第十二話
教室にやって来た人物は、コウ達と同じ歳くらいの少年だった。
その金色の髪は、男にしては手入れが良くされていて、肩にかかるほど長い。男であれば長髪の部類だろう。
瞳の色はロンと同じ青で、少年は王国貴族の象徴たる金髪碧眼を有していた。
背はコウより少し高く、全体的にほっそりとしているようで、肩幅などに注目すれば、鍛えていることが一目瞭然である。その上で、肌は日に当たったことのないかのように白い。
涼やかな目元、くっきりとした鼻筋、柔らかく閉じられた口。その爽やかな容姿は、世の女性達が放っておかないであろう要素だらけである。
清流を思わせるその容貌は、人に強い好感を持たせるには十分なものだろう。――――しかし、それは顔に人を馬鹿にするような冷笑が、張り付いていなければの話ではあるが。
少年はコウ達を順に確認した。そして四人の中にリーネがいることに気づくと、浮かべていた意地の悪そうなものを更に深める。
視線を受けたリーネは身を強張らせ、表情を暗くしていきながら、少年の視線から逃れるように顔を俯かせた。
それを見たコウは、注意が自分に向かうように、少し大きく声を発する。
「俺に何のようだよ。暇なのか?」
言いながらコウは少年に気づかれないようにして、リーネ達に手振りで席を立つように促す。それに気づいた三人が立ち上がると、少年が入って来た扉とは別の扉へとゆっくりと誘導する。
声をかけられた少年は、何かを思い出したように視線をずらしてコウを見据えた。そして意地の悪そうな笑みはそのままに、苛立ちを少し混ぜるという、中々器用なことをしながらコウ達に近づいてきた。
「僕は君みたいな平民と違って忙しいんだ、そんなわけがないだろう? ガルバシア王国三大貴族の一角、武のマグナージ家三男の僕こと、クレイスト・マグナージが直々に探してやったんだ! 礼の言葉一つないのかい?」
「……それ、いつも言ってるが、お前のお家自慢は挨拶代わりなのか?」
呆れながらコウは言う。少年――クレイスト・マグナージとコウは、約一年ほどの付き合いになるなのだが、彼と対峙すると二言目には先ほどの名乗りが行われるのだった。
コウはクレイストが家名について語るのを、二十を確認した辺りで数えるのをやめている。
ちなみにクレイストが言った三大貴族とは、ガルバシア王国において有力な三家の貴族を指す。
この三家の初代当主は、七五四年前に王国を建国した初代国王を支え抜いた人物達であるとされている。つまり、王国の歴史は三家の歴史でもあると言えた。
初代国王と初代当主達の代から続く関係により、王家と密接な関係を持っている三家は、他の貴族とは群を抜いて力を持っている。
それ故に三大貴族などと呼ばれているというわけだ。
「平民である君が大貴族の僕に対しての不敬な態度を改めたら、わざわざ言ったりしないよ!」
「え、この上なく敬った態度取ってるだろ? あと、何度もしつこく言ってる自覚あったんだな。流石、大貴族様」
コウは語尾を笑いで揺らす。その態度にクレイストは憤慨した。
「そう! その、人を小馬鹿にした態度! 君ねぇ、本来だったら大貴族である僕に、そんな風になめた事を言ったら、ただじゃ済まないんだよ!?」
クレイストはそう言うが、正確には彼の父が大貴族なのであって、彼自身はその子どもであるというだけだ。
よって、家督を継いでいるわけでもなく、地位を与えられているわけでもない彼自身は、人をどうこう出来るような強い権力など有していないのだ――――ないのだが、その子どもから親への告げ口を恐れる平民層の者達相手なら、クレイストを初めとしたやんちゃな貴族の子どもの脅し文句は、普通なら効果覿面なのである。
この場合、コウが特殊な例なのだ。
「なんでこんなのを友人にしているのか理解に苦しむよ。全く、君とこの平民に関係がなければ、僕が簡単にこんなやつ潰してやるのにねぇ」
クレイストはそう言うと相手を変えると、侮蔑と嘲笑を混ぜ、見下した態度でロンへ視線を向ける。
「……コウが潰されるところとか、想像出来ないっての」
しかし、それに対するロンの態度は気の抜けたものだった。クレイストの姿を見た時は苛立ちを隠さなかったロンだったが、コウのやり取りを見ていて落ち着きを取り戻したようである。不敵な笑みさえ浮かべている。
「ふん、ただの平民で、成績最下位であるクラーシスなんて、社会的にも肉体的にも簡単に潰せるさ。君という後ろ盾がなければね!」
忌々しげにクレイストはロンを睨み付ける。ロンはそれを受けても知らぬ顔で平然としたものだ。
「あの……」
そこに声が落とされる。
ロンと同じくクレイストが姿を見せた時に感情を動かし、不快そうにしていたアヤだ。
「何故、ロンなんかの存在がそこまで?」
アヤはクレイストを極力視界に入れないようにしながら聞いてくる。気になるのか、リーネも俯かせていた顔を少し上げているようだ。
リーネ達の存在に気づいていたのにも関わらず、あえて触れようとしなかったクレイストは、アヤの言葉を聞くと然も愉快そうに肩を震わせ始めた。
「"なんか"? くっ、ぷくくくくく! 君ぃ、クラーシスだけでなく、女にまでなめられているのかい?」
「はん! これはただの親愛の表れだし!」
ロンが言い訳のようにそう言うが誰も取り合わない。
堪える気もないくせに、口を押さえて笑うクレイストを、心底嫌そうにアヤは見てから、再び理由を目で問いかけてくる。
無言の問いかけを受けたコウは、しばらく考え、それから「あっ」と小さく声を上げた。
「ロン、お前さ、二人にフルネーム教えたか?」
「……あれ? そういえば、自己紹介した記憶ないね」
ロンも思い至ったようで、「これは失礼したなぁ」などと呟いている。
彼の言うとおり、思い返してみると四人は自己紹介などは行っていない。『事情に関しての干渉は極力避けること』それが暗黙の了解のようになっていた四人は、各の家柄や身分に触れようとしなかったのが理由である。
無理に訊ねなくても、同じ学園で生活する以上、自然と知るだろうと思ったのだ。
また、四人とも出会い方が――――ロンとアヤは違う意味で――――衝撃的だったので、自己紹介を忘れたというのもある。
四人とも会話の中で名前は知ったので、改めて自己紹介をしようと思う者もいなかったのも理由の一つだろう。
この時、一体名前にどんな意味があるのかを考えたリーネとアヤは思い出す。
そういえば、進級してから初めてのHRで、ミシェルが一度だけロンのフルネームを呼んでいたではないかと。
何と呼ばれていた? 確か――
「えっと、クレイストなんかもいる、こんなタイミングで名乗るのも変な感じだけど……。改めましてロン・スティニアです。よろしく」
「えっ?」
「はっ?」
リーネ、アヤと順に声を上げた。二人はまるでクレイストがいることなど忘れたように、素の状態でぽかんと口を広げ、それから信じられないものを見るような目をロンに向けた。
二人からの視線を受け、困ったようにロンが苦笑する。
「全く、少しは自覚して貰わないと困るよ? スティニアも僕と同じ三大貴族の子息なんだから。君がなめられていると僕もなめられるじゃないか」
「えー、別になめられてるわけじゃないしー」
「君がそう思っていても、周りからそう思われてるとは限らないだろう? 君はもっと威厳というものをだね……」
二人がそんなやり取りをしている横で、リーネとアヤは唖然とした様子でロンを見つめている。
三大貴族と言うように、マグナージ家には名実共に並ぶ二家が存在する。
その一つこそが、ロンの実家であるスティニア家なのだ。
女の子を追ってはコウに叩かれ、強引に迫ってはアヤに撃退される。そんな普段のロンの姿からは想像出来ないが、彼は間違いなく高貴な家柄の人物だった。
それをリーネとアヤは信じられないようである。
一度HRで名前が出たのに気づかなかったのは、あの場はミシェルによって張り詰めた空気がまき散らされていたので、ストレスにより話の一つ一つに重さがなかったからだろう。
故に、ロンの普段の印象も合わさって、二人の中でロンの家名という情報が残っていなかったようである。
「僕の家、武のマグナージ家と並ぶ、技のスティニア家の一員ならば、君はもう少し友人を選んだ方が良い」
そんな二人を余所に続けられていたロンとクレイストのやり取りは、何やら雲行きが怪しくなり始めているようだった。
何故なら、ロンの顔が剣呑なものに変わりつつあるからだ。
心の底から親切で言っていますという風に、大仰な態度でクレイストが言った言葉で、彼は再び感情が濁り初めているようだった。
「それは、どういうことだよ……?」
苛立ちを隠さないロン。クレイストがその様子を感じ取り、お茶を濁すという殊勝な態度を取る――――そんなことが出来ていれば、この後のことが起こることはなかっただろう。
「分からないかい? 平民だけならともかく、そこの売女までも身の回りに置いておいたら、周りから良くない噂が立ってしまうということだよ」
クレイストが侮蔑の笑みを浮かべて視線を送り、その視線を受けたリーネがビクリと身を硬直させたその瞬間だった。
アヤが瞬間的に加速し、クレイストに殴りかかった。
突然の事に誰も反応出来ないまま、彼女は元々あまりなかった距離を一瞬で縮めると、腕を大きく引いた。
肉と骨を打つくぐもった音が、教室内にいた者達の耳に届く。
殴られた少年は弾き飛ばされ、机や椅子に突っ込んだ。固定された机は動く事はなかったが、それでも少年と椅子とがぶつかり合い、まるで椅子たちの悲鳴であるかのように大きな音を連続して立てる。
そして、それらの音が止むと教室内には静寂が訪れた。一体何が起こったのか理解するのに時間を要したのだ。
椅子をなぎ倒して埋もれた少年と、少年を殴り飛ばした自らの拳の何度も見ながら、アヤは声を震わせた。
「な、ぜ……? コウ……殿!?」
文章にならないだろう言葉をこぼすアヤ。そう、今し方殴り飛ばされたのはコウだったのだ。
この事実に彼女は軽く混乱していた。
彼女の意識としてはクレイストを殴り飛ばしたはずなのに、腕が伸びきる前に衝撃を感じたと思えば、コウが吹き飛んでいたのだ。
わけが分からないという混乱の中、状況から考えて彼女はあることに気づく。
それはコウがクレイストを庇ったという事実。
リーネを売女呼ばわりした男を何故庇うのか? コウは自分たちの味方ではなかったのか?
そんな疑問が渦巻き、彼女から正常な思考を奪っていく。
「ッ!!」
「アヤ!」
「アヤちゃん!?」
ロンとリーネが止める間もなく、アヤは駆け出すと教室から出て行ってしまった。
彼女は「事情」のことで、コウと中々折り合いがつけられないでいたが、何とか歩み寄ってみようとしていた。
殴ってしまった申し訳なさもあるが、そんな矢先にコウから裏切られるようなことをされたと思い、彼女はどうしたら良いのか分からなくなってしまったのだ。
この場にいれば自分が何をするか予想も出来ない恐怖が、この場から逃げ出すという選択を彼女に与えたのだった。
彼女を追おうとしたロンとリーネだったが、派手な音を立てて倒れたコウを心配して動きを止めてしまう。
その迷った時間は、ほんの少しのものだった。しかし、全力で走り去る彼女を見失うには十分な時間であった。
「痛たた」
アヤが去ると同時にコウは椅子を押しのけながらむくりと立ち上がった。言葉とは裏腹に怪我をした様子もなく、難なく立ち上がる。
驚きから抜け出せない面々を尻目に、コウは普通に歩いて戻った。
そして、いきなりリーネに頭を下げる。
「ごめん」
「はい?」
これにはリーネも面食らったようで、目をパチパチと瞬かせている。
意味不明なコウの行動に対して、最初に声を投げかけたのは、アヤに殴られそうになって固まっていたクレイストだった。
「く、クラーシス、君はいったい何をしているのかな?」
「ん? ……謝罪?」
「それは見れば分かるよ! 何故いきなりその売女に頭を下げているのかを聞いているんだ!!」
あくまで間の抜けた調子で答えるコウに、クレイストは声を荒げる。
「いや、実はさっき俺、リーネの尻を触ろうとしたんだよ」
「ええ!?」
驚いた様子でリーネが後ろを隠すように押さえているが、今更それをやっても意味がない。
「君はいったい何を言って――」
予想外の返答にクレイストが困惑のまま口を開くが、それを遮るようにコウが静かに言った。
「いやー、しかし、それを止めるためとはいえ、アヤも殴ることないよな。しかも、殴ったのが乙女として恥ずかしかったのか、逃げ出してるし」
わざとらしく悄気たような様子で、がくりと肩を落とすコウ。それを聞いてコウの狙いに気づいたのだろう、クレイストは愕然とする。
「な、何を言ってるんだ! あの女は明らかに僕を殴り飛ばそうとしていただろう!?」
「え? そんなわけないだろ? 現に殴られたのは俺なんだし」
「それは君が僕を庇ったからだろう!」
憤りをぶつけるようにクレイストがそう言うと、コウは奇妙なことを聞いたとばかりに目を見開き、それからゲラゲラと笑う。
「俺が、お前を、庇う? 事あるごとに絡んできては、馬鹿にしてくるクレイスト様を、なんで俺が庇わなきゃいけないんだよ」
意味が分からないと目を白黒させていたロンとリーネだったが、『庇う』というフレーズを聞いて、リーネだけはコウが何をしたいのか理解したようだ。彼女は驚愕を顔に貼り付けてコウの事を凝視する。
小馬鹿にするかのようなコウの態度に、クレイストは声を更に荒げた。
「君の狙いには気づいているぞ! このマグナージ家の子息である僕に殴りかかったんだ! あの女には相応の罰を――」
「お前さ、アヤが動いた時、驚いて身体が硬直してたろ?」
コウの指摘にクレイストの身体が大きく揺れる。
「そ、そんなこと……」
「もしも、もしも仮に、だ。お前の言うように、アヤが殴りかかったのはお前だったとする。そうなると、さっきのお前は不味かったんじゃないか? なぁ、武のマグナージ家三男、クレイスト・マグナージ様?」
分かりやすいほどにクレイストが顔を青くした。コウが言わんとしていることを理解したのだ。
ガルバシア王国有数の貴族こと、三大貴族。
この三家は家ごとに特徴とも言える優れた力を有していた。
例えば、ロンの生家であるスティニア家は「技のスティニア家」と呼ばれるように、技術面において王国内で一番だと断言出来る程に秀でた力を持っている。
技術面に秀でていると言われても、ピンと来ないかもしれないが、簡潔に言って王国内において製作されるもののほとんどは、スティニア家が何らかの形で関わっていると言えば、その影響力は理解出来るだろうか。
様々な特産品や日常雑貨、医療用品、軍事関係と、細部にまで手が及んでいるスティニア家が倒れれば、王国は単に財政だけでなく、想像出来ないほどの痛手を負うことになるだろうと言われている。
そして、クレイストの生家であるマグナージ家は、王国において武を司る優れた武術家集団である。
優秀な騎士の家系として存在するこの家は、王国の武力を担っていると言っても過言ではない。
王国騎士達の育成も国王からマグナージ家に一任されており、武術を教える場として存在する修練院というものもマグナージ家は運営している。
ガルバシア王国で武術に秀でたものを集めれば、マグナージ家と何らかの縁を持つ者達が大半だろう。
強剛な武人となり得る人材を見つけ出し、鍛え、輩出する。それが三大貴族の一角、武のマグナージ家という存在だった。
そんなマグナージ家の子どもが、実力はともかく女に拳を振り上げられて、恐怖、或いは驚愕で身を固くしていたなどというのは、余りにも体面が悪いことだ。
少なくともコウによって、思考を誘導されたクレイストはそう考えた。
「あれは不意打ちだったからであって!」
「本当に強い奴は不意打ちなんて、ものともしないんじゃないか? あのマグナージ家のクレイスト様は言い訳するのか?」
「あの」という部分を強調するコウ。それはクレイストに絶大な効果を及ぼした。
「あ、ぐっぬ……!」
口をパクパクと開き、怒りと羞恥から顔を真っ赤にさせて呻くクレイスト。
彼の中で何かが破裂しそうになるその寸前で、コウは笑みを浮かべて見せる。
「と、まぁ、散々言ったけど、これはあくまで『アヤがクレイストに殴りかかっていたとしたら』という仮定だよな?」
確認するようにコウはクレイストに笑顔を向ける。
それは渡りに船とばかりのタイミングだった。クレイストは顔を赤くしたままガクガクと何度も頷く。
「そ、そうさ! 君が言うようにあの女は僕に殴りかかったわけではないからね。だから躱す必要もなかっただけだよ」
さっきと言っていることが真逆なのだが、この流れを意図して作ったコウには好都合である。
コウは笑みを深める。
「それじゃ、アヤの事を罰することもないよな? そもそもアヤはお前に何もしてないんだし」
「うっ! ……ま、まぁね」
短い葛藤を見せたクレイストだったが、それしかないと理解したのか、諦めたように肩を落として項垂れ、肯定するのだった。
「じゃあ、この話は終わりだな。ほら、二人は心置きなくアヤを探しに行きな。俺はクレイストの用事を聞いてるから」
流れるように進んでいく事の成り行きを、呆気に取られながら見ていたロンとリーネは、声をかけられてようやく我に返る。
邪魔だと言わんばかりに、しっしと手を振ってみせるコウだが、それはアヤを早く探してやれというのと、クレイストと相性の悪いロンと、何やら因縁のあるらしいリーネをこの場から遠ざけるというコウなりの気遣いであった。
「それでお前何しに来たんだよ」
「えぇと、そう、そうだった。落ちこぼれの君が一体どんな時間割を作ったのか気になったものでね」
「……つまり、また絡みに来たんだな。それでわざわざ探してたとか、お前やっぱり暇なだけじゃないか」
まるでリーネ達をいないものとするかのように、クレイストと会話をするコウだが、それはクレイストの意識がリーネ達に向かないようにするためである。
コウの意図を汲んだ二人は急ぎ足で出入り口へと向かった。
話を聞きながらコウは出て行く二人を少しだけ横目で見ると、教室を出る前にリーネが頭を下げていた。
それが謝罪なのか、それともお礼なのかを考えながら、コウはクレイストの話を『しょうもない』と思いながら適当に相槌を打つのだった。
2012/02/03 19:33
一部文章と誤字脱字を訂正致しました。
2012/09/09 00:07
一部文章と誤字脱字を訂正致しました。