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第二十七話

 フィフス森林の入り口ではクライニアス学園の教師達、警備部隊が慌ただしく動き回っていた。


「教員の方は一度こちらに集まって、我々の指示に従って下さい! 武術、魔術が得意な方はご協力を願います!」


「第四班から第七班までの森林周辺にいる奴らに、一度戻るように伝えろ! 念話が届かない? 貴様の足は何のためにあるんだ!」


「隊長、第三班より学園と連絡が取れたと連絡がありました! 至急、増援を送るとのこと!」


「魔術が……感知が得意な先生はいませんか!? 先ほどの戦闘で負傷した方は、あそこにいる袖の青い服を着た隊員の下へ!」


 怒声を入り混ぜて辺りに響かせるのは、主に警備部隊の者達だ。学園に属する全ての守護をゼウマン・クライニアスから任されている彼らは、迅速に事態の収束に向けて奔走していた。

 教師達は何かしら戦う術を持つ者ばかりだが、この場ではあくまで非戦闘員の扱いである。しかし、先ほどそれなりの規模の魔物たちと戦闘になったことで、そうは言っていられなくなっていた。


 学園関係者達を襲ったのは、魔物使いの老人が放った魔物たちだったが、そんなことを彼らが知る由もない。皆、想像を絶するような大異変が起こっているのでないか、と緊張を高めていた。


「生徒の位置情報はどうなった? 持たせている召喚符の反応は辿れたか!? ……まだ見つけられない? クソがっ、作業急げよ、遅れた分だけ生存率は下がると思え!」


 頭髪に白髪の混じる壮年の男が、荒々しくも的確に指示を飛ばす。

 森林内には警備部隊の隊員を配置していなかった。森林の周りの数か所に配置して、何かあればいつでも動けるように待機させているだけだった。

 そんな形をとっていたのはいくつか理由がある。

 自分達のすぐ近くに警備部隊がいると生徒が思っていたら、校外学習の「実戦に限りなく近い状態での演習」という目的が果たせなかったからだ。生徒には当然、森林の周りに警備部隊がいることも伝えられていない。


 そして何より、生徒に持たせている召喚符の存在だった。

 これがあれば生徒の力だけでは解決出来ない事態に直面した時、札と契約した警備部隊の者が現場に急行出来る。

 それに札と見えない線のようなもので、繋がっている契約した者は、召喚符の場所、ひいては生徒の居場所を常に把握出来るので、マークにも問題ないはずだった。

 そう、問題ないはずだったのだ。


 襲ってきた魔物たちへ撤退を伝えるかのように上った光。

 その光が昇ってすぐに魔物たちが引いて行ったので、呆気に取られた一同だったが、その後に問題が雪崩のように押し寄せてきたのだ。


 降り注いだ謎の光は魔術だったらしく、森全体に魔力の残滓が蔓延り、契約者は生徒の持つ召喚符の反応を見失ったこと。

 同様の理由で『感知』や『探知』の効果が低くなり、また、フィフス森林から離れなければ、常に学園と連絡を取れるはずの魔導具が、魔力の残滓に邪魔をされ機能しなくなったこと。

 森林内の魔物が突如興奮状態に陥っているようで、何処かに向かって狂騒しているらしいこと。


 問題は様々あったが、主なのはこの三つだった。これらが原因として、他の問題が連鎖するように浮上し始めたのだ。

 生徒の安否を気にする教師達や警備部隊だが、現状は不明な点の多い油断ならない状況と判断し、手をこまねいていた。

 すぐにでも救出しに行きたい気持ちに反し、大事に備えていなかったために、確実に事を運ぶには人が少なかった。想定出来る範囲を超える事態なのである。


 気持ちだけではどうにもならないことがある。

 大人になれば誰でも一度は痛みを伴って知る真実を、学園関係者の者達は共通の思いとしていた。


「た、隊長!」


 青い顔をした一人の若い隊員が、先ほどから指示を飛ばす壮年の男の下へ駆け寄る。

 隊長と呼ばれた壮年の男は、今度は一体何が起こったのかと身構える。そんな様子にも気づかずに、二十代くらいの隊員は慌てた様子で言った。その声は明らかに引きつっていた。


「先生方から報告があったのですが、一人の先生の姿がさっきから見えないとのことです」


「それはどういう――まさか!?」


 その意味に思い至った壮年の男が、言葉の途中で愕然とする。

 若い隊員は青い顔のまま、首を縦に振って肯定すると言葉を付け足した。


「光が昇って、我々が騒然となった直後に、その先生が森に向かう姿を見た方がいるそうです」


「何故止めなかっ…………いや、余裕のない姿を見せた、我々にも問題があったか」


 この何が起こるか分からない、警戒に警戒を重ねる中だ。勝手な行動を取った教師に対して、壮年の男は怒りを露わにしたが、奥歯を噛みしめながらも何とか冷静さを取り戻した。

 そうでなければ、名高いクライニアス学園の警備部隊で、隊の指揮権を任されたりはしない。


「それで、その教員の名は分かっているのか?」


 単身で森林に突入したらしい教師が、何を考えているのかの推測を立てながら、壮年の男はゆっくりと聞いた。

 若い隊員はあくまで冷静でいようとする上司の態度を見て、ある程度落ち着きを取り戻したのか、先ほどまでに比べて、はっきりとした口調で答えた。


「名前はミシェル・フィナーリル。性別は女性。主に攻撃魔術を教える先生だということです」






「ロン、あれ見える?」


 アヤがそれ(、、)を指さしながらロンに聞いた。

 コウ達は魔物が近づいて来ては、草むらや木の幹の裏に隠れ、何とかやり過ごしながら進んでいるところである。

 そんな中、コウ達の行く手に現れたのが、アヤの指さすものだった。


「光、だね……魔術かな?」


 止める間もなくロンが好奇心を抑えずに、一人だけ近づいて確認を始めた。その様子を見て、アヤが後を追うように近づいて行く。

 コウも少し離れた位置からそれを観察する。

 ロンが言うように、それはまず光と形容すべきものだった。小粒大の細かな光が無数に集まり、ふわふわと綿毛が漂うにして宙に集まっている。

 見続けていて気づいたことだが、透明な壁に阻まれているかのように、十五センチほどの球体状の空間より外には、光は出ないようだ。

 小さな光たちは籠に入れられた虫のように、動いては窮屈そうにしていた。例えるなら、大きな泡の中で光が乱反射しているような感じだろうか。


「コウ、大丈夫なんでしょうか?」


 相変わらず手を繋いでいるため、当然すぐ隣にいるリーネが、あまり警戒せずに近づいて行った二人の背中を心配そうに見つめている。


「たぶん大丈夫だろう。あれはただ魔力がその場に固定してあるだけみたいだから、いきなり爆発するとかはないはず…………それに何かあったとしても、不用心に近づいたやつにはいい薬になるだろう」


 それに近場に魔物もいないようなので、小休憩がてら放っておこうと、コウは言葉を後から付け加えた。


 現在、コウは純白の制服のズボンに上は黒いシャツだけという、とても中途半端な格好だった。肩にはルフェンドから託された茶革の小袋を背負っている。

 リーネ達と別行動を取る際に、上に放り投げた制服だが、きっちりとロンが回収しており、現在は彼が背負う四角い大きなカバンの中に収納されている。


 あるのに着ていないのは、僅かな時間でもリーネと手を離せば、その瞬間に件の大規模魔術がコウ達の位置を割り出し、魔物たちを集めてしまうからだった。手を繋いだ状態では服など着られない、という単純な話である。

 小袋に関してはロンから、「そんなのを持っていたか」と聞かれたが、襲撃者のものを拝借したと適当に誤魔化していた。


 ロンに対するコウのぞんざいな扱いに、リーネは苦笑を浮かべてから、後から言われた内容に引っ掛かりを覚えたようで聞いてきた。


「魔力が固定……どうしてそんなことが?」


「魔術の過程として、空中に魔力を固定して何らかの目印にしたものか、あるいは自然現象によって、降り注いだ老魔術師の魔術の残滓が集まったのか、ってところじゃないか」


 この場合、魔術だとしたら十中八九、例の大規模魔術だろうことは、言うまでもないことだった。


「自然現象……そんなことがあり得るのですか? ああして光を――魔光を放っているということは、魔力とマナが混じり合っているということになりますよね?」


 リーネが何を言いたいのかというと、要は魔力とマナが混ざって起こる現象が魔光ならば、どちらか一方がなくなりきれば光など発生しないのでは、ということだった。


 例えば、泡という現象は液体の中に、気体が含まれているために発生する。

 それなら気体を含んでなければ、泡は発生しないということになるし、液体の中にある気体が外に出切れば、泡はなくなってしまう。泡が存在し続けるには、液体の中に気体を含ませ続けなければならないだろう。

 それと同じで、混ざり合うことで魔光が生じているなら、マナと魔力は常に供給され続けていることになる。

 魔術を展開する際に術式陣が輝き続けるのは、術者という供給源がいるからこそだ。


 コウ達の前にある光が魔光であるとするなら、常に自然界の中に存在するマナはともかく、魔力はどこから供給されるのかという疑問が生じる。それをリーネは聞いていた。


「俺もはっきりとした知識を持っているわけじゃないから、断定出来ないんだけどな。珍しい現象ではあるんだけど、空間に歪み、みたいのがあって、そこに実体を持たないものとかが集まることがあるらしい」


 空間の歪みは世界の綻びであり、人が知覚出来る事象を超えた世界の裏に通じると言われているが、本当かどうかは分からない。

 コウは人から聞いた話なので、その信憑性を論ずるほどの知識を持ち合わせてはいなかった。


「……そこに降り注いだ光が集まっている?」


 ざっくりとした説明だったが、聡明な少女なので、リーネは少し考える素振りを見せた後、すぐにコウの言いたいことを理解してみせた。


「ん、正解。空中で消えなかった光……というか魔力はあそこに集まり、歪みに集まったものの、収まらなかった魔力が、魔光という形で消費されてる――という一つの考え方」


「一つの考え方?」


「あくまで一つの説ってことさ。空間の歪み云々は、人からちょっと聞いた程度の知識だから確証がない。そもそも本当に空間の歪みなんてあるのか、あの魔光が歪みに溜まった魔力から生じているのかも分かん。だから、可能性の一つ程度に考えておいてくれ」


 そう説明するとリーネは納得したのか頷いて見せた。


「今は何が起こるか分からず、しかも情報が少ない以上、あまり断定的に考えない方がいいですもんね」


 リーネは言って朗らかに笑う。

 そんな彼女をじっくりと見つめてから、コウはぽつりと言葉を漏らした。


「楽だ……」


「はい?」


「いや、前々から思ってたんだけど、お前と話すのは楽というか落ち着くわ。精神的に疲れない」


「そ、そうですか?」


 リーネは急にそんなことを言われて困惑しつつ、何処か照れたように少し俯く。

 そんな彼女に説明するためにコウは指差して言う。


「長らく主に会話してたのがあれ(、、)だからさ、まぁー疲れるのなんの」


 溜息をつきながらコウが指さすのは、まだ「謎の光」と言っても差支えのないはずの固定された魔力の周りを、忙しなく動き回りながら観察するロンだった。


「この光、魔光に見えなくもないけど、そうなると魔力の供給源が存在しないし……そうなると別物ということになる。この小さな光、なんか虫に見えるけど……もしかして本当に虫とか?」


「その、あまり近づかない方がいいのではないか?」


 アヤが心配そうに声をかけているが、それにロンは気づく素振りすら見せない。


「けど、見た感じから納得出来る程度の魔力は感じるから、この虫たちは魔光を放ちながら枯渇状態にならない程度の魔力は維持してるってことだよね? でも、そんな総量の魔力を保有してるようには――まさか、常に魔光で発散している量と同じ魔力を生成しているってこと!?」


「えっと、おい、聞いているのか?」


 そんなロンとアヤのやり取りが指さす先で行われている。

 ロンはアヤのことが恋愛感情的な意味で、気になっていると明言しているのにも関わらず、話しかけられていることに気づかないで観察を続けていた。恐るべき集中力である。


 放っておけばいいのに、声をかけ続けるアヤは真面目と言うべきか、律儀と言うべきかという感じだった。

 あの状態になったら名前を呼ぶようにと、後でアヤに教えておこうと思いつつ、コウは溜息と共に肩をすくめる。


「あんな感じで分からないことがあると、とことん熱中し始める。それ自体は別に構わないんだが、あいつは時間、場所、場合を考えないから面倒なんだよな。少し分かっているようなことを言えば質問攻めにしてくるし、その上、今のアヤみたいに情報持ってない相手は、まともな会話にもならないんだよ」


 今もコウ達は謎の大規模魔術の危険に晒され、数十では収まらない数の魔物に、狙われているという状況であることを、ロンは本当に理解しているのかと疑問に思わざるを得ない。


「あ、あははは……なるほど、そういう意味ですか……」


 リーネが微妙そうな表情を浮かべる。

 前提とするのがロンのような行動であるなら、確かにその上で褒められても誰だって微妙だろう。というより、下手したら失礼に値すると考えられなくもない。

 コウとしてはリーネが物事をよく理解する聡明な少女なので、投げかけた言葉が美しい音色となって帰ってくる喜びのような意味もあったのだが、言葉が足りないので伝わらなかった。


「さてと、そろそろ行くか」


 コウが気を取り直すように言うと、リーネも表情を改めて相槌を打つ。


「そうですね。早く森林から出ましょう」


「だな。おい、ロン行くぞ」


 そう呼びかけながら近づき、未だに観察を続けているロンを呼びに行く。

 すると、それを止める様にアヤが慌てて声をかけてきた。


「ちょっ、コウ殿、あれはそのままにしておいていいんですか!?」


 あれ(、、)とアヤが呼称するのは、先ほどまでコウ達が語り合っていた魔光らしき光である。その反応から察するに、ロンに声をかけ続けていたので、コウ達の話は聞いていなかったようだ。

 コウは仕方なく、アヤにもリーネに対して行った同様の内容の説明する。

 アヤは話を黙って聞いた。しかし、話し終えても釈然としないのか、彼女の表情に変化はない。得心できない様子である。


「しかし、コウ殿、あれの正体が分からないとしても、魔術である可能性があるなら、一体何だろうと、壊すなり霧散させるなりしておけばいいのではないでしょうか?」


「うわぁ、大胆な発想……って、あれ? アヤは魔術は扱わないのか?」


 アヤはどうしてそんなことを今聞くのかと、驚きと疑問をない交ぜにしたような顔で頷いた。

 その肯定は逆にコウの方が驚きである。


「そうだったのか……なるほど、じゃあ、しっかり説明しないと分からないわな」


 コウはあの模擬戦をした日に、侵入方法として認識阻害の指輪を使っていたことや、彼女が自分の得意武器とする刀が、魔術文字の刻まれた魔導具であることから考えて、てっきり彼女は魔術を扱えるのだと思っていたのだ。


(魔力を操れることは出来るが、魔術は扱えないってことか……)


 コウはそんなことを考えるが、そういう人間が世の中にいないというわけではないので、深くは追及しなかった。

 根っからの剣士気質なのだろうと頷けることでもあったのだ。


「うんっとな、まずアヤの質問に答えると、あの光がすでに展開された魔術の一部である可能性を否定出来ないから、というものになる」


「ですから、仮に魔術だろうと何だろうと」


「まぁ、待て、話は途中だ。最後まで聞いてくれ」


「……すみません」


 流石に焦り過ぎていると思ったのか、アヤは恥じる様に一言謝罪の言葉を口にした。

 それを素直に受け止めてからコウは続きを話す。


「それで何故魔術の一部である可能性があると、手を出さないのか。これは魔術を学ぶ者なら、誰でも最初に教えられることなんだが、一度展開された魔術は完成させるか、正しいやり方で分解しないと暴走するんだ」


 それを知っていたからこそ、リーネは然したる疑問も持たずに、先へ行こうとするコウに同意したのである。

 仮に、空間に固定された魔力が、例の大規模魔術に関係があると分かったとしても、そもそも大規模魔術の正体が分からない現状では、正しい分解方法など分からないので、手が付けられないことには変わりがないのだ。

 そのことを知らないアヤは首を傾げる。


「暴走?」


「そう。例えば威力や効果が必要以上のものになってしまったり、場合によっては組み立てた術式からは、想像も出来ない、全く別の魔術に変貌したりするんだ」


 そしてコウは指差す。その指の先にあるのはロンが観察し続けている光だ。


「あれが自然現象ではなく魔術によるものであれば、無理やり手を出した結果何が起こるか分からない。もしかしたら、期待した通り魔術は消えるかも知れない。けどあれだけの規模だ、最悪――」


 辺り一帯が消し飛ぶかも知れない。


 コウはささやくようにそう言った。

 アヤはゆっくりとした動作で件の光を見やり、じっくりと見つめる。そして、ぶるりと身体を震わせた。

 かなりの広範囲に亘って魔術の光が降り注いだことは、彼女もすでに知っていることだろう。

 そのことから彼女は自分が促した結果、魔術が凶悪な力へと変貌し、自分どころか護衛対象である大切なリーネ(お嬢様)を巻き込み、取り巻く環境が辛辣なものであると知っても、共に来てくれた友人達(コウ達)を吹き飛ばして、辺り一帯が焦土と化した光景を幻視したのかも知れない。


「い、いいい、行きましょう! 早く先に! あんなのに構うことはありません! 私達が優先するのは森林を出ることです!」


 まるでこの場にいることすら危険であるかのように、アヤは早口にコウ達に促す。彼女のつい先ほどまでとは真逆の反応を見て、コウとリーネは顔を見合わせると笑い合った。


「分かってもらえたようで何よりだ。おい、ロン、ロン!」


「んあ? え、あれ、あそうか、ごめんごめん」


「……なるほど、名前を呼べば良かったのですね」


 観察に没頭していたロンに呼びかける。それを横で見ていたアヤが変な所で感心しながらも、ようやくコウ達は動き出した。

 真っ直ぐ進もうとすれば、魔物と遭遇するのは必須であったため、時に足を止め、時に迂回しながら進んで行く。

 和気藹藹とまでは言わなくとも、何処か気の緩む雰囲気の中でコウ達は出口を目指して行った。


 コウ達に緊張感というものはなかった。それは謎の大規模魔術の効果領域内を歩き、百には簡単に届くだろう魔物たちに、襲われるかも分からないという状況下であるのにも関わらずだ。

 コウはどんな時でも自然体でありながら、胆力が据わっており、何事にも物怖じない性格である。

 故に、コウに関してはおかしな話ではないだろう。だが、他の三人はどうだろうか。


 実戦経験が少なく、殺生に関して葛藤を覚えるロン。コウとロンの二人を自分の事情に巻き込んだことを負い目に感じ、傷一つでも負って欲しくないと願うリーネ。同じく負い目を感じ、自分以外誰も傷つけまいと考えているアヤ。

 そんな三人が、このような状況下で緊張せずにいるのは、些か疑問を覚えるものである。


 コウのように精神面の耐性が強いのか、或いは危険と隣り合わせであるということを理解していないのか。

 その答えはどちらも違う。三人が恐怖に駆られることなく、平然としていられるのは、同様の理由であった。


「まぁ、あれだよね。もし、魔物に見つかっても、コウがいれば問題ないって話だったよね」


 順調に進んだことで気が緩んだのか、ロンが軽い調子でそんなことを言った。

 そう、この発言こそ、三人が平常心を失わなかったどころか、学園にいるときと同じ調子でいられる理由が集約されていた。


 例えば、チンピラばかりの治安が悪い街で過ごすとしても、歴戦の戦士達が護衛してくれているとするなら、誰が恐怖を抱くというのだろう。

 極寒の世界に放り込まれながら、絶対に温度が失われない、暖房の魔導具を所持しているような安心感。

 天から地へと真っ逆さまに落ちながらも、すぐ傍に長年の友とする空の王者ドラゴンが、迎えに来てくれているかのような信頼感。

 そういった感情に近いものを三人は抱いていたのだ。


「お前な、油断しすぎだっての。今は何が起こるか――」


 コウは校外授業開始前に緊張しないように促したが、それはいくらなんでも緩み過ぎだと諌めようとするが、その言葉は途切れることになった。


「コウ、あれ……」


 リーネが握る手に力を籠めてきたからだ。それによってコウは話を中断し、すぐに頭の中を切り替えた。

 どうしたのかとリーネを見ると、コウのことを見ておらず、一方を見つめていた。コウは彼女の視線を追い、歩きながら右前方へと目を向ける。

 そして、目を凝らすことなく、一体何を見つけたのかすぐに理解した。


 それは自己主張していた。輝くことで森林内に不釣り合いなものとなり、己の存在を浮き彫りにしていたのだ。

 コウはじっとそれを見つめる。輝きを放つその正体は魔光だ。さっき見たものとほぼ同等のものがそこにはあった。


(どうも、気づくのが遅れたな)


 コウは内心そう呟く。

 魔光を直接目で視認し、最初に見つけたものと同等の量の魔力を認識した途端に『感知』が、その存在を教えてくるのだ。

 本来ならばあり得ないことである。目に見えない魔力を感じ取り、認識出来ない魔術の動きを知ることが出来てこその『感知』なのだ。これでは何のための魔術なのか分からない。


(広域に魔力が散布されたことで、感知の効果範囲が狭まっていると思っていたが、効果自体も低下しているのか?)


 そこまで考えて、いや違うとコウは自分の考えを否定する。

 魔物に関しては問題なく『感知』は、範囲はともかく効果を発揮している。ならば、あの空中に固定された魔力が、例外となっていると考える方が良さそうだった。

 コウは考察を頭の中で組み立てながら、とりあえずリーネに答えた。


「……空中に固定された魔力が自然発生によるものである、という説は考えない方が良さそうだな」


「……ですね」


 リーネが硬い表情で頷いた。

 自然発生による空間の歪みとは珍しい現象である。それが二か所続けて発生が確認されたのならば、もっと意図されたものを――――魔術などを疑う方が確立は高い。二人がそう判断を下すのは必然であった。


「で、でも、まだ自然現象である可能性もあるかも知れないじゃん?」


 話を聞いていたロンが苦し紛れのように発言した。しかし、彼自身、どう考えるべきかは分かっているようである。


「考えるより確認した方が良さそうだ。行こう、駆け足とまで行かなくとも、急ぎ足になるのは仕方がない」


 判断出来ないなら判断材料を探すまでだ。

 その考えの下に走るよりは遅く、歩くよりは速く進む。或いは出口に向かっているのだから、入ってきた場所とは違うが戻ると表現する方が、この場合は正しいのだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えかけたところで、コウは足を止めた。そして呟く。


「三つ目か」


 コウから見て左手側。そこに魔光を放つ魔力が見えた。


「……いえ、四つ目です、コウ」


 リーネの返答を聞き、見てみれば確かに右手側の奥に見間違いようのない光があった。


「確定、だな」


「老魔術師の置き土産である大規模魔術の何か(、、)、ですね」


 コウとリーネのやり取りを聞いて、後ろから追従する形で連いて来ていたロンとアヤが息を呑む。

 だが、これは可能性があると、すでに分かっていたことだ。確定したことで結局何も出来ないことには変わりないし、森林を早く出ればいいだけの話である。


「……コウ」


「なんだ?」


 振り返るとロンが目をつむり額に指を当てて、何かを思い出そうとしているかのように唸っていた。


「あのさ、あの固定された魔力。あれって適当な場所にあるのかな?」


「……どういうことだ?」


「いやさ、頭の中であった場所を思い浮かべてるんだけど、意味ありげに思えるというか、考えられて配置されているような気がするというか……」


「…………」


 ロンの感覚的な言葉を受けて、コウも頭の中で思い描いてみる。

 四つの魔力。たった四か所しか発見していないが、他の場所にも存在するのだろう。森林内に散りばめられた無数の魔力。それは果たして偶発的に生まれた産物なのだろうか。

 考えをまとめるには情報が少ない。コウが考えても仕方がないと割り切り、移動した方が良さそうだと思った時だった。


「あれ? 今、動いたような……」


 アヤの呟き。彼女の視線は空中に固定された魔力を捉えたままだ。

 コウも見る。確かに、揺らめいているような気がした。


 ――――瞬間、揺らめきは大きくなり、いきなり線が生まれた。


「ちょっ、えぇっ!? 何が起こったの、これ!」


 ロンは魔物が近くにいるかも知れないということも忘れて叫ぶ。それに答えられるのは誰もいない。

 線の正体は固定された魔力だった。魔力は魔光特有の淡い光を放ちながら伸びていく。その速さは決して速くはない。まるで水の中を魚が悠々と優雅に泳いでいるかのようである。

 魔力の線は木にぶつかっても伸びる。木を穿っているわけではなく、すり抜けているように見えた。


 何か気配を感じて振り向くと、後ろからも線が伸びてきていた。

 ちょうどぶつかりそうな位置にいたロンが、慌ててその場から飛び退いている。当たっても木と同じく、すり抜けるとは思うが、無害なのかも分からないので賢明な判断だろう。


 ロンが避けた線はおそらく道中に見た、二つ目の固定された魔力から伸びたものだろう、コウ達の後を追うように伸びてきたのかも知れない。

 避けた魔力の線はコウ達のことなど無視するかのように伸び、そして三つ目として見つけた固定された魔力と合流した。

 どうやら、見つけた三つ目、四つ目も同じように線が出でて、他の所と合流しているらしい。


「まるで点と点を線で結んでいるかのようですね」


 アヤが率直な感想を漏らした。彼女としては特に意味があったわけではなく、思ったことを言っただけだったのだろう。しかし、その言葉を聞いたのを契機に、コウの中で駆け巡ったものがあった。


「線と線を結ぶ…………まさか」


 コウは空を見上げた。そして。


(確認するしかないか……)


 コウは見回し三人の顔を順に確認した。ロンとアヤは何が起こっているのかと、心配げにコウを見てきていた。

 コウがいることで緊張することはないとしていたのに、そのコウが驚いた姿を見せただけで、二人には心配の種が生まれたらしい。

 やはり、コウがいても駄目なことがあるのか。そんな疑問が頭をかすめてしまったのだろう。


 二人のその様子を確認してから、コウはリーネを見た。彼女は黙ったまま普段通りの様子でコウを見つめていた。

 一瞬の逡巡、だが答えはすぐに出た。コウは自分を普段通り信頼したままでいる少女を見つめ返す。


「どうしました?」


 見つめ返すとようやくリーネは声を発した。


「リーネ、高いところって苦手か?」


「え? ……いえ、人並みには平気だと思います」


「なら、ちょっとごめんな」


 言いながら身体を捻り、左手をリーネの膝の裏に添える。


「え、れ、うぇ、コウ殿!? いきなり何を!」


 突然の行動に対して慌てだすのはアヤの方で、当人であるリーネ方は驚いたような顔をしても、拒絶反応を示したりしないでされるがままだ。

 コウはアヤに何か言い返すことなく黙って行動を続け、次に繋いでいた右手を離すと、その右手を横からリーネの背中に回し、そして、彼女の膝の後ろにある左手に力を入れると身体を浮かさせて持ち上げる。


「わわっ!?」


 と、流石にリーネも驚きの声を上げる。しかし、すくい上げられるようにして、足が地面から離れても、コウが背中と膝の後ろに回した手で、自分をしっかりと抱きとめていることを知ると、彼女は安心した顔で完全に身を委ねてきた。

 コウが行ったのは所謂、お姫様だっこという行為だった。


「既視感! どっかで見た光景! つか、どうして今そんなことしたし!?」


「コウ殿!? い、いきなりそんな破廉恥なことを!」


 さり気なくリーネのスカートの中が、覗けそうな位置に移動しようとするロンを、睨みつけて制止させながらコウは言う。


「これ破廉恥か? ……まぁ、時間はないから説明は後でな」


 言うのを合図としたかのように、足に力を籠めると前触れもなくコウは跳んだ。

 飛ぶのではなく跳ぶ。飛行ではなく跳躍でもってコウは空を目指す。

 木の幹を蹴り、緑葉や枝を突き抜け、先端付近でぐっと力を溜めると、更に強く跳躍。目覚ましいくらいに地面が遠のいていく。

 空へと昇る中、目を閉じて集中していると、リーネが普段よりも上気した調子で、風を切る音よりも大きく声を発した。


「凄い、凄い凄い! コウ、凄い! 私達飛んでる!?」


 世界が開ける。

 フィフス森林内には、背の高い木も多く存在すると言うのに、簡単にそれらよりも高く上へと移動する。

 数を数える間もなく、周りに何かを遮るものは何もなくなった。鬱蒼とした森林では絶対に味わえない、解放感を身体が覚える。 


 空を飛ぶ魔術は(、、、、、、、)存在しない(、、、、、)。人は空を飛ぶ術を持たないが故に空へ憧れを抱く。

 リーネもその例外ではなかったらしく、今までにないくらい、はしゃいでいるように思えた。


 自分達を覆うように、リーネが気づかないだろうというくらいの薄い障壁を展開し、いくつか特殊な魔術を展開する。

 コウには必要なかったが、吹き荒れる風をある程度受け流し、高高度を行く中で、地上と同等の酸素を確保するためだった。リーネに対する配慮である。


「飛んでるんじゃなくて、正確には跳んでるんだけどな」


 それらを実行しながら、コウは目を閉じたまま笑う。普段は子どもでありながら、大人であろうと自分を抑制するリーネにしては、珍しくただの子どものようであるのが、何だか微笑ましかったのだ。

 理由があっての行動だが、無理やり付き合わせてしまった、とコウは考えていたが思わぬ収穫だった。


「……怖くないか?」


 その様子なら問題なさそうだと思いながらも一応そう聞いた。

 すると、帰ってきたのは予想の上を行くものだった。


「大丈夫です! だって、コウがやっていることですし、それに抱きしめてもらっていますから!」


 コウは首に感触を感じた。どうやらリーネが腕を回してきたらしい。その方が抱えられやすいと思ったからだろう。

 コウはそうやって自分に関しては、簡単に身を委ねてくるリーネにやはり困惑する。

 他の者が同じことをやっても、同じようにはしないだろうことが分かるからこそ、コウの困惑は強くなる。

 思わず、呟く。


「お前は、どうして俺のことをそこまで……」


 しかし、障壁で受け流しているとは言え、それでも耳の中を駆け抜ける様に、喧しく風の音がする中だ。呟き程度の声量では、いくら身体を密着させていても届かないだろう。


「今、何か言いまし……コウ、どうして目を閉じているのですか? もしかして、痛いんですか!?」


 案の定、リーネには聞こえなかったようで、彼女はコウが目を閉じている理由に注目してしまっている。


(……こんな時に聞く様なことでもないか)


 思わず呟いてしまったことを恥じながら、コウは努めて瞼を落としたまま笑顔を向けた。


「問題ない、これはちょっとした準備だ」


「準備、ですか?」


「そう、もうすぐだ」


 空へと放たれた矢のように、コウ達はぐんぐんと昇りつめて行く。跳んだのはいいが、一体何が目的だったのかリーネは分からないでいるだろう。

 一先ずその説明は後回しにして、コウはそろそろ行動を起こすことにした。


「リーネ、このことはロン達には内緒な」


 前振りを入れてから瞼を上げる。

 コウがそれ(、、)を見せたのは、理解の範疇を超える信頼をリーネが寄せてくれるが故である。


「このこと? …………えっ?」


 リーネの目が驚愕によって見開かれる。

 コウの容姿は黒髪に黒目と、平民層の人間である特徴そのものである。

 人の特徴などというものは、普通いきなり変化しない。外見を変える魔術は存在するが、今コウがそれを使う理由はないし、勿論使ってもいない。

 それなのに――――


「金色……?」


 コウの瞳は金色に染まっていた。

 黒髪金目。その容姿は髪と目の色が階級を定めるということを、徹底的に無視するかのようである。

 金目というのは、どの階級にも存在しない色だ。平民は黒色か茶色、貴族は青色だ。そして王族は紫色とされている。

 つまり、ありえないものがコウの瞳には宿っていた。


 そして何よりも、よく見ると宿す色以上に、その目が特異であることが分かる。

 金色の瞳の部分が淡い光を帯びているのだ。日光やその他の光を受けて、反射しているのではない。瞳自体が光源(、、、、、、)となっているのだ(、、、、、、、、)


「やっぱりか」


 一方、コウは驚くリーネに構わず、気づいたことを検証すべく、辺りを見回していた。気づいたことが正しかったと判明して苦い顔をする。


「…………どうしたのですか?」


 少し悩む素振りを見せてから、リーネはコウの呟きに対して反応する言葉を口にした。

 それに対してコウは説明する。


「確認したんだ。どうやら例の空中に固定された魔力、あれは森林の至る所にあったらしく、それらが全部繋がろうとしてるみたいだ」


 腕の中でリーネは森林を見下ろした。

 眼下に広がるのは何処までも緑が続くかのような光景だ。緑葉に隠されて地面など一切見えない。いくら魔光を放っているといっても、無数の緑が隠してしまうことに変わりはない。

 もっとも、だからこそ学園関係者に目撃される心配なく、コウが高く跳ぶことが出来ると言えるのだが。


「繋がろうとしている? つまり、魔力が形を成そうということ……それって!」


 どうして見えるのかと疑問を覚えるべき場面だろう。しかし、リーネは信じたようだ。どの階級にも属さない、金色の輝きを放つ瞳に説得されたのかも知れない。

 むしろ、コウの方が何故疑問に思わないのか疑問に思いながら、とりあえずやり取りを続ける。


「あぁ、馬鹿みたいに大きな術式陣が出来上がりつつあるよ」


 リーネが息を呑む。無理もないとコウは思った。

 老魔術師が操った平均的な魔術師五十人分の魔力は、様々な魔術を妨害し、たくさんの魔物を操り、そしてリーネの居場所を探るために使われたのかと思われていた。しかし、それらの効力を示した、大規模に展開された魔術は、後々現れる大きな術式陣を隠すための布石に過ぎなかったのだ。戦慄さえ覚える戦術である。


(一度見ていたのに、俺はどうして気づかなかった……)


 コウは自分を詰る。表情を変えることなく、しかし、心には激情を宿して。

 リーネ達を探す際に、コウは同じように森林全体を一度見下ろしている。その時気づいていれば、アヤの提案に乗って固定された魔力を消滅さていた。


 気づけなかったのにはいくつも理由がある。

 まず、『感知』が上手く機能していなかったこと、そもそも仮に『感知』が正常に働いていても、固定された魔力の量は多くはないので、魔物か何かと思って見逃していただろう。

 それに、あの時集中して探していたのが、リーネ達だったことも理由に挙がる。


 どれもこれも仕方がなかった理由である。コウに落ち度はない。ただ、条件が厳しかっただけだ。しかし、それでもコウは自分を詰った。


(もっと、俺がしっかりしていれば、これを避けることが出来た)


 術式陣はまだ完成していないが、それも時間の問題だろう。

 コウが表情にはおくびに出さずに、自分を責める。そんなコウをリーネはじっと見つめていた。


「コウ」


「ん? どうした?」


 コウはいつもと変わらぬ平然とした様子で答える。

 動揺した素振りを見せず、冷静を失っていないことを示し、そして自分を詰っていることを悟らせない。それはいつも通りのコウだった。

 こうして相手に気づかれず、コウは心の内側を晒さない。自分で自分を傷つける。ただ傷を増やしていく。それで終わり。


 ――――しかし、この時ばかりは違った。


「コウ」


 再び名前を呼ばれた瞬間、頬と肩に感触を覚えた。

 一体なんだと考えて、甘く脳を刺激するものが、ふわりと香ることに気付く。そこでようやくコウはどんな状況なのか理解した。

 リーネが首に回した腕に力を入れ、頬と頬を合わせ、コウの肩にあごを乗せる形で抱きついていたのだ。

 自然と彼女の髪の中に顔の半分を埋める形となっており、コウはその状況を理解して、鼻をくすぐるのは彼女自身の匂いなのだと知る。


「リーネ……?」


 コウは呆然とした。状況的に胸を高鳴らせても良さそうなものであるが、コウはただただ困惑するだけだ。

 いや、何も感じないわけではない。心が緩むような、胸が温まるような気持ちは抱いた。しかし、それらは劣情から来るものではないと思うが、正体までコウには特定出来なかった。


 何故、自分は抱きしめられているのか。何故、リーネは自分なんかにこんなことをするのか。

 空を昇る中、考えてもコウは分からない、理解が出来ない。


「大丈夫です」


 優しい、口調だった。

 耳元で、脳へ直接言葉を染み込ませるかのように、紡がれる声は周りの風の音よりも小さいはずなのに、はっきりとコウの中に入り込んでいく。


「どうして……そんな励ますような言葉を、いきなり?」


「だって、コウ辛そうです」


 リーネはきっぱりと断言するように言うと、顔を少し離してコウの顔を覗き込んできた。

 そして、顔を歪ませる。まるで、コウが辛いと自分も辛いかのように、悲しげに顔を歪ませた。

 見えないナイフを刺されたような気がした。辛そうと言われても、コウは表情を変化させていない。内心を悟られることはなかったはずだ。その自信がコウにはあった。


「……そんなの勘違いさ。俺は別にそんな顔していないだろう? そりゃ、さっきは顔を顰めたりはしたが、辛いとかそんな大げさな表情じゃなかったはずだ」


「でも、私には、辛そうに見えます。何かに耐えているように、見えます」


 身体が上へと引っ張られて行くような感覚が薄くなってくる。そろそろ減速し始めていた。

 コウはこんなことが前にもあった気がした。表情には出していないのに、まるで心の内を覗かれたような発言。しかし、それを思い出す前に、リーネが憂えた顔で言葉を続ける。


「コウって、誰か頼れる人いますか? 心を預けられる人、いますか?」


 コウは言われた瞬間、頭の中が真っ白になった。それから、どうしてこんな話をしているのだろうかと思った。

 ここは完全に危険地帯となったフィフス森林の上空で、下には突然の行動に置いてきぼりにされたロンとアヤがいて、コウとリーネは抱き合うような形で密着し、顔は首を動かせば容易にキスが出来てしまう距離にある。

 リーネはどうしてこんな状態、こんな場面でそんなことを訴え始めたのだろうか。

 彼女の問いかけは続く。コウが何も反応しないから、それは独白のようだ。しかし、それでも構わないのか、彼女は止まらない。


「コウはロンさんのこと、友達だと思っていると思います。信頼しているのは見ていて分かります――でも、心は預けられていないんじゃないですか?」


 リーネは確認するように言う。責められているわけじゃない、まるで自分の感情を上手く表現出来ない子どもに、適した言葉を与えているかのような行動だ。

「どうしたの?」、「痛いの?」、「悲しいの?」、「怖いの?」、「苦しいの?」、そんな風に聞いていき、相手の気持ちを汲み取ろうとする作業。漠然としながらも、しかし、そのどれかは正解だろうという確信があるからこそ、出来ること――――コウは辛いのだと確信しているからの行為。


 言われた言葉は指摘となり、コウに思い起こさせる。

 そういえば、コウはロンから相談を受けることはあっても、したことはなかった。

 信頼していないからではない。ロンは口こそ軽いが、人を傷つけることは絶対にしない少年だ。

 もし重大なことを話しても、言い触らしたりはしないだろうと断言出来るくらいには信頼している。

 流石に今まで学園を過ごしている間、全く相談するような事柄がなかったということはない。では、何故、自分は相談したことがないのか。コウはそのことに初めて気づき、らしくもなく答えを出せなかった。


「コウは、遠慮しているのではないですか? 頼れば相手に負担を強いると思っているのではありませんか?」


 絶妙なタイミングだった。答えを考え、空白となっていたところに、すとんとその言葉は降りてきた。

 首の後ろに腕を回し、至近距離の顔の位置を変えないで、リーネはコウの金目を見つめてくる。


「コウに事情……秘密があることは、もちろん知っています。話せないことがあるもの理解しています。だから、別に何もかもを話して欲しいわけじゃないです。私だって黙っていることがあるのだから、そんなの図々しいお願いです。わがままかも知れません。ですが、それでも、私は願います」


 そこで言葉を区切ると、リーネは一度息を吸って吐いた。

 その溜めは、これから言うことの前準備ように思えた。まるで、何か重大なことを伝えようとしているような、そんな仕草に見えた。


 その時、世界が切り抜かれる。昇るに昇り、跳躍によって得た加速を使い果たし、上昇が止まったのだ。

 視界の端で流れていた光景は固定され、気づけばコウの目の前にある光景は、完成された一枚の絵だった。空と大地の境界でこちらを見つめる、人形のように整った容姿の可憐な少女の絵だ。

 この瞬間を待っていたかのように、刹那に存在する停滞した世界で、絵の中の少女は真っ直ぐコウに言葉を向ける。


「いつか、私に、コウの心を預けて下さい」


 そう言ってリーネは憂えた顔から一変、見る者全てを魅了するだろう、輝くような笑顔を向けてきた。

 そして、世界は動き出す。

 昇る時とは逆で下へ下へと引っ張られるような感覚。上昇し、停滞したのだ、当然落下が始まったのである。

 落ちて、降りて、墜ちていく。

 コウの中に記憶に刻まれた絵は、そのままコウの中で動き出す。金目に映る世界と連動して、笑顔を向けてくる少女を心に焼き付ける。


 コウは空を目指して昇っていた時にあった浮遊感が、現実から離れる時の感覚だったのかも知れないと思った。そして、地面へと向かう、身体が重くなるような今の感じは、現実に引き戻される感覚なのだ。

 つい先ほどまでのことは、幻想の世界で起こったことで、今はその世界から戻ってきているところ。そんな風に思えた。


 ――――だが、そんなことはあり得ない。一連のことが全て現実のものだったことは確かなことである。

 何故なら、全てのことが幻の世界で起こったのならば、現実に戻った今になっても、腕の中の少女が、コウに対して変わらず笑みを向けていることに説明がつかないからだ。

 金目を向けてリーネを見つめる。そして、今更になって口にした。


「この目のこと、何も聞かないのか?」


 答えをはぐらかすようであったが、もっともな疑問でもあった。しかし、答えは用意されていたようで、迷うことなくリーネは言葉を返した。


「そんなの、コウが心を預けてくれてから聞きます。……さっき地面にいた時、ロンさんとアヤにその金目を見せるか迷っていたこと知ってます。ただの友達に話せることじゃないですよね? なら、今聞いても仕方がないです」


「そっか…………なぁ、もう一つ疑問に思ったことなんだが、リーネは何で俺のいろいろを見抜けるんだ?」


 もはや、さっきは別に何も思ってなんかいなかった、と抗うつもりは毛頭もなかった。遠まわしに肯定してしまう。


「……自分でもよく分からないんです。いつも、見ているからでしょうか? 言葉に出来ないんですが、何となく分かるんです」


「いつも見ていると何となく分かるもんなのか?」


 徐々に地面が近づいてくるのを見ながら、コウはそんなものなのかと考える。

 コウは出会ってから一ヶ月と少しほどのリーネに、自分の表情の奥にあるものを見破られてしまうとは思ってもいなかった。


 それは彼女の持ち前の聡明さと、取り巻く環境のせいで磨かれてしまった、人の良し悪しを見抜く観察力、そして何よりコウに対しては、疑うことを知らないかのような信頼感、などが合わさったからこそ成せることなのだろうか。


 そんなことを考えていると、リーネは少し考える素振りを見せたかと思えば、突然顔を不安で染め、身体を固くした。彼女は腕の中にいるので、それはコウに直接伝わってくる。

 一体急にどうしたのかと覗き見れば、リーネは上目遣いにコウを見ると、弱々しく、しかし、ちゃんと聞こえる声で聞いてきた。


「い、いつも見ていて、あなたのことは何でも、分かる、という発言は、気持ち悪いですか?」


「んん!? ……あぁ、そういうこと」


 確かに言葉だけ受け止めれば、意中の相手を陰でずっと観察し続け、気づかれないように追いまわして、相手の全てを知ることに快感を覚える、そんな特殊な性癖を持つ人を連想させなくもないだろう。

 コウは苦笑しながら首を横に振る。


「いや、でも、お前それはあれだろ。いつも見てるって、別にこそこそ隠れながら追いかけてやってるってわけじゃないだろう?」


「それは…………はい、みんなでお話ししている時とか、一緒に授業を受けていた時とかです」


「なら、想像したのとは違うんじゃないか? それに俺は気にしないから問題ないさ」


「そ、そうですか! 良かったです…………あの、それで、その、コウのお返事、と言いますか……」


 つい先ほどまでコウに毅然とした態度で訴えかけていたとは思えないほど、ごにょごにょとリーネは瞼をきつく閉じながら催促して来る。

 思わず聞き逃しそうになったが、何とか言葉を拾うと、コウは黙考する。


 どうしてこんな時に、あんなことを言い出したのかと思っていたが、この時になってようやくコウは理解した。

 リーネが訴えてきたことは、彼女が常々思っていたことだったのだ。コウを見ている内に、思うようになったことなのだろう。

 彼女の言葉を借りるなら、さっきコウが見せた辛そうな姿を見て、それが解き放たれたというわけだ。

 だから、リーネの言葉の全ては、流れや勢いに任せて出てきたものではなく、じっくりと時間をかけて生まれたものなのだろう。それを理解した上で、コウは答えなければならない。


 ふと、腕が震えた。瞼を閉じて答えを待つリーネの身体が震えているのだ。緊張と期待、そして恐怖がない交ぜとなって彼女に襲いかかっているのだろう。

 命を狙われている状況下で、決して取り乱すことなく、自分の心を軋ませながら他者を労る少女が、はっきりと怯えていた。


 それに気づいたコウは決断する。自分の正直な気持ちを伝えようと。例え、傷つけることになっても、嘘偽りのない自分の心を見せることにした。


「……リーネ」


「は、はい!」


 ぱっと瞼を上げると、リーネは真っ直ぐにコウの目を、金色に輝くその目を見返してきた。

 その顔には相変わらず期待と恐怖があった。

 目と目を合わせたまま、コウはゆっくりと口にする。


「俺は、お前に心を預けることは…………出来ない」


 それを聞いたリーネの表情が落胆に――――いや、それすら簡単に振り切って、絶望に染まっていった。




 お読みいただきありがとうございました。


 2012/09/30 16:58

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。

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