第二十四話
岩壁のような屈強さを想像させる大男が、勢いよく背後を振り返った。
手は腰にある剣の柄へと延びている。その剣は薄汚れていながらも、所々の輝きに眩しさを覚えるのが印象的である。
森の中なので視線の先にあるのは、当然木々の群れしかない。他の存在など確認出来なかった。しかし、それでも大男は森の奥を鋭く睨み続ける。
(やはり、来ているのか?)
それは一瞬だけの出来事だった。先ほど見えない風が押し寄せたかのような、奇妙な感覚と共に悪寒が走ったのだ。
その感覚は戦いの場で、いつも自分を助けてきたものだと大男は知っていた。だからこそ、大男は感覚を締め上げるように集中させて気を引き締める。
そんな矢先に気の抜けるようなことが起きた。
「隊長~!」
女性特有の高く軟らかい声が、大男をそう呼んだ。
隊長と呼ばれたことで、眉間に皺を寄せながら、思わず蟀谷を指で揉んでしまう。
「……お前、わざとやってないか?」
「はい?」
きょとん、と本気で意味が分からなさそうな態度に、眉間に集まる皺の数が多くなるのを、大男は確かに感じた。
その様子を見てようやく理解したのか、大男を隊長と呼んだ女が慌てだす。
「あー! し、失礼しました! えっと、お、お頭!」
申し訳なさそうに何度も頭を下げる女を見て、大男はゆっくりと溜め息をつく。
これと同じようなやり取りを何度繰り返したのか、もはや数など覚えていない。
このどんな顔をしても優しそうな雰囲気が抜けきらない女は、どうして何度も間違えるのかと首を捻る。
いっそのこと直接聞いてみるかと大男は単刀直入に尋ねることにした。
「セシーナ、お前は大愚に部類される者ではない。むしろ、怜悧な者と称すべきだと私は思っている。それなのに何故そう何度も間違えるのだ?」
言ってから、ただ疑問を訊ねるだけのつもりだったのに、少し言い方がきつかったかも知れないと、大男は気づき、そんな自分に苛立つ。
それで眼光が更に尖るように鋭くなってしまい、見る者に却って威圧感を与えることになるのだが、大男は気づかずにそのままセシーナを見つめる。
「あわわわわ、ご、ごめんなさぃい、ごめんなさいい!」
そして案の定、女は涙目になってしまい、謝罪の言葉をひたすら口にしている。
ぶるぶると震えながら何度も謝る姿は、何処か小動物的な可愛らしさを彷彿させるが、大男からすれば扱いに困るだけである。
しばらく黙って謝罪を聞き続けていたが、このままでは何も進展しないと思った大男は、なるべく威圧的にならないよう心掛けて、ゆっくりと口を開いた。
「……私は怒っているわけじゃない。ただ、どうすればお前が間違わないように協力出来るか、知りたかっただけなのだ」
「ぁ……」
そう言ってセシーナの顔をじっと見つめると、意味が正しく伝わったのか彼女は押し黙る。
それを確認した大男は、我ながらぎこちないものだと思いながら、顔に笑みを作ってみせる。
「……ッ!?」
途端にセシーナの顔が真っ赤に染まった。
それを、恥ずかしさによるものだろうと思った大男は、気づかぬふりをしてやって言葉を続ける。
「肩書きを間違えてしまうなら、名で呼んでみてはどうだ? 考えればお前に隊長と呼ばれていた期間も長かった。だから、まだその方が間違えにくいかもしれん」
「そんな、お名前でなんて……でも、隊長の方からだし……」
セシーナがぼんやりとした様子で、ぶつぶつと何やら呟きだす。
そんな彼女の様子を見て、若干心配になった頃、彼女は言われた通り大男の名前を呼んだ。
「ルフェンド様ぁ……」
何処となくその眼差しや呼び方が熱っぽい気もしたが、それは先ほどまで泣く寸前だったからだろうと、自己完結しながら、大男――――ルフェンドは真っ直ぐにセシーナを見つめ返しながら頷いた。
「ああ。とりあえずそのまま名で呼ぶと良い」
そうして見つめ合ったまま少しばかり時間が過ぎる。
ルフェンドとしては先に彼女の方から来たので、話し出すのを待っているつもりなのだが、彼女はどうしてかルフェンドを見たまま、ぼんやりとしている。
仕方なくルフェンドの方から切り出した。
「それで、何か用があったんじゃないか?」
そう問うとセシーナは寝ていたところをいきなり起こされたかのように、びくりと体を震わせて目を瞬かせると、間を置いた後にようやく用件を口にした。
「はっ! そうでした! えっと、魔物使いの方をお呼びしました」
セシーナの遥か後方を見れば、確かに今回の作戦の要とも言える、魔物使いの老人が立っていた。
その姿を確認して、待たせたことで機嫌を損ねているかもしれないと、ルフェンドは顔を顰める。相手は少し待たせるだけで、そうなってしまう短気な人物なのだ。
「……なるほど、そういえば奴を呼びに行かせていたな。セシーナ、ご苦労だった。私は打ち合わせをしてくるから、お前は少し休んでいなさい」
別段、話の内容をセシーナに聞かれても問題はないので、同行させても良かったが、彼女自身がそれを喜ばないだろうと、さり気なくルフェンドは彼から彼女を遠ざける。
すると、彼女も見るからにほっとした様子を見せ、返事をすると近くの木陰に移動した。
いつもの彼女であれば、何処にでも付いて来ようとするのだが、そうしないところから鑑みるに、よほど苦手なのだろうとルフェンドは苦笑する。
彼をわざわざ遠くで待たせているのは、この場に留まらないようにしているからだった。
連れている魔物を待機させるのに打って付けの場所がある、というもっともらしい理由で距離を作り、長い時間一緒にならないように仕向けていた。それくらい、一緒にいると気が滅入るような人物なのだ。
ルフェンドは我慢出来たが、セシーナが耐えられないだろうと思っての行動だった。
ルフェンドも気は進まないが、話をつけなければと仕方なく魔物使いの老人を見やる。
ちょうど機会を窺っていたのか、セシーナが離れると同時に彼がこちらにやってきていた。
機会を窺うなどと、そんな殊勝な心がけの出来る人物だったかと首を傾げながら、少しでもこちらに来ないようにするため、ルフェンドも早足に距離を詰めていく。
ある程度近づくと、先に口を開いたのは老人の方だった。
「おい、餌はまだか!?」
開口一番これである。
――――どうやら彼が急いてこちらに来たタイミングと、たまたまセシーナが離れたのが、一緒だっただけのようだと、ルフェンドはこっそりと結論付けた。
彼の発言に対して、答えは分かっていながら一応問い返す。
「魔物使い殿、餌というのは何のことでしょうか?」
ルフェンドは彼の名前を知らなかった。しかし、仕事だけの付き合いである間柄だと、名前を明かさないのは特別変わったことではない。
依頼人と雇われた者の関係として、時にはある形だった。
「何を寝ぼけたことを言っておる! 標的の餓鬼共のことじゃよ!」
それを聞いた瞬間、表情が動こうとするのを、懸命に堪えなければならなかった。
ルフェンドは不快感でいっぱいになる気持ちを抑えながら、表面上は冷静を心がけて会話に努める。
「……標的の少女は無傷で捕えるのが条件であると、何度も説明したつもりですが?」
まさかここにきて気が変わったと言い出した場合、どうするか検討しながら訊ねる。
すると、相手も一応は依頼を受けて飯を食う専門家だけあって、ルフェンドの言葉に大きく頷いて見せた。
「なぁに、わかっておるともさ。しかし、標的の小娘以外にも餓鬼はいるのじゃろう?」
我が意を得たとばかりに、にんまりと笑う老人。
それを見て、ルフェンドは眩暈を覚えそうになった。
「わしの弟子も以前、貴様の依頼に巻き込まれて死んでおるし、これくらいは良いじゃろうて? それに餓鬼の肉は軟らかくて………」
老人が何か得意げに話続けているのには取り合わず、ルフェンドは葛藤しながら思う。
(分かってはいたが、最早このような者達しか雇うことが出来ないのか……!?)
今回のことでルフェンドが雇ったのは、この危険な思考を持つ老人と、欲でしか動かないような盗賊団達だ。
長い間、様々な手段を用いて、標的の少女を狙ってきた。そうしている内に噂でも広がったのか、依頼を引き受けてくれる所がなくなってきているようなのだ。
そろそろ手段が限られて来ている。今回雇った人物達の質を見れば、それは一目瞭然だった。
(……もう、猶予はないのかもしれない)
震えそうになる手を襟元に添える。固い金属質な感触が存在した。
その冷たい感触を感じながら、ルフェンドは気持ちを落ち着かせていく。
「……打ち合わせ通り、盗賊団の彼らが来たら、魔物たちを撤収させてください」
この危険人物である老人だが、その思想に比例するかのように腕は確かなものであった。
何もしていないように見えて、実は今こうしている間にも魔物たちを遠隔で操り、クライニアス学園が派遣した警備部隊とその教員達を翻弄しているのだ。
これでまともな人格であればと惜しまれる人材である。
もっとも、まともであれば、あの学園に手を出すことに、力を貸したりはしないのかも知れないが。
「む、そうじゃのぉ。わしの可愛い子どもたちが、死んでしまってもつまらん。そこらへんは手筈通りにやるわい」
人間を餓鬼と言い、魔物を子どもと言う時点で、どのような思考を持っているか推し量ることが出来そうだ。
「お願いします。では、部下に指示を出して来ますので、これで失礼します」
「なんじゃ、それだけの為に呼んだのか。まめな男じゃのう」
小言の一つは言われるかと思ったが、呆れた様子ではあるものの、それ以上は何も言われなかった。
老人は魔物たちを待機させている場所に戻るのか、背を向けるとさっさっと歩いていく。
さり気なく餌云々の話を彼が忘れている内に、ルフェンドも踵を返してセシーナの下へと戻った。
少しでも長く相手していると、あの老人に対する嫌悪感が別のものへと変わってしまいそうだった。故に、自然と早足になってしまったのだが、それは仕方がないことなのかも知れない。
「あ、おかえりなさい、ルフェンド様」
たかだが数十メートルしか離れていない距離だったのに、セシーナはぴょこんと跳ねるように立ち上がって出迎えた。
そんな彼女の何気ない動作に、ルフェンドは言い知れない安らぎを覚えた。
「ただいま、セシーナ」
だからか、ついそんな間抜けな返事をしてしまったのだが、それをセシーナは笑わず、何故かまた顔を赤くしてぶつぶつと呟きだす。
「これ、なんか、噂に聞く一般家庭の夫婦のやり取りみたいじゃない? きゃーきゃー!」
一人ではしゃぎだしたセシーナに、ルフェンドは目を丸くする。
「……セシーナ?」
「はっ!? な、なんでもありません!」
「よく、分からんが……まぁ、何でもないなら良い。それより、新しく指示を出す」
「何なりとお申し付け下さいぃ!」
妙に威勢が良い気がするが、別にそれが悪いことでもないと考え、ルフェンドはわざわざそれを言わずに、指示の内容を伝えることにする。
「盗賊団の到着が遅れている。作戦が失敗した場合の退却時間を考えても、だ」
そう伝えるとセシーナもはっと驚いたような顔をして、次第に気持ちを切り替えたのか、真剣な表情を作り始める。
盗賊団には生徒達を襲ってから、数分で少女を確保出来なければ、速やかに撤退するように指示を出していた。
そうしなければ、生徒達が携帯させられているだろう召喚符で、警備部隊や教員が来る可能性があると伝えてあるので、深い追いはしないはずなのである。
(一つ、懸念もあるしな……)
考えながらルフェンドは口を動かす。
「そこでお前には魔術によって、付近に人が来ていないか調べてもらいたい」
「対象が見つからない場合の対応はいかが致しますか?」
先ほどまではふわふわとした、何処にでもいる女のようなセシーナだったが、こうして気持ちを切り替えると、ルフェンドが評したように、瞳に聡明な光を宿して受け答えを始めた。
そのことに感心しながら、ルフェンドは自身も眼光を鋭くしながら、淡々と答えていく。
「追って指示を出すが、最悪全滅した可能性を考えて行動すると思ってくれ」
「ッ!? ……やはり、ルフェンド様が気になさっている方が、来ているかも知れないのですか?」
以前、標的の少女がウィールス平原を移動中に、群れと言える数のドリークを嗾けるという作戦があった。
先ほど魔物使いの老人がぽろりとこぼした「弟子」というのも、この作戦の際に雇われた人物だったのである。
魔術の性質上、魔術師一人対多数という構図では不利な点が多く、また少女が攻撃魔術を得意としていないことから、この単純にして合理的な作戦は、学生に過ぎない少女の命を摘み取るのに、十分であると言えるものだった。
――――しかし、少女は生き残った。彼女には不可能であるはずの方法で。
ドリークたちを一匹残らず倒し、遠く離れた場所にいたはずの魔物使いの弟子を見つけ、遠距離からの攻撃魔術によって倒す、という離れ業によってである。
あまりにも少女の技量からでは考えられない結果から、ルフェンドは一つの結論を導き出した。
少女を助けた介入者がいる。
そしてそれは彼女の立場上、間違いなくクライニアス学園の関係者であると判断した。それ以外に現状で彼女を助ける勢力が存在しないのだ。
介入者は状況から考えて、いつも行動を共にしている護衛役の女子生徒とは、別の存在であるだろうと思われた。
護衛役の少女は、あの時学園にいたことが確認されているのだ。
故に、ルフェンドはあの時介入者した者が、今回の校外授業にこっそりと付いて来ていて、護衛している可能性があると思っていた。
そのことをセシーナにもそれとなく話していたのだ。
「まだ、断言は出来ない。しかし、あの学園には彼の御仁がいらっしゃるからな」
ルフェンドがそう言うとセシーナは押し黙り、そして確信を持った様子で返してきた。
「……創立者にして、偉大な騎士と呼ばれた、ゼウマン・クライニアス様ですね?」
そのセシーナの言葉を肯定するように、ルフェンドは大きく頷いて見せる。
時に、絶大な力で敵を屠り、時に、全てを見通しているかのような知謀で味方を救った、という逸話で、生きる伝説とされる人物の下に、標的の少女はいるのだ。
今まで介入がなかったのが不思議なくらいだったが、ついに彼の人物が動き出したと考えるなら、警戒する理由にそれ以上のものはなかった。
「あの方が護衛につけるとしたら、どのような人物なのでしょうか? まさかご本人が来られるなんてことはないと思いますし……」
「そう、だな。警備部隊の中で特に精鋭たる者。或いは伝手から選んだ外部の者かも知れん」
「学園外の関係者……想像するだけでも恐ろしいですね」
クライニアス学園は多種多様な専門家を生み出す機関だ。学園で優秀な成績を収めて卒業した者で、その名を広く知らしめている者は少なくない。
クライニアス学園の学園長であれば、そんな人物達と伝手があっても当然おかしくないというわけだ。
「今、確かに言えることは、考えても仕方がないということだな。それにまだ、彼らが全滅したと決まったわけではない。進行が遅れているだけの可能性もある。だからこそ、探索を頼む」
一応、ゼウマン・クライニアスから指示を受けた者として、今回から標的の少女と行動を共にしている生徒達も検討した。
標的と共に行動している生徒達については、紙束の資料に一つの情報として、成績から素性まで記載されていたので知っていたのだ。
ルフェンドが一番可能性があると考えたのは、「スティニア」の家名を持つ男子生徒。
あの三大貴族の者ということで最初こそ疑ったが、当代の技のスティニアから、武術や魔術に秀でた子息がいるとは聞いていないので、懸案事項としながらも除外した。
そして、残ったのは平民の男子生徒だった。
こちらは情報が少なかったが、それは成績が驚くほど低く、警戒するのに値しないためであるらしかった。
そのことから、どんなに厳しく見ても、障害となり得ると判断するには至らなかった。
一体何故このような者が、今回行動を共にしているのか、ルフェンドは疑問に思ったくらいである。危険性を理解していないのかとすら思えた。
そうなるとやはり介入者とは、少女と新たに行動を共にする生徒達ではなく、別の存在であると疑う方が自然だった。
――――もしも、ルフェンドが資料の数値からではなく、実際に目で見て「平民の男子生徒」のことを判断していたら、介入者の正体に辿り着いていたのかも知れない。しかし、それは最早あり得た可能性の一つでしかないのであった。
ルフェンドの言葉を聞いたセシーナが小さく顔を振りながら口を開く。
「分かり、ました。いけませんね、考え方が少し暗かったです。……では、任務了解です!」
気を取り直すようにそう言った彼女に、ルフェンドは頷き返して数歩下がり距離を開ける。魔術を展開するのに邪魔にならないようにする配慮だ。
彼女は近くに立て掛けてあった、大樹の枝を切り取ったような杖を手に取り、先端を地面に突けると目を閉じる。
「――範囲を設定……完了 対象を設定……完了」
一つ一つ確認するようにセシーナが呟く。
こうした作業や呪文詠唱は省略出来ると、彼女から聞いたことがあったが、急ぐ理由がなければ、なるべく行った方が良いということだった。その方が精度は増すらしい。
そんなことを思い出すルフェンドを尻目に、彼女は続けて呪文を口にした。
「――我 世界に全てを委ね 全てを感じ取る者 世界よ この身に全てを示せ 知らせよ」
すると、地面につけた杖の先から線が生まれ出で、形を成していき、光り輝く模様が広がっていく。
セシーナはうっすらと目を開き、足元に広がる術式陣を見つめると、口元に薄く笑みを作り満足そうに頷いた。
そうしてから、術の完成となるのと同時に、展開の宣言となる最後の言葉を口にした。
「――感知」
ごく短く、しかしそれ故に魔術に関しては、門外漢であるルフェンドでも、効果が理解出来る魔術の名をセシーナは紡いだ。
発動した瞬間、彼女の足元に広がっていった術式陣が瞬く間に広がり、そして淡い光となって消えた。
それで魔術は終了したかのように見えるが、目を閉じて五感を集中させ続ける彼女の様子から分かる通り、決して終わったわけではない。
現在、彼女は魔術の力を借りて、調べられることが可能な限りの範囲のものを調べている。
彼女曰く、感覚で分かるようになるということだったが、魔術の素養がないルフェンドは、戦いの最中に働く勘のようなものだろうと強引に解釈している。
調べるのは喋ったり、歩いたりしながらでも可能らしいが、やはり術に集中する方が良いらしい。
なので、ルフェンドはあの喧しい魔物使いの老人が、万が一でもこちらに来て、邪魔にならないようにしようと考え、彼女に背を向けて歩き出した。
すると、少し彼女と距離が開いた辺りで、
「……えっ? 反応、すぐ近く? 隣?」
という戸惑いの声が聞こえ、どうしたのかと振り向く前にセシーナが劈くような悲鳴を上げた。
「きゃあぁああ!?」
「セシーナ!? どうした!」
ルフェンドは瞬時に剣を抜き放ちながら、慌てて振り返りセシーナを見る。彼女は痛みにもがくようにして横たわり、両手を目元に当てて苦しんでいた。
それを見てルフェンドは血の気が引く。
昔、両目を切りつけられた仲間が、同じような苦しみ方をしていたのだ。その仲間は、現在光を失った世界を強いられている。
そのことをルフェンドは彼女の様子を見て思い出してしまったのだ。
「セシーナ!」
ルフェンドは駆け寄ると剣を捨て、セシーナを抱き起こすと状態を確認する――――などという愚行は犯さない。そんなことをしている間、誰が周囲を警戒するというのか。
彼女との会話で少し和んでいた気持ちが瞬時に切り替わる。
鋭い眼差しを周囲に向けながら、慎重に彼女の傍らにまで移動すると、彼女には目を向けないで警戒を続けたまま問いかける。
「落ち着け、私が、ルフェンドがすぐ近くにいる! 状態を確認する、仰向けになって手をどけろ!」
怒鳴るようにそう指示する。
その注文は、例え訓練を積んだ男の兵士であっても、実際に実行出来るかどうか分からない、些か厳しいものだっただろう。しかし、セシーナは声の主がルフェンドであると知ると、健気にも震える体を無理やり制御して、指示通りの行動を起こした。
それを視界の隅で確認すると、ルフェンドは一度大きく周りを見て、誰もいないことを確認すると、ほんの一瞬だけ足元にいる彼女の顔を覗き見た。
「これは……」
再び目を周囲に戻しながら、セシーナの顔にあったものを認識する。
彼女の目元には、青く光る帯のようなものが、覆うように張り付いて視界を完全に塞いでいた。
それが一体何なのかをルフェンドは知っている。門外漢であるため術名までは知らないが、確か視界を隠すだけの魔術であるはずである。
この術が作用した瞬間、目を焼くような強い光が視界全体に走るので、この魔術を初めて受けた者は、傷を負ったと勘違いしやすいのだ。
「セシーナ! お前は現在魔術によって視界を塞がれている。それ以外に害はなく、効力も一時的なものであるはずだ! だから、混乱せず、まず落ち着きを取り戻せ!」
忙しなく周りを見ながら早口に怒鳴る。
突如何かされたことで、セシーナは恐慌状態に陥っていた。しかし、ルフェンドの説明を聞くと、荒く息を吐き続けながらだが、徐々に体の震えを抑えていく。
「よし、次、うつ伏せに移行後、十一時方向に木がある。私が援護するのでそこまで移動しろ!」
セシーナが攻撃を受けた以上、この指示が聞き取れる場所に敵がいる可能性が高かったが、それでも構わずルフェンドは指示を出す。
彼女もそれを理解してか、或いは何も考えらず、指示通りに動いているだけかも知れないが、一つ返事をすると行動へ移った。
這って移動する彼女を守るように移動しながら、ルフェンドは考える。敵の狙いは一体なんなのか。
まず、敵とはゼウマン・クライニアスから派遣された者だろう。
他に敵対すると思われる勢力が現状でいない以上、それ以外の想定は出来なかった。
次にセシーナの視界を隠す魔術。これは実用的なようで、実戦で使われることは殆どない。
何故ならこの魔術、対象がかなり近くにいないと術をかけられないからだ。
それならば、ルフェンドが最初に想定したように、武器か何かで直接攻撃した方が、戦いでは効果的である。
(セシーナを傷つけずに視界を隠す意味とは?)
単に女だったからという線もあるが、果たして彼の人物から派遣された者が、そのような甘いことをするだろうか。そんな疑問がもたげる。
思考が周囲に対する注意の妨げにならないよう、断片的に考えているために、上手く考えがまとまらなかった。
そうこうしている内にセシーナの手が、木の幹に触れる。
視界を塞がれているため、触れた感触に驚いた彼女はびくりと体を震わせて手を引込めるが、改めてゆっくりと手を触れさせ、それが目標の木であると確認している。
ルフェンドはそれを視界の隅で捉えると、すかさず次の指示を飛ばす。
「よし、よくやった! その木を背にして待機していろ!」
「……はい」
弱々しくセシーナはそう返事すると、木に体を預けるようにしながら、ゆっくりと立ち上がった。
座って丸くなっているのも一つの手だが、それだといざという時に対応出来ないので、彼女の行動は正しいと言えた。
更に、ここで魔術によって障壁を張り巡らせ、守りを固めるように指示を出したいところだが、残念ながら今彼女の手に杖はない。
恐らく、先ほどの一連の中で、紛失させてしまったのだろう。ルフェンドはその場で周囲を確認するが、杖らしきものは見つからない。
杖は補助と増幅の用途の物であるので、魔術師は杖なしで魔術を展開することも可能であると聞くが、彼女の状態から鑑みるに、杖の補助なしで魔術の展開は不可能だと思われた。
(セシーナはやれることをやった、あとは私次第、か)
彼女を背に守るようにして前に立ち、ルフェンドは神経を張りつめ五感を研ぎ澄ます。
ルフェンドは魔術を使えないので、広域を探すことは出来ないが、代わりに長年に渡って戦い続けたことで鍛えられた勘があった。
(相手は魔術師。距離さえ詰められれば、こちらにも勝機がある)
相手の手口から魔術師であると想定して身構える。
戦いの補助として、少し魔術が使える武術家である可能性もあるが、それは臨機応変に対応するしかなかった。
今はとにかく敵の情報が少ない。
(初めにセシーナを殺さなかったことを考えれば、遠距離から魔術でセシーナを攻撃することはないはず)
ならば、相手の初手にどう反応するかが、今回の戦いの分かれ目となるだろう。ルフェンドは自分にそう言い聞かせる。
痛いくらいの沈黙が訪れた。
時間を置いて精神的に追い込む作戦なのか知れない。
一つの無駄な動作が、一瞬という致命的な遅れを生み出す。故に体は一切の動きがなくなる静止。
この場所だけ、時間の流れが止まったかのような錯覚すら覚えるが、風に揺れる木の枝や草花が、この場所が正常であることを教えてくれた。
一分が、一秒が無限に感じられる世界。
そんな中、それをしたのはルフェンドにとって、不気味なくらいに自然な行いだった。
(馬鹿な)
ルフェンドは自然に行った、自分の行動に自分で驚きながら、心の内で自身に向けて悪態を吐く。
無駄が許されない瞬間だった。隙を見せてはいけないはずだった。しかし、ルフェンドの体は長年培ってきた本能の赴くままに動いた。
右脇を締め左手を動かし、足を軽く開いて重心を落とす。そして、両手に握る剣の柄を捻るようにして頭上に掲げ、剣先が地面に向くように、剣身を自分の頭部から上半身を守るよう斜めにさせて構えた。
あまりにも滑らかで、自然な動作で行われた防御の姿勢。それは何もなく、誰もいない空間で、鍛錬でも始めたかのような行動だった。
(馬鹿な……!)
なんの抵抗もなく、その姿勢を作ってからルフェンドは目を見開き、改めて自分の行動に驚愕する。
このような時になんという愚行。気でも狂ったのかと自身を詰りながら、慌てて姿勢を戻そうと考えた。
だが、結果として、この本能が起こした意味不明な行動に、ルフェンドは助けられることになる。
「ぐっお!?」
腕に強い衝撃。
姿勢を戻そうと考えた瞬間だったため、余計に衝撃は強く感じられたが、何とか耐えることが出来た。
考えるより先に、解きかけた防御の姿勢を再び固めつつ、襲った衝撃の正体を見る。
それは大樹の枝を切り取ったような杖――――セシーナの物――――だった。剣の腹で受け止めた部分から広がるように空中に出現する。
そして、次いで現れたのはその杖を握る手だった。
マントと思われる体を覆うほど大きい布から覗く腕が、そして肩と順に出現していき、その時点でようやくルフェンドは、至近距離に誰かがいたことを知ったのだった。
(何が、起こっている!?)
攻撃してきた以上、今回訪れた敵であるはずだ。しかし、長く戦いの場に身を置いてきたルフェンドにしても、このような存在は初めてだった。
故に、敵がいるならば、すぐに距離を開けるべきなのだが、あまりの事態にそこまで思考が追いつかないでいる。
徐々にあらわになっていく敵。
空気から染み出すように身体が首元まで現れた時、それは前触れもなく動き出した。
バンッという袋を破裂させたような音と共に、正体不明の敵は踏み込んできた。
「ぐぉ!?」
ルフェンドはそれに何とか反応した。
驚きながらも膝蹴りを放ち、間合いを一気に詰めてくる敵の腹部を狙う。
それを相手は知っていたかのように左手で受け止めると、尋常ではない力で押し返し、右手でルフェンドのこめかみを狙う掌打を繰り出してきた。
(なんて力だ!)
ルフェンドは強引に上半身と首を捻ることでその掌打を躱し、両腕をぴたりと合わせ不格好な姿勢ながら剣の柄を相手に向けて打ち込む。
だが、これも知っていたかのように、相手は滑るように後ろへ下がることで難なく躱してみせた。しかし、それはルフェンドの狙い通りだった。
「おぉおおお!」
合わせていた腕を開き瞬時に振り上げると、振り上げ時よりも更に早い動作で斬撃を繰り出す。
それは正しく鉄をも切り伏せるだろう剛剣。
僅かでも触れれば切り裂けそうな速度で、完璧な間合いから放たれたその一振り。
勝負を決めるには文句のつけどころない一撃だった。
しかし――――
(なんだと!?)
これも相手は躱して見せた。
必殺の剛剣として唸る刃に恐れることなく手を伸ばすと、ルフェンドの剣を握る手に、相手は手の甲を添えると、横向きの力を加えて軌道を逸らして見せたのだ。
剛の技を柔の技で敵は完全に捌いた。
これには驚かされるしかない。ルフェンドはこの短いやり取りで、相手はかなりの技量の持ち主であることを理解した。
力の限り断ち切るようにして剣を振り下ろした。
その一撃にかけた代償は大きく、軌道をずらされたことで体勢が僅かに崩れ、重心がずれたこの状態では、次の動作に移行するに一瞬の時間を要した。
それを刹那の内に理解したルフェンドは、迷うことなく剣を手放す。今、相手するのは、僅かでも隙を見せてはならない存在だと判断したからだ。
直感で転がるように右横に移動すると、案の定マントの人物は、ついさっきまでルフェンドがいた位置に、右足を跳ね上げているところだった。
「ぬおぉおおおお!」
横目でそれを確認したルフェンドは、転がってからすぐに膝で立ち、その状態から姿勢を低く維持したまま、飛び掛かかるようにして距離を詰める。
体格差は圧倒的に自分に分があると判断しての突進だった。
更に相手は片足が浮いている分、重心も安定しないだろうという算段だったが、びりびり肌が震え、悪寒のような警告を自分の中の何かが告げた。
初回でマントの人物が姿を隠して繰り出した、見えない攻撃を受け止めた時のように、自分の思考を超えて、体が勝手に両腕を頭上で交差させて防御を取らせる。
肉弾戦なので体格差を考えれば、攻撃を受けるのを覚悟して突っ込むのも手である場面だっただろう。しかし、今回もこれがまた正解だった。
相手は跳ね上げた右足をそのままに、ふわりとマントを翻しながら残った左足で跳ぶ。
そして、宙に浮いた状態で体の向きを変え、振り上げたままだった右足をしならせるようにして、ルフェンドに振り下ろしてきたのだ。
受け止めた瞬間、腕の骨が、筋肉が悲鳴を上げ、他の体の部位が衝撃に震えた。
(あの体格で、しかもあんな体勢だったというのに、どうしてここまでの威力が……!?)
相手はマントに体を覆われ、正確な体型は分からないが、大柄でもなく小柄でもない中肉中背に見える。
宙に浮いた状態で体を回転させることもなく、ただ筋力に任せて右足を振り下ろしただけだったはずだ。しかし、受け止めた一撃は大柄なルフェンドにしても、同じ威力は出せないと断言出来るような威力があった。
恐らく、岩壁のように鍛えられたルフェンドだからこそ、何とか受け止められたものだったが、並大抵の人間が受け止めたら、そのまま叩き潰されていたはずである。
「ぐぉ……ぬん!」
だが、耐えた。ありえないそれをルフェンドは耐えたのだ。
ルフェンドは痺れる腕を誤魔化し、震える他の部位を叱咤して、交差させていた腕を捻ると、受け止めた相手の右足を掴んだ。
マントの人物はそれを知るとすかさず左足を跳ね上げ、爪先をルフェンドの顎に打ち込もうとしてきた。
「おぉおお!」
ルフェンドはそれよりも早く、掴んだ相手の足を強引に捩じりながら、後ろを振り向くように自身の半身を捻る。
そうすると相手の体が回転し、その鋭い攻撃は外れた。相手からすれば足の関節に激痛が走り、その上、視界が大きく入れ替わったようになったはずだ。
ルフェンドは振り返った先に、相手を振り回すように投げ飛ばして叩きつけた。
巨木と岩石が激突したかのような、少なくとも森林に相応しくない、重量感溢れる轟音が響き渡る。
衝撃で爆散するように舞い上がった土煙が辺りを覆った。
この状態で追撃するのは危険であると判断し、ルフェンドは神経を張りつめ、奇襲に備えながらさっき放棄した剣を拾い上げる。
剣を拾う際に体中が痛みを訴えていることに気づく。
(左腕は……完全に折れているな。右腕と両肩も怪しく、背中にも痛み。……膝は勝手に震える)
異常がなさそうなのは頭部くらいのようだ。
不用意に突っ込み、その結果受け止めることになった踵落とし。不意打ち気味だったとはいえ、その一撃だけでこの損傷具合だった。
運良く勘が働いて何とか受け止めたが、もしまともに食らっていたらどうなっていたのか、想像するだけで恐ろしかった。
(短時間、そして一撃でここまでぼろぼろにされるとは……。本当に人間か?)
前方の気配に向け、そんな言葉を声に出さず口の中で呟く。
これだけの武力を持つ者であるのに、強者が持つ圧倒的な存在感というものがなく、むしろその気配は驚くほど希薄だった。
そこまで考えて、相手は魔術が使えるようであることをルフェンドは思い出す。これだけの圧倒的な武を持ちながら、魔術も操れるというのだから恐ろしい相手だ。
武術と魔術、その両方が秀でているとは流石に思わないが、これは注意するべきだと改めて気を引き締める。
そんな風に考えている内に、土埃が徐々に晴れてきた。
(こちらは満身創痍だが、お前はどうかな?)
互いに普通は耐えられないような攻撃を与えているはずだ。倒し切れたとは言わないでも、痛手くらいは負わせているはずである。
そう言えば唐突過ぎて相手の顔も拝んでいなかったと、ルフェンドはぼんやりと思った。
相手の姿を確認出来るほどに土埃が落ち着くと、予想外なものを目にしてルフェンドは息を呑む。
それは二点あった。
一つは何事もなかったようにマントの人物が立っていること。まさか無傷なんじゃないだろうなと、ルフェンドは最早呆れるしかない。
二つ目の理由はと言うと、相手がこちらに背を向けて立っていたからだ。
その意図が掴めなかった。これだけの技量を持った相手だ。それが侮りから来る行動だとは思わなかった。
では、どんな意味があるのかを考える。
顔に傷を負ったのでそれを悟らせないためか? と考え、「顔」という部分でルフェンドは引っ掛かりを覚えた。
(いくら短くも激しい戦いだったとはいえ、普通に戦っていて顔が見なかったというのは、ありえるのだろうか?)
戦いの最中のことは一々衝撃的過ぎて、脳の処理が追いつかなったのか、断片的にしか覚えていない。
何とか思い出せる記憶の中で、視線の先に立つ人物は上手い具合にマントを利用して、ルフェンドの視界を遮り、顔を見られないようにしていたように思えた。
現に、かなり接近していたのに、ルフェンドは相手の顔を見ていない。となると、現在こちらに背を向けているのは、顔を見られないようするためなのだろう。
では、どうしてそこまで徹底して、顔を隠すのかを考えたところで、相手に動きがあった。
マントの内で蠢くように右腕が動かされ、覗いた手には指と指の間に挟むようにして、ナイフが数本握られていた。
「今度はそのナイフで戦うのか?」
虚勢を張ってそんなことを言ってみるが、肉弾戦であの戦いぶりなら、武器を持ったあの人物はどれほど脅威なのかと冷や汗が流れる。
そして今になってマントの人物の全体像を初めて見た。腰のあたりに剣らしき膨らみがあることに気づく。
まさか剣を持った方が強いのではと、未知の可能性にルフェンドは表に出さずとも、内心かなり緊張が高める。
マントの人物は見せつけるようにして、ナイフを掲げたまま暫く動かないでいたが、一体何なのかと流石に緊張で焦れ始めたところで、相手は大きな素振りで後ろ向きのまま、つまりはルフェンドの方に大きく弧を描くように一本投げた。
投げられた瞬間は体を強張らせたが、その軌道は大きく、ルフェンドの遥か上空を描くことを知ると緊張を解く。
まさか適当に後ろに投げた結果、見当外れにもルフェンドの後方にぶん投げるとは思わなかったので、安堵共に笑い飛ばそうとして――――ルフェンドは脳に氷の刃をぶち込まれたような錯覚を覚えた。
今、ルフェンドの後方には誰もいないのか?
否。背後に庇った人物がいたはずである。
あまりにも激しい戦いだったので、そんなことすら忘れてしまっていた。
いや、もしかしたら忘れさせられていたのかも知れない。それほどまで痛烈に意識が謎の敵に向いてしまっていた。
この時になって、何故彼女が殺されず、視界を奪われただけだったかの理由をルフェンドは思い知った。
「避けろ! セシーナ!」
「え?」
視界を覆われているため自身に迫るナイフにも気づけず、後方では驚いて固まるセシーナがいた。
人質。それが彼女の立場であり、役割だったのである。
仮に一本目を避けられても、その避けた先に二本目、またその先に三本目が投げられるのだろう。
普通ならあり得ない業だと一笑するところだが、一連の戦闘から相手はやってのけるだろうと、ルフェンドは容易に確信出来た。
「ちぃっ!」
せめてもの牽制になればと剣を力任せにマントの人物に投げつけ、ルフェンドは相手に背を向けてセシーナの下へと駆け出す。
先ほどの状態から回復していない体が悲鳴を上げた。特に震えの収まらない膝が厳しい。
この状態すらも計算されているような気すらする。
「右へ跳べ!」
「ッ! はい!」
僅かな可能性に賭けてそう指示を飛ばす。
何が起こっているのか理解も出来ていないだろうセシーナだが、それでも信頼からか、言う通りに跳んでくれた。
ちらりと背後を一瞬だけ振り返る。
視線の先にあったのは既にマントの人物が、牽制など物ともしなかったどころか、受け止めたと言うのか、ルフェンドの投げた剣を手に持った状態で、二本目のナイフを投げる姿だった。
「次は左に転がれ!」
血を吐きそうなくらい叫んでそう指示する。
セシーナもその切羽詰った気配を感じ取ったのか、表情を強張らせながら懸命に動く。
二本目のナイフが寸前まで彼女がいた場所に突き立った。それを見てまた血の気が引く。
ルフェンドとセシーナの距離を考えて、三本目が彼女に到達する時間を考えるとぎりぎり間に合わない。
「おぉおおおおぉおお!」
ならばこうしようと、ルフェンドは深く考えるまでもなく、身を挺してナイフを受け止めることを選んだ。
それしか彼女を守る道はないと思ったのだ。
恐らく、こうしてこの選択をさせることが、狙いだったのだろうとルフェンドは思った。
これならば簡単にルフェンドを葬ることが出来る。
あとは三本目のナイフをルフェンドの急所に突き立てるだけなのだ。
それ以上は何も考えられなかった。ルフェンドは軌道上へ晒すようにして、身体を大きく広げながら、勢いよく振り返る。
そこにマントの人物はいなかった。
「何?」
せめて最後にささやかな抵抗として、睨みつけるくらいはしようと思っていたので、拍子抜けもいいところである。が、探すという動作を起こす前に足に衝撃を覚えた。
それが不意打ちであったこと、そして何よりも満身創痍だったこともあり、膝が震える足は抵抗らしい抵抗も出来ずに、ルフェンドは横向きに倒れこむ。
何が起こったのかと理解する前に、無理やりうつ伏せにされ、次に体中が束縛感を覚えたかと思えば、ルフェンドは身動きが出来なくなった。
締め付けられるような感覚に怪我だらけの体が、脳に痛みを大量の情報として訴えかけてくる。
それなのに、ルフェンドは痛みに顔を顰めることはなかった。痛みに慣れているというのもあったが、驚きの方が勝っていたからである。
なんとか余裕のあった首元を動かし、横向きに、セシーナ側へと向ける。
それで首も固定されてしまったが、ひとまずそれで構わなかった。
彼女はまだ事態を把握出来ないでいて、きょろきょろと周りを見回している。どうやら無事であるらしい。
「ル、ルフェンド様……どうなったんですか?」
セシーナが可愛そうになるくらい、心細そうに周りへ向けて声をかけている。
どうなったのか、と問われて自分の状態を確認する。
青く光る鎖が幾重にも地面から生えて巻きつき、ルフェンドの全身を隈なく固定しているようだった。
マントの人物の本当の狙いが、この状態であることを悟ると、一つ大きく息を吐き出してルフェンドは彼女の問いに答える。
「捕まったよ。私も、お前も」
正確に言えばセシーナは視界を塞がれただけで、拘束されているわけではないが、現状ではほとんど意味は変わらないだろう。視線の先でセシーナが息を呑む。
そんな彼女を無視するかのように、視界の隅から茶色い布が翻ったかと思えば、この状態まで追い込んだ人物の足がルフェンドの視界の隅から現れた。
それを見て思わず声をかけてしまう。
「それほどの強さを持ちながら、このような勝ち方を選ぶとはな……まるで小悪党のようだ。恐れ入ったよ」
口下手なので、かなり皮肉のような言い方になってしまったが、こうして殺さずに捕まえるとなると、確かに有効な手であった。
捕まった側でありながら、素直にそう思ったルフェンドは、純粋な気持ちでそう言ったのだった。
ルフェンドの言葉に何も答えは返ってこない。というか、まだ声すら聞いていない。
そう言えばマントの人物は戦闘中、気合の雄叫びすらも上げていなかったことを思い出す。
(本当に、何者なのだ……)
これほどの強さを持ち、顔を見せないことから、それなりに有名な人物なのかも知れないと、ルフェンドは考えながら相手の出方を窺うのだった。
2012/09/15 22:39
一部文章と誤字脱字を訂正致しました。