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第二十話


 時折揺れるのは、石の上に乗り上げてしまった時だろう。

 前後左右にある、備え付けの小窓の向こうでは、天は青、地は緑という風景が流れている。

 そこそこな速さで走る馬車の中、そこにコウ、リーネ、ロン、アヤの四人が黙って座席に腰をかけていた。

 普段この面子が集まれば、必ず賑やかな談笑が始まるものなのに、コウ達が静かなのには理由があった。


 御者は護衛も兼ねて、学園の警備部隊より派遣された者が務めている。なので、静かにしている……わけではない。

 馬車内と御者台の間は、直接出入り出来ない作りになっていて、完全に遮断されている為に、御者台と馬車内の間には小窓がある。

 そこを開かなければ中で馬鹿騒ぎをしない限り、音が伝わることはない。御者を気にして静かにしているわけでもなかった。


 四人が黙っているのは、少女二人に原因があった。

 二人は張り詰めた糸のように緊張感を高めていて、そのせいで馬車内で否応なしに、ぴりぴりとした空気が流れているのだ。

 普段ならそんな空気を嫌うロンがおどけてみせ、場の雰囲気を明るくしようと奮闘しそうなところである。しかし、珍しいことに彼もまた気重な様子で項垂れている。


 ちらりとコウは横目で原因である二人の様子を確認した。

 リーネは両腕を回して身体を抱きしめ、きつく目を瞑って何かを耐えるように身を固めている。

 アヤの方は先日の模擬戦で振るっていた刀を立て、柄を額に当てて深い瞑想に入っているようだ。


(……ガチガチだな)


 コウは二人の様子を見て溜め息を一つ漏らし、二人の心情を推察しようと先日のことを思い返すのだった。






 普段であればHR(ホームルーム)が終わった後、コウ達は四人で集まり、だらだらと放課後を過ごす。しかし、その日はいつもと少し違った。


 緊迫の雰囲気を強いるミシェルが教室を退室した後、どっと気を緩めた生徒達が、徐々に騒がしくなり始めた頃だった。

 隣に座るリーネがコウでもギリギリ聞き取れるかどうか、と言う声量で「後でロンさんと一緒に喫茶店に来てください」と言い残したかと思えば、アヤを連れて先に教室から出て行ったのだ。

 どうせ喫茶店に行くのであれば、一緒にいけばいいのに何故そうしないのか。その不可解行動に、ロンと顔を見合わせて首を捻ったのは言うまでも無い。


 模擬戦を行ったおかげか、コウはアヤと普通に友人と呼べるレベルで接することが、出来るようになっていた今日この頃。

 ようやく落ち着けたと思っていれば、喫茶店への不思議な呼び出しである。

 これは何かあるとコウに思わせるには十分であった。


 バイトの生徒がいない時間の為に、コウ達が喫茶店のマスターから非礼だと思わせない、謎の無愛想に出迎えられると、当然先に着いていたリーネ達が待っていた。

 二人は表情に様々を綯い交ぜにしたものを貼り付けているようであった。


 緊張、戸惑い、怯え、神妙さ、悲しみ、憤り、そして期待。

 それを見たコウの中で、予感が確信へと変った辺りで、リーネが緩慢な動きで二枚の紙と一本のペンを取り出し、コウとロンの前に置いた。

 コウとロンは互いに横目で目を合わせてから、それを黙って覗き込む。


 片方は見たことがあるものだった。それもごく最近に。

 隣に座ったロンは内容を確認すると、気の抜けた声でその一行目を読み上げた。


「校外授業実施のお知らせ?」


 その内容は次の週に、学園の外へ出て行われる授業の知らせであった。

 対象は高等部二年生で、前期の間に武術や魔術の授業を十五単位以上学ぶ生徒達だ。見覚えがあったのは、つい先日、コウも同じものを受け取っていたからである。

 この場にいる対象者はコウとリーネ、アヤの三人である。ロンは魔導具関係の授業ばかり履修しているので対象外だ。


「そう、です」


 リーネが長年隠し通してきた秘密を、知られてしまったかのような、悲痛な表情で頷いた。その隣ではアヤも同様のものを顔に浮かべている。

 それを見たコウは今回の用が一体何であるのか、彼女達の様子がおかしい理由がなんのかに、おおよその見当をつけた。しかし、ロンは理解し切れなかったようで、戸惑いの表情を浮かべている。


「え? え? なに、これがどうかしたの?」


 彼女達とコウ達の間には、あまりにも温度差が激しかった。

 街で歩いて肩に軽い衝撃を覚えたかと思えば、人相の悪いお兄さんにいちゃもんをつけられた、くらいに匹敵する置いてけぼり感だとコウは思い口元を歪めた。

 彼女達は例のプリントを出してから中々次の行動を起こそうとしない。仕方なくコウはその後を引き継ぐことにした。


「……つまりは、これ(、、)の班登録の誘いってことでいいんだよな?」


 コウは二枚目の『班登録・班員記入用紙』とある簡素な文と、名前を書き入れる空欄がある紙を手に取った。

 肩を震わせるのがリーネの肯定の代わりだった。


 学園が授業として用意する行事が様々ある。

 それは内容によって一人でやらせる時もあれば、数名で一つの班を作って挑ませることがある。

 班は教師が適当に作るものだが、ここで生徒が自主的に班登録を済ませておくと、その班で行事に参加出来るようになるのだ。

 つまり、好きな相手と行事に参加する為の簡単な手続きが班登録なのである。


 彼女達が今回喫茶店に呼び出した理由が、班登録のことであると知って、ロンは拍子抜けした様子で笑みを作った。


「なんだ、そういうことか~。別に恥ずかしがることないのに。リーネちゃんとアヤちゃんは可愛いなぁ」


 班登録をすれば自然と一緒にいる時間が増えるので、男女で班を作るとなると、恋愛要素が動機であると周りの生徒から見做されることがある。

 ロンの発言はそういった事情から来たものだ。が、そう単純な話であるなら、彼女達の切羽詰った態度の説明がつかないというものだ。

 この男は妙な所で気が回るのに、どうしてそこを察せられないのかとコウは溜め息をついた。


「ロン」


 今から話す内容を考え、念のためにコウは認識阻害を展開する。

 動作なしで展開は可能だったが、三人に周りのことを気にしないでいいと伝えるために、コウは一度宙を切るように手を横に振るう。

 コウの意図は伝わったようで、三人が少し身構えたのが確認出来た。


「え、なに、どうしたの? あ、もしかしてコウも少し照れてたり?」


 コウは無視して言葉を続ける。


「リーネ達と班登録を済ませるということは、自分の命を危険に晒す覚悟があるって言うことだよ」


「あ、なんだ、そういうこと~…………は?」


 言葉の意味を理解出来なかったのだろう。

 ロンは軽い調子で浮かべていた笑みを硬直させ、驚きをあらわにしている。そんな彼にコウは確認作業のように淡々と話し続ける。


「今更、確認するまでもないが、リーネは命を狙われている。けど、学園にいる間、相手は手出しが出来ない」


 だから、何も起きない。では、学園の外に出れば?

 絶好の機会になる時が来たなら、相手はどうする?


「……今までの経験から言って、学園の外に出るたびに、何かしらのことは起こっています」


 リーネが悔しげに、そして悲しげにそう口にした。

 彼女に纏わりつく数多の噂。

 その中の一つに彼女は不幸を呼ぶ女だ、というものがある。

 彼女と一緒にいれば何かと不幸が訪れるというものだが、その話の元となったのは、今までにあった学園外で活動する授業でのこと。

 教師が割り振って、彼女と同じ班になった生徒達が、彼女を狙う襲撃に巻き込まれてしまったのだ。

 それが噂を生み出す「不幸」とされることだった。


 少しでも巻き込むまいとする彼女の奮闘と、大事になる前に駆けつけたアヤが何とか対処してきたことで、今までは最悪の事態になってはいない。しかし、それでも悪評が生まれることは、阻止出来なかったのだ。


 リーネに対する一通りの噂は、ロンから聞かされていたので、コウは彼女の発言に重みを感じた。

 それはロンも同じなのだろ。気づけば彼には珍しい、真剣な表情を浮かべている。


「じゃあ、わざわざ改まって喫茶店に俺達を呼び出したのは……」


「……はい、コウとロンさんに聞くためです」


 決めろとリーネは言う。彼女は境界線を決めて欲しいと言っている。

 何処まで一緒にいてくれるのか。学園にいる時だけの友人なのか、それとも、共に戦う仲間となってくれるのか。

 彼女は真っ直ぐにそれを聞いてきていた。


 今ここで下す決断が、彼女達との今後の付き合いを決めるだろう。

 それは考えれば分かる明確なことだった。


「…………」


 押し黙っているロンの様子を、コウは横目で確認する。


 彼は元々この校外授業に参加する必要はない。だが、参加すること自体は可能であった。

 一つでも戦闘に関する授業を取っていれば、今回の校外授業が対称でない生徒でも、申請すれば参加出来て単位を取得出来るのだ。

 彼は必須となる十五単位に達していなくても、いくつか護身として、戦闘に関する授業を取っていた。

 普通なら単位を少しでも多く取る機会と考えるのだが、彼の場合は条件が違う。

 故に悩んでしまうのだろう。


 つい昨日までは、揉めたりもしたが普通の友人といえる日々を過ごしていた。しかし、何の前触れもなく、心の準備をする時間も与えられず、決断の時はやってきた。


 ロンの葛藤をコウは想像する。

 普段のふざけている姿からは想像し辛く、忘れ勝ちだが、彼は三大貴族と称される有力者の子息なのである。

 その肩書き、その価値、その命の重みは、彼が自分の判断で好き勝手に扱えるものではない。彼は自由に生きているようで、実は自由の上限を推し量りながら生きている。

 人情の厚い少年であるから、助けたいと思う気持ちと、家に迷惑をかけたくないという気持ちが、彼の中でぶつかりあっているのだろう。


「どうして、このタイミングなんだ?」


 コウはリーネに聞く。校外授業があることは、もっと前から分かっていたことだ。

 何故、あと数日に迫るまで、何も言ってこなかったのか。それがコウには疑問であった。


 コウの言葉を聞いてアヤが何か言いたそうにする。しかし、結局何も言わずリーネを心配げに見つめるだけに止めた。

 さっきから彼女が一言も喋らないことを考えると、何か取り決めをしていて、この件に関してはリーネだけで対応するつもりなのかもしれない。

 それが責任感からの行動なのかは分からなかった。


 コウは返答を急かすつもりはないことを示すため、前に座る彼女達から視線を外して静かに待つ。

 すると、ややあってから、ぽつぽつとリーネが言葉を漏らし始めた。


「お二人といる時間は、とても楽しくて、心が安らぐ時間でした」


 コウとロンを順に見て、彼女は言った。

 傍目から見てコウ達と彼女達が一緒にいる姿は、他の生徒達と何ら変りのないものだったはずだ。

 普通の子どものような時間を過ごして、それで心に安らぎを覚えたと彼女は言う。


「でも、日を重ねるごとに怖くなっていきました」


「……それは何故?」


 葛藤を抱えたままのロンが問いかける。

 彼女の話すことから、答えを見つけ出そうとしているのかも知れない。


「それは……」


 戸惑いや躊躇いからか、リーネの声が震えた。


「もしも、もしも二人が私達と一緒にいることを嫌に思ってしまったらと……」


 最後まで彼女は言わなかった。しかし、それで十分だった。コウ達には何を恐れたのか伝わった。

 彼女は一度覚えてしまったからこそ、それが失われることに恐怖を感じたのだ。

 取り巻く環境の辛さを感じ取りながらも、コウ達は傍にいることをやめない。だが、それも真の意味での危険に触れてしまった時――――例えば怪我を負ったりしたら、それは続くのだろうか。

 そう、考えてしまったのだろう。


「つまり、俺は死にそうな思いをしたら、お前から離れていくだろうと思った、と?」


 コウの問いかけに、リーネは寒さを耐えるかのように、腕を回して自分を抱きながら頷いた。


「そうです。もっと早く、言わなければならないことでした。だけど、そう考えたら、中々言い出すことが出来ずに、ずるずると今日まで……」


 懺悔するように言い、彼女は顔を俯かせた。

 『班登録・班員記入用紙』と簡素な文で構成される手元の紙に、コウは黙って目を向けた。


 この一枚の紙は言わば証明書なのだ。

 その簡素な内容に反して、空欄に名前を記入すれば、一つの重要なことを証明することになる。

 それは死の可能性を理解した上で、彼女達と行動を共にするということ。名前を記入すれば、危険と隣り合わせな毎日を送ることになる。

 その覚悟があるのかと一枚の紙が語りかけていた。


 なるほど、確かにこれは境界線を決めるものだ、とコウは思った。

 少なくともこれに名前を記入しなければ、彼女達の抱える厄介ごとに深く関わることはなくなる。別にそれでも彼女達を支えることは可能のはずだ。

 事情に関して触れないでやり、学園にいる間は傍にいて、彼女達の日常の象徴となることも重要な役割だ。

 むしろ、そうすることでしか救えない面もあるかもしれない。


 ちらりとコウは横目でロンを見る。


 彼は今だに葛藤を抱えて唸っていた。それはリーネの話を聞いて更に強まったように見える。

 恐らく、彼もコウとほぼ同じ考えに至っているのだろう。名前を記入しなくとも、彼女達を助けることは出来る。

 そう、出来てしまうが故に、迷いは一層に深くなり、彼を苦しませていた。


 コウは悩む少年から目を外し、判決を待つ罪人のように、目を閉じて顔を俯かせるリーネを見つめる。

 そんな彼女に一つ訊ねたいことがあった。


「聞きたいことがある」


「……なんでしょう」


 顔色が分かる程度に、少しだけリーネが顔を上げた。


「お前、そしてアヤは俺の力を知っているよな? 俺は自分が最強だとか無敵だなんて思っちゃいない。けど、それでもお前達にとって、俺の力は魅力的だろうとは思っている」


 それを聞いてリーネが、そしてアヤがきつく唇を噛み締めた。

 ペンを手の甲の上でくるくると回しながら、二人の反応をコウは肯定として受け取る。


 コウは戦力として考えて、普通とは一線を画する実力を持っている。それは誰もが認めることだろう。

 彼女達は藁にも縋るような状況だ。コウという存在は彼女達にとって、藁どころか万能とされる魔導具のようなもの。是非とも手に入れたいと思うはずだ。


「なら、お前達は強引にでも、俺を引き込もうとしてもいいはずだ。なのに、何故こんな風に選択肢を与える?」


 別にコウは二人の行動に不満があるわけではない。ただ疑問に思ったのだ。

 正しく死に物狂いとなってもいいような局面で、何故、戦力を手にする機会を自ら放棄するようなことをするのか。


 コウはさしても重要ではないように、重みもなく言葉を投げかけたが、彼女達、特にリーネはそう受け取らなかったようで顔を歪めた。

 それを見たアヤがついに何か言わんと口を開いたが、そこから音が出てくる前に、リーネが彼女の腕を軽く握ることで阻止される。


 リーネの悲しげな顔を見て、コウは何も思わないわけではなかった。しかし、それを聞かなければ決断をすることは出来ないのだ。

 コウの実力を隠すという立場上、彼女達と深い関わりを持つことは得策ではない。

 戦うことが増えるということは、それだけ本来の実力が露呈する可能性が強まるということだからだ。

 故に、コウは発言を誤魔化さず、何も言わないで言葉を待った。


 数分ほどだろうか。誰も何も喋らないまま時間が流れた。


「コウが……」


 その沈黙は弱々しく顔を上げたリーネによって破られる。


「コウが、友達だと、言ってくれたからです」


 それが自分の問いかけに対する答えであると理解するのに、コウは一瞬の時間を必要とした。

 そして理解してコウは驚きと共に小さくない衝撃を覚えた。


「……正直に言えば、出会った当初はコウの強さだけが、視野の内にあったのも事実です。この強い人がいてくれれば、という求める気持ちがありました。だけど――――」


 リーネは大きく息を吸う。まるで重大な秘め事を語るように。


「今はもう、コウという人がいてくれればいいと思っています。強くなくてもいい、一緒に戦ってくれなくてもいい、ただ、話を聞いてくれる友達がいればいいと思ったんです」


 だから、強引なことはしないと彼女は穏やかな笑みを浮かべた。


「…………」


 コウは彼女の言葉を考える。

 友達と言ってくれたから、無理強いはしない。

 死ぬ可能性を考慮すれば、それは理論的ではなく、説得力がなく、何て甘いものだろうかとコウは思った。

 人は死ねばそれで終わり。死とは全ての終わりである。ならば、死なないために最善以上のことをするのが当然である。

 そんな信念と言っても過言ではないものをコウは持っている。


 思えば出会った時、彼女はドリークたちに襲われていたのにも関わらず、コウ達を遠ざけて守ろうとしていた。

 それはコウの信念とは違う行動だった。


 コウは自分の中に痛烈に沸き起こったものを自覚する。

 それは興味。今までもコウはリーネという少女を不思議な存在だと思っていた。しかし、興味を覚えたのは、この瞬間からだ。

 そして、コウは人生の内で特定の人物という存在に対して、興味を覚えたのは片手で数えられるだけの経験であった。

 学園で唯一親しいと言えるロンですら、興味の対象ではない。

 その事実を踏まえれば、コウが取るべき行動はただ一つであった。紙を押さえてしっかりとペンを握る。


「あっ……」


 息を漏らすようにリーネが喜びの声を上げた。アヤも嬉しそうにしている。

 ロンがコウに対して、驚きと僅かな嫉妬を向けている。しかし、コウは三人に構わずペンを走らせた。


 書いていく僅かな時間。コウは身の内から様々な感情が沸き立つのを感じた。

 退屈な学園生活。力の使い道に対する疑問。自分の生き方に違和感を覚える日々。

 それらから生まれた考えや感情は、コウの中でまだ消えたわけではない。しかし、それらがこの瞬間の刺激に対し、確かな反応を示しているような気がした。


 名前を書き終え、コウは紙をリーネに向ける。

 そこには上に一つ空欄を空けて埋められた「コウ・クラーシス」の文字。空欄の一つ目、二つ目は、上から班長と副班長の名前を記すことになっている。

 副班長を受け持つという意思表示と共に、コウはリーネに班長をやれと示す。

 彼女は驚きながらも、震える手で紙を受け取ると、目で訊ねてくる。

 それは最後の最後、本当の意味で最終確認だ。対してコウはくどいとばかりに不敵な笑みを返した。


「俺は友達に誘われてそれに乗った。ただ、それだけだ」


 コウは腕を軽く振るう。

 それが認識阻害が解かれたことを意味するのを、わざわざ言う必要はないだろう。


「リーネ・ヴァルティウス。俺はお前と校外授業に参加しよう」


 コウはわざと少し声を大にしてそれを言った。

 すると、いつの間にか増えていた生徒達が、敏感にリーネの名を聞き取って、コウの言葉をしっかりと耳にした。

 中には迫る校外授業のことで、リーネの噂について話していた生徒もいたのだろう。劣等生が不幸を呼ぶ女と共にするという話は、火が燃え移るように生徒達の間で伝播していった。


 驚愕と怖れに身を固まらせるリーネを余所に、コウは顎を動かして促す。


「さぁ、早く書いてもらおうか」


 上から目線での催促。これではどちらが巻き込もうとしているのか分かったものではない。

 そう思ったのかリーネは吹き出すと強張る顔を笑みへと変える。


「……本当に、コウは凄いですね」


 さらさらと、淀みなく彼女は名前を書き終えた。

 騒がしかった周りの生徒達は、気づけば黙っていて、まるで喫茶店が重要な取り決めをする会合を行う場で、記入している紙が、何かの盟約を結ぶための書類のような錯覚すら覚える。

 この短時間で黙ってしまうような騒がしさではなかったが、そうさせるだけの何かがここにはあった。


「ふぅ」


 リーネが息を漏らす。班長を示す欄に彼女の名前が確かに記入されていた。続いてアヤが紙とペンを受け取り、名前をきっちりと書き込む。

 そしてこれは完成した。あとはこれを担任であるミシェルに渡すだけである。


「むぐぐぐぐぐ……、だぁあああ、もう!」


 しかし、更に名前を記入する者がいた。

 悩みに悩み、唸っていたロンだったが、何かに踏ん切りをつけるように紙をひったくると、勢いよくペンを動かして紙上に三人と同じく自らの名前を書き殴った。

 まさか彼も参加してくれるとは思っていなかったのだろう。目を丸くするリーネ達。

 そんな彼女達に代わり、コウは一言短く訊ねる。


「いいんだな?」


 彼は参加する必要がない。だが、ここで参加しなければ、決定的な溝が生まれることを悟っているのだろう。


「……あぁ、俺も男だし、腹を括るよ」


 リーネが無理強いは出来ないと思ったのか、眉を顰めつつ何かを言おうとした。けれど、それをコウは目で制する。


(こいつが自分で決めたんだ。とやかく言うことじゃないさ)


 それにコウ達に決断をさせたのは彼女達だ。その決断に文句をつける権利を、彼女達は持ち合わせていないはずである。

 彼女もそのことを理解したのだろう。言いかけた言葉を飲み込むようにして大きく息を吸った。


 そして、深々と頭を下げたのだった。


「……コウ、ロンさん、よろしくお願いします」


 隣ではアヤもまた、深く頭を下げていた。







 それが先日のことだった。


 リーネとアヤはあと数十分に迫る校外授業を前にして、改めてコウ達を本格的に巻き込むということを感じて緊張しているのだ。

 そしてロンは一度決めた以上、口には出さないが、やはり自らの立場などを省みて、今回の決断が正しかったのか、と自問自答を繰り返しているようである。


 ここまで来てしまった以上、今更悩んでも仕方がないことではないかとコウは思う。しかし、それでも心が不安を抱えてしまうのも、ある意味人間らしさだ。

 むしろ、自分みたいにきっぱりしている方が、異常なのかとコウは表に出さずに考える。


「しっかし、あれだな、結構遠いもんだな」


 コウは心底だるそうに三人に話しかけた。

 現在、早朝に学園から出発して二時間が経過していた。

 目的地はフィフス森林というウィールス平原の西に位置する深い森だ。そこで今回の実習は行われることになっていた。


「……時間的にはもうすぐ着くはずだよ」


 いち早く顔を上げたのはロンだった。その手には以前、コウも見せてもらったカラクリ時計がある。


「お、そうなのか。しっかし、あれだな、当然な話しだけど、行きがあれば帰りもあるんだから、この退屈な時間をまた味わうことになるわけか」


 リーネとアヤがはっとした表情を浮かべて顔を上げた。

 それが「帰り」という言葉を耳にした瞬間だったのは偶然ではないだろう。


「何だよ二人とも。森でお泊りでもしたかったのか?」


 もしも最悪の展開を迎えれば、行きがあっても帰りはない。

 だからこそ、帰ることを前提に話すコウに、二人は不思議そうな顔を向けてきた。


(まるで死地へ赴く敗戦兵のようだ)


 若干矛盾した感想を抱きながら、コウは努めて陽気に話し続ける。


「ははん、さてはお前ら森で野宿したことないだろ。獣はうるせぇし、地面は意外とごわごわしているわで、あんまり良いことないぞ?」


 実習の最中、リーネを狙われる者に襲われることは確定事項だろう。

 戦いを前に帰るということを考えるのは、あまり得策ではない。それが油断に繋がるからだ。しかし、考えなさ過ぎるのもどうなのかとコウは思っている。


 死の恐怖を乗り越えることが出来れば、それは強靭な強さを生み出し、逆に生きるための力を得ることが出来るからだ。

 けれど、死の恐怖は乗り越えることが出来なければ、ただの重い鎖である。身を硬くさせ、動きを鈍くし、生きる意志を失わせる。

 それならいっそ、正への執着を持った方が、まだ生き残る可能性を上がるというものだ。


「コウは……」


 リーネが悲壮感を纏わせながら口を開き、しかし、コウが真っ直ぐに向ける目と合うとすぐに閉ざした。

 そして、僅かに間を置いてから思い直したように言葉を紡いだ。


「コウは森で野宿をしたことがあるんですか?」


 一度言おうとしたことを呑み込み、異なる発言をしたことは簡単に予想出来た。だが、それを指摘する必要はない。何故なら、彼女に纏う悲壮感がほんの少しだけ薄まったからだ。


「あるぜ。そう、昔の話だ。あれは俺が――――」


 冗談を交えながらコウは語る。リーネだけではなく、アヤとロンもその話に耳を傾けているようだ。

 三人の心に纏わりつくものを完全に払拭することは出来ないだろう。しかし、それでも次第に笑みを取り戻していく三人を見て、コウはこれなら大丈夫かと一人頷くのだった。


 2012/02/07 00:16

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。


 2012/09/12 00:31

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。

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