第9話「ミサキの揺らぎ」
秋の放課後。西日に照らされた校舎の影が、長く伸びていく。
文化祭と決闘騒ぎが終わってからというもの、学園の空気は妙にざわついていた。いや、正確に言えば――「黒瀬ユウマを中心にざわついていた」。
その渦の只中で、私はひとりだけ冷静であろうと必死だった。
(……冷静、冷静。だって、あいつはいつものユウマだし。昔からおっちょこちょいで、勘違いで突っ走って、でも妙に憎めないタイプで……)
机に肘をついて、ぼんやり窓の外を眺める。幼い頃からずっと隣にいた幼馴染。
でも最近――私の胸の奥で、どうしようもなくチクリとする感情が芽生えている。
「ユウマ先輩、この間の決闘、ほんとにすごかったです!」
後輩女子が、楽しそうに話しかけている。彼女の目は憧れに輝いていて、頬は少し赤い。
「まあ、俺だからな。最強の俺にとっちゃ、あれくらい当然だ」
「やっぱりっ!」
ああもう、そのドヤ顔……。昔から変わらない。だけど今は違う。
彼の何気ない言葉が、後輩たちの心をぐいぐい掴んでいくのを目の当たりにすると、胸がざわついて仕方ない。
(なにあれ……。ただ転びそうになったのを偶然避けただけでしょ? なのに“最強”扱いされて……)
そう、私は全部知っている。あの奇跡の裏側が、ただの偶然だってことを。
でも、周りは誰も気づいていない。むしろ日ごとに誤解は拡大して――。
(本当に……ただの偶然なの?)
心のどこかで、自分まで揺らいでいるのがわかる。
下校の途中。商店街を歩いていると、小さな子どもが泣いていた。どうやら転んで膝を擦りむいたらしい。
周囲の大人たちも気づいてはいるけれど、誰も声をかけられずに困っている。
そんなとき――。
「お、どうした?」
ユウマがしゃがみ込んで子どもの目線に合わせた。普段の調子で。飄々とした、でも優しい声で。
「痛いか? 俺の特製“最強シール”を貼っとけば、すぐ治るぞ」
そう言って、ポケットから取り出したのは……駄菓子屋で配っているただのキャラクターステッカー。
子どもは涙目のまま、それを受け取ってぺたりと膝に貼る。
「……治った?」
「……うん!」
小さな笑顔が弾ける。その瞬間、通りがかりの人々から拍手が起こった。
「さすが黒瀬くんだねえ」
「子どもの扱いも上手いわ」
本人は照れ隠しに頭をかきながら、笑っているだけ。
私はその背中を見て――心臓がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
(なにこれ……ただ子どもに優しくしただけでしょ? でも……なんでこんなに……)
子どもに微笑みかける横顔。無防備で、でも不思議と頼りがいのあるその姿。
昔から見慣れていたはずなのに、今日はやけに眩しく映った。
胸の奥に広がるのは、呆れでも苛立ちでもない。
もっと、ずっと……くすぐったいような、苦しいような感情だった。
「ねえ、ミサキ」
歩きながら、ユウマがふいに振り返る。
「さっきの子、笑ってくれてよかったな」
「……そうだね」
「俺の“最強シール”も役に立つもんだろ?」
「ふふっ……バカじゃないの」
口ではそう言いながら、笑みをこらえられなかった。
どうしようもなくお人好しで、無駄に自信家で、でも誰かを笑顔にできる。
(……ほんと、ズルいんだから)
家に帰った夜。机に向かっても、勉強に身が入らない。ノートに走らせたペン先が、ふと止まる。
思い出すのは今日の光景。
泣いていた子どもに手を差し伸べた、あの何気ない笑顔。
そして、周囲を自然と巻き込んでいく不思議な空気。
「……本当に、偶然ばっかりなのかな」
独りごちた声が、やけに寂しく響いた。
数日後。
ユウマは相変わらず“最強伝説”を更新し続けていた。
文化祭での暴走装置鎮静事件、図書館裏での決闘勝利、町での子ども救出……。
そして――私は今日もその隣に立ちながら、胸の奥で小さな波紋が広がっていくのを感じていた。
(やっぱり、あいつはただのユウマ。だけど……もし本当に最強だったら?)
そんな答えの出ない問いを抱えたまま、私は今日も彼と並んで歩く。
足並みをそろえながら、素直になれない言葉を飲み込んで――。
夕暮れの空。並んで歩く影が、少しだけ重なった。
(……ほんと、ズルいんだから)
その夜、ユウマの机の上で、あの猫――ホシが意味ありげに尻尾を揺らした。
まだ誰も気づかない、小さな「秘密」の始まりを告げるように。
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