第十話
始業式の日は授業がないので、HRが終われば放課後である。
HRの長さはそのクラスの担任教師によって決まる。担任が長々と話すタイプなら長引くし、ぱっぱっと連絡を済ませるタイプなら、他に比べるとぐっと短くなるというわけだ。
HRの進行方法は教師達の間で細かく決まっていないので、全ては担任教師の裁量によって決まるというわけである。
今日は何処のクラスもHRは早めに終わったようだ。
何故なら、全ての授業時間の終わりを告げる最後の鐘が鳴る前に、学園の至る所で待ち望んだ放課後を満喫する生徒達の姿が見受けられたからである。
生徒は自宅へと帰らないのか。そんな疑問が湧いてくるかもしれないが、それはクライニアス学園の特色の一つ、様々な地域から子どもがやってきているということが、疑問に対する答えとなるだろう。生徒は全員が寮住まいなのだ。
クライニアス学園は都市を構えるには、辺境とも言えるウィールス平原にある。生徒の全員が寮暮らしとなるのは必然であると言えた。学園の創立者、ゼウマン・クライニアスが過去に一度廃れた街を手に入れたのは、その狙いがあったとも言われているくらいである。
さて、初等部からの入学で生徒たちは、学園に約十年以上も暮らすことになる。当然、青春真っ盛りな時代を過ごすことになる少年、少女達にとって、学園という「勉強する空間」というのはどうしても窮屈であった。
いくら許可を得れば学園の外へ出られるといっても、面倒な手続きあったり、いざ外に出ても、ほぼ辺境の地と言っても良い位置に学園があるため、近くの街に行くにも数時間かかってしまうことなど珍しくない。
それではあまりにも学園生活が不便すぎる。そこで学園側が用意した答えは、学園内に街を作るというものだった。
正確には、生徒が必要としそうなものを取り扱う店を、学園の外にある街など様々な店の主人と交渉し、学園内に出張販売の形で店を設置したのである。
これによって学園側は生徒達からの不満を和らげることに成功し、店側も将来有望な子ども達に自分の店を紹介する機会を得たりと中々利益があったりする。
元々クライニアス学園となる前は街であったことから、土地は街を作るには問題のない程度には均されていたので、学園の案内図に店が増えていくのに時間はかからなかった。今では多彩な店が連なり、生徒達の学園生活を彩っている。
下手な街に行くより品揃えが良くなった学園では、ロンのカラクリ道具といった特殊なものでなければ、大抵のものが手に入るようになった。
そんな経緯で学園に集められた店の一つである喫茶店にコウ達はやってきていた。
コウ達が席に着くと静かにマスターがやってきてグラスを置いていく。中身は冷えた水だ。
この喫茶店のマスターは名前を誰も知られていないことで生徒達の間で知られている。分かることは見た目から、歳は初老を迎えた辺りであること、一つ一つの動作が洗礼されていること、髪の色は黒であること、そして物静かで寡黙なことである。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」以外の言葉を喋ることは滅多にない人物であるが、不思議と誰にも嫌われることはない。
迷いを抱えて入店すると、店を出る時には迷いが消えているという噂が密かにあったりする。
コウ達の机にグラスを置き終えたマスターは、いつも通り言葉を発することなく一礼すると、カウンターの中に入っていく。そこが彼の定位置なのだ。
何も言わずに去っていったマスターを無礼だと思う者などやはり誰もいない。
コウはグラスを手に取り口元で傾けながら店内を観察する。
店内は豪華絢爛とは真逆な感じで、質素な品々で構成されている。派手さはないが壁に掛けられた古時計、模様のない艶のある白い花瓶、木製の机や椅子、壁や天井など、全てに統一感があり、視覚的に騒がしさのない空間はとても落ち着ける。
お昼に近いこの時間帯、大体の生徒達は食堂や購買などに向かうので、主に飲み物を楽しむ喫茶店では、今のところ生徒の姿はそれほど多くない。しかし、この店にはサンドイッチやパフェといった軽食もあるので、次第に席も埋まっていくことだろう。
「コウ殿、あなたは何者ですか?」
遠慮など微塵もなく、前触れもなしにアヤが単刀直入に問い質してきた。コウはゆっくりと視線を、まずは前に座るリーネに移す。
現在、四人が座るには丁度良い大きさの長方形の机には、コウの対面にリーネ、その隣にアヤ。そしてコウの横にロンが座っている。
コウが見るとリーネは小さく首を振った。どうやらコウが魔物を倒したことを、秘密にして欲しいという約束は守られているようである。
コウは彼女の律儀さを好ましく思いながら、それを表情に出さずに視線をアヤの方へ移した。アヤは見るもの全てを見逃さないとばかりに、真剣な表情でコウを見つめている。その為、リーネが首を振ったことには、気づかなかったようである。
そんな二人とは対照的に、ロンは食い入るようにメニューを見ていた。それを横目に見て呆れながら、コウはアヤに言葉を返す。
「何者かと問われれば名前はコウ・クラーシス。職業は学生、年齢は十七歳で趣味は寝ること。特技は何処でも寝られること、どんな状態でも決めた時間に起きられること。あと何か聞きたいことあるか?」
アヤが目に見えて苛立った。それが彼女の聞きたいこととは、見当違いなことであると理解した上でコウは言ったので、ある意味当然の結果である。
苛立ちを隠せないでいる彼女を見てコウは思う。
(若者らしいというべきか、青いというか、なんというか……)
コウが周りに感づかれないようにロンを投げたのを見て、彼女は初見でコウの実力に気づきかけている。
武術において彼女が秀でているであろうことを、コウはそれだけで察していた。しかし、簡単な挑発に乗ってしまう辺り、精神面がまだまだ未熟なのかも知れない。コウは暫定的な評価をそうつけた。
完全な評価としないのは、彼女が演技をしている可能性がなくはないからだ。コウは油断しない。可能性が僅かでも残っているのなら、コウにとってそれは考慮すべき案件であるからだ。
苛立ちを消さないまま、彼女は口を開く。
「ふざけないで下さい! 私は真面目に聞いているんです!!」
言いながらアヤは机を震わせた。置かれたグラスの中の水が揺れるのを、コウは視界の隅に収めながら何も言わずに彼女を見返し続ける。
リーネが慌てて彼女の腕を掴み、落ち着くように言っているがそれでも彼女は止まらない。
「あなたの見せた動きはただの学生、しかも、成績最下位と呼ばれている人物には不可能なものでした!」
「……一応聞くが、見間違いという線は考えられないか?」
彼女の責め立てるような言い様に、ほぼ無駄だろうと思いながらもコウは聞く。帰って来た言葉は、コウにとって残念ながら予想通りのものであった。
「私は自分が見たものを信じます! 間違いなくコウ殿はただ者ではありません!」
滅茶苦茶な論理である。こういった手合いを説き伏せることは難しい、というか面倒であることをコウは知っていた。
そこまで考えるてコウは心の中でそっと溜め息をつく。親の敵を見るような目でコウを見ているのに、未だに「殿」の敬称で呼ぶのは何故だろうと思いながら、コウはリーネをちらりと見た。
最初はアヤを止めようとしていたリーネだったが、コウの学園の評価と本来の実力との差異は気になっているのだろう。腕は掴んだままではあるが、それ以上は止めようとする気配がない。
さて、どうしたものかとコウは考えようとしたその時だった。三人が作り出す雰囲気をぶち壊すかのように、ロンが満面の笑みで高らかに言った。
「よし、決めた。コウ、俺は昼限定日替わりサンドとデザートにマスターの気まぐれパフェな!」
真剣なやり取りが行われている場にいるとは思えない、驚きの空気の読めなさである。
どうやらコウの奢りということで、かなり集中してメニューを見ていたので、三人の会話など全く耳に入っていなかったようである。
コウは相変わらず謎の集中力だと苦笑してしまう。
「あれ、三人ともどうかしたの?」
呆れや戸惑い、失望など三者三様な視線を受け、ロンは心当たりがないと心底不思議そうに首を傾げている。
コウは気が抜けたように息を吐くと、メニューを持ち上げてリーネとアヤに見せる。それに対して片方は力なく、もう片方は勢いよく首を振った。
コウはその反応を確認してから、マスターの方をちらりと見る。マスターはそれだけで察すると、落ち着いた動作でコウ達の元へと来るのだった。
コウが注文するとマスターは手元の紙に素早く何かを書き上げると、また静かに礼だけしてカウンターの方へと向かって行った。
どうやらこの時間帯は彼だけで店のやりくりをしているようである。
「お前は奢りとか無料とかになると、貴族とは思えない程に見苦しくなるよな」
「見苦しいって言うなし……仕方ないだろう、世の中に新しい技術がどんどん生まれているんだから」
ロンが注文したのは、この喫茶店で一、二を争う値段と人気を誇るサンドイッチとデザートである。
貴族の子どもなら、さぞ懐は温かいのだろうと、誰もが思うかも知れない。しかし、ロンの場合は家の方針で、生活に必要なレベルでの仕送りしかない。もちろん、仕送りが貰えるだけでも十分に有り難い話ではあるが。
「お前は変なガラクタに金を投げ捨ててしまうから……」
「だから、あれはガラクタではないと、何度言えば分かってもらえるかな?」
そんな二人のやりとりは、震えるアヤの目の前で行われている。
「好い加減にして下さい!!」
話の途中で放置された上に、関係ない話を続けられたのだ。アヤが震えていた理由は言うまでもない。
アヤは屹度ロンを睨み付ける。話がそれた原因は彼であると認識しているようだ。
「えっ、な、何? なんで俺、睨まれてんの!?」
メニュー選びに意識を深く傾けていたロンは、そもそもコウ達の話を聞いてすらいなかったのだ。彼女が怒る理由など見当も付かないのだろう。
そんな彼の様子で更に腹が立ってしまったのか、アヤは険しい表情で彼を一睨みする。
次に彼女は食い入るような目つきでコウへと目線を移した。その瞬間、彼女が荒々しい様子で、何か言おうとするのを察したコウは僅かに眼を細める。彼女はそれに気づくことなく捲し立て始めた。
「昨日のドリークの件だって後から聞いた話では、ドリークたちは何者かに操られていたのでしょう? それなのにただ逃げるだけで何とかなったなんて、運が良すぎるとは思っていたんです! 本当はコウ殿がなんとかしたのではないのですか!?」
言われてコウはリーネを見る。彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。それを見てコウは仕方がないな、とばかりに首を振った。
アヤの言動やリーネの側にいる時の様子を見た感じ、アヤはどうやら彼女を護衛していると思える節がある。
恐らく、リーネは確かにコウがドリークを倒したという事実を、秘密にする約束を守ったのだろう。しかし、アヤが護衛をしているとすれば、襲われたこと自体やその概要を話さないわけにはいかなかないはずだ。
アヤの考えの道筋は、強引の一言に尽きる。だが、偶然か必然か、乱暴とも言える推論は謎を力ずくで黙らせ、真実へと辿り着かせていた。
「アヤ」
ここでリーネが掴んでいたアヤの腕を引いた。
「止めないでください、お嬢さ、ま……?」
アヤはリーネが自分をなだめようとしていると思ったのだろう。しかし、アヤの怒りは収まらず、それでも食ってかかろうとしたが、彼女は途中でリーネがなだめようとしているわけではないことに気がついた。
リーネの様子は何かに驚くようであり、何かを知らせようとする感じだったのだ。
「どうされました?」
アヤは呆然とするリーネの視線の先を辿った。
視線の先にあるのは喫茶店特有の物静かで落ち着く雰囲気。それを楽しみながら、思い思いに自分の時間を過ごす生徒達の姿が見える。
そんな光景を見て驚いている様子のリーネに、アヤは首を傾げそうになるが、寸前でその意味に気がついたようだ。
アヤはついさっきまで散々騒いだ。それにも拘わらず、生徒達はそのことに気づいていないかのように、日常的な姿を見せていたのだ。
「……まさか!?」
アヤは立ち上がりながら、驚きを大声として表に出した。それでも周りの生徒達は何の反応も示さない。
普通、静かな喫茶店で騒いでいる者がいれば、悪い意味で注目を集めるものである。煩わしく思いながらも、意図的に無視する者もいるかもしれないが、大きな声を出しながら立ち上がって見せたアヤに、誰一人として反応しないのは絶対におかしい。
この不可解な現象の原因を考えるのに、リーネとアヤの元には何の判断材料はなかっただろう。しかし、二人は真っ先にコウのことを見てきた。
コウがやったという根拠は二人にないはずだ。それなのに二人は何故かコウがやった思ったようである。
恐らく、リーネは実際に見たコウ強さへの信頼から、アヤは実力未知数という情報から、導き出された結果なのだろう。
「意外と周りに対する配慮が足りないんだな」
二人に「どうなのか」という目での問いかけに、コウは苦笑しながらそう返す。
どちらに言ったのか分からないこの発言に、リーネは感謝と謝罪の意味を込めて軽く頭を下げ、そしてアヤは顔を歪めた。
何故か、コウの事を心底信頼してしまっているリーネはともかく、アヤはコウという存在に警戒心を強く抱いているようだ。
静かにするべき場所で騒いだのにも関わらず、誰からも注目されていない。
それは恐らく対象に向けられる意識を逸らす魔術である『認識阻害』によるものだろう。しかも、かなり高度なものである。現象が魔術によって成されたことは簡単に分かることだ。
アヤにとってコウを警戒する理由は、それを二人、特にある程度警戒心を持っていたアヤに、気づかせることなくやってのけたことだろう。
普通、魔術を使えば「魔光」と呼ばれる光が生じる。それは生物の体内に存在する生体エネルギー「魔力」と大気に溶け込むように存在する自然エネルギー「マナ」が、混ざり合った際に起こる現象だとされている。
この魔光と呼ぶ現象、害はないがとにかく目立つ。
使用した魔力が少なければ、魔光の放つ光も弱くはなるが、少ない魔力で魔術を展開しても、目の前であれば気づく程度は絶対に光を発してしまうのだ。
故に、悟らせることなく『認識阻害』を展開したコウは、明らかに異常であると言えた。
「お互いにさ、いろいろと周りに騒がれたくない理由があるんじゃないか?」
苦笑混じりにそう言ってから、コウはグラスを持ち上げて中の水を口にする。
コウが言ったことを頭の中で反芻させたのか、アヤはばつが悪そうに押し黙った。確かにあまり聞かれたくない内容だと思ったようである。
「コウは何故お互いだと思ったのですか?」
驚きから抜け出したリーネが聞いてくる。
アヤの話した内容は、力を隠すコウにとって、確かに周りには聞かれたくないことだった。しかし、リーネの方は騒ぎになるとは言ってきていない。
「……そうだな、まだ確信があったわけじゃないんだけどな」
そう前置きを述べてから、コウは何故そう考えたことを説明する。
一つ目の理由として、リーネがドリークの群れに襲われた際に、その格好が制服ではなかったこと。
学園外で制服を着ていれば、メリットは多く、逆にデメリットは学園の生徒だと一目瞭然な程度である。それでも制服を着なかったということは、何か理由があることが考えられた。
二つ目の理由として、ドリークの群れがリーネを襲ったのは、何者かの手によって行なわれたのだとコウは指摘した。その際、リーネは自分が狙われていたのにも関わらず、動揺もなく、まるで知っていたかのように落ち着き払っていた。
襲われたこと自体をリーネ達の自作自演だとは思わないが、少なくとも襲わせてきた相手に、何かしらの心当たりがあるのだとコウは考えていた。
そして最後の理由。
「この学園でアヤみたいに警戒心を露わにしていること自体が、特別に気をつけなくてはならない何かがあります、と宣伝してるようなもんだしな」
「それは……」
言葉の意味を理解したのだろう。アヤは唇を噛み締めるように口を噤んだ。
少し話が逸れるが、クライニアス学園には様々な曰く付きの品が集められている。
それは王国で禁書指定となった魔術書だったり、強力過ぎるが故に封印指定となった魔導具だったりする。
何故、生徒が通う学園に曰く付きのものが集まるのか。
その大きな理由として、学園にはゼウマン・クライニアスの直属として組織され、彼自らが鍛え上げた警備部隊が存在するからである。
偉大な騎士と呼ばれた男が直接鍛えた警備部隊。それは王国騎士よりも人気、知名度が高いと言われる程で、その実力は計り知れないと言われている。
一説では、王国騎士団と学園の警備部隊が同数でぶつかりあったら、まず王国騎士は勝つことが出来ないとまで言われている。
学園内外で何かあれば、この頼もしい彼らが動くというわけである。
元々、生徒の安全を守るために組織された警備部隊の実力が、各方面に買われた結果、外敵に対して王国内で一番安全な場所が学園だとされるようになったのだ。それで様々な曰く付きの品が、集まることと成ったわけである。
そして話を戻すと、以上の理由から、学園内の安全は最高の警備によって保証されているので、ただの生徒なら警戒などしないはずなのである。
理由を聞かされたアヤは悔しげだ。言われて初めて気がついたのかもしれない。
それは未熟だからなのか、それとも気づけないほどに余裕がなかったのか。この時点でコウには判断がつかなかった。
「まぁ、そもそも喫茶店で騒ぐこと自体が良くないからな」
その言葉が説明の終わりだとばかりに、コウは掴んだままだったグラスを勢いよく呷って、中身を全て飲み干す。冷たかった水はすでにぬるくなっていた。
「コウには驚かされてばかりです」
コウの洞察力にリーネはその一言しかないと言った様子だ。感嘆の言葉を漏らした後、彼女は同意を求めるようにアヤを見た。
「…………」
「アヤ?」
アヤの様子がおかしかった。彼女はまるで親の敵を見るかのようにコウを凝視しているのだ。
実を言うと対面に座るコウは、そのことに幾分も前から気がついていたが、あえて気づかない振りをしていた。
「コウ殿、貴方は、何者ですか……?」
何故なら、アヤが今にも飛びかからんばかりの体勢だったからだ。立ったままだった彼女は重心を僅かに落とし、左足を後ろに下げた状態である。
どうやらコウの説明を聞いたことで、見え隠れしていた警戒心を、ついにさらけ出すのに至ったようだ。
「アヤ、どうしたの!?」
リーネが不安げにアヤの注意を引こうとするが、すでに臨戦態勢を整えた彼女は、それに答えることなくコウを見据えている。
「お前が何を想像したか当ててみようか?」
答えないアヤの代わりにとばかりに、コウはそう言った。その様子は普段と何ら変わらず、この場では不自然な程に落ち着いていた。
アヤが目で先を促してきたので、コウはそれを素直に受ける。
「油断できないリーネを狙う存在。そんなのを抱えている時に、実力を隠してリーネの前に現れた俺。暗殺には打ってつけな、謎の魔術展開技術を持っている。護衛をする身で、この三つを結びつけて簡略に考えれば――俺が刺客ではないかという結論に至ったんじゃないか?」
アヤと初めてあった時、彼女はここまでコウのことを警戒しておらず、リーネを助けたことに対する感謝する気持ちだけを持っていたように見えた。しかし、その反面、コウのことを歓迎するような態度は見せていない。
「殿」などと敬称こそつけて名前を呼ぶが、一歩距離を置いた姿勢を保ち、常にコウのことを観察していたような節すらある。
安全な学園で周りを警戒するような少女である。一度助けたくらいで、相手を信用することはないのだろう。それはある意味で当然だと言えるし、人に騙されないようにするには必要な心構えだと思える。だがそれは、十代の少女が持ちうるに相応しいものだと、果たして言えるだろうか。何が彼女をそこまでさせるのか、コウは気になっていた。
コウの推論を聞いても、アヤは何も答えない。しかし、ここでその沈黙は肯定を意味していた。
彼女の考えを知ったリーネは驚いた様子である。コウのことを疑うという発想すらないようだ。
「アヤ、コウはそんな人じゃないわ!」
リーネは慌ててコウを擁護する言葉を口にするが、それでもアヤの表情は和らぐことはなく、むしろ険しさは増してしまった。
「お嬢様とコウ……殿は会って間もないのですよね? 何故、奴から送られてきた者ではないと言い切れるのですか!?」
リーネが息を飲む。その様子から動揺が見て取れた。しかし、それはコウも不思議に思っていることである。
確かにコウはリーネを助けた。が、それだけではコウの正体不明という情報を、押しのけてまで多大な信頼を寄せる理由にはならないだろう。
故にコウも理由を知りたく思っていた。
「それは……」
アヤの問いかけに対して、リーネは言葉を詰まらせた。
「根拠はないのですね?」
「ちが……!」
否定の言葉をリーネは言おうとする。けれども、それは最後まで発せられず、意味のある音にはならなかった。
リーネも頭では理解しているようだ。コウの謎に関して、現状ではアヤの考え出した結論が間違いではないことを。しかし、それを分かっていても、コウのことを警戒すべき相手だとリーネは思うことが出来ないようだ。
アヤは反論を出来ないリーネを見て、勝ち誇るでもなく、怒りを露わにするでもなく、悲しみの表情で見つめた。
そうしてから、次にアヤはコウのことを見てくる。そこにはやはり敵意を隠さない警戒心があった。間をたっぷりと置いてから、彼女は重々しく口を開く。
「そろそろ観念した方が良いのではないですか?」
「観念? 俺に一体何を諦める覚悟をしろと?」
対するコウは何処までも軽い。まるで、日常会話を繰り広げているかのようである。
そんな惚けたような態度には慣れて来たのか、アヤは同じ調子で重ねる。
「誤魔化そうとしても無駄ですよ。好い加減にしないと、こちらも相応の対応をしてもいいのですよ?」
後半の言葉には重々しさが更に強められていた。その様子から考えて、対応というのは明らかに穏やかな方法ではないのだろう。
アヤの言うことの意味に気づいたのか、リーネは悲しみと怒りでぐちゃぐちゃにする複雑な顔で、止めようと何か言おうとした。
「それ相応の対応、ね……」
しかし、リーネが何か言う前にコウがそう呟いた。
この時、リーネの目はコウへ向き、そして釘付けとなっていた。
コウは喫茶店に入り、ここの席に座った時から居住まいは何ら変わりない。リーネとアヤに向けられる目、軽く結ばれた口、普通の時と変わらない眉の角度。表情を窺う時に真っ先に目の付く部分は、全て普段と変わりない。
そのはずなのにリーネは「何か」が変わったように思えてならなかった。リーネが「何か」を悟る前に、それに気づかなかったアヤが言葉を返してしまう。
「ええ、そうです。ですから、力を隠す理由とその正体を私たちに――――」
「好きにしろ」
アヤが言い切る前にコウは言葉を割り込ませる。その声音はさっきまでと変わりないのに、耳の奥に重く響かせる。
「え?」
何を言われたのか分からないという風にアヤが言葉を漏らす。コウの何かが変わったことを気づかないまま、彼女はすでに呑まれていた。
コウは先ほどと変わらない語気で、再び口を開く。
「だから、好きにしろよ」
コウは言ってから大げさに首を振ってみせる。
それはまるで呆れたと言わんばかりの姿だろう。思わずむっとした様子のアヤは何か言おうとする。
――――しかし、コウは言わせない。
「確かに俺は学園で低い評価を狙って得ている。それは認めよう」
コウはその点に関して、否定するつもりがないので素直に認めた。
突拍子もない理論ながら、アヤは偶然にも真相に辿り着いている。故に、誤魔化しても良い結果は得られないだろうと判断したのだ。
頷いてから、コウは「だけど」と続ける。
「それで? もしも、その理由を喋らなかったら、お前は俺をどうするんだ?」
「そ、それは、警備の方々に……」
「どう話す?」
アヤは口を閉じる。閉じるしかなかったのだ。
仮に、コウに実力を隠しているなど怪しい点があると、警備部隊の方に伝えるとしよう。その事実だけ、つまり隠している事だけを伝えれば、その情報に信憑性はあると思われないだろう。いきなり話しても陳情のすべなく一蹴されて終わりである。
では、どういった場面で隠していることを知ったか、説明するのはどうだろうか。そうなると、リーネがドリークに襲われたことなどを言わなければならない。
けれども、それはアヤにとって選べない選択肢なのだ。
「お前、リーネが襲われたことを学園に伝えてないだろ」
「ッ!?」
ちょうど選べない理由を考えていたのだろう。分かりやすいほどにアヤの顔が驚愕の色に染まった。
「なんで知っているんだって顔をしてるな。だが、その理由は教えない」
そう言い切ることで威圧感を与える。
まるでそのことを知るための手段が――――警備部隊等の存在と繋がっているかのように臭わせるが、実際は生徒が襲われたという大事なのに、学園で動きが全くなかったので、気をつけておけば簡単に分かることだったりした。
そうだと気づかせないために、コウは不敵に笑って見せる。そこに侮蔑さえ含まれているかのように。
アヤは何か言おうとするが、それを制するようにコウは言葉を続けてしまう。
「改めて言うが、お前がどうしようと俺は止めないぞ。好きにしろよ」
「くっ……!」
アヤからすれば、コウの言うことは確かに正しかった。警備部隊に伝えることはあまり良策とは言い難い。
そもそもコウが怪しい人物であると、証拠として提出できるものは一つもない。あくまで憶測で話していることは、彼女自身よく分かっているはずだ。しかし、コウの誰に対してもふてぶてしい態度、恐るべき頭の切れは、どう考えても調査すべき対象だと思うのだろう。
もしも物的証拠があれば、匿名の情報提供者として警備部隊に伝えることが出来るが、それは無い物ねだりに他ならない。
では、アヤが自らこの場でコウを取り押さえればいいか。それこそあり得ないだろう。
現状から鑑みれば、コウは相手に気取られることなく魔術を展開出来るのだ。そんな相手に策もなく挑めば、初級の攻撃魔術ですら、やられてしまうかもしれない。
騒いで戦いを起こせば、コウの戦闘能力をこの場にいる生徒達に広めることが出来るが、それと同時にリーネとアヤも目立つ事になる。それは彼女からすれば、避けるべきことのはずだった。
手詰まりになったのか、アヤは悔しげに口を閉ざす。そんな彼女にコウはなるべく優しく諭すような声で語りかける。
「別にお前を責めようと思っているわけじゃないんだ。ただ、お互いに事情があるのなら、それを尊重出来ないか?」
「……それでも、コウ殿が怪しい人物だということに変わりはないのですが?」
「そこはまぁ、とりあえず信用するって感じで」
胡散臭いことこの上なかった。しかし、そんな態度にアヤは毒気を抜かれたのか、ある程度は落ち着きを取り戻したようである。微妙に警戒した様子は残しているが、それでも静かに椅子へ腰掛けた。
「それじゃあ、始めるか」
コウは唐突にそう言った。
何を言い出すのか予想出来ないのか、コウを除く三人が顔を見合わせている。それに対して答えるようにコウは先を続けた。
「やっと落ち着いたところで、話を始めようぜ」
ようやく合点いったリーネとアヤは理解の色を見せ、ロンはまだ分からないと言うように首を傾げている。ロンには直接には関係のないことでだったので、コウは放っておくことにした。
「俺が学園で成績最下位のレッテルを望んで貼り付けている理由は答えられない。ここは理解してくれ」
その言葉にリーネは即座に頷いて見せ、アヤは本心で納得出来なかったようだが、それでもとりあえず今だけでもと、無理矢理自分を納得させたのかゆっくりと頷いた。
「俺はとある人物の依頼によって学園にいる。レッテル云々は指示の一つだ」
ぴくりとアヤが反応した。恐らく先ほどの推測に繋がると思ったのだろう。しかし、それでも特に何か言うことはなかった。とりあえず話を最後まで聞くことにしたようである。
「依頼人の詳細は言えないし、当然、依頼のことも余り言えない」
聞けば聞くほどに疑念を抱かせる話である。コウはそれを承知でこう続ける。
「話せることはないに等しいが、少なくともお前らの敵ではないつもりだ。そこは信じて欲しい」
二人を見つめるコウの目は真剣そのものである。人が人を騙す世の中だ。真剣な目をした者が言うことは全て偽りのない言葉であるなどと、そんな風には言い切ることは絶対に出来ない。そのはずなのにコウの目を見たアヤは、表情に迷いのようなものを見せた。
それを確認してから、コウはそれ以上言葉を飾らずに、いつもの何の気負いのなさそうな雰囲気に戻る。
「本来ならここで質問を受けたりするものなんだろうが、聞きたいことを喋らないって言ってるから質問なんか出来ないよな」
コウが話したことはとても中途半端で、話した内容はアヤが考える「リーネを狙う者説」を後押しした。リーネはコウに信頼を寄せているようだが、実力を隠していることに関しては、知りたい気持ちがあるようで、話を聞いて困ったような顔をしている。アヤも話を聞いてどうするべきか感情的な整理がつかないでいるようだ。
そんな二人を見て、コウは苦笑を浮かべた。自分でも怪しいことも理解しているし、リーネが、そしてアヤが困るであろうことも分かってはいるのだ。
それでも何故か言ってしまったのである。
(俺も何がしたいのやら)
迷う二人に、沈黙を保つロン。そして、自身の行動に戸惑うコウ。
このままでは話が広がらないので、話第転換の方向性としてコウは内心気を引き締めながら、気になっていたことを切り出すことにする。
「とりあえず質問とかは後回しにしてもらうとして、こっちも聞いておきたいことがある」
ともかく話を進めようというコウの考えが伝わったのか、二人は特に異議を唱えることなく、何だろうかと聞く様子を見せた。
「お前ら二人にはどんな事情があるんだ?」
不意打ち気味な問いかけに、リーネは感情の動きを全く表に出す事はなかった。不思議そうに首を傾げている。しかし、リーネと初めて出会った時の様子から考えて、コウはそれを予想していた。
故に、コウが二人の反応を見る時に、重きを置いたのはアヤの方だ。先ほどまでの会話から、アヤが感情の制御が未熟であることをコウは見抜いている。
「…………」
一見、動揺などないように、真面目な表情を浮かべているアヤ。しかし、ここでそれは仇となってしまう。
コウは自分の顔が笑みを作ることを止めなかった。決して馬鹿にしたわけではない。ただ、嘘をつけない実直なアヤのことを微笑ましく思えてならなかったのだ。
コウが突然笑みを浮かべたことに気づいたリーネは、疑問に思ってその謎を解明すべく、コウの視線の先を辿っていく。
そしてアヤの様子を確認すると、リーネは困ったような感じで苦笑を浮かべた。
「な、なんですか?」
二人からいきなりそんな表情で見られ、当然困惑するアヤ。
これが仮にコウだけが向けているなら、何なのだと問い詰めるところなのだろう。しかし、リーネまで同種の笑みで見て来るので、そういうわけにもいかず、ただ困るしかないようである。
「いや、な、お前は実に分かりやすいなと」
コウは笑いながらそう言い、アヤが何か言う前にどうしてか理由を簡潔に述べる。
先ほどのコウの問いかけ。もしも隠し事などなかったら、不意打ち気味に放たれたその問いかけに、戸惑うか、不思議そうにするかである。そういった意味でリーネはある意味正しい反応だった。
対して、先のコウの事情に関する話で困惑していたはずのアヤは、問いかけの直後に真面目な表情を浮かべていた。
これは内心の動揺を隠そうとしたアヤの行動だと思われるが、それが逆に、何か隠していると物語ることになってしまったのである。
説明を聞き、自分の行動が裏目に出てしまったことを知ったアヤは恥ずかしそうに俯いた。コウとしては嘘のつけないところは好意的に思えるのだが、駆け引きにおいては致命的なところである。
これ以上アヤの話を続ければ、彼女の自尊心傷つけることになると判断したコウは、速やかに会話を主軸に戻す。
「まぁ、それはまたの機会に話すとして、それで、どうなんだ?」
降って湧いたような和やかな空気が広がる前に、コウが話の流れを修正したので、真剣な表情を作るのはそんなに苦ではなかった。
リーネは今回の話において、もう一つの核心に触れられたことで、緊張した面持ちである。
「私の方の事情は、コウと同じようにお話出来ません」
「それは俺が言わないから……なんて幼稚な理由じゃなさそうだな。どうしてだ?」
少し考える素振りを見せてから、リーネはコウの目を見て真っ直ぐ見つめてくる。
「話してしまうと深く巻き込んでしまうことになるからです」
「深く巻き込む」という表現に引っかかりを覚えながらも、コウは納得の意を伝える。
「なるほど、それで話せないと」
この反応にリーネの方が驚いた様子を見せた。まさか、これで納得されるとは思わなかったのだろう。驚きには拍子抜けという感じすら見える。
コウとしては自分が無茶苦茶ことを言っている手前、あまり追求する気はないだけなのである。
「それじゃあ、誰に狙われているかも話せないのか」
コウの言った何気ないこの一言に、リーネは僅かに動きを止めた。そして確かめるように、コウに言うのだった。
「残念ながら私達も相手のことは分からな――――」
「確か、『何故、奴から送られてきた者ではないと言い切れるのですか』だったか?」
「……やっぱり、そこは聞き逃してくれていませんでしたか」
それは先ほど、コウへの疑惑から、激昂したアヤが漏らした言葉だった。
アヤの言葉は明らかに相手を知っている口ぶりである。これを言った時、リーネが流石に動揺したこともコウは見逃していなかった。
「回りくどいことはなしにしないか? 別に言えなかったら言わないでいいからさ」
「……そう、ですね。すみません、変に誤魔化そうとしてしまって」
頭を下げるリーネの横で、アヤが縮こまっている。またもや自分の失敗が発覚したからだろう。そんな二人にコウは朗らかに答える。
「別にいいさ。さっきのもまた、深く巻き込まないように、ってやつだろ? それと、誤魔化そうとしたということは、分かっているが話せないんだよな?」
そこまで見抜いたと伝えると、リーネは自分の行いが稚拙に思えたのか、恥じから顔を俯かせてしまう。これでコウの前に座る二人共が顔を俯かせていることになった。
少女二人を俯かせるやつ。今は認識阻害で周りから注目を集めることがないとはいえ、これは客観的に見てどう見えるのだろうかと、コウはそう思いながら、やや強引ではあるが話をまとめることにする。
「ともかく、これでお互いの事情のこと……まぁ、内容は全然だったが、話し終えたよな?」
ここで後回しになっていた質問などをするべきなのだろうが、お互いにほとんど黙秘することを宣言してしまっている。
お互いの事情がどういったものなのか。それを朧気ながら見えただけでも、今回はそれでよしとするしかないようだ。
リーネもそう考えたのか、苦笑を浮かべながら頷いた。その隣のアヤは深い追求をしたそうにしている。しかし、彼女達も自分達のことを話せないのだ。それで追及というのは虫がよすぎる話だろう。
そして何より、リーネが頷いて見せたのを決め手として、アヤは強引に自分を納得させたのか、リーネに続いて頷いた。
コウはそれを見届けると、微笑を浮かべ、小さな虫を払うように手を振る。その動作をした後にマスターがやって来て、注文していた品を机に置くと、静かに礼をして去っていった。
そのことから、先ほどの動作で認識阻害を解いたことが窺えるだろう。
「タイミングが丁度よくて助かったな」
一仕事を終えた後のようにコウは息をついた。
「タイミング? 助かった?」
険悪なムードが過ぎ去ったのを感じたのか、ロンがおずおずとした様子で会話に参加してくる。
「あのままだとマスターが俺らのことを認識出来なくて、俺達は注文したのに黙って何処かに行った客になるところだったんだよ」
「……そんなまさか」
リーネがぼんやりと呟く。
普通なら『認識阻害』は向けられる意識を逸らす、気配を希薄にする程度の魔術である。なので、対象を肉眼で見てしまえば、そこで展開した魔術は無意味となるのだ。
超高度な展開を行えば肉眼で見ても認識出来ない、つまり透明人間のようになれると、確かに認識阻害を説明する書にはあるのだが、それは最早眉唾物、都市伝説のような話であった。しかし、よくよく考えればアヤが大きな声を出した時も、普通レベルの『認識阻害』であれば、魔術が解ける切っ掛けになるはずだったのに解けていなかった。
「コウは規格外、です……」
リーネは呆然とした様子だ。そんな彼女にコウは照れ隠しのように言う。
「まぁ、条件による上に、他の仕事と片手間じゃなく、マスターが本気で探してたら話は違うんだけどな。あと、流石に魔術で探られれば、そこまでのレベルじゃなくなるし」
目の前に置かれたブラックコーヒーを啜りながら、コウは何てこともないように言う。無理のない自然な態度が、逆にコウの実力を裏づけているようである。
「重要なことを決めるか」
突然そう言ってからコウは間を置く。リーネとアヤを見比べるように見るためだ。二人とも根本で意味合いは違うのであろうが、緊張しているという点では同じであった。
それをコウは見届けた上で口を開く。
「互いに事情があることを知った上で、これからも関わり合うことを続けていくか?」
コウはどちらでも良いという風に、ある意味冷たく突き放すような言い方をした。
事実、コウはここでリーネ達が拒絶したら、遺恨なく関係をなしにしようと考えていたのだ。
二人がどんな判断をするのか、コウはそれをただ待つことにする。
「コウは……」
リーネが静かに言葉を吐き出す。確かめるように、窺うように――――そして、同じく突き放すように。
「どうしてこうやってチャンスを与えてくれるのですか? コウは私たちが何か事情を……しかも、魔物に襲われるような厄介なものを、抱えていると分かっているのですよね?」
これからもリーネ達に関わっていくということは、また魔物に襲われるような危険に、晒されるであろうことは想像に難くない。
それでもコウが何故そう言うのか。リーネは気がついているのだろう。
自分たちがどんな答えを出そうとも、コウがそれを受け入れることを。それが縁を切ることであろうとも、厄介ごとに巻き込むことだとしても。
「それを言ったら俺だって、もしかしたら厄介ごとを抱えているかも知れないじゃないか」
「でも、コウは私たちに選ぶ権利を与えてくれました。それって、コウの方は受け入れてくれるということですよね?」
今の状況だけを考えれば、はっきり言って、リーネ達と関わることで、コウにはあまりメリットはない。むしろ、デメリットしかない可能性すらある。
それに対して、リーネ達にとってはコウの助力が得られるのは、完全にメリットが勝ることだろう。
どうしてかなのかと、質問に質問で返された形であるが、コウは特に気にしたりしない。チャンスを与えるとかそういうわけではないんだけどな、と言ってから、笑みさえ浮かべてコウは短く言った。
「友達だから」
「えっ?」
思わずといった様子でリーネが聞き返してきた。完全に予想の外からの返答だったからだろう。隣で固唾を呑んで、事の成り行きを見守っていたアヤも驚いた様子である。
「友達だからだ」
再びコウは言う。そこには恥ずかしさもない。堂々とした様子で言葉を重ねる。
リーネは損得勘定や利害関係などを予想していたのだろう。けれども、コウの答えはまさかの「友達」である。
危険ごとに飛び込んでいくのに、それは余りにも意外で、単純で、稚拙な理由だった。しかし、コウは真剣にそう言っていた。
この時、リーネはこれが演技であったりすれば、この世で信じられるものは何も無いだろうとすら思えた。
あぁ、とリーネは心の中で呟きながら、自分の中でぎちぎちに固まっていた疑問が氷解していくのを感じた。
何故、根拠もなくコウのことを信頼してしまうのか。それはコウの人となりに触れていたからだった。それが理由だったのだとリーネは理解した。
「出会ってから、まだ顔を合わせたのは二回目ですよ?」
リーネの口から咄嗟に出てきた言葉は、否定に類するものだった。それが弱々しく震えていることを誰も指摘などしてこない。
リーネは声だけではなく心も震えていた。それが悲しみとは程遠い理由なのは言うまでもない。
「何だ、知らないのか? 人と人の関係を決定づけるのは時間だけじゃないんだぜ?」
普段と変わらない調子でコウがそう言った。
その言葉は降り積もった雪が、暖かな日差しによって溶けて大地に染むように、リーネの心に入り込んでいく。
リーネは横にいるアヤを見る。彼女は未だに驚きから抜け出せずにいるのか、口を半開きにしたまま固まっていた。
思えば喫茶店に入り話を始めてから、コウの態度は一貫として友人に対するものだった。
彼は初めからそのつもりであったことが、簡単に窺えたではないかと、リーネは自分が酷く愚かしく思えてならなかった。
「それで、どうする?」
子どもを諭すような口調でコウが再び問うて来た。口調のの軟らかさに、急かさないようにという気づかいもあった。
もう、リーネに迷いはなかった。
「私は、コウのお友達でいたいです!」
控えめな声量で、しかし、はっきりとリーネはそう言った。固まっていたアヤが慌てた様子で何か言っているが、最早リーネの耳には何も入らない。
これで初めてコウの友人になれたのだと、リーネが思った瞬間だった。
2012/01/15 0:25
一部文章と誤字・脱字を訂正致しました。
2012/04/27 20:20
一部文章と誤字・脱字を訂正致しました。
2012/07/04 5:47
一部文章と誤字・脱字を訂正致しました。
ご感想より、魚類様から「アヤの心理描写不足」のご指摘を受け、自分なりに検討した結果、加筆致しました。後付となる作業があったことを謝罪致します。申し訳ありませんでした。