3.一見の秘密
その日から一見は、男子生徒とも会話をするようになった。
初めは俺と仲のいい友達と。それから他のクラスメイトと。男友達が増えれば、自然と女子だけに囲まれることはなくなり、休み時間にも俺以外と話すことが多くなった。
そんなある日。プリントを回す時に、一見から目を逸らされた。気のせいかと思ったけど、二度、三度となると気のせいじゃないと気付く。
休み時間の度に教室を出るのは、他のクラスに仲のいい友達が出来たからだろうと思っていた。昼ご飯に誘っても断るようになったのも、そのせいだと。
もし誰かに脅されたり虐められていたなら、きっともっとオドオドして視線で助けを求めてきただろうから。
少し寂しさはある。それでも、一見に友達が出来るのは喜ばしいことだと思っていた。もしかしたら彼女が出来たのかもしれない。それならそのうち教えてくれるだろう。そう思っていたのに……。
その二日後だった。
購買に向かう途中、中庭の端でひとりぽつんとパンを食べている一見の姿を見かけた。次の休み時間に後をつけると、今度は屋上でぼんやりとしていた。
悩みごとかなと心配する気持ちと、何度誘っても断ってたのは何で? という不安と苛立ち。俺から何かした覚えはない。そもそも避けられてることに気付く直前も、いつも通りに話していたのに。
「一見。話がある」
放課後、チャイムが鳴ると同時に帰ろうとする一見の腕を掴んだ。
「っ……ごめん。ちょっと、用事があって」
「じゃあ明日は」
「明日もちょっと……」
「じゃあ、明後日」
腕を掴んだまま、視線を合わせない一見をジッと見据える。周囲がヒソヒソと囁く声も気にせずに見つめ続けたら、ついに一見は諦めたように息を吐いた。
「分かったよ……」
小さく了承の言葉が漏れても、一度も目を合わせようとはしなかった。
引きずるように屋上へと連れて行き、ドアから離れた場所で手を離した。
「で? なんで避けるんだよ」
最初から本題を切り出せば、一見はうつむいたままで肩を震わせた。
「別に、避けては……」
「避けてるだろ。俺、なんかした?」
「壱村は何も……」
「じゃあ、なに?」
視線の先に回り込むと、慌てたように視線を別方向に逸らされる。右に左に、でも上を向かれれば、俺の身長じゃ視界に入ることも出来なかった。
「こら! 下見ろ!」
卑怯だ、と両手を伸ばし一見の頭をガシッと掴む。驚いているうちにグイッと下に向けた。
「っ……」
「よし。やっと顔見れた」
久々に合った視線。どうだとばかりに胸を張ると、一見は突然眉間に皺を寄せて、低い声を出した。
「もう限界だ……」
「お、おお。やるか?」
正直、腰が引けてしまった。反射的に離した手で、辛うじてファイティングポーズを取ってみる。
そこまで怒らせることをした記憶はない。理不尽に殴られてたまるか、と一見を睨み返してはみるが……美形の顰めっ面、めちゃくちゃ怖い……。
それでも負けてたまるかと、視線を逸らさずにいると。
「抱き締めたい」
「やれるもんなら、……………………は?」
今、なんて……?
「ごめん、壱村」
「えっ、ちょっ、うわっ!」
頭がついていかないうちに、目の前が真っ暗になる。固い何かに顔を押し付けられて呼吸も塞がれた。
(し、しぬっ……!)
必死で暴れて顔を横向けると、何とか酸素が吸えるようになった。
混乱する頭で理解したのは、目の前のこれは一見の胸板だということ。意外と筋肉があるということと……高身長め!! と叫びたいこの気持ち。こんなに身長差があってたまるか、と身を捩る。
「……かわいい」
「は? なに? なんて?」
「だから離れようとしたのに……」
「一見? って、馬鹿力かっ」
ぎゅうぎゅう抱き締められて、身動きが取れない。腕も動かせない。やばい、これ、この前観た大蛇もののパニック映画だ。
「出るっ、中身出るっ……」
「あっ、ごめん」
「って、離さんかい!!」
腕を緩めただけで抱き締めたままの一見に、ついツッコミを入れてしまった。
「駄目だ……無理、かわいい……」
「おいっ、語彙力死んでるけど大丈夫か!? 目を覚ませ!」
「むり……」
完全に語彙力の死を迎えた一見は、その後も大蛇のように巻き付いて離れなかった。
◇◇◇
茜色の空を、綺麗だなとぼんやりと見つめる。こんなにゆっくり空を見るのは久々かもしれない。フェンスに背を預け、ふ……と遠い目をした。
……ここに来た時、空は青かった。
まだ、青かった。
「お前に一体何があった……」
もうこの際、避けられていたことはどうでもいい。今の奇行、その理由を聞かせろ。
ぐったりとした俺に申し訳なさそうに眉を下げていた一見は、今度は不安そうな顔をする。でもすぐに決心した顔で口を開いた。
「壱村を信頼して、話すけど」
信頼揺らぎかけてるけどな……揺らぐというか、もう意味が分からない。逆に冷静になった。
「俺……小さくて可愛いものが好きなんだ」
「いや、小さいって、失礼だな? ってかそれなら女の子の方が良くない?」
「女の子は、基本的に元々小さいだろう? 本来は大きいはずのものが小さいところに心を動かされるんだ」
「めちゃくちゃ失礼だな」
喧嘩売ってる? と言いたいが、一見は至極真面目な顔をしていた。言っていることは分かる。分かるが、良く分からない。
「たとえば、建築物とか工事車両のミニフィギュアとか、手のひらサイズの小さなフライパンや鍋とか」
「なるほど……?」
納得はした。でもそれが人間にも適用されるのはどういうことだ。
「壱村と初めて話した時も、立ち上がった壱村があまりに小さくて可愛くて……それなのに堂々としたところが格好良くて、あまりに理想的で驚いたんだ……」
屋上で立ち上がった時も、小さくて上目遣いの俺があまりに可愛くて抱き締めたい衝動に駆られて、堪えていたのだと言った。
「俺は壱村に依存してる自覚があったし、これ以上そばにいたら、堪えられなくなって抱きしめそうだったから……だから距離を置いたんだ」
滔々と話す声がまるで物語を語るように滑らかで、まるで良い話のように錯覚させてくる。
「俺、今でこそクールでかっこいいとか言われるけど、転校が決まって吹っ切れる前までは、今以上に気も小さくて」
「イケメン自覚したらしたでイラッとするな……」
つい心の声が漏れ出てしまう。でも一見は華麗にスルーして、良い声で続けた。
「背が高かったせいで、余計に悪目立ちしたんだ。今より髪も長くてボサボサで、ずっと眼鏡をしていたし……。可愛いもの好きだって知られてからは、女子みたい、気持ち悪い、って言われて、無視されて……」
それは初めて聞いた。今までこんなイケメンがどうして、と思っていたけど、これで腑に落ちた。そんな過去があるなら人を怖がっても当然だ。
「壱村を信じてるけど、もし誰かに知られたらと思うと、あの時のトラウマが……」
「気にしてるなら言う気ないからっ」
完全にネガティブモードになり膝を抱えてしまった一見に、慌ててそう答えた。
俺としては、そうなんだー、くらいのことだけど、一見からしたら重大な秘密……過去の傷なんだ。
「……ごめん。気持ち悪かったよな。抱き締めたりして、ごめん」
語尾が小さく消えていく。体格も顔も声も恵まれているくせに、小さな子供のように怯えて震えて……やっぱり俺が守らないと、と使命感に更に火がついてしまった。
「気持ち悪くないけど、内臓出そうで死は覚悟した。少しは手加減しろって」
拗ねたように言ってみせると、一見は顔を上げて、驚いた顔をした。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「やっぱり、壱村は優しいな。小さくて可愛くて、優しい」
「小さいも可愛いも余計だけどな」
「気が強いところも可愛い」
ふっと笑う一見に、やっと元通りだと胸を撫で下ろした。一見に避けられた時の寂しさや苛立ちや、あの言いようのない感情はもう二度と味わいたくない。
そこでふと、疑問が浮かんだ。
「これ、聞いていいか分かんないけど」
「うん。何でも聞いてよ」
「一見ってさ、男が好きなの?」
言ってしまってから、デリカシー! と心の中で叫んだ。ジャムパン好きなの? くらいのノリで聞いてしまった。さすがに冷や汗が出たけど、一見は少し驚いただけでクスリと笑った。
「恋愛の意味ってことなら、違うよ」
「そっか」
気にしていないようで良かった。ホッと息を吐く。
「でも、女の子にはこんな衝動は起きないというか、抱き締めたいとは思わないけど」
「そっか……」
女子関係で怖い目に遭ったのかな? と思うと可哀想だ。このイケメンさを活用出来ずに埋もれさせてしまうのも可哀想。
「まあ、どっちが好きでも、一見ならすぐ恋人出来そうだけどな」
「壱村、抱き締めていい?」
「お前、今、話聞いてた?」
「聞いてたけど可愛かったから」
「マジでお前の可愛いの基準分かんない」
と言いつつ、前以上に俺には本音を零すようになったことが嬉しくて、今度は加減しろよ、と了承してしまった。