第13話 the Hero
「避けた、のか?」
俺とブラドは、正面からぶつかり合うはずだった。真っ直ぐに、俺の身体は奴に蹴り飛ばされるはずだった。
だが、実際には奴の攻撃は届かず、不自然に背中を向け合う俺たち。
自分でも何をしたのか分からない。ただ必死に奇跡的な活路を願い、気づけばブラドの背後に回り込んでいた。運が、良かったのか?
「……少し、試すか」
ブラドはそう零すと、ルキナの首から手を放して彼女を解放した。
「ルキナ!」
「そちらを気にする余裕を与えるつもりはないぞ」
俺がルキナのもとに駆け寄ろうとすると、ブラドが一瞬のうちに俺たちの間に入った。
奴の拳が眼前に迫り、目を瞑って身を固める。
が、またも拳は届かない。そっと目を開けると、俺はルキナの傍に達していた。
「ルキナ、大丈夫か!」
彼女は青い顔で咳き込みながら。
「ええ……。ありがとう、スレイ」
と、はっきりとした意識で俺の声に応じた。俺はそのまま倒れ込んでしまいそうなほど安堵した。良かった。死んでしまうかと思った。何もできずに、彼女が死んでいくのを見ているだけ、なんて。そんなことにならなくて、本当に良かった。
ほっと息を吐き出した後で、俺は再びブラドに向き合う。
「……お前は何者だ」
ブラドはさらに深い困惑の中に陥ったように、低い声でこちらに尋ねてきた。
俺自身もわけがわからないが、どうやら俺は無意識に奴の攻撃を避けているらしい。原理が分からない力は、自分でも少しだけ恐ろしい。
でも、心臓の奥で、何かが俺に訴えかけてくるような感覚が確かにあった。
――ああ、腹括るぜ。いけるんだな?
怖い。本当は身体が震えそうだ。さっきの蹴りが本当に当たっていたらと思うと、正直漏らしそうだ。だけど、空っぽの俺でも、ルキナを守れるのなら。
俺は引きつった笑みを浮かべて、ブラドに向けて人差し指を向けた。
「俺はスレイ。てめえを倒す、英雄だ」
「『スレイ』……だと?」
「ああ。英雄の名前に少しはビビったか? 安心しろよ、俺もだぜ」
拳を握り、ブラドへ立ち向かう。
右ストレートを奴の顎めがけて放つが、やはりブラドはカウンターのパンチを合わせてくる。
――二回躱せりゃ三回目だって躱せるだろ!
俺の訴えに受け答えるように、またも俺とブラドはすれ違う。
「らああああっ!」
いち早く後ろへ向き直り、ブラドの後頭部に渾身のパンチをお見舞いする。
「手応えあったぜ」
「……効かんよ。何発当てれば勝てるだろうな」
だが、当てた。俺がこんなに強い奴を相手に、一発先制した。
俺は、戦える。
「何発当てても勝てねえかもな。でも、あんたの攻撃も俺には当たらねえ。あんたを倒せなくても、俺はあの二人が回復するまで時間を稼ぐぜ。三人でも倒せねえなら、二人が助けを呼んできてくれるまで付き合ってやる」
もはや確信に変わっていた。俺はこの男には負けない。
またもブラドとすれ違い、背後に回り込む。今度はブラドもそれを読んで二撃目を準備していたが、その攻撃さえすれ違う。二度のすれ違いで元居た位置に戻り、ブラドの腹部に膝蹴りを入れる。
何度も何度も、繰り返す。徐々に方向感覚が狂い始め、自分がどこに立っているのか分からなくなって嘔吐感に襲われたが、それでも俺はブラドに向かい続ける。
何度攻撃を打ち込もうが、効いている様子は見られない。それでも――――。
「風光の章・第2節『翠雷閃』!」
ルキナの声。直後、上空から翡翠色の稲妻が一閃。ブラドに降り注いだ。
意識の外からの、あまりに強力な一撃。ブラドもついに膝をつく。
「今よ、スレイ!」
言われるまでもない。うずくまるブラドの頭に、俺は拳を振り抜いた。
受け身の体勢を取れていなかったブラドはそのまま吹っ飛び、壁に背中を打ちつける。
「やったか?」
「……莫迦を言うな。効かんと言っただろう」
期待を込めて口にした言葉は、ほかならぬブラドによって否定される。
その言葉通り、すんなりと立ち上がったブラドはしかし、構えることもなくじっと俺を見据える。
「……これほど厄介な奴がいるとは思わなかった。今日のところは退くとしよう」
「ここまで追い詰めたのに、逃がすかよ」
先ほどのブラドと同じ言葉を返すが、奴はそれを鼻で笑う。
「追い詰めた? 思い違うなよ。このまま続けても、俺とお前では決着はつかない。悪いが俺には不毛な時間を過ごす暇はないんだ。——『潜影』」
呪文を唱えたブラドの身体が、闇に包まれ消えていく。
「待てよ! 逃げんじゃねえ!」
「逸るな。お前がそこにいるのなら、また会える日も来るだろう。その時は、覚悟していろ」
ブラドの姿が完全に闇に溶け、目では確認できなくなる。うっすらと感じ取れていた気配も、どこか遠くへ霧散していく。
「ルキナ、奴は?」
「……もうここにはいないわ。本当に退いたようね」
「そう、か……」
それを確かめると同時に、俺は膝から地面に崩れ落ちた。
「あれ。なんだ、これ……」
「相当、無茶してたってことね。立てる?」
「ああ……いや、ごめん。動けねえ」
立ち上がろうとするや否や、後ろにひっくり返る無様な俺を見て、ルキナはおかしそうに笑った。
「さっきまであんな相手と渡り合っていた人とは思えないわね。しばらく休みましょう」
「……そうだな、さすがに疲れた。ルキナは無事か? ルイスさんは?」
「一般人に心配されるなんて、騎士の醜態ね。――大丈夫。スレイが頑張ってくれていた間に、ある程度の治療は済んだわ」
「そっか……」
俺は、守ったんだ。何も分からないけれど、必死に踏ん張って、確かに戦った。
「……ああ、そうだ。悪い、ルキナ。今日はもうナイフの野郎は追えそうに……」
俺個人としては、むしろそっちが本命だったはずだ。今さら思い出してそれを言おうとしたその時、強い光が目に飛び込んできた。その眩しさに俺は思わず目を瞑る。
「夜が明けたみたい。ナイフ男ももうどこかに身を潜めているでしょう。ブラドも、あなたを刺した男のことも、またにしましょう」
「そっか、もう朝か……」
瞼の裏を白く染め上げる朝日を感じながら、俺は薄く笑っていた。
「なあルキナ。俺、騎士になりたい。なれるかな?」
ようやく開けた未来が見えて、俺が無邪気に明日の話をすると、彼女は小さく吹き出した。
「それより、あなたは記憶を取り戻すのが先なんじゃない?」
「まあ、それはそうなんだけどさ」
そう言いながらも、なんだか記憶のことなんてどうでもよくなるくらい、俺の胸は満ち足りていた。
「……きっとなれるわ。あなたがそれを望むなら、私も手伝ってあげる」
「よろしく頼むよ。俺、何もわからないからさ。誰かに助けてもらわねえと、何もできない」
と情けないお願いをすると、右手を取られて俺は思わず目を開けた。あんまり勢いよく開けたせいで太陽に目を焼かれ、顔をしかめながら手元に視線をやった。その先では俺の右手とルキナの右手が繋がっていた。
「スレイ。ありがとう。あなたがいたおかげで、助かったわ」
笑う彼女は多分、今この瞬間、世界で一番美しかった。
君を守れてよかったと、改めてそう思った。




