8.お姉さま
化粧を落とすために帰りに姉のマンションに寄ることを伝えると、危ないからと一見が送ってくれた。
「俺の家じゃないけどさ、せっかくだしお茶でも飲んでけよ」
「それは遠慮しようかな。お姉さんにも直接お礼を言いたいけど、女性の部屋にいきなりお邪魔するのは失礼だから」
「彼氏力高いな、お前」
そう言うと、一見は照れたように笑って「ありがとう」と言った。
多分これを見せたら学校中の女子が惚れる。危険だ。最近の一見はますますイケメンに磨きが掛かってきた気がする。
「姉貴は気にしないと思うけど。それにこれ、ひとりで持って帰れないだろ?」
一見の手には特大の袋が二つ。俺の手には袋から顔を出した大きなぬいぐるみがひとつ。一見が全て持つのは難しい。
「……じゃあ下で待ってる。荷物持たせてごめん……」
「荷物は全然いいんだけどさ」
項垂れる一見を横目で見ながら姉に連絡をすると、全然オッケー、と帰ってきた。
「一見君に会えるの楽しみー! だってさ」
一見はそれでも躊躇って何度か口を開いたり閉じたりしたけど、最終的には頷いてくれた。
「……今気付いたけど、クラスメイトに見られたらどうしよう」
「持ってるだけなら、俺の妹へのプレゼントとか言えるだろ?」
「そっか、壱村は妹さんも……」
そこで、あれ? と俺たちは首を傾げた。
わざわざ女装しなくても、妹へのプレゼントを買いに来た設定で一緒に行けば良かったんじゃ……?
「……プレゼント買いに来たんですって言って回るわけにもいかないし、やっぱこの方法で正解だったんだよ……」
「そうだよな、見た目で分かるのは大事だと思う」
俺の重い声に、一見は精一杯のフォローをしてくれた。
マンションに着くと、姉が嬉々としてドアを開けた。
「一見君、いらっしゃーい! ……って、やばっ、すごいイケメン!」
「えっ、あ、あの……こんばんは。突然お邪魔してすみません」
「しかも礼儀正しい!」
「あー、ごめんな、一見。うちの姉こんなで」
「こんなって何よ? 美女ってこと?」
「はいはい美人ですよお姉様」
適当に相槌を打つと、バシッと背中を叩かれた。暴君の姉を持つ弟の扱いなんてこんなもの。でも一見は「仲がいいんですね」といい方に解釈をして笑ってくれた。
♢♢♢
壱村がバスルームで着替えている間、俺はお姉さんを前にしてソワソワしていた。
腰までのサラサラの黒髪、切れ長の瞳。エキゾチックな雰囲気の美人だ。
壱村の目は丸くて可愛いけど、気が強そうなところがお姉さんと良く似ている。やっぱり姉弟だな、とそっと横目で窺った。
するとパチリと視線がぶつかる。
……お礼の品を渡して、丁寧にお礼を伝えて、失礼はなかったはず。それなのにジッと見つめられて、背筋に冷や汗が流れた。ただでさえ女性の部屋に入るのは初めてで緊張してるのに……。
「あの……?」
意を決して声を掛けると、お姉さんはにっこりと笑った。
「色々気にしちゃうタイプなのね」
「え?」
「人の好みはそれぞれじゃないの。男性もこのキャラ好きって人多いし、堂々としてていいのに」
これ、と熊のぬいぐるみを指さした。
壱村はお姉さんに、俺がただこのキャラクターを好きだと説明してくれたんだろう。トラウマとかの本当の理由はきちんと隠してくれたことが嬉しくて、頬が緩んでしまう。
「ありがとうございます。気が楽になりました」
「えっ、なにこの子、可愛い……」
お姉さんは何か呟いたけど、わりと近い距離なのに聞こえなかった。
「さすが弟に自主的に女装をさせた子……放っておけない感が凄い……」
「あの……?」
ますます見つめられて、俺が引いたところで、リビングのドアが開いた。
「姉貴、これ……」
「どうしたの?」
ドアの前で脚を止めた壱村に、俺たちは首を傾げた。
「あ、いや、見た目だけだとすっごいお似合いだなって。服サンキュ」
「どういたしまして。見た目だけって何よ?」
「一見の彼女は、姉貴くらい身長ある方が映えるな」
「まあアンタはロリっこアイドルだからね」
「ロリ言うな」
テンポ良く言い合う二人を前に、俺は曖昧に笑った。肯定しても否定してもどちらにも失礼で、何も言えない。
ただ、端から見て誰が似合っていても、俺はやっぱり壱村がいいな。……そんな本心を言うとまたややこしいことになりそうで、口を噤んだまま二人を見守った。
「やっぱ姉貴の化粧すごいよ。俺が男だって、誰にも気付かれなかった」
「でしょ〜? 化粧も服選びも完璧だったでしょ」
お姉さんは壱村の化粧を落としながら、良い仕事をしたと満面の笑みで言う。化粧水とクリームまで塗り終えて、今度はニヤニヤと笑った。
「でも、欲しい商品の画像送ってくれたら、私が代わりに買ってきたのに」
「あっ……騙されたっ!」
「アンタってほんと単純よね」
あはは、と大笑いする。どうやらお姉さんは、壱村で遊ぶのがお気に入りらしい。でも……悔しそうに睨む壱村が可愛いから、その気持ちはよく分かるな。
「あの、でも、初めて直接自分で選べてとても楽しかったです。壱村。一緒に来てくれて、嬉しかったよ」
「一見……」
「一見君ってほんとにイイコ! でもこれ、郵送すれば良かったんじゃない?」
「「あっ」」
「そんなことにも気付かないなんて、そんなにデートが楽しかったのね」
お姉さんの言う通りだ。
「とても楽しかったです」
「まあ、昼もおごって貰ったし」
「え、ほんとにデートだったの?」
「デートって設定ではあったしな」
「俺はとても楽しかったよ」
「そっか。俺も」
嬉しそうに笑う壱村が可愛い……抱きしめたい……。でも俺が我慢できなくなる前に、お姉さんがガシッと壱村の肩を掴んだ。
「アンタ、こんな好物件手放すんじゃないわよ!? いい!?」
「は? 何言って……」
「アンタの顔と体目当てじゃない男なんて、他にいないからねっ?」
「いや、俺も男だって忘れてない?」
「愛に性別なんて関係ない」
「真顔やめて。ってか、俺を押し付けられても一見が困るだろ」
肩を竦める壱村に、俺は首を傾げた。
「困らないよ? でも、俺には勿体ないな」
「っ……イケメンなのに低姿勢っ……ほんとに絶対手放すんじゃないわよっ……」
「普通自分が付き合いたいとか言わない?」
「私が年上好きなの知ってるでしょ? 年上なのに私がいないと駄目なくらい頼りなくて気が弱くて、いじめ甲斐のある人が好きなの」
「姉貴って業が深いよな」
それからまたギャーギャーと言い合う二人を見ながら、さすが壱村のお姉さん、男前だな、と思ったことは言わないでおこう。
♢♢♢
「一見君。これからも弟をよろしくね」
「はい」
帰り際に姉貴に固く握手をされて、一見は笑顔で頷いた。そんな一見の手を姉から奪い、両手に荷物を持たせる。
「あら~、嫉妬?」
「嫉妬じゃないから。一見も嬉しそうな顔すんな」
「アンタってほんとに素直じゃないわね」
「そこが可愛いんですよ」
「やっぱり君以外に弟を任せられる人いないわ」
「あーあー分かったから、一見、帰るぞ」
「うん」
上機嫌な一見の背中を押して、同じく満面の笑みの姉に見送られながらマンションを後にした。
「いらないとは思うけど、今日の記念に」
一見のマンションへ荷物を運び、わざわざ俺を家まで送ってくれた後、不安そうな顔の一見から小さな熊のぬいぐるみが付いたストラップを渡された。自分の好きなもので邪魔にならないサイズ、という一見らしい気遣いを感じる。
「ありがと。大事にするよ」
本当のデートだったら、こうして記念になるものを毎回買って、眺める度にその日のことを思い出すんだろうな。一見は多分そんなこと考えもしてないんだろうけど、素でホストというか彼氏力が高いというか。
一見が溺愛するキャラクターだと思うと妙に愛らしく見えて、何となく夢見が良くなりそうだし、とベッド脇の時計のそばに飾った。