんけどねぇ! あひゃひゃひゃっ」
黒杭は耳障りな笑い声を上げながら、下品に舌を出して唇を舐める。
言葉遣いこそ丁寧だが、端々にその醜悪さが見え隠れしていた。
ラグトルは不快感で顔を歪める。
「それで、どうしますかぁ? これでも私もこの仕事をする端くれです。依頼人については話しません。けれど、何をするつもりなのか隠すつもりはありませんがね。私がここにいるのはこの学園に住まう生徒を私の作品の一つに加えるためです」
ゼウマンを前にして対象を語ったのは、聞かれても問題ないと思っているからか。
自信の表れなのだろう。
警備部隊隊員達の誰もが強さを認める偉大な騎士すら、自分には及ばないと思っているらしい。
黒杭は本心からの言葉を発しているようだった。
「私、気づきました。あなたが警備部隊を逃がしたことで勘付いてしまいましたよ」
黒杭は自信たっぷりの様子でそんなことを言い出した。
一体何についてだろうか、という疑問はゼウマンの中で生まれなかった。相手が気づく機会はあった、と動揺ない。
その反応を虚勢だと思ったのか、黒杭は不快な笑みを深める。
こちらが黙っているのを良いことに、べらべらと語り出す。
「この学園に侵入したことで思ったことがあります。それは警備部隊が噂に違わぬ最高なものであること。そして、最高程度でしかないということ!」
最高程度でしかない。
それはどういう意味なのか。
黒杭は大きく手を広げて、自身が証拠であるかのように示す。
「私は確かに自分の隠密術に自信がある。しかし、自惚れているわけではありません。この技術に関しては、私以上に巧みな者など探せばいるでしょうし、過去には更に長けた人物がいたはずです」
黒杭は浮かべる笑みを崩さない。
「学園の警備部隊は最高ではあるが最強ではない。一流以上の技術を持つ者ならば、こうして侵入することができる。違いますか?」
自らを褒め称えるような言葉だったが、ゼウマンはあえて否定しようとは思わなかった。
それが許されるくらいには、黒ずくめの男は隙のない立ち振る舞いをしている。
つまり、彼はこう言っているのだ。
学園警備部隊は同系統の組織で一番だと肯定できるが、今まで悪人の誰もが攻略できなかったというには否定であると。
警備部隊は最高の守り手であるが、最強の守護者ではない。
暗殺を得意技とし、日常的に侵入という行為を繰り返している黒い男はそう断言した。
「もちろん、それなりに歴史を誇っているようですから、その代の人員構成で水準に変動はあったでしょう。しかし、長くやっているからこそ、変動など何度だってあったはずです。それなのにただの一度たりとも侵入を許さなかったというのは頷けません」
誰にでも攻略できないと思わせることで対犯罪者への牽制となる。
それを考えれば多少不正をしてでも保ちたいと思うはずだ。
本当は何度か侵入者を取り逃がしたが、方々に手をまわして事実を隠蔽したことがある。
あり得そうな話だ。
だからこそ、黒杭は学園の不敗神話は偽りで築かれたものだと判断したのだろう。
「けれども、あなたの登場で私は私の考えを否定しました。正確にはあなたが警備部隊を遠ざけ、私と対面する場を作ったことで理解したのです」
「……何を、と問うには白々しい、か」
ゼウマンの呟きにも構わず、黒杭は楽しげに続けた。
「学園の不敗神話は事実のものでしょう。けれどもそれは最高である警備部隊だけで築いたものではない。偉大な騎士たるあなたが彼らの穴を埋めることで成り立っている。違いますか?」
ゼウマンは答えなかった。それが肯定に繋がると分かっていながら。
自らが手を下して隊員達を痛めつけたのは、ほんの数十分前に起こった出来事だ。
二人の隊員が行ったことは見つけた気配に攻撃をしかけたというものである。
実はあの時のあれは間違っていなかった。
彼らが最初に剣を向け、魔術を放った相手はゼウマンではなく、前に立つ黒杭だったのだ。
敵を見つけた二人が攻撃を止め、近づこうとしたところで横からやって来たゼウマンが吹き飛ばしたのである。
つまり、隊員達は自分達が相手取ったのは、最初から最後までゼウマンだったと思っているが、本当は違うのだ。
途中で敵と認識していた相手は、黒杭からゼウマンに入れ替わっていたのである。
そしてゼウマンは黒杭が仕掛けて来ないのを確認しながら、二人をこの場から遠ざけたということである。
――――そうしなければ、二つの命が費えることになったのだから。
「この学園を守る彼らは最高の戦士でしょう。しかし、最強ではない。彼ら以上に強い者は世の中には結構いるでしょうし、その内の一人が私だった。だからこそ、偉大な騎士様は自ら出てきて私の前に立っている」
隊員では勝てない相手はゼウマン自ら出てきて対処する。
その推理が正しいかどうか。それは現状が全てを物語っていた。
今まで何度もあったことだった。
確かに学園の警備部隊は鍛えられている。しかし、世の中には上には上がいるのである。隊員十人ならともかく、一人、二人では勝てないような存在がやってくるのだ。
そして、今回もそういうことであったというだけである。
「隊員達では無理だと判断した相手は、自ら出てきて手を下す……」
黒杭が低く唸る。
それが笑い声だと気づくのに、ラグトルは数秒の時間を要した。
「なんですかなんですかぁー? まるで過保護な母親みてぇに、自分の部下がやらなきゃいけないことを肩代わりしていると? 何が不敗神話だ、何が最強の部隊だ、くっだらねぇ。予言してやるよ。てめぇのやり方は、いつかしっぺ返しを食らう。自らのせいで駄目にする」
ラグトルは言葉を返さない。
できる者ができることをやっているだけのこと。考え方の違いでしかないと思っているからだ。
その反応がつまらないのか、黒杭は舌打ちをする
「あーあ、しらけちまいましたよ。それで? 過保護の偉大な騎士様は、下賤なる私めに殺されて下さるということでよろしいでしょうかぁー?」
黒い暗殺者の本来の口調が掴めない物言いに、一体どういうつもりなのか測り兼ねる。
しかし、そんなことを聞くような場面でもないので、ラグトルは代わりにこう切り出した。
「お主は、噂や伝承の類を信じるか?」
「はぁ?」
黒杭は突拍子もないことを言われたせいか怪訝そうする。
ゼウマンは構わず続ける。
「お主は、最も強い存在を何だとする?」
「……それは、偉大な騎士と呼ばれた自分だと言いたいのですか? そんなの昔の話であって――――」
「お主は、正義の味方が実在すると思うか?」
質問攻め。
まともな会話とは言えないそれに、黒杭は不快そうにする。
だが、最後の質問は彼にとって、会話を続けても良いと思わせるものだったようだ。
「正義の味方…………話の流れ的に、例の国境戦争終期に現れたという与太話のことですか。なるほど、確かにあれは噂や伝承の類であり、実在するなら最強の存在だ」
黒杭は諳んじた内容を披露するように、目をつぶって指先をくるくると回す。
その姿はここが学園という場所だけに、教師から当てられた生徒のようである。
「かなりの目撃情報があるのにもかかわらず、その正体は一切不明。有力とされる話から数多の逸話まで、まとめて一致したこと……それはどんな季節、気温や天候だろうとフードのついた外套を被り、フードは必ず深々と被っているため顔は見えない。やたらと強く、回復と支援以外の魔術は上級から下級まで様々扱う。人間離れした膂力と速さ、達人並みの戦闘技術を持つ。あとは、現れる時は必ず悪人がいる場所だとか」
「詳しいではないか」
ラグトルが少し驚くと、黒杭は何処か自嘲気味に笑う。
「こんな仕事をしていると、悪を滅する存在というのに興味が湧くんですよ。昔、調べたことがありまして……もっとも、だからこそ私は存在否定派ですけどね」
「ほぉ、それは何故だ?」
「単純なことですよ。活動範囲が王国のほぼ全域ってのはありえなさすぎる。目撃情報によれば、どの場面でも一人で現れると言うことです。けれども、例え、複数人が各地で活動していたと仮定しても、それでも規模が計り知れない。個人だなんて論外だ。それに……」
「それに?」
「正義の味方様の通り名で分かるじゃないですか。複数ありますが、もっとも認識率が高いのは二つ。まず挙げられるのは『死神』。正義を執行する者には物騒な通り名ですが、そう呼びたくなる気持ちは分かりますよ。現れる先々で死を撒き散らしているんですから、そんな風にも呼ばれましょう。『正義の死神』なんて呼ぶ人もいるそうです。どうでもいいですけどね。そして、もう一つの方。あれで実在の人物じゃないことがよく分かる」
存外、黒杭は饒舌に語ってくる。
正義の味方と謳われる人物。
彼の人物は正体が掴めないため、いつしか人々の間で通り名が生まれた。
その一つが死神。
理由は黒杭の言った通りだ。
彼の人物が去った後には必ずと言って良いほど屍が存在した。
常にマントを被っていたことも命名の要因に挙げられるだろう。
死を運ぶ存在。だから、死神。安直だが連想しやすいのも確かだった。
そして、二つ目。むしろこちらの方が通称とも言える。
それは――――
「首なし」
話を引き継ぐ形でゼウマンはその名を呟いた。
人々が正体の掴めないその人物を死神になぞらえたのは、何も安直な理由だけではない。
黒杭は肩をすくめつつ話を続ける。
「これはもっとも盛んに活動していた時に、吟遊詩人達が歌っていた死神様とやらを讃える歌の一節ですが……広がる常闇から、黄金に輝く正義の光が悪を捉えている……んだとか。フードの中身がない代わりに闇があり、目に当たる部分から金色の光が輝いている、ということらしいです。……根本的に頭がないとかありえないでしょう?」
通称、首なし。
強力な魔術を操り、卓越された武術を繰り出す。
多勢の敵に一人で果敢に立ち向かい、どんな場所にでも駆けつける。
正体は分からず、顔も見えない。何処を取っても人とはかけ離れた存在。
黒杭は断言する。
そんなものは弱者が生み出した都合の良い妄想だと。
「その証拠に首なしは唐突に現れなくなります。理由は誰にも分からない。王国の治安維持部隊が遅れながら設立され、安定を見せ始めた時期に重なるので、役目を終えたから現れなくなったのだ、という人も多い。しかし、それこそ都合の良い解釈じゃないですか。私には希望と言う妄想を綺麗に保つための戯言としか思えません」
「つまり、お主は実在しないと言うんだな?」
「えぇ、というかさっきそう言ったじゃないですか。私は存在否定派だと……そもそも、どうしてこんな話をしているのでしょう……確か、警備部隊の穴を埋めるあなたを批判して、それで今から殺し合おうという話になって……」
「それなんだが、一つ訂正がある」
「はい?」
「確かに、我が学園の警備部隊では及ばぬ相手は、わしが彼らを誤魔化して内密に処理している。しかし、創立当初の一時期はそうだったが、現在に至るまでのほとんどは私ではない」
ラグトルの言ったことに、黒杭は意味が分からないと目を細める。
「一時期? ほとんどは? ……あなたではないのなら、一体誰だというのですか」
「時に、お主」
何度目かになる黒杭を無視した形の問いかけ。彼はうんざりした様子で「またか」と呟く。
ラグトルはこう続けた。
「ずっと背後を取られているが、もしかして気づいていないのか?」
この言葉に黒杭はぴくりと身体を震わせたが、しかし背後を振り返らなかった。
動揺は見られない。ラグトルはそれを意外に思ったが、その理由は直ぐに知ることとなる。
つまらないと吐き捨てるように彼は言う。
「そんな古典的な手に乗るわけがないだろうが。偉大な騎士と称えられたやつが情けなぇことをしやがって。堕ちたものだな」
黒杭の口調が再び乱れる。今までの会話から考えるに、見下す時にこのような言葉遣いになるようだ。
どうやら注意を逸らして隙を作るため、ラグトルが適当なことを言ったと思ったらしい。
確かに、気づけば長々会話をしていたとはいえ、ラグトルと黒杭は敵という関係だ。隙を作らないために、相手を視界に置いておくのは当たり前のことである。
「後ろには誰もいないと言うのだな?」
「くどいぞ。これでも私は気配を探ることに長けています。それこそ、てめぇ様が手塩に育てた警備部隊より上だって自信があります」
「では、今背後から攻撃されても、甘んじて受けると?」
「……本来、私みたいな仕事の人間は、仕事中に会話をしないんですよ。それをこうして長々と付き合ったのは、偉大な騎士と呼ばれた人物に期待していたからです。どれほどのものか、とね。……ですが、時間の無駄だったようだ。このような愚策を突きつけてくるとは思いもよりませんでした」
これ以上の会話に価値はないと判断したのだろう。
黒杭は黙ると袖の内から新たに自らの象徴とも言える黒色の杭を取り出す。
そして、独自の構えを取ったところで身体を前に投げ出した。
顔から地面に接触する。
「えっ……?」
それは横たわった黒杭の口から漏れたものだった。
不思議そうな響きがある。地面に倒れるその状態は、彼が自ら望んだのではないらしい。
しかし、それも当然だろう。
何故なら、彼の両足が壊されていたからだ。膝の部分から先があり得ない方向を向いている。
「ぎっ、がぁあああああああ!?」
獣の咆哮のような叫び声。痛みが後からやって来たようだ。
流石に叫び声を聞きつければ隊員が来るかも知れない。ゼウマンは人払いをしているとはいえ、一瞬そう思ったが周辺に魔術が展開されていることに気づく。
展開された領域内の音が外部へ一切伝わらなくなる補助魔術だ。先を予想してこれを展開した術者がやったのだろう。
ゼウマンは自分の思考が遅れていただけに、その手際の良さに対して素直に感心する。
しかし、このようなことに手慣れた様子なのは、それはそれでどうなのだろうかとも思った。
「いっだい、何がおごっだぁ……」
黒杭は不可解そうにしながらも強く睨んでくる。
叫ぶほどの痛みだったのに、会話をしようとすぐ堪えられるのは、彼が人の道から外れた世界に生きて長い証拠だろうか。
そんなことを考えながら、ゼウマンは変わらぬ調子で答えた。
「後ろにいた者が後ろからお主を攻撃した。それだけであり、わしが警告していたことではないか。何が起こったかなど疑問に思うことではないだろう」
「そん……!?」
黒杭は否定しようとしたようだが、地面に這いつくばる自分を自覚したのだろう。
頑なに背後の存在を否定していた黒杭は手をつくと、痛みを無視して強引に背後を振り返った。
誰もいない。
黒杭は数秒固まった後、騙されたと自嘲する乾いた笑い声をこぼす。
だが、それもすぐに止まった。
光が差したのだ。分厚い雲を貫き通したかのように、偶然か必然か、月明かりがゼウマンと黒杭の周辺を照らす。
最初は暗闇を見通す魔術である『暗視』のせいで、突然の光に目がおかしくなったかのようだった。
靄のようなものが見えたのだ。
周囲の小さな変化によって、状況に大きな変化が生じた。
靄のようなものがあると認識した瞬間、靄は輪郭を作り、それは人の形になっていったのである。
瞬く間に出現した。まるで、蜃気楼が実体を持ったかのように。
「なっ……」
黒杭が現れた人物を確認して目を見張る。
その人物はフードのついた鳶色のマントを身にまとっていた。
その人物はフードを目深に被っていた。
その人物は頭部がなかった。
その人物はフードの中に頭の代わりとして闇を湛えていた。
その人物は――――首なしだった。
正義の死神とも呼ばれる存在が、そこにはいた。
頭部の代わりに凝縮する闇の奥からは、金色の眼が黒杭を見つめているようだった。
「そん、な……」
黒杭の声はかすれていた。目にしたものが信じられないのだろう。
無理もない。
『――――広がる常闇から、黄金に輝く正義の光が悪を捉えている――――』
それは存在を否定していた彼自身が語った、吟遊詩人の歌の一節。
伝説とされる正義の味方の特徴だ。
強力な魔術を操って数多の敵を屠り、卓越された武術で他を圧倒する存在。
悲劇を嫌い、悲劇そのものとなる存在。
悪のあるところに現れ、悪を断ずる存在。
人を超越した何か。
巨大な川の如き「歴史」という舞台。
永久へと続くその流れのごく細部である、王国で言うところの国境防衛戦争の最終期に突如現れ、そして流星の如く姿を消した「首なし」。
正義の味方という名の英雄は、クライニアス学園の片隅で密かに再登場したのだった。
「あり得ない……!」
黒杭は目に映るものが信じられないのか、受け入れようともせずに唸る。
「どうして……どうして、こんなガキの集まるところに、首なしなんて伝説級の化け物が出て来るんだ! おかしいだろ! なんなんだよ、なんなんだよこれはぁ!?」
錯乱とも言える姿からは先程まであった余裕が窺えない。偉大な騎士と讃えられたゼウマンを前にしても、図々しいほどに保っていたのにだ。
それなのに首なしの登場によって、彼はいとも簡単に失ってしまっていた。
存在を否定すると断言していたというのに、黒杭は僅かな抵抗もなく現れた人物が首なしであると受け入れている様子だ。
それだけ異彩ともいえる存在感を放っているということだろう。
ゼウマンもぴりぴりと肌が擦れるような奇妙な感覚を覚えている。
首なしにまつわる話は伝説となっているが、遥か昔の遠い過去のことではない。
だから、ということもあるのだろう。
首なしについて調べたことがあるという黒杭は、現れた人物がいかに危険な存在であるのか理解してしまっている。
悪を滅する存在が悪人である自分の下へやって来た。
彼の脳内で暴れるのはそんな考えだろう。
「おい、クライニアス! なにを平然としてやがる! てめぇだってどうせ、あくどいことをせずに生きてきたわけじゃないだろう? ここは一旦手を組んで、この化け物から逃げ……」
丁寧な言葉遣いは見せかけで、時折見え隠れしていた荒々しい口調が素だったようだ。
黒杭は必死の形相でゼウマンへ助けをこおうとするが、その言葉が途中で止まる。
「そういえば、てめぇは、さっき……」
黒杭が何を言いたいのかゼウマンは察する。
さっき投げかけた問いかけの意味を理解し始めたようだ。
それは彼が気づいていなかったあの存在に、こちらは気づいていたということに他ならない。
あの首なしが自分を害する存在ではない、と認識しているということである。
両足に生じた激痛のために失念していたのだろう。ようやく理解したらしい彼の顔が徐々に青くなっていく。
「クライニアス、てめぇ、まさか、まさかまさか……」
黒杭の声は震えていた。
ゼウマンが言った「警備部隊とは別で学園を守る、自分ではない存在」とは、一体誰のことを指していたのか。
警備部隊では対処できない侵入者は、一体誰が処理してきたというのか。
その真相を知ったのだ。
「まさか、首なしを飼い慣らしているのか……?」
「飼い慣らすとは、お主も面白いことを言う。あれには首がないのだから、首輪などつけられないだろう?」
冗談を混ぜた返しに、黒杭の顔が引きつる。
圧倒的な状況だろう。
片や偉大な騎士と讃えられ、王国が認可する教科書に名が乗るような人物。
片や正義の死神と謳われて、公的には存在を認められていないのにもかかわらず、王国を含めて過去の戦時では敵であった帝国でも知らぬ者はいない存在。
この二人を相手にして勝負になるのか。そう思わずにはいられない状況である。
「こやつにもう用はない。処分を頼む」
ゼウマンは静かにそう言った。首なしは何も反応しなかったが、黙ったまま黒杭へと近づいていく。
さらりと言われた言葉に黒杭が目を見開く。
処分。子どもを預かる教育機関の長の口から出たとは思えないものだった。
彼の反応にゼウマンはむしろ意外だと首を捻る。
「わしは元々王国騎士の出。現在の平和な時代ではない、過酷な時代に所属していた身だぞ。まさかここで逃がすなどと甘いことを言うと思のか?」
「ま、待て、交渉しようじゃないか! こちらにはてめぇらが知らない情報がある。それを知りたくないか?」
必死に言ってくることに対してゼウマンは反応しない。
話すことはないと見せつける。
「まじかよ…………ちぃっ!」
取りつく島がないと思ったのだろう。黒杭はゼウマンに向けていた身体を首なしへ向き直し、一か八か這いつくばったまま腕を振るう。
彼の象徴たる黒い杭が数本飛び出していった。杭は正確に首なしの心臓へと迫る。
首なしはここに来ても何の反応を示さない。
彼は表情に歪んだ喜色を浮かべた。殺せたことに対する喜び。
それはすぐに失せることになった。
「嘘だろ……」
思わずもらしたかのような呟きは、黒杭の絶望そのもののようだった。
首なしは足音を全くさせずに土を踏み歩いてくる。本当に人が歩いて来ているのかと、疑問に思ってしまうような光景だ。
そして、止まらない。
黒杭が投擲した杭などなかったかのように近寄ってくるのである。
杭が逸れていったのだ。一直線に向かっていた杭が、見えない力によって進路を変えられたかのように、急激に曲がっていったのである。
まるで、杭自体が首なしを避けたかのような光景だった。
「来るな」
黒杭が再び腕を振るい、また杭が放たれるが同様の現象が起こる。
当たらない。
「……来るな」
どうやってもその歩みを止めることは叶わない。
原因は分からないまま、結果を理解させられていた。その気持ち悪さを払拭するように黒杭は繰り返す。
「来るな!」
しかし、やはり結果は変わらなかった。
真っ直ぐに放たれる杭は、途中であらぬ方向へ飛んでいく。
音もなく動きもなく現象が起こっている。それは不気味だとしか表現のしようがなかった
首なしの足が止まった。
だがそれは黒杭の願い叶ったためではない。
彼のすぐ横に、止められた足があった。
「らぁあっ!」
真横にやってきた死神に、最後の抵抗をしようとしたのだろう。黒杭は倒れ伏せたまま、いつの間にか握り締めていた杭を首なしの足首へ横から突き刺そうとする。
何かが潰れる音がした。
「いっ……ぎぃあああああああああぁ!?」
黒杭の喉から絶叫を迸る。
顔を顰めたくなるものだったが、ゼウマンはそこで止めに入るほど若くはない。
黒杭は杭を握っていた手を押さえている。
首なしがやったことは簡単だった。
狙われた足を素早く上げると、振るわれてきた杭を持つ手を上げた足で受け止めたのだ。
そして、そのまま潰した。
叩き潰したというよりは、押し潰したという表現が正しいだろう。
振り下ろす力に頼らず、純粋な膂力のみで強引に地面へ押し込み、わりかしゆっくりと踏み潰したのだ。
突如、青く光る鎖が地面から幾重も生え出て、痛みにのた打ち回る黒杭に巻きついた。
動きを完全に止めて拘束したのだ。
身じろぎ一つできなくなったのを確認すると、首なしは屈みこんで手を黒杭の首元へと運ぶ。
「やめろ、やめやがれっ!」
黒杭が喚く。喚くことしかできない。
当然それで止まるはずがなく、首はしっかりと掴まれた。
「やめっ」
僅かに紫光が瞬いた。首なしが電撃を放ったのだ。黒杭の身体がだらりと弛緩する。気絶させただけだった。
ゼウマンは処分しろと言ったが彼には依頼人についてなど、話してもらわなければならないことがある。それを言われなくとも首なしは理解しているのだ。
首なしはしばらくそのままでいたが、黒杭が演技でなく本当に気絶していることを確認した後に手を離した。
「ご苦労だった」
ゼウマンは労いの言葉をかけながら近づいてく。
顔を合わせるように頭部の辺りを見つめるが、やはりそこには闇が依然としてある。
それが『認識阻害』による効力なら、意識して見られるだけで効果はなくなり、見えるようになるはずだ。
ゼウマンにもどうなっているかは分からなかった。
首なしは何も反応を示さない。相変わらずフードの中、深い闇の中から煌めく金色を湛えているだけだ。
いつものことなので特に気分を害することはなかった。話す必要がなければ、ほとんど喋らない人物なのである。
ゼウマンは話をするため口を開く。
切り出しは第三者が聞いていれば驚愕に値するものだった。
「ついでに片づけてもらったのが長引いたが、ようやく話ができる」
そう、黒杭が聞いていれば酷く自尊心が傷つけられそうなことだが、実は彼を始末したのはついででしかなかった。
元々ゼウマンが首なしを呼び出したのに偶然重なり、黒い暗殺者が学園へとやって来たのである。
だから、話をする前に片づけた。そんなぞんざいな感覚で対処したに過ぎなかったのだ。
「お主に頼まれていた調べ事。その結果が出た」
それを聞いてようやく首なしが反応らしい反応を示した。
もっとも、僅かに顔を動かす程度のものではあるが。
「今ここで話しても良いが少し長くなる。お主にはこれからやってもらいたいことがあるので、結果をまとめた資料をお主の部屋に届けておく。こちらの勝手になるが、後で確認してもらう形で良いか?」
首なしは何も言ってこなければ、頷いたりすることもなかった。
今ここで話せと要求して来ないということは、了承を得たということだろうと判断し、ゼウマンは懐から一枚の紙を取り出す。
「ここに転移符がある。行き先はきな臭い噂のある、とある貴族が支配する領地の片隅。お主にはこれでそこに向かってもらい、噂の事実関係の調査と場合によっては具体的な証拠を掴んで来てほしい」
ゼウマンはそう話しながら懐から詳細が書かれた資料と、先に取り出した転移符とは別にもう一枚取り出す。
「こちらは詳細。そして、この二枚目の転移符は学園に転移するためのもの、つまりは帰り用だ。無論、緊急時の離脱に使っても良い……頼めるか?」
時にこうしてゼウマンは首なしに依頼し、このような仕事を頼んでいた。
そこに拘束する黒杭の仕事と大して変わらない……言ってしまえば汚れ仕事である。
無理強いはしないように選択の余地は用意しているつもりだった。しかし、毎度と同じように首なしは間を置くことなく、黙ったまま二枚の転移符と資料を受け取った。
いつも通りの様子を見て、ゼウマンは少しだけ言葉をもらす。
「本当に良いのか? 最近、お主は……」
そこまで言ってゼウマンは口を閉ざした。
結局のところ、やらせているのはゼウマン自身なのである。依頼している側に、あれこれ口にする権利はないだろう。
ゼウマンは思い直すと改めて言う。
「いつものようにお主がいない間はわしが学園を守ろう。……では、頼んだぞ。すまぬが、お主以外に頼めない」
首なしは言葉を返して来ない。
いつもならこのまま何も言わずに転移するのだが、今回は少し違った。
首なしが顔を黒杭の方へ向け、動こうとしたのだ。
ゼウマンがその意味を知る前に、何かが爆ぜる小さな音がした。
「なに?」
音がしたのは黒杭の方から。
嫌な予感を覚えながら、ゼウマンはそちらを見る。
「……やられたな」
黒杭が、息絶えていた。
左胸の辺りが赤く染まっている。
「時限式の魔導具、か。拷問対策のために自ら用意していたのか、あるいは依頼人が別の物と偽って渡していたのか……戦時に使われていた、今の時代では禁じ手である手段のはずだがな。よっぽど知られたくない情報を持っていたようだ。依頼人との面識もあったのかも知れん。惜しい情報源を失ったな」
ゼウマンは黒杭の遺体に近づき、他には何もないか調べると首なしに向き直った。
「……こやつはわしがどうにかしておくから行ってくれ。お主も日の出までには帰りたいだろうて」
ゼウマンの言葉に返事をする代わりに、動きを止めていた首なしは転移符を握り締める。
首なしを幾重もの術式陣が囲む。それから数秒の後、雷のような激しい光が各術式陣から発せられ、首なしを包み込んだ。
そして、光が薄まる頃には、かき消された様に首なしの姿はなくなっていた。
今頃、遠い地で周囲の状況を確認しているはずだ。
ゼウマンは転移の光が完全になくなるのを待ってから動き出す。
(……ここまで用意周到な侵入者。あるいは、依頼人。嫌な予感を与えてくれる)
ゼウマンは様々に物事を考える。
そうしながら一先ずこの場をどうにかするため、鍛錬中に偶然遭遇した侵入者を倒したと警備部隊へ連絡を入れるのだった。
お読みいただきありがとうございました。
2013/04/20 14:59
一部文章と誤字脱字を訂正致しました。