第7話「路地裏のトラブルと猫」
放課後のチャイムが鳴り終わって、昇降口のざわめきが次第に遠ざかっていく。
黒瀬ユウマは、珍しく一人で帰り道を歩いていた。
「ふふ……今日も俺の最強っぷりが証明されてしまったな」
文化祭での“偶然の活躍”がまだ頭を離れない。装置のスイッチを押しただけなのに、周囲は「冷静沈着な判断だ!」と騒ぎ立て、新聞部が記事にしてしまったのだ。
あの瞬間のざわめき、そして拍手。あれこそが“最強”にふさわしい舞台だった――と本人は本気で思い込んでいる。
「にしても……帰りにパン屋寄るか。モモの新作あんぱんは捨てがたい……」
そんな平和な独り言をつぶやきながら、ふと近道の路地へと足を向けた。住宅街の裏手にある細い路地は、人通りも少なく少し薄暗い。だがショートカットできるので、ユウマはよく通っていた。
そのとき――。
「……みゃあ」
か細い声が、足元から聞こえた。
ユウマは立ち止まり、視線を下ろす。そこには、段ボールに入れられた小さな黒猫がうずくまっていた。
「おおっ……猫じゃないか」
耳の先がぴんと尖って、瞳は琥珀のように光っている。まだ幼いが、妙に気品を感じる雰囲気だ。
首輪はない。路地裏にぽつんと置かれていることから、捨てられたのだろうか。
ユウマはしゃがみこみ、そっと手を伸ばした。
猫は一瞬警戒して身を固くするが、すぐに「にゃあ」と鳴いて擦り寄ってくる。
「……ふっ。俺が最強だからか。動物ですら俺に心を許す。やれやれ、これも才能ってやつか」
完全に勘違いして悦に入るユウマ。
だがその様子を、すぐ近くの曲がり角から数人の町内会のおばさんたちが目撃していた。買い物帰りらしく、買い物袋を提げたまま目を丸くしている。
「あら……見て奥さん。あの子、猫に好かれてるわ」
「ほんとねぇ。普通、野良猫なんて警戒心強いのに……」
「やっぱり、動物に懐かれる人って、心が清らかなんでしょうねぇ」
おばさんたちの井戸端会議が始まり、瞬く間に誤解が増幅していく。
「昔から言うじゃない? 動物に好かれる人は“選ばれし者”だって」
「まぁ、救世主ってやつかしら。あの子、きっと将来大物になるわよ!」
本人には届かない小声の会話。しかし、こういう“誤解の連鎖”こそがユウマ伝説を肥大化させる燃料だった。
猫を抱き上げ、ユウマは微笑んだ。
「お前、名前はあるのか? ……ないなら、俺がつけてやろう。そうだな――ホシ、だ。
夜空に瞬く星のように輝く瞳だからな。どうだ? 悪くないだろう?」
「……にゃあ」
偶然にも猫が鳴き返す。それがまるで返事のように聞こえて、ユウマは大満足だった。
「ふっ、気に入ったか。俺とお前の縁は運命だな。これからよろしく頼むぜ、ホシ」
腕に抱えたその瞬間、再び運命的(に見える)事件が起こった。
路地裏のさらに奥から、よろけるように老人が歩いてきたのだ。片手に荷物を抱え、足取りがおぼつかない。
ユウマは特に気にせず歩き出そうとした――が、そのとき老人の足元の石につまずき、荷物ごと前に倒れかけた。
「うわっ!」
思わずユウマは腕を伸ばす。猫を抱えていたせいで完全には支えられなかったが、偶然にも肩を貸す形になり、老人は倒れずに済んだ。
「おお……助かったわい……」
息を整えながら老人は深々と頭を下げる。
「ありがとう、若いの。もう駄目かと思ったが……」
「フッ、礼など要らん。俺が通りすがったのも運命だろう。困ってる人を助けるのは最強の嗜みだからな」
自信満々に言い放つユウマ。
猫を片腕に抱え、老人を支える姿は、傍目には“英雄が人を救っている光景”そのものに見える。
先ほどのおばさんたちは目を潤ませながら小声でささやいた。
「見た? 今の! やっぱり只者じゃないわよ!」
「猫を抱きながら老人を助けるなんて……絵画のようだわ……」
「救世主だわ……間違いない!」
その評判はすぐに近所に伝わり、またしても誤解が広がっていった。
老人を家の近くまで送り届けたユウマは、ようやく一息ついた。
「ふぅ……やれやれ。今日はなかなかにイベントが多いな」
猫――いや、ホシはユウマの腕の中で丸くなり、心地よさそうに喉を鳴らしている。
「にゃー……」
「ふっ……可愛いヤツめ。俺の最強オーラに酔いしれているのだな」
そんな勘違い独白をしていると、不意にホシが小さく呟いた。
「……ちがう、ぬくいから……」
「――えっ?」
一瞬、ユウマは聞き間違いかと思った。しかし確かに、猫の口が動いていたように見えた。
「今……喋ったか?」
「……にゃあ」
しれっと猫の鳴き声に戻るホシ。
ユウマは「気のせいか」と首をひねったが、その奥底に妙なざわめきが残った。
その夜、自宅に戻ったユウマは、妹のアイナに猫を見せた。
「お兄ちゃん、その子どうしたの!?」
「今日の帰り道で拾った。名前はホシだ。俺に惹かれて運命的に出会ったんだ」
「うわぁ……かわいい! ほんとに懐いてるね!」
アイナは目を輝かせて猫を撫でる。その様子に、ホシは気持ちよさそうに目を細めた。
アイナは無邪気に言った。
「やっぱりお兄ちゃんってすごいんだね。猫にまで慕われるなんて!」
「フッ……当たり前だろう。俺は最強だからな」
こうしてまた一つ、ユウマ伝説の“誤解エピソード”が積み重なっていくのだった。
その頃――。
路地裏の暗がりから二つの影が、ユウマを遠く見つめていた。
「……あれが“最強”と噂の少年か」
「猫を抱き、老人を救いし姿……ただ者ではないな」
魔王軍の斥候たちが、ユウマの行動を目撃していたのだ。
ただ猫を拾っただけなのに、敵にまで誤解を与えるユウマ。
やがてその誤解が、さらに大きな騒動を呼び寄せることになるのだった。
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