第1話「鏡の前の最強宣言」
朝日が差し込む六畳間。古びたアパートの一室の鏡の前に、ひとりの男子高校生が立っていた。
黒髪を軽く手で整え、制服の襟を正す。その目は妙にギラついていて、どこかの勇者よろしく決意に満ちている。
「――フッ、今日も俺が最強だな」
鏡の中で自分に向かってニヤリと笑い、指を突きつける。
それは毎朝欠かさず行われる、彼の日課であった。
黒瀬ユウマ――十七歳。学園都市クロノス第二高等学校に通うごく普通の高校二年生。
ただし、「最強」を本気で信じ込んでいる残念な少年でもある。
筋肉隆々というわけでもなく、魔法の才能があるわけでもない。テストの成績も平均点前後。
だが彼の脳内では、そんな瑣末な数字など何の意味も持たない。
――俺が最強。だから勝つ。だから守れる。だから輝く。
根拠はゼロ。だが自信は百パーセント。
この揺るぎなき勘違いこそが、彼の最大の“力”であった。
「よし、今日も俺が世界を制す。覚悟しろよ、運命!」
拳を突き上げてポーズを決めたところで。
「……何やってんの、朝から」
呆れ果てた声が背後から飛んできた。
振り返ると、窓から身を乗り出すように顔を覗かせている少女がいる。
白石ミサキ。ユウマの家の隣に住む、同い年の幼馴染だ。
セミロングの黒髪にカチューシャ、快活そうな瞳。制服姿のまま窓から覗き込んでいる姿は、日常の一コマのようでありながらも、妙に家庭的な空気を漂わせている。
「おお、ミサキ。いいところに来たな。今のポーズ、どうだった?」
「どうって……鏡に向かって“俺が最強だ”ってドヤ顔してただけじゃない。完全に痛い人だよ」
「痛いとは失礼な。これは自己暗示だ。最強であると信じることで、本当に最強になる。つまり“最強の呪文”ってやつだな」
「……はあ」
ミサキは額に手を当て、深いため息をついた。
毎朝の恒例行事すぎて、驚く気力すら失せているらしい。
「いいから早く学校行くよ。遅刻する」
「おっと、そうだったな。俺が最強であるがゆえに、時間にも勝つ――」
「勝てないから。走って!」
二人は並んで通学路を歩く。いや、ミサキがスタスタ歩くのに対し、ユウマが悠然と腕を組んでついていく、という構図だ。
「なあミサキ。昨日も言ったが、俺が最強であること、そろそろ認めてもいいんじゃないか?」
「なんで昨日も言ったのを今日また言うのよ」
「確認だ。俺が最強であることを、お前が認めるまで毎日確認する」
「はあ……。もう好きにして。私の頭痛が悪化するだけだから」
口ではそう言いつつも、ミサキの目の奥にはほんのわずかな迷いが宿っていた。
――いや、ユウマは昔からこんな調子だし、実際はただの凡人のはず。
……けど、たまに、妙にタイミングよく物事が解決しちゃうんだよね。
ミサキが心中で小さく揺れていた、そのとき。
「おい、そこの一年。ぶつかってんじゃねえよ!」
学園の昇降口前。数人の不良風男子が一年生を囲んでいた。
どうやら昼飯代を脅し取ろうとしているらしい。
「ちょっと……また面倒な場面に遭遇しちゃったわね」
ミサキは眉をひそめる。
だが隣のユウマは――不敵に笑っていた。
「フッ、俺の出番か」
「は!? いいから関わらないで――」
止める間もなく、ユウマは不良グループのほうへ歩いていく。
その瞬間だった。
廊下を横切ってきた女子生徒のトレイが、つるりと滑って宙に舞った。
牛乳パックとパンが飛び散り、カランと音を立てて銀色のトレイが弧を描く。
「わ、わわっ!」
ユウマは反射的に身をひねった。
トレイはユウマの肩をかすめ、そのまま後方にいた不良リーダーの後頭部へ――ゴンッ!
「ぐふっ!?」
見事な直撃により、不良リーダーはその場に崩れ落ちた。
残りの不良たちは一瞬呆然。
「な、何だ今の動き……!」
「リーダーを一撃で……!」
ざわっ、と周囲が騒めき始める。
ユウマは自分の肩を軽く叩きながら、何事もなかったように言った。
「フッ……俺に逆らうからだ」
完全に偶然だった。だが周囲の生徒の目には、ユウマが鮮やかにトレイを操り、不良を一撃で沈めたようにしか映っていない。
「す、すげえ……! 黒瀬先輩、最強じゃね?」
「いやマジで一瞬で終わったぞ!」
「格好いい……!」
あっという間に称賛と驚嘆の声が広がる。
不良たちは慌ててリーダーを抱え、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「……」
ミサキは呆然とユウマを見つめていた。
まただ。偶然のはずなのに、なぜか格好よく見えてしまう。
「フッ。俺の最強伝説の第一章、開幕だな」
本人は胸を張って言い放つ。
その姿はまるで、何もかもを計算していたかのような完璧さを纏っていた。
こうして――黒瀬ユウマの“最強伝説”は、学園に小さな波紋を広げ始める。
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