第三十三話
学園にいくつも存在する講義棟(教室が集まる建物)から抜け出し、コウは荷物を持つ手を空へ掲げるようにして、身体をほぐしながら歩き出す。
そこに一陣の風が吹き抜けた。背中を軟らかく押したかと思えば、制服の上から撫でるように、季節が生ぬるい体温を押し当て、緑の小さなざわめきと共に去って行く。
すぐ隣で陽気な暖かさが見守るように微笑んでいるようである。しかし、コウを巻き込むように駆け抜けていった風の暖かさから考えれば、忙しいことにもう次なる季節の到来が窺えそうだ。
学園内に住む人々の暮らしを見れば、右も左も長い袖に手を通しているが、それが短いものに衣替えするのも時間の問題だろう。
ひょっとしたら先ほどの風は、強い日差しを降り注がせるために、急いて迎えに行ったのかも知れなかった。
(この季節が一番判断に困るんだよなぁ)
暑いとまではいかない、常に保たれる微妙な高さの気温。我慢対決に乗り出せばじっとりとした嫌な汗をかき、上着を脱いでいれば意外な寒さに身を縮こまらせる。
基本的に制服着用が義務づけられる学園だが、裏を返せば制服であれば年中夏服だろうと冬服だろうと注意を受けることはない。衣替えのタイミングは生徒各自に任されているので、体調管理を前提にして自分との相談で決めるしかないのだ。
いっそのことカーディガンやセーターといった折衷案を採用するか、いやでも、今までこれでやってきたのだから、これからも押し通すべきか。
などと庶民的な議題を頭に浮かべている間に、目的の場所に辿り着いたので足を止める。
木目を漆黒に染めた上品さに、取っ手の年月を思わせる鈍い金色の光沢を混ぜた扉の前だ。
いつも来る喫茶店である。
ここへ足を運んだ回数は百を優に超えるが、それでもコウはまじまじと店先を見る。
住まう人の大多数が子どもである場所柄か、学園に入っている店の外装はどれも明るく煌びやかで、若者向けを意識しているのが明確な店ばかりだ。
それが悪いことだと批判するわけではなく、むしろ当然という話なのだが、どうにも視覚的にうるさくなるのは避けられない。
対して、学園の一角にひっそりと存在するこの店は、木や煉瓦を組み合わせただけのような、至って質素な外装である。
赤茶色の煉瓦の壁が四方を囲み、合間を埋めるように着色のない木の柱や梁が支え、その上に茜色に塗り立てられた木の屋根が、重さを感じさせないでちょこんと乗っているのだ。周りは木々や草花で覆われ、ツタの葉に絡まれている。
その様子は初見の者に小奇麗な物置だと言ってしまえば、納得されてしまいそうなくらいである。
通い詰める者達からすれば、窓枠を伝うほどの緑たちは心を癒すための彩りだ。
だが、それ以外の者達にとって、その飾り気のなさは質素で言葉が物足らず、地味の二文字を引っ張り出すには十分な様相だろう。
そして極めつけに、この店が持つもっとも存在感を出さない点は、店名がないことに違いなかった。
それは店名を掲げる看板がないという意味でもあるし、言葉そのままの意味で喫茶店としか呼びようがない、ということでもある。
どうしてそんなことになっているのかは、生徒の間で謎として囁かれているが、真相に辿り着いた者がいるとは聞かない。店の主たるマスターに聞いたところで、静かな微笑みが返ってくるだけであり、何故か追求できずに話が終わってしまうのである。
真相を知った者はあの寡黙なマスターに消されてしまうのだと、まことしやかな噂が広まったこともあるが、それを確かめる猛者はついぞ現れなかった。
通い慣れて常連客を自負するコウであるが、ついつい店先を眺めてしまう。来る度に初めてこの店を利用しようとする客のように、この場所が持つ不可思議な魅力を感じてしまうのだ。
コウは我ながらおかしなことだと思いながら、いつまでも突っ立っているわけにもいかないので、取っ手を掴んで引き開けた。
頭の上から澄んだ音が連続する。客の出入りを告げるのは銀色の小さな鐘。扉の上部に取り付けられているのだ。
顔馴染みであるマスターが来店を知り、落ち着きながらも素早くカウンターから出て来るのを軽く手を挙げることで押し止める。
それは常連客であるからこその行動であり、彼がこの程度で腹を立てることはないだろう、という信頼からの勝手でもあった。
マスターは客がコウだと知ると、カウンターの内側からの軽い会釈のみで済ませ、作業の続きを再開したようである。
コウはそれをしっかり確認してから、店の面構えと同様で質素な品々で構成され、落ち着ついた雰囲気で満たされる店内へと足を踏み入れた。
店の奥へと足を運びながら視線を投げれば、探すまでもなく目当ての人物達が見つかる。待ち合わせ相手であるリーネとアヤだ。コウの悪友である少年はまだ来ていないようだった。
昼休みが始まれば、生徒達は真っ先にパンや弁当を取り扱う購買か、暖かい料理にありつける食堂を目指す。
そのためだろう、簡単な軽食を食べ物のメインとする店内には、リーネ達の他には数人しかいないようだ。
日によって多少異なることもあるが、この時間帯では普段通りの風景である。
この店を飲食目的で利用するのは、大体の生徒は購買や食堂で食事にありつけなかった者達だ。それまで客の出入りは少ない。混んで来るまでしばらく時間の猶予があるのだ。
そんな一面を利用して、コウ達はこの場を毎回お昼の待ち合わせに使っているのだった。
(あの先生に足止めさえされなきゃ、リーネ達より早くどころか、一番乗りもできただろうに……)
二限目の授業後にあったことを思い出しながら、彼女達が座る席へと向かう。
二人はコウが店にやって来た時点で気づいていたようで、リーネは口元を緩めながら軽く手を振り、アヤの方はむっつりとした感じで睨んで来ているようだった。
それぞれの反応はもはや慣れたものだなぁ、と呑気に思う頃には席へと辿り着く。
「よう、二人とも。相変わらず早いな」
言いながら空いている木製の椅子を引く。
同席の許可を必要とするような関係ではない。友人らしい、当たり前の無遠慮さだ。
「はい、いつも通りです」
にこにこと。何がそこまで嬉しいのか、コウと一緒にいるだけで笑みが浮かぶというリーネは、こんな何でもない会話すら楽しむように言葉を返してくる。
見ているこっちにも伝播して来る。そんな素晴らしき笑みに同じく口元を緩め、視線を横へずらせば正反対のものが待っていた。
「……まぁ、店に入ってすぐに気づいていたけどさ。アヤ、何が気に食わなくて、不景気な面を浮かべてるんだよ。何か授業で嫌な事でもあったのか?」
コウは何やら腹立たしそうに見つめて来る理由を探る。
これでも友人とする仲だ。アヤが直前に授業を受けていたことは把握していた。確か、基礎鍛錬をする系統の授業だったか、とコウは記憶を浮かび上がらせる。
高等部二年生までにその手のことは行ってきているが、現段階の学年に相応しい、更なる基礎鍛錬を学ぶ授業がある。
やはり刀を振り回す剣士という前衛職である以上、体力はあって困るものではない。彼女の選択に間違いはないだろう。
だが、この授業、実は不人気なのだ。
教師や授業内容に問題はない。それなのに人気がない理由は単純明確、生徒達は高等部二年生になるまで変わり映えのない鍛錬を、必要なこととはいえ粛々とやらされてきたのだ。
その誰にとっても理不尽な鬱憤から、ようやく解放されたのが高等部二年生なのである。進んで受講しようとする生徒はやはり少なかった。
故に、彼女が不機嫌な理由を授業と絡めてしまうのは自然な推理である。
「もしかして持ち帰りの課題が出たとか? 宿題か?」
さっき自分に降り注ぎかけた不幸を思い出しながら、コウが問うとアヤは低く唸るように答えた。
「宿題は出ていません。というか、授業はいつもより早く終えたくらいです」
「……それはまた随分と張り切ったな。じゃあ、何がお前の機嫌を損ねてるんだ?」
学園の伝統、というほどでもないが、基礎鍛錬を行う授業は、指示された課題を片づければ各自解散なのである。腹筋を百回なら百回やれば、十キロメートルの持久走という指示なら走り切れば終わりなのだ。
応用の授業を受けられるほどには、基礎を身に付けたとされる高等部二年生だ。その段階で指示される内容は、決して少ない量ではなかっただろう。
コウはそれで午後も持つのかと思い、疑惑の眼差しに感嘆と呆れを混ぜて投げかける。すると、恨みがましいとばかりに睨み返された。
「今朝のこと」
「ん?」
「コウ殿とあの破廉恥が変なことを言ったきり、ちゃんと答えて下さらなかったからじゃないですかー!」
あの破廉恥とは言わずもがなロンのことだろう。
アヤは感情の爆発と共に訴えかけると、そっぽを向いて口を尖らせる。拗ねた子どものよう、というかまんま子どもだった。
えー、とコウが小さくこぼすと、横で黙って事の成り行きを見守っていたリーネが小さく噴き出した。
「コウとアヤはすっかり仲良しですね」
「いや、その結論はおかしい」
どこをどう見ればそうなるのかと反論し、コウは助力を求めるべくアヤに目を向けるが、彼女はますます顔を逸らしてしまう。
そのやり取りを見て、再びリーネが可愛らしく噴き出し、手を口元に当てて優雅に笑う。
「アヤったら、今朝コウ達と別れてからずっとこの調子なんですよ」
秘密の場所から寮に戻った後や授業の合間に、少し会っている時もこんな感じだったらしい。
「お、お嬢様!」
それは言わない約束ですと、ようやくアヤが顔を上げるが、リーネは姿勢を維持したまま笑い続ける。
コウがちらりと横目を向ければ、その視線に気づいた彼女は恥ずかしげに目を逸らし、消え入りそうな声で言う。
「だって……仕方がないじゃないですか……」
どうやら午前の授業をこなす間、ずっと気になっていたようだ。
それで二限目の授業を早く終えたのか、とコウは得心する。ストレスが溜まっている時は、身体を動かすことが解消に繋がるものだ。
それによって過度な運動を強いて、怪我を引き起こすこともあるが、今回程度のことでそこまでするほど彼女も馬鹿ではないだろう。
コウは身体を動かす分野に関しては、アヤにある程度の信頼を置いているのだ。
「その件はロンの奴が来てから説明するから、もう少しだけ待ってくれよ。俺もあいつがやってたことの全てを把握しているわけじゃないからさ」
部活云々言い出した理由は何となく察しはついていた。
だが、具体的な話はまだ分かっていないので、ここは到着を待った方が良いという判断だ。
「うー……わかりました~」
小さく唸ってアヤが丸くなる。
(……何か、かなり子どもっぽくなってないか?)
かなり隙だらけな姿である。ただの少女のようだ、と言えるくらいだ。
その切っ掛けを思案してみれば、コウの中で一つ思い浮かぶことがあった。
校外学習だ。
思い返せばあれを乗り越えてしばらく経つ今日まで、アヤは随分と打ち解けた態度を見せてきていた。
校外学習前からその兆候はあったが、あの件が済んでから確定的なものとなったようである。
それが一体どういった意味なのかは彼女にしか分からないところだが、コウは密かに口の端を上げた。想像通りだと良い、そうでなければそうなるように更なる努力か。
そんなことを思いつつ、コウは話題を変える。
「リーネは二限、薬草学だっけか。そっちも毎回早いけど、終始座学で終わるのか?」
リーネの方もアヤとは別系統の授業ながら、同じく指示された目標を達成すれば、各自で終えて良いタイプのものなので、毎回早く終わるのだ。
コウは授業後にミシェルと少し話をしたことで、同じ「王国史A」を受けた生徒よりも終わるのが遅くなった。しかし、それでも学園全体として考えたら、早く終わったはずなのに、彼女達が先に来ていることを疑問に抱かないのはそういったわけである。
「座学もやりますけど、実際にやって頑張ることも多いんですよ? まだ始まったばかりですから、扱いが難しいものは処方しないできないけれど、簡単な傷薬とかはもうやり始めたりしてて」
リーネは言いながら見えない器具を使うように、手振りで何かを棒状の物で磨り潰すような真似をする。小さな子どもが、なりきり遊びをしているようで微笑ましかった。
「へぇ、そうなのか。普通の教室でやってるのか?」
「教室ですね。本来は調合室で行うらしいのですが、随分前に爆発事故があったじゃないですか。そのせいで使用できないらしいんですよ」
おかげで授業の度、保存庫まで器具を取りに行かなきゃいけなくて大変なんです、とリーネにしては珍しい愚痴のようなものをこぼす。磨り潰したりする作業なら安定を得るため、器やその土台が重かったりするのかも知れない。彼女の簡単に折れてしまいそうな細腕を思えば、愚痴の一つが出て来るのは仕方がないのだろう。
「あー、うん、あれな、夜中に謎の爆発が起こった原因不明な事件の……」
「コウ?」
コウの要領の得ない態度を見て、リーネが不思議そうに首を傾げる。
そんな彼女に何か言おうと口を開きかけるが、それは途中で止めることとなる。喫茶店の出入り口から小さな音ながら、店内へと涼やかな音が響いて来たのだ。
「あ、ロンさん来ましたね」
言ってリーネはコウが来た時と同じように小さく手を振る。この時間はまだ客の数が少ないので、手を振らずとも気づくと思うが、それをわざわざ止めるほど無粋ではない。
コウは彼女に続くように視線だけ向けて悪友を迎え入れる。アヤは意固地になっているのか、気づいているようだがそっぽを向いたままだった。
「やー、一番最後だったか。みんな待たせてごめんね。ちょっと取りに戻ってたからさ」
そう言うロンの手には、確かに膨らみを持った大きめの茶封筒が何袋かある。
授業のせいで遅れているのかと思われたが、どうやら一度寮へ行っていたらしい。
「なんだ、言えば手伝ったのに」
「んにゃ、この通り両手で持てる数だよ。コウにわざわざ来てもらうほどじゃないと思ってね」
ロンはそう朗らかに笑うが、いくら手に抱えられる量とはいえ、重たくないわけではないはずだ。
妙な所で頼らない奴だとコウは肩をすくめる。
そんな反応に気づいているのかどうかは知らないが、彼は話題を変えながらも空いているコウの隣の席に腰を下ろした。
「それより、俺が来るまで話をしていたみたいだけど、何の話?」
「……リーネが二限に受けていた薬草学のことで、調合室が使えなくてちょっと不便って話」
一つ間を置いてコウが答えると、ロンはぴくりと肩を震わせ、すぐさま真面目腐った顔を作った。
「それは大変遺憾な話だね。全く、何処のどいつが爆破なんて、そんな危険で横暴なことをしたんだか!」
「あ、馬鹿っ」
とコウが小さくこぼすとロンが不思議そうな顔をする。
そして、彼がその意味を理解するよりも早く、リーネが目をぱちぱちと瞬かせながら言った。
「えっ、あれって誰かがやったことなんですか? 先生方は全くの原因不明だって……」
一時の沈黙が訪れる。
そう、件の事件は何一つ原因が分からず、薬品同士が何かの拍子で混ざり、爆発してしまった事故として処理されていたのだ。
それなのにロンの発言は学園側の結論とは異なり、しかも何処か具体的である。
「……まさか」
今まで黙って話を聞くだけだったアヤが呟いた。その目に訝る意思があることがありありと見て取れる。
睨まれるロンは首を痛めた人間が強引に曲げるかのような、変な動作で見て来る。
コウはそれを受け止めて数秒の間黙考するが、大きな溜息を吐き出すしかなかった。
「停学を食らうから、二人とも他言しないように頼む」
恐らく彼女達が想像しているだろうことを肯定すると、二人は愕然とした。
「えぇ!? あれって二人がやったことだったんですか!?」
「しーっ! リーネちゃん、声が大きいって!」
人が少ない店内と言えども注目を集めて話すのは不味い。ロンが手をばたばたと振るう。
そんな彼の動作をコウが抑える。
「お前も落ち着け。まぁ、いろいろあったんだよ」
「どんないろいろがあれば、調合室一つを吹き飛ばすことになるんですか……」
もっともな言葉である。
アヤの呆れから別のものへ移行しそうな視線を見返しながら、コウは端的に答える。
「あれは全部ロンが悪い」
「ちょ! 確かに忍び込むことになった起因も爆発が発生した原因も俺だけどさぁ! もっと庇おうとか思わないのかな!?」
「やっぱりロンが悪いんじゃないか……。でも、コウ殿もその場にいたんですよね? というより、夜間の行動であるなら、コウ殿の助力があったという想像が容易なのですが」
仮にも学園は王国内で最高の防犯設備だと評されているのである。その防犯を担う警備部隊を一介の学生が出し抜けるはずがないのだ。
言いたいことを察したコウはとりあえずキレる若者に成り下がってみた。
「あぁ!? んだよ、その場にいて止めないなら同罪ってか! けっ、これだから真面目な優等生はよぅ」
「なんですか、そのいきなりなキャラ作り。誤魔化しですか? 誤魔化しですよね?」
ばればれであった。
看過されず追及を受けることになりそうだったので、コウはまたしても強引に話題を変える。
「そういえば、やっとロンが来たんだから、今朝の話を改めてしようじゃないか」
アヤは何も言ってこない。訝しむような目は途切れないものの、やはり朝からずっと気になっていた案件を出されれば、無理に話を拗らせることはないと思ったようだ。
それを良いことに間髪を容れず言葉を続ける。
「俺もお前が何処まで話を進めているのか把握していないから、まずはお前の口から説明してくれよ」
そう場を改めれば、ロンは顔から焦りを削ぎ落して神妙を生み出した。
これに不満げな表情だったアヤも態度を改め、聞こうという姿勢を見せる。
「部活の件、だね。でも、説明も何も、そのままの意味なんだけどなぁ」
「だから、それがよく分からない。どうして部活なんだ?」
話を始めると、やはりリーネ達はどこか気乗りしないようであることが分かる。
リーネを取り巻く悪評に対して、彼女達は基本的に大人しくしている。反撃を試みることもなく、名誉を挽回するために奔走しているわけでもない。
それは現状に対する諦めから来る結果なのかも知れないが、それが基本的な指針なのは代わりないだろう。
目立たないように日々を過ごし、少しでも話題に上らないようにひっそりと生きる。
部活動を始めるということは、今まで行ってきた大人しくするという我慢の全てを、無に帰するようなことになるのは間違いない。
「その理由を教えてもらえなければ、この話を始めることすら、私達にはできない」
断言である。アヤの言葉に賛同するように、横のリーネも静かに頷いた。
ロンは黙り込む。
怯んだわけではない。自分の中にわだかまる言葉をまとめるための沈黙であるようだった。
そして、口を開く。
「……俺、思ったんだよ。校外授業を体験してさ」
校外授業という単語を耳にして、リーネ達が動きを止めた。それは一度乗り切ったことで大分解消されつつあるものの、まだ彼女達にとって懸案事項と言える案件であるからだ。
一体何を言い出すのかと身構える彼女達に対して、ロンは真面目な表情のまま続ける。
「大変だった。凄く怖かった。……今まで味わったことのないことに身体が震えた。これがアヤちゃんとリーネちゃんの世界だと知って、二人をとても遠くに感じた」
「そう、ですか……」
リーネ達の表情が変わる。遠く感じる。それは彼女達にとって辛い言葉に違いない。
コウはこの状況で静観を決め込む。自分の悪友たる少年だが、傷つけるために言葉を吐いたのではないと信じるからだ。
そして、予想通りと言うべきか、ロンはだからと続けた。
「このままじゃいけないと思ったんだ。こんな怖い思いだけの学園生活じゃ、駄目だと思ったんだ。学園って、もっと青春を謳歌する場所なんだよ」
そこでロンは一度言葉を区切る。
思いを昇華させるように、大きく息を吸い、形にする。
「それで考えて、たくさん考えた結果、俺はアヤちゃんとリーネちゃん、ついでにコウと部活をしたいと思った。それがずっと考えて出た答えだったんだ」
コウがついで扱いなのはさておき、学園は楽しい場所、それがロンの持論なのだろう。
それ故に、彼は今回のことを提案したようだ。
恐ろしさに対する安全地帯という捉え方ではなく、生徒なら誰もが感受する当たり前な学園生活というものを演出し、実現するために言い出したのである。
「……つまり、私達のためだからこそ、部活をしようと?」
リーネがアヤと顔を見合わせる。考えもしなかった提案なのだろう。困惑が勝り、反応に困っているという風である。
問いかけに、ロンは力強く首を縦に振る。
「うん。それにこれは俺一人が考えていたことじゃないんだ」
「ということは、コウもなんですか?」
突然話を振られるが、しかしコウは片眉を上げる。
「部活の話なんて俺したか?」
頭をよぎることは何一つない。
ロンがどうして部活だなんだと言い出した理由については、彼が考え付きそうなことだったので何となく察していた。
だが、それに自分が一枚噛んでいるつもりは微塵もなかったのである。
彼は言う。
「部活は俺が勝手に考えたことだよ。でも、根本的な部分はコウが考えたってこと」
「俺が?」
ますます意味が分からず、コウは小首を傾げるしかない。本当にロンが言っていることに、思い当たることがないのだ。
普段、人に何か相談を持ちかけるということがないだけに、それらしい出来事すら思い浮かばない。
更に頭を捻ってみるが出てこなかった。しかし、彼は別段答えを待つつもりはないらしく、さらりと答えを口にする。
「校外学習の少し前。リーネちゃん達と会った後に呟いてたんだよ。このままじゃいけないって」
「んー、それは……」
心当たりがないことでもなかった。
確かにリーネ達、というよりリーネの状況をこのままで良しとするわけにはいかない、とコウは常々思っていた。
言うに憚れることでもないので、意識しないで呟いた可能性もある。
「けどお前、そんな俺がちょっと言ったことを拾い上げて、この一週間ずっと考えていたのか?」
「一週間じゃないよ。それを聞いて、俺なりに共感して、それからずっと考えてた。コウがあんなことを言わなければ、多分俺はどうかしようなんて考えもしなかったと思う。だから、部活に関しては俺が考えたことだけど、これは二人の意見だと思っている」
これにはコウも驚かされる。コウが何気なく言ったことから着想を始め、それを計画にするまで育てたというのだ。
自然と笑みが浮かぶ。
「……俺だったら、部活を立ち上げようだなんて、想像もしないっての」
「な、なんだよぅ。コウはここに来て反対なのか?」
酷く傷ついたとばかりにロンがしょ気る。
それを吹き飛ばすようにコウは躊躇など微塵もなくはっきりと答えた。
「まさか。大賛成だよ。失敗の陰に怯えていたら何も始められない。まずは行動、次に行動、最後に行動が成功の鍵だろ」
何もしなければ悪いことは起こらない。しかし、良いことも起こらないのだ。
リーネを取り巻く環境は現状を考えると、今のまま何も起こらないという保証もなく、それどころか悪化していく可能性の方が高そうである。
何もしないで悪いことが起こるなら、何かして悪いことが起こった方が良い。その方が納得もするし、精神的にも良い。
それがコウの――――いや、コウ達の考え方だった。
「リーネ達はどうだ?」
聞く。
コウ達の考えはあくまでコウ達のものだ。彼女達にも考えがあるだろうし、強要できるものではない。
しかも、当事者は彼女達であり、もっとも強い決定権を持つのはリーネだろう。コウ達がどう騒ぎ立てようと、これは彼女の問題でしかないのだ。
「私は……」
リーネの瞳が迷いに揺れる。その瞳はコウとロンを順に見つめ、最後にはアヤへ定められた。
比喩などではなく、苦楽を共にしたと彼女の相方である。主とその侍女のような間柄を思わせながら、姉妹のような親友。
その矛盾を抱えながらもごく自然に体現して見せる二人の間で視線が行き交う。
机を間に挟んでそれを見守るコウには、どんな感情のやり取りがあったのかは分からない。
だが、あったはずである。
絶対に言語の外でのやり取りは行われたのだ。
「私は、怖いです。部活に入るのは何かを壊してしまうようで」
何故なら、そう語る彼女の瞳が、
「でも、今を続けて明日が壊れるのを待つのは、もっと怖いです」
迷いに揺れていた瞳が、
「――だから、コウ、ロンさん。私も、私達も立ち上げる部活に、入れてくれますか? こんな感じのお願いするのは、二度目になるかも知れませんが、私達も仲間に加えてくれますか?」
真っ直ぐにコウとロンを見据えていたからだ。
ロンがあはっ、と笑う。
「リーネちゃん、まさか俺達に、もう仲間だろう? とか、くさい台詞を言わせる気かい?」
「はい、お願いします」
「……まじか」
冗談かと思って見てみれば、思いのほかリーネは真剣な顔である。
照れ隠しに言ったことをまさか真面目に要求されるとは思っていなかったのだろう。ロンがあたふたと視線を彷徨わせて、助けを求めるようにコウを見てきた。
このまま放っておくのも面白そうだと思ったが、どうにもリーネの様子がそれをさせない雰囲気だったので、仕方なくコウは口を開く。
「……これは受け売りだが、『仲間というのは契約や約束で生み出されるものじゃない、気づいたら傍にいる頼れる奴が仲間なんだ』というものらしいぜ?」
「頼れる、奴……ですか」
確認するようにこぼし、リーネはぐるりとアヤを見て、ロンを見て、そして何故かコウをじっと見つめる。
どうしたのかとコウが不思議に思うのと同時に、再び彼女は不安そうな表情を作ってしまう。
「んん? なんだ、リーネは俺なんか頼りにできないか?」
「ち、違います! ただ……」
その先は言い辛い理由でもあるのか。リーネは言葉を表に出すことなく、口を閉ざしてしまう。
机に着くコウを含めて他の三人は疑問に思うが、無理矢理言わせるようことでもない。
妙な空気が流れそうだったので、場を繕うように言葉を乗せる。
「まぁ、良いなら良いんだぜ。この俺達を頼りにして本当に良いのならなぁ!」
「なんでいきなり悪役っぽいんですか!」
彼女の場合、その空気を察したかどうかは定かではないが、アヤがノリ良く反応を示した。
丁度いいのでついでに聞いてしまう。
「改めて聞く必要はなさそうだが、アヤはリーネと同意見ということでいいんだな?」
「当然です。お嬢様の意見が私の意見。私の意見がお嬢様の意見です!」
「いや、何かそれはちょっと違う気が……」
ロンが小さな声で挟んでみるが、アヤは素知らぬ顔であり、それどころか強気の姿勢を継続すらしている。
「さあさあ、お嬢様も賛同して下さったのですから、早いところ部活の話を進めましょう! 何だ? 何の部活を作るんだ!?」
後半の部分はロンに向けてだろう。
今朝からさっきまでの反応を考えると、随分と上機嫌というか、正反対な態度でアヤは聞いてくる。
(もしかしたら、こいつ……部活に興味があったのか?)
コウは内心呟く。というか様子を見る限り、そうだとしか思えなかった。
悪評に関してはリーネに対するものばかりなので、多少は入部を厭われることがあっても、アヤは入部しようと思えばできたに違いない。
まさに忠誠心。リーネの気持ちを配慮して、彼女は控えていたのだろう。
「アヤ……」
それにリーネも気づいたようで、懺悔と感謝をない交ぜにした複雑な目を向ける。
「はい? 何ですか、お嬢様?」
対して、アヤはとぼけている感じはなく、ごく自然な様子で首を傾げる。
リーネはそんな彼女を数秒見つめたが、小さく首を振ってやんわりと笑みを作った。
「何でもないわ――――ありがとう」
「はぁ、そうですか……」
そのやり取りに、コウはアヤの存在がどれだけリーネを救ってきたかを見た気がした。
数々の襲撃の最中、護衛とはいえ忠実な少女が傷つく姿を傍で見るのは、リーネの心に無数の傷をつけただろうが、それだけではなかったのだ。
矛盾を抱える見解だが、それはある意味当然のことであるようにも思え、コウは新鮮な気持ちを覚えた。
長く傍にいたからアヤがここにいるのではなく、アヤだったから長く傍にいられてここにいる。
そう思えてならない瞬間だった。
「さて、みんなの参加が決まったところで、作る部活ですが~!」
いよいよ発表ですとばかりにロンが言い、アヤが目を輝かせる。リーネもそんなアヤを見て、何処か表情は穏やかだ。
コウもコウで結局のところ部活作りに関して、全く触れていないので、内容は一切知らない。この発表で初めて全貌を知ることになる。
一体どんなものかという期待は、確かに高まっていた。
「まだ決めてまっせーん!」
凍りついた。
特に期待を大いに膨らませていたアヤは痛々しいくらいである。子どもに玩具を与えてすぐに取り上げたら、同じものを浮かべるのではないかという表情だった。
笑いが生まれると思っていたようで、ロンは「あれっ」と声を引きつらせながら、言葉を強引に繋げた。
「じょ、冗談だよー、冗談! ちゃんと考えてあるよ! って、あぁ、アヤちゃん、そんな親の仇を見るような目をしないで!」
「お前なぁ、そういうのはいいんだよ、そういうのは。それで? どういう部活を考えて来たんだ?」
コウは聞きながら、以前は興味がなかったので情報が少ないものの、部活に関して昔ロンから聞いた話を記憶という名の棚から引き出す。
クライニアス学園は種々な分野の専門家を生み出す機関であり、部活などしている暇はないように思えるが、意外なことにそうではない。
何年もの間に亘って、一年のほとんどを学園で過ごすことになるのだから、娯楽は多いことに越したことはないのだ。
時間的に厳しくとも、部活動に励む生徒は少なくないのである。
「俺達が学ぶ分野はそこそこばらけるから、やっぱり休息系か?」
学園に存在する部活は両極端だ。
自分の将来に関係しそうな技能を授業外で底上げするため、言わば全力で学び、向上するための部活。
毎日が鍛錬、学習、集中しろだからこそ安らぎを求めるため、言わば全力で遊び、休息するための部活。
この予習と復習か、趣味と休憩の二つの方向性だ。自分を追い込むことも、気遣うことも、成長には大事なことである。
学園という性質上、どちらも賛否両論であり、部類がどちらでも文句を言われる筋合いはない、という具合だ。
四人はそれぞれ重点的に学びたいことが違うので、誰かを尊重するよりはいっそのこと趣味のための部活を選ぶのが無難と言う話である。
「せいかーい。その分野について全く触れたことないのに、向上系の部活に入るのは煙たがられるしね」
基礎鍛錬の授業に倣うわけではないが、伝統の如く両極端な思想は受け継がれており、向上系の部活は遊び半分の気持ちで来るな、という少しばかり排他的な流れが存在している。
それが過激な所は高等部二年生以上なら、自分が学園に提出した時間割表の写しを持参しなければならず、それ以下ならその部に関する授業を将来的には時間割に組み込む、と誓約書に記さなければ、入部手続すらできないと噂されるくらいである。
真面目と言う言葉に隠れる暗い部分を垣間見るようで、コウとしてはそんなのは御免こうむりたい話だった。
「それなら、一体どういう部活にするんだ? 好い加減、勿体ぶっていると、アヤのお前に対する好感度がなくなる以上に酷いことになるぜ?」
「そうだね! 俺、女の子の無表情がこんなに怖いと思ったの久しぶり!」
それはリーネのを見て以来ということだろうか。というのはどうでも良かったので、黙って目で先を促す。
こほん、とロンは一つ咳払いをして、ようやく口にした。
「学園不思議調査部、というのはどうだろ待ってアヤちゃん、俺はふざけてないよ!? これは真面目に言ってるよ!?」
嫌いなものを見るような顰め面をする少女にロンが必死になる。
だが、無理もない。前振りが長かった割に、紙に記せばとても胡散臭い字面になりそうな部活なのだから。
どうやらこれは本当に本気で言っていたらしく、あれこれ言うコウの悪友であるが、言葉を重ねれば重ねるほどに怪しさという水のかさが増していく。
流石にそれは立ち上げ実現不可能だろうという空気が漂うが、そこで投げやりに出された割に、物凄く意外な一言が登場した。
「うぅ、でも、実際にあった部活なのに……」
「え、今なんて?」
思わず聞き返せば、驚く面々の反応に気づかないで、打ちひしがれたままロンが繰り返す。
「だから、実際にあった部活なんだよぅ……」
言いながらロンは膝の上に置いていた、わざわざ寮に戻ってまで持ってきた物を机の上に置くと、中身を取り出した。
「えーっと、どれだったっけ。これが今ある部活の一覧表、これが部活を立ち上げるにあたって必要なことが書いてるやつ。あ、ちょっとグラスを隅に……ありがとう。んで、これが……」
何を持ってきたのかと思われていたが、正体は紙の束だった。部活関連の様々な書類である。
それらは項目ごとに分けられているようで、ロンは机の端まで使って並べていく。全てが並べられた頃、机のほとんどは他の物を置くスペースがなくなっていた。
一応、飲食店に部類される喫茶店なので、流石にここまで堂々と飲食に関係ないことをしていると、注意の一つは受けそうではある。
だが、店の様子を窺うと人は増えつつあるものの、ぎりぎり忙しいまではいかないようなので、即座に追い出されることはないだろう。
場合によっては注意を受けそうな状態であることを念頭に置きながら、コウは素直な感想を述べる。
「お前よくもまぁ、一人でこんなに調べたな。これは……現段階で教師が顧問を引受けているかどうかの一覧と各教師の趣味か。確かに趣味が分かっていれば、顧問選びの参考になるけどさ。……これといい、どうやって調べたのか気になるのがいくつかあるなおい」
書類は資料室に行って見繕い、『転写筆』を使って複製したものが大多数だろう。資料室の入室も情報の持ち出しも許可がいるので、見えないところでいろんな手間をかけているのは想像に難くない。『転写筆』をロンが所持しているのかは不明だが、学園に借りたとすればその使用許可の手続きも行っているはずだ。
その苦労を行ったことは称賛に値することであるのだが、中には地道に集められる情報を超えたものもあり、仮に学園の生徒に聞きこんでも手に入らないだろう、と断言できるものがあったのだ。
コウがいろんな意味を込めて目を向ければ、悪友は可愛らしく誤魔化そうとするように、舌をぺろりと出すだけである。
うざっ、とコウは率直に思ったが、今回は助かる情報ばかりなので、口には出さない。何か言いたげなリーネ達にも今回は見逃すよう目でそっと語りかけた。
そんな心情や静かなやり取りに気づかないで、彼は並べた書類を順に手に取っては戻していく。
「これ、じゃなくて、これ、でもなく、これ……も違う、こともなかった! これこれ」
そう言って一度戻してから再び手に取った書類には「廃止決定部活動一覧」と見出しがあった。
基本的にこうした書類は全て手書きなので、細々としたことまで記録してあるのは素晴らしいことである。記録した人間からすれば、それが仕事だっただけに過ぎないのかも知れないが、コウからすればただ頭が下がることだ。
見せたいページがあるらしく、ロンは書類を捲っていく。コウはそれを横から覗き見た。
どうやら、ただ廃止になった部活を記載するだけでなく、簡素なものではあるが、その理由やいつ廃止になったかなどの概要も書かれているらしい。
「学園不思議調査部、学園不思議調査部、が、く、え、ん、ふ、し、ぎ……おっ、あった」
ロンが見せてくるところを確認すれば、一覧の中には確かに学園不思議調査部と間違いようもなく記されていた。
「ん、廃部になったのは八年前。理由は部員不足のため、か」
「本当にあった……これはどういうことをする部活だったんだ?」
まさか書類を偽装することもないだろうし、信じがたいことながら、この怪しさ満載の部活が存在していたことを疑う余地はなさそうだ。
胡乱そうな目を徐々に戻しつつ、一先ずは受け入れることにしたらしいアヤがロンに目を向ける。
「待ってね。確か、こっちにそれが書いてあるやつが……」
立ち上げる部として目星をつけていただけに、関係する情報は一緒くたにまとめてあるらしい。
それらしき束を手に取ると、ロンは読み上げていく。
「えー、学園不思議調査部。活動内容、学園に存在するありとあらゆる不思議、謎を解明すること。今なら、美人で可憐な部長先輩に罵ってもらえます! お触りは厳禁! ただし、誠意次第で相談受付!」
「おい後半なんだ」
誠意次第とはこれいかに。
別種多様な意味で凍り付く女性陣を尻目に、コウはロンが読み上げたものをひったくる。
「部員大募集!」と大きな文字が紙面を躍っていた。どうやら部活の新人勧誘用の小さな張り紙であるようだ。八年前以降の物のようである。
いかにも「学生がノリで書き上げました!」という風だ。口説き文句に説得力を与えるためか、シャツを半場まで脱ぎ、誘うように鎖骨と肩を露出させて扇情的な格好の女子生徒らしき絵も掲載されている。無駄に上手かった。
部活という生徒が学園で行う活動の勧誘であるはずなのに、いかがわしい店の宣伝用の張り紙みたいである。
こんなものまで保管していることに対して、本来なら感心できそうなものなのに、内容のせいで何とも微妙な感じになってしまうのは否めない。
「いやだって、まだ部活があった当時の人達が書いたやつみたいだし、内容を知るのはこういうのが逆に良いかと思って」
「違う意味で胡散臭さが加味されただけだと思うぞ」
ここまで際どい勧誘をしていたのに、廃部になった原因が人数不足であることを思うと、当時の部員達の切実さ伝わってくるようだった。
コウはひったくったついでに、学園不思議調査部なる部活の情報がまとめられた紙束を捲ってみる。
驚いたことに、ロンが口上した以上の活動内容の情報はなかった。
新たに得られたことは学園創立後、学園全体として部活の立ち上げが認められるようになってから、すぐに作られた部活で、八年前に途切れるまでは、結構長く継承されていた部活であったことだろうか。
つまりは、本当にそんなことを活動内容にしていた部活だったのだ。
「昔の先輩方って……」
リーネは嫌悪して否定までいかずとも、しかし肯定もできないという感じで、表に出す態度を決めかねている様子である。
コウは一つ溜息を漏らす。
「俺は今、痛烈に思うことがある。それは、この部が本当に部員不足で廃部になったのか、だ。この張り紙見る限り、何かやらかして強制的に解散させられた感が凄まじいぞ……」
張り紙自体はどの年代に作成されたかが読み取れないので、それはコウの憶測でしかないのだが、不思議と違和感がないのだった。
女性受けの悪そうな冗談(?)を聞いてから、目元を幾分も細めるアヤが聞いてくる。
「それで、どうしてロンはこの部活を選んだんだ? 他にも選択の余地はあっただろうし、そもそも過去に廃部になった部活を復興させる意味は?」
その言葉を受け、確認するために例の一覧表を見れば、確かに多いとは言えないが、少ないとも言い切れない数で他にも廃止された部活はある。
アヤは適当に言ったようだが、この質問はある意味もっともなものであると言えた。
ロンが少し間を置く。それから口を開き、
「ロン、張り紙が気に入ったからとか、冗談でも言うの今だけはやめとけ」
何かを言う前にコウは釘をさしておく。
「…………」
コウの悪友はひどく目を泳がせた。
どんなことを言うつもりだったのかは定かではないが、ロンは気を取り直すように再び間を置いて、ようやく選考理由を説明した。
「まず先に、廃止になった部活から選ぶ理由。それは前例というか、実在した部活を復活させる方が、一から新しい部活を立ち上げるよりは楽だと思ったから。いろいろな意味でね」
(まぁ、それもそうか)
その意見にはコウも同意である。
この時点まで景気よく話したりしていたが、新しい部活を作るというのは容易なことではない。
立ち上げようとしている部活をすることにどんな意味があるのか、どうして立ち上げる必要があるのかなど、細かなことまで学園側の確認が入るだろうし、承認されるのに時間もかかる。
その点、前例として既存した部活であれば、そういった手間が省ける。一言、「昔あった部活だ」と答えれば解決してしまうのである。
もちろん、一度廃止された部活を復活させる意味を問われるだろうが、一から立ち上げる場合よりは難しいことはないだろう。
「一度は開設されており、かつ廃止になった理由に問題が含まれていない。それが選ぶ際の条件だったんですね?」
コウと同じく理由を察したのだろう。リーネが確認を取るように聞く。
ロンは理解が得られていることで満足そうに頷いた。
「そう。流石に禁断級魔術を独自に調査した~だとか、校則に触れることをした~なんて部活だと、全力で止められるだろうしね」
「……選考基準は理解した。だが、それでもまだ他にも候補はあったんじゃないか? あえてこの胡散臭い部を選んだのは?」
リーネに続いてまたアヤが聞けば、ロンは僅かに肩を竦めた。
「廃部になった理由で無害そうなのって、どうしても人数不足に限られちゃうんだよね。んで、人数不足になるような不人気の部活が楽しそうだと思う?」
「そういうことか」
コウ達の目的は学園生活を楽しむことだ。ただ立ち上げても意味がない。興味が出るものであるのが望ましいのである。
「でも、そういう意味じゃ……学園不思議調査部? も胡散臭い限りで、本当に調査するものなんて、あるのかも分からないじゃないか」
アヤが言外に興味がないことを告げる。
学園にある不思議なんて、所詮は噂や作り話が基で大したことないと思っているのだろう。
だが、それも全く信憑性がない場合に限るのだ。含み笑いを浮かべながらコウは口を開く。
「俺はありだと思う」
「え、コウ殿、本気ですか? こんなしょうもないオチしかなさそうな話を調べる部活なんて……」
「その口ぶりだと、気づいてないみたいだな」
「はい? 何がですか?」
怪訝そうにするアヤに対して答えず、あごを動かし自分の隣を見るように促す。
意味が分からないと眉根を寄せる彼女だが、行動は素直に従って、時に親友、時に姉妹のように接し合う主に目をやる。
「面白そうですね!」
そこには星でも浮かびそうなほど、瞳を爛々と輝かせるリーネの姿があった。
「お、お嬢様? 学園に隠された謎や不思議なんて、そんな子ども染みたものがあるわけ――」
「何を言ってるの、アヤ」
「何って……」
疑念を持って話しかけて、まさか逆に不思議そうにされると思わなかったのだろう。アヤは隠すことなく戸惑いを見せる。
そんな彼女の目を見ながらリーネは更に続けた。
「私達はもう不思議や謎を体験してるじゃない」
「体験してるって、一体何を言って…………あ」
アヤの表情が明らかに変わる。
そう、ここにいる全員がつい今朝のこと、その不思議を利用していたのだ。
「謎の地下通路に、不思議な地下空間……」
秘密の場所と短絡的に称する、あの緑生い茂る空間である。あれを謎や不思議と呼ばず、何を謎で不思議だと言うのか。
そういうものがあることを既にこの場の全員が知っているのである。
一つ胡散臭いものが本当の本当に実在することを知ってしまえば、あとは自然と思考はこうなる。他に囁かれる謎や不思議の噂も、調べてみれば面白い結果が出てくるのではないか、と。
ロンが悪戯を計画する悪ガキのような笑みを作る。
「どう? 興味出てきたんじゃない?」
これに、アヤは何度も首を縦に振るしかないのだった。
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