キタキツネ先生がカケスだった頃の話⓵
キタキツネ先生がカケスだった頃の話⓵
目覚めたカケスは大きな樹の洞の中にいた。床に小さな枝と枯葉が几帳面に敷かれているところから、シマフクロウの巣であることは察しがついた。しかし、自分をここまで運んだであろうシマフクロウは居ない。このままここにいたら食べられるのは間違いないだろう。今なら逃げ出せると思い、洞の外を確かめた。するとどうだろう。海かと見紛うほどの大きな湖に囲まれているではないか。うっすらと湯気立つ360度の水平線の彼方に、陸地らしきものが連なって見えるため、かろうじて湖と認識できる。カケスのいる洞のある樹は、そのほぼ中央に位置する小さな島に一本だけ立つ。柏の樹だ。
おそらくオシリ島のどこかではあるのだろうが、生まれて初めて見る風景に圧倒されているカケスの足元には、チングルマやミヤマキンバイ、ヒメシャクナゲ、アサヒランといった小さな高山植物が溢れるほどに咲き誇っている。もしや……と、そこへ大きな羽音と共にシマフクロウが帰ってきた。
~ああ、ついに食べられる~
カケスは覚悟を決めて目を閉じた。目蓋の裏には花々の残像が鮮明だ。こうして美しい花々に囲まれて死にゆくのは悪くない。ムシャムシャと音がするからどこかを食べられているのだろう。でも、痛みさえ感じないではないか……。
そのうちにムシャムシャが聞えなくなりビチビチとなり、やがて静かになった。
おそるおそる目を開けたカケスの瞳に映ったのは、食べられる前の風景とほぼ同じ。湖と柏の樹と百花繚乱の高山植物たちだ。なるほど想像していた極楽浄土の風景だ。してみると、先ほど目覚めたときすでに死んでいたのかも知れないと思い返すが、大きなシマフクロウが頭と骨だけ残った魚を咥えて立っている。その足元に息も絶え絶えの魚が目を見開いたまま横たわっている。生命観あふれる風景だ……ということは、まだ生きている?
シマフクロウは足元を指し、何かを促すような視線を送る。
「食べろってことですか?」
小さく頷いたシマフクロウは、咥えていた魚の骨を湖に放った。魚の骨はいったん沈んだが浮上すると大小の泡に囲まれて見えなくなった。
朝からのあれやこれやで何も口にしていなかったカケスは貪るように魚を食べた。食べ終えて喉が乾いたので、骨を放るついでに湖の水を飲もうとした。するとシマフクロウが制して首を横に振る。
「飲めない……のですか?」
カケスが手にしていた魚の骨を湖に放ると、やはりいったん沈んでから浮上しブクブクと泡に溶けていく。
シマフクロウは落ちていた柏の葉を一枚くるくると丸めて、サッと飛び立っていった。ほどなく、筒状になった柏の葉に水を汲んで戻るとカケスに飲めと促す。冷たすぎずまろやかな水はカケスの五臓六腑に沁みわたり、まだしっかりと生きていることを再認識させた。身も心も満たされたカケスは再び眠りに就く。
また目覚めると、やはり柏の樹と湖と花園、そしてシマフクロウ。花を愛で、魚を食し、水を呑み、また眠りに就く日が続く。カケスの想像していたあの世の極楽浄土というのはまさにこうした日々なのだが、花々の生命力に魅了され、まろやかな水を飲むたびに生きている実感を満喫している。頭と身体との奇妙なギャップを抱えつつ安穏への退屈を感じ始め、何よりウグイスのことが頭から離れなかったため、ある日シマフクロウに尋ねてみた。
「ウグイスさんはどうしてます?」
するとシマフクロウは、湖の水平線にたゆたう小さなシルエットを指した。