11 嘘をついていたの
三人のうちの一人が、懐から鈍く光る短刀をちらつかせる。
「言うことを聞けば、手荒なまねはしない。黙ってついてこい」
明らかな脅し文句に、私とエレノアは引きつった顔を見合わせ無言で頷き合う。
何が何やらわからないまま薄暗い路地をひたすら歩かされ、道端に無造作に止めてあった馬車に無理やり押し込められかと思うと、有無を言わさず目隠しをされ、手まで縛られた。
そのまま馬車が動き出してようやく、混乱の極みで完全停止していた頭の中が少しずつ回り出す。
……ちょっと待って。これって連れ去り案件じゃない!? 誘拐じゃない!? なんで!? どういうこと!?
考えたってわかるわけない。隣に座らされているエレノアに話しかけたいけど、馬車の中には見張りの男が一人残っているから、不用意に話すこともできない。
とにかく、落ち着こう。深呼吸でもしよう。
現れた男は、三人いた。ひょろりと背の高い男とちょっと小太りのぽっちゃり男、そして赤毛でそばかすの男。なんというテンプレな三人。短剣を持っていたのは赤毛そばかすだったけど、今馬車の中に見張り役として残っているのはぽっちゃりのはず。この様子だと、赤毛そばかすが三人のリーダー格っぽい気がしないでもない。
「言うことを聞けば手荒なまねはしない」と言うからには、私たちを害することが目的ではないのだろう。むしろ、私たちをできるだけ無傷でどこかに連れ去ることが目的なのだ。多分。
でも連れ去るって言ったって、いったいどこへ? しかもなんで、私たち?
王都の街に出るにあたって、私もエレノアも今日はあまり目立つことのないよう質素で簡素な服を着ている。貴族令嬢というよりは、どこぞの裕福な商家の娘、くらいのイメージである。でも商家の娘なら、誘拐して身代金をぶんどれるとでも思ったのだろうか? それとも、誰でもいいから適当な若い娘を連れ去って、どこぞに売り飛ばそうとしているとか? まさかこれ、人身売買の組織の仕業とか……?
一人で悶々と考えていたら、思考がどんどん性質の悪い方向に転がっていく。やばいやばい。一旦落ち着こう。
そのときふと、隣に座るエレノアが身動ぎする気配を感じた。
私は少しだけ体を傾けて、小声でささやく。
「……大丈夫?」
私の声に、エレノアは「……大丈夫よ」と答える。
思った以上に、硬い声だった。震えてもいた。
そりゃそうだ。こんな状況、怖い以外の何物でもない。突然理由もわからず拘束されて脅されて、動揺と混乱の渦に突き落とされたら冷静でいられるわけがない。
でもエレノアの強張った声を聞いて、私の頭の中はかえって急速に凪いでいく。
……私がしっかりしなきゃ。とにかく、なんとしてでも、この窮地を乗り切るのよ……!!
決意も新たに、できる限りの情報を集めようと試みたけど、そんなにうまくいくわけがない。だって、目隠しされてるんだもの。おまけに手を縛られているから、当たり前だけど逃げることもできないし。
それからしばらく、私たちは馬車に揺られることになった。でもそれは、王都の街から遠く離れた場所に連れていこうとしているわけではなくて、私たちの感覚を狂わせるのが目的のように感じられた。
馬車が止まってやっと外に出られても、当然目隠しは取ってもらえない。そのまま何かの建物の中に連れていかれて、奥まった部屋に放り出された瞬間、偶然目隠しがはらりと落ちる。
そこは、物置のような窓のない小部屋だった。
「きゃっ……!」
同じように放り出されたエレノアが、小さな悲鳴を上げる。
すぐに駆け寄ると、ドアの前にいたひょろ長が「大人しくしていろ」とだけ言って、さっさといなくなった。
しかも、これ見よがしにガチャガチャと大きな音を立てて、ご丁寧に鍵までかけていった。まったく、隙がない。
「大丈夫?」
ひょろ長がいなくなったのを確認してから、手を縛られたままどうにかこうにかエレノアの目隠しをずらす。
完全に血の気の引いた顔のエレノアは、私と目が合った瞬間「ご、ごめんなさい……! 私のせいで……!」と言いながら激しく泣き崩れる。
「ちょ、ちょっと、どうしたの? どういうこと?」
「私のせいなのよ……! 私のせいで、こんな危険な目に……!」
「え……?」
大粒の涙を流しながら一心不乱に懺悔するエレノアは、それでも少しずつ落ち着きを取り戻し、やがて途切れ途切れに話し出す。
「……じ、実は私、あなたに言ってないことがあって……」
「言ってないこと?」
「というか、嘘をついていたのよ……。私は、ディクス公爵家の遠縁の、子爵家の娘だと言っていたでしょう……?」
「え、ええ」
「本当は、違うのよ。遠縁は、遠縁なんだけど……」
「公爵家の遠縁だけど、子爵家の娘じゃないってこと? なんでわざわざそんな嘘をって、ちょっと待って。まさか……」
「私の本当の名前は、エレオノーラ・グレオメール。グレオメール王国の第一王女なの……!」
その言葉に、私は大きく仰け反った。
いや、仰け反らないわけなくない?
王女よ!? 王族よ!? なんで!? どういうこと!?
声にならない私の心の叫びを正確に読み取ったらしいエレノアは、突如として神妙な顔つきになる。
「でも、私はこの世に存在しないことになっているのよ」
「な、なにそれ」
「理由があって、生まれてまもなく死んだことになっているの」
それからエレノアは淡々と、自分の出生の秘密について話し始める。
「私の母は、しがない伯爵家の令嬢だったの。でもあるとき王宮の夜会で国王陛下に見初められて、すぐに側妃として上がることになったのよ。陛下はとにかく私の母を寵愛して、常にそばに置きたがったらしいわ。でも、強力な後ろ盾のある王妃殿下はそれを許さなかったの」
「え……」
「王妃殿下は国内でも一、二位を争う有力貴族の出で、気位が高く苛烈な性格として有名だった。そんな王妃が、母の存在を認めるわけがないでしょう? 母は王宮で度重なる陰湿な嫌がらせを受けながらも私を身籠ったのだけど、出産を終えた直後の混乱に乗じて毒を飲まされ、殺されたのよ」
感情の見えない顔で静かに話し続けるエレノアに、どう言葉を返せばいいのかわからない。
いつもにこやかでおっとりとしたエレノアの出自に、こんな残酷な過去があったなんて……!
「陛下は母が亡くなったことを耳にして、このままでは私の命も危ないと判断されたらしいの。母の死の背後に王妃がいるのはわかっていたけれど、王妃の侍女が自ら罪を認めて自害してしまったこともあって王妃の罪を追及することができなかったのよ」
「そんな……」
「悩んだ陛下は私も出産直後に死んでしまったことにして、信頼できるディクス公爵に私を預けたの。ディクス公爵家は何代か前の王女が降嫁しているし、公爵と陛下は親友といっていい間柄だったから」
「……それで、レンナルト様と一緒に育ったのね」
「そうなの。でもね、王妃と陛下との間に生まれた第一王子のカランシル殿下が、私の存在に気づき始めたのよ」
「え、なんで?」
「カランシル殿下は私の八歳上、つまりはもう二十四歳なんだけど、いまだに立太子していないの。ほかに子どもはいないというのに陛下がどうしても立太子をお認めにならないことを訝しんで、当時の事件のことをいろいろと調べ始めたのよ。それで、私の存在を突き止めたらしいの。殿下は自分の立太子を確実なものにするために私を害そうと計画していたのだけど、その情報をいち早く入手した公爵家と陛下に勧められて、レンと一緒に留学と称して国外へ出ることになったのよ」
「じゃ、じゃあ、この国に来たのは、その第一王子から逃げるために……?」
「でも、追っ手はとうとうここまで来てしまったみたいだけれど……」
絶望感と無力感に縁取られた表情をしながら、エレノアは「私のせいで、ほんとにごめんなさい……」と申し訳なさそうにつぶやく。
「そんなこと――」
どうにかエレノアを励まそうと口を開いたそのとき、不意にドアの外からヒソヒソ声が聞こえてきた。
「……で、どっちなんだ……?」
「知らないよ! だってどっちも『金髪に紫目』なんだし……!」
「わかんないからどっちも連れてきちゃったけど……」
「とにかく『隻眼のハイエナ』が来るまで、待つしかないか」
耳をそばだて、三人の密談に聞き入ってから、私は自分とエレノアとを見比べた。
……そうか。そういうことか。
あの三人、本当はエレノア一人を連れ去るつもりだったに違いない……!
でもたまたま私も同じ『金髪に紫目』だったから、どっちが『本物』かわからなくて結局二人とも連れてくる羽目になったのだろう。
おまけに、『隻眼のハイエナ』なんていう中等部の男子が大喜びしそうな名前の悪党が背後にいるらしい。裏社会あたりではそれで通用するのかもしれないけど、ネーミングセンスが絶妙にダサくない?
とにかく、予想外に超重要な情報を手に入れた私は、にやりとほくそ笑む。
「エレノア。今から私が、エレノアになるわよ」




