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ゼロの英雄  作者: 鈴華圭
第1章 Happy Birthday.

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第7話 Happy Birthday, Dear Slay.




 無様にも仰向けに横たわる俺に、ルキナの鋭い視線が降り注ぐ。首元には、彼女の持つ剣の切っ先が突き立てられている。


「さあ、あなたの話を聞かせなさい」


 彼女は俺が何らかの罪を犯した人間だと睨んでいる。

 少なくとも、記憶のある限りでは悪事など働いていないし、この先悪事を働くような危険思想も持ち合わせてはいないはずだ。しかしそれが確認できたとして、記憶喪失以前のことは俺には証明のしようがないし、仮に本当に何らかの罪を犯していたとしたら、記憶喪失を理由に罪が赦されることもありはしない。下手を打てばこのままお縄につく可能性もある。

 少しの逡巡のあとで、俺は無用な言い逃れはせずにありのままを話すことを決める。記憶のない俺がその場しのぎの嘘を吐けば、むしろ墓穴を掘ることになりかねない。背中が冷や汗に濡れるのを感じながら、俺は口を開いた。


「俺……記憶がないんだ。気づいたら奴のすぐ傍にいて、それ以前のことは何も覚えてなくて……」


 素直にそれを告げると、刃が数ミリ首に食い込んだ。痛みに歯を食いしばる。


「ふざけてる?」

「ほ……ほんとなんだよ! 誤魔化すつもりなら、もう少しまともな嘘を吐く」


 俺の目を真っ直ぐに射抜く彼女の視線が揺らぐことはない。しかし、剣を握る手からはわずかに力が抜けた気がした。少しばかりでも、迷いが生まれてくれたのか。


「……質問を変えるわ。奴に襲撃された時の状況を教えなさい」


 俺の嘘を洗い出すためか、違った切り口の問いを投げかけられる。

 あまり思い出したくない記憶ではあるのだが、もはや俺にできるのは誠実であることだけだ。


「えっと、路地で目を覚ましたら何も覚えてなくて……戸惑って周りをきょろきょろしてたら奴がいて、突然腹をナイフで刺されたから、必死に逃げたんだ。だけど、気づいたらあいつは先回りしてて……」


 改めて話しても、壮絶な寝起きを経験したものだ。俺の身に起きたことを順を追って説明していると、彼女が「ちょっと待って」と話を遮った。


「あなたを刺したのは本当にブラドだった?」


 いささか唐突な言葉に困惑する。奴はフードを被っていたから顔も見ていないし、そもそも俺はブラドという男の顔も分からないから、判断の下しようがない。


「俺には分からねえよ。あんたが言うならそうなんじゃないのか?」

「聞き方を変えるわ。あなたを刺した男と、逃げたあなたの前に現れた男は本当に同一人物だった?」

「……え?」


 それは思ってもいなかった可能性だった。


「あなたが誤魔化すための材料を提示したくないから黙っていたけれど、実はブラドは素手での戦闘を得意としていて、これまでの被害者も、刃物でやられた人はいなかったの。あなたが意識を失う直前に向かいあっていた男は確かにブラドだったけど、あなたを刺したのは本当にブラドだったの?」


 と、言われても……。俺が見たときはいずれもフードを深く被っていて顔を認識することはできなかった。体格も目に見えるほどの違いはなかったが……。

 もう一度、記憶を逆再生して奴との邂逅を思い出す。


「あ……そうだ。名前を聞かれた」


 今ルキナから聞いた話を踏まえれば、それは明らかにブラドの目的とは外れた行動だった。


「名前?」

「ああ、最初に会ったときには、『何者だ』って聞かれたんだよ。それで、俺が何も答えられないでいたら、あいつは『名前なんてどうでもいいか』って言ってナイフを投げたんだ。奴は俺が何者なのかも分からずに殺そうとしてたんだ」


 ブラドが殺すのは悪人だけ。正体も分からない人物を殺すことはない、という前提が正しいのであれば、あの男はブラドではない。フードの男は二人いたのだ。


「……なるほど。それが本当なら、あなたを刺したのはブラドとは別人。あなたに対する疑念も晴れる、か」


 と、彼女は息を吐いて剣を引き、鞘に収めた。


「信じてくれたのか?」

「とりあえずね。私も悪かったわ。奴がナイフを使うことはないと知りながら、安易に疑ってしまって」


 どうやら最悪の事態は免れることができたらしい。ようやく度重なる危機から解放されて、安堵の溜め息をついた。身体の力が抜けて、俺はだらりと四肢を投げ出した。

 そんな俺を見て、ルキナももとの穏やかな表情を取り戻す。小さく笑い声を零した彼女は寝そべる俺に手を伸ばし、剣で小さな傷ができた首筋に触れた。


「百式魔道・光の章・第1節『恢輝(かいき)』」


 と、呪文を唱えると白く温かな光が灯り、傷跡をなぞっていった。


「魔道か?」

「そ。はい、もう治ったわ。身体の不自由の方もこれで解けたはず」

「あ、ああ。ありがとう」


 魔道。知識としては持っていたが、実際に目にした記憶はなかった。痺れの取れた身体をゆっくり起こし、首に触れると、もう傷跡も残っていないようだった。その技術に思わず感嘆する。


「さて、と」


 俺が呆けている間に、彼女は立ち上がる。


「どこか行くのか?」

「ブラドを追うわ。それに、あなたの話によるともう一人、危険人物がいるらしいしね。これ以上のんびりはできないわ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 咄嗟に俺は彼女を引き留める。しかし、凛々しく背筋を伸ばし戦いに向かおうとする彼女の姿に、俺は口ごもってしまう。


「どうしたの?」

「あ……あの、俺は、どうしたら」

「……ああ。記憶がないんだっけ? 夜が明けたら保護してあげるから、私が戻ってくるまでここで待ってて」

「え、いいのか?」


 願ってもいなかった返事に思わず大きな声で確認すると、彼女は「そりゃそうでしょ」と呆れ顔で返す。


「私は騎士よ? 困ってる人に手を差し伸べるなんて、当たり前のことよ」


 その言葉に俺は一瞬、呼吸を忘れた。

 確かに、それは正しい騎士の在り方なんだろう。だけど、人を助けるってこんなにも自然なことなんだろうか。

 思えば、俺の命を助けてくれたこともそうだ。二人目のフードの男がブラドだったのだとすれば無差別殺人犯ではない分、その危険度は下がるのかもしれないが、ルキナはあんな状況でも真っ直ぐに俺を助けてくれた。俺が悪い人間なのかもしれないと疑念を抱きながらも、俺の傷を治してくれた。

 なんと優しく気高い魂だろうか。

 俺はなぜだか泣きそうになってしまった。自分で思っていた以上に、この記憶もなく行き場もない状況に不安を覚えていたんだろう。それを、彼女はこんなにも容易く、その不安を拭い去ってくれた。

 美しいと思った。

 俺の中の記憶を失った魂が、彼女の高潔な魂に惹かれていた。


「じゃあ、しばらく時間はかかるかもしれないけれど、必ず来るから」

「あ、いや、ちょっと待て!」


 闇の向こうへ歩き始めたルキナを見て、俺は慌てて立ち上がり、彼女の手を掴んでいた。


「え。ちょッ……」

「俺も行く! 俺にも手伝わせてくれ!」

「……はあ?」


 唐突な俺の言葉に、彼女は俺に掴まれた手を引っ込めながら裏返った声を上げた。


「そんなの認められるわけないでしょ! 危ないから待ってなさいよ! だいたい、あなたが来て何ができるのよ!」

「あんたは俺を襲ったナイフ男のことは知らないんだろ? だったら、俺がいた方がいい。絶対その方がいい!」


 俺も顔は見れていないが、背格好や服装は覚えている。


「それはそうだけど! あなたを守りながら戦う余裕はないわよ? あなた、戦えないでしょ?」

「戦いになったらばっちり隠れておくさ。あんたに迷惑はかけない。だから、俺も連れて行ってくれ!」

「……なんでこんな急に……。あなたにメリットなんてないじゃない。それなのに、どうして?」


 どうして、だろうか。半ば勢い任せの行動であることは否定できない。どうやら俺はあまり頭の回るタイプの人間ではないらしい。

 ゆっくり、じっくり時間をかけて考える。この胸の中に湧き上がってきたこの想いの名前。

 これは――多分、憧れだ。


「あんたみたいになりたいと思った」

「え?」

「惚れたって言ってんだ。騎士としてのあんたに」

「ほ……っ!」


 これが今の俺の想いの全てだ。

 都合のいいことだが、もはや奴に刺されたときの痛みも、恐怖も、何もかも忘れていた。

 ただ、彼女のように強くありたい。美しく、気高く誰かを想える人でありたい。この世に生を受けて初めて胸に抱いた望みだった。

 俺は多分、今の俺には想像もできないほど多くのものを失ってしまったんだろう。今の俺は空っぽだ。だけど、だからこそ、こんなにも純粋に何かを望めるのかもしれなかった。

 自分勝手な俺の宣言を受けた彼女は、しばしの間、赤い顔で何かを言いたそうにしていたが、ようやく呑み込んで。


「……あー、分かったわよ! でも、これで死んでも知らないからね!」


 と、そう叫んだのだった。




 地下道を出る梯子を目の前にした時、彼女は俺に向き直って。


「覚悟はいい?」


 と尋ねてきた。俺は「もちろん」と即答する。俺の心は何やらすっかり晴れていて、一抹の雲さえかかっていなかった。

 ルキナは頷き、自分の胸に手を当てた。


「さっきはああ言ったけど。王国騎士団三番隊副隊長、ルキナ・バーラル。この命に代えてもあなたを守るわ」


 そんなふうに誓いを立てるルキナに、俺の心はまたしても強く揺さぶられた。騎士というのはみんなこうなのだろうか。騎士になれば、俺もこんなふうになれるだろうか。

 俺は密かに一つの未来を心に描く。ここを切り抜けて無事に明日を迎えられたら、俺は騎士を目指そう。

 俺はルキナに手を差し出す。


「何ができるか分からねえけど、俺もあんたの力にならせてくれ。ルキナ」

「ま、少しは頼りにしておくわ。えーっと……」


 俺の手を握り返そうとした直前、首を傾げるルキナ。俺は彼女が何に困っているか分からず、一緒になって首を傾げる。


「……そっか、あなたは名前も忘れてるんだっけ」


 ああ、そのことか。彼女にばかり名乗らせていたが。


「名前、ないと不便かもな」


 いざ戦いになったとき、相手にどう呼びかけるかなんて馬鹿なことに脳の容量を割いては隙を生みかねない。ルキナにそんな死に方をさせるわけにはいかない。

 とはいえ、名前……か。


「自分で自分の名前つけるのって、なんか気持ち悪いな。あんまりカッコいい名前つけるのもちょっと恥ずかしいし」


 困って頭を掻いて見せると、ルキナは呆れたように小さく笑った。


「仮で私がつけてあげるわ。……『スレイ』でどう?」

「お、かっこいい。いいね、なんかすげえピンときた」


 素直に感想を口にすると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「言うじゃない。四百年前の英雄の名前よ?」

「おお、急にプレッシャー。やっぱり別の名前に……」

「残念。変更可能期間は終わりました。もう決定ね」

「なかなか強引なのな、あんた!」


 そんなふうに軽口を叩き合い、ひとしきり笑った後で、改めてルキナがこちらに右手を伸ばす。


「英雄の名に恥じない活躍を期待してるわ。よろしくね、スレイ」


 その手を俺は強く握り返す。


「俺の方こそ、よろしくな。ルキナ」


 そうして俺とルキナは絆を結び、討つべき二人の敵が待つ地上へと伸びる梯子を上っていった。




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