第12話 Happy Birthday, Dear Slay. 2
「らあああああっ!」
叫び、振り下ろした刀を、エジルは逆手に持ったナイフで横に弾いた。勢いよく武器が衝突し合ったことで、一瞬手がじんと痺れた。
「ハッ! どうしたよ、本気でかかってこい!」
「言われなくても!」
余裕の笑みを貼りつけたエジルに、絶え間なく斬撃を繰り出す。戦術も何も頭の中には浮かんでいなかった。が、やけに刀に馴染んだこの手がそれでいいと囁く。俺はこれまでに、何も分からない状態で、エジルのナイフを二度とっさに防いだ。最低限の戦い方は、身体が覚えている。ならば俺は下手なことは考えず、本能に従うだけだ。
もっとも、俺の腕だけではエジルに遠く及ばないのは確かだ。しかし、俺は一人で戦っているわけではない。
「『赫炎砲』」
剣戟の合間を縫って、シエラの放った四つの火の玉がエジルを襲う。エジルの武器は右手に持つナイフ一本のみ。左手に握っていた一本はすでに俺を刺したときにその手元からは離れている。ゆえに、複数の火の玉による同時攻撃はエジルには対応しがたい最適な一手だった。だが、
「甘ェよ」
と、未だ口角を上げたままのエジルは懐からさらにもう一刀のナイフを抜き、両手の刃で全ての火の玉をすばやく斬り裂いた。
「予備の獲物を持ってるのなんて、珍しくもねえだろ?」
「まあ、そうだろうな!」
休む暇は与えない。息も吐かせず斬りかかる。
今、エジルは明らかに俺たちを甘く見て油断している。奴が本気を出せば戦況が一気に傾きかねない。だから、今のうちに決着をつける。
でたらめに振った刀をことごとく躱された挙句、水平斬りを弾かれた俺は、その勢いのまま身体を反転させ、エジルの背後を狙う。
「『氷渡』!」
俺の刀に対応しようとしたエジルの足が、シエラの魔道によって氷漬けになり、地面の上に固定される。そのアシストのおかげで、俺は完璧に奴の背後を取る。
「オラぁッ!」
――――斬った!
無防備な背中に、刃が届いた、その瞬間。
エジルがニィッと口角を釣り上げたのが視界の端に映った。
警戒するより早く、エジルがナイフを地に向けて振る。
するとエジルを中心に強い衝撃が周囲を襲い、斬りかかろうとしていた俺の身体の方が吹き飛ばされてしまった。地面に身体を打ち付ける。
「はっはァ、惜しかったなァ」
見れば、エジルの足元の地面は大きく抉れ、動きを封じていたはずの氷も完全に砕けてしまっていた。
腰をさすり立ち上がりながら、俺は困惑を口にする。
「くそっ……なんだよ、今の。魔道って呪文なしでも使えるのか?」
魔道でもなければ、ナイフを振った風圧だけでこんな衝撃を生むなんてありえない。俺からすれば、それは当たり前の困惑だったわけだが、しかしエジルは俺の言葉に面食らったように目を丸くした。
「あ? 何言ってんだ? てめえが持ってんのも喰魔刀だろうが」
「喰魔刀? なんだそれ」
奴は俺の刀を指さして奇妙な名前を口にしたが、その名に聞き覚えはなかった。
エジルの言葉に素直に反応すると、先ほどまでと一転して奴は不機嫌そうな表情で舌打ちした。
「おいおい。期待外れにもほどがあるぜ。隠し玉のつもりで温存してるのかと思ってたが、てめえの武器のことも知らずに振ってたのか?」
「……だったらなんだよ。お前なんかこいつで十分だぜ」
「馬鹿言ってんじゃねえ。喰魔刀の使い方も分からねえようじゃ、遊び相手にもならねえよ。なァ!」
エジルが吠えると、奴の持つ二刀のナイフの刀身に黒い光が灯った。それが何なのかは分からなかったが、到底歓迎できるものではないことは瞬時に理解できた。俺は後方に跳んで奴から距離を取り、刀を構える。
「それで逃げたつもりかよ!」
エジルが両手の黒く輝くナイフで空を裂く。――同時に、二つの黒い光が膨張しながらこちらに向かって放たれた。
その速度に俺は反応さえできなかったが、幸いそれは俺のすぐ横を通過して、背後の壁にぶつかった。激しい衝撃が起こり、目を遣ってみると、刃が深く抉ったような傷が壁に残っていた。
「斬撃……!?」
宙を裂き飛んでいく斬撃というのも厄介だが、それ以上に恐ろしい威力の攻撃だった。あれがもし当たっていたら、どうなっていたんだ……。
冷や汗を流す俺を見て、エジルは嘲笑いながら言う。
「てめえもその刀があるんだから、できるはずだ。十秒だけ時間をやるからやってみろ」
「やってみろって……」
「できたらもう少し遊んでやる。できなきゃ終わりだ」
本当に、俺にもあんなことができるのだろうか。だが、エジルの話が確かなら、俺の刀と奴のナイフ、どちらも喰魔刀と呼ばれるものであり、すなわち俺の刀にもあれだけの力が眠っているということだ。だが、どうすればいい? あの技を俺も使えるのならば勝機はある。が、エジルの言う通り、できなければ俺は奴にとって玩具にもならない。
「霊子を刀に込めてください!」
後ろでシエラが俺に向かってそう叫ぶ。しかし、俺にはその「霊子」というのが何なのか分からない。
「……五。四。三」
エジルが再びナイフを黒く染め、カウントダウンを始める。もはや迷っている暇はない。
「くっ……おおおおぉぉぉぉ!」
雄叫びとともに、俺はエジルに向かって刀を振る。
――しかし、刀は虚しく空を斬っただけだった。
「……ゼロ。意味のねえ時間だったな」
「火の章・第6節『赫炎大砲』!」
先ほどの火の玉よりも十倍は大きい炎の塊がエジルを襲う。が、エジルはナイフでシエラの大技を容易く断ち切る。どうやら、黒い光を纏っている間は斬撃を宙へ放たずとも力を増すらしい。
「下がってください! あなたでは奴の喰魔刀に対抗できません! 後ろで機を窺っていてください!」
「女ァ。てめえはそいつを守りながら戦えるくらい強いのか?」
「……やってみせますよ」
「なら、遊び相手になってもらうぜェ!」
エジルが黒い斬撃をシエラに向かって真っすぐ放つ。
「『輝盾』!」
呪文とともに現れたのは光の壁。半透明のそれはシエラとエジルの間を分かち、斬撃を受け止めた。
「壁の内側に退避してください! 急いで!」
言われて俺は、シエラのもとへ走り出す。
「おら、守ってみろよ!」
「『赫炎砲』!」
「う、わああああっ!」
すぐ背後で黒の斬撃と炎がぶつかり合い、その衝撃で身体が前方に投げ出され、地面を転がる。
「『這縄』!」
何かが腕に巻き付くような感覚。そのままそれに引っ張られるようにして、俺の身体は地面の上を引き摺られながらシエラの背後に回った。
「無事ですか?」
「痛てえところはいっぱいあるけど、まだまだ動けるぜ」
全身擦り傷だらけでじくじくと痛むが、今さらこの程度の怪我で泣き言を言えるはずもない。
すぐさま体勢を整えて勇ましく応えた俺に、彼女は安心したように小さな笑みを零してから、表情をまた引き締める。
「私が魔道で必ず隙を作ります。あなたはとどめを刺すことに集中していてください」
「ああ、任せろ!」
シエラは頷き、正面の敵へと目を遣る。
地下道で震えていた弱い女性はそこにはいなかった。勇気を持って、逃げることなく難敵を真っ直ぐに睨みつける。俺がこうして自分を奮い立てたように、彼女もまた自分の中で己を鼓舞し、臆病心に打ち勝ったのかもしれない。
「エジル・ミルハウスト。私はあなたを殺します」
そう宣言したシエラは、勇敢なる戦士に他ならなかった。
「風光の章・第3節『雷獄』」
呪文に呼応して、エジルの周囲の足元から幾本もの稲妻が奴の頭上に伸び上がり、それらは格子状に結び付いてエジルを取り囲む檻を形成する。
「こんなもんで、捕まえたつもりかよ!」
エジルは二刀の黒ナイフで稲妻を裂こうと斬りかかった。檻に触れたことで奴の腕にも稲妻が走るが、感電しているようには見えない。不気味な笑みを絶やさず、無理やり引きちぎろうとするかのように、檻に刃を突き立てる。
「やばいぞ、破られ……」
案じてシエラに伝えるが、彼女は俺よりも早く次の一手へと動き出す。
「光の章・第8節『断脈槍』」
今度は光の槍がシエラの足元から生えてくる。それを手に取ったシエラは光の壁の縁から身を乗り出して、エジルに向けて投げ放つ。光の槍は檻を破ろうとしていたエジルの肩に突き刺さった。しかし出血は見られない。実体を伴わない槍、なのだろうか。それならば、あの槍が貫いたものは何だ?
「あ? ぐ、ああああぁぁぁぁっ!」
「な、なんだ?」
突如、苦しげに叫ぶエジル。先ほどまでは炎が直撃しても稲妻に触れてもまるで効いていなかったのに、なぜ?
困惑する俺に、シエラが答える。
「あの槍で一時的に霊子を絶ったんです。奴は霊子を鎧のように全身に張り巡らせて戦っています。だからどんな攻撃も大きくダメージを軽減できていました。しかし霊子の鎧を封じたことで、身体に流れ込む檻の稲妻に耐えられなくなったんです」
「……よく分からねえけど、すげえな」
理論はいまいちピンとこないが、しかし確かなことが一つある。これは数少ない勝機だ。
勝てる。あの化け物みたいな殺人鬼に、勝てる。
俺は自ら斬った左手の傷の痛みも忘れ、強く強く柄を握った。
「私が次の魔道を放ったら、あなたは奴に向かって行ってください。私の力で仕留められればベスト。それが叶わなくても、あなたの刀を防ぐ余裕は与えません」
「ああ、分かった。俺の手柄にしてやろうとか考えなくていいからな! 手加減なしでやってくれ!」
「もちろんです」
シエラは息を深く吸い、呪文の詠唱を始める。
「百式魔道・火の章・第9節『無塵劫炎心』」
途端、エジルの足元が赤く染まったと思えば、爆発とともに豪炎が奴を包み込んだ。これまでの炎とは比にならない熱。見ているこちらの皮膚まで焼けそうだ。
「あと三秒で炎が収束します! 行ってください!」
シエラは目の前の光の壁を消し去り、俺を促す。
俺は彼女の声とともに走り出した。
未だ燃え続けるエジル。しかし胸の中で数えた三秒後。シエラの言葉通り、炎は中心――エジルの心臓に呑み込まれるようにして縮んでいった。そして、熱の名残の中に揺らめくエジルの姿を見つけた。
「おおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
刀を構え、エジルの首へと振り下ろそうとした、その時。
エジルの口元に笑みが浮かんでいるのが見えた。
――やばい。
勘が退くべきだと訴えたが、エジルに向かって体重を乗せすぎた俺の身体はもはや止められなかった。
そしてその瞬間――天地がひっくり返り、気づけば俺は地面に叩きつけられていた。
「かはッ!」
何が起きたのか分からなかった。ナイフは、刺さっていない。投げ飛ばされたのか?
「……惜しかったなあ。戦い方は上出来だった。だが、俺とてめえらじゃ地力が違い過ぎた。これで終わりだ」
立ち上がって、声の主であるエジルを見遣る。あの豪炎の中にいてなお立ち続けるエジルの身体は、全身焼けただれ、ひどい火傷だった。だが、それだけの傷を負ってなお、獣は笑う。いや、その姿はもはや獣なんて言葉で片づけられるものではない。
「バケモンかよ……」
またしても身体が震え出しそうになり、俺は左手の傷に意識を向けた。泣きたくなるほどの痛みが蘇り、しかし俺はそれに励まされる。大丈夫、まだだ。まだ俺の覚悟は折れちゃいない。どこかに活路を見出だすんだ。
刀を構える俺を見て、エジルは退屈そうな表情を浮かべる。
「なんだよ、まだやる気か?」
「……当たり前だ。まだ、負けてねえ」
「てめえの相棒はそうは言ってねえぜ?」
言われて、俺はシエラの方を振り返る。
そこにあったのは肩口から胸を大きく斬り裂かれ、おびただしい量の血液を地面に流すシエラの姿だった。
「シエラ!!」
叫び、駆け寄ると彼女は崩れ落ちるように地面に倒れた。呼吸が浅く、顔がどんどん青褪めていく。このままではまずいということは、素人の俺にもすぐに分かった。
「シエラ! 早く治癒の魔道を……!」
「……もう、霊子が、残っていません」
言葉とともに、口の端から血が溢れ出る。彼女の身体を抱えると、やけに軽い気がした。こんなに血を流しては何分も持たない。
「そうだ、俺が治せば……!」
魔道で致命傷を治すことができるのは、身をもって知っている。ならば、俺だって……。
俺は先ほどシエラが肩の傷を治してくれた時に唱えていた呪文を思い出す。
「『恢輝』! ……光の章・第1節『恢輝』! おい、なんでだよ! 治れ、治れよ! 『恢輝』!」
何度呪文を叫んでも、癒しの光は現れない。俺は「くそっ!」という悪態とともに魔道での治療を諦めて、上着を脱いでシエラの傷に押し当てる。しかし赤い血は泉のように湧いてくる。
「なんで、なんで、なんで……!」
止まらぬ血に比例するように、俺の目からも涙が零れ始めていた。あれだけ大口を叩いておきながら、俺はこんなにも無力なのかよ。
「……もう、いいです」
弱々しい声で言う彼女に、声を荒げる。
「いいわけないだろ! ふざけんな!」
諦めたくない。シエラに死んでほしくない。こんなにも強く優しく美しい人が、こんなところで死んでいいはずがない。
「無事に逃げられたら……アスター様を、頼ってください」
「うるせえ! 今は黙ってろ!」
しかしシエラは震える手で、力強く俺の手を握った。
「……あなたの、名前、私が、決めてもいいです、か?」
「今はそんなこと……!」
「お願い……。私の命に、意味を……」
彼女の言わんとすることの意味が分からない。俺の名と、彼女の命と、何が関係しているというのか。
「今は名前なんてどうでもいい! あんたが死んだら、俺の名前を呼んでくれる人間なんて……」
「――『スレイ』。あなたは、スレイ。そうでしょう……?」
そう言ったシエラの目は虚ろで。俺の手を握りながら、もはや俺を見てはいないかのようだった。
その目を見て、俺は確信してしまう。
シエラは死ぬのだ。
「……ああ、分かった。俺は『スレイ』だ。――ありがとう、シエラ」
震える声で、それを告げる。
シエラは満足そうに小さく笑い。
その手から力が抜けて、俺の手からするりと滑り落ちた。
俺の腕の中で、俺の命を救い、俺に名をくれた恩人が、息絶えた。
「あ……ああああああああぁぁぁぁぁ……ッ!」
無知で無力で無価値な、世界で一番情けない男の慟哭が響いた。




