4 本心ですか?
「オズヴァルド! これはどういうことだ!?」
その日、学園から帰宅してすぐ、俺は父であるソルウェイグ侯爵の執務室に呼び出された。
入室した途端、父親の怒声が問答無用で飛んでくる。
「アルダ伯爵家から婚約解消を申し出る書簡が届いたぞ! しかも理由は、お前の心変わりだと言うじゃないか!」
「……は?」
一瞬、頭が真っ白になった。
婚約解消? アルダ伯爵家から? 俺の心変わりが理由で……?
確かに、心当たりはあった。
学園の最終学年になって、クレメンス殿下の側近候補として生徒会活動に従事し始めた俺は、侯爵令嬢のパウラと出会った。
入学したときから才女として注目されていた彼女は賢く美しく上品な魅力を放ち、生徒会のメンバーとしてその能力を遺憾なく発揮していた。
正直言って、心惹かれた。
言葉を交わすたびに、視線が合うたびに、いちいち心臓が跳ねた。
こんな女性が生涯隣にいてくれたら、とさえ思った。
俺には、子どもの頃に決められた婚約者がいた。親同士が旧知の仲だったこともあって結ばれた婚約の相手は、二歳年下のルイーズ・アルダ伯爵令嬢。
ルイーズは淡いシャンパン色の髪にライラック色の瞳をした、可愛らしい少女だった。幼い頃から俺とはやけに気が合って、会うといつも「オズヴァルド様、大好きです!」とか「オズヴァルド様と婚約できるなんて、夢みたい!」とか全身でそのほとばしる愛情を叫び続けるような子だった。
可憐でいじらしい令嬢にはっきりとした好意をこれでもかというほど示されて、嫌なわけがない。
真っすぐすぎるルイーズの絶え間ない愛情表現に半ば苦笑しながらも、俺はルイーズを可愛いと思っていたし、愛しいと思っていた。一生をともに過ごす相手として、大事にしてきたつもりだった。
でも俺は、パウラに出会ってしまった。
ルイーズという婚約者がいながら、パウラに惹かれていく自分を止めることはできなかった。
生徒会のメンバーとして接するうちにパウラも俺に好意を抱いてくれたらしく、俺たちの距離はあっという間に縮まっていった。クラスが違っていたこともあり、仕事と称して生徒会室に向かう俺たちはこっそりと二人きりの時間を共有し続けた。
パウラに婚約者はいなかったが、隣国の侯爵家との縁談が持ち上がっていて、卒業と同時に隣国へ渡ることになっているらしい。一方の俺にも婚約者がいて、将来が決まっている。お互いの想いを確かめあっても、生涯の伴侶として生きていくことはできない。期間限定の恋に、その悲劇的な運命に、俺たちは陶酔していたのかもしれない。
でも、ルイーズとの婚約を解消してまでパウラとの人生を考えようとしたことはなく、パウラと想いを確かめ合ったとはいえ最低限の節度は保っていたつもりだった。
ルイーズのことを蔑ろにした覚えはないし、婚約者としての義務もしっかりと果たしていたはずだ。
俺がそう反論すると、目の前の父上は深々とため息をつく。
「そんな言い訳が通用すると思っているのか?」
「……え?」
「お前たちの婚約は政略でもなんでもない。二人の相性がよさそうだったから、お互いに慈しみ合ってうまくやっていけるだろうと我々が判断した結果にすぎない。しかしお前がほかの令嬢に想いを寄せてルイーズを軽んじていたというのなら、残念ながら我々の見通しは間違っていたということになる。お前のやったことはルイーズに対する裏切りでしかないし、あの子を深く傷つけただけだ。婚約解消の申し出を受け入れる以外に贖罪の手段などないだろう?」
「いや、でも、パウラとは学園にいる間だけとお互い割り切っていましたし、ルイーズとの婚約をどうこうしようだなんて俺は考えたこともありません」
「お前のほうはそのつもりでも、ほかの令嬢と懇意にしているお前を見たルイーズがそれを容認できると思うのか? あの子は一途にお前を想い続けていたというのに、お前の心変わりにどれほど傷ついていたかわからないのか……!?」
次第に語気を強め、叩きつけるような口調になる父上の圧に、思わず怯む。
「で、でも、何を言われても、俺はルイーズとの婚約を解消する気はありません。生涯をともにするのはルイーズ以外にあり得ません」
「ならばなぜルイーズ一人を大切にしなかったのだ!? ほかの令嬢に目移りし、うつつを抜かしていたお前を、ルイーズやアルダ伯爵家が許してくれると思うのか!?」
激昂する父上に怖気づき、もはや返す言葉もなく立ち尽くす。
そんな俺に向かって、父上は抑揚のない声でこう言った。
「……週末、アルダ伯爵家で婚約についての話し合いを行うことになっている。婚約解消が覆ることはないと思うが、ルイーズには誠心誠意謝罪するように」
このときの俺は、高を括っていた。
俺にべた惚れで、俺以外眼中にないルイーズなら、なんだかんだ言っても俺の釈明を受け入れて、婚約解消の申し出を取り消してくれるだろうと。
俺は事態の深刻さをまったく理解していなかったのだ。
◆・◆・◆
週末。
アルダ伯爵家に到着した俺たちを出迎えたルイーズは、少しも表情を緩めなかった。
それどころか、こちらを見ようともしない。
話しかけようとしても、巧みにかわされてしまう。
いつもならうれしそうに駆け寄ってきて、「オズヴァルド様、お待ちしておりました」なんて頬を赤らめ可愛らしく微笑むのに。
明確な違和感を抱いた俺は、ようやく事態の深刻さに気づき始める。
そのまま俺たちは二人きりで話し合うよう促され、中庭のガゼボへと向かった。
俺は先手必勝とばかりに、長々と弁解を始める。
「ルイーズ、本当にすまなかった。君を傷つけるつもりはなかったし、君との婚約を解消したいだなんて俺はまったく思っていないんだ。確かにパウラには心惹かれたし、想いを通わせてからは密かに逢瀬を重ねていた。でも君を裏切るような行為は、何一つしていない。パウラとどうにかなろうなんてこれっぽっちも思っていなかったし、俺にとって生涯の伴侶はルイーズしかいないんだ」
熱っぽく、雄弁に言葉を重ねても、ルイーズの硬い表情はぴくりとも動かない。
「ルイーズ、頼むよ。婚約を解消したいだなんて言わずに考え直してくれないか? 生徒会の活動があるから金輪際パウラとは会わないなんてことはできないが、二人きりで会うようなことはしないし君が嫌がることもしない。これからは心を入れ替えて、君一人を大切にすると誓うよ。だから――」
「オズヴァルド様」
ルイーズの声は、聞いたこともないほど冷ややかだった。
ライラックの瞳にはなんの感情も見えず、これまで当然のように宿っていた俺に対する一途な恋情の欠片すら見えない。
「それは、オズヴァルド様の本心ですか?」
探るような視線に、射抜かれる。
言葉の意味を図りかね、答えに窮する俺を一瞥したルイーズの表情は、まったく変わらない。
「実は私、この前オズヴァルド様とパウラ様がお話ししているのを聞いてしまったんです」
「……は? 俺とパウラが……?」
「はい。数日前、生徒会の活動でお忙しいオズヴァルド様に手作りのクッキーを差し入れしたいと思って、生徒会室に行ったんですけど」
「え……?」
「そのとき、オズヴァルド様とパウラ様の会話を偶然聞いてしまって」
「か、会話? 何を……?」
「私のことは、妹みたいにしか思えないのでしょう?」
ちなみに次話もオズヴァルド視点回です。
オズヴァルドの運命やいかに……?