第10話 臆病者の反撃
「火の章・第1節『赫炎砲』!」
再度放たれたシエラの炎が開戦の合図だった。ナイフを振るって炎をかき消すエジルが、そのまま体勢を低くして一息にこちらへ迫ってきた。奴がまず狙ったのは、シエラ。
あっという間に懐に潜り込んだエジルが、逆手に持った右のナイフでシエラの身体を裂かんとする。が、シエラも軽やかにその切っ先を躱しながら、炎の魔道を連続で浴びせまくる。
驚嘆に値するほどに、シエラの動きは素早く、戦いを知る者のそれだった。
闘牛士のようにエジルの攻撃を華麗に躱し、その度に反撃の魔道をヒットさせる。が、それでもエジルにはダメージがあるようには見えず、むしろ追い込まれているのはシエラの方だ。
火の玉を正面からぶつけられたエジルは勢いを殺せず後ろに吹っ飛んだ。しかし、奴はそのまま空中で後方に宙返りをすると、家屋の壁に垂直に着地し、そのまま強く壁を蹴ってシエラへと突っ込んでいく。
これまで以上のスピード。やられる、と直感した。すぐ傍でシエラに獣の牙が迫るのを前に、俺は動くことさえできずに見ているばかりだった。
空気を断ち分けながら迫る刃はそのままシエラの腹部に到達し、皮膚を裂きながら胸から肩へと抜けていく。
そう、思われたが、しかし。
「『爆空』!」
シエラを中心に巨大な何かが破裂したように、強い空気の塊が周囲を襲う。唐突な風に瞬時に目が乾燥し、俺は思わず腕で顔を覆う。
「――――ハッ、悪くねえ」
風が収まると、エジルの声は少し遠ざかっていた。見れば、奴は再び距離を取っていた。シエラの方を確認すると、裂傷は見られない。今の風圧で、斬りつけられる前に奴を吹き飛ばしたのだろう。
「……だが、荷物がいたんじゃ面白みも減っちまう。なあ?」
ニタニタと、不愉快な笑みを浮かべるエジル。彼はこちらを小馬鹿にするように左の掌をひらひらと見せてきた。――ナイフを持っていたはずの、左手を。
不安が頭をよぎった瞬間、左肩に鋭い痛みを感じた。奴が持っていたはずのナイフが突き刺さっていた。
「う、ああああぁぁぁぁ!」
「わりいな。心臓にぶっ刺すつもりだったが、風で狙いが逸れちまった。文句ならてめえの相棒に言ってくれ」
痛みのあまり、俺の意識とは無関係に身体が暴れ、しかし突き刺さった刃はむしろ動くたびに肉を裂く。
どうする?
どうすればいい?
どうすれば痛みから解放される?
どうすれば苦しみから救われる?
血と涙と脂汗を零しながら悶えていると、突然誰かに肩を掴まれた。と思うと、刺さっていたナイフを一息に引き抜かれた。
「があああぁぁぁぁっ!」
手のひらいっぱいに掬ったような量の血液が一気に地面を赤く彩る。
「光の章・第1節『恢輝』」
不意に、暖かい光が傷口に当てがわれる。その声と、光の優しさに触れて初めて、それがシエラだと気がついた。
「大丈夫ですか」
「は……あ、ああ」
ぐしゃぐしゃになった顔で、俺はなんとか頷いた。
光に包まれた傷口はどんどん塞がり、痛みも遠のいていく。それとともに、少しずつ冷静さを取り戻していった。
「悪い、シエラ……。ありがとう」
情けない。俺は何をしにきたんだ。シエラの足を引っ張るためか? シエラの助けになるためだろうが。
俺は知らぬ間に落としていた剣を拾い上げ、強く握り締めた。大丈夫、まだ戦える。
しかし、彼女は俺の胸に手を置いて。
「今すぐここから逃げてください」
そう言った。
「……は?」
「あなたが命を無駄にする理由はありません。あなたには奴の相手は不可能です」
無力だと。不要だと。そう宣告された。
シエラは戦場から遠ざけるかのように俺の胸を押し、呆けていた俺はみっともなく尻もちをついてしまう。
「ここは私に任せて、早く」
俺に背中を向けて言う彼女の言葉には力が籠もっていた。
なんでだよ。
あんた、さっきまで震えてたじゃねえか。
こんなにおっかねえ奴が、目の前にいるのに。
あんたはどうしてそうまで強くあれるんだよ。
「待てよ」
治してもらった左腕で、彼女の背中を追おうとする。
彼女は一度、俺の方を振り返る。
しかし、俺の腕が情けなく震えているのを見ると、すぐに視線をエジルへと向けた。
「攻撃を待っていてくれるなんて、そんな紳士的な振る舞いができるとは思っていませんでした」
「馬鹿言え。俺を楽しませてくれるための作戦会議なら歓迎だってだけだ。まあ、どうやら俺の期待外れだったらしいがな」
舌なめずりをしながらそう口にしたエジルは続けて俺に視線を移し、ギラつく歯をひとつ鳴らした。
「てめえはもういい。そこで大人しくしてりゃあ後で楽に殺してやる」
殺気が頬を撫で、身体が竦む。
地面についた左手が、奴から遠ざかろうと、じりと身体をわずかに後ろへ引き摺り運んだ。
その情けない左手を、俺は見た。
俺は、何をやってんだ。
シエラの力になりたいんだろ?
シエラが守る誰かのために、俺も強くありたいって、そう思ったじゃねえかよ。
それを、一つや二つの傷でビビッて揺るがせちまう。
なあ、俺。
なんでお前はそんなに臆病なんだよ。
お前がそんな情けねえ奴だから、シエラに全部背負わせちまってんだよ。
お前がケツまくって逃げた分、代わりに俺が勇気を求められる。勘弁してくれ。
――そんなビビりなてめえには、仕置きが必要だな。
「………………いっっってえええええええッ!」
相手の出方を窺いあっていたシエラとエジル。その戦場特有の緊張感を吹き飛ばすように、俺の絶叫が響いた。
跳び上がって振り返ったシエラは、先ほどと変わらずその背を追おうとする俺の左手を見つけた。その掌からは、血が地面に滴り落ちていた。
刀の刃を強く握り、思い切り引き抜いてできた傷は、思いのほか深々と肉を抉っていた。
「何をして……」
困惑するシエラに、俺は引きつった笑みを見せる。
「待たせて悪かった。もう切り傷にも慣れたからさ。怖いもんなしだぜ、今の俺」
もう、左手の震えは止まっていた。
その様子を見たシエラは目を丸くして、その後、少しだけ表情を和らげた。
「自分の身体は大事にしてください。その傷は戦いが終わるまで治しませんから」
「ああ、そうしてくれ。痛みがなくなったらまた覚悟が揺らぎそうだ」
俺は立ち上がって、刀の切っ先をエジルへと向ける。
「待たせたな。ようやくお前を斬る覚悟が決まったぜ」
「少しは楽しませてくれるんだろうな?」
「お前が楽しむ余裕なんてないうちにとどめを刺してやるってのが理想だな」
「……減らず口を叩きやがって」
それまで気味の悪いニタニタ顔を見せていたエジルの表情が、ようやく不愉快の色に染まった。
「来いよ。二人まとめてぶち殺してやる」
「臆病者の反撃、見せてやるぜ」
――殺人鬼エジル・ミルハウストとの真の殺し合いが、幕を開ける。




