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第三十五話


「学園内に内通者、ですか……?」


 リーネが眉根を寄せて呟く。流石に先ほどまであった、暖かな空気はなかった。コウが語った内容にそうならざるを得なかったからだ。

 内通者。穏やかな存在ではない。

 正確には学園側にとっての内通者、という意味になるだろう。しかし、現状でコウ達の敵にもなるのだから、便宜的に姿の見えないその対象を内通者と呼称した。


「そうだ。俺が先日の校外授業で手に入れた物の内、問題となるものがあった」


 元襲撃者のルフェンドから、持って行くように言われた品などである。

 一つは校外授業の課題だった「標符(しるべふ)」。これは授業課題を完遂する条件として、学園側に提出しているので手元にはない。

 残る品は襲撃者の一人だった老魔術師を変わり果てた姿にした「謎の丸薬」。そして、校外授業のあらゆる情報が記された「資料」。

 この二つの品がコウにとって、気にかけなければならない案件となっていた。


「丸薬の方はお前でも分からない、ということだったから、伝手に頼んで調べてもらっている」


 コウは校外授業が終わってから数日後、落ち着いてから改めてリーネに例の丸薬の鑑定を依頼したのだ。しかし、良い返事を得ることはできなかった。それも当然ではある。彼女は薬草学を学び始めてから、まだ日が浅い。分からないことの方が多いのは仕方がない事だろう。


「その件はすみません、お役に立てなく……」


「いや、俺の方が無茶ぶりだったさ。どう考えても正規品じゃないだろうしな。よっぽど精通してないとあれの正体は分からないだろうよ。……ともかく、丸薬の方は一先ず置いておくとして、今一番に考えなくちゃいけないのが資料の束の方だ」


 標符を仕掛ける位置から、教師や警備部隊の配置場所まで。資料の束にはルフェンド達が独自に調べたのであろう情報もあったが、その多くは学園側が事前に用意したらしきものばかりであった。

 中にはそのまま教師用の「校外授業計画書」と見出しの資料もあったくらいだ。明らかに内部の情報が漏れ出していることの証拠である。となると、気になるのは入手経路だ。


 優秀な警備部隊が守る学園に忍び込み、痕跡を残さずに計画書などの資料を盗む。そうしてから、後日生徒を襲う。それは言葉にする以上に困難なことである。

 忍び込んだことが悟られれば、校外授業の警備が厳重、もしくは最悪中止になる。そうなる可能性が高い以上、無謀で無駄な行動だ。わざわざ行う者はいないだろう。

 そうなれば「学園には内通者がいる」という結論に辿り着く方が自然だと言えた。


(本当は当人達に聞くのが、手っ取り早かったんだろうけどな)


 胸中で呟くが、それは考えるだけ無駄なことだった。

 思い浮かべるのは元襲撃者であるルフェンド達。彼らとは正式にではないが同盟関係とまでは言えなくとも、停戦協定のようなものを結んだ。

 しかし、あの時は急いでいた以上に、考えて見れば資料の存在を知ったのは、彼らと別れた後である。

 襲撃者をやめると宣言して、元襲撃者となった岩壁のような大男と、彼を慕う優しげな雰囲気の女性を思い出しながら、コウは彼らから教えられたことを考える。


 彼らは自分達の後釜がいると言っていた。どんな理由かは知らないが、リーネを守るために命を狙うふり(、、)をしていた彼らとは違う。恐らく、本当に命を散らそうとする存在である。

 正体は不明。前任の彼らと同じく学園外にいるのか、それともすでに学園内の何処かに潜んでいるのか。どちらであるか確実な判断はできないが、内通者の存在がほぼ確定である以上、後者である可能性は決して低くない。


「だから、コウは先生達にあんな質問をしていたんですね」


 コウは顧問探しをするついでに、二つの質問をしていた。


 一つは教師になることにした動機。

 もう一つはいつから学園にいるのか。


 リーネの命を狙う新たなる刺客、もしくは情報を外へ流す内通者。二つの質問はそのどちらなのかを判断する、決定的な情報にはなり得ないだろう。けれども、知っておいて損にはならないことである。


「内通者は生徒だ、ということも十分に考えられる。けど、数が多いからな。まずは、現実的に考えて、大人である教師の方に探りを入れるわけだ」


 二つの質問を投げかけた際、教師達がどんな反応をしたのか。コウは全てしっかりと記憶している。照れるような仕草を見せてはぐらかしたり、不可解そうにあしらったりして、答えなかった教師も中にはいるが、それで黒と決めつけるにはいかないだろう。

 疑う身としては些細な所作でも瞳には怪しく映るが、それを肯定してしまえば学園中が敵だらけになる。一つだけの要素で黒、二つ程度の情報で白とは言い切れない。現段階ではじっくりとやるしかなかった。


「……あの、コウ」


「ん?」


 言い辛そうにリーネが口を開く。

 どうしたのかと先を促せば、彼女は慎重に言葉を選ぶように言った。


「お話は分かったのですが……もしも、もしもです。先生達の中に内通者がいたとしたら、コウが質問したことで相手は警戒するのでは?」


「するだろうな」


 重大なことを告発するように言ってきたことを簡単に同意した。これにはリーネもどういうことか、とばかりに目を瞬かせている。コウは同意した時と同じように、緩い調子で理由を語った。


「相手にこっち側の全員の面が割れてるのに、こっちは相手が分からないんだ。だったら、時間を稼ぐために、警戒してくれた方が良いんだよ。勝手に警戒して手を拱いてくれ、ってな」


 もちろん、やり過ぎれば相手を焦らせて、強硬手段を取らせてしまうかも知れない。それは望むことではなく、至極面倒なことだ。匙加減は間違えないようにしなければならないだろう。その点はちゃんと意識しての行動である。


「そこまで考えているんですね……」


「昔、とある人に教わったやり方なんだけどな。……こんな感じかな、俺が教師達に質問していた意味とそれに関することの話は」


 これで説明は終了だと、コウは展開していた『認識阻害』を霧散させる。


「聞けば後悔するかも知れない。……なるほど、確かにその通りかもです」


 納得したと数度頷くリーネ。不安が生まれると言ったのは、つまりはこういうことだったのだ。

 安全地帯だと思われていた学園内に、自らの命を脅かす者が紛れているかも知れない。それは日々の生活を送る上で、恐怖と隣り合わせになること。だからこそ、コウは話すことを躊躇していたのである。

 ――――しかし、敵が身近にいるかも知れないという心構えがあるかないかで、いざという時の対応がぐっと変わることも事実だ。故に、今回は本人の希望も汲み取って、結局話したのである。

 ロンとアヤに話さなかったのは、あの二人の場合、今の話を伝えると必要以上に緊張、警戒をして、日常生活に必ず影響が出るだろうことが予想されたからだった。


「やっぱり、怖くなったか?」


 気遣うように聞けば、難しい顔をしたままリーネは瞼を閉じて一つ息を吸う。

 それから、コウを真っ直ぐに見つめてきた。


「怖くない…………と言えば、嘘になると思います。アヤが、そしてコウとロンさんが傷つくかも知れない。そう考えると、怖いです」


「おいおい、自分の命が狙われることはどうした」


「それも怖いは怖いです。でも、それよりも私のせいで、誰かが傷つくことの方がもっと怖いです」


「お前な……」


 相変わらずこの少女は自分を後回しにするようだ。言葉にし難い妙な感覚が生じる。そんなコウの中で渦巻くものに気づかないで、リーネは続ける。


「でも、聞いて良かったです」


「……そうか」


「はい。だって、コウが抱えていることの一部を共有できたのですから」


 やせ我慢をしているのかは分からないが、リーネは歯を見せるようにぃーっと笑う。

コウは怪訝に思い、片眉を上げた。


「……あのな、お前はこの話を聞いた瞬間から、怯える日々を送れと言い渡されたようなもんだぞ? それなのに友人のため、何て言っていてどうするんだ」


「ごめんなさい。でも、本当に心からそう思ってしまっているから…………自分に嘘はつけないです」


「自分に、嘘はつけない?」


「はい」


 それに、と言ってリーネは――――今、この瞬間も姿の見えない何者かに、命を狙われているかも知れないと知った少女は、コウを真っ直ぐに見つめてゆっくりと笑った。


「心が休まる時がないってことはありませんよ。アヤが傍にいてくれて、ロンさんが一緒にいてくれて――――コウが隣にいてくれれば、私の心は休まるんですから」


「お前……」


 不可解な少女だ。どうしてこうも信じられるのか。忘れてはならない、彼女は学園で理不尽な仕打ちを他人から受けている。

 確かに誰も彼もが彼女が信頼する対象となっているわけではない。あくまで大丈夫だと判断した相手だけ。信じられるものを妄信的に信じているだけとも言えるのかも知れない。

 しかし、それにしたって、ここまで誰かを自分の内側に置けるだろうか。


『いつか、私に、コウの心を預けて下さい』


 ふと脳裏に浮かぶ言葉。

 いつ、誰に言われたことだったか。そんなことは一瞬も考えない。言われたあの時から、コウの中で強烈に存在感を発しているのだ、忘れるはずがない。


(俺にはまだ誰かを信じ切って、自分の全てを相手に明け渡すなんてできない)


 妄信的な信頼。

 純粋だと評価するには、その行為はあまりにも脆い。浅慮だと吐き捨てるには、その思考はあまりにも尊い。

 自分にはできないことだからこそ、肯定も否定もできない。

 だが、それもまた強さだと言えるのかも知れない。コウには少なくとも弱さだと断じることはできなかった。


「……気づけば何だかんだで、次の教師がいるとこだな」


 話している間、足は止めていなかったので、気づけば目的の場所へ近づいていた。

 リーネが言ったことに対して反応を示さなかったこと。それをどう受け取ったのかは知らないが、特に機嫌を損ねた様子もなく彼女は頷く。


「はい、行きましょう」


 こうしてコウはいろいろと考えを巡らせながら、リーネを連れ立って本格的に顧問探しを再開したのだった。






 夕暮れを迎え、薄い朱色が空から降り注ぎ、学園全体を染める。

 学園で魔導具について学んでいった生徒達が残した、魔力によって動く時計たち。その内の特に大型なものをコウは視界に捉える。そろそろ寮の門限を頭に置いて、行動する必要があると時刻は告げていた。

 暖かさと寂しさを与えてくる。そんな色を抱いた空を見て分かっていたが、もうそんな時刻だったのかと一つ息をつく。

 コウとリーネは適当なベンチに座っていた。表情は明るくない。

 結局、活動三日目にしても、良い返事をしてくれる教師を見つけ出すに至っていなかった。


「……分かっていたこととはいえ、実際にこうも成果が得られないのは堪えますね」


 リーネが疲労の色を濃くして言う。彼女の疲労は慣れないことをしているから、というのもあるが、それ以上に負担になっていることがあるからだ。

 それは教師との交渉役を務めること。不良という評価を下されているコウが話すよりも、問題を抱えていても優等生の扱いであるリーネが話をした方が良い。その方が話が円滑に進むだろうという考えの結果である。コウは横から適度に会話を助けたりするという感じだ。

 しかし、彼女は今までの環境のこともあって、親しくない相手と話をすることに、人一倍ストレスを感じているようだった。ベンチに座る姿が力なく見えるのはそのせいだ。

 これは次にやる時は体制を見直した方が良さそうだ、とコウは密かに決める。


「今日の内に見つかってくれれば良かったんだけどな」


 人気教師ことウィリアムは教師達の間で、コウ達のことが噂になっていると言っていた。学園のいろんな場所を日頃から目立つ二人が動き回ったのだ。生徒達の間でも噂が流れ始めるのは、もはや時間の問題だろう。


(……というか、既に移動中にこちらをちらちら見て来るやつとかいたしな)


 種はもう蒔かれているということだろう。明日には今日以上の生徒が奇異の目を向けてくるに違いない。


(リーネの疲労具合を考えると、これ以上ストレスの要因は増えて欲しくないが……)


 だからと言って、コウ一人で教師の下へ行くこともまずい手だったりする。

今まで気にして来なかったが、大半の教師達はコウの姿を見ると大小あれども嫌そうな反応をする。関わり合いになりたくなさそうなのが、表情や会話の端々から読み取れてしまうのだ。そういった感情を見せて来ない者は、片手で数えられるだけである。

 リーネと共に各所を巡ったこの数日は、それを如実なほどの実感として知る期間だった。


 コウは暴力を振るっているわけでもなく、生意気な態度を取っているだけだ。

だが、ロンと起こす騒ぎが、大げさなものになったのがいくつかあり、それが原因で嫌ったり、身構えたりするようになっているらしい。

 不良という評価。それは劣等生を演じる上で必要なことだと割り切り、受け止めるしかない。しかし、その結果として、リーネに無理を強いることになったのは、コウにとっても歯噛みすることだった。


(息抜きがてらに、ロン達と一度仕事を交換するか? ……いや、交渉役が正当な理由もなく代わるのはよくないな)


 考えを巡らせてみるものの、妙案と呼べる解決策は見つかりそうもない。

 結局は三度目になるこの言葉を伝えるしかない。コウは観念するしかなさそうだった。


「リーネ、今日の活動はここで終わりにしよう……悪いが、続きはまた明日にするしかない」


「……コウが謝ることじゃないですよ。これは運任せみたいなものだと、分かっていたじゃないですか。それに、これは私達四人の問題です」


 明日からは周囲から向けられてくる、不躾な目が多くなる。それをリーネも気づいているだろう。それなのに彼女は気丈にも、小さな笑みと共に答えて見せた。

 遠慮のない視線に晒され、傷つくのは彼女なのだ。仮に彼女の強がりであっても、そんな態度を見せられた以上、口を閉ざすしかない。


「じゃあ、行きましょうか。今日は少し時間もありますから、今日の内に四人で合流できるかも知れません」


 リーネが立ち上がるのを見て、すぐに腰を上げる。

 それから二人は一旦顧問探しのことは忘れようと、全く関係のない雑談しながら寮への道を歩いて行った。

 どれだけ歩いただろうか。


「ん?」


話も興に乗り、あまり時間を感じずに歩いて、気づけば互いの寮が見えてきた。というところで足を止める。


「どうかしました?」


 急に立ち止まったことで、リーネが不思議そうにするが、それには口で答えない。コウは見つけたある光景を指差すことで理由を語る。指先を辿って見る先には、一人の教師と二人の男子生徒の姿がある。

 ここは学園だ。教師と生徒が一緒にいる姿など、普通なら日常の光景過ぎて特筆するべきことなど何もない。

 視線の先は建物と建物の間を繋ぐ道、草花や立木などの遮蔽物のない空間だ。世間的に憚れることはしていない証拠だろうし、怒声などは聞こえないので言い争っているということもない。


 では、何故コウはわざわざ足を止めて注視しているのか。

 実は教師が女性だったから。

 これは半分正解。コウはそれだけだったら素通りする。

 では、二人の男子生徒が地べた、しかも丁度土ではない、道となる硬い石畳の上に正座しているからか。

 これも半分正解である。

 ――――つまり、二つを掛け合わせる完全な答えはこうだ。俯きながら正座する男子生徒二人の前で、女性教師が蔑むように見下ろしていたから、コウは足を止めたのだった。

 付け加えれば、女性でありながらスーツを着こなす教師である、ミシェル・フィナーリルだったからでもある。


「……先生、どうなさったんですか?」


 答えは一目瞭然ではあるが、コウは興味が出たので近づき、場を動かすためにあえてそう切り出す。

 誰かが近くを通っていることは気づいていたのだろう。ミシェルは声をかけられたこと自体に対する驚きはないようだ。しかし、その相手がコウだと知ると、少し片眉を上げながら口を開いた。


「見ての通りだ。訳あって、この二人に少し話を聞いている」


 この男子生徒達が何かをやらかし、説教をしていたということだろう。教師としてその内容までは、流石に言うつもりはないようである。

 少しとミシェルは言ったが、二人の男子生徒は時折、足をぴくぴくと震わせながら、虚ろな表情で項垂れている。誰がどう見てもこの状態で長時間過ごしていることが分かる姿だ。


 普通、年頃の子どもなら、叱られているとこを見られれば、恥ずかしそうにしたり、気まずそうにするだろう。しかし、この二人の男子生徒は一切そんな素振りを見せない。ミシェルの凍えるような視線と、震えあがるような威圧感を長時間浴び続けている証拠である。

 コウはそんな様子を見て同情したわけではないが、叱られる姿を見た最低限の責任として、言うだけ言ってみることにした。


「差し出がましいでしょうが、そろそろ解放してあげたらどうですか? この二人が何をしたのかは知りませんが、寮の門限が迫って来ていることですし」


「本当に差し出がましいな。教師のやることに生徒が口出しとは……しかし」


 言いながらミシェルはスーツの内側を探り、魔力を動力とする懐中時計を取り出して時刻を確認した。


「……確かに時間も時間、か。良いだろう、もう行って良いぞ」


 途端に二人の男子生徒が顔を上げて沸き立つ。


「いいんですか!?」


「うぉおお、クラーシス、ありがとう、本当にありがとう! 最近ヴァルティウスと一緒にいるの見て、面食いとか陰口言っててごめんな!」


「俺も、訓練であってもクラーシスに負けるのは恥だわ、とかひっそり言ってたけど撤回するぜ!」


 コウは真顔でミシェルに向き直る。


「先生、この二人は反省が足りないようです。厳粛なる処罰の追加を提案します」


「……この打って変わった態度に、私も少しその案を検討しているところだ」


 コウ達のやり取りを聞かされ、二人の男子生徒はこの世の終わりを知ったかのように震えあがった。


「いやぁあああああ!?」


「嘘です! 冗談です! 心にもないことです!」


「で、では、失礼しますですぅ!?」


「さようなら! お元気で!」


 痺れた足で上手く歩けないのか、二人の生徒は互いにもたれかかりながら、転がる様に去って行った。

 慌ただしい姿が完全に見えなくなるのを確認してから、リーネがおずおずと近づいて来る。コウとは違い、彼女は遠巻きに一連のことを見ていたのだ。彼女に対して男子生徒がどのような反応を示すか分からなかったが故だろう。

 隣に彼女が来た頃合いで、改めてミシェルに聞いてみる。


「さっきの二人が何をしたのかは、やっぱり教えてくれないんで?」


「一応、個人情報になるのだから当たり前だ。それで、貴様らの方は何か用か?」


「こっちは寮に戻る途中だっただけですよ。たまたま見かけたので立ち寄っただけです」


 ミシェルが鋭く横目を向けてくる。


「見世物ではないぞ?」


「だったら、堂々と外でやらないで下さいよ。この時間帯だから俺達しかいませんでしたが、あんなの注目を集めて仕方がないことだと思いますよ?」


 注目は集めてもおっかない教師が相手になるので、コウのように見かけて近づくというのは、かなり希少な事例なのだが、目に留まりやすいことであるのは間違いない。


「……なるほど、覚えておこう」


 意外にも思うほど、ミシェルは素直に頷いた。

 彼女だけではなく、叱られる生徒の方にも関係することだと思ったのだろうか。


「むしろ、今まで誰かに言われなかったことが、不思議なくらいですよ。他の先生方から何も?」


「やり過ぎないように、とは言われたことはある。が、やめろとは言われたことはない……というのは生徒に話すことではなかったな。忘れろ」


「へいへい、了解です」


 生徒の中には貴族を含め、親が富裕層の人間である者達もいる。そして、そんな富裕層の生徒に対し、叱ることを躊躇する教師がいるのだ。叱ったことでその親達から非難されることを恐れるのである。

 そうなれば、平民層の生徒を叱ることができなくなるだろう。片方を叱って、片方を叱らないという不公平が生まれるからだ。

 こうした悪循環が発生する中で、ミシェルは分け隔てなく生徒に冷眼を向ける。それはある意味貴重だということなのだろう。

 損な役割を押しつけられているという自覚があるのか、と思いながらコウは担任教師を見る。


「む? なんだ、クラーシス。言いたいことがあるなら、はっきり言え」


「別に何でもありませんよ」


 わざわざ言うことでもなかったので、コウは適当に誤魔化す。ミシェルは怪訝そうにしながらも、追求する気は起きなかったのか、背を向けて歩き出そうとする。


「……まぁ、いいだろう。特に用がないなら、私は行くぞ?」


「えぇ、それじゃあ、これで――――あ」


 リーネを連れてさっさとこの場を去ろうとしたが、頭に浮かんだことがあったので立ち止まる。


「どうかしたか?」


 言葉が途切れたのを疑問に思ったのか、ミシェルが肩越しに少し振り返る。


「すみません、ちょっと待ってください」


 ミシェルを引き留め、しまっていた紙を――――顧問候補をまとめた一覧を取り出す。

 活動を初めて三日目。まだ彼女の下を訪ねてはいない。もしかしたら可能性があるかと思ったのだ。

 リーネもコウが一覧の紙を取り出したのを見て察したらしい。横から覗きこんで一緒に名前を探している。


「……ないですね」


 リーネが残念そうに呟く。一覧の中にミシェルの名はなかった。それはつまり、他の部の顧問を引き受けているということなのだろう。

 三日間何度も一覧を見ていたので、担任教師の名を見た気はしなかったので駄目元だった。しかし、いざその結果を再確認すると僅かだが落胆する。


「やっぱり、なんでもありませんでした」


「さっきからおかしなやつだな……もしかして、最近噂になっていることと何か関係しているのか?」


(鋭いな)


 やはりこの教師は油断ならない。劣等生を演じる立場であるコウは気をつけねばならないだろう。

 しかし、ミシェルは面倒そうな態度こそ取るが、他の教師と違ってコウを邪険に扱ったりしない。担任教師だから、というのもあるかも知れないが、それ以上に性格的な部分が大きいはずだ。

 故にこちらも一方的に避ける気にもならないし、そんな彼女だからこそ、いろいろ抱えるリーネが所属する部の顧問になって欲しかったという思いもあった。

 コウはそんなことを考えながら、心情を一切表に出すことなく受け答える。


「先生も聞いてたんですか。そんなに有名ですかね」


「貴様の担任教師が誰なのかを忘れたのか?」


「……あぁ、なるほど」


 クライニアス学園では高等部二年生から選択授業になる、という特殊な授業形式を取っている。

その為、「クラス」や「担任教師」という単語は、生徒達の意識から薄れやすい。

 クラスはHR(ホームルーム)を受けるのと、行事などで人を分ける枠組み。

 担任教師はそれを受け持って連絡事項を伝える係り。

 大多数の生徒達の中で、自然とそんな捉え方になっているはずだ。間違っているわけではないが、軽い感じになっているのは否めない。

 しかし、その担任教師達当人は違う。例えば、コウ達にとってはミシェルだが、彼女は受け持ったクラスに所属する生徒達の面倒を見る必要があるし、自分のクラスの生徒が問題を起こせば、その処理を一番に求められる。

 その上、そうと定められているわけではないが、生徒が学園で生活する上で悩みを抱えた時。その際に学園側の者として第一に頼られるべきは担任教師になるだろう。


 そんな何処か一方的な関係性がある故に、コウ達が何かしているという噂が生じた時点で、彼女の耳には真っ先に届けられているに違いない。


「む……先生も、とはどういうことだ?」


 答えてから気づいたのか、ミシェルは踵を返して完全に身体を向き直す。

 少し探るような気配が伝わってくる。何か変なことを言っただろうか。コウは少し前に別れたあの逞しい人気教師を思い出す。


「ウィリアム先生に聞いたんですよ。俺達のことが先生方の間で話に上がってるって」


 特に問題ないと思って名前を出したが、ミシェルは聞き終えると露骨に溜息をつき、明後日の方角を睨み始めた。


「あの先生は……生徒に聞かせて良い話と、そうじゃない話の区別もつかないのか……」


 ぼそぼそと独り言のようだったが、人に聞かれないようにする意図はないようだ。言葉は丸々鼓膜を震わせてくる。

 理由は不明だが、怒りが伝わってくる。


 コウは考える。自分はあの人気教師に対して「普段、いきなり話しかけて来るちょっと面倒な人」程度にしか思っていない。だから、いつもなら直ぐにここから離れて、どうしてミシェルが怒るのか気にもせず、そっと合掌すれば良い。

 それがコウ・クラーシスという少年。

 だが、コウ達の活動を支援するという約束が、あの人気教師との間にあった。効果があるのかは分からないし、本当に問題となった時に庇ってくれるのかは分からない。

 しかし、今は恩という形が保たれている。

 このままにするわけにはいかなかった。まずはどうして彼女がそんな反応を返してきたのか、それを探らなければならないだろう。


「どうしていきなり怒り出すんですか? そこまで俺達(生徒)に教えてはいけない内容だとは思いませんけど」


「……生徒に話すことじゃない」


「そこをなんとか」


「くどい」


 ばっさりである。

 「王国史A」の時といい、意外な一面を見せていたミシェルだが、今は初めて出会った時のように冷たく固い様子である。

 やはり丸くなったわけではないようだ。公私を分けると言うべきか、厳しくする時は厳しくするという性格なのだろう。

 そして、その厳しくする時が今だと彼女は思っているようだ。それが、学園に住む教師、生徒を含め、多くの者が話しかけるのも躊躇するほどの人気教師が相手でもだ。

 ようやく彼女がどんな人間なのか、その片鱗を掴んだコウであるが、分かったところで今の彼女に取り付く島もないことに変わりはない。


(どうするか)


 あまり時間を空けてはあしらわれ、何処かへ行ってしまう可能性が高い。

 一先ずは適当な会話を続けて、何とか時間を稼ぐことにする。即座にそう考えたが、しかし、その必要はなかった。

 先にリーネが口を開いていたのだ。


「私からもお願いします。教えてください! どうしてウィリアム先生がフィナーリル先生に怒られなきゃいけないんですか? それが私達のせいかも知れないなら、尚更気になるんです!」


 リーネはウィリアムのことを苦手と言っていた。それなのにこうして会話に加わってくる辺り、リーネも彼がコウ達の活動を支援すると言ったことに思うところがあるようだ。

 それだけ部活というものを楽しみにしている、ということの裏返しなのかも知れない。


「別に、私はあの先生に怒ってなど……」


「いや、そんな雰囲気を発してる人が怒らないにしても、何も言わないとは思えないんですが」


 ミシェルからは先ほどいた、二人の男子生徒を叱っていた時の雰囲気に近い物が感じられる。現に彼女の言ったことに透かさず言葉を返せば、案の定、鋭い目を向けられているくらいだ。

 けれども、そんなことで怖気づくコウではない。向けられるものに立ち向かうように大きく口を開く。


「お願いします! 教えてください!」


「お願いします!」


 コウの後にリーネが続けば、ミシェルも流石に突っぱねることができないらしい。僅かではあるが、たじろいだ。

 たじろぐなんて、この教師にしては本当に珍しいことだ。そう思いながら更に言葉を被せようとコウは一歩足を踏み出す。

 しかし、答えは聞くまでもなく唐突に明かされた。ミシェルからではない。


「かっかっかっか! ミシェルちゃんは内容より、グロウルの坊が生徒に話したこと自体を問題視しとるのだよ」


「えっ?」


 リーネ驚いたように声をもらし、同時に声の方へ顔を向ける。コウも続いてそちらを見れば、ミシェルの代わりに答えた人物がこちらに足を運ぶ姿があった。


「ラグトル先生……」


 リーネが驚いたようにやってきた人物の名をもらす。

 ラグトル・ウェアノーツ。禿げあがった頭に、皺の多い肌は彼が高齢者であることを示している。小柄で少し痩せ気味に見えるが、しかし、踏み出す一歩一歩の足取りはどっしりとしている。様々な大きさの薄いローブを何枚も重ね合わせたような奇妙な服を纏い、小柄な姿から虚弱さは一切窺えなかった。

 肉体としての衰えは感じても、身体の中心に一本の鋼の棒が入っているような、強い芯があることを思わせる剛健な気風を漂わせる老人である。

 支援魔術の扱う才を持つので、リーネにとっては支援魔術に関する授業で接することの多い人物であり、コウにとっては王国史を担当する教師として見知った相手だ。

 古兵を思わせる老成した気迫がありながら、老齢さを思わせる博識な一面を持っているので、学園ではどの教師達からも一目置かれる存在である。


「かっかっ! ミシェルちゃんを探すため、逃げて来る男子生徒が来た方を冗談半分で探してみれば、本当に見つけることができた。しかも、おまけつきか。リーネちゃんにミシェルちゃんとは、両手に花じゃないかコウよ。わしにどっちかよこせ!」


 ただし、豪快に笑いながらとんでもないことを言う老人である。

 ラグトルは「学園の生徒は全員が自分の孫みたいなものだ!」と言って、本人達の意志に関係なく名前で呼ぶ。

 コウはその型破りさを再確認しつつ、笑みに呆れを混ぜながらやんわりと断る。


「どっちもやらんから。そもそも俺のじゃないし、物じゃないんだからな。それより、話をしたこと自体を問題視してるって、どういうことだよじーさん」


「なんだ、どちらにも手を出してないのか。へたれだな、コウは」


「そこだけ拾うなし。質問に答えてくれないとリーネが泣くぞ」


 本人の意思を無視する適当な脅迫をするが、ラグトルは簡単に笑い飛ばす。


「かっかっかっ! お前は本当に口がよく回る。こいつはこう言っているが、リーネちゃんはどうかね?」


 会話の応酬の中に自分の名が出た時点で、目を白黒させていたリーネだったが、ラグトルに改めて訊ねられれば困り顔を作る。

 だが、コウが目で合図を送れば、数秒ほど思案顔を作った後に、思い切りよく言った。


「わ、私、答えてくれないと泣いちゃいます!」


「……ほぉー」


 ここで何故かラグトルは感心した様子である。

 自分の発言はやっぱり問題があるのかと、リーネが慌て始める前に彼は口を大きく開けて笑い始めた。


「なるほど、なるほど。かっかっかっかっ! リーネちゃんが最近元気になった理由が分かった。腕白なコウの影響だったら、大人しいリーネちゃんでも元気にならざるを得ないわな」


 一人で納得するラグトルを見据えて、コウは彼の発言について考えるが、そちらは問うようなことでもないかと最初に聞いた方を優先する。


「なんかいろいろと言いたいことはあるが、まずは質問に答えろよじーさん」


「おうおう、悪かったな。そうさな、ミシェルちゃんが問題視する理由な」


 そこでラグトルはちらりとミシェルを見る。顔色を窺うというよりは、反応を確認するという感じである。

 目が合った彼女は「当然分かっていらっしゃいますよね? 生徒相手ですからね?」とばかりに睨みを利かせている。


「当然、分かっていらっしゃいますよね?」


 いや、実際口に出して言っていた。

 一応、口調こそは丁寧だが、意にそぐわぬことを言えば噛みつこうというのが目に見える姿勢である。


「コウ」


「あん? なんだよじーさん」


「男には決断しなければいけない時がある」


「……そんな重大な場面だとは思わないが。まぁ、聞こうじゃないか」


「それはな――――美少女を取るか、美女を取るか、という……」


「あ、もう聞く気ないんで、早く聞いたこと答えるかどうか決めてな?」


 コウの中で興味が一瞬で弾け飛んだ。


「リーネちゃんの泣いちゃいます脅迫(お願い)を受けるか、ミシェルちゃんのどうなるか分かってますよね脅迫(お願い)を受けるか。結構、悩んじゃうものよ」


「そこは俺からもという付加価値がある、リーネを選ぼうぜ」


「ふん、お前の価値などゴミと一緒よ。むしろ、リーネちゃんと一緒にいるだけで、彼女の価値が下がると思え!」


「びっくりするわ。いくら古参とは言え、あんたみたいのが教師をやっているという事実に」


 そんなやり取りをしていると、酷く面倒臭そうにミシェルが口を挟んでくる。


「ラグトル先生。生徒に聞かせる話ではないのですから、答えは出ているはずです」


「ミシェルちゃんがグロウルの坊が言ったのを問題視するのは、教師の沽券にかかわると思っているからよ。まったく、俺から言わせれば頭が固いと言わざるを得ないな」


「ラグトル先生!?」


 さらっと理由を話してしまったラグトルに、ミシェルは悲鳴のように怒鳴るが、彼は素知らぬ顔で受け流す。右の耳から入って、左の耳から言葉が抜けていく。そんな光景である。


「そんな理由なら、さっさっと言ってしまえば良かったのに」


「ミシェルちゃんからすれば、教師というものはもっと厳格なものであるべきだと思っているのだろう。素の方はそこまで堅物じゃないのに、教師状態の時は本当に融通が利かないやつよ」


 それはあんたがそんな態度だからじゃないのか。コウはそんな気がしてならなかったが、どんどん言ってくれた方が都合はいいのでわざわざ指摘したりはしない。


「だから、生徒に歩み寄り過ぎるグロウル先生は気に入らない、と?」


「気に入らないとは言わないが、少しは考えていただきたいと思っている……って、これこそ生徒に言うことじゃない! クラーシス、忘れろ。今、私が言ったことは忘れろ!」


(あれ、取り乱すこの人をいじるの面白くね?)


 見ればラグトルがにやにやと笑っている。こうなると知っていてやっているのが良く分かる、とても人の悪い笑みだ。


「コウ、なんかいじめっ子みたいな顔してますよ」


「おっと」


 リーネから小声で指摘を受けて表情を引き締める。どうやらラグトルと同様のものが顔に浮かんでいたらしい。ミシェルにとって目上に当たるラグトルはともかく、コウがそんな笑みを浮かべていると知られれば、どんな報復を受けるか分かったものじゃない。

 横に立つ少女の指摘から続けざま向けられてくる、何とも言葉に難い視線を受け止めつつ、思ったことを聞いてみる。


「フィナーリル先生が怒る理由は分かった。ところで、じーさん。あんたは何しに来たんだ? 我らが担任様を探していたみたいだけど」


「おぉ、そうだった。ちょいと授業のことに関して打ち合わせがあるんだった」


「打ち合わせ、ですか?」


 リーネが不思議そうにするのは無理もない。ミシェルが担当する教科は主に攻撃魔術であるのに対し、ラグトルが主に教えるのは支援魔術だ。

 ラグトルは王国史の授業を教えているが、それを含めて考えても、基本的に教える内容が違う二人の接点は薄いはずである。

 コウは王国史の授業の際には深く考えなかったが、こうしてみると少し気になることだった。


「そういえばちょっと疑問だったんだけど、どうしてじーさんの授業の代行をフィナーリル先生がやってたんだ? 別に誰でも良かったのかも知れないけど、あえて先生だった意味とかあったり?」


 コウがそう聞けば、ミシェルはラグトルに意味ありげな目線を送る。こればかりは分かっていますよね、といった感じを思わせる。

 老教師は当然分かっているとばかりに、大きく頷いて見せて彼女の安堵を誘ってから教えてくれる。


「実は、ミシェルちゃんが先日の校外授業で勝手な行動を取った罰として、しばらく熟練の教師である俺の下で指導を受けているのよ」


「……ラグトル先生」


 どうして言うのかとばかりに、ミシェルが頭痛を堪えるようにこめかみに手を添える。

その姿から察するに、ラグトルが言っていることは本当らしい。

 今更ながら真偽の判別のしかたが酷いことになっていると思うコウの横で、リーネが顔全体で驚きを表しながら先を促す。


「勝手な行動って、私達を助けるために一人で森林に入ったことですよね? それって褒められることではあっても、咎められるようなことじゃないと思うんですが……現に私、助けてもらいましたし」


 リーネは校外学習が終わってすぐに言っていたが、改めて感謝を伝えるかのように目を向ける。それにミシェルは何処か気まずそうに目を背ける。

 そんな純粋な彼女に対し、コウは理由を説明しようと口を開きかけ、すぐに噤んだ。

 コウもまた、曲がりなりにもミシェルに助けられた形なのだ。それなのに彼女の失態を語るのは、憚れる行為だと思ったのである。


「……生徒を助けるため、単身で危険の中に飛び込んで行く。確かにそれは恰好が良いことさ」


 それを察してかは分からないが、ラグトルは少し言葉を溜めてから語る。


「けど、あそこにいた他の教師、警備部隊の連中はみんなそれをやらなかった。どうしてか。勇気がなかったから? 実力がなかったから? お前達生徒なんてどうでも良かったから?」


 謎かけをするかのような口調だったが、ラグトルは誰かが何かを言う前に先を口にする。


「違うな。みんな我慢したのさ。未知なる事態、予想不可な先。それらに考えなしに飛び込んで、失敗すれば第二の要救助者が生まれるかも知れないし、生徒達が更に危険な状況に追い込まれる可能性すらあった」


 それなのにミシェルは一人で森へと入り込んだ。

ラグトルの口調は淡々としたものだが、どうしてか責めているように聞こえてしまう。

 彼女なりに何か策があったかも知れないし、彼女を突き動かした情動はそれだけ激しいものだったのかも知れない。

 結果だけを見れば、事態を好転させた上に生徒の危機を救ったということになる。褒められることだろう。

 だが、集団に属する者として、ましてはその規範となるべき教師という立場の者として、その行動はあまりにも稚拙だったと評するしかない。

 だからこそ、彼女は罰を言い渡されたのだろう。


「ま、悪事を働こうとしたわけでもないし、幸いにも多くの教師はミシェルちゃんに同情的だったからな。自分が担任として受け持つお前らだったし。本来ならもうちょい重めの罰が言い渡されるところを、俺と言う経験ある教師の指導を受けるという形で処分が下ったわけだ」


「それでじーさんは指導を任されたのを良いことに、フィナーリル先生をこき使っているわけだ」


「かっかっかっか!」


「いや、そこは高笑いしないで否定しろよ」


 とんでもないじーさんだと思いながら、コウは話を聞いていろいろ得心したと内心呟く。

 ロンから件のことでミシェルが叱られたらしいことは聞いていたが、まさかこのような形で話が繋がるとは思っていなかった。

 リーネの様子を窺う。表情に少し陰りが見えた。その変化はコウしか気づいていないようだ。

 どうせ気にしているのだろうなとコウは思った。間接的にではあるが、彼女の抱えていることでミシェルが罰を負ったのだ。今ここで話せることではないので、すぐにはできないが後で言い含めた方が良さそうである。

 とりあえずは会話に意識を向ける。


「ん? ちなみにじーさんがここのところ忙しそうにしているのは?」


「お前らが行った校外学習のことで、ちょいと妙なところがあったから、ゼウマンのやつから相談を持ちかけられてな。おおっと、流石にその内容まではコウと俺の仲でも教えられないな!」


「あんたとそんな仲になった覚えはないんだが」


 ラグトルの口からゼウマン・クライニアス、つまりは学園長の話が出ることは不思議なことではない。彼が学園長から最初に教師を頼まれた人物なのは有名な話だし、彼が学園長と古くからの友人であることもよく知られる話だ。

 どのみち話してこないだろうことは分かっていた。しかし、彼が隠した内容は大よそ検討がつくことだった。

 謎の丸薬を使った魔物使いのことといった、学園にコウが教えなかったことだろう。

 流石に魔力の消費によって枯れた遺体が、魔物使いだと気づくことはないだろうが、一連の事件に関係すると見て調査しているに違いない。

 その一環としてラグトルが忙しくしていることは簡単に推測できることだ。


「全く、ゼウマンのやつも人使いが荒い。老人にする仕打ちじゃないだろうに」


 ちなみにこの時点でミシェルはラグトルが、生徒にいろいろ教えることを諦めたようだ。あとでどのように責めるか、という方向性に思考を切り替えたのだろう。彼を見る彼女の目は猟犬のそれだ。


「いや、じーさんもじじいも歳変わらん、というかあっちの方が歳は上じゃね?」


 どうでもいいがコウはラグトルをじーさん、ゼウマンをじじいと呼んでいた。

どちらも同じでも良かったが感覚的なものである。


「ふん、うるさい。なんなら、お前手伝うか? 仕事の内容は教えられんから、何のことをやらされているのか分からないまま、雑用をやらされる恐怖を教えてやろう」


「また地味な恐怖だな。こっちはこっちでやることがあって忙しいんだ。勘弁してくれ」


 何となしに言ったことだったが、それに対してラグトルが手のひらをこぶしでぽんと叩いた。


「おぉ、そういえばお前ら、部活を立ち上げるために顧問を探しているとか」


「本当に話が回ってるんだな。あ、そうだ。じーさんにも聞こうと思ってたんだよ。顧問引き受けてくんね?」


 至極軽い調子で頼むが、実の所コウ達にとっての大本命である。

 何処の顧問もしていない上に、部員となる自分達との相性を考えると適任なのだ。

 これは顧問探しの初期の段階からコウ達四人の中で話していたことなので、隣のリーネは唐突に言ったことに驚いた後に、緊張した面持ちである。

 そんなこちらの心境など知らないラグトルだが、一間置いて思案したことを窺わせながら答えた。


「それが人にものを頼む態度かよ。まぁ、お前がいることを差し引いても、リーネちゃんがいる部活の顧問になって、手取り足取りムフフと教えることに興味はある」


「一部気になる表現があったが、この際目を瞑ろう!」


「コウ!?」


 途端にリーネが袖を掴んでくるが、コウは彼女の耳に顔を寄せるとそっと囁く。


「安心しろ。書類上だけ顧問にさせちまえば、あとは用済みだからな。お前には指一本ふれさせないし、仮に触ったらその部分を削ぐ」


「ひゃ! ふ、ふふっ……」


 過激なことを囁いたが、幸いと言うべきかリーネは耳に吐息がかかってくすぐたかった方に気を取られ、聞こえなかった模様だ。

 そんな二人の姿にラグトルは反応する。


「なに甘酸っぱいこといきなりしてるんだ! 俺も若い娘と戯れたい!」


「後半本音がただ洩れじゃねぇか……見た目は完全にじーさんなのに、言ってる事はロンに等しいからな。ある意味尊敬するわ」


「気持ちはまだまだ若いつもりだからな。……しかし、身体はどうしてもついてこないものよ」


 何処か自嘲気味に言葉をこぼすラグトルに、顧問が決まりそうだと思っていたコウは嫌な予感を覚える。

 そして、その予感は的中してしまう。


「折角の誘いだけどな、歳も歳だ。自分じゃ認めたくないが、若いお前らについていけると思えない程度には、衰えを自覚しちまっている」


「……無理か?」


 コウがそっと聞けば、ラグトルは軟らかく口の端を上げる。


「ここで強引に話を進めようとしないところが、お前さんの良いところよ。もう一人の悪がき、ロンのやつなら何とかしようとするんだろう。その点、お前さんは大人だよ、コウ」


「…………そうか」


 遠回しに断られたことを悟り、コウは僅かに目を伏せる。

 ラグトルは型破りなほどに勢いのある人物だが、どうも前に出過ぎないようにするところがある。若者に先を譲り、自分は一歩下がったところで見守ろうとするところがあるのだ。

 前々からそんな風に彼を評価していたこともあって、コウはしつこく迫らずに引き下がった。

 コウが強く出ないことに何か感じ取ったのだろう。リーネも無理強いせずに諦めの言葉を口にする。


「残念です……ラグトル先生が顧問をしてくだされば、楽しい部活になったでしょうに……」


「リーネちゃんみたいな美少女にそう言ってもらえるのは、大変光栄なことだよ。けど、歳には勝てなくてなぁ」


「……美少女なんて、そんなことないですよ」


 さっきも言われていたが、直接言われるとどう反応したらいいのか分からないらしい。リーネが反応に困っている様子の中で、ラグトルは続けていった。


「なんだったら、ミシェルちゃんに頼めばいい。確か、お前さんどこの顧問もやっていないだろう?」


 後半はミシェルに向けての言葉らしい。


「……またそんな」


 ミシェルが勝手なことを言わないでほしいと、ラグトルを睨んでいるがコウはそれどころではない。

 聞き逃せないことがあった。


「えっ、フィナーリル先生ってどの部の顧問もやっていないんですか?」


 ついさっき確認したばかりなのだ。ロンが用意した顧問候補の一覧に彼女の名前はなかった。

情報の食い違い。

 コウは顔には出さないものの、どういうことだと困惑が広がる脳内を一度止める。

 まずは正しい情報を得ることから始めるべきだろう。ミシェルとラグトルの会話に耳を傾けて問題解決に努める。


「かっかっ! ミシェルちゃんはおっかないからな。怖がって生徒があまり近寄って来ないってわけよ。本当は興味があるはずなんだけどな。学生時代に自分も部活に参加していたくらいだし」


 話を聞く感じだと、どうやらミシェルは学園の卒業生であり、しかも部活をしていたらしい。

 コウは率直に感想を口にする。


「前半部分は納得だけど、後半部分は意外だな。というか、先生がそうだったって時点で驚きだわ」


「意外でも何でもないだろうて。学園の教師の大半は学園卒業者とか、マグナージ家が運営する修練院の出身者とかだしよ。全く有名所と関係がないやつもいるが、教師は高確率でどっちかに関係してるんだからな」


 教育機関として有名な学園なのだ。そこで生徒に物事を教える教師が無能であるはずがなく、そして有能な人物と言うのは大体がしっかりとした教育を受けている。

 故に極論を言ってしまえば、魔術関連の教師は学園の卒業生であり、武術関連の教師は学園卒業生、または修練院の出身者なのである。

 ラグトルの言う通り、学園と修練院とは関係ない人生を送りながらも、有能だと判断されて学園で教師をやる者もいるが、基本的にはどちらかに関係していると思うのが普通だった。


「いや、俺が意外だと言ったのは、先生みたいな攻撃的な性格の持ち主が、よく部活に参加できたなって意味で何でもありません」


 氷柱でも投げつけられたのかと錯覚する視線を受けながら、コウは話を変える。


「……フィナーリル先生の学生時代ですか。何か想像できないですね」


「クラーシス、それはあれか。私が歳を食い過ぎて若い姿など想像できないって意味か? あぁ?」


「歳食うって、まだ全然若いでしょうに……急に態度変わり過ぎでしょ。生徒に対してドスを効かせすぎ」


「コウ……これはコウが悪いです……」


 まさかのリーネからの追撃。女性に年齢の話題を振るのはいつだって禁忌なのだと、身を持って痛感する思いである。

 コウが両手を挙げて降参の意を伝えるまで、二人から責め立てる気配は消えることはなかった。


「かっかっかっかっ! コウは大人だと言ったことは撤回するかな。お前さんはまだ肝心なところがお子様だよ……ミシェルちゃんの学生時代か、懐かしいねぇ」


「あれ、じーさん知ってるのか?」


「知ってるも何も、担任も受け持ったことだってある上に、ミシェルちゃんが所属する部の顧問もやったって話よ」


「……おぉう」


 何気なしに言われたことに驚く。

 これは意外な繋がりである。てっきり年配の教師と若い教師の組み合わせ程度にしか思っていなかったが、想像していた以上に二人の付き合いは長いらしい。

 改めてラグトルが教師の中でも、特に古参であることを再認識させられる瞬間である。


「今のミシェルちゃんは完全完璧に美人系となっているが、学生の頃は美人な雰囲気の中にあどけない少女のような可憐さが含まれていてな」


「あの、ラグトル先生。生徒の前でそのようなことを言うのは……」


 殆ど無表情に近い顔なのに、何となく恥らっているように見えるのは気のせいではないだろう。

 付き合いの長いラグトルだからこそ、ミシェルをそんな風にできるのだ。コウは妙な所で感心してしまう。


「昔から真面目だったが、今ほどまで尖ってなくてな。冷たいことは言ってるんだが、まだ耐えられる者が多くて、ミシェルちゃんに罵ってもらおうと毎日人が集まっていたものだったよ」


「あの、先生、そろそろ」


「かっかっ! あの頃は俺も若かったし、学生であるミシェルちゃんに惚けることもあったさ」


「先生、ご冗談が……」


「いやぁ、抱きたかった」


「死んで下さい」


 何処まで本気なのか分からない教師達のやり取りを聞きながら、一つコウは引っ掛かりを覚える。

 美人で、可憐、そして罵ってもらう。

 ――――最近聞いた、それこそコウも口にしたような単語の連なりである。


「……ラグトル先生」


「お、なんだコウ。あ、流石に今はミシェルちゃんに対して、不埒なことは思っていないぞ? ミシェルちゃん隙がなくなったし、俺も禿げる程度には老いたし」


「むしろ、昔であっても教え子に劣情を抱いたことにびっくりだっての。フィナーリル先生、ガチで引いてるじゃん。付き合い長くて恩師って言えなくもない人物の嫌な本音を聞いて、態度を決めかねてるじゃん……聞きたいことはそうじゃなくて」


 実際はつっこみたいことは山ほどあったが、今はまず聞くべきことがあった。


「フィナーリル先生って、学生時代は部活に所属してたんだよな?」


「そうだな。ってか、何で本人が目の前にいるのに、俺に聞く?」


「ただでさえ普通に聞いても教えてくれなさそうなのに、今はあんたの暴露のせいでまともな精神状態じゃなさそうだからだよ」


 コウがこの話題を切り出した時点で、阻止してきそうなものなのに、虚ろな瞳で遠くを見つめて何もしてこないのが、その証拠である。


「なるほど、お前さんの言う通りかもしれん」


「何でそれをやった当人がどっしり構えてるのか理解できねぇ。……まぁ、それは置いといて、フィナーリル先生はもしかして部長をやっていたんじゃないか?」


「お、よく分かったな」


「それでフィナーリル先生が部長をやっていた時、先生を部長先輩と呼んで慕う、少しはっちゃっけた(、、、、、、、)部員がいた」


「おぉ、それもよく分かったな。何だ、知り合いに当時の部員がいるのか?」


 ラグトルが目を見張って驚いている。

 これは確定だろう。というより、これで違ったらあんな広告を出していた部と同類のものが他にあったことになる。

 それは何とも恐ろしいなと思いながら、コウは答え合わせも兼ねてミシェルに向き直る。

 息を吸い、一気に言う。


「学園不思議調査部。活動内容、学園に存在するありとあらゆる不思議、謎を解明すること。今なら、美人で可憐な部長先輩に罵ってもらえます! お触りは厳禁! ただし、誠意次第で相談受付!」


 早口に捲し立てれば、人によっては新しい魔術の呪文にも聞こえそうである。幸いにもと言うべきか、何処ともわからぬ方角を見つめていたミシェルの肩が震えたのは、決して見間違いではないだろう。

 ゆっくりと、直視したくないものを無理やり視界に収めるかのように、ゆっくりと担任教師はコウに目を向けた。


「やっぱり、この罵ってくれる美人で可憐な部長先輩って、フィナーリル先生のことだったんですね」


「……貴様、何処でそれを知った」


 質問に対して質問が返ってくる。しかし、それは肯定しているのと同じこと。ミシェルも承知の上で聞いて来ているに違いない。

 どうやら彼女は当時、学園不思議調査部というけったいな部に所属していて、コウ達の先輩に当たるどころか、部長まで務めていたらしい。


「資料室に当時の部活勧誘の広告が残っていたんですよ」


「……あれがわざわざ保存されていたというのか」


 夕暮れで優しい色に染まる空を仰ぎ見て、ミシェルは手のひらで顔を覆う。そのため、どんな感情が彼女の下に訪れているのかは分からない。


「学生時代のミシェルちゃんは凄かったってもんよ。学園不思議調査部……通称、調査部と呼ばれていたが、調査部は問題児の巣窟だと言われていてな。当時の教員達に睨まれてて、いつも行動一つ警戒されていたよなぁ。顧問だった俺としては、暴れる度に庇うのが大変だったってもんよ」


 そんな状態なのにラグトルは無遠慮なくらい説明するが、彼女は体制を崩さぬまま言葉を返す。


「……さらっと嘘つかないで下さい。ラグトル先生も他の連中と一緒になって、悪ふざけしていたじゃないですか。庇うための事後処理も何もかもも、やったのは全部私です」


「かっかっかっ! そうだったかな?」


「適当ですね。……全く、あんな苦労、もうごめんですよ」


 そんなやり取りを横で見ていて、どう声をかければいいのか迷うところであるが、これは絶好の機会である。

 復活させようとしているコウ達にしても、どんな部なのかよく分かっていない部のことを、ミシェルはよく知っているらしく、しかもラグトル曰く現在何処の部の顧問もやっていないらしいのだ。

 彼女は間違いなくラグトルと同じくらい顧問を頼むのに適した人物だろう。


(けどなぁ)


 まさに打って付けの相手ではあるが、コウとしては気になることがあった。

 それはミシェルがただ威圧感を振りまくだけの教師ではないという点だ。例の一覧に名が載っていないのを確認した際にも思ったことである。

 富裕層の親を持つ生徒達の言いがかりをいとも簡単に跳ね除けたりと、頭の回転が速く、切れ者であるというのがコウの彼女に対する印象だ。


 コウとリーネは秘密を抱えて学園生活を送る生徒である。秘密を隠す上で重要となってくるのは、その秘密を知る人間をいかに少なくするかである。

 顧問に迎えることはそのまま秘密を知らせる、ということにはならない。しかし、友人になるのと同等だと言うのは大げさにしても、親しい間柄になることは間違いない。

 それは秘密に近づけさせることになり、隠し事を知られる可能性が大きくなるということだろう。


 コウとしてはそれらの点を考えれば迷うところである。秘密を取るか、顧問を取るか。それにリーネの方にも考えだってあるはずだ。

 ちらりと横目に彼女を見る。それで意図が伝わったのかも知れない、一瞬視線が交差した後に彼女は口を開いた。


「フィナーリル先生、私達が立ち上げる部の顧問になってはいただけませんか?」


 率直な言葉だ。

たが、一言一句をはっきりと音にするように発せられた言葉たちには、重みがあって真剣さが包まれている。

 まさか言い切るとは思っていなかった。コウが思ったことと同様のことをリーネも考えたはずだ。

 その上で、彼女はミシェルに頼んだのだ。心なしか、この三日間で一番感情がこめられた申し入れだったようにも思える。

 空を仰いだ状態で聞かされたはずだが、言葉にこめられた思いは伝わったようだ。ミシェルが顔をこちらに向けてくる。日頃、大胆不敵な姿が目立つ、担任教師は苦々しい表情を顔いっぱいに浮かべていた。


「ヴァルティウス。ラグトル先生とやり取りで、私が……調査部に対して良い感情を持っていないと気づかなかったのか?」


「それは感じました」


「なら……」


 答えは分かっているだろうと、言外に匂わせてくる。

 だが、リーネは真っ直ぐに見つめたまま表情を変えない。


「けど、先生は懐かしさも抱いていたように見えました」


「懐かしさ、だと……?」


「はい。本当に嫌なだけだったら、懐かしいだなんて思わないですよね?」


「…………いや、待て、どうしてお前はそう断定的に話を進める」


 いつも相手を責める姿を見ることが多いだけに、困惑するミシェルの姿はなかなか珍しい。

 いきなり本人も気づいていないかったことを言い当てられて、思考が止まるの超分かるわー。と適当なことを思いながらコウは横から口を挟む。


「間が空いたのは咄嗟に反論が出てこなかったからですか?」


「黙れクラーシス。氷漬けにするぞ」


「……なんか先生の素が見えてきた気がします」


「なんだと貴様」


(……まぁ、ある程度は腹を括らないといけないことだしな)


 リーネがどういう結論に至ったのかは知らないが、コウとしてはもう覚悟を決めるしかないと思うしかなかった。

 秘密を抱えながら人を近づけさせるという覚悟だ。

 何度か懸念が頭の中でちらついたが、そもそも部活を立ち上げるという話が持ちかけられた時点で、予想していた展開ではあるのだ。

 ここで腹を括ることができないなら、部活立ち上げを反対するか、部活に参加しなければ良い。

 部活をすることを選んでしまった以上、こうするしかないだろう。

 むしろ、誰かしら教師を選ばなければならない以上、人格的に悪ではないミシェルに頼むのは良い決断ではある。

 リーネがそこら辺のことを考えているのかは分からないが、少なくともミシェルに顧問を頼むことのを反対する気にはならなかった。


 そんなこんなでコウも加わって、ミシェルに頼み込んでみるが、彼女はなかなか首を縦に振らない。


「貴様ら、しつこいぞ。好い加減、学生は寮の門限が迫っているだろう。帰れ」


「時間が迫っているからこそ、承諾して下さいよ。もう、ここまで来たらフィナーリル先生に引き受けてもらえるまで諦めません。俺はそう決心しました!」


「傍迷惑な決心だな!? そんな決心など捨ててしまえ!」


「先生、どうして駄目なんですか?」


 リーネが胸の前で手を組み、まるで祈りでも捧げるような仕草でミシェルをじっと見つめる。

 それを少しの間、見つめ返したミシェルだったが、そっと目を逸らすと大きく息をついた。


「ヴァルティウス……貴様はもう少し聞き分けの良い生徒だと思っていたんだがな。……クラーシスか? クラーシスの影響を受けたりとかしているのか?」


「そんな人を悪い虫みたいに……いや、先生、リーネは元から結構頑固なところがありますよ。俺、関係ない。そうやって、レッテルで判断するの、大人の、良くないところ、デスヨ」


「なんで途中から中途半端に片言なんだ! ラグトル先生も見てないで何か言ってやって下さい!」


 ミシェルが助けを求めると、そこまで見ているだけだった老教師は考える素振りを見せる。しかし、そもそもこの流れを作り出したのが彼なのだ。

 もちろん、ここで助けようとするはずがなく、


「いいじゃんミシェルちゃん、やっちゃえやっちぁえ」


「そんな軽く引き受けることではないです! それに、彼らなりに真剣にやろうとしているのに、教師として若輩者の私が顧問など……」


「かっー! 本当にミシェルちゃん真面目! というか頭が固い! 堅物!」


 ラグトルは呆れていますというのを表すように、大きな動作で肩をすくめて見せつける。ミシェルは好きにしろと言わんばかりにすまし顔であるが、それが逆に感情を沈めて反応を示さないようにしている風でもあった。

 助けに入らないでくれたのはありがたいが、このままでは担任教師様の機嫌が悪くなる一方だと考え、コウは割り込むように会話へ加わる。


「引き受けるかどうかは置いといて、一つ確認しておきたいのですが、フィナーリル先生は何処の顧問もやっていないんですよね?」


「……そうだが、私は引き受けないぞ」


「そう突っぱねないで下さいよ。断るなら断るなりにその理由を話してもらえないと、こっちも納得して引き下がることができないじゃないですか」


「ダメはダメでいいだろう。別に教師が抱える理由など、生徒が知る必要はない」


「でも、他の先生方は理由をちゃんと話してくれましたよ?」


 ぴくりとリーネが顔を向けてくる。


「えっ、そうで……」


 ちらりと見る。目と目が合う。視線が絡む。

 二度、三度と瞬きをした後に、リーネは言葉を続けた。


「……したね、はい。先生、教えてください!」


「おい、今、明らかに不自然だったろう」


「何を仰いますか先生。そんなことがあるわけないじゃないですか! さぁ、他の先生方は言ってい(、、、、、、、、、、)たのですから(、、、、、、)、先生も教えてくださいよ!」


 一部強調。ちなみに、どうも大多数の教師に嫌われているらしいコウが、頼む側にいるせいか、この三日間でぞんざいなあしらわれ方をされたのは、珍しい体験ではなかった。酷い時は一言も言葉を交わすこともなかったこともある。

 しかし、それはこの状況下でそれは過ぎたことであり、忘れるべきとされた話であった。


「くっ……!」


 ミシェルが唸る。権威や金銭の脅威や魅惑になびかず、あくまで公平性を重んじる彼女だ。この言い方に抗えるはずがない。

 この場合において、「他の教師がやっていることを自分だけがやらないという」選択肢を彼女は選ぶことができないのだ。


 しばしの沈黙。遠方では太陽が地平線に近づき、立ち並ぶ数多くの店や施設に隠されてその姿は直接見えず、既にその暖かな灯のような光が確認できるだけだ。

 夜が近づいている。そういえば寮の門限が差し迫っていたのだと、ミシェルにも言われたことを今更のように思い出したところで、彼女の眼鏡越しに見える瞳が向けられた。その瞳からは苦々しい思いが伝わってくるかのようである。


「私は教師として若輩者だ。生徒の貴様らに比べれば歳は重ねているが、他の先生方からすれば小娘に過ぎない」


「なんだミシェルちゃん、そんなこと気にしてたのかよ。お前さんは優秀だから他の奴らも認めてるし、誰も小娘だなんて思ってねぇって」


 ラグトルは何でもないことである、と言わんばかりに軽く首を振る。彼の仕草からは不安をかき消す安心感が伝わってきた。

 流石、伊達に歳は重ねていないと思わせる。現にリーネは心配そうに見つめていたのに、彼の言葉を聞いてほっとしたように息をもらしている。


(……どうだろうな)


 だが、コウは鵜呑みにすることはできなかった。

 階級差別なんてものが蔓延ってしまっているくらいなのだ。正しいことは疎まれ、間違ったことは好まれる。

 階級、権力が力を持つ今の世は強きを助け、弱きを挫く。

 弱き者は強き者に縋るしかなく、機嫌を窺い、へつらい、情けを乞わなければならない。

 ミシェル・フィナーリルという教師はなかなかの公平さを持つ人物だ。

 正しいことを肯定でき、間違ったことを否定できる。

 先日、彼女が授業後に問いかけてきたことがあり、その際にコウは聞いた。「正義とは何なのか」と。それに対して彼女は間を置かずに正しいことだと答えた。

 しかし、その時にコウは感じたのだ。心からそうだと思っている答えではなさそうだと。


(もしかしたら、の予想だが……)


 ミシェルが考える正義の在り方とは、「公平であること」なのではないだろうか。

 確認もしていない、単なる想像。それなのに、何故か確信してしまう。

 彼女の在り方がそうだからだろう。公平であらんとする彼女の姿が、如実にそう語っている気がするのだ。


 正しいことは疎まれる。正義は嫌われる。

 公平という正義を掲げる彼女は、果たして本当に認められているのだろうか。


(そして――)


 連鎖的に思い浮かび上がる。

 ミシェルが話した理由。

 まだ、足りない。


「先生、本当に理由はそれだけですか?」


「……なんだと?」


「無理に言ってもらうつもりは、さらさらありません」


 話の過程が何段か飛んだような一言。それでも意味は十分に伝わったようで、ミシェルは目を逸らさないまま押し黙った。

 リーネは意味が分からないようで、会話についていけず疑問を口にする。


「どういう、ことですか?」


 その問いかけに答えるべきか。

 何故なら、ミシェルが口にしなかった理由。それは彼女にとって簡単に表へ出せないだろうものだ。だからこそ、コウは自分の口から言って良いものかと逡巡する。

 訪れる沈黙。しかし、長くは続かなかった。


「かかっ! いいじゃないか、話しちまえよミシェルちゃん」


 何てこともないように老教師がそう言ったからだ。

 だが、はい分かりましたとすんなり受け入れられるのなら、そもそも迷いも沈黙も生まれなかったはずである。


「ラグトル先生……」


 ミシェルは驚きと困惑の混ざった顔で見返している。


「前々から、それこそさっきも言った気がするが、お前さんは頭が固い。しかも頑固ときてる。コウが言ってることと俺が考えたことが一緒かは分からないが、どうせお前さんが今考えてることは同じで、言うことは一緒さ」


 生徒に言うことじゃない。踏み入って話そうとすれば、返ってくるミシェルの言葉だ。

 指導員としてなのか、先達としてなのか、あるいは人生を長く生きている者としてなのか。いつの間にかラグトルは普段から纏う軽さと豪快さを何処かへ潜ませていた。言葉に重さを、態度に真摯さを含ませて彼女に語る。


「お前さんが正しい教師の姿という像を守ろうとしていて、そうすることが生徒にとって一番だと思っていることは知っている。

だが、今回はダメだ、俺が許さんよ。お前さんの本心を語りな」


「何故ですか? 私は……私達、教師は生徒を指導する立場にあります。子どもである彼らがどうあるべきかを考え、しがらみのない考え方を持てるように導くのが――」


「その考え方がお前さんの頭を固くしてしまっているのだよ。……お前さん、生徒達の階級による思想の在り方の差異に漠然とした危機感を抱いているだろう」


 思想の在り方。家が裕福だから、親が権力を持っているから何をやっても良い、好きにやっても良い。家が貧困だから、親が確固たる地位を持っていないから黙らなくてはいけない、耐え忍ばなければならない。

 それが生徒達の間にあってしまう、階級による思想の差異。

 ――――社会の縮図のような関係図。


「な……」


 こぼれた言葉は肯定に繋がったのか、それとも逆か。横で見るコウに分かるのは、ミシェルは目を見開いて心底驚いた様子であるということだ。

 ラグトルは嘆息を漏らす。


「まったく、指導員であるこの俺が、そのことを見抜けないと思うとは失礼なやつだ。まぁ、確かにいつものお前さんは感情が読み取り辛いからな。気づいているのは指導員として近くにいた俺くらいだろうさ」


 恐らく図星に違いない。ラグトルに言い当てられたことで、ミシェルは動揺を見せている。しかし、老教師が言ったように、普段の彼女はほとんど感情を読ませない。時折、コウやロンがふざけたことを言ったり、生徒が何かをしでかした時に怒りを見せるくらいだ。


「ついでだから言ってしまえば、お前さんが顧問を引き受けない理由……生徒との大きな接点を作ろうとしない理由は、公平さを保つためだろう。違うか?」


「…………そうです」


 ミシェルは観念したように頷いた。コウはその頷きを見て、自分の想像が正しかったことを理解するのである。

 彼女は公平であることを重んじる人間だ。そんな彼女が顧問を引き受けるということは、「一部の生徒に肩入れする」ということに繋がる。

 たかだか顧問をするだけで大げさな話だ、と聞く者によっては思うかも知れない。

 しかし、例えばコウと他の生徒が何かで揉めて、彼女が審理しなければならない時。その際に「コウも少し悪いが概ね揉めた相手の生徒の方が悪い」という結論に至り、その結果としてコウに少しの罰を与え、相手の生徒に多めの罰を与えることになったとする。

 その時に彼女がコウの所属する部活の顧問であった場合、コウよりも多く罰を受けた生徒はこう思うのではないだろうか。


 あの教師はコウが所属する部活の顧問だから、コウの罰を少なくしたのではないだろうか。


 もちろん、その場合は他の教師や同等の立場の者を呼んで、再度審理すれば良いのだろう。

 だが、僅かでも疑問の余地を挟まれることは、公平さを重んずる彼女にとって快いものではないに違いない。


「だから、お前さんは引き受けようと思えば、引き受けられる顧問を断ろうとした」


「仰る通りです……」


 項垂れることなく、真っ直ぐにラグトルを見つめ返しながらミシェルは答える。けれども、その語尾が弱々しく思えるのはコウの気のせいではない。

 何とも形容できない話だ。正解とも不正解とも断言できない。

 だからだろう、ラグトルはそれ以上言葉を発することはない。それが逆に彼女にとって責められる以上に堪えるのか、上げたままの顔に浮かぶ表情が僅かに歪み、瞳が揺れる。

 そして、その瞳がゆっくりとした動作で、コウとリーネへ向けられた。


「……理由はさっき挙がった二つだけのつもりだったが、新たにこのような私などが顧問に向かないというのも付け加えよう」


 何処か自嘲気味にそう言って来る。ラグトルは、何も言わない。

 コウはさてどうするべきか考え、自分だけのことではないのだし、リーネへ目を向ける。

 ばっちりと目が合った。彼女もこちらを見ていたのだ。しかし、意外なことに困っている様子はなかった。任せると目が語っている。


(好きにしろ、と)


 信頼されるのは嬉しいことだが、この場合に限っては期待が重くも感じる――――ようなコウではない。


「先生」


「……なんだ?」


「俺達以外に今まで顧問を頼まれたことは?」


 何故そんなことを聞くのかと、不可解そうにしながらもミシェルは「ない」と答えた。

 興味深そうに見てくるラグトルを一瞥した後に、コウは言葉を続ける。


「俺達が立ち上げようとしている部に関してどう思ってます?」


「……さっきはいろいろ言ったが、何だかんだ自分が部長として所属していた部活だ。思い入れもあるし、後輩に当たる貴様らが復活させようという話で、僅かだが嬉しいと思う気持ちがないわけじゃない」


「素直なんだか、そうじゃないんだか分からないですね」


 当然の反応として睨まれた。


「何が言いたいんだ? 馬鹿にしたいだけと言うつもりじゃないだろうな」


「まさか。嫌じゃないんだったら、顧問をお願いしますって言うつもりですよ」


 目に見えてミシェルが驚く。ラグトルは「ほぉ」と意味の量れない呟きをもらしている。


「クラーシス、貴様、さっき私が言ったことを聞いていなかったのか? 確かに、私の言っていることには感情的な考えが多分に含まれていて、論理的ではないことは認める。けど、それでも、あれが私の考えなのだ。それなのにまさか貴様、私の考え方など無視するとでも言うつもりか?」


「はい、言うつもりです」


「なっ……!」


「だって、そんなことばかり考えていたら楽しくないじゃないですか。起こってもいない問題のことをあれこれ考えていたら、目の前にある大事なものを見失ってしまうかも知れない。そう考えれば良いじゃないですか。別に顧問やることが大事なことだとは言いませんけど、少なくとも関心がないわけではないみたいですし」


 もちろん、頭空っぽにして何も考えないのも不味いですけどね。そう付け足した言葉はミシェルに対してだけではなく、学園内に自分の命を狙う者がいるかもしれない、と知ったリーネに対してでもあり、もしかしたら自分に対してなのかも知れない。

 それだけにコウが言ったことは、何が何でも顧問を見つけたいという考えから浮かび上がったものではない。あくまで本心から生まれ出てきたものである。


 ミシェルは答えをどうするか迷っているようだった。これ以上言葉を重ねるのは、顧問が欲しいだけで強引な説得をしているようになってしまう。

 そんな風にコウが考えたことを察したわけではないだろうが、今まで見守る側に回っていたラグトルが労る様に言う。


「ミシェルちゃんよう、お前さんの考え方を俺は否定しねぇさ。けど、それだと頭が固くなるばかりだ。だから、顧問の話を引き受けて見ろよ。息抜き感覚でやれることじゃないが、お前さんには良い刺激になるかも知れない」


「先生……」


 ラグトルを見返しながらミシェルが呟く。普段から彼を「ラグトル先生」と呼ぶ彼女だが、今の呟きは普段とは違う響きがあるように聞こえた。

 それこそ、生徒が教師を呼ぶときのように。子どもと大人の関係であるかのように。


「なぁに、最悪こいつらと馬が合わなくて止めたくなったら、俺が引き継いでやるよ。老体だがやろうと思えばやれるだろうさ」


 ラグトルは冗談を言うように微笑みかけながら言うが、ついさっき老いを理由に顧問を断ったばかりなのだ。優しさで言っていることが分かり切ってしまう。

 ミシェルは空を見上げた。夕刻の光はほぼ失せて、暗闇が空に広がって音もなく降り注ごうとしている。夜と言っても差支えない時間だった。


「はぁ」


 ミシェルが深く息を吐いた。長く溜まっていた息を吐き出したかのような、大きな溜息だった。


「クラーシス、ヴァルティウス。両名は寮の門限を守らなかったので、後日罰を伝える」


「えぇ!?」


 唐突な切り出し方に、思わずと言った感じでリーネが驚きの声を上げた。コウは予想外な話の展開に眉を少し顰めるが、一先ず出方を窺う。

 ミシェルは上へ向けていた顔を正面へやり、普段通りに戻った表情ではっきりと言った。


「規則は規則だ。内容は課題とする。明日の放課後には課題の紙と…………顧問承認に関しての書類を用意しておくから取りに来るように」


「へ?」


「ラグトル先生には念のため、顧問の推薦状を用意してもらいたいのですが、よろしいですか?」


「問題児の巣窟と評された部の復活だしな。普通はいらないが……明日の昼までには用意しとく」


「その手筈でお願いします。クラーシスとヴァルティウスは直ちに寮へ戻る様に。寮長には私から罰則があると伝えておけ。では、これで失礼する」


 ミシェルは立て続けに言葉を紡ぎ、段取りを済ませると石畳の道を歩み、かつかつと石から鳴る独特の音と共に去って行った。

 残された三人は誰もしゃべらずにいたが、唖然とするリーネを余所に、学園の教師達の中で古参に当たる老教師と学園の問題児とされる不良生徒は突然腹を抱えながら笑い出した。


「ぶくっ、かっかっかっかっかっかっかっかっかっか! あ、あいつ、散々断った話を引き受けるの恥ずかしくて、強引に話をまとめたぞ!」


「なんだよあれ、ぐふっふ! ちょっ、ぶふっ、罰ってくくっ!」


「かかっ、あれはあいつなりに顧問になっても特別扱いしない、ってことを示したんだろうよ。け、けど、やり方は他にあったと思うってもんだよな」


 ここに来てようやくリーネもミシェルが顧問を引き受けたことに気づき、満開に咲き誇る花のような笑みを浮かべた。もっとも、彼女の場合はコウ達とは違って純粋そのものである。


「フィナーリル先生、引き受けて下さったんですね!? わぁ、嬉しいです!」


 そう遠くまで行っていないだろうミシェルに聞こえるのではないか、というくらい三人でわいわいと騒ぐ。

 結局それは学生寮の門限が過ぎてから始まる、警備部隊に巡回に鉢合わせするまで続いた。

 それが後日ミシェルの耳に何処からか入り、三人(主にコウとラグトル)が小言の雨を浴びせられることになるのだが、今はどうでも良い話だ。






「ほいほい、そういうことだから、彼女を叱らんように頼むよ」


 ラグトルがそう言葉を残して女子寮の玄関の扉を閉めるのを見て、コウは腰かけていた数段程度の短い石造りの階段から立ち上がる。

 辺りはすっかり暗く、学園の中心にして象徴、パースライト城の各所に備えられた松明に魔術の火が灯って、暗闇の中に全体像をおぼろげに映し出している。


 あの後、警備部隊から巡回が始まっているので、コウ達を寮まで送ると言われた。他の隊員と鉢合わせになって、咎められないようにするためだ。

 彼らの目から見れば規則に反しているコウとリーネなのに、対応が丁寧なのはもちろんラグトルが一緒にいたからである。王国一優秀とされる学園の警部部隊にしても、この老教師は無下には扱えないらしかった。

 そんな彼らの申し出をラグトルはやんわりと断り、自分が送っていくと話をまとめた。

 現在はリーネを送り届けたところ、というわけである。


「俺は一人でいいから、じーさん帰れば?」


「そんなわけにいくか馬鹿者。ほれ、いくぞ」


 男子寮と女子寮は対面する形で建っているので、間近ではないが歩けばすぐそこくらいの距離である。

 歩く中、この老教師がそこまで真面目だったかを考えていると、ふいに声をかけられた。


「コウ」


「ん?」


「ミシェルちゃんを頼む」


 思わず先を歩く老教師の背を無言で見つめてしまう。

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。あまりにも意外なこと過ぎたので、脳が直ぐに認識しなかったようである。

 徐々に意味が浸透してくると、コウは軽く笑う。


「じーさん、教師を生徒に任せるって何言ってんだ。普通逆なんじゃないか、それ」


 ミシェルにコウ達のことを任せるなら頷ける話だが、ラグトルの言うことをそのまま受け取れば、子どもに大人を任せると言っていることになる。

 冗談だと思った。しかし、先を歩く彼の背からそんな気配は微塵もしない。


(おいおい……)


 コウは自然と自分の顔から笑みが消えていくのを自覚する。

 女子寮から男子寮までは、そう遠くない距離なのに随分と遠くに感じる。いや、歩む速さが遅いのだ。そのペースを作っているのはラグトルである。なるほど、とコウは納得した。すぐそこの寮へわざわざ送ろうとしたのは、この話をするためだったのだ。

 コウは態度を変えると改めて聞く。


「任せるってどういう意味だ?」


 階級差別を嫌い、公平を重んじる。そんなミシェルが叱るのは生徒だけとは思えない。程度の差はあるだろうが、教師達に対して何かする彼女の姿は容易に浮かぶ。それに恨みを買っていそうなのは、先ほどの話の中で予想したことだ。


 遅く歩んでいたラグトルだったが、ついにはその歩みを止めた。ちょうど女子寮と男子寮の間となる位置だった。周りは開けていて、木一本、藪一つない。広がる芝を分け裂くように続く石畳の道。誰かが近くに潜んでいることは考えられなかった。

 そんな場所でラグトルは振り返った。


「今、この学園は少しおかしい……気がする」


「気がするって、はっきりしないな。証拠がないってことか?」


「そうだな、俺の勘でしかないってことよ」


「具体的には?」


「それも分からん。何となくそんな気がするだけという段階だ。だから、調べている」


「……つまり、自分は調べることに専念するから、フィナーリル先生のことにばかり意識を向けられない、と?」


 ラグトルが重々しく頷く。


「全くあの娘を構えないわけではないが、意識が薄くなることは否めないだろうさ。そこでお前さんに補助を頼みたいのよ」


 コウは一つ息を吐き。数秒だけ考えを巡らせてから聞く。


「その勘ってのが気になるが、一先ず置いといて……学園内が少し不穏だして、どうしてフィナーリル先生? あの先生何かしたのかよ」


「何もしていないさ。けど、あの娘の生き方を目障りだと思う輩はいるだろう。そして、そんな風に思う奴に限って、危険な考えを持ちやすい」


「……なるほど、何かあると確証はないが、事前に手を打っておくわけか」


 それなら分からない話ではない。コウも同意できる考え方である。もちろん、ラグトルの勘を信じるならば、という話だが。

 また面倒な話になってきたと思いながら、コウは半眼を向ける。


「しっかし、何でそんな重要そうな話を俺にするかね。あんたも知ってるだろう? 俺の学園の評価」


「生意気なクソガキ」


「それと成績最下位な……分かってるなら、他を当たった方がいいぜ。今の話は聞かなかったことにするからさ」


 軽い調子でそう言いながら、コウはラグトルの横をすり抜けようとして、


「けど、俺のお前さんに対する評価は違う」


 大きくその場から飛び退いた。

 コウは地に足がつく前からラグトルを鋭く睨む。着地と同時に問いかけた。

 普段の口調で、しかし、表情からは感情が消え失せた状態で。


「……じーさん、知らないのか?」


 ラグトルの身体の中心に視点を置きながら、確認するのは彼の右手に握られたもの。


「学園の規則以前に、王国の法で理由もなく人を殺すのは罪なんだぜ?」


 何処に隠し持っていたのか、何の変哲もないナイフ。それこそ本来なら果物の皮を剥くのが用途でありそうな、ちっぽけなナイフだ。

 だが、その刃は先ほど抉るように銀光を瞬かせて、一直線にコウの心臓を目指した。


 人は簡単に死ぬ。木の枝だっていい、どんなに殺傷能力の低いものであっても、急所に突き刺されば人は死ぬのだ。

 それにそのちっぽけなナイフを握る人物が人物であった。コウは警戒度を高めている。先日の校外授業でギュラローブスと対峙した時以上だと断言してもいい。


 ラグトル・ウェアノーツ。

 学園の教師達の誰もが一目置く老教師。それは人柄もあるし、膨大な知識の持ち主だからというのもある。

 しかし、それだけではない。むしろ、それらは一番の理由に比べれば、おまけ程度のものでしかない。


 クライニアス学園創立者にして、学園長を務めるゼウマン・クライニアス。過去、偉大な騎士と呼ばれ、既に歴史の教科書に名を連ねる生きる伝説。時に、絶大な力で敵を屠り、時に、全てを見通しているかのような知謀で味方を救ったとされる彼の人物。

 そんな彼の功績の数々の全ては、彼一人が成したものではない。

 彼と肩を並べた人物がいた。

 その人物は誰もが認める偉大な騎士の唯一の好敵手であり、一番の友なのだという。

 だというのに、その人物は彼に比べ、華々しく扱われない。

 それは何故か。答えはその呼び名から読み取ることができた。


「……狂戦士と呼ばれた男は衰えず、ってことでいいのか? じーさんよ」


 偉大な騎士の好敵手、偉大な騎士の友――――過去、偉大な騎士の戦いの中でもっとも最恐で最強の敵と評された人物が、コウの視線の先でにやりと笑った。


「言っただろう? 年には勝てないさ」


「よく言うぜ、直前まで僅かも悟られずにそれ(、、)を振り抜きやがって」


「軽々避けておいて、お前さんこそよく言う……さて」


 コウは重心を僅かに落とす。足は大きく開かない。避けることを意識がける。

 偉大な騎士と互角だとされた狂戦士は、持ち前の支援魔術の才を有効に扱い、肉体強化を幾重にも施し、常人では考えられない力と速さ、そこから生まれる行動選択によって、数多の敵を打倒してきたと聞く。

 コウも話に聞いただけなので、実際にその戦いを目の当たりにするのはこれが初めてになる。彼の手にあるのはちっぽけなナイフに違いないが、伝え聞く相手の強さを考えれば油断の材料にはならない。

 どう出て来るか。その一挙手一投足を見逃してはならぬと集中する。


「ふむ……」


 ラグトルはナイフを握る腕が動かし、左手で懐を開かせる。

 コウはその動作の意味を何通りも推測しながら、次なる動作を窺う。


「これで話が進められるな」


「は?」


 思わず、間抜けな声が出た。

 そんなコウに構わず、ラグトルは(構造は不明だが)纏っている奇妙な服にナイフを収めると、場にあった空気をあっさりと拭ってしまった。

 ここでようやくコウは自分が嵌められたことに気づいた。


「……やられた」


「かかっ! やっぱりコウはまだまだ子どもだな。こんな手に引っかかるとは」


「あんな殺る気満々な刃が来れば、誰だって……というか、普通のやつじゃ死ぬ一撃だったぞ」


「だが、お前さんはそれを避けてみせた。その上、即座に意識を戦闘に切り替えてもいた。普通のやつは不意打ちを避けられても、恐慌ですぐには動けんよ。何が成績最下位だ、こっちはさっきの睨み合いだけで、丸腰相手に冷や汗ものよ」


 言いながら確かにラグトルは額に滲んでいる汗を拭っている。しかし、それはコウにとって慰めにもならない。

 つまり、彼はコウが強さを偽っていることに気づき、それを確かめたのだ。相手が少し強い程度の相手なら、コウもそれを察知できたのかも知れないが、今回は相手が悪過ぎた。


「……はぁ」


 これでもコウは今まで自分の秘密が知られたことはなかった。リーネ達の時のように「ばらす」ことはあっても、「ばれる」ことはなかったのだ。

 アヤのように疑いの目を向けてくる者もいるにはいたが、最終的には隠し通すことには成功していたのだ。事実上、コウの実力を自力で完全に見破ったのは、ラグトルが初ということになるのだろう。


「いつから気づいていた? というか、どうして分かった?」


「少し前にお前さんが実技系の授業を受けている姿を見た時に。あの時は自分の受け持つ生徒を見つけた、くらいの感覚で見てたんだがな。理由に関しては違和感を覚えて……つまりは、勘だよ」


 その違和感を覚えて以来、何度か見るようにして、確信の一歩手前までに至ったらしい。


「……勘って、冗談でなく?」


「おぉ、本気だとも」


 そんな理由なのかと、コウは落ち込んだ方が良いのか迷ったが、話の途中だったことを思い出して嘆息する。


「……つまり、俺の秘密を握った上でフィナーリル先生を守れと言うんだな?」


「脅迫、とは言わないさ。これでも教師だ。お前さんの秘密のことを誰にも言わない代わりに、あの娘を頼む交渉ということにしようや」


「教師っていうなら、生徒と交渉なんてしないで無償でやらないのはおかしい」


「かかっ! 教師が無償で働くと思ったら大間違いだ。それに俺からすれば、お前さんほどの若さでそれほど強さ……しかも生徒をやっていること自体がおかしいよ。けどまぁ、あの娘を守ってくれれば、誰だっていいしな。深いことは聞かないさ」


 勘でコウのことを見抜いたのだ。ラグトルが学園がおかしいと感じることを否定できない。そもそも、コウからすればリーネの件があるので、無視できる話でもなかったのだ。


「……俺があんたの勘ってやつに引っかかる不安分子だとは思わないのか?」


 話を持ちかけてきた時点で、そうだと思われていないと予想できたが、ささやかな抵抗として聞いておく。

 帰って来たのは心底おかしそうな笑い声。


「かっかっかっか! 危ない奴があのリーネちゃんに良い影響を与えられるかよ」


「良い影響、か?」


 コウは前にアヤからも言われのだが、どうやらリーネはコウと出会ってよく笑うようになったらしい。そのようだとは思ってはいるが、最初から笑みのある彼女と接しているので、コウにはどうも実感できないことだった。

 ラグトルは笑みを浮かべたまま大きく頷く。


「おうとも、その点は自信を持って良いぜ。それに、お前さんのそういう影響力が、ミシェルちゃんにも及ぶことを期待してるしな」


「あの先生にか?」


「ああ、あの娘は良い育ち方をしたが、やっぱり考えが固すぎる。あれじゃ、いらない敵を作るだけだ」


 そう言いながら、昔を、ミシェルが学生だった頃でも思い出しているのか、ラグトルはコウに向けていたものとは違う種類の笑みを浮かべ、何処か遠くを見つめる。

 コウはそれを見て、最後の抵抗として問いかける。


「あの娘、あの娘、って随分とフィナーリル先生を気にかけているじゃないか。抱きたかったとか冗談めかしに言ってたけど、本当に惚れてたんじゃないのか?」


「まあな、昔の話よ。それじゃ、頼んだぜ」


「へ?」


 何かとんでもないことを聞いて珍しく硬直するコウだが、ラグトルはそれを気にした様子もない。彼は背を向けると話は終わったとばかりに、石畳の道を外れて闇に向かって歩き去ってしまう。

 コウはしばらく呆然とその姿を見つめていたが、我に返るとゆっくり視線を上げて、黒い海に放り出された青白い月と散りばめられた星々を見上げる。


「なんか、とんでもないお釣りを投げつけられちまったな」


 闇広がる世界を優しく照らす光たちは、何も答えてはくれなかった。


 こうしてコウとリーネの三日間に亘った顧問探しは、ミシェル・フィナーリルというちょっと堅物で、とても誠実な教師を迎えることで終わりを迎えたのだった。


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