4.家庭教師
それから一見は、度々抱き締めさせて欲しいと言ってきた。男に抱き締められる趣味はないけど、唯一の秘密を知る者として、そして秘密を暴露させてしまった身としては断りきれなかった。
それに、大型犬がじゃれている……と思ってからは、なんだか可愛く見えてきてしまった。
可愛いものが好きと公言しても、今の一見なら「ギャップがいい」と言われるだけでは? と思う。でもその“可愛いもの”が限定されていることが問題かもしれない。
男が好き、って勘違いされそうだよな……。今の一見の外見だと、その勘違いした男に襲われそう。やっぱり俺が守らないと駄目だ。
今日も俺は屋上で大蛇映画のごとく抱き締められながら、巣へと帰る鳥の声を、どこか遠くに聞いた。
「壱村は、本当は第二志望の方に行きたいって言ってたよな」
解放されて、ぐったりしながらその声を聞く。確か一見に会った初日にそんな話をした。良く覚えていたなと思いつつ、溜め息をつく。
「そうだけど、俺の学力だと難しいんだよな……諦めずに受けるつもりだけど」
結果は難しいと冷静に受け止めてもいる。だからこそ第二志望に持ってきた。塾に通うにも、下にはこれから中学に上がる弟妹がいる。出来れば自力で勉強して、合格を目指したかった。
「抱き締めさせて貰うばかりも悪いから、勉強を教えるのはどうかなと思ったんだけど」
渡りに船。ポンとそんな単語が浮かんだ。俺は思わず、ギギギ……とロボットのように一見の方へと顔を向ける。
「イケメンで頭もいいとか本当…………」
悔しがる俺に、一見はクスクスと笑った。
「余計なお世話だったかな?」
「くっ……その余裕がムカつくっ……勉強教えてください……!」
「壱村、本当に可愛い」
「ニヤニヤすんなっ。俺の成績が上がらなかったら、もう抱き締めるのはナシだからな。しっかり教えろよ」
「っ……ツンデレ、かわいいっ」
ぎゅうっと抱き締められて、内臓出る! と叫びたくて……もはや呻くしか出来ない。こいつ、本性現したら容赦ないって……。
「な、ないぞうっ……」
「あっ、ごめん」
腕が緩み、一気に流れ込んできた酸素に噎せてしまう。慌てた様子で背を撫でる一見に、絶対合格させろよ、と言うのがやっとだった。
◇◇◇
「散らかってるけど」
翌日。そう言って案内されたのは、マンションの一室。一見の部屋だ。両親は共働きで、遅くまで帰って来ないらしい。
「予想はしてたけど、ファンシーな部屋だな」
可愛らしい女子の部屋というわけではなく、白と黒のモノトーンコーデの中に、ぬいぐるみやミニフィギュアが満載の棚やソファやベッドがある。
「引いた?」
「いや、別に。座っていい?」
「どうぞ」
一応了承を得てソファに座ると、隣には先客の熊のぬいぐるみがいた。見渡すと、棚にも熊が多い。
「熊、好きなの?」
可愛いものが好きなら、ウサギや猫という小動物が多いイメージだった。
「熊は、大きくて強くていかついのに、こんな小さくてふわふわボディにされてるところが可愛くて」
ソファの熊を抱き上げて、ぎゅっと抱き締める。隣にいた時は大きいと思ったけど、一見が抱えるとそうでもない。
「うん、うん? へぇ……。それで言うと、ライオンとかヒョウとかも良さそうだけど」
「その系統は格好良さが残ってるのが多くて、ちょっと」
「違いが分からない」
相変わらず一見の基準が分からなかった。
「壱村、これ、持ってくれない?」
「嫌な予感がするからヤダ」
きっぱり断ると、一見はしゅんと肩を落とす。そうだよね、と言って熊を抱き締めネガティブなオーラを出し始めた。
「……分かったから、そんな顔すんな」
そう言うが早いか、一見は熊のぬいぐるみをサッと膝の上に乗せた。あれ、もしかしてこいつ、確信犯?
「っ……かわいいっ……」
「ちょっ、こらっ」
「かわいいっ……」
俺をぬいぐるみごと抱き締める。だが、間にもっちりふわふわの熊を挟んでいるおかげで、衝撃が吸収されたのか、内臓は無事だった。
いつの間にか、頭撫でるのプラスされてるし……。可愛い可愛い、って子供か。
こうなった一見はもはや止めるのは不可能だ。嵐が過ぎるのを待ちながら、苦しくなければ暖かくていいかも? とメリットを見つける作業を始めた。
嵐は過ぎ、本来の目的である勉強を始めた。
さすが自分から提案するだけのことはある。一見の教え方は分かりやすかった。大学に入ったら一見のアルバイト先は家庭教師だ。ホストじゃない。俺は勝手にそう決めた。
そろそろ休憩しよう、と差し出されたマグカップを受け取る。中身はミルクたっぷりのカフェオレだ。一見はブラック。
言ったっけ? と首を傾げると、昼食時にパックのカフェオレを良く買っているからと言った。そこまで見られているとは、何というか……。
「可愛い」
「んっ?」
今持っているのはぬいぐるみではなく、ただのマグカップだ。
「小さくて、守りたくなる」
「それ、馬鹿にしてる?」
「まさか。最高に俺好みだよ」
「お前、誤解されるぞ……」
元からスラスラと恥ずかしいことを言う性格だったけど、最近特に酷い。自覚があるのかないのか、まるで恋人でも見るように愛しげな目をするものだから、俺じゃなければ勘違いするだろうなと溜め息をついた。
「壱村にならいいよ。俺のこと、気持ち悪いって言わないだろう?」
「まあ、言わないけど」
「けど?」
「俺にハアハアしてるのは、ちょっと変態っぽい」
「……変態は、嫌い?」
「好きって言う奴いなくない?」
変態好きです、ってそっちの方がヤバい。
「一見が嫌いなわけじゃないけどさ。やっぱりそれ、他の人には見せない方がいいな」
「そう、だよな」
「まあ、でも、お前ならそのうち理解してくれる彼女が出来るよ」
一見なら、顔だけでなく、真面目で優しいところをちゃんと見てくれる人がきっと現れる。
「俺は、壱村がいてくれればいいよ」
「え? えっと……俺も、そのうち彼女が出来るかもしれないし」
「それでも、俺には壱村がいればいい」
真っ直ぐに見据えられ、思わず身を固くする。
それは、どういう……?
「告白じゃないから、安心していいよ?」
動揺する俺に、一見はそう言って笑った。
「っ……びっくりした……」
「ごめん。でも、言ったことは本気だから」
「本気って……もー、お前、そういうさー」
「どうして壱村はこんなに可愛いのかな」
「真顔やめろ、怖い」
小さいとか女子みたいという「可愛い」は言われ慣れていても、男のままで言われる「可愛い」は慣れていない。それでなくても美形の真顔は怖いというのに。
「嫌がってる顔も可愛くて困るな……」
「怖い、怖い、普通に怖い」
「引かないで。可愛いから」
「無茶言うな、ってか真顔やめろっ」
テーブルの向かい側から隣に移動した一見に真顔で見つめられ、マグカップを持ったまま反対側へと逃げた。
「……ごめん、壱村」
「待てっ、落ち着っ、……!!」
マグカップを奪われテーブルに置いたのを合図に、今日も大蛇の絞め付けに遭うのだった。
今日、完全に悟った。一見は、一度心を開くとどこまでも。依存と執着が酷いタイプだ。
まだ出逢ってひと月も経たないというのに、こんなに本性を見せて大丈夫か? と心配になる。でも、それを誰にも言わないと信頼されていると思うと……裏切れないな、と思うのだ。
だから、つい、「こいつには俺しかいないのでは?」と勘違いをしてしまった。
だから、俺は……冷静さを欠いた面倒見の良さを発揮してしまうことになる。