6 どうしてわかるの?
オズヴァルド様との婚約が解消されて、数日が経った。
私はあれから、ずっと学園を休んでいた。
学園に行けば、嫌でもオズヴァルド様と顔を合わせることになる。オズヴァルド様とパウラ様の仲睦まじげな姿を目にすることになる。
自ら身を引くと決めたとはいえ、今はまだその状況に耐えられる気がしなかった。
だって、私の心は依然として、オズヴァルド様に想いを残していたから。
幼い頃からあんなにあんなに大好きだったんだもの。そう簡単には、この恋心を手放すことができない。オズヴァルド様のことを思い出すといつまでもじくじくと胸の奥が痛み、心臓からとめどなく血が流れ出る思いがする。
あの日、オズヴァルド様は意外にも、婚約を解消することに抵抗した。
パウラ様に言った言葉は本心じゃないとか、生涯の伴侶は私しかいないとか、これからは私一人を大切にすると誓うとか、以前の私なら飛び上がって喜んでしまうような美辞麗句を並べ立てるオズヴァルド様に、正直なところ心は揺れた。
でも、はたと気づいたのだ。
「婚約解消」という事実は、ただでさえ外聞が悪い。クレメンス殿下の側近候補として前途洋々なオズヴァルド様にとっては、なんとしてでも回避したい事態なのではと。
そう思ったら、すん、と冷静になった。
そして、婚約は解消に至った。
とはいえ、最後の最後にこれまで露わにすることのなかった熱情を見せつけられ、それでもあの日聞いてしまったオズヴァルド様の「本音」を自分の中で打ち消すことができず、私は途方に暮れていた。これでよかったのか、それともオズヴァルド様を許せばよかったのか、自問自答が続いていた。
だって、自分の心の大半を占めていたオズヴァルド様を失った私は、これからどう生きていけばいいのだろう。
絶望的な喪失感は何度も何度も押し寄せ、気がつけば涙があふれて何もする気になれず、ただただ一日をぼんやりと過ごす。
両親もそんな私に、「気持ちが落ち着くまでゆっくりしていい」と言ってくれた。
その言葉に甘えて、私はひたすら漫然と、無為に過ごしていた。
でもしばらくすると、少しずつ気持ちの波が凪いでいくのを感じるようになった。胸の痛みが和らいで、これからのことを考え始めている自分がいた。
物理的な距離を置いたのがよかったのかもしれない。オズヴァルド様に会うことのない日々は、自分の心の内側を整理するために必要な時間だったのだと思う。
そんなある日。
「ルイーズ様にお会いしたいと、ジークヴァルド様がいらしておりますが」
執事に呼ばれて応接室に向かうと、ちょっと久しぶりの幼馴染が硬い表情でソファに座っていた。
「いらっしゃい、ジーク。来てくれたの?」
なんだか妙にホッとして頬を緩める私を見て、ジークはなぜか一瞬だけ、切なげに顔を歪ませる。
「……ずっと休んでるから、どうしてるかと思って……」
「体は元気よ。心のほうは、まだ全快とは言えないけど」
そう言って苦笑すると、ジークはなんとも言えない暗いまなざしになる。
「……ごめん。本当は、俺にも会いたくないんじゃないかと思ったんだけど……」
「どうして?」
「俺に会えば、兄上のことを思い出すだろ?」
気遣わしげな目をするジークを前に、私は小さくふふ、と笑う。
「ジークに会っても会わなくても、オズヴァルド様のことはいつだって思い出しちゃうからいいのよ。それよりも、会いに来てくれてうれしい」
素直な言葉がすんなりとこぼれた。
ジークは少し呆気に取られたように驚いて、それから「ああ、うん」なんて曖昧に答える。
「まだしばらくは学園を休むのか?」
「……それなのよねえ」
ジークの問いに、私はわざとらしく小首を傾げる。
「さすがにいつまでも休んでいるわけにはいかないし、そろそろ登校しないとまずいかなあ、とは思ってるんだけど」
「もう少しで長期休暇に入るから、長期休暇明けのタイミングで戻ってくればいいんじゃないか?」
「うーん」
視線を下に向けながら、私は言い淀む。
「……兄上に会いたくないんだろ」
なんと。お見通しだった……!!
「……どうしてわかるの?」
「ルイーズと兄上を、一番近くで見てきたからかな」
意外にも勘の鋭さを見せる幼馴染には、観念するしかない。
「……ちょっとずつ、気持ちの整理はできてるんだけど……」
「うん」
「オズヴァルド様に会ってしまったら、自分の気持ちがまた揺らいでしまいそうだし……」
「うん」
「このまま会わずにいられたら、なんて思うけど、そんなのは非現実的じゃない?」
「まあね」
「でもいっそのこと、学園は休学してオズヴァルド様が卒業してから復帰しようかなとか、思い切って他国に留学しちゃおうかなとか思ったりして……」
「ふうん」
ジークは何やら物憂げな顔つきをしながらも、穏やかに尋ねる。
「留学って、どこかあてはあるのか?」
「ないわよ。そうなったら気が楽だなって、一人で想像してただけだもの。誰にも話してないし」
「伯爵たちにも?」
「まあ、お父様は『学園に戻りたくないのなら留学を考えてもいい』みたいなことは話していたけど……」
実際、両親はよかれと思って決めた婚約が結果的には私を深く傷つけてしまったことに、ひどい罪悪感を抱いているようだった。
だから学園を休んでいいとか留学してもいいとか、だいぶ寛容な態度を見せているのだと思う。
少し考え込むようにどこか遠くを見つめていたジークは、私の顔を窺うようにして唐突に言った。
「……じゃあ、留学するか?」
「はい?」
思わず聞き返すと、ジークは可笑しそうにニヤリと笑う。
「俺の父方の伯母が他国に嫁いでいるのは知ってるだろ?」
「ええ。確か、ラングリッジ王国よね?」
「そう。父上の姉のマイラ伯母上は若い頃ラングリッジ王国に留学したんだけど、そこで出会った令息と恋仲になってそのまま嫁いだんだよ。ラングリッジの王立学園は、教育レベルの高さからさまざまな国の留学生が集まってくるって言われてるだろう?」
「たくさんの学者や研究者を輩出してきた名門だものね」
「伯母上には以前から、興味があったらいつでもいらっしゃいって言われてるんだよ。ルイーズがラングリッジに留学したいとなれば伯母上が身元引受人になってくれると思うし、うちの親たちも全面的にバックアップしてくれると思うんだけど」
そう言って、楽しい悪巧みを思いついた子どものように、悪戯っぽく口角を上げるジーク。
「いや、いくらなんでも、それはちょっと……」
いきなりとんでもない提案をされて、私は戸惑いを隠せない。「いいアイディアかも!」なんて安易に飛びつけるほど、私も能天気ではないつもりである。
だって、ジークの伯母様ということは、オズヴァルド様の伯母様でもあるのよ?
オズヴァルド様の婚約者としてならまだしも、今となってはまったくの他人の私が突然「留学するのでお世話になりまーす」、とはいかなくない?
むしろ婚約は解消になっているのだから、伯母様としては気まずいというか体裁が悪いというか、積極的に引き受けたい相手ではないと思うんだけど。
ていうか、そもそも見ず知らずの他国の娘を手放しで受け入れてくれるわけなくない?
なんてことを、あれこれと考えていたら。
「心配しなくてもいいよ。俺も行くから」
「え?」
「俺も一緒に、留学するからさ」