第三十一話
鋭く吐き出された息と共に、その気合の声は放たれた。
「はぁっあああぁっ!」
繊細さを思わせる、透き通るような声が空気を激しく振動させる。
明らかに男のものではない。女、それも少女のものだと断言できる高さの声音だろう。
少女の気迫は凝縮するように、一つの動作へと籠められていた。流れるような動きで身体を移動させている。
草が生い茂る地面に線を書くように足を滑らせ、担ぐようにして肩に添えている得物が連動するように、その鋭利な輝きを煌めかせようとする。
少女が狙うのは藁束や木の板などの類ではない。彼女が今まさにその手にある得物を振り切ろうとしている先には、少女と同い年くらいの少年が立っていた。
少年の見た目は一見すると中肉中背。よく見れば引き締まった身体を有していることが窺えるが、それでも筋骨隆々な大男という印象は絶対にあり得ない。
何故、そんなことをわざわざ確認するのか。それは少年の傍で真っ直ぐに突き立つ物が原因だった。
その物体は一振りの剣である。ただし、誰もが真っ先に思い浮かべる、通常の剣とは全く異なる点があった。
でかいのだ。少年の背はこの年頃の標準より少し高い程度であり、突き立つ剣はその背丈よりは短いが、地面に半分ほどは埋まっていると思わせる現段階ですら、九十センチメートルはある。
地面に埋まった部分を加えれば、果たして長さはどれほどになるのかという具合だった。
大剣と言うべき大きな剣は、それだけで強い存在感を醸し出している。
そのため、「少年の傍に大剣が突き立っている」というよりは「突き立つ大剣の横に少年が控えている」と表現した方が自然に思えるくらいだった。
気合と共に振られた少女の得物――――刀は、吸い寄せられるように、大剣を避ける軌道で少年の肩口へと走っていく。
その刀が模擬刀であったり、実は材質が木材であったりという事実はない。間違いようもなく真剣である。
人を傷つける力を持った一撃。それを少女は躊躇いもなく全力で振るっていた。
少年は躱そうとしない。それどころか足を動かす素振りすら見せていない。空気を裂きながら進む刃は、その身に届くかのように思われた。
しかし、直後に響いた甲高い音によって、それは否定される。
その音は金属同士がぶつかって生じた結果である。
少女が両手で握る刀と、少年の傍らに聳え立っていた大剣が刃を交えた音だった。
少年は足を動かすことはなかったが、代わりに腕を動かし、手を伸ばしていたのだ。もちろん、隣に突き立つ大剣の柄へである。
剣身の半分ほどまで地面に潜っていた大剣だが、いつの間にかその全貌を露わにしていた。
改めて観察すると、全長は地面に埋もれていた部分を合わせて、約百五十センチメートルほどである。剣身の幅は五センチメートルくらいで、厚みはこの規格の剣にしては薄い造りになっていた。
鍔の部分が剣身と重ねるように、十字を描いて横へ少し長めに伸びている。横へ伸びる柄の先には四つの角張った輪からなる、四葉の装飾があしらってあるのが特徴だろう。
柄頭が丸く膨らんでおり、その丸みに重みがある。
それは構えた際に重心を安定させるため。そして、大剣であるため使用することは稀であるだろうが、打撃を繰り出すためだろう。
クレイモア。両手直剣に部類されるその名が、少年が掲げるように持つ大剣の呼称であった。
「……コウ殿、いくらなんでもこれは力持ち、の一言では済まされないと思うのですが」
絶え間なく力を加え、刃同士が擦れる音を発生させながら、刀を握る少女――――アヤが呆れたように白い目を向けてくる。
彼女がそう言って来るのは、地面に深く刺さっていたクレイモアを一息に抜いたこともそうだし、何よりもその持ち方にあるのだろう。
吊り上げた大きな魚の尾を持って自慢するように、柄を片方の手で逆手に持っているだけの状態。渾身の一撃をそんな風に受け止められれば、流石に文句の一つくらい言いたくなるのかも知れない。
対して、コウはそんなことなどお構いなしだった。向けられる呆れを受け止めて、にやりと口の端を上げる。
「戦闘の最中にお喋りとは余裕じゃないか」
ぞっと悪寒を感じたアヤが反応する前に、コウは次の動作に入っていた。
掲げるように持つクレイモアの剣身に膝をつけ、刀を受け止めたまま彼女の身体に押し当てる。その行為に理解が及ぶ前に、蹴り飛ばす要領で彼女の身体を思いっきりすくい上げた。
「うぁああぁあああああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
アヤの声が遠ざかっていく。彼女の身体は大よそ五メートル上へと昇っていた。簡単な動きで行われた割には随分な高さである。
まさかあんな状態から、しかもこれほど高く吹き飛ばされるとは思ってもいなかったのだろう。彼女は短い悲鳴を上げながら、手足をばたつかせ、不格好な体勢で宙を舞っている。
コウはそんな彼女へ容赦なく追撃を加えるように、肩幅ほどに足の間隔を広げて腰を僅かに捻る。
そして、重量感たっぷりの両手直剣を持ち直し、背に抱え込むようにぐっと力を蓄え、落ちてきたところを迎えて斬る状態を作ると宣言する様に言い放った。
「さらばだ、アヤ! 短い間だったが楽しかった!」
「ちょっとおぉ!? 参りました! 参りましたぁあああ!」
遠ざかった声を逆に近づけていたアヤは、声を嗄らさせそうなくらい高らか叫ぶ。負けを認めると辺りに響かせたのだった。
時刻は太陽が昇り始める少し前くらいの早朝。
コウとアヤの間で行われた二回目となる模擬戦。この勝負はこうしてまたコウの勝利として幕を閉じるのだった。
コウ達が襲撃者と戦った校外授業。あのことが、最終的にどうなったのか触れておこう。
あの日、四人はフィフス森林から抜け出し、クライニアス学園の教師達や警備部隊の保護を受けた。そしてそれから行きと同じように長時間馬車に揺られて学園へと戻った。
帰ったらすぐに聴取が行われると思われていたが、学園に着く頃にはすっかり日も暮れており、それは翌日に回されることになった。
それは表向き「事故」に巻き込まれた生徒達の精神的な回復のため、という名目であった。
しかし、実際には情報の裏付けや事態の処理などが、優先されたという一面があるのも否定できないことだろう。
そしてその翌日。聴取は予定通り行われた。
コウ達は学園に着いてから教師達に寮の各部屋に押し込められている。しかし、コウとロンの悪友コンビが暗躍し、四人は密かに口裏合わせをしていた。
よって、憂いなく意気込みと共に行ったのだが、意外にも聴取は簡単なもので終わった。
これにコウを除く三人は首を傾げるばかりだったが、コウは「大人の事情ってやつ何だろうな」と一人で納得していた。
今回の校外授業であった様々は、学園側からすればあまり表沙汰にしたくないのだろうということである。
まず、最初に挙げられるのは、盗賊団らしき組織が校外授業を実施する場所に紛れていたこと。
事前に気づくことができなかった調査不足もそうだが、何よりもその場に生徒を送ってしまっていたことが不味かった。
クライニアス学園は様々な技能を取得し、各分野の専門家を輩出することで有名な教育機関だ。
当然、その授業内容が生半端なものであるわけがなく、時には怪我を負う可能性など、多少の危険と生徒は向き合わなければならない。
――――しかし、だからと言って、好き好んで危険の中へ飛び込んで行くのを、よしとする生徒はいないだろう。
もちろん、学園側もそんなことを強いるつもりはないだろうし、自分の子どもを送り出した生徒の親達も望んではいないだろう。
生徒達の中には貴族といった、いわゆる特権階級に属する者達もいる。
それらに属さない平民層に分類される親達もそうだろうが、それ以上にその生徒達の親がこの度のことを知れば、どのような抗議があるか計り知れない。
特権階級に属する者達は「自分らの子どもに箔をつけさせるためだけに、名高いクライニアス学園へ入学させた」と考えている者も多い。
だからこそ、その可能性は高いはずだ。
また、今回の事に上級魔術を扱える、上級魔術師と思われる存在が関係していただろうこと。これも学園側の頭を悩ませる案件になっているだろう。
校外授業の最中、学園側は森林内から押し寄せてきた魔物たちは、何か想像絶するような大異変によって行動を起こしていると思っていた。しかし、後々それは大規模な魔術によって発生したのだと知ったはずだ。
学園に所属するコウ達の担任教師、ミシェル・フィナーリルがその大規模術式陣を調査し、解体しているのだからそれは間違いない。
それがリーネを狙ったものだとは気付いていないはずだが、だからこそ、学園側にとっては悩みの種となる。
上級魔術師を動かすほどの動機を持つ、組織や個人を特定せねばならず、その点の情報の洗い出しにも当面は力を注がねばならないからだ。。
そして、森林内で発見された変死体。
まるで枯渇状態を超え、生命力を全て絞り出して萎れた人間の死体だ。その人物の特定と原因、それと盗賊団の抗争との関連を調査せねばならない。
実の所、学園が抱える大体の問題は、この変死体になる前の人間、魔物使いの老魔術師によって引き起こされている。だが、そんなこと実際に一連を見たコウとその話を聞いたリーネ達くらいしか、真相に辿り着くことはないだろう。
これで学園は幻の上級魔術師を追わねばならず、慌ただしく動いた所で、それら全部が無駄になることは確定的である。
他にも細々と理由はあるだろうが、主にこの三点の問題によって、大人の事情とやらが誘発されたというわけだ。
聴取が終了した後、コウ達に念を押して「この度のことは不明な点が多く、混乱を呼ぶ可能性が高いので他言しないように」という旨が言い渡されている。このことからも、それが窺えるというものである。
余談だが、三大貴族の子息であるロンが班員の中にいたので、言い渡してきた教師は少し及び腰であった。しかし、人の良い少年なので「大人の事情」に気づかないロンの方が、むしろ協力的な態度を取ったので、話がそこで滞らなかったのである。
一応、緊急時にもかかわらず、校外授業の目標である標符を採取していたということで、授業の評価は最高点を与えるということだった。
そういった小さなことが積み重なって、コウ達は体面的には「問題なく課題を熟した優秀な班」ということになっている。優等生であるリーネとアヤの存在が、その評価を後押ししていた。
裏の事情を察するコウからすれば、それには賄賂的な意味合いすら含まれているのだろうと思っている。
だが、学園にとって都合が良いように――――隠蔽工作のような行為に対しての是非はともかくとして――――コウからすれば、こちら側も学園に隠していることが結構あるのだ。素直に相手の判断を受け入れようといった考えだった。
お互い、変に藪を突いて、おっかない蛇が登場するのは避けたいのである。
こうしていろいろあったが、コウ達は今回の校外授業は終わりを迎えた。
そして、休日を一日挟んで穏やかな学園生活へと戻り、一週間が経ったのである。
そして、話は冒頭へと戻り、何故、コウ達が再び模擬戦を行っているのか。
前回の時は最終的にコウの強さを悟った、アヤの挑戦というものだったが、元々のきっかけはコウに対する彼女の不信感を解消するためである。
では、今回もまた彼女の不信感が募った結果なのか。
確かに校外授業でのコウは、独断での単独行動などが目に余るという見方もある。
しかし、今回はそういった理由ではない。彼女にとってそれはわざわざ蒸し返すことでなかった。
話はもっと単純だ。コウ達が再び向かい合ったのは、模擬戦を本来の意味で実行するためだった。
即ち、技術的な経験を向上させるための鍛練。戦う力を研くための行為である。
四人は校外授業を無事に終え、以前のようにゆったりと過ごしていた。そこでアヤが校外授業を振り返り、自分はもっと鍛錬をする必要があると言い出したのである。
コウは「そうか。まぁ、自分を鍛えることはいいことだ。適度にやればいいさ」と軽く返したのだが、それに対して彼女は何か期待の籠った顔をして、嫌な予感を覚えたコウに言ったのだ。
「是非、コウ殿にご指導をお願いしたいのですがっ!」
もちろんコウはこれを即答で「面倒」の一言のもとに切り捨てた――――のだが、しつこく迫られた結果、最終的にどうなったのかを言葉にする必要はないだろう。
何だかんだコウもたまには相手を置いて、鍛錬するのも良いかと思っていたのが、敗因の一つに挙げられるかも知れない。
あくまで「指導するのではなく鍛錬に付き合うだけ」という形だと明言するのが、せめてもの抵抗だった。コウは「たまに」付き合って一緒に鍛錬する程度に思っている。
もっとも、アヤが同じように考えているかは、この時点のコウは知る由もないことである。
そういった経緯があり、コウ達は学園の隠された通路の先にある秘密の場所へとやって来ていた。
前回と同じようにこの空間へやって来て向かったのは、生い茂る草花、木々の中へ足を踏み入れ、そして小川を越えた先。コウが広場と称する開けた場所だ。
そこで模擬戦を行ったのだった。
「いたた……」
コウにすくい上げられて上へと飛んだアヤだったが、それも既に終わりを迎えていた。
現在は術式陣が広がる土の上で尻餅をついている。刀を握っていない方の手で、痛む箇所を軽くさすっているようだ。
そんな彼女の前で、コウは再びクレイモアを地面に突き刺す。
この大剣はコウのコレクションの一つだった。
コウはロンに連れられて街に行った際に、武器屋で気に入った物をこうして集めているのだ。――――無論と言うべきか、相変わらず(武器にしては)安物であることに代わりはないのではあるが。
「衝撃は大分殺せてるはずだ。それでも痛むのなら、お前が受け身をしっかり取らなかったからだ」
コウがそう言うのと同時に、アヤの下で広がっていた術式陣が、役目は終えたとばかりに光の軌跡を残しながら消滅した。
一口に魔術と言ってもその体系は様々ある。
敵を打倒すための攻撃魔術。傷を癒す治癒魔術。対象の力を増幅させる支援魔術。そして、術者に様々な効力を与える補助魔術だ。
今回使用したのも校外授業でコウがリーネを連れて空へと昇った後、降りて着地する時に展開したのと同じものであった。
効果は術式陣内の衝撃の軽減であり、下級補助魔術に部類された。
今まででコウが使用している『認識阻害』、『感知』、『探知』、『念話』、『暗視』なども同じく補助魔術である。
各属性に振り分けられる攻撃魔術と違い、その他の魔術は属性というものがない。あえて振り分けるなら「無」の属性になるだろう。
具体的な力の形がないからこそ、その使い方は術者の裁量によって決まる。ある意味、魔術の中で一番使い勝手が良いのは補助魔術だとされていた。
「まさか、あんな風に打ち上げられるなんて、誰も想像できませんよ。というか、大剣をそんな使い方する人、あり得ませんって」
痛みがようやく和らいだのか、アヤが口をとがらせている。
対してコウは素知らぬ顔で、しかし、実感を込めて言葉を返す。
「優雅にしようとして、形式だらけになった貴族同士の試合じゃないんだぞ。そもそも、戦いに常識を持ち込もうとしている時点で話にならん」
「それは、そうかも知れませんけど……」
半分冗談だと思っているのだろう。アヤが呆けたように呟く。
コウはそんな彼女をじっと見つめた。それに気づいた彼女が目を瞬かせる。
「な、なんですか?」
戸惑う彼女を余所にコウは一度視線を外し、それから改めて目を向けると逆に訊ねた。
「お前は、俺がどれくらい強いと思っている?」
「はい? え、えっと、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。良いから、答えてみ」
漠然とした質問にアヤは見るからに困ったような顔をするが、コウは構わず黙って答えを待った。
答えるまで話が進まないと感じたのだろう。彼女は探るような目を向けてき来ながら、思っている通りの感想を口にした。
「最強、ですかね」
「……それは、俺より強い奴などいない、という意味でいいのか?」
「はい」
「なら、まずその考えを捨てろ」
「ええっ!?」
自分で自分を誇張していたならともかく、まさか相手を称える意味で言ったことを、否定されるとは思っていなかったのだろう。アヤは心底驚いたと言う風に目を丸くする。
そんな彼女にコウは真面目な顔で説く。
「あのな、誰が一番だとか……特に戦いの世界で決めるのは、不毛なことこの上ないからやめろ。強い奴とまぁまぁな奴が戦ったとしても、条件だとか武器や戦法の相性で結果は違うだろうし、誰もが万全の状態で戦えるわけでもない。勝ち続けられている最高位の奴らを選出できても、誰よりも強い一人だなんて決められるわけがないだろ」
「ですが、コウ殿のように無茶苦茶な方なんて……」
「無茶苦茶って……というか、その考え方が既に常識から抜け出せてないんだよ。俺が少し特殊な戦い方をしているのは認めるが、俺みたいな奴が他に存在しないわけじゃないんだぞ?」
「コウ殿のような方が他にもいるんですか!?」
驚く彼女にコウは即答で言葉を返す。
「ああ、力の系統とか使い方は異なるが、間違いなくいるだろうよ。少なくとも知人にドラゴンと素手で取っ組み合いする奴とかいるし」
絶句、という表現が似合う表情でアヤは固まった。
以前、彼女はコウが作成した時間割に対して口を挟んだ。その際に、最強種に挙げられる生物である、ドラゴンを単身で倒す者がいることに触れていた。
故に、どうして自分が言ったことに、そこまで驚くのかとコウは首を傾げる。
この時のアヤの心情的には「世の中にはドラゴンと単身で戦う者がいるとは知っていたが、まさか十分な装備もなしに挑む者もいるとは思いもよらなかった」といった感じなのだろう。
コウがそれを知る機会は恐らくない。
「まぁ、そんな感じで、世の中には結構変な奴多いから、俺ごときで常識外れだとか言っていたら、いざという時に対応ができなくなるぞ」
「…………ですか」
アヤが前半部分が聞き取れないほど小さい呟きと共に頷いた。よほど衝撃的だったのだろう。
彼女の中で激しい改革が起こっているようだ。
コウは愕然とする彼女を見て、鍛錬も今日はこれで切り上げようと判断する。
そっとこの場を離れた。
「コウ、お疲れ様です!」
少し歩けば、鈴の音のような声が投げかけられた。広場を覆い囲む無数の木からなる木陰の中で、ちょこんと座り、コウ達を眺めていた少女からのものだ。鍛錬の終わりは既に察しているようである。
コウは片手を軽く上げて答える。
「おー、リーネ。退屈だったろう。寝てても良かったんだぜ?」
コウが冗談交じりにそう言うと、リーネはむしろ瞳を輝かせて否定した。
「退屈だなんて、そんなことありませんよ! 二人を見ていて、私、とっても楽しかったです!」
「鍛錬見てて楽しいって、珍しいやつだな。ああいうのが楽しいって言えるのは、やっている本人達だけだと思うんだが」
コウは本気でそう思って言っているのだが、対するリーネは少し興奮した面持ちで口を開く。
「だって、コウったら凄い高く跳んだり、剣を投げてアヤを驚かしたり、見たことのない動きをするんですもの。退屈するわけがないじゃないですか。それに、アヤも充実している顔していましたし」
世辞ではなく、本当に楽しんでいたのだろう。リーネは両手で口を覆いながら小さく笑い声をもらし、目を細めてにこにこと笑みを作っている。
それを見て、確かに地味な基礎鍛錬ならともかく、実際に武器で打ち合う模擬戦なら、まだ見所はあったかとコウは素直に思い直すことにしたのだった。
今回、コウ達は鍛錬のためにこの秘密の場所へ来ている。
そのため、武術を嗜まないリーネは別に来る必要はなかった。しかし、校外授業の際に、コウとロン、そしてアヤの三人は秘密の場所を知っているのに、彼女は自分だけが知らなかったので、仲間外れのような疎外感を覚えて悲しんでいた。
その感情を察したコウは今度教えると約束したのである。それが果たされた結果が、この場に彼女がいる理由というわけだ。
そんなこんなでリーネ、そしてアヤをコウが先導して連れてきたのだった。
コウは毎朝の朝練へ向かうため、普段扱う『認識阻害』に更なる限定的な術式を加えて使用している。しかし、人数が増えたためにそれだけでは補えなかったので、本格的な隠密行動をすることになった。
骨が折れたものの何とか連れてくることに成功し、楽しげなリーネを見れば苦労した甲斐があったと思えるのだった。
「でも、どうしてコウはあれで戦っていたのですか?」
コウが朝のいろいろを思い出していると、リーネが上品にひとしきり笑った後、不思議そうにあれを指差す。
彼女の指先を追った先にあるのは、何かぶつぶつと呟き出しているアヤの隣で、悠然と突き立つクレイモアだった。
コウは簡潔に答える。
「ん、理由としては三つ。一つ目は大剣の使い方を俺が忘れないようにするため。二つ目はこの前に買ったばかりだから、あれの使い心地を確かめるため。んで、三つ目はアヤのためだな」
「アヤのため?」
「そう。一言で言ってしまえば対大剣使いの練習だな。生徒がいろんな武器に対する戦いの経験を積めるように、学園でそういう授業をしているのは知ってるよな? それと一緒だよ」
形式を決めた試合ならともかく、命のやり取りをする戦いの場で、相手がどのような武器を使うか事前に知っておける――――なんてことは極稀な話だろう。
まさか敵にその武器は苦手だからやめてくれ、などと頼んでもしょうがない。
それならば、自分がどんな相手とも戦えるようにしておかなければならないだろう。経験を積むしかないのだ。それ故に、コウはアヤとの鍛錬にクレイモアを持ち出したのである。
「俺はどんな武器でも扱える! ……とは流石に言わないが、ある程度の種類ならそこそこ使えるからな。アヤの鍛錬に付き合う時は、いろいろ使ってみるつもりだよ。俺も相手がいる方が、使い方の再確認がちゃんとできてるか実感するし」
「は~、コウって普通の剣以外も使えるんですね……凄いです」
感心したようにリーネが見て来るが、それにコウは苦笑を浮かべて返す。
「武器は消耗品ってのが持論でな。戦闘中一つの武器にこだわって、気づけば手元に武器がありませんでしたじゃ笑えない、何て思ってるんだよ。だから、自然と覚えたんだ」
「そうなんですか」
納得、という風にリーネが頷いているが、もちろんこれが戦士の常識というわけではない。
自分の命を武器に預けるのだから、一つの武器を大切に使うべきだと主張する者もいるだろう。コウの身近にいる人間で言えば、アヤなんかがそうである。
と言っても当然、コウとて武器を大事にしないわけではない。最終的に何を頼りにするか、という点で考え方が違うだけである。
「ところで、コウ」
「ん、どうした?」
コウが聞き返すとリーネは一度視線を外し、辺りを見回しながら口を開く。
「あとで説明をしてくれると思って、ここに来てからずっと我慢していたんですけど……」
学園敷地内にいくつかある林。そこに存在する岩の下に隠された階段を下り、迷路のような通路を下へ下へと進み、そして現れるのがこの広い空間だ。
「多分ですけど、今私達ってパースライト城の真下辺りにいますよね?」
「おおよそ、その通りだと思うぞ」
学園の中心にして象徴的な建物、パースライト城。その下がコウ達の現在位置である。
ここには緑が生い茂り、人の手では作り出せないものが確かに存在していた。
「お日様の下。地下、ですよね?」
「だな」
緑の中にはそのまま飲めるほどに清冽な小川が流れ、せせらぎの音は聞く者の心を穏やかにする。
「…………しつこくてすみません。もう一度、確認します。ここって、地下なんですよね?」
「間違いなく地下だな」
同じ質問を繰り返されても、コウは怯むことなく頷く。
リーネは肯定を耳にすると、辺りへと向けていた目を改めてコウへ定める。
そして、疑問に眉を顰めた。
「では、どうしてここには自然があるんですか?」
通常、植物は地面の下では生息できない。太陽の光を浴びなければならないからだ。
太陽からの恩恵を受けずとも、根を生やし続けられる植物は全く存在しないわけではない。しかし、ここにある植物たちは、どれも地上で育つ普通の種類のものと、何ら変わりがないものばかりだ。
そもそも太陽の光が云々と話を持ち出す前に、触れなければならないことがあった。
コウ達の頭上の遥か先には、石造りの広い天井が存在する。天井がある、と視認できるのである。
この空間まで来る途中にあった通路の魔導具のような光源となりうるものは、一切ないのにもかかわらずだ。
まるで、紙に描かれた絵を必要な部分だけ抜き出すように、地上にあった空間をまるごと切り抜いて、ここに存在させているかのような。
そんな違和感が当たり前のように、この場所の構成内に含まれているのである。
ここへ連れて来たのがコウだからだろう。リーネはそのことを危険視するわけではないようだが、だからと言って無視できるほどの内容でもなかったようだ。
「どうかしたのですか?」
純粋に疑問をぶつけて来るリーネにどう答えたものかと、コウが考えていると、横からアヤが声をかけて来た。どうやら言われたことに対して、自分なりの決着をつけたようである。
そんな彼女にリーネが状況を説明して、彼女はリーネと同じように周囲を見回す。そうしてからコウに向き直ると、唐突に目を丸くしながら仰天して見せた。
「言われてみれば確かに!」
「お前それ今気づいたのかよ!」
アヤはここに来るのは二回目となるので、てっきり分かっていて無視しているのだと思っていただけに、コウの驚きは大きい。というより、気づいていなかったことの方が不思議なくらいである。
「いやぁ、今回もそうですが、前回はコウ殿と戦うことで頭がいっぱいだったので……」
リーネの護衛役であり、刀という変わった剣を使う少女剣士、アヤ。
そんな彼女は思い込んだら真っ直ぐに突っ走ってしまう、良いにも悪いにも転がる性格をしている。
とはいえ、いくらなんでも、それは余りにも視野が狭まり過ぎだろうとコウは思わざるを得ない。
「まぁ、いいけどさ。それで、話を戻すけど」
戻すも何も、話などまだ始まっていなかった気もするが、コウは強引に流れを修正する。
そのことにリーネは気づいたようで、「あれっ」という風に首を僅かに傾げたが、この場所の謎に関する話は歓迎のようで、何も言わずに話を聞く体勢を取っている。
アヤはそもそも途中から会話に参加したのだから、気づくも何もないという感じで、興味深そうに薄く笑みを作っていた。
「ここがどうして明るいのか、何故、植物が生息しているのかだが……」
ごくりっ、とアヤが喉を鳴らす。とても話しがいのある反応だった。
コウは勿体ぶることもないので、さらりと結論を口にする。
「俺もよく分からん」
がくりとアヤが大げさに身体を倒し、リーネは目をぱちぱちと瞬かせてから「あれ?」と小さく言葉をこぼした。
これまた良い反応だな、とコウは素直にそう思う。
「って、え、冗談じゃなくて、本当に分からないんですか?」
確認を取るように聞いてくるアヤに、コウは極めて真面目な顔で頷き返す。
「ああ、知らん」
「……そんな何が起こるか分からない、怪しさ爆発な不思議空間に、お嬢様を連れ込んだんですかぁあああ!?」
アヤはそう言いながら一気にリーネとの距離を詰め、傍について忙しなく辺りを見回している。警戒度を一気に跳ね上げているようだ。
既にここへ来てから数時間経っている。なので、今更な行動ではあるが、護衛役らしいと言えば護衛役らしい行動である。
コウは思わず吹き出した。
「あははっ、何か起こるような場所なら、もう何か起こってるって」
「軽いなこの人! 責められているはずなのに態度が軽いなっ!」
アヤが頭を抱え込みそうな勢いで叫ぶが、実際は言う通りであるとは分かっているのだろう。
それに朝の鍛錬をする場として、コウがここをずっと利用していることは二人に話してある。
仮に何かが起こるような場所であるなら、とっくにコウが対処しているだろうことは、考えればすぐに分かることだ。そうでなければ利用するわけがない。
だから、荒ぶる護衛役を落ち着かせた後に、リーネが聞いて来たのはその理由である。
「この場にいないロンさんを含めて、私達三人にここを教えたのって、コウなんですよね?」
「厳密に言えばアヤに関してはロンの奴が教えたんだけど、まぁ、どうせ教えるつもりだったから、俺ということになるな」
「ですよね。……では、何故そのコウがここのことを知らないんですか?」
コウはこの質問を聞いて、リーネはこの謎の空間を作り出したのはコウだと思っているのだな、と察した。
ならばと、コウは根本的な部分から話すことにする。
「ここはさ、随分前から存在しているみたいなんだ」
「ずっとあった、ということですか?」
「そう。俺はこの学園に来てから、あまり時間も経たない内に、ここに来るときにも使った隠し通路の存在に気づいた」
『認識阻害』によって自分の存在を他者から隠すことができるから、というわけではないが、コウは同じように隠れているもの、隠されているものを見つけ出すのが得意だった。
何気ない光景を見ていても、そこに隠されたものがあると、ふと引っ掛かりを覚えるのだ。
間違い探しをする感覚、と表現すればいいのか。コウはそうやって気づいてしまう。
学園に来たての頃、コウは学園内を散策した。
その中で隠し通路を発見し、興味が出たので侵入方法を探ったのだ。
そういったことを繰り返している内に、この不思議な空間に辿り着いたというわけだ。
最初の頃はリーネが抱いた疑問を同じく持ち、アヤのように警戒心を募らせたが、特に危険なものがあるわけではないと知ってからは、都合の良い空間だと思うようになり、好き勝手に使用しているというわけである。
「……大胆というか、考えなしというべきか」
アヤが呆れたように小さく首を振るが、思い込んだら何処までも駆け抜けようとする彼女なのだ。お前には言われたくはない、というのが感想に対するコウの感想である。
「それでコウはどうして光があるのかとか、ここのことは全然分からないんですね……」
うんうんと頷くリーネだが、しかし、コウはその認識に少し修正を加える。
「分からないことの方が多いから、胸を張れることじゃないが全く知らないというわけではない」
「と、言いますと?」
アヤの問いかけにコウはすぐに言葉を返さず、見た方が早いと、通常展開で周囲に術式陣を浮かび上がらせる。
展開されたのは『風鳥の刃翼』だ。同時に複数展開したそれを、コウは真上に向けて一斉に放つ。
「コウ殿なにを!?」
「コウ?」
驚くリーネ達の視線の先で、鳥が鋭く飛ぶかのような風の刃は、天井へぐんぐんと迫る。
『風鳥の刃翼』は初級風属性攻撃魔術だ。「初級」とつくように威力は低い。
なので、天井を決壊させてその上にあるだろう大量の土砂を降り注がせ、この謎の空間をコウ達ごと押し潰すということはない。
だが、天井の一部を破壊して、それなりの高さがある位置から、石の破片が落ちてくる、というのは十分にあり得る話だろう。
リーネとアヤは慌ててこの場から退避しようとするが、その動きが途中で止まる。
「なん、ですか、あれ」
それはどちらの呟きだったのか。呆然とした呟きがこぼれた。
コウが放った『風鳥の刃翼』は確かに天井へと到達した。そうなれば予想通り、危険な破片を撒き散らすはずだ。しかし、その結果が違ったのだ。
『風鳥の刃翼』はぶつかる瞬間に天井から浮かび上がった、青い光に吸い込まれてしまったのだ。かき消された、と表現しても良い。そんな現象が三人の見守る中で起こったのだ。
驚くリーネ達に対して、この現象が起こると分かっていたコウは簡潔に述べる。
「この空間には、結界が張り巡らされている……ってことくらいは、知ってるというわけだ」
「結界」と耳にした二人の目が驚愕に見開いた。
普段、学生達はあまり意識しないことだが、しかし、決して忘れないことがある。
それはクライニアス学園全体には、『感知』、『探知』の魔術が結界規模で常時展開されているということだ。
この二つの魔術が結界規模で展開されていることで、学園内では常に魔術――――特に攻撃魔術の使用が監視され、違反を犯した者はすぐさま見つけ出されるという仕組みになっていた。
学園の規則では教師などの監督者の前以外で、学園内での攻撃魔術の展開が禁止されている。
その理由は単純に危険だからというものだが、それにより魔術を扱える者達、特に魔術を扱える生徒は家柄が貴族といった特権階級である場合が多いので、その辺りの生徒達の暴走を抑える仕組みになっていた。
結界規模の魔術の二つが行う動作としては、学園内で展開された魔術を『感知』が調査し、それが攻撃魔術だと判断されると『探知』が作動して、使用者を割り出して教師や警備部隊に知らせるという手順になっていた。
結界規模で魔術を展開すると、魔力の消費量が激しい代わりに大きな効力を発揮するのだ。一例として、学園では治安維持のための抑止力として、働いていることが挙げられるだろう。
しかし、便利さの代償というわけではないが、結界規模で魔術を展開するというのは、かなり難易度の高い技術なのであった。
例えば、『感知』、『探知』、などの半人前でも扱える魔術であっても、結界規模となれば上級術師以上の技量が必要になる。
その土地に漂うマナや自然の状況などを綿密に調査し、幾重もの仕込みをして、ようやく結界規模で展開して問題ないか判断できる、という具合だ。
おいそれと望む場所に設置できるものではないのだ。
そう考えれば、かつて辺境の土地と呼ばれた場所に、学園を創立したゼウマン・クライニアスは、このことも視野に入れて選んだのは間違いないと言えるだろう。
つまり、リーネ達が驚いている理由は簡単だ。
状況や場所を選び、かつ高い技術を求められる結界が学園の地下という隠された場所で存在する。それは驚くに値することだったというだけの話である。
コウはつけ足すように結界の効果を口にする。
「あれには対魔術障壁、対物理障壁、探索系魔術無効化、気配遮断、音遮断、衝撃遮断、あと何かあったけ……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
アヤが両手を前に突き出して口を止めさせる。コウが素直に従うと、彼女は頭痛でもあるかのようにこめかみを片手で押さえている。
「……確認になってしまいますが、この結界はコウ殿が展開したわけではない?」
「そうだな」
「コウ殿が学園に来て、ここを初めて見つけた時には既に結界は存在した?」
「同じく肯定。空間の連結を遮断しているわけじゃないから、出入りは簡単なんだよな」
コウがそう言うと、アヤは本格的に頭が痛いかのように顔を顰めた。
結界規模で魔術を展開するのは、難しいと言ったことから察せられるかも知れないが、複数の魔術を同じ場所で、しかも同規模で展開し、維持するというのは数が増えれば増えるほど、その難易度は跳ね上がっていくのだ。
この空間を包む結界にコウが列挙した通りの効果があるなら、それは最高峰のものであると断言できる技術によって、生み出されたものであることは間違いない。
人は理解できる範疇を超えたものに出会うとそんな顔をするのか、と彼女の顔に浮かぶものを見てコウはそんな感想を持つ。
――――同じ表情を自身の行いで時々向けられているのだが、コウはそれに気づかない。
「はー、凄いですねぇ」
「いや、お嬢様、その一言で片づけるのはどうかと思う話ですってこれ……魔術に関してはあまり詳しくない私ですら、戦慄しているのですから……」
そんな二人のやり取りを見ながら、コウはまとめるように口を開く。
「まぁ、よく分からないけど、便利な空間が自由に使い放題だぜ! って、ことだよ」
「……その認識はどうなのですか。というか、本当にここ、危険とかないのでしょうか。凄すぎて逆に怪しむレベルですよ」
「まぁまぁ、アヤ。コウが大丈夫って言っているんですから」
胡散臭い物を見える目で周囲を見回すアヤと、それをなだめるリーネのやり取りの横で、コウはこの秘密の場所まで来るのに使う通路がある方を見る。
気配を感じたのだ。といってもコウに緊張はない。知っている相手だからである。
「ロンの奴が来たな」
ロンがやってきたことで、コウは早朝から朝へと、今の時間を表現する言葉が僅かに変化したことのだと改めて知る。
彼が来たことをコウが告げると、この空間に対する談義を始めていたリーネ達が、ぴたりと動きを止めた。
実は彼女達にはロンのことで少し気にすることがあったのだ。
校外授業を終えてから穏やかな学園生活を送っていたコウ達四人だが、一人大きな変化を見せた人物がいた。
ロンである。
以前の彼は何かあれば意図していなくとも騒ぎを起こし、うるさい程に活発であった。
それなのに校外授業後は妙に大人しく、普通にしているようで時々思考の海に潜り込んでいるかのように、ぼんやりと黙り込んだりしていた。
その様子を見たリーネ達は自分達の事情に巻き込んでしまった結果、思っていた以上に危険な目にあったので、自分達に嫌気が差してしまってのではないか、と思っているのだ。
コウは彼女達にそのことを相談された際に、そんなことはないと否定したのだが、彼女達は納得しなかった。
一応、コウは更に否定しようとした。しかし、ロンが校外授業の際にコウの両腕の怪我を見て、呻くような反応してしまったことも、彼が静かになっている理由の一つではと逆に指摘されたので、それ以上言葉を重ねることができなかったのである。
そういった経緯があって、現在のリーネ達はロンの名に敏感なのだ。
よくよく考えたら、アヤが模擬戦をけしかけて来たのは、ロンを気にすることで溜まったストレスを発散する意味もあったとも考えられる。
今日、コウはここに来た際にアヤから彼が来ていない理由について聞かれた。それに対してまだ寮で寝ていると返せば、彼女は良かったような悪かったような、という風に複雑そうな表情を浮かべたのだ。
そのことを思えば模擬戦を頼んで来たのは一つの理由ではなかったようだ。
コウがそんなことを考えている内に、それぞれに憶測が投げかけられる当人が姿を現した。
「お、みんな、まだここにいたか。良かった、入れ違いになったらどうしようかと思ってたよ」
ロンはにこにこと笑みを浮かべながら、片手を振って近づいて来た。それは彼らしい陽気な姿だが、校外授業後には見せなかった久方ぶりのものである。
その姿を見てリーネ達が顔を見合わせている。それを横目で確認しながら、コウは意識的に声を大きくして彼に問いかける。
無論、彼女達に聞かせるためである。
「お前、最近なんかあれこれ考えてただろう。一体なんだったんだ?」
リーネ達が突然なにを聞いているのだと、静かに慌てているが、気づかぬふりをしてコウはロンに目を向ける。
「おはようもなしに、いきなりな質問だね。コウは相変わらず唐突に行動を起こすなぁ」
「そうでもないだろう? つい昨日の夜まで沈んでいた奴が、太陽が昇った後には元気になっているんだから。……二人が気にしているんだよ」
「リーネちゃんとアヤちゃんが?」
言いながらロンは二人へ目を向ける。慌てる二人はあからさまに落ち着きのない態度を見せていた。
その姿を見て、彼はあらかたのことを察したらしい。普段は頭の悪そうなことを突拍子もなく言う少年だが、決して馬鹿ではないし、人の気持ちが分からないわけでもないのだ。
彼はやってしまったとばかりに頭をかく。
「あー、そっか、時期的にそう考えても仕方がないか。ごめんね。……えーっと、校外授業が全く関係しないわけじゃないんだけど、俺がちょっと大人しくしていたのは別のことだよ。俺がもう二人と付き合うのは嫌になったとか、そういうことは全然ないから」
ロンが断言するようにそう言うと、二人は一度動きを止めた後、ほっとしたのか目に見えて安心した顔になる。
コウもコウで、自分の両腕の怪我を見た際に、嫌悪をするような反応をしてしまったことを、彼は自分なりに消化したのだろう、とぼんやりと推測した。
「ん、じゃあ、どうしてお前は沈んでいたのか、と新たな疑問が出てくるわけだけど……それは答えられることか?」
場合によっては聞かれたくない話であることを考慮して、コウはそんな風に聞いたのだが、ここでロンは意外にもにんまりと笑って見せた。
「実のところ、最近静かにしていたのは、ちょっと考え事をしてたからなんだ。……それで、その考え事も昨日の夜、ベットの中で解決した」
理由を話すと共に浮かべられた笑みを見て、リーネ達は安堵しているようだったが、コウは逆に眉を顰めていた。
彼が今浮かべている種類の笑みを、コウはこれまで何度も目にしている。その全ては何か企みを打ち明けて来る時であった。
そして、案の定と言うべきか、彼はこんなことを言いだすのだ。
「みんなで部活に入ろう!」
校外授業を終えて、穏やかな学園生活を送っていたコウ達。しかし、それはコウの悪友である少年が、計画を企てていたがための穏やかさだったことを、後々になって知るのであった。
よくよく思い返せば、コウ達が四人の中で築き始めていた日常というのは、穏やかという言葉の似合わない、騒がしいほどに楽しむものであるのだから、ある意味それも当然の話だと言えるのかも知れなかった。
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2014/04/12 03:13
一部文章と誤字脱字を訂正致しました。