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第二十一話

「来たか」


 馬車を降りてまず出迎えたのは、コウ達の担任教師であるミシェル・フィナーリルだった。

 学園外、しかも生い茂る木々が立ち並ぶフィフス森林が、すぐそこにある大自然の前というべき場所なのに、何故か彼女はスーツ姿に銀縁のメガネ装着、という姿でコウ達を待っていた。

 ――――しかし、その姿に違和感が持てないのは、彼女のそれ以外の格好を誰も想像出来ないからだろうか。


 校外授業は班分けをした生徒達を様々な場所へ送り、行われる。

 その為に教師の手が足りなくなるので、学園を一日休みにして、学年関係なく多くの教師を動員する形を取っていた。

 なので、必ずしも担任教師の下で、授業が受けるわけではないのだが、偶然にもどうやら今回の校外授業は、彼女の受け持ちであるらしい。


 まず最初に馬車から降りたコウは、担任教師の所へ歩きながら、馬車に揺られている間に硬くなった首を動かす。

 周りを見ると目に付くのは当然ながら、広がるフィフス森林であり、その森林を越えた遥か遠方にダンムル山脈の天を穿たんと挑戦しているかのような山々が見えた。


 他に人影はなく、待ち受けていたのは担任教師である彼女一人だけのようだ。

 コウ、ロン、リーネ、アヤの順に馬車を降りると、その度にミシェルは手元の用紙に何か書き込んでいる。恐らくは、出席確認みたいなものだろう。

 これなら点呼の必要はなさそうだと思いつつ、コウは彼女に声をかけた。


「先生だけですか? 一人で生徒の面倒を見るなんて大変ですね」


 コウは言いながらも、そんなことはないと自分で理解していた。

 これから行うのは生徒にとって初回の校外授業、つまり初めての本格的な実戦形式の授業である。そのため、実施する場所は魔物などの存在による危険度が、限りなく低い場所が設定されている。

 その上で選ばれたのが、今回コウ達が訪れたフィフス森林というわけだ。


 ここには以前リーネを苦しめたドリークといった魔物が、少なからず生息している。

 ドリークは本来なら単体で活動する魔物である。その程度であれば、初陣の学園の生徒達でも、容易に対処できるレベルだ。――――しかし、それはあくまで培ってきた力を発揮出来ればの話である。

 初陣ということで緊張している上に、初めて魔物と対峙する生徒は少なくない。

 萎縮してしまえば、勝てるはずのドリークにやられてしまう可能性は確かに存在していた。


 故に、学園側としては、最悪の事態が起こらないように考慮しているだろう。

 流石にその備えがミシェル一人であるわけがなく、ここにいなくても、既に森林の内外の方に誰かいたりするはずだ。


 劣等生を演じるため、あえて浅慮な発言をコウは発したのだった。


「貴様な……そんなわけがないだろう」


 案の定、美麗な容姿を冷笑に歪め、呆れを隠さずにミシェルがコウを見てくる。


「他の先生方や警備部の方々が既に待機済みで、貴様らでは対処出来ない危険度の対象がいないか警戒されている」


 見れば馬車を操り、ここまでコウ達を連れてきた警備部の隊員が、ミシェルに会釈して何処かへ去っていく所だった。彼もまた何処かでひっそりと警戒の任に就くのだろう。

 そういえば彼がついには一言も喋らなかったことを思い出しながら、コウは大げさに頷いた。


「なるほど、身の安全が確保された状況で、戦いの練習をするわけですね」


「……言わんとすることは分かる。貴様にしては、まともな考え方だな」


 彼女にしては珍しい笑み(といっても苦笑だが)を浮かべて、ミシェルはコウの考えを肯定して見せた。


「どういうことですか?」


 この発言は二人のやり取りを見て、首をかしげたロンのものだ。

 それに答えたのはアヤだった。


「脅威と向き合う度胸を身につけるための授業なのに、安全だと分かった上でそれを学ぼうとしても、効果があるのか疑問だ、ということだ」


「正解だ」


 ミシェルが教師らしい言葉でアヤが言ったことを肯定した。


 戦う上で度胸というのは大変重要なものだ。いくら優秀な成績を収めていても、実戦で臆して何も出来ないなら話にならない。

 そうならないためには、物事に動じない心を培う必要がある。そして、それを培うのは、やはり実戦を繰り返すしかなかった。


「私もこうして強い者が弱い者を囲い、そしてその弱い者に弱い存在を狩らせる、というやり方に疑問は尽きないが、それが方針であるのだから仕方がない。まぁ、最低限のところで考えはあるようだがな」


 それに意味が全くないわけでもないしな、とミシェルは面白くなさそうに言葉を付け足す。

 教師にしては中々の物言いに、コウを除く三人は苦笑いを返すしかない。


「しかしあれだな、貴様ら大分落ち着いているな。まぁ、その二人がいるなら余裕なのかもしれないが……」


 普通はコウのように校外授業の矛盾点を考えられないほど、初の実戦に緊張する生徒がほとんどなのだろう。ミシェルは言っていることとは裏腹に、意外そうでもない顔でそんなことを言う。

 彼女が指す「二人」とは当然コウとロンの二人――――ではなく、リーネとアヤを指していた。


 リーネは蔓延る噂さえ無視してしまえば、学園の歴史上でも珍しい、治癒魔術と支援魔術の二つを扱えるという天賦の才を有している。

 そしてアヤは珍しい刀という剣を振るい、他の生徒とは群を抜いた才能溢れる生徒である。

 つまり、二人は各分野で言えば、学年トップクラスの実力を持っているのだ。当然、この二人についていく生徒は、楽を見れると考えられるわけである。


「ま、優等生の二人に引っ付く、駄目な学生の俺達としては、何の気負いもありませんよ」


 元々はコウが全く動じておらず、他の三人が緊張していないのは、実のところコウの功績なのだが、それはわざわざ言うことでもなかった。


「え、それ、俺も含まれてるの?」


 ロンが抗議の声を上げるが、客観的に単純な戦力として見ると、あまり期待出来ないは同じである。


「全く、貴様らときたら……。班登録すると言い出したとき、こちらは大いに驚いたものだったぞ」


 言葉から察するに、教師側も予想外な展開に驚いていたらしい。

 生徒の中では実力申し分なしで注目の二人と、逆の理由で注目の集まるコウが班登録をしたからだろう。


「まぁいい。ヴァルティウス、班長としてしっかりと引率するように」


「えっと、……はい、分かりました」


 真実を知るリーネは何ともいえない微妙な表情を浮かべている。

 そんな彼女にミシェルは首をかしげながら、ふと今気づいたというように言った。


「……無駄話が過ぎたな。前の班はとっくに終わっているから、貴様らも早く森に入って課題を済ませて来い」


 そう言うとミシェルは茶皮の小袋をコウに投げ渡してきた。そして、コウが受け取ったの確認すると、黙って森の入り口を指差して急かしてくる。


 確かに注意事項や課題の内容が書かれた紙を、コウ達は学園を出る前に受け取っている。しかし、こういう場合、普通は生徒と確認の作業を行ってから、見送るものではないのだろうか。

 仮にも生徒が向かう先は、魔物が生息する場所なのだから。


 呆れたように目を向けるコウ達の無言の訴えかけも、ミシェルは涼しい顔で流し、さっさと行けと言わんばかりに目を伏せるだけだ。

 コウは肩を竦ませて三人に促すと、各々自分の武器など装備を確認する。


 こうしてコウ達一行は、人間一人の存在なら容易く飲み込めそうな、深い森林へと足を向けるのだった。

 コウ達をダンムル山脈に連なる巨大な山々が、見定めるかのように厳しく聳え立って見えるのは、果たして気のせいだろうか。






 フィフス森林内は当然ながら木が乱立ちし、濃緑から浅緑まで、同じ系統の色ながら、多様な緑を見せている。

 木々は互いを牽制しあうように枝を押し広げているが、群集するようにまとまった木たちがいると思えば、疎らに聳え立っている木たちもいた。


 土は柔らかく、足をつければ浅く沈み、時折小枝が折れる音を鳴らし、来た道から足跡を伸ばしていく。

 そう言えば事前に渡された実習のしおりに、制服以外は汚れを気にしないものを着用推奨と書かれていた。森林に足を踏み入れて少し経ってから、コウがまず思い出したのがそれだった。


「つまり、ここからここに魔力が流れて……あれ? でもそうなると……」


 コウの後ろを歩くロンがぶつぶつと呟いている。

 彼は現在、線や円が折り重なり交差するような、複雑な紋様が描かれた直方形状の紙を観察している。

 それは『召喚符』と呼ばれるもので、大変高価で簡単には手に入らないものである。

 故に、彼はこの機会を逃すまいと、手にあるものを注視しているのだ。


 観察を続ける彼の背には大きなリュックがある。何処から手に入れたのか、軍属の者が使用するような四角い形の本格的なものだ。大きさは彼の背にぎりぎり収まる程度である。

 背中いっぱいのリュックを背負いながら、前も見ずに、ふらふらと歩く姿は何とも危なっかしい。


 ロンは森林に入る直前、一度コウ達を引き止めたかと思えば、馬車の何処に仕舞っていたのか知らないが、今、背負っているものを取り出してきたのだ。

 一体中身は何なのかと訊ねるリーネ達に対し、ロンは秘密だと言い通し、遂には彼女達に聞き出すことを諦めさせてた。

 コウは例のアレ(、、、、)だろうと、すぐ思い当たるものがあったので特に何も聞いてはない。


「やはりロンはそういったものに、っと足元に気をつけて……興味があるのか?」


 アヤが興味深げにそう訊ねている様子を、前を歩くコウは肩越しに振り返り見る。

 ほとんど前方や足元に注意も向けず、手に持つものをひたすら観察し続けるロンのことを心配し、現在彼女は彼の直ぐ前を歩いている。

 最初こそ、危ないからやめるように言っていた彼女だが、この機会を逃すわけにはいかないと、固持する彼に根負けし、時折、地面から剥き出しの木の根などを見つけては、注意して歩行の補助を勤めているのだ。


(本当、仲良くなったな)


 二人の間で何があったのか詳しくは知らないが、恐らくは先日の早朝に行ったアヤとの模擬戦の前後で何かあったのだろうとコウは思っている。

 ロンはともかく、今の状態を彼女に指摘すれば、顔を真っ赤にして否定されそうだが、あのことがあって以来、彼女の彼に対する態度は格段に柔らかくなっていた。

 貴様、と呼んでいたのに、名前で呼ぶようにもなっているし、彼がふざけても厳しい態度を取らなくなった。

 現在のように心配して声をかけていること自体も、出会った当初を鑑みれば驚くべきことである。


「ま、いいことだな」


「何がですか?」


 コウ呟きにリーネが気づく。


「ん、随分仲良くなったな、と」


 軽く顎で二人を指し示す。

 リーネもすぐに理解してなるほどと頷く。それから彼女は、感慨深げに二人を軟らかく見つめ始めた。


「私、アヤがどうすればコウ達と仲良くなれるか必死に考えていたんですよ」


 愛しい子どもを見守るような、優しい笑みを浮かべて彼女は言う。


「でも、気づいたらあんな姿を見せてくれるようになりました」


 自分のことであるかのように、リーネは嬉しそうに言葉をこぼす。

 そんな彼女を見てコウは収穫もあるにはあったが、比率で言えば面倒が勝っていた先日のことも、無駄ではなかったかと密かに思うのだった。


「……コウが何かしてくれたのですか?」


 暫く逡巡した後に、リーネが聞いてきた。

 コウはその問いかけに少し考え、それからゆっくりと首を振った。


「あれはロンの成果だよ」


「……そうですか、ロンさんが」


 隊列の関係で二人の前を歩くコウとリーネは揃って後ろを見る。

 アヤが間を置きながら一方的に言葉を投げかけ、ロンが観察を続けながら短い言葉で返している。

 普段ならロンがハイテンションで絡み、アヤが羞恥や困惑などで慌てる、という姿を見せているだけに、前方を歩くコウ達の目には、今の二人の姿が何処か面白く映る。


「いいことだ」


「……ですね」


 コウとリーネは顔を合わせて、後ろの二人にばれないように、こっそりと笑いあう。

 そうしてから気持ちを少しばかり引き締め、コウはリーネにだけ聞こえる声量で話す。


「それじゃ、二人の邪魔をしないように、引き続き授業は二人で進めるか」


 この言葉にリーネはにこやかに頷いた。

 現在後ろの二人はいつの間にか、コウ達の後についてきているだけの形だ。しっかりと進まなければ、授業をコウ達に任せきりになっていることに気づいてしまう。

 二人だけの世界、というにはまだ早いかも知れないが、その微妙な距離をわざわざ壊すこともないだろう。


「ん、じゃあ再確認な」


「はい」


「校外授業の目標は魔符を見つけ出すこと」


 魔符というのは魔術を用いて作成する道具『魔導具』の一種で、用途ごとに術式を施して運用する札の総称だ。

 例えば、ロンが観察している召喚符も魔符の一種である。

 魔符は様々な用途ごとに作られる札であるため、使用には制限があったり、高価な物であるものの、大変便利なものである。


 今回授業の目標であり、捜索するものも魔符の一種である標符(しるべふ)だった。

 籠められた量だけ魔力を発するもので、文字通り、道標や魔術に指向性を持たせる座標などに使うものだ。

 術式によってくっつくので、貼り付ける対象選ばないのと、籠められた魔力がなくなるか、専門的な方法で外さない限り剥がれないことが特徴だ。


 多目的に使えて便利な上に、標符は原理や効果も簡易なものなので、魔符の中では比較的安価な部類である。しかし、それでも手軽に買えるものではないので、これを授業のために使ってしまうところが、やはり名高いクライニアス学園であるといったところか。


「慣れない場所で、障害は危険度の低い魔物。その中で発せられる魔力を見つけ出し、魔符を探すのが課題、と」


「そうですね」


 相槌を打つリーネの顔には苦笑が浮かんでいる。

 こういった確認作業こそ、本来なら担当教員であるミシェルと行うべきことなのだ。

 事前に聞かされ知っていたとしても、こういったことは大事だ。だからこそ、コウ達もわざわざやっている。

 それをこうして生徒間で行っていることが、彼女の顔に浮かんだものを誘ったらしい。

 コウもそれを察して同じものを顔に浮かべた。


「俺、あの先生に対する印象が少し変ったよ。……それで、ここからが真面目な話だ」


 冗談交じりに言った後、空気を変えるためにコウは表情を引き締める。それを見て、リーネもまた緊張を孕ませながら、真剣な様子を見せた。


「流石というべきか、ここは初陣の生徒に対する難易度としては絶妙だ。けど、俺達に取っては少々困った話でもある」


 あくまで想定される事態にのみ、万端ともいえる状況である。

 コウ達のように、本来なら想定外である襲撃者がいる場合は、このフィフス森林という環境は面倒な場所だった。


 コウはぐるりと周囲を見回す。


「まず、森林という環境。木はまばらだが、それでも視界が開けているとは言い難い」


 木々は見下ろすようにコウ達を囲み、藪や草が生い茂る場所は人が姿を隠すには十分に思える。木の幹の太さは様々ではあるが、ほとんどは人が身を隠すには十分な幅があった。

 当然、遠くを見通すことは出来ないので、警戒に当たる教員や警備部隊の者達も、授業中こちらを常に見ているわけでもないのだろうとコウは推測する。


「だからこその召喚符なんだろうけどな」


 コウはロンの持つ召喚符に意識を向ける。

 召喚符は札を座標として、契約した者をその場に呼び出すことが出来る代物だ。恐らく、使えば警備部の者が召喚される手筈になっているはずだ。


 こちらは標符と比べられないほど高価なものだが、生徒の身の安全が優先のようで、森に入る前にミシェルから受け取った茶革の小袋に当たり前のように入っていた。

 他にもいろいろと入っているが、それらは全て生徒の身を守るための物など、授業に関係するものばかりだ。


「…………」


 しかし、それらは使えないであろうことをコウは予想していた。

 申し訳なさそうに顔を歪めるリーネを見ればそれは分かる。


「でも、襲撃者相手に召喚符を使えば、問題が露呈するから使えないんだろ?」


「……すみません」


 リーネとアヤは今まで命を狙われ、何かと被害があったことを、事故や不運による被害として、学園には内密にしている。つまり、学園側としては、リーネ達の事情を知らないことになっているのだ。


 その状況で召喚符を使用し、学園者と襲撃者を対峙させれば、学園としては大問題として、彼女の事情に介入してくるだろう。なので、言葉通り強力な切り札である召喚符は、使用することが出来なかった。


 本来なら好ましいことではないが、リーネが件の事情を隠すというのであれば、一先ずコウはそれを尊重するつもりでいる。しかし、最低限言えることをコウは口にする。


「けど、本当に死にかけたら、躊躇なく使えよ?」


「それは……」


 リーネが迷いを見せる。

 そこまでして隠そうとする理由すらコウは知らない。そして、だからこそ、自分が思うことのみを伝える。


「前にも言ったが、本当にやばい時は、利用出来るものは何だって利用しろよ? 確かお前もそれを了承したよな?」


「そう、でしたね」


 リーネが再び苦笑いを浮かべた。

 強引に納得させられた、あの時のことを思い出したのだろう。


「分かりました。その時は使います」


 すぐさま頷いた彼女を見て、コウは思った。


(ああ、こいつは使わないな)


 その胸に剣を突きたてられようとしても、彼女は助けを呼ばない。

 コウはそんな気がしてならなかった。


「ったく」


 ぐしゃぐしゃと、コウは少々乱暴にリーネの頭を撫でた。


「あっ……」


 困惑しながらも、彼女はその行為に何処か嬉しそうにしている。

 何故、こんな些細なことで喜ぶような少女なのに、死を目の前にして、助けを呼ぼうとしないのか。

 彼女にそこまでさせる何かとは一体何なのか。


 彼女が自分から話すまで、待つつもりでいたが、コウは考えずにはいられなかった。

 そして、考えてしまった。今回のことを上手く利用すれば、そうすれば――――


「おお、そうか! んあ? でも、そうなるとここは……」


 いつの間にか立ち止まっていたらしい。すぐ後ろから聞こえたロンの声で、コウはそのことに気づいた。

 考えていたことを一度引き離すように、コウは頭を切り替える。


「ちょうどいい、聞いてくれ」


 コウは三人に呼びかけた。


「むぐぐ、ここがこうで……いや、ここがこうか?」


「ロン」


「あれ、いや…………あ、どした?」


 興味のある対象への観察を始めると、夢中になって自分の世界へ旅立つロンだったが、コウの経験上こうして名前を呼べば戻ってくる。しかし、その後にすぐさま用件を伝えないと、また意識が向こうに行くので、間を置かずに言葉を続けなければならない。


「どうかしたんですか?」


 ロンの呼び戻し方を知って、しきりに感心しているアヤだったが、コウの纏う空気を感じ取ってか、話を聞く姿勢を作っている。見ればリーネも同じく耳を傾けていた。

 コウは周囲を確認し、こちらを窺う気配がないことを確認して口を開いた。


「事前に聞いた話などから考えて、ここから先はいつ襲撃が行われるか分からない。だから、俺の言うことをよく覚えておいてくれ」


 コウは黙って話を聞く三人に緊張が走るのを感じた。

 馬車で移動している最中は、緊張し過ぎを心配したが、反動なのか今度は少し緩みすぎていた気がしていた。しかし、今の三人からは適度な緊張を感じるので、これならば危惧するべき点はないだろうとコウは安堵した。

 何事もめりはりが大事なのである。


「待ち伏せがあることを前提として、森林という領域を考えると、相手がいつ何処から襲いかかってくるか分からない」


 それは三人も理解していたようで、深々と頷いた。

 さっきまでは森に足を踏み入れたばかりだったので、近くに教員や警備部隊がいる可能性が高いこともあり、気を張る必要はなかった。


 だが、ここから先は何処から敵が来るかも分からない状況になる。

 それは精神的な疲労を蓄積させるのには十分な要素だろう。精神的に疲れてくれば、肉体的な疲労の蓄積も早まる。

 三人はそう考えているだろうとコウは予想する。


 まず、コウはそれを取り除く。


「それで、伝えておくが、お前らは別に警戒とか、気配を探るとか、しないでいいからな」


「え?」


「はい?」


「あー」


 反応した声はリーネ、アヤ、ロンの順である。

 女子組み二人は、てっきり気を引き締めるように、言われると思っていたようで、逆のことを言われて驚きと困惑を隠せないようだ。

 対してロンは呆れたような、気の抜けたような様子である。

 疑問の声を上げようとする彼女達へ先に答えを提示するようにロンが口を開いた。


「コウは異常なくらい気配を探れるもんな」


「異常とはなんだ、異常とは」


「いや、お前の気配察知能力の程度を知ったら、十人中九人は異常って言うと思う」


「……ん、なんだ、一人は普通だと受け入れてくれるわけか」


「あ、残りの一人は、あり得ないと信じたくない人枠です」


「…………」


 酷い言われようだと思いつつも、実はコウも反論出来ないところがあるので、それ以上何も言わない。

 それよりも納得してなさそうなリーネ達に説明することが優先である。

 コウは二人に顔を向ける。


「信用出来ないか?」


「コウの実力は信頼していますが……」


「私も今更、その点を疑問視するつもりはありませんが……」


 二人は一度顔を合わせると、代表でリーネが言葉を続けた。


「いくらコウでも、こんなに隠れる場所が多いのに、一人でなんか無理なんじゃ」


「ん、そうだな……」


 どうすれば納得させられるか考え、コウは首を巡らせ、右手側にあった藪を指差した。


「そこにいる」


「な!?」


 アヤが慌てて柄に手をかけるのをコウは手で制止して、落ちていた太い枝を拾うと投げ込んだ。

 葉を揺らし、音を立てて藪に枝が沈む。すると、下草を擦り抜けるようにして動く、紐のような生物が顔を出し、コウ達を確認すると、視界から逃れるように去っていった。


「……蛇、ですか」


「そうだな、あとそこにも」


 蛇を見てほっと息を吐くリーネと、その横で柄を掴んだまま硬直しているアヤを尻目に、コウは太陽を探すように木の枝を指差す。

 指先を辿ると、翼には空色の羽毛に、胴は薄緑色、頭は浅黄色で嘴は真っ赤という、奇妙な色合いの鳥がいた。


「わぁ、素敵な色の鳥ですねぇ! 全然気づきませんでした!」


「そうか? 色がごちゃごちゃしていて、なんかきもくないか?」


「そんなことないですよ~」


 コウとリーネのそんなやり取りをよそに、ロンが目を爛々と輝かせて、枝に止まる鳥を見つめる。


「あれ、身体が全て素材に使えて、万能鳥って呼ばれる青赤黄緑鳥せいせきおうりょくちょうじゃん! コウ、俺アレ欲しい! 狩って!」


「みんな……生きてるんだ!!」


「そういう命を尊ぶ真面目なキャラじゃないでしょ!? くそ、アヤちゃん、アヤちゃんの身体能力なら何とか出来るよね!?」


 ロンが慌しくアヤに向き直るが、そこには蛇を見てから微動だにしない少女の姿があった。


「アヤちゃん?」


「……ロン」


 問いかけに反応した彼女は、まるで動かし方を今知ったばかりであるかのように、ぎこちない様子で首を動かして言った。


「私、爬虫類、駄目なんだ……」


 弱々しくそう言うと、彼女は身体から力が抜けたのか、膝から崩れ落ちた。


「おわ、アヤちゃん!?」


 慌ててロンが抱きとめようと動くのを見ながら、コウはフィフス森林に生息する主な魔物が、トカゲから変貌した魔物であるドリークだということを、彼女は知っているのだろうかと首を捻る。


「とりあえず、周辺への警戒は任せて貰えるか?」


 陳腐な劇のようなことを繰り広げる二人を見ながら、コウは改めてリーネに聞いた。

 流石に反論の余地がないと思ったのか、リーネは疑ったことへの謝罪を一言で述べると、畏まった様子でコウに言った。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 四人の頭上では、青赤黄緑鳥が独特の笛の音のような、高音の鳴き声を響かせて、飛び去って行くところだった。






 フィフス森林の奥。

 そこは覆い隠すとまでいかなくとも、影が幾重にも存在する、薄明るい地帯だった。


 とある一枚の紙が、森の奥からやって来た微風に揺れる。

 それは資料だった。内容は次の通りである。




 クライニアス学園高等部二年生対象授業、学園外に於ける生徒の実力強化学習、通称『校外授業』について。

 学習目的。生徒が実戦に限りなく近い環境にて、力を発揮し、確認することで、精神的成長と技術的向上を促すもの。

 生徒には対象領域内に隠された『魔符』を探索する課題が与えられる。

 教員一同及び警備部隊は生徒の安全を第一に考え、周囲の警戒に専念するものとする。


 また、生徒に配布する『召喚符』により契約を行った者は、緊急時に備え、所定の位置にて待機しておくこと。

 緊急時の際の指示は別紙にて詳細記述。




 男は紙の束の内、一枚目を読みえるとすぐに捲った。

 そこには緊急時の指示書があり、また捲れば、フィフス森林の簡易地図に魔符を隠す場所が×印で記されていた。

 次々と男が捲って確認していくその情報には、警戒に当たる者達の配置図すら存在する。

 完全に、本日行われている校外授業の情報の全てが、男の手にある紙束に集約されていた。


 それは学園の関係者達の中でも、一部だけが所持しているはずの秘匿情報だった。

 秘匿である理由は簡単だ。校外授業の注意事項から、教師や警備部隊の持ち場、生徒が向かう魔符の場所が外部の者に知られていれば、どんな犯罪に繋がるか分からないからだ。

 当然のことながら、外部の者の手に、渡ってしまってはいけないものである。

 そんなものが男の手にはあった。


「あのクライニアス学園でも、これなら丸裸も同然、か」


 男が唸るように呟く。


 その体躯は例えるなら壁だった。しかも、ごつごつとした岩壁と言うべきものである。

 どっしりとした大きな佇まいに、威圧感を混ぜる姿は頑強そのもの。

 身に纏っているものはボロ布を重ね合わせたような貧相な服だったが、醸し出す雰囲気に粗野な感じは見られず、ただの盗賊の類とは思えない。

 ボロ布の上に装備するのは、全て同色の見るからに安価な皮製防具だった。

 明らかに学園関係者とは思えない身なりの者である。


 足の裏から根を張るようにして、微動だにもせずに立ち、目を鋭く細めて森の奥を見据える姿には、何処か風格すら感じられた。

 肉体的な意味だけでなく、精神的な強固さをも兼ね備えていることは、一目見れば誰もが理解することだろう。


「隊長!」


 そんな大男に駆け寄る姿があった。それは妙齢の女だった。

 大男と同じく、ボロ布の服に貧弱な装備というものだったが、大男に比べれば、何処か小奇麗な印象を受ける。


 女のシルエットは凹凸がはっきりしていて、服の上からでも十分な色香を感じさせた。

 背に届く程度の長さの金色の髪は、ふわりと流れ、前髪はピンで留められきっちりと分けられている。

 垂れ目であるため、特に表情を作っていなくても、何処か優しそうな雰囲気を見る者に与えてしまうところが、男とは違う意味で、やはり盗賊とは思えない。


 隊長と呼ばれた大男が打ち抜くようにぎろりと垂れ目の女を睨む。

 女は「ひぃっ!」と短く悲鳴を上げた後、慌てて言葉を紡いで誤魔化した。


「し、失礼しました。今は隊ちょ……、お、お頭でしたね!」


 言葉はほとんど誤魔化せていなかったが、大男は数秒間じっくりと女の顔を凝視した後、仕方ないとばかりに大きく溜め息をついた。


「……それで、どうかしたか?」


「あ、はい、報告です!」


 女は標的が到着し、作戦領域へと足を踏み入れたことを大男に伝えた。

 大男は女からの報告を聞き終えると、何かに耐えるかのように一度目を閉じた。そして、手を動かし、襟元へと移動させる。大男は襟元を押さえて祈るような姿を見せた。

 その時間は一瞬。

 男は力強く目を開き、厳かに宣言するように言った。


「奴を呼んで来い。……作戦を開始する」


 その目に宿っているのは、何とも名のつけがたい、底の見えない深い色であった。


 「コウ、俺あれ欲しい、狩って!」→「パパ、僕アレ欲しい、買って!」

 いや、特に意味はないです。


 2012/02/10 18:27

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。


 2012/09/12 23:52

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。

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