第19話 忍び寄る視線(シズハ)
夜の学園都市は、昼間の喧噪とは別の顔を見せていた。
石畳の道には街灯がぽつぽつと並び、淡い光が影を生む。風に揺れる木々の葉擦れが耳に残る中、一人の少女がその影に溶け込むように佇んでいた。
黒影シズハ――影の組織〈夜叉〉の密偵。
漆黒の忍装束に身を包み、仮面で半分の顔を覆う彼女の姿は、通りすがる者にすら気づかれない。
「……あれが、黒瀬ユウマ」
視線の先、学園寮の部屋の窓辺に腰かける少年の姿があった。
無防備に伸びをし、あくびを噛み殺しながら夜空を眺めている。
「警戒心……ゼロ。これが伝説に名を連ねる男の素顔か?」
シズハの声は微かな呟き。だがその瞳には、既に任務を超えた好奇心が宿っていた。
本来の使命は単純。
――“最強の勇者”と噂される男の真偽を確かめ、必要ならば排除せよ。
それが〈夜叉〉の首領から与えられた任務。
だが、彼を監視して数日。
シズハの頭を悩ませていたのは、彼の行動が余りにも「読めない」ことだった。
この日もユウマは、いつものように日常の延長を生きていた。
食堂でミサキと並んで夕飯を食べ、寮の談話室で新聞部のリョウに絡まれ、筋肉バカのゴウに突然腕相撲を挑まれ――そして全部を偶然の連鎖で乗り切ってしまう。
シズハの目には、それがどう映るか。
(……不可解。彼は戦闘の構えを一切取らない。だが、挑んだ者は必ず敗北する)
夕刻の食堂。
ユウマは、落としたフォークを拾おうと机の下に潜った瞬間、向かいに座っていたレオンの斬撃を“偶然”避けていた。
さらに立ち上がった拍子に額を机にぶつけ、その衝撃で落ちてきた皿がレオンの腕をはたき、結果的にレオンは剣を落としてしまった。
それを見たシズハは息を呑んだ。
(意識せずに回避と反撃を同時に……! まるで未来を見通すような体術。しかも手加減までしている?)
彼女は仮面の下で眉をひそめる。
忍びとして数多の剣豪や魔導士を観察してきたが、これほど「無駄な動きしかしていないのに結果だけ完璧」な人間は見たことがない。
その夜。
シズハは寮の屋根に身を潜め、窓辺で本を開くユウマを見下ろしていた。
「……本当に凡人に見える。だが――」
彼女の脳裏に、今日一日の出来事が走馬灯のように蘇る。
勇気測定の機械を前に立った時。
配線ショートでメーターが振り切れた瞬間。
――機械にまで干渉する“気”を操ったのか?
路上で乳母車を止めた時。
偶然坂の途中に置かれていた段差でタイヤが引っかかり、ユウマが手を伸ばした瞬間に止まった。
――狙って設置していた……? それとも見えぬ糸を操る術?
(いや……どれもただの偶然にすぎぬ。だが、偶然が幾度も重なるのは必然……それこそ神業だ)
シズハは、忍びの勘が告げるままに結論へ近づいていく。
「……この男、やはり底が知れぬ」
そんな中、窓辺のユウマがふいに立ち上がった。
ストレッチをするように大きく背伸びをし、ふらふらとバランスを崩す。
「うおっ……っと!」
ガタン、と窓枠に手をつく。
その手に、偶然にも月光が反射してキラリと光った。
屋根の上で監視していたシズハは、その光景を見逃さない。
(……今の動き。まるで暗殺者を威嚇する“見えぬ斬撃”! わたしの居場所を察して――あえて警告を……?)
胸がドクンと跳ねる。
冷徹な密偵であるはずの彼女が、一瞬でも「見つかった」と錯覚したのだ。
「……やはり、只者ではない」
翌日。
シズハはついに直接接触を決意した。
学園裏庭。人通りの少ない木立の陰。
ユウマが洗濯物を抱えて歩いているところに、音もなく降り立つ。
「……黒瀬ユウマ」
「誰っ!?」
突然の忍者登場に、ユウマは目を丸くして洗濯物を取り落とす。
白いシャツが地面に散らばり、風に舞った。
だがシズハの目には、それが舞い散る羽のように見えた。
(布を囮に視線を散らす……見事な防御術)
勝手に誤解して頷くシズハ。
「……貴様の真の目的は何だ?」
「目的!? 僕はただ……洗濯物を干しに……」
動揺しながら必死に答えるユウマ。だが、シズハには深謀遠慮の演技に思えた。
(日常を装い、敵を欺く……これぞ“影”の達人の風格!)
シズハの瞳が尊敬の色を帯びる。
「……理解した。わたしは貴様に従う」
「……へ?」
「忍びとして、貴様の力を見極めたい。ゆえに、これからは影のように付き従おう」
仮面越しに低く告げるシズハ。
ユウマは完全に意味不明な顔をしていた。
「えっと……? 僕に従うって……? ちょっと、意味わからないんだけど……」
だが、その困惑すらも――
(なるほど……己を理解させぬことで敵の裏をかく。やはり……やはりこの男は、規格外!)
シズハは胸の内で確信を深めるのだった。
こうして黒影シズハは、“最強の男”ユウマに付き従うことを決意した。
彼女の誤解がまた一つ、伝説に拍車をかける。
――その事実を、本人だけがまったく理解していない。
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