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第二十八話

 ※レイアウトに関して

 皆様からご意見をいただきまして、自分なりに考えた結果、このような結果になりました。

 字を大きくしたり、下地の色を変えたりと、大きな変更点もあったので、今後も微調整があるとは思いますが、しばらくはこの形でやっていきたいと思います。


 ご意見、ご指摘をくださった方々、そして私の我がままにお付き合いしていただいている読者の方々に感謝を。

 本当にありがとうございます。


 コウがリーネを抱えて跳んで行った(、、、、、、)直後のことだった。

 その時、ロンは喉から声を絞り出すように叫んでいた。


「あ、アホー! コウのぼけぇー! 跳んでいくなら一言くらい言えよ! いきなり行ったらびっくりするだろううぅうう!」


 ロンはそんな調子でコウに罵詈雑言――――と言うには、些か幼稚な言葉遣いで毒づく。しかし、彼と彼に連れられたリーネが、ロンの視点で一瞬の内に姿を消してしまったことを考えると、その言葉が彼の耳に届いた可能性は限りなく低いだろう。

 ロンもそれくらい分かっていたが、言わずにはいられなかったという感じだった。


「はぁ……あいつは、ほんともう、しょうがない……」


 ロンはそう呟きながらがっくりと肩を落とす。コウはコウでロンに呆れ、ロンは同じようにしてコウに呆れている。互いが自分に対してそうだとは露知らずな二人だった。

 ロンは取り残され組の相方となった隣の少女を見る。彼女は口を半開きにしたまま、コウ達が突っ込んで行った頭上の緑を見つめていた。


「アヤちゃん、アヤちゃん、乙女にあるまじき惚け面だよ?」


「…………はっ! ま、まさか、そんな、コウ殿は空を飛べるのか!?」


 アヤは少し間を置いてから反応を示したが、ロンの言葉に気づいた様子もなく、激しく当惑した様子を見せた。

 まぁ、普通はそういう反応だよな、とロンは何処か他人事風に考えてから、慣れてしまっている自分を発見してしまった。

 そのことに微妙な感情を抱きながら、一先ずアヤを落ち着かせようと声をかける。


「アヤちゃん、違うよ? あれはとんでる……飛行じゃなくて、跳躍なんだ。あいつ軽い感じですっごいジャンプするんだよ」


「跳躍!? あんな速さで跳んで、蹴った地面を抉らずに高く跳んだと!?」


 物の見事に失敗した。むしろ、落ち着かせるどころか逆効果である。

 アヤは当惑を超えて、錯乱と形容した方が良さそうなくらいに眼をむいている。

 ロンはよく短い時間でそこまで観察しているなぁ、と呑気な感想を持つ。その一方で、このままだと、本当に彼女が錯乱して暴走しかねないとも思った。

 一か八か、いつも自分が自分を納得させるのに使う、それこそ魔術のような言葉を投げかけることにする。


「アヤちゃん」


「お嬢様はコウ殿に支援魔術を施したりしていなかったよな!? それに、支援魔術を施していたところで、あんな強化されるわけじゃないよな!? ただの跳躍で何処へ行ってしまったんだ!? いくらなんでも人間離れし過ぎ――――な、なんだ?」


「でも、コウだよ?」


「何を言って……………………むぅ」


 沈黙。

 思考がそのまま言語となって流れ出て、一の言葉を投げかければ、十の言葉は叩きつけてきそうなアヤだったが、ロンの一言で黙り込む。それから、何かを思い出すように思案顔を作った。そして、最後に真面目な表情になると頷いた。


「そうだったな、コウ殿だもの、こういうこともあるか」


 さっきまでが嘘のように、これ以上なく冷静な様子でアヤは頷きを繰り返す。

 そして、近くの木に背を預けると、上を見上げてコウ達を待つ体勢になった。


 それを見て、ロンは思う。

 自分がやったことながら、こうしてまた、コウが行う常識外れに対する理解を放棄する者が、増えてしまったのだな、と。


「……ロン、何だその妙に悲しげな目と笑みは。見ていて何か嫌だからやめろ」


 アヤがいつの間にか視線をロンに移しており、不気味そうにしているが、ロンは努めて慈愛に満ちた優しげな笑みを浮かべる。


「うん、いいんだよ。アヤちゃんは悪くない。誰も、悪く……いや、コウが悪いんだよ」


「はぁ?」


 そんな感じのやり取りは、話の流れに任せて抱き着こうとしたロンが、アヤに鎖骨の辺りを殴られるまで続いた。






「痛い。痛いですこれ。時間が経っても一向に痛みが引かないです。アヤさん、鎖骨って、折れやすい部位ですよね。格闘術の素人に繰り出すところじゃないと思います。というかこれ、折れてないですよね? 大丈夫ですよね?」


 実際は抱きしめるような度胸などなかった――――というか万が一成功してたらロンは、のぼせ上っていただろう――――が、思わぬ迎撃にあってロンは鎖骨を手で押さえながら蹲っていた。


「ふ、ふん! は、破廉恥なことをしようとした貴様が悪いんだ! ……最近は少し見直していたが、やっぱりロンはロンだな」


「今痛みで幸せな幻聴が聞こえた気がした! アヤちゃん、もう一回言ってくれませんか!?」


「う、る、さ、い。こっちに寄って来るな破廉恥! ……痛いとか言いつつ、腕を使って立ち上がったじゃないか。その様子だと折れてはいないだろう」


 そう言いながら顔を背けるとアヤは移動し、距離を置いてまた背中から木に凭れかかった。

 不機嫌です、と主張するように、ロンを無視する姿勢を見せている。しかし、黒い髪から覗く耳を赤く染め、言ったものの本当に大丈夫か不安に思ったのか、時折ロンのことをちらちらと見ているのだから意味がない。


「うぇへへ、アヤちゃんは本当に可愛いなぁ」


「ッ!」


 ロンが呟くとそれを聞き逃さず、アヤは髪を振り払うように顔を上げる。

 そして、耳と同様の色に染め上げた顔で睨みつけて来るが、すぐにそれを訝しるような目つきに変える。


「いつも、その、なんだ、そんな風に私をからかって来るが、そう言いつつ貴様……ロンは、他の女と仲良くなろうと奔走しているよな?」


「うぐっ! いや、そんなことないよ? ナイヨデスヨー?」


「この前……そうだな、確か二週間前くらいだったか。学園の食堂で髪の長い女と楽しそうに喋っていたよな?」


「あ、あれは、シャリアとたまたま会って、立ち話をしていただけだよ」


「五日前、喫茶店で二人の女と両手に花の状態でお茶をしていたな」


「何で知ってるの!? あの時はあれですよ、ちょっと喉が渇いたから一人で店に行ったんだけど、席が空いてなくて、それで知り合いだったカランとベリーが相席を許してくれてね!」


「……三日前、運動場の方に向かって、仲良さそうに肩を抱き合って歩いてるのも見た」


「あ、あれはルカインに頼みごとと、頼まれごとがあったから……って、彼は男です!? あいつガチガチの筋肉だらけの体型なんだから、女の子と間違う要素皆無だよね!?」


「ロン」


 最後のそれは猛抗議したいところだったが、アヤが随分と冷めた目を向けて来るので、ロンは顔を真面目なものにしつつ、ひっそりと断腸の思いでその件は置いておく。

 それから、改めて答える。


「なに?」


「私は、軽い男が嫌いだ。特に、女好きな奴がな」


「……分かってるよ」


 理由は聞くまでもなかった。

 リーネが学園で辛い目にあっている一端は、彼女の容姿に勝手に惹かれ、群がり、断られた途端に手のひらを返した、そういった男達(、、、、、、、)が担っているからだ。

 アヤはロンがどちらかと言えばそういった部類に入ることを、出会った当初から知っているはずだ。

 それでも何だかんだ仲良くやってこれたのは、ロンが守るべき節度を持っていたからだろう。

 だから、友人として受け入れられたのだ。しかし、あからさまな好意をぶつけて来るなら、いろいろと思うところがあるのかも知れない。

 それはアヤが吐息のように、か細く漏らした言葉から窺えた。


「……私は、お前を嫌いになりたくない」


 先ほどまでとは違う理由で、顔を背けながら紡がれた言葉には、好意と嫌悪、戸惑いと嫉妬といった様々な感情が複雑に絡み合っているようだった。


 ロンは返す言葉を探した。

 女の子に触れることに慣れていなくとも、仲の良い友人として喋ることには慣れている。

 女の子が会話にどんなものを求めて、言ってきたことにどう返せば喜ぶのか、その心得はあった。

 あまり時間をかけずに口は動く。


「そっか……ありがとう」


 ロンの口から出たのは単語と単語を並べただけのような簡素なものだった。もちろん、これを女の子が会話に求め、言われて喜ぶものだと思っての発言ではない。

 これが今の自分が出せる精一杯だったのだ。

 いつもなら、仲良くなりたい女の子に返すべき言葉は、考えるまでもなく豊富に用意出来た。それがこの体たらくだ。ロンは自分のことなのに、どうしてなのか理解出来ない。


 ロンとアヤは少し距離を置いて、お互い所在ない様子で立っている。顔を合わせるのは気恥ずかしい気がして、俯いたり、明後日の方角を見つめたりするが、相手の存在は確実に感じていた。

 微妙な空気が流れている。お互いに自分達の心の動きを把握出来ず、それでいて相手の事を意識していた。

 居心地は悪い。しかし、この場から離れようとは思わなかった。時間がゆっくりと感じられ、自分達がどんな状況下にいるかも、忘れてしまいそうだった。


 ロンは何とか沈黙を破ろうと、頭の中で適当な話題を列挙させ、ようやくアヤに向き直った。

 彼女は取り残され組のもう一人が動く気配を敏感に感じ取り、ロンが動くのと同時に顔だけを向けてきた。が、その動作は途中で止まり、弾かれたように顔を上げ、空を覆い隠す緑を見上げた。

 一体どうしたのかとロンが訝しんだのは束の間で、答えはすぐに現れた。


 がさり、と音がしたと思った時には、こすれるような音は連続し、それは枝葉を少し散らさせながら落ちてきた。

 それが地面に降り立つ瞬間、着地点に単調だが無数の線が走る術式陣が出現し、それは術式陣の上に降り立つと落下の衝撃などを、一切感じさせない様子で無事に着地した。


 彼女には落ちてくるところなど見えないはずだったのに、勘のようなものでそれが来たのを感じ取ったらしい。

 自分の悪友もそうだが、武術の腕が一定以上に達した者は、どうやら非論理的な概念を有しているようだ、とロンは密かに呆れた。


「お嬢様!」


 落ちてきた――――または降りてきた――――のが、空へと失踪したコウ達だったことを確認すると、先ほどまでとは打って変わった様子でアヤが駆け寄っていく。

 ロンは駆け寄っていく彼女の後ろ姿を眺める。微妙な空気で、居心地が悪く、しかし、不思議な感覚があった時間は、もう終わってしまったのか、とぼんやりと思った。


 終わったことを安堵すべきなのか、それとも残念に思うべきなのかと考えながら、ロンは何となく大きく息を吐き、アヤに習ってコウ達の下へ向かうのだった。






「……リーネ着いたぞ。降ろすけど、身体の一部が常に俺と触れていることを心がけてくれな?」


 コウは地面に降り立つと、お姫様抱っこの形で腕の中にいるリーネに囁きかける。

 完全に身体を委ねている彼女は、じっとコウを見つめると、何も言わないまま目じりを細め、にっこり笑って頷いた。

 コウはそれを確認してから、彼女が足から降り立てるように、ゆっくりと慎重に降ろしていく。


「お嬢様!」


 リーネを下しながら上手く手を動かし、何とか空へと行く前の、手を繋いだ状態に戻したところで声が近づいてきた。

 声の主である少女剣士は、自分の足で立つリーネの周りをぐるりと移動し、その身体に何もないことを確認すると、ほっと安心したように息をつく。そうしてから、ぎろりとコウを睨みつけてきた。


「コウ殿! いくら跳ぶ(、、)ことが出来るからといって、それにお嬢様を同伴させないで下さい! 何か不慮な事故があってコウ殿はともかく、お嬢様が怪我したらどうするつもりですか!」


「その言い方だと、別に俺は怪我をしても構わないという風に聞こえるぞ、アヤ」


「当然です! コウ殿の場合は自業自得ではないですか。それに、コウ殿でしたら怪我なんてしないでしょう?」


 アヤの言葉には一理あり、というか正論だったので反論は出来なかったが、後半の部分には異議があるのでコウは苦笑を浮かべる。


「……あのなぁ、自業自得というのは納得出来るにしても、怪我をしないって、そんな出鱈目があるかっての。俺だって斬られたら切り傷が出来るし、頭を殴られれば昏倒するし、内臓を傷つけられたら血を吐くわ」


「えっ、そうなんですか?」


「えっ、とびっくりしてる、お前に俺はびっくり……」


 などと少し不毛な会話をしていると、ロンがぼんやりとした様子で近づいてきた。

 コウはその様子を不思議に思って声をかける。


「どうしたロン? 何か見えちゃいけないものでも見えたか? ……これだから煩悩の塊は」


「はいそこ、後半小声で言ったけど、ちゃんと聞こえているからね!? ……まぁ、こっちは何でもないよ。ところで、口汚く罵るのは後回しにするから、いきなりの行動の意味と理由を教えてくれない?」


「後にしてでも口汚く罵るのな」


 ロンが何処か誤魔化すように「何でもない」と言ったことは気になったものの、今までもなるべく急いで移動して来たが、今は猶予がほとんどない状態であるので、彼の急かすような問いかけに、コウは一気に答える。


「行動を起こそうと思った理由は、空中に固定された魔力が何かの指標になっていると思ったから。上に行った意味は、空から見た方が分かりやすく、迅速に結果が得られると思ったから。ちなみに、結果は予想が的中して、固体された魔力は互いを指標にして形をなし、今じゃ大きな術式陣になっていた。以上」


 そう締めくくった説明をロンはしっかりと聞き届け、二回ほど頷き、三回目を頷こうとしたところで、ぴたりと動きを止めた。

 そして、ぎっぎっと金属が擦れる音が幻聴で聞こえそうなほど硬い動きで、コウを見据えると口ごもりながら言って来る。


「それって、その、かなりやばいんじゃ……?」


「まぁ、面倒なことにはなったな。ただでさえ、先が見通せなくて予測不能だから頭を悩ませていたのに、ここで新たな問題、しかもとびっきりの内容が飛び込んで来たからな。一秒でも早く森林から出た方がいいと思う」


「た、大変じゃないか! 何が起こるか分からない上に、新しく出てきた謎の大きな術式陣! 謎、謎、謎! あぁー、もう、謎ばっかで嫌になる!」


 ロンは毟るような勢いで髪を掻く。状況把握出来ないことに苛立ちを覚え得ているようだ。

 「分からない」のは人にとってストレスになる。まして、彼は何処に危険が潜んでいるか分からない環境、というものに慣れていない。ことさらその傾向は強いだろう。


 また、リーネとアヤだって多少慣れているといっても、全くストレスを感じないわけではないはずだ。

 コウは空へ跳んだことで得た情報は、話しても余計な心配が増えるだけだろうと思い、伝えないつもりでいた。しかし、今は知らない方が、逆に心労を蓄積させるだけのようだと判断する。

 仕方なく、口を開く。


「謎じゃない」


「えっ?」


「もうそろそろだな」


 一体何の話をしているのか、とロンが不思議そうに目を向けて来たので、コウは答えの代わりに一つの方向を指さす。

 その方向には、今では術式陣を形成する線となった、空中に固定された魔力がある。

 それがコウが指さすのとほぼ同時に、発していた淡い光を、瞬く間に眩しいくらいの輝きへと変貌した。


「なっ……!」


 それは誰の声だったか。急激な変化に声が漏れた。

 コウは唖然とするロンを始め、他の二人にも静かに告げる。


「これが多分、老魔術師が残した本当の置き土産。呆れるくらい大きな召喚術式陣だ」


 コウが言い終えた瞬間、森林の気配が変わる。

 それは森林の奥からやって来る風がもたらしているようだった。

 この時期は暖かいでは言葉が物足りない季節を控えている。そのため、森林内は日が当たらないとはいえ、やはり少し蒸し暑く、体力を徐々に奪う理由の一つとなっていた。しかし、森の奥からやって来たと感じられたものが、駆け抜けていくと、ロンとリーネ、そしてアヤに急激な冷たさを感じさせた。


 それは気がしただけであって、実際には温度の変化があったわけではない。何か感覚的な部分へ殴りつけるように訴えるものがあったからに過ぎない。

 固まるロンから言葉を引き継ぐように、アヤが口を挟んで来た。


「…………コウ殿、召喚術式陣とおっしゃいましたね? つまり、何か(、、)が呼ばれたということでしょうか?」


「だろうな。あの魔物使いのじいさんは、自分が死ぬことを分かってた上で、こんな手の込んだことをやったみたいだから、ここで魔導具とかが召喚されることはないだろう。まず、間違いなく魔物、もしくは人間といった生物だろうな」


「そう、ですよね。……あの、先ほどの口ぶりからして、上から見た際に、術式陣が召喚のものだったと分かっていたようですが?」


「ああ、分かっていたが?」


 それがどうしたとばかりに答えると、アヤは眉根を顰める。


「それなら、地上に着いた後に素早くあの固定された魔力なりを霧散させておけば、この事態を防ぐことが出来たのでは?」


 アヤの知識の中では、空中に固定された魔力に手を出せなかったのは、その正体が分からなかったからである。ならば、空へ跳んで実体が分かったのなら、何か出来たのではないかと考えたようだ。

 コウは彼女が言いたいことを理解し、説明しようと口を開きかけるが、それよりも先に、今まで黙っていたリーネが口を開いた。


「あのね、アヤ。確かに術式の正体が分かれば、正しい解体方法が分かる。だから、途中でも介入することも出来るかも知れない。でも、突発的に介入できるのは、手元に広げるような小規模な術式陣くらいのものなの。いくら正体が分かっていても、大規模なものになると、解体方法が分かっていても時間がかかってしまうし、簡単に出来るものではないのよ」


 極端な例えをすれば、展開された術式陣に介入して解体するのは、水滴に熱した鉄板を押し当てて、蒸発させるようなものなのだ。

 水の量やそれを蒸発しうる熱量を把握し、きちんと計算してやると言っても、強引な方法であることに変わりはない。

 大規模な術式が大量の水だとして、もし解体するならば、蒸発可能な量に分散させて少しずつ全体の量を減らし、そうしながらも大量の水が一度に減り過ぎたり、分散され過ぎないように気をつけなければならない。

 そんな作業だと言えば、どれだけ繊細で時間を有する作業か分かるだろうか。


「そうですよね、コウ」


「ん、正解。下手に手を出すと、変わらず辺り一帯が吹き飛んじゃうってわけだ」


「……なるほど、すみません、変なこと聞いて」


「いやいや、別に構わないさ。それより、今後の方針言うから、三人とも心して聞くように」


 コウが改めてそう言うと、三人は気を引き締めた様子で顔を見合わせてくる。

 そんな彼女らにコウは短く言った。


「森林の出口まで駆け抜けろ」


 驚いた様子の三人を余所に、コウは更に驚かせるだろう行動を取る。


「もうこの周辺には他の魔物は、ほとんどいない。残りの奴もすぐに逃げ出すだろう」


 そう言いながら、コウは手を離した。

 リーネと繋いでいた手を、離すなとずっと言っていた繋がりを――――手放したのだ。


「あっ……」


 リーネが短く吐息をもらすように声を発して肩を震わせる。それは名残惜しさ故か、心細さ故か。それとも他に沸き立つものがあったのか、コウには分からない。

 そんな彼女の様子に気づいてかは分からないが、アヤは胸倉を掴まんばかりの勢いでコウに詰めよると、唾を飛ばしながらに強く言葉を投げつけてきた。


「こ、コウ殿!? な、何をやっているんですか! 手を繋いでいないと、お嬢様を狙う魔物が来ると言ったのはコウ殿でしょう!? ……はっ! まさか、それは実の所ただの口実で、本当は手を繋ぎたかったとか、そんな理由ではないでしょうね! そ、そして、許されざることに、飽きたから手を離したとか言わないでしょうね!?」


「……どうどう、落ち着け。どうしてお前はそうやって話が飛躍するんだ。状況を考えろよ、状況を。さっきも言ったように、森林に住む魔物は気配に敏感だから、とっくに移動を始めてるよ。……アヤ、お前さ、魔術を使えないってことは感知も使えないんだよな? 視野外の気配とかはどうやって感じ取ってるんだ?」


「は、はい? いきなり何ですか……。えっと、コウ殿なら分かって頂けると思いますが、勘のようなものが働いて気配に気づくと言いますか、ってまさか、そうやって話を逸らして――」


「なら、帰ったらそっち系の鍛錬な」


 アヤがまた喚こうとするが、コウはそれを遮り、ぐっと四肢に力を籠める。そして、怪訝そうに顔を顰める彼女に近づくと、ごく自然な動作で彼女の肩へと手を伸ばした。

 ロンならともかく、コウであれば大げさに避ける必要もないと思ったのか、彼女は不思議そうな顔のまま抵抗せずに、肩に手が置かれるのを見守った。

 コウはぐっと引き寄せる様に彼女を移動させる。


「なっ、ちょ、何を!?」


 抗議の声など無視して、引き寄せたアヤをリーネの方に押しやると、コウは彼女の後方に忍び寄(、、、、、、、、、)っていた人型の大きな(、、、、、、、、、、)魔物を迎え撃つ(、、、、、、、)

 振り下ろされてきた巨木の太枝のような両腕を受け止め、コウは静かに魔物を見つめた。

 魔物は生来的に一つだけしか有さない目を、血走らせながらぎょろりと合わせると、並ぶ鋭利な牙を見せつけるように、涎を垂らしながらゆっくりと口を開いた。


「ヴァアアァアアアアアオォオオオオオオ!」


 気配が皆無だったことが嘘のように、魔物は周囲の木々を震わせるほどの咆哮を放つ。

 その魔物はコウの三倍くらいの大きな体躯を有し、全身は針金のような褐色の体毛で覆われている。

 口から覗く牙の鋭さは、一度噛みつけば食いちぎるまで離さないだろうと想像させ、一つしかない目はそれ一つで広く視界を確保するために、独自の進化をしたのかとても大きい。

 顔の三分の二は目であり、残りの三分の一は口、と奇妙な比率である。


 この魔物を構成する全てが特徴となりそうな姿だが、何よりも目を引くのが頭頂部より伸びる太い角だろう。

 形は歪そのもので、シルエットとしては直方体と言えなくもないが、表面の凹凸が激しく、所々円形に膨らんでいたりする。

 全長から考えると長さは短いが、それでもコウの頭二つ分くらいの長さがあった。

 角は形状からして攻撃手段とは思えず、用途は不明だが、かなり硬そうであることは明らかだった。


「人型の巨体、一眼、鋭利な牙、全身を覆う褐色で硬質な体毛、歪な角。……ギュラローブスか。ダンムル山脈の最難関と呼ばれるこいつを使役するなんて、あのじいさん予想以上に凄腕だったっぽいな」


 絶え間なく振り上げては叩きおろしてくる、ギュラローブスの腕を受け止めては押し返す。

 そんな状況でコウは確認するように呟く。

 轟音を叩きつけられたことで、硬直していたリーネ達だったが、正体を聞いて息を呑み、硬直時間が更に引き伸ばされたようだった。誰もがこの魔物の存在を知っていたのだ。


 ダンムル山脈は険しい雪原の世界が広がる場所として知られている。

 行く機会など滅多にないような所で、普通に人生を過ごしていれば、まず間違いなく知らずに終わる世界だ。

 それにも関わらず、その山脈に住まうギュラローブスが有名なのは、魔物の中で群を抜く危険度の高さと認定されているが故だ。

 白銀の世界の中で、雪崩や吹雪を筆頭とするそれらを差し置いて、最難関とされるその強さは、個人が普通に戦って勝つのは、ほぼ不可能だと言われるほどのものだった。


 気性は穏やかなので万が一遭遇しても、刺激しないよう何もしなければ、最悪は避けられる。しかし、一度敵と認識されると、具えた凶暴性を露呈させて、全力で滅しに来るのだ。


 現在コウを叩き潰そうとしているのを見る限り、魔術の効果なのだろうか、どうやら既に敵と認識されているらしい。

 また、気配を殺して近づいてきたことや、老魔術師の魔術の補助があったとはいえ、一直線にコウ達の下へと辿り着いたことから、高い隠密性と何らかの索敵能力を有し、それら全能力を駆使して屠ろうとしているようだ。


「ほら、さっさと走る」


 なおも固まっているリーネ達に、コウは打撃を受けながら声をかける。


「で、でも、コウ!」


 背中を向けたまま逃げろと促すコウに、リーネが悲痛な声音で何か言おうとするが、そこでやっと我に返ったアヤが彼女の腕を引くことで遮られた。


「お、お嬢様、コウ殿の仰る通りです。に、逃げないと! それに、私達が居ても邪魔になるだけです!」


 残念なことにアヤの言う通りだった。

 コウが自分の数倍はある巨体から繰り出される重い一撃を、往なしたり、躱したりせず馬鹿正直に受け止め続けるのは、そうすることでこの致命傷となり得る一撃の嵐が、リーネ達の方へ向かわないようにするためだった。


「私達はこの場にいない方が、コウ殿の手助けとなるんです!」


「そんな……コウ……」


 呆然と立ち尽くしそうになるリーネの腕をアヤが引っ張っていく。

 リーネは抵抗していなかった。コウ一人を置いていくことは心から嫌でも、頭ではそれが正しいことを理解しているのだろう。


「ロン! お前もだ、行くぞ!」


「…………くそっ! コウ! こんなこと言える立場じゃないけど、死ぬなよ!」


 ロンは葛藤を見せたが、それでもアヤと同じ結論に達したのだろう。悔しそうに言葉を吐き出した。

 そんな彼にコウは言葉をかける。


「ロン、二人のこと、ちゃんと守れよ。お前はそういう役割だ。二人を任せる。あと、これ邪魔になるから持っていってくれ。なくすなよ?」


 コウは言いながら背負っていた茶革の小袋を、猛打を受けるの中、器用に取って、振り向かないままロンへと投げ渡した。


「……はいよ、任された」


 ロンは短く言葉を残して駆け出した。

 コウは無理やり絞り出されたような彼の返事を聞き届けると、遠ざかる背を見送ることなく、ギュラローブスに改めて向き直る。


 老魔術師の最終目的であるギュラローブス召喚によって、魔力は大分消費されたのか、森林全体を覆っていた魔力は薄まっていた。

 これによって、即席で操られていた他の魔物は解放され、本来の正常な状態に戻っているはずだ。

 また、『感知』やその他の魔術も完全とは言わずとも、効果が改善されているようである。だからこそ、コウは周囲の状況を確認し、三人を送り出すことが出来たのだった。


「ヴァッ! ヴォオォオオオオオオ!」


 ギュラローブスは駆け出した三人、特にリーネを一つ目で注視すると、コウへの攻撃を緩めて後を追おうとする。

 当然、コウはそれを許さず、甘くなった右腕の振り下ろしを弾くように受け流すと、巨体の懐へ深く潜り込む。両足を開きながら地面に吸い付け、作った左手の拳を幅のある胴にも生える針金の如し体毛の上から添えた。

 そして、力の流れを一点に集中させ、左足を踏み込みのと同期させて爆発的な衝撃を一気に押し入れた。


「ヴァッ!?」


 コウの初撃となったそれを受けたギュラローブスは、まるで同等以上の重さを持つ物体が、衝突したかのように身体を撥ねさせ、数本の木々を巻き込みながら吹き飛んだ。

 一息つく間が出来たので、コウは自分の両腕を見た。

 鼻孔を錆びた鉄のような臭いが刺激する。制服を着ていないシャツだけの現在、上腕より下は剥き出しで、前腕の至る所から血が流れ出ていた。


 先ほどの打撃攻撃や振り下ろしの猛打を受け続けたことで、針金のような体毛がコウの腕を削っていたのだ。

 これがギュラローブスの厄介な所の一つで、全身を覆うあの体毛の硬さは、そのまま防御力を意味しながら、触れた者を傷つける攻撃手段でもあるのだ。

 幸か不幸か、危険度の高い魔物の出現によって、リーネ達は気が動転していたのか、この有り様に気づかなかったようだ。

 もし誰かが気づいていたら、特にリーネ辺りが残ると言って聞かなかったかも知れない。

 そんな風にコウは他人ごとのように、自身のもので血塗れた両腕を無機質に見つめる。


「ヴァッ! ヴァッヴァ!」


 視線を上げると、木々を薙ぎ倒して突っ込んで行ったギュラローブスが、ただ怒らせただけだとばかりに、応えた様子もなく木をどけながら戻ってきた。

 コウはその姿を意外に思うことなく受け入れる。何故なら、派手に吹き飛ばしたものの、あまり手ごたえがなかったからだ。


 これがこの魔物が厄介な所の二つ目で、体毛が異常に硬いのに、身体の内側が筋肉も含めてかなり軟らかいのだ。

 一体どうやって立っているのかと疑問は尽きないが、危険な魔物を好き込んで研究する変わり者はおらず、謎は謎のままである。しかし、コウにとっては、その軟らかさが打撃を、体毛の硬さが斬撃といったその他の攻撃を防いでしまう、ということが分かればそれで十分だった。


(問題は何も解決していないけどな)


 声には出さず、皮肉交じりに呟くが、それで状況が良くなるわけでもない。一先ずコウは足を広げ、腕は力を抜いて下げ、構えと形容出来ないような構えを取った。

 ギュラローブスはリーネ達が去って行った方角とコウを見比べると、特有の鳴き声を悲しげに辺りへ響かせた。

 そして、続けて恨めし気に向き直るとコウを真っ直ぐに睨み付け、ゆっくりと慎重に近づいて来る。


 先ほどまで腕をしならせ、まるで極太の鞭のような猛打を浴びせてきたが、コウが受け流し、懐に入り込んで攻撃を放ったことで、ダメージはあまりなかったが警戒はしているらしい。


(言葉を話すことはないが、学習する程度には知性がある。……そういうのが一番手に負えないんだよな)


 もしも言葉を理解するのなら、人間と魔物、種族は違えど説得、あるいは取引という手段があったかも知れない。

 だが、言葉が通じない以上、それも望めない。


 現状で選択出来そうな手段は二つ。

 一つは逃亡。避けられる戦闘を避け、やらないでいい面倒はやらないという手段。しかし、当然ここで足止め役であるコウが逃げ出せば、この凶暴状態の魔物はリーネ達の後を追うだろう。

 いくら魔力が消費されて効果が薄くなったとはいえ、大規模魔術の術式は消えていない。

 それに召喚されてから、すぐにコウ達の下へとやって来たことを考えると、ギュラローブス自体も何らかの索敵能力を持っていると考えるべきである。


 考えれば考えるほど、残された手段は一つしかなかった。

 説得や取引は無理、現在は逃亡も不可。それならば――――暴力で以て語り合うしかないだろう。


「ヴァァアアアアァオォオオオオオ!」


 ギュラローブスが一際大きく威嚇の咆哮を上げた。見た目、ただ立っているだけのコウに対しての挑発のようでもある。

 コウはそれに応えるように、身体を前へ傾け、腕をだらりと下げる。


「ヴァオ!」


 軟らかさを活かし、ギュラローブスは右腕を振り上げると、身体を大きく捻った。そして、捻った部分を瞬く間もなく戻し、生まれた勢いに乗せて腕を唸らせながら突っ込んでくる。

 コウは構えを変えずにそれを迎え受ける。


 こうして、すでに両腕に傷を負ったコウと、個人が戦うのは絶望的とされる魔物との戦いが始まるのだった。






 リーネはアヤに腕を引かれることで、ほとんど強制的に走っていた。

 森林は大小様々な木が根付いていて、太くて硬い根などが土から剥き出しになっており、自力でここを走り抜けるのは難しそうだ、とリーネはぼんやりと考える。

 先導しているアヤが、一瞬一瞬の中で、なるべく平坦の道を選択し続けているから、自分やロンのように、普段から身体を動かすわけでもない人間が、この環境で走ることが出来るのだろう。

 などとリーネが思っていると、走る速度が段々と落ちてきた。アヤが調整しているのだ。一体どうしたのかと思えば、彼女は立ち止まると振り返って言った。


「……ここで来れば大丈夫でしょう。一度止まって体勢を整えます。お嬢様、ロンに支援魔術を施してやってください」


 リーネはそう言われてから、ロンが膝に手をついて、荒い息を吐いていることに気づいた。

 普段であればすぐに気づきそうなことであるのに、今頃になってそのことに気づいたのだった。


「ご、ごめんなさい、ロンさん、すぐに気がつかなくて!」


 ほとんど無意識だったが、リーネは自分に対して、すでに走りながら支援魔術を施していた。

 自分にやっておきながら、人には気が回らなかったことを恥じながら、手早く、体力を増強させる支援魔術である『活力の泉』をロンに向けて展開する。


「はっ、はっ、あり……ふぅう、はっ、がとう、リーネ、ちゃん」


 息も絶え絶えなのに、ロンは無理やり感謝の言葉を絞り出した。その姿が、余計にリーネの罪悪感を強める。

 そんなリーネの心情を察してかどうかは分からないが、すぐ隣に立つアヤは落ち着けた声で、現れた魔物について話し始めた。


「……改めて確認しますが、コウ殿はあの魔物をギュラローブスと言っていましたよね?」


「そう、だね。確かに、そう言って、いたのを聞いたし、伝え聞く、特徴と相違なかったと思うよ」


 支援魔術の助けを借りて、息の乱れを正しながらロンが答えた。リーネも同じ答えだったので、特に反論することなく頷く。


「やはり、そうですか……。くそっ、こんな時になんてものが……!」


 忌々しそうにアヤが呟く。そこには接近に気づけなかった、自分に対しての憤りも含まれているように思えた。

 リーネは現れた魔物の姿を思い浮かべる。

 人型で全身毛むくじゃらの大きな体躯を持ったあの魔物は、どういうわけか、図体の大きさに似合わぬ隠密性を発揮し、ほとんど至近距離に召喚されたかのように、唐突にやって来た。


 コウがその接近に気づいていたのかは定かではないが、突如現れた巨体に、リーネ達は思考を止めてしまった。

 その結果、あの少年を置き去りにして逃げて来る、という選択を取らざるを得なかったのである。


「コウは……コウは大丈夫なのでしょうか?」


 リーネは思わず口から言葉を洩らすが、それは本音であり、確認したいことだったので、構わずそれを問いかけとした。

 それを受けたアヤとロンは顔を見合わせると、まずアヤが口を開いた。その顔は驚きに染まっている。

 まるで(、、、)何故(、、)勝つと分かっ(、、、、、)ていることを(、、、、、、)わざわざ(、、、、)聞くのかと驚いて(、、、、、、、、)いるかのように(、、、、、、、)

 アヤは驚き顔のまま、諭すように語りかけてくる。


「お嬢様、そんなことわざわざ聞くまでもないじゃないですか。確かに、あれは王国全土で、その名を知らない者がいないだろう、という化け物ですが、それでもコウ殿の敵ではありませんよ」


 あの凶暴性を備える魔物、ギュラローブスが個人で戦うには絶望的と言われるのは、その耐久度にある。

 あの魔物が高い防御力を誇るのは、何も物理攻撃だけに対してだけではないのだ。

 体毛という無数の針からなる防御壁は、驚くことに下級攻撃魔術程度までなら物ともしないのだ。


 近接物理攻撃を主とする戦士では、そもそも傷一つ与えられない。

 中級攻撃魔術以上になると、大抵の魔術師は長い詠唱を必要とするので、俊敏性も高いギュラローブスの前ではその暇もない。

 武術と魔術の両方を極める者はこの世界にはいないのだ。それ故に、個人で戦うのは絶望的だと言われるのである。


 それなのに、アヤがそう断言する理由は、一度コウ戦ってその強さが戦士の理想形と言うべきものだと、知っているからだけではないようだ。

 それは続けられた言葉から窺える。


「コウ殿は武術もさることながら、魔術の方も秀でた方です! だから、心配は無用です!」


 アヤはコウが戦闘中に攻撃魔術を織り交ぜて使用すると聞いているし、魔術の展開を悟らせない驚くべき技術を持っていることも知っている。

 それならば、今言ったように、魔術に関しても突出した才能を持っていると思っているのだろう。

 だからこそ、そんな少年ならば、何があっても大丈夫だと思えたのだろうし、難敵を相手に彼一人を残して行くことに躊躇を覚えなかったようだ。


 この中で唯一、あの少年に対して不信感を抱いていたはずの彼女が、彼の勝利を豪語することに、リーネは不思議な感覚を覚えながら、更に言葉を重ねようとする彼女を待つ。

 だが、それはロンが沈痛な面持ちで放った一言に遮られる。


「それは、違うよ。そんなことはないんだよ、アヤちゃん……」


「……うん? どういうことだ?」


 意味が分からないと首を傾げるアヤに対して、ロンは頭振って見せる。


「確かに、あいつは意味分からないやり方で魔術を展開出来るし、本来は気が散って出来ないはずの、激しく動きながら魔術を使用する、ってことをやってのけている。でも、それだけなんだ」


「それだけ?」


 ロンが何を言いたいのか、アヤには分からないようだ。隣で聞くリーネも分からない。

 それだけというが、それこそが十分以上のことだと、証明しているではないかと思うのだ。

 リーネ達が思っていることを察したのだろう。彼は言いづらそうに視線を下げると、語尾を弱めながら言った。


「コウは、下級魔術までしか(、、、、、、、、)扱えないんだよ(、、、、、、、)。本人がそう言ってた。今の俺にはそれが限界だって」


 リーネは何を言われたのか理解出来なかった。

 「今の」という部分が気になったが、その疑問がまとまったものになるよりも早く、アヤが反応したので頭の中でうやむやになってしまう。


「はぁ? だって、コウ殿は選択授業の時間割を武術と魔術で二分するような方だぞ?」


「あいつはそもそも、まともに学ぶつもりで学園に来ているわけじゃないってこと、忘れてない?」


「それは、そうかも知れないが……」


 受け入れいれられないのか、アヤが反論しようと口を開いているが、しかし言葉はそれ以上続かない。

 リーネも言葉の意味はすぐに理解出来るはずなのに、受け入れることが出来ず、頭の中で何度も反芻させてしまった。


 魔術は攻撃や治癒、支援という分類とは別に、その難易度によって分けられている。

 簡単な順から、初級、下級、中級、上級、禁断級、封印級、という具合だ。

 上級までの習得に制限はないが、禁断級と封印級は各国ごとに、習得者からそれに纏わる文献の全てが管理され、禁断級は認可を得なければ習得が出来ない。

 そして、封印級に至っては、どれだけ優秀な人物であっても、習得を認められていなかった。

 それらはグランスウォール大陸全体で確約された決め事であり、もしも封印級を習得した者が現れたら、その者は世界全人類の敵と見なされ、例え誰であっても世界から消さなければならない、ということになっている。


 初級に定められている魔術は数が少なく、難易度が高くなるごとに増えていき、中級が一番種類が多い難易度となり、上級となっていくと今度は逆に数が減っていくようになっている。

 段階ごとに分けて総数を図で表すのなら、縦長のひし形になるだろうか。

 こういった体系のためか、魔術師は中級魔術を複数扱えれば、一応は一人前と扱われ、上級を扱えれば一流の術者と見なされる。

 そして、禁断級を習得する者は最高位の術者と評されるのだ。


 そんな中、初級しか扱えないのは魔術を覚えたての未熟者、下級までなら半人前というのが普通の認識だ。

 リーネはこの認識をコウに当てはめるのは、とても難解な作業のように思えた。


「……そういえば」


 と、脳裏に思い浮かんだことがあって、リーネは思わず言葉をもらす。


「コウが魔術を使って魔物を倒すのを何度か見ましたが、今のところ初級攻撃魔術を使っているところしか見たことないですね」


 その姿を思い出す為に、リーネは遠くを見つめる。

 それは、少し不自然な手間があるように思えた。

 攻撃魔術の効果と範囲というのは、その魔術ごと大まかに定められていたり、使用する魔力量などの要因によって、術者ごとに変動するものだが、それでも難易度が高ければ高いほど強く、広くなる。


 確かに複数の敵を倒す際に、精度を求めるのであれば、下級魔術によって複数の対象を巻き込むように放つより、一体一体を狙う初級魔術の方が良いかも知れない。しかし、初級魔術を何度も展開して複数を倒すよりも、下級魔術を一度展開して一気に倒した方が手間もかからないし、長い目で見れば魔力の消費量も抑えられたりと効率が良かったりする。


「でも、下級魔術は扱えるなら、下級魔術でも良さそうな場面があったような……」


 リーネはどうしてだろうかと首を捻るが、以外にもそれに答える者がいた。


「……お嬢様、もしも本当にコウ殿が下級魔術までしか扱えないのなら、魔術限定で考えれば下級魔術はあの方にとって奥の手です。奥の手とするからには、頻繁に使うことは、精神的にも、そして戦いの駆け引きにおいても憚れることではないでしょうか」


 アヤは自分よりも強いコウだからこそ、そういうことを考えているはずではないかと言葉を付け足す。


「なるほど……」


 三人の中で一倍に、戦いに関して考える彼女だ。だからこそ、そんな風に考えるのかも知れない。リーネは納得しながらそんな風に思った。


「まぁ、あいつが魔術の運用をどういう風にしているかは、一先ず置いておくとして、あいつがちょっと常識外なのは確かだけど、扱える魔術に関しては学生レベルなのは間違いないよ」


 各々の思考をまとめるように、ロンがそう言って締めくくる。

 予想外の話を聞かされ、それなら何故コウは授業を武術と魔術に二分したのか、などといろいろとリーネは思うところがあったが、アヤが声を荒げてロンに詰め寄ったので、考えは強制的に中断される。  


「それなら、コウ殿が一人残ったのは不味いことなんじゃ……!? ロン、そのことを知っていたなら、どうしてお前は止めなかった! コウ殿はお前の親友じゃないのか!?」


 アヤが鋭く声をぶつけている。長い付き合いであるリーネは、彼女は一気に腹が煮えたのだろうことを察した。

 友人を、仲間を見捨てるような輩は許せない。そういう思いを強く抱くだろう彼女だからこそ、この場面で熱くなるのは仕方がないかも知れなかった。


 ロンは気まずげに視線を逸らし、何も言わず、弁解をしようともしない。

 それが彼女に取って余計に腹立たしいらしく、尚も言い募ろうとする。しかし、リーネはそれ以上言わせるわけにはいかなった。それはロンのためであり、それ以上に彼女のためでもある。


「アヤ、ロンさんを責めるのは筋違いです。勝手にコウは一人でも大丈夫だと思い込み、置いて来てしまったのはアヤ、あなた――そして、私よ。それにあなた自身が言った通り、あの場にいては、コウの邪魔になったことに変わらなかった。……そうでしょう?」


 つい責めるような口調になってしまったことを自覚しつつ、最後だけ普段通りに問いかける。

 自分といつも一緒にいてくれる、心優しい少女だからこそ、リーネは信じて責め続けたりはしない。


「ッ…………!」


 アヤは目を見開いて動きを止めた。

 冷水を被ったかのように、熱を持った思考が、瞬く間に鎮められていくのを、傍から見ていて感じる。


 リーネが自分で指摘通り、アヤがロンに言ったことは、自分達がしたことを棚上げにしたものだった。

 コウの強さを信頼したことはともかく、自分達は魔物がすぐ傍にやって来ていたことにも気づかなかったし、何よりもあの凶暴性を持つとして、名高いギュラローブスの名を聞いた途端、恐怖に身が竦んでしまった。


 そんな状態だ。もしも、あの時にコウの扱える魔術に関して知っていても、自分達が役に立てるとは思えなかった。

 むしろ、その場に留まっていれば、コウの足を引っ張ることになり、最悪全滅に繋がっていたかも知れない。


 こんな言い方は口が裂けても表に出したくはないが、確かにあの場ではコウを足止めとして置き去りにするしかなかったのだ。


「……すまない」


 リーネが信じる少女はやはり理解してくれて、ロンに対して頭を下げた。

 日常生活を送る中で、彼に謝ることだけは屈辱だと思っていそうな節があるアヤだが、こういった場面では素直になる。

 故に彼女は、本当に謝らなくていけない時は謝る。叱らなくてはいけない時は叱るということが出来る。そんな少女だった。


「いや、いいよ。謝らないで。アヤちゃんが言ってることは間違ってない。確かに、あの時はそうするのが最善だったさ。…………でも、仕方がなかっただとか、それがコウのためだとか、そんなのどうでもいい。どんなに綺麗な言葉を見繕っても、俺は親友だなんだと日頃言っているくせに、置いてきたことには変わりないんだから」


 アヤが謝ると、間もなくロンがそう返した。

 すんなりと謝罪が受け入れられたことに、リーネは隣で自分の事のように安堵しながら、頭を上げようとするアヤへ視線を向けようとし、途中でそれを捉えてしまい、息を呑む。


「それに、こんなことをしている暇はないよ。せっかくコウが時間を稼いでくれてるんだから、俺達は早く森林から出ないと。コウだっていつまでやれるか分からないんだから」


 言葉だけを受け取れば、冷血だと思わされるが、見てしまったロンの手の状態を知れば、そうではないことが一目瞭然だった。

 彼の手からは血が滴り落ちていた。それも一筋ではない。いくつもの線が流れ出て、赤い水滴となって緑の大地に滴っていた。


「親父からさ、上に立つ者は先を見て、大局を知り、大と小を見極めなければならない、何て教えられてたけど…………実際、自分自身が体験するとなると、ちょっと、堪えるものだね」


 忘れそうになるが、ロンは貴族の出自で、しかも三大貴族と称されるほどの名家の子息だ。

 彼が自分で言った通り、何を取って何を切り捨てるか、大事を量ることについて、幼い頃から指導のようなものはあったのだろう。しかし、軽い口調で語ろうとする彼だが、その言葉の端々は震えていた。

 彼にとって、その決断が容易に出来ることではないことが、見ていて痛々しいくらいに感じられる。

 アヤもそれに気づいたのだろう、肩を震わせると上げかけていた頭をまた深々と下した。


「ロン、ごめん。ごめん、なさい」


 アヤが弱々しく言葉を吐いた。

 普段の彼女からは考えられない、凛々しさを失った、まるでただの少女のような言葉だった。

 それでは一体何に対して謝っているのか、伝わらないかも知れなかったが、それでも深々と頭を下げ続ける。

 いや、この際、それだけでは足りないと思ったのか、彼女はもっと深い謝罪をしようと膝を地につけ始める。


「アヤちゃん」


 そんなアヤの名をロンが優しく呼んだ。そして、両肩にそっと手を乗せる。彼は自分の手の状態に気づいていないのか、そうすることで彼女の純白の制服が赤く汚れてしまっているだろうが、この場でその程度の小さなことを気にする者はいない。


 彼女の体勢で上から肩を掴まれると、身体を倒すことも、立ち上がることも出来なくなるので、消去法で彼女は見上げることを選んだのか顔を上げる。その目は眩しいものを見るように細められていた。


「本当にアヤちゃんが謝ることじゃないんだよ。今は行こう? それに、俺はコウが負けると思っているわけじゃないからさ」


「え? でも、コウ殿は……」


「うん、有効な手段を持ってない。でも、それがそのまま負けるってことじゃないからさ」


 そんな風に言うロンではあるが、横から見るリーネの目に、無理をしているとありありと映った。

 それは痛々しいくらいで、リーネは思わず視線を外す。アヤにもそう見えたのだろう、くしゃりと表情を崩している。

 流石にその心情までリーネには分からないが、目の前に立つ少年の姿に、彼女もなにか思うところがあったのかも知れない。


 ロンは行こうと言った。しかし、リーネの護衛役である少女に寄り添うように立ったまま、彼は動こうとする気配すら見せない。

 彼も本当は置いて行きたくなどないのだ。コウに自分達を任されたからこそ、彼は無理して自分の感情を無視している。




 リーネは思い返した。

 あの短くて長い時間を過ごした空での出来事を。

 コウは空から森林全体を見たかっただけだといったが、リーネにとっては夢のような時間だった。


 そして、その中で行われたこと。

 自分が抱く思いと願いを告げ、拒絶されたその後に交わした会話を。

 自分とコウ、二人だけが知る、短く、しかし、とても大切な約束を。

 リーネは思い返したのだった。




 リーネは今から自分が実行する行動は、ロンの辛い決断を踏みにじることになるだろうと思った。しかし、そう思っていても、止められそうにもなかった。

 様々な思いが、リーネを突き動かす。

 

「このままでは駄目です」


 ぽつりと呟くと、ロンとアヤが見つめてくる。

 二人はいきなり言われたことが理解出来ないとばかりに、怪訝そうにしているが構わずリーネは続ける。


「私は確かに強さを見込んでコウに助力を願いました。でも、それは危ないことの全てをコウに押し付けたかったわけじゃありません。……表現は変かも知れませんが、ロンさんのように、一緒なって逃げてくれる、そんな仲間が欲しかっただけです」


 ロンは神妙な顔つきで黙って話を聞き続け、アヤはそんなことは当たり前だとばかりに、力強く頷いてくれたが、対してリーネは弱々しく首を振る。


「でも、現状はこの有り様です。私はそんな風に思っていると言った所で、結果的にはコウに危ないことを肩代わりしてもらっていることに変わりありません」


 リーネがきっぱりと言うと、二人はそれぞれに思いを巡らせたのか、苦い物を口にしたような顔をする。

 そんな二人に、リーネは心にある言葉をそのままぶつけて訴えかける。


「私はこのままで良いのでしょうか。友達だと言ってくれた人が、自分の代わりに傷つくことをよしとする。そんなことが許されるでしょうか。――――私は、許されることではないと思います。例え、二人や、世界の誰もが、仕方がなかった、それしかなかったと言ってくれるとしても、このままでは、私は私を許すことが出来ません。あの人の友人だと胸を張ることが出来ません。だから、だからどうか」


 私の我がままを許してください。


 そう言って、リーネは亜麻色の髪をひるがえし、二人に背を向ける。

 足が向かうのは来た方向、コウの下へ続く方だ。


「お、お嬢様、お待ちください! ここで戻れば、コウ殿の心意気を無駄にしてしまいます!」


「そうだよ、リーネちゃん! それに、戻ったところで、いったい何が出来るっていうんだ! リーネちゃんだって、下級以上の攻撃魔術を扱えるわけじゃないんでしょ!? 君が行ったところで何かが変わるわけじゃない!」


 慌てた様子のロンとアヤが止めようとして来るが、リーネは迷わず足を動かし続ける。

 一歩、二歩と進んで行く。駆けて、早くコウの下へ向かいたいところだが、彼らの言う通り、このまま何も考えずに行っても、足を引っ張るだけだ。頭の中でどうすれば自分が役に立つのかを考えながら進む。

 後ろの気配を感じ、考えながらでも口は勝手に動く。


「そうかも知れません。……いえ、多分、そうでしょう。私の力なんて微々たるものです。それこそ、守ってもらわないといけない程度のものです。でも、ずっとそのままにしておくわけにもいきません。役に立たないことを許容したままではいられません」


 リーネは振り向き、戸惑うを二人を見据えると、はっきりと口にする。

 宣言するように言い放つ。


「私は、あの人の力になりたい。最初は力になれず迷惑をかけるかも知れません。こうして行くことで、嫌われてしまうかも知れません。けど、傷つくことを恐れて、距離が生まれることの方が、私は怖いです。あの人が一人で傷つくことを見過ごす自分になることの方が、私は恐ろしいです。助けてもらうことに慣れてしまう自分にはなりたくないです」


 魔物が狙う対象が自分である以上、自分が行くことはあまりにもあり得ないことだ、とリーネは理解している。

 それでも、我がままであろうと、賛同を得られない行動であっても、リーネは行くのを止めたくはなかった。


「それなのにあの人はきっと、これからも私に手を差し伸べてくれると思います。私が大きな過ちを起こしても、一緒にいてくれようとしてくれると思います。それは自惚れではなくて、ただあの人が優しい人だから。あの人は優しいから、例え私が拒絶しても助けてくれると思います。だから、このまま置いていけば、今後もずっとあの人が一人傷つくのを見過ごすことになってしまう」


「……どうして、そんな風に言い切れるのですか? お嬢様とコウ殿は出会ってまだ間もないと言えてしまうのですよ! 確かに、私もようやく彼を信用していいと思えるようになりました。でも、お嬢様のそれはいくらなんでも妄信的過ぎます! ……はっきり言っておかしいですよ」


 アヤの叫ぶような訴えかけをリーネはしっかりと聞き届ける。

 妄信的と言われ、言われてから、そうかもしれないとリーネは自分で思った。


 リーネは考える。どうして自分はコウにここまで気を許しているのか。

 異性は苦手だ。友人であるロンですら、あまり触れて欲しくないと思っている。

 それなのに、同じ友人であるコウは大丈夫だった。むしろ、いつでも一緒にいたい友人だと思えた。


「リーネちゃんは、コウのことをどう思っているの? ……好きなの?」


 ふと、ロンが静かに問いかけてきた。突拍子もないそれに、アヤが激昂した様子を見せる。


「ろ、ロン!? お前、こんな時に何を……ふざけている場合か!」


「俺はふざけてもいないし、それにこんな時だからだよ、アヤちゃん。曲がりなりにも、リーネちゃんが向かおうとするコウのいる場所は、今日の中で一番危険な状態にある。それこそ、行くことでリーネちゃん、或いはコウの命が危なくなるような状態。そんなところに行こうとする原動力が一体何なのか、それをリーネちゃんは自覚する必要があると思うし、それを知る権利が俺達にはあると思う」


「そ、それは……」


 アヤが口ごもる。それを聞くことで、先ほど彼女が訴えてきたことに対する、答えにもなると思ったのだろう。

 また、彼女は前々から知りたいとも思っていたのかも知れない。

 リーネと彼女は長い時間をかけて信頼関係を築いてきたが、リーネはコウへあっという間に同等か、それ以上のものを抱いてしまっている。

 単純な好奇心以上に、気にしてしまうのは仕方がないだろう。


 これが学園内でのやり取りであれば、青春の一言に尽きる話であるが、そんなものとはかけ離れた場面である。

 そして、だからこそ、ロンは真剣だった。

 コウにリーネ達を任せると言われた彼からは、嘘一つでさえ見逃さないとばかりの気迫が伝わってくるし、もし適当なことを言えば、力づくでも連れて行こうとする覚悟すらある気がした。


「私が、コウのことをどう思っているか……」


 リーネは考える。それはもしかしたら自分にとって、初めての議題かも知れなかった。

 出会って数ヶ月程度の少年のことを思い浮かべる。助けてもらったこともあった、笑わせてもらったこともあった、思いがけない行動にドキドキさせられたこともあった。

 彼に抱かされた全ての感情を思い浮かべる。――――答えは自ずと言葉になった。


「好きですよ」


「それはどういう――」


 ロンが何か言う前に、リーネは言葉を続ける。


「でも、それは友達として、です。時々、お父さんのようだと思うこともありますが……」


 そう言うと、ロン、そしてアヤは意外そうな顔をした。

 そんな二人にリーネは思うがまま吐露する。


「私は正直、恋愛というものが理解出来ません。どうしてそういった感情を抱くのか分かりませんし、そのやり方の想像も出来ません。コウのことが好きですけど、それを言うならアヤだって、ロンさんだって私は好きです」


「でも、アヤちゃんはともかく、同じ男の俺とコウじゃ、その度合いが違うんじゃない?」


「それは……そうですね。確かにロンさんと手を繋ぐことに抵抗はあります」


「……正直に言ってくれますね」


 本気ではないだろうが、ロンはがっくりと落胆する。

 それを見つめながらリーネは言う。


「ごめんなさい。……そうですね。えっと、私の言葉になってしまうのですが、ロンさんは――男の子って、私に限らず、女の子と話したり、触ったりする時って、ちょっと変な感じになるじゃないですか。私、それが凄く嫌なんです」


「お嬢様、それはあんなことがあったのですから……」


 アヤが顔を顰め、口にし辛そうにしながらも、リーネをフォローしてくれる。

 それはリーネが言い寄られたあげく、全て断った結果、悪い噂を流されたことを言っているのだろう。

 リーネは頷き、それからロンに向けて言う。


「けど、ロンさんが、男の子がそんな風になるのは自然なことで、多分、女の子も本当は同じ風になるんだと思います。だから、多分、男の子が悪いんじゃなくて、私が変なだけなんです」


「…………いや、変なんてことはないよ。リーネちゃんはいろいろあったから、そういう考え方を持っている。それだけじゃないかな。だから、変なんてことは絶対にないよ」


 顔を上げたロンが真剣な表情でそう言ってきた。その表情が申し訳なさそうに見えるのは、彼にも何か思うところがあるのかも知れない。


「ありがとうございます。……でも、そんな私だから、誰かを恋人にしたいって気持ちが分からなくて、心の中に生まれて来ないんだと思います。だから、コウは好きですけど、それはやっぱり友達としてなんだと思います」


 リーネがそう言い終えると、ロンとアヤはとても難しい顔をしていた。二人がどうしてそんな顔をするのか、その理由がリーネには分からなかった。

 とりあえずロンが聞いてきた、コウをどう思っているのか、という理由には嘘偽りなく答えたつもりだ。あとは反応を待つだけである。

 急く気持ちを抑えて待っていると、ロンが難しい顔のまま顔を僅かに上げ、真っ直ぐにリーネを見つめながら口を開いた。


「リーネちゃんは、友達としてコウのことが好きなんだよね?」


「はい」


「そうなると、今からコウの所に行くってことは、友達相手に命をかけることになるんだよ? 長年を共にした親友ではなくて、将来を誓い合った恋人でもなくて、成長を見守ってくれた家族でもない。君の感情の通りなら、コウと君は知り合いの延長程度の関係、ただの友達だ。……それでも行くの?」


 たかが友人相手そこまでするのかとロンは言う。その内容は冷たいが、現実的だった。

 彼が遠まわしに、しかし、はっきりと聞いてきたことに対して、リーネは微笑みを返す。子どもの無邪気な間違いを正すように、朗らかに笑い返した。


「ロンさん」


「な、なに?」


 この場面で笑うとは思っていなかったのだろう。ロンはいっそ不気味そうにリーネを見返してくるが、その姿すら笑みを誘うようだった。

 そんな彼にリーネは胸を張って教える。彼の言っていることのおかしさを。


「たかが友達のために、命を張って戦ってくれている人が、私達の友達なんじゃないですか」


「……あっ」


 ロンは今の状況を忘れていたわけではないだろうが、それでも失念していたらしい。

 一体誰が自分達を逃がすために戦っているのかを。どんな関係の人物がリーネを助けているのかを。


「コウは強いから、命を懸けるなんて言うほどじゃないかも知れませんが、それでも進んで不利な戦いを買って出てくれました。そんな彼を差し置いて、親友じゃないから、恋人じゃないから、家族じゃないから、なんて言っていられるでしょうか。私達の中では、もう答えは出ていたんですよ。例え力になれなくても、友達を助けたい、どうにかしたいという気持ちに理由を増やさなくてよかったんです。実に単純なものでいいんですよ」


 友達だから。

 それはいつだったかコウが言っていたことだ。


「役に立てないかも知れません。邪魔になるかも知れません。でも、そのままで終わらせたくもありません。友達を助けたい、友達のために何かしたいという気持ちを偽る必要はないと思います」


 そして何よりも、自分勝手で独り善がりなのかも知れないけれど、リーネはコウを一人にはしたくなかった。

 ロンとアヤは顔を見合わせている。もう言うだけのことは言った。これで止めるというなら、リーネは走って逃げてでも向かうつもりでいた。

 前を向く。一歩、二歩と進んで行く。

 まだ肩を掴まれるようなことはない。静止の声はかからない。そして、三歩、四歩と進んで行き、五歩目を踏んだ時だった。


「というわけでロン、すまないがここからは一人で行ってくれ。お前がお嬢様を止める理由は理解出来るが、それ以上にお嬢様の進む道が私の進む道なのだ」


 その毅然とした言葉と共に、頼もしい気配が後ろからついてくる。


「いやいや、アヤちゃん、何を言いますか。俺は二人を任されているんだから、二人が行くのに、俺が行かないわけにはいかないじゃないか」


 やれやれ仕方がない、ばかりに言いながらも、明るい声音で喋る気配もついてくる。


 この場にいる三人の誰もが、頭では分かっているのだ。こうして行くことが正しいことではないことを。しかし、思っているのだ。例え、正しくないのだとしても、行きたいのだと。

 頭で分かっているところで、気持ちがどうしようもない。抑えられないのだ。


 理性的な判断ではない。褒められた行為ではない。無謀だと言える決断だった。

 どうしようもなく、リーネ達は子どもなのだ。この場に、一人でも大人の考え方を維持出来る者がいれば、或いは違う展開を迎えたのかも知れない。


「どうして、しぶしぶついて来ているはずの二人の方が、私よりも先に進んでいるんでしょうかね」


 すぐに自分を追い抜いて行った二人、特に一番反対する姿勢を見せたロンが先頭である姿を見つめ、リーネは口から苦笑交じりに呟きをこぼす。

 もっとも、彼が本当は戻りたがっていたことは何となく予想がついた。彼もまた、友人を大切にする人物である。

 リーネに対してあんなことを言ったのは、コウにリーネ達の安全を任されたという責任感があったが故だろう。しかし、それも意図してやったわけではなかったが、リーネが取り払ってしまったので、今の彼は本心の赴くままに行動出来るようになったようである。


 こうして悲壮感なく三人が同じ気持ちを抱いて向かっていると、選択したこの道が絶対に間違っていると、言えないように思えてくるのは、果たして気の所為なのだろうか。

 そんなことを考えながら、リーネは二人の後を追い、ロンの手の治療と支援魔術を施すために駆け出した。


 若さが導き招くのは、過ちか、それとも――――


 お読みいただきありがとうございました。


 2012/09/30 19:24

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。

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