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ゼロの英雄  作者: 鈴華圭
第1章 Happy Birthday.

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第6話 臆病心を押し殺す




「スレイの復活を果たして、私はこの世界の闇を払います。あなたを、この世界の誰もを、救ってみせます」


 その勇ましい言葉とは裏腹に、シエラの表情は曇り、手は小刻みに震えていた。臆病心を覗かせているその手に俺が目を落としていると、彼女はそれを隠すように手を身体の後ろへと回した。泣きそうな顔で、彼女は笑った。


「あの、今度はあなたのことを聞いてもいいですか?」


 暗闇の中でも気高さを失わぬように美しく振舞う彼女が、そう尋ねてくる。


「自分勝手ですけど、あなたを私の戦う覚悟の一つにさせてください」


 自分勝手なんて。彼女はそうして卑下するけれど、そんなことはない。彼女の魂の崇高さは、このわずかな時間でも十分に理解できた。

 彼女の力になりたい。そうは思うのだが……。


「ごめん。俺、自分のこと何も分からないんだ」

「……どういうことですか?」


 素直に伝えると、彼女は眉根を寄せて首を傾げた。こうした小さな所作のひとつひとつが魅惑的に映る。少し顔の火照るような感覚を覚えながら、俺は素直に答えた。


「俺、記憶喪失らしいんだ。奴に襲われたほんの十分くらい前かな。それ以前の記憶がまったくない。自分の名前も分からないんだ」


 あれだけ必死に誰かの助けを求めていたのに、それを語る俺の口調はどこか楽観的で、口角も上がっていた気がする。決して深刻に思っていないわけではないのだが、その衝撃を上回る謎の男襲撃事件があったからか、あるいは彼女の目の前で少しでも恰好つけたい思いがあったのか。実際のところは自分でも分からない。

 しかし、それを聞いたシエラは大きく目を見開いた。


「記憶、喪失……?」

「ああ。困っちまうよな」

「あの……あなた、年齢はいくつですか……?」

「え? いや、悪いけど覚えてないよ」


 どうして突然、年齢など気にし始めたのだろう。

 シエラの思考は分からないが、言われてみれば自分の年齢は確かに気になる。ふと視線を落とした両手には張りがあって、少なくともよぼよぼの老人ではないことは分かったが、自分の顔も確認していない現状ではまったく手掛かりもない。なんとなくの感覚では二十歳前後な気がする。というか、仮に三十や四十のおっさんがシエラに心を撃ち抜かれたのだとすれば、それはなんだかとても恥ずかしい。

 そんなふうに本筋から離れたことに思いを馳せていた俺をよそに、シエラは口元に手を遣ってぶつぶつと言葉を発していた。


「そう、ですよね……。でも……もしかして、あなたは……」


 彼女の反応に、俺は心の内で首を傾げる。記憶喪失なんてそう滅多に起こることでもないだろうから、彼女の困惑は当然だろう。だが、その反応はまるで俺の何かを確かめたいかのようで、違和感がある。


「……あんた、もしかして何か知ってるのか?」


 尋ねると、彼女の肩がびくりと跳ね上がる。図星、なんだろう。

 さっきは笑って話したが、もしも俺の記憶に彼女が関わっているのなら、それを放っておくわけにはいかなかった。


「俺が何者か知ってるのか?」

「ごめんなさい。それは知りません」

「『それは』ってことは、俺がどうしてこんなことになったのかは知ってるってことだ。違うか?」


 前のめりになり、立ち上がりながら言葉を重ねていく。


「……ごめんなさい。言えません」

「責めてるわけじゃない。いや、話を聞いたら責めちまうことになるかもしれねえけど。知ってるなら教えてくれよ!」


 そう声を荒らげて追及すると、シエラは目を伏せて身を小さくした。

 その様子を見て、俺は罪悪感に包まれた。彼女が悪い人間ではないのはこのわずかな時間でも確かに理解できたではないか。自分でも恩人だと口にもしたはずだ。その彼女にこんな顔をさせるのは本望ではない。

 無意識に爪が手のひらに跡を残すほど強く握られていた拳を解き、息を吐いてその場に座り直した。

 だが、それでもやはり、このまま黙秘されるのはあんまりだ。シエラに視線を送ると、ちらと上げられた彼女の視線と交錯し、逃げるように彼女の目は逸らされた。


「……ごめんなさい。私の口からは話せません。でも、この場を切り抜けて朝を迎えられたら、その時はあなたに全てを語ってくださる方のもとへ連れていきます。だからそれまで、待ってもらえないでしょうか?」

「……この場、ってのは?」

「エジルを討ったら、です。今、私の主のアスター様があの男を追っています」


 アスター。エジルにやられて意識を失う直前にも、シエラの声がその名を読んでいた記憶があった。確かにシエラはアスターという人物に、奴を追ってくれと言っていた。

 奴の始末さえつけば、アスターから聞き出せるのだろうか。だが、アスターとシエラ、二人がどうして俺の記憶に関わる? 彼女の独断ではなくアスターまでが一枚嚙んでいるのなら、おそらく組織ぐるみでのことなのだろうが、俺の記憶が反王国組織なんかとどう関係している?

 命を救ってくれた美しい女性、シエラ。彼女の美しい心に俺は魅了され、信頼を傾けているが、それも彼女の容姿の美しさに目が眩んだせいなのかもしれない。俺は本当に、彼女を信用していいのか……?


「ごめんなさい」


 彼女への疑念までが胸の内で湧き上がってきたが、しかし謝罪の言葉を口にする彼女の顔を見てみれば、その目には涙が浮かんでいた。


「つらい、ですよね。思い出をすべて忘れてしまうなんて……。本当に、ごめんなさい」


 その可憐な姿を見ていると、毒気も抜かれてしまう。これが計算された演技なのだとすれば大したものだが、頼れる人が誰一人いない世界で命の恩人を疑うようなことはしたくなかった。俺はやるせない思いをため息とともに吐き出す。


「……何を失ったかも分からねえから、つらくはないかな。むしろ、怖い。これからどうやって生きていけばいいのか、頼りが一人もいないしさ」

「そう、ですよね。分かったようなことを言ってごめんなさい」

「いいよ。記憶がないってのがどういう状況かなんて、実際なってみないと想像つかないだろうしな」


 彼女がどれだけ人の気持ちに寄り添える優しい人であっても、想像の至らない部分に配慮することはできない。それを咎めたいと思うほど、俺の心はささくれていなかった。

 だが、本当に俺はこれからどうすればいいのか。失った記憶は取り戻せるのか。それともこのまま生きていくしかないのだろうか。それもアスターから話を聞ければ解決するのだろうか。

 未だ開かれぬ未来に想いを馳せていると、シエラは「でも、」と声を発した。



「……でも、あなたは絶対に私が守ります。私のような人間では頼りないかもしれませんが、私はあなたの味方です」



 と、彼女は決意のこもった声色でそう言った。

 多分、彼女の優しさは本物なのだろう。身を震わせながら、責任と恐怖に押し潰されそうになりながら、誰かのためにと立ち続ける彼女の想いや覚悟を偽りだと侮辱することなど、できるはずがなかった。

 甘えてしまえば、いいのだろうか。

 シエラに守られ、導かれるままに歩めば、俺は俺を取り戻せるのだろうか。

 弱い心が優しいシエラを求めているのを感じていると、不意にシエラが立ち上がって俺から離れていく。


「おい、どこに行くんだよ」

「アスター様を助けに行きます。あなたはここで待っていてください。奴を倒して、必ずアスター様と戻ってきます」


 その言葉に、俺は戦慄する。


「待てよ、あいつと戦うつもりか?」


 シエラは多分、強い人ではない。ただ強くあろうとしているに過ぎない。それはとても崇高な意志だが、だからこそ、身を投げるに等しい行動をさせてはいけない。

 しかし彼女は哀しそうに笑った。


「あなたのおかげで、覚悟がつきましたから」

「待て待て。危ねえって。あんた、震えてるじゃねえか」

「武者震い、ですよ」


 そんな見え透いた虚勢を張って、彼女は俺に背を向けて歩いていく。闇の中に、身を溶かしてゆく。

 彼女は強い。でも、本当は弱い。

 普通の人と同じくらい臆病で、戦いを前に震えるような人間なのに、誰かを守るためとか、助けるためとか。誰かのために立ち上がる。

 多分、彼女は世界の誰より美しい。


 じゃあ、俺は?

 強いけど弱い、そんな彼女を一人で行かせて、俺はのんびり留守番か?

 この薄暗い場所に閉じこもって、戻ってこれるかも分からないシエラを待ち続けるのか?

 刃の感触。血の匂い。力の入らない身体。

 思い出すだけで全身が震え出す。馬鹿なことを考え始めた自分自身を殴り飛ばして、このままここで眠っていたい。

 だけど、それ以上に――。


「俺も……俺も連れていけ!」


 臆病風に吹かれた右手を左手で抑えつけながら、俺は叫んでいた。

 ああ。言っちまった。

 驚いたようにこちらを振り返るシエラ。後悔が表情をよぎりそうになるが、俺は必死に笑みを浮かべる。


「命を救ってくれた恩人を、一人で行かせられるかよ」

「そんな……ダメです。危険です」


 危険だなんて、俺の方が身に染みて理解している。だからこそ、彼女を一人で行かせるわけにはいかない。


「あんたには無様なところしか見せられなかったけど、ちょっとはいい勝負してたんだぜ。心配すんなよ。むしろ、アスターさんに恩を売って、後から根掘り葉掘り聞いてやるぜ。覚悟してろよ」


 見え透いた強がりでもいい。彼女とおそろいだ。ほら、いい気分だろ。だから、笑え。俺。


「俺は引かねえぜ」

「……戦闘中は、あなたを守れないかもしれません」

「ああ、自分の面倒ぐらい自分で見るさ」

「それで、今度は本当に死んでしまうかもしれませんよ」

「どうせ記憶もなにもねえんだ、未練もねえよ」

「それは、やけになっているだけではないですか?」

「かもな。でも、一番最初の記憶が『逃げ』なんて、後悔しか生まない気がするだろ」


 俺の人生はここから。シエラとの出会いから始まった。この先どうやって生きていくのか、自分でも想像がつかないが、この出会いをそう易々と切り捨てていいものとは思えなかった。俺のためにも、彼女のためにも、明日の彼女が助ける誰かのためにも。

 シエラはまだ何かを言いたげな表情をしていたが、もはや無駄と悟ったのだろう。言葉にする前に深い吐息とともに吐き出した。


「分かりました。一緒に行きましょう」


 そう言った彼女の表情は、先ほどまでより少し柔らかくなっていた気がした。




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