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第十七話


 クライニアス学園には喫茶店といった学園外から来ている店などの他に、学園が運営する様々な施設が存在する。

 その施設とは学生寮や購買といったものが、例として挙げられるだろう。


 学園の中心に聳え立つパースライト城を、それらの施設や店が囲うようにして広がる様はかなりのものだ。

 ウィールス平原に学園は位置するため、山などの高い位置から直接見ることは出来ないが、その景観を高い場所から見ることが可能なら、学園は一つの街のように見えるだろう。


 もしも学園を上から眺めたとしたら、見る者は一番に気づくことがある。

 それは学園内に開けた場所がいくつかあることだ。広い空間を有するその場所とは、修練場、闘技場、運動場といった施設だった。

 修練場は言わずもがな武術関係の授業を行う場所で、闘技場は公式、非公式関係なく試合を行う場として用意されていた。運動場は多目的な利用を可能にする場所である。


 多彩なエキスパートを生み出すクライニアス学園では、多種多様な技能を学ばせる。

 そうなってくると、どうしても座学だけでは、十分な学習を行えないものが出てきてしまうだろう。学習不足という悲惨な結果にならないように、それらの施設を学園は用意したのだった。






 それはコウがアヤと早朝の模擬戦を行って、少し経ってからの話。


 その日、時間割の二時間目を消化するために、ざわつく生徒達の中にコウはいた。

 生徒達が落ち着かない理由。それをコウは知っていた。しかし、それは自分には無縁のことだと考えていたので、会話が絶えない生徒達を尻目に、コウは初めて来たこの場所を観察していた。


 ぐるりと周りを見回す。


 地面は怪我の可能性を少しでも低くする為か、砂利すら混ざっていない土が、辺り一面に敷き詰められている。

 強く踏みしめてみると地面は硬く感じられた。それは学園創立当初から現在に至るまで、学園を卒業していった多くの者達がここで鍛錬を積み重ね、本来なら柔らかいはずの土を踏み均していったからだろう。

 足の裏から感じる硬さは、歴史の積み重ねだと言えた。

 土はかなり広い範囲に敷き詰められている。

 学園の広大な敷地内にある施設で、上位に入る広さが確保されているという話も、これなら頷けるというものだ。


 広やかな空間を囲う石壁にもコウは注目する。

 恐らく魔術による作成物なのだろう。全て均等な大きさの直方体の石が、いくつも重ね積み上げられ、壁と成っていた。

 ここはクライニアス学園で武術を学ぶ生徒達が、間違いなく世話になる場所だ。

 生徒用に作られた場所であるにも関わらず、本格的に作られていることから、それが伝わってきた。


(……いい造りだ)


 観察を終えてコウが感心していると、生徒達のざわめきが強まる気配があった。


「遅れてしまってすまない」


 男性特有の低い声だった。そこには聞く者に柔らかい印象与える不思議な響きがあった。

 声を発した人物の下へ、生徒達が一斉に目を向けている。一人でそっぽを向いているわけにもいないので、コウも釣られるようにして、その人物へと目をやる。


「ふむ、やはりこの授業は人気だね。……授業内容を考えれば当然なのかも知れないが」


 そう言うと男は笑みを浮かべた。

 その姿を見た生徒達が僅かに気持ちを緩めたようである。


 男は学園の教師だった。

 名はウィリアム・グロウル。身長はコウよりも高く、百八十センチはあるだろう。

 歳は今年で三十七であると、初回の説明会で言っていた。しかし、見た目は実年齢に反して若々しく、二十代後半だと言われても簡単に信じられるくらいだ。


 彼の格好は黒いズボンに白い長袖シャツといった質素なものである。それ故に圧倒的に鍛えられた肉体が窺えるが、筋骨隆々というわけでもなく、フラットな印象を見る者に与える。

 短く切り揃えられた黒い短髪は、洒落っ気こそないが、それが逆に彼の男らしさを底上げしていた。


「前回の説明会で話した通り、この授業――基礎戦術訓練Aは頭を使わない単純なものだ」


 遅れた分を取り戻そうと、すぐに授業を開始する為か、ウィリアムは間を置かずに口を開いた。

 その真面目な姿を女子生徒達が蕩けているかのように、うっとりしながら見つめている。

 彼女達の様子に気づいた男子生徒達が、彼を羨ましそうに見やる。しかし、そこに妬ましさのようなものは存在しない。


 彼女達の様子から分かるとおり、教師ウィリアムはかなり端整な顔立ちをしていた。

 きりっとした眉からは鋭い雰囲気を与えながら、それに反して目元はとても優しげである。

 生徒に接するときはいつも誠実で、どんな生徒にも分け隔てなく接する彼の態度は、ファンを作るのに一役買っていると聞く。

 顎の髭が綺麗な二等辺三角形を逆さに作っていて、子供にはない渋さを醸し出していた。


 一見すれば少し気障な外見ではあるが、思春期の女の子が憧れを感じてしまうのも頷けてしまう。しかし、それならば男子生徒達から向けられる妬みは、一つや二つじゃすまないだろう。

 それをさせない経歴が彼にはあった。


 彼は教師の職に着く前は、ガルバシア王国で将軍の補佐役――なんと副将軍という地位にいたのだ。


 ガルバシア王国では軍事と政治を統括する存在として、それぞれ将軍と大臣をトップの要職としている。つまり、彼は軍事の最高権力者、その一歩手前にいたというわけである。

 どうしてそんな人物が教師などやっているのか疑問だが、一つ言えるのは彼が年齢から考えて凄まじい早さで出世した程に優秀であること。

 そして、その点はもちろん特筆するべきところであるが、それよりも注目すべき点が彼にはあった。


 彼は髪の色が黒色なのである。

 それが意味するのは平民層出身であるということだった。


 階級差別が蔓延る貴族社会の王国内で、平民層の者が副将軍という地位にいたという事実。

 それは異例というべきものだった。

 その実力、容貌、大出世を妬む貴族はいるだろう。しかし、それ以上に多くの者が彼に畏敬の念を抱いている。

 そんな経緯があって、富裕層と平民層の子どもが入り混じる生徒達であるが、ほぼ全員が敬う気持ちをウィリアムに対して抱いているのだった。


 今は説明だけであるのにも関わらず、コウ以外の皆が真剣に彼の話す言葉へ耳を傾けている。

 それは間違いなく相手がウィリアムだからだろう。


「君達には今から模擬戦を行ってもらう。それじゃあ、そうだね……。今日はこちらから細かい指定はしないから、好きな相手と五人で一つのグループを作ってくれるかな?」


 恐らく、そのグループ内で対抗戦を行うのだろうとコウは判断した。

 この授業「基礎戦術訓練A」は、より実践的な戦闘技術を学ぶために…………、という長い授業説明を一言で言ってしまえば「模擬戦をやる授業」である。

 武器の使い方を学んでも、立ち回りを教えられても、実践出来なければただの知識である。

 それを身体で覚える為の授業なのだ。


 説明会で授業の概要は皆あらかじめ知らされている。なので、ほとんどの者がコウと同じ結論に至ったようだ。

 周りでは生徒達が首を巡らして相手を探し始めている。

 コウも他の生徒達を習うように、対戦相手となる生徒を見繕うことにした。

 生徒達がざわめく修練場。

 その中からコウは目当ての生徒を見つけると、自然な足取りで近づいていくのだった。






「せやぁああ!」


 振り下ろされる木製の剣を、同じく木製の剣でコウはまともに受け止める。

 腕に軽い衝撃を覚えながら、今まで浮かべていた焦り顔を、苦しげな、いかにも辛そうなものへと変えて相手に向ける。

 それを見て相手が勝機とばかりに、何の捻りもなく何度も単調な動作で木剣を打ち据えてきた。

 二度、三度と、手も足も出ないとばかりに受け続け、四度目を相手が振りかぶったところで、コウはがむしゃらに見える体当たりを繰り出す。


「ッ! っとと」


 相手からすれば予想外のコウの動き。

 しかし、相手は驚きながらも、大きく横へ跳ぶことでそれを回避して見せた。

 距離が開き、対峙する形となった相手は驚き顔を一変させて得意げな顔をしている。

 コウは荒い息で肩を上下させているように見せながら、心中ではただ力量を観察し続ける。


(今のは躱したか。……高等部二年にもなって、あの程度が対処出来ないわけもないか)


 コウはこの戦いの終幕への流れを決める。


(これくらい実力があれば、これでいいだろう)


 コウは相手に気取られないように、ゆっくりと木剣を傾け、観察すればすぐさま気づくはずの隙を右手首に作る。

 得意げな顔を浮かべていた生徒は、コウの手首をちらりと見て口の端を歪めた。


(……何とも分かりやすいことで)


 戦いの最中に何かを気づいても、相手に悟らせないのが戦士としての常識だ。

 それを知らないのか、忘れているのか分からないが、表情に出さずに呆れつつ、コウはじっと待つ。

 すると、相手の生徒が大きく木剣を振りかぶり、気合の声と共に踏み込んできた。


「おぉおおおおっ!」


 鋭い切り込み。

 一連の動作としてはまだまだ、しかし、一つ一つの動きで見れば、なかなか見られるものがあった。

 これこそが二年生になるまでに、徹底的に基礎を叩き込まれてきた成果だろう。


 コウの誘い通りに右手首に振り下ろされた木製の刃。

 それを見つめるコウは焦り顔を浮かべて見せているが、思考は冷静そのものだ。

 手首に当たる瞬間、その時になってようやく反応出来たかのように、コウは身体を僅かに揺らすようにして動かす。


 カッという木ならではの乾いた音がした。


 そして、それとほとんど同タイミングでコウは木剣を手放した。


「そこまで!」


 木剣を取り落としたのを知った相手が慌てて、コウに剣先を向けた所で審判役の生徒が止めに入った。

 興奮した様子の相手にコウは苦笑いを見せながら声をかける。


「いやぁ、参った、参った。まるで反応出来なかったわ」


 コウがそう言うと、相手の生徒は笑い返してきた。

 そこには少し意地の悪いものが混ざっているようである。


「クラーシスなんかに遅れを取ったりしたら、最悪だからな」


「……そうかい」


 あまりにもストレートな物言いである。

 コウは隠さずに嫌味を言ってくる生徒の親が、下級貴族であることを思い出す。


 ガルバシア王国では上から王族、三大貴族、上級貴族、中級貴族、下級貴族、そして平民と階級が分かれている。

 つまり、態度の大きい彼だが、それは平民を相手にした時のみ、向けられるものだ。


 コウが成績最下位であることは、同学年の生徒ほとんどが知っていることだろう。

 とはいえ、流石にここまで露骨だと、コウとしてはいっそ清々しいくらいである。


(そして自分より上の奴からは見下される、か。……なんか大変そうだな)


 そんな風に心の中で感想を述べていると、審判役をしていた生徒から声をかけられた。


「クラーシスは五戦やり終えたんだよな? だったら休憩に行くといい」


 こちらの彼もまた下級貴族の親持ちであったが、態度の大きいもう一人と違い、平民階級であるコウに対しても普通の態度で接してきている。

 こういった相手とは仲良くしておきたいものだ。そう思いながらコウは適当に相槌を打つ。

 その場を離れて木箱に木剣を入れると、広い修練場の隅へと移動して腰を下ろした。


 修練場を見回せば、剣、槍、斧、棍、槌を模したものを振るう者がいれば、斧槍(ハルバード)連接棍(フレイル)らしきものを振舞わす者もいた。

 いくらなんでも連接棍(フレイル)は遠心力を利用して、相手を打ちのめす武器なのだから、木製とか関係なく危険だと思われるが、よく見れば緩衝材らしきものが巻きつけられていた。


(それでも結構危ないけどな)


 一息入れながら、コウは改めて現在受けている授業を思う。

 この授業は様々な武器と戦う機会を得る絶好の機会だ。故に、武術系の授業を主に学ぶ生徒達から、かなりの人気がある。

 その人気の多さに学園内にある闘技場、修練場、学園付近のウィールス平原の三箇所に、生徒を分ける必要があるくらいだ。

 初回の授業で生徒には適当な番号が割り振られ、「何番から何番は何処へ」という風に生徒が三つの場所の内、週ごとに何処かへ行く仕組みだ。


 このような授業に近頃知り合った少女剣士のアヤが、参加しないわけがないが、辺りを見回して姿が確認出来ないことから、どうやらこことは別の場所で授業を受けているようだ。


 コウは真剣な様子で取り組む生徒達、その間をゆっくりとした動作で歩むウィリアムを交互にぼんやりと眺める。

 そんな風にして時間を潰して暫くすると、不意にコウの元へ近づいてくる気配があった。まだ離れた場所にいたが、こちらへと意識を向けていることをコウは確かに感じたのだ。

 ゆっくりと離れたところからやってくるその人物へコウは目を向ける。


 石積みの壁を伝うようにして歩いていた相手は、目が合いコウが気づいたことを確認すると、顔をほころばせた。

 そして、同時に壁伝いに歩くのをやめて一直線に駆け寄って来る。


「コウ!」


 鈴を転がすような声が控えめな声量でコウの名を呼んだ。

 艶やかな亜麻色の髪をひらめかせてやってきた人物は、ここ最近、コウの学園生活を盛り上げてくれるリーネだった。

 傍にアヤがいないのは彼女が今は授業中だからだろう。後で一悶着起こりそうな気配が、コウに激しく自己主張をしている。


 リーネは何が嬉しいのか、コウへにこにこと笑顔を向けてくる。


「どうした? 随分とご機嫌じゃないか」


 コウはそう言いながら、ちらりと遠目からこちらを伺っている生徒達へ目を向けた。

 そうすると彼らがすぐに目を逸らしたのを記憶に留める。


 リーネは良くも悪くもかなり注目を集める。

 それは彼女を謗る噂も然る事ながら、その容姿も大いに関係している。

 単純な話、かなり可愛いのだ。

 どんなに悪評があろうとも、可愛いものは目に飛び込んでしまう。それが本能というものなのだろう。


 そんな風にコウが考える中、問いかけに対する返答は以下のものだった。


「だって、コウとお話が出来る機会が巡って来たんです。それはもう嬉しいに決まっています!」


「大げさなやつだなー」


「大げさなことじゃありません! 心の底からそう思ってます!」


 一緒にいる時間が増えたことは確かだが、コウと彼女は選択する授業がいくつかしか被っていない。

 なので、日によっては半日以上会わないということは当然あった。

 ――――それでも、授業以外の休み時間や放課後、休日には待ち合わせをして会っていたりする。

 結局、ほぼ毎日会っているので、彼女の口ぶりが大げさであることには変りはない。


「…………」


 言い切ったリーネ。

 輝きが増した彼女の笑顔をコウはじっと見つめる。

 そのままに受け取れば、言葉は恋する乙女そのものである。しかし、彼女のこれまでのことを思えば、そうではないだろうとコウは考える。


 話を聞く限り、リーネは友人が少ない。というかコウが把握している限りではアヤしかいない。

 それは彼女の性格に難があるからではない。むしろ、全般的に好意的なものを抱かせる性格だろう。

 それに彼女自身、本来は人を遠ざけようとは思っていないようである。

 取り巻く噂、それだけが彼女の周りから人を遠ざけた理由だ。


 故に、今まで感じていた寂しさが、自分に対して積極的な態度を取らせているのだろう。そうコウは考えている。そして、その境遇を何とかしてやりたいとも。


「どうかしました? 何かついてます?」


 自分の顔を見たまま何やら考え事をしだしたコウを疑問に思ったのだろう。

 リーネは僅かに首を傾げ、ぺたぺたと自分の顔を触り始めた。


「ん? ああ、今日は大丈夫なんだな、と」


 見ていて中々微笑ましい動作だったが、誤解であるのでやめさせる。

 それは適当に口から出した言葉だったが、言ってからコウも自分でそういえばそうだと思った。


「はい? 何がです?」


 顔を触れたままの中途半端な状態でリーネは静止した。


「何がって、今日は遠慮しないんだな、ということ」


 リーネは瞼を瞬かせながらコウの言葉を意味を考え、そして全身を硬直させた。

 首から擦れる音がしそうなくらいに、ゆっくりと彼女は自分の後方にいる生徒達を見た。

 コウも彼女に倣って再び生徒達へ目を向ける。


 授業もそろそろ終盤に近づいているようだ。あちこちで模擬戦をしていた生徒の数は、ある程度まで減っていた。

 代わりにコウと同じように、休憩と観戦へと移行している生徒達が大半だ。

 つまり、リーネの存在に気づき、その姿を目で追う余裕のある者が多くいるということだった。


 確認した途端にリーネの顔が強張っていく。

 彼女は取り巻く環境の関係上、注目を集めることを嫌がる。

 先ほど壁伝いに歩いていたのは、視線を避けるためだろう。――――途中でコウの元へ一直線に走った時点で、それは失敗に終わっているが。


 生徒達を観察すると、こちらを見たまま何か喋っている。

 恐らく悪い噂で有名なリーネと、ある意味こちらも悪い意味で有名なコウが、一緒にいることが話題なのだろう。


 コウが先日聞いたことだが、ロン曰く、コウとリーネの二人は「最低カップル」と呼ばれているらしい。

 リーネの最低な女という噂、コウの最低の成績男から来ているらしい。

 カップル扱いなのは単にいつも一緒にいるからだろう。学生――――というより、子どもというのは、いつだってその思考は単純である。

 誰が考えたのかは知らないが、渾名を考える材料の内、事実がコウのものしかないという所が、いかに学生達の暇つぶしであるのか分かる話だった。


 固まっているリーネを見ながらコウは聞く。


「……もしかして、意識してなかったのか?」


 この問いかけに彼女はコウの方へ顔を戻すと、ぎこちなく頷いた。顔から感情が音もなく抜けていこうとしているようだった。

 それを確認するとコウは驚きと呆れを覚え、そして一息吐き出しながら思い出す。


 出会ってから少しまでの間、リーネは周りに他の生徒がいても、コウの前では素の状態を見せていた。

 理由はコウには分からなかったが、感情を押し殺すよりはずっと良いことだと思っていた。

 それなのに一時期コウと一緒にいても、彼女は周りを気にするようになってしまった。

 その原因は最低カップルという渾名であった。


 噂に疎いコウは、その渾名を心苦しそうに語るロンから、それを聞いた際に特別感想など抱かなかった。強いて言うなら、『もう少し捻られなかったのか』や『ネーミングセンスは何処に旅立った』くらいである。


 しかし、最低カップルの片割れは違った。


 渾名の存在を知った翌日。コウがリーネに声をかけると、大きく距離を空けられた。

 いつもはむしろリーネの方から寄って来る。それだけにコウもかなり困惑した。

 距離を空けるというよりは、避けるに等しかった彼女をコウは何とか捕まえ、その理由を聞き出した。

 その理由というのが渾名だったのだ。泣き出す寸前の状態で彼女は言った。


 一緒にいるとコウに迷惑がかかる、だからもう一緒にいないようにすると。


 最低カップルと呼ばれることで、自分が味わう苦しみをコウに味あわせたくないと。

 悲痛な面持ちで彼女はそう言ったのだった。

 その彼女の言葉を聞いたコウはどうしたかというと――――


 あの時のことを思い出しながら、コウは目の前で感情を押し殺そうとするリーネを見つめる。

 それは彼女の数少ない防衛手段である。そんなことはさせたくなかった。


「俺、言ったよな?」


 目の前で弱々しく見返してくるリーネ。その目をコウは真っ直ぐに見つめる。


「周りのことなんか気にしなくていい、俺に遠慮は無用だと」


 リーネは小さく頷いた。しかし、言葉は覚えているが、完全に受け入れているようには見えない。

 少しずつ、少しずつ渾名が誕生する前の状態に戻そうとコウは思っていた。

 嫌がる彼女が本気で拒絶しない限り、周りなど気にせず一緒にいるようにして、陰口を言われても気にしなくなるように。


 それは時間がかかったものの、確実に効果は出ていた。

 彼女の中で所詮は噂の一つに過ぎないと、少しずつ消化しようとしていたのだろう。しかし、今回のことで、また最初の状態まで戻ってしまうかもしれない。

 まだ周りが気になるなら、何故もう少し慎重に動かなかったのか、とコウは正直思わないでもない。


「…………」


 コウは黙ってゆっくりと手を持ち上げる。その動作を見た瞬間、びくりとリーネの肩が震えた。

 ここは注意とまでいかなくとも、何かしら言っておくべきだろう。しかしながら、慎重に動かなかった理由。それが自分に会えたからだと言われると、コウには何も言えなかった。


 リーネが表に出さないから分かり辛かったが、縋るような思いで自分を頼りにしていることをコウは最近知った。

 それはドリークの群れを苦も無く駆逐するという出会い方だったからだろうか。

 他に彼女から信頼される理由をコウは見出せない。


 自分の言葉に僅かでも突き放すような言葉が含まれていないか、コウは気を使っている。

 甘やかしているつもりはなかった。今はその心遣いが必要なことであると、思っているからだ。

 彼女はアヤのように感情の爆発というものがないので、内心が分かり辛いが、精神的にかなり追い詰められているように見受けられた。


 強い少女だった。

 命が狙われていても、自分というものを保っているし、恐怖を外に漏らさずに他者を気遣いすらする。


 ――――しかし、同時に優しい少女でもあった。

 護衛役の親友が自分を守る過程で傷ついていくのを、見ているのは耐え難い苦しみだろう。


 アヤが襲撃から彼女を守りきった時、アヤは達成感と安堵を得て、そして彼女には頼もしさと罪悪感が届けられる。

 皮肉なことだとコウは思う。

 アヤが彼女の身を守ると、彼女の精神は蝕まれるというのだから。


 そのことをアヤが気づいているようには見受けられない。徹底して表に出さずに隠しているのだろう。

 アヤも苦悩を抱えていると思われるが、リーネもまた苦悩を抱えているのだ。

 なんて似ている二人だろうか。やはり二人は姉妹同然なのだ。


 持ち上げた時と同じようにゆっくりコウは手を動かす。そしてその手をリーネの頭に置いた。

 手を置いた瞬間、またも彼女の肩が震えた。が、先ほどに比べれば、震えはごくごく小さいものだった。

 緩やかにコウは手を動かして頭を撫でる。


 いきなり過ぎるその行動に、意味を図りかねているのか、不思議そうな目をコウは向けられる。しかし、それは段々と細められていき、ついには感触を楽しむように彼女は目を閉じた。

 そして、小さな、本当に小さな声で言う。


「ありがとう、ございます。……頭を撫でてもらうなんて、とても久しぶりな気がします」


 頭に手が届くほどの距離だからこそ聞こえた声量だった。

 恐らく、彼女は嫌な目を向けられて生じた気持ちを、誤魔化す為に突然頭を撫で始めたと解釈したのだろう。

 コウとしては何となく行ったことだったが、それでもいいかと思った。

 感情を押し殺されるよりはずっとよかった。


(何か他に出来ることはないか?)


 コウは考える。リーネを少しでも暗い気持ちから遠ざけることは出来ないかと。

 撫でる手を動かしながらコウは黙考した。

 目を閉じて撫でられるリーネ、手を動かし続ける自分、こちらを見て何やら話している生徒達。

 それらを確認したコウは一つの案が思い浮かべた。


「なぁ、リーネ」


「はい?」


 さらさらと前髪が揺れているからか、目を閉じたままリーネが答える


「俺と一緒にいると、最低カップルだ何だと言われることを、お前は気にしているんだよな?」


「……そうです」


 肯定しながら彼女の眉が顰められた。


「それは俺とカップリングされてるから気に食わない、という訳じゃないんだな?」


「あ、当たり前じゃないですか!」


 リーネがかっと目を開き、先ほどまでと打って変わって力強く言い放った。

 それを聞いてコウは苦笑し、手に力を込めながら動きを早めた。

 彼女は不満そうにしながらも言葉を続ける。


「……私が嫌なのは一緒にいることで、コウが悪口を言われることです」


 それは何度か聞いていたことだった。

 しかし、それでも一応コウは確認しておきたかったのだ。


「本当か?」


「本当です!」


 断言するように彼女はきっぱりと言い放つ。その頬は少し赤らんでいた。

 友人が少ないことが彼女にここまで強いているのか、とコウは嘆きつつ、同時に、それならば今からやることは問題のないことであると判断した。


「じゃあ、リーネ」


 コウは撫でるのを止めて手を引いた。

 撫でられる感触がそれほど心地よかったのか、それとも久々の感触を楽しんでいたのか、コウが手を引くとリーネは物足りなさそうな表情を作った。

 が、次の瞬間、それは直ぐに驚愕に染まり、そしてそれは埋もれて見えなくなった。


「ほぅ、これは中々の抱き心地……」


 「擁する」、「腕の内に収める」、「胸で受け止める」。

 その状態を形容する言葉は多く存在するが、簡単に言ってしまえば、コウはリーネを思いっきり抱きしめていた。


「……!? ~~~~!?」


 最初、リーネは何が起こったのか分からなかったようだ。

 けれども、すぐにどんな状況なのか、理解が追いつくとぷるぷると震え始めた。


 身長差の関係でコウの薄く、しかし、鍛えられた胸に、彼女の愛らしい顔は覆い隠されている。

 なので、そこにどのような表情が浮かんでいるかは分からない。しかし、亜麻色の髪から覗く耳が、凄まじい勢いで赤く染まっていくところを見ると、その表情は容易に想像出来そうだ。

 コウはそんな彼女の様子に気づかないまま、悪態を吐くのも忘れて、ぽかんとした顔で見て来る生徒達に対し、


「……ふっ」


 それはもう、見る者が大変腹立たしく思うだろう見下した笑みを向けた。


「――――っ!? ――――っ!!」


 それを見た生徒達は一間置くと、すぐさま口々に何かをまくし立て始めた。

 コウ達がいる場所と生徒達がいる場所は、顔色ぐらいは分かるものの距離はあるので、その内容を正確に捉えることが出来ない。

 遠目に見る反応から判断すると、指を刺して何やら言っている生徒達のおおよそは、授業中に抱き合うコウ達(実際は一方的に抱きしめている)を囃し立てたりする好意的な者達と、リーネの噂から来る嫌悪感を隠さない者達の二つの反応に別れた。


 もっとも、後者の場合は単純にふしだらだと思った者もいるかもしれないし、中には学園で弱者とされるコウに見下されたことで、腹を立てている者もいるかもしれない。

 そのことを念頭に置きながら、コウはそれぞれ分かれた生徒の反応をただ冷静にじっと観察する。

 その間、リーネがコウの背に腕を回しかけている状態でぷるぷるとしていた。


「――――ん、大体分かった」


 生徒全員の反応を確認すると、コウは僅かに身体を離し、リーネの顔を覗き込んだ。


「……あれ? どうした?」


 そしてコウは顔を合わせると首を傾げた。

 見れば彼女は驚くほどに顔全体を朱に染めて、その目は忙しく動き、普通の状態ではないことは明らである。


「リーネ?」


「ひゃい!」


 舌が回らず短い言葉すらまともに言えていないようだ。

 やはりおかしい。コウはそう思って原因を考える。

 といっても思考を巡らすまでもなく、抱きしめたことだろう。その前まで彼女はなんともなかったのだから。

 その手順を踏んで、ようやくコウは思い至った。

 すぐに、と言っても乱暴な風にならないように、気をつけながらコウは身体を完全に離した。


「悪い」


「い、いえ、き、急だったので、びっくりしただけですから」


「いや、いきなり抱きすくめられたら嫌な思いもしただろ?」


 自分の行動を省みて、軽率な行動だったとコウは反省した。

 すると、そんなコウの様子を見て、リーネは何かを確認するように、胸に手を当てて、ゆっくりと語り始めた。


「……嫌じゃありませんでしたから」


「そうはいってもな……」


 一応、さっきの行動は生徒の内、好意的な反応とそうでない反応を示す生徒がどの程度いるか、把握しようと考えたからである。

 そういった理由があったが、やはりその方法に難があったと言えるだろう。

 交際相手でもない異性に抱きすくめられれば、あまりいい思いはしない。

 二人は出会ってまだ一ヶ月にも満たない。尚更、その傾向は強いはずだ。


 コウは女性に対して少し無頓着なのだ。

 あまり深く考えずに行動してしまったが、よくよく考えれば不味い行動だったと、今更ながら思っているくらいだった。しかし、リーネはふるふると横に首を振ると、柔らかい笑みを浮かべて言った。


「他の人だったら絶対に嫌ですけど、コウなら大丈夫です」


「……どうしてだ?」


 聞きながら答えをコウは予想していた。

 彼女の境遇などを鑑みれば、恋愛要素が絡んでいることはないだろう。

 そうコウは考えていた。

 ゆっくりと噛み締めるように、彼女が言った言葉がその考えを裏付けた。


「あなたのことを信頼していますし、それにコウは私の憧れですから……」


 喜ばしいことであるかのようにリーネは言った。

 そこには確かに憧憬が滲み出ている。コウの予想通りの言葉だった。


 コウは胸に小さな痛みを感じた。その痛みは様々なものが綯い交ぜになったものだった。

 強いてそれに名をつけるというなら、それは――――罪悪感と呼ぶべきものだろうか。


 2012/02/04 14:56

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。


 2012/09/10 02:01

 一部文章と誤字脱字を訂正致しました。

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