18.可愛くない
弐虎君と話して、迷いがなくなった。
壱村は俺を避けるようになって、顔も見てくれなくなった。もう駄目かもしれない。そんな予感があっても……あるからこそ、何もせずに黙って返事を待ってはいられなかった。
「壱村、今日」
「っ……悪い、許せ!」
「えっ? 壱村っ?」
全速力で走り去っていく姿を、唖然として見送る。昨日まではやんわり避けられていただけなのに、どうして今日は全力疾走なの……。
本当に嫌われ……駄目だ、こんなことでめげてはいられない。
でも、鬱陶しくしてこれ以上嫌われたら……いや、壱村がそんなことで嫌うはずがない。
……でも。
……でもじゃない。決めたはずだ。好きになって貰うために、どんな手段でも使うと。
昔の俺とは違う。壱村が変えてくれた。今の俺なら大丈夫だ。
「壱村、話が」
「ごめんな!」
「壱村、ちょっと」
「ごめん……!!」
数日この繰り返し。毎度見事な全力疾走だった。
壱村って、大学で陸上部に入ればすぐに大会メンバーに選ばれるな。逃げられ過ぎて逆に冷静になった頭で、大会に出る壱村の姿を想像した。絶対に格好良くて可愛い。
「大丈夫……まだ嫌われてない」
はっきり嫌いだと言われるまでは、諦めない。言われて傷付いても、めげない。明日こそ捕まえよう。
♢♢♢
「駄目だ……体が勝手に逃げる……」
階段下に逃げ込んで、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
一見の声を聞くだけで落ち着かない気持ちになる。顔が熱くて、心臓が痛くて、反射的に逃げ出してしまう。
もう認めるしかない。これは完全に、恋だ。
一見に恋をしている。
そう脳内で言葉にすると、また顔が熱くなって腕に顔を埋めた。
「どうしたら……」
どうって、好きだと言えばいいだけだ。そうすれば一見は喜ぶ。喜ぶ……という上から目線は何様だ。でも実際の一見も、大型犬のように尻尾を振って俺に飛び付いて、全身で喜びを表す姿しか想像出来ない。
「早く伝えないと……」
一見、悲しそうな顔してた。あんな顔はさせたくないのに。そう思ってはいるのに……。
「あっ、壱村先輩、みぃつけた」
「っ!?」
階段下を覗き込まれて、心臓が飛び出るかと思った。みぃつけた、とか怪談話のような口調で言わないで欲しい。心臓を押さえて、弐虎を恨めしく見つめた。
俺を見つめる、大きな瞳。弐虎は天使のようににっこりと笑った。
「壱村先輩って、可愛くないですね」
「……は?」
いや、待て、顔に気を取られて反応が遅れた。今、何て言った?
「あーあ、ガッカリだなぁ。本当に顔だけじゃないですか。まぁ、僕の方が可愛いですけど」
天使のような笑顔で、ツラツラと辛辣な言葉を紡ぐ。いやいや、本当に待て。なんて? 理解が追い付かない俺は、唖然として弐虎の顔を見つめた。
「素直じゃなくて本当に可愛くないです。一見先輩のこと、好きなくせに」
「っ……別に、好きじゃっ………………ない、わけじゃないけど……」
ピクリと弐虎の眉が跳ねる。
「じゃあ、どうして逃げ回ってるんですか?」
「……逃げたいわけじゃないし。体が勝手に逃げるんだよ。どうにかしないととは思ってるけどさ」
せめて先輩の威厳は保ちたくて、何でもないことのように言ってみせる。
……後輩相手に虚勢を張る方がかっこ悪いのか?
でも、弐虎の前で弱みは見せたくなかった。
「でも多分、一見も分かってくれてると……」
「ふざけんな?」
「えっ」
今、何て……?
「下手に出てりゃつけ上がりやがって、何様だ? お姫様のつもりですか? 愛されて当然ですって顔してんなよ?」
ええ……誰、これぇ……!
突然の豹変。にっこり笑顔なのが余計に怖くて、一歩後ずさってしまう。すると弐虎は一歩近付いて、少し低い位置からメンチを切……いや、見上げてきた。
「分かってくれてるとか、甘えてんじゃねぇぞ? じゃあアンタはあの人の心ン中全部分かるんですかねぇ??」
「弐虎」
「……あっ、いっけなーい」
二兎に声を掛けられて、ハッとした弐虎は、テヘッと舌を出してウインクをした。
いやいやっ、今更手遅れ感すごいからっ……。
と、口にする勇気はない。気は強くても俺はヤンキーでも何でもない。普通に弐虎が怖い。
いつの間にか階段下の更に奥へと追いやられていた。そんな威圧感を持つ弐虎は、今度は小悪魔のように挑発的に笑った。
「言葉にしないと伝わらないものですよ? それに、絶対に僕の方が一見先輩のこと好きですし、幸せにする自信ありますから」
「そんっ、なの……」
俺の方が。その言葉が、口に出来なかった。
「人の気持ちは変わるものですよ? せーんぱい?」
「っ……」
「あれぇ? 言い返さないんですか?」
「…………お前の言ってることは、正論だから……」
グッと拳を握り締めた。
俺は素直じゃなくて、可愛げがなくて、好きだと伝えることも出来ない。全力で好きだと告げる弐虎の方が、一見を幸せに出来るかもしれない。
想いを伝えて恋人同士になれたとしても、俺はきっとこの先も素直になれずに、一見を傷付けてしまう。
弐虎の言う通りだ。好きでいて貰えるのが当然だと、きっと心のどこかで思っていた。そのうち伝えられれば、きっと大丈夫だと。
「先輩がそんなに意気地なしだとは思いませんでした。そんなことなら、僕が取っちゃいますから」
意気地なしも正論だ。弐虎に取られたとしても、俺に文句を言う資格はない。そもそも一見は、俺のものじゃないし……。
「一見先輩ってば、なんでこんな人を好きになっちゃったんだろ」
その言葉に、俺は弾かれたように顔を上げた。
「どうしたんですか?」
弐虎が一瞬驚いた顔をする。でもすぐにまた蔑んだ目をした。
俺……今まで自分のことばっかり考えて、周りが見えなくなってた。
俺の行動で、一見が悪く言われてしまう。一見を避けて、逃げ回って、周りはどう思っただろう。一見が何かしたと思われたかもしれない。一見は何も悪くないのに……。
「悪い、弐虎。目が覚めたわ」
「え?」
「わざと俺を煽ってたんだな」
「えっ……まさか、そんなわけないじゃないですか」
弐虎は鼻で笑い飛ばしながら、目を逸らした。
心の中のもやが晴れた途端に、弐虎の真意も分かってしまった。本当に俺を敵だと思ってるなら、このまま自滅するのを黙って見ていればいい。それなのにわざわざ煽ったのは、俺に行動を起こさせたかったからだ。
「ありがとな」
「だからっ、違いますってばっ!」
「お前のそういうとこ可愛い」
「っ……!!」
顔を赤くして怒る弐虎に、俺は笑って階段下を出た。
♢♢♢
「あーあーー、なんで僕がこんな役回り……って、仕方ないか。一見先輩には幸せになって欲しいもん」
「弐虎。偉いぞ」
「お前に褒められてもなー。でも、ありがと」
いつも二兎には素直になれないけど、今日素直にお礼を言った。二兎だけは、昔から変わらずにずっとそばにいてくれる。本当の僕にも、可愛くしてる僕にも、何も言わずにただ隣にいてくれるんだ。
「弐虎には、俺がい」
「あーもう! 気分転換に美味しいもの食べに……」
声が被って、聞こえなかった。
「何?」
「……いや、いい」
「気になるじゃん」
「今度話す」
「だから、気になるってば」
むっとする僕から、二兎はそっと目を逸らした。
「……弐虎、キレるとますますおばさんに似てる」
「えっ!? やめてよっ、僕は学校仕切るより学園のアイドルになりたいの!」
さっきはちょっとムカついちゃって言い過ぎただけで、僕は母さんみたいに仕切る気ないもん!
僕は怒ってるのに、ニ兎は嬉しそうに僕を見つめていた。