第14話「姫の観察日誌」
王国の姫、セリシア=リュミエールは、自室の机に向かって羽根ペンを走らせていた。
白い羊皮紙の上に書かれる文字は、彼女の高貴な教養を反映した流麗な筆致でありながら、内容は少々……いや、かなり少女趣味に傾いていた。
《観察対象:黒瀬ユウマ》
・本日も学園で目撃。人混みの中心に自然と立つ。
・昼休み、購買にてパンを二つ購入(片方は妹の分か?)。
・「決めポーズ」を偶然に繰り出し、学園生徒の間で真似される様子を確認。
・要するに……やはり彼は、ただ者ではない。
彼女は小さく咳払いをしてペンを置いた。
「観察日誌、十四日目……。こうして記録を残すのは、決して個人的な好奇心などではなく……国のため、民のため、勇者を正しく見極めるため……」
と言いつつ、その瞳はどこか輝いている。
セリシアは決して嘘をついているわけではない。王国には“偽りなき最強の勇者が現れる”という古い予言があり、彼女はその勇者を探す役目を担っている。そして、どう考えてもユウマがそれに該当するようにしか見えなかった。
偶然、奇跡、そして……あの妙に照れ隠しが混じる微笑。
王族としての理性が「冷静に分析せよ」と囁く一方で、ひとりの少女としての心臓は「近くにいたい」と訴えていた。
翌日、セリシアは決心した。
観察は机上ではなく、現場でこそ意味がある。
つまり――尾行だ。
「お、お姫様。ほんとうにそのようなことを?」
侍女のマリアが慌てて袖を引く。
「し、失礼ながら……勇者候補を“監視”なさるなど……!」
「監視ではなく観察。国策の一環ですわ」
「で、ですが……お忍び姿で学園の廊下をうろつくなど……」
「静かに。始まりますわよ」
侍女を引き連れ、セリシアはフード付きのマントを羽織って人混みに紛れた。
廊下の先、ユウマが友人たちと談笑しながら歩いている。
「ふふ……今日はどんな奇跡を見せてくださるのかしら」
セリシアの目が輝く。
ユウマは、普通に歩いている。
だが、普通に歩くだけで事件は起こる。
「おわっ!」
廊下の窓際で誰かが転び、偶然ユウマの足元に消しゴムが転がってきた。
ユウマは気づかずに一歩踏み出し――つまづく。
だが、その転びかけた動作が、なぜか華麗な回し蹴りのように見えた。
ユウマの足が振り上げられた瞬間、窓から侵入してきた小型の魔物が直撃を食らって粉々になる。
「なっ……!」
「い、今の見たか!?」
「勇者様の足技だ!」
周囲の学生が歓声を上げる。ユウマはただ必死にバランスを立て直していただけなのに。
「ふ、ふん……やはり……」
セリシアはノートに書き込む。
《観察記録:即興の蹴り技により魔物を一蹴。やはり勇者。》
昼休み。
ユウマが購買でパンを買っている。
セリシアは店の影からそっと覗き込む。
「えーと、今日はメロンパンと、ツナパンでいいか」
ただそれだけの注文。
しかし、レジに居合わせた商人風の男が震えながら呟いた。
「メロン……すなわち“甘美なる果実”……ツナ……“海の王”……二つを並べて選ぶとは……まさか、あれが勇者流の暗号……!」
その場にいた学生たちが一斉に囁き合う。
「やっぱり勇者様は奥が深い……!」
「今日は“海と大地を制す”という意味か……!」
「…………」
セリシアは目を丸くし、そして真剣な顔で日誌に追記する。
《観察記録:食事の選択すら暗示的。勇者の意思表示の可能性大。》
放課後。
校庭の隅でユウマは一人、腰を下ろして猫と遊んでいた。
「お、ホシ。今日も元気か?」
「にゃー」
ただ撫でているだけなのに、その光景は神秘的でさえある。
セリシアの胸が高鳴る。
――この人は、本当に……。
その時、背後から別の気配が。
「……何をやってるのよ、姫様」
声をかけてきたのは、ツンデレ委員長こと神楽サラだった。
腕を組み、冷たい視線でセリシアを見つめている。
「ユウマのことを観察? ふん、物好きね」
「わ、わたくしは国策の一環で……!」
「はいはい。どうせ姫様も、アイツに惹かれてるんでしょ」
「ち、違います! これは純然たる観察で……」
サラはじっとユウマを見つめる。
猫と無邪気に戯れる姿に、胸がちくりと痛む。
「……ほんと、なんなのよあいつ」
思わず漏らした呟きに、セリシアは気づかない。
夕暮れ。
ユウマは帰宅の途につく。
その背を、遠くから二人の少女が見送っていた。
「……勇者様」
セリシアの声は、もはや国の姫としての冷静さよりも、ひとりの乙女の響きを帯びている。
「……まったく、放っておけないんだから」
サラは頬を赤らめ、そっぽを向いた。
二人の視線を知らぬまま、ユウマは鼻歌交じりで家へ帰る。
彼にとっては、ただの平凡な一日。
しかしその一挙手一投足が、姫の心を揺らし、委員長の感情を乱し、学園と街全体に伝説を積み重ねていくのだった。
【姫の観察日誌・本日のまとめ】
・転倒すら必殺技に。
・パンの選択は世界戦略。
・猫との触れ合いは聖なる儀式。
→やはり勇者。異論は認めない。
セリシアはペンを置き、深く息を吐いた。
「……やっぱり、好き……じゃなくて! やっぱり勇者ですわ!」
夜空に星が瞬く。
少女の観察日誌は、ますます恋文めいていくのであった。
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