5 ごめんなさい
ルイーズの冷めた口調に、俺は冷や汗が止まらない。
「私のことは妹みたいにしか思えないし、本当に婚約したいのはパウラ様なのですよね?」
「い、いや、それは……」
「いつも一緒にいたいと熱烈に願うほど、パウラ様に恋い焦がれていらっしゃるのでしょう?」
責めるわけでもなく怒っているわけでもない平坦な声が、俺を貫く。
確かに数日前、生徒会室でパウラと二人きりになったときに、そんな会話をした記憶がある。
でもそれは、本心であって本心ではない。
ルイーズのことは幼い頃から可愛いと思っていたし、愛しく感じていた。もちろん、恋愛的な意味で、だ。妹みたいにしか思えない、なんてことは一切ない。
でもあのときは、生徒会活動が一段落したらパウラと会える時間が減ってしまうと焦っていた。パウラに対する恋情をアピールしたい思惑もあった。だからパウラとルイーズを比較するような発言をして、親に一方的に決められた婚約でしかないと、俺の真の想いはパウラにあるのだと、そう強調したのだ。
あの会話を、ルイーズに聞かれていたというのか……?
狼狽えて何も言えない俺を冷淡な目で見つめるルイーズは、どこまでも事務的な声で話し始める。
「私は幼い頃からずっと、オズヴァルド様のことをお慕いしてきました。でもその想いが強すぎて、オズヴァルド様が私のことを本当はどう思っていたのか、きちんと考えたことがなかったんです。オズヴァルド様は、親同士が良かれと思って決めたこの婚約にずっと不満を抱いていたのですね。そんなことにも気づかず自分勝手な恋心を押しつけて、私はなんて恥知らずだったのだろうと反省しています。申し訳ありません」
「いや、違う。そんなことは――」
「真実の愛を知ったオズヴァルド様を、私の一方的な想いだけでいつまでも縛りつけるわけにはいきません。愛し合うパウラ様を諦めて、妹のようにしか思えない私と結婚しなきゃならない不幸をオズヴァルド様に無理強いしたくはないんです。私は身を引きますし、婚約も解消しますので、どうかパウラ様とお幸せになってください」
淡々と、どこか他人事のように話し続けるルイーズのライラックの瞳には、何も映っていない。
ルイーズの中で婚約解消はもはや決定事項なのだと気づいても、俺は往生際悪く食い下がる。
「お、俺だってルイーズのことはずっと好きだし、大切に想ってきたよ。妹みたいにしか思えないなんてのは言葉の綾で、本心じゃない。一生をともにするのは、ルイーズ以外にあり得ないと心から思ってる。あのときああ言ったのは、なんていうか、その場の勢いで――」
「大丈夫ですよ、オズヴァルド様」
ルイーズは、薄い笑みを浮かべた。
でもその微笑みに、かつての熱情はない。一ミリもない。
「婚約の解消は、こちらの都合で願い出たことにしますから」
「……は?」
「心変わりが原因で婚約が解消に至ったというのは醜聞になり得ますし、クレメンス殿下にも悪印象を与えかねないと心配されているのでしょう? でもオズヴァルド様のご活躍を妨げるようなことは、私もしたくありません。オズヴァルド様には、誰よりも幸せになってほしいので……」
「だったら……!」
「ごめんなさい、オズヴァルド様。今までずっと、一方的に想い続けてオズヴァルド様にご迷惑をおかけして……。でも本当に、大好きでした。さようなら」
最後は目に涙を浮かべ、それでも必死に笑顔を見せようとするルイーズに、手を伸ばしたいけどそうすることができない。
ルイーズの中では、この前偶然耳にした俺の言葉が唯一の真実として刻み込まれてしまっている。
俺が今、何を言ったとしても、それが覆ることはない。本当にずっと好きだったんだと、ルイーズを手放したくなんかないといくら言い募っても、それすら本意ではないのでしょうと一蹴されてしまう。
その事実が、容赦なく俺を打ちのめす。
そのまま踵を返して屋敷の中に戻っていくルイーズを、俺は追いかけることができなかった。
◆・◆・◆
失意のどん底で帰宅した。
俺とルイーズが話し合っている間に、親たちは婚約解消の手続きをさっさと進めていた。
俺以外は全員、婚約解消が覆ることなどないと知っていたらしい。何もわかっていなかったのは、俺だけだったのだ。
「アルダ伯爵にもルイーズにも、もう合わせる顔がないな……」
悲嘆に暮れる父上の姿を目の当たりにし、喪失感に呑み込まれながら自室へ向かうと、廊下の途中で弟のジークヴァルドに出くわした。
「……おかえり」
「……ああ」
「……婚約は解消になったんだろ?」
驚いて顔を上げると、ジークは非難するような目で俺を睨んでいる。
「どうしてそれを……」
「父上に聞いていたから。俺も学園での兄上の様子を聞かれて、正直に話したし」
「俺の学園での様子?」
「いつもパウラ嬢といちゃついていただろう?」
「は? なに言って……!」
思わず言い返すが、ジークは動じる様子を見せない。
「ルイーズだってずっと前から知っていたよ。兄上はうまく隠していたつもりだったんだろうけど、学園ではとっくに噂になっていたし」
「え……?」
「むしろ気づかれてないと思っていたことにびっくりなんだけど」
珍しく棘のある物言いをする弟に、目を見開く。
ジークは本来、あまり多くを語らず控えめで、冷静な人間である。人づきあいに苦手意識があるせいか無愛想でぶっきら棒な口調になりがちだが、声を荒げて感情をむき出しにするようなことはほとんどない。
そのジークが、鋭い視線を俺に向けている。
「兄上は、ルイーズの想いにあぐらをかいていただけだろ」
「……どういう意味だ?」
「昔からルイーズは兄上への恋情を隠すことなく派手に追いかけ回していたから、自分が何をしてもルイーズなら許してくれるし離れていくわけがないなんて高を括っていたんじゃないの? だから簡単に目移りして、あんな暴言をルイーズに聞かせる羽目になるんだよ」
「暴言……? お前、もしかして……」
「俺もあのとき、ルイーズと一緒にいたから」
事もなげにそう言う弟の言葉に、熱がこもる。
「ほかの令嬢にうつつを抜かして、ルイーズが傷つかないとでも思ってた? あんなに一途に想い続けてくれていたのに、あっさり裏切るなんてどうかしてるよ。どうせ、パウラ嬢とは学園にいる間だけの関係だから、とかいう身勝手な言い訳を考えていたんだろうけど」
まったくの図星である。
図星すぎて、ぐうの音も出ない。
「そんな言い訳でルイーズをつなぎ止めようとしても、もう無理だよ」
「で、でも俺だってルイーズのことがちゃんと好きだったし、大事にしたいと思ってきたんだ。パウラとのことは確かに悪かったけど、でもルイーズよりもパウラを優先したことはなかったし、婚約だって解消したいと思ったことは一度もない」
「大事にしたいと思うだけなら、誰でもできるでしょ」
突き放すような口調のジークは、話にならないとばかりに背中を向ける。
「大事にしたいと思ってもちゃんと大事にしなかったら、意味がないんだよ」
弟の圧倒的な正論に、俺は黙り込むよりほかなかった。
以上、『オズヴァルド微ざまぁ回』あるいは『ジーク正論回』でした。
次話からはまたルイーズ視点に戻ります。
オズヴァルドが心を入れ替えるのかどうかは、神のみぞ知る……?