1 これって、由々しき事態よね?
大好きな婚約者に、好きな人ができたらしい――――。
そんなとんでもない噂を知ったのは、王立学園の高等部に入学してすぐのことだった。
私の婚約者は、二つ年上のオズヴァルド・ソルウェイグ侯爵令息。
父親同士が旧知の仲だったこともあって、ソルウェイグ家の兄弟とアルダ伯爵家の私と弟は幼い頃に知り合い、交流を重ねてきたいわば幼馴染。
知り合ってすぐに私は優しくて穏やかなオズヴァルド様が大好きになったし、オズヴァルド様も私のことを憎からず思ってくれていたと思う。そんな私たちの様子を微笑ましく見ていた両親たちが、さくっと婚約を決めてしまったのは私が十歳、オズヴァルド様が十二歳のときだった。
それから、六年。
それなりに良好な関係を築けていたつもりだった。
というか、私の淡い恋心は加速度的に熱量を増し、今ではオズヴァルド様のことが大好きすぎるゆえに常時パッション強めの愛情を躊躇なく表現している有り様である。四六時中オズヴァルド様のことを考えているくらいには、オズヴァルド様を猛烈にお慕い申し上げております。はい。
中等部から高等部に進学したこの春、ようやく同じ校舎に移ったことだし、これからはオズヴァルド様に会える機会が格段に増える! なんなら会いに行っちゃってもいいかも! きゃっ!! なんて無邪気に小躍りしていた私の耳に飛び込んできた、聞き捨てならない黒い噂。
――――オズヴァルド様に、好きな人ができたらしい。
確かに、最近のオズヴァルド様は会って話をしていてもどこか上の空で反応が鈍く、はっきり言って素っ気なかった。なんだかやけに距離を感じて、おかしいなと気づいてはいた。
学園の最終学年に進級し、王太子クレメンス・モルニエ殿下の側近候補として生徒会活動に従事するようになったオズヴァルド様。それもあって何かとお忙しく、疲れているのだろうと思っていたのだけど。
「これって、由々しき事態よね?」
声を潜める私に、隣に立つジークがわざとらしくため息をつく。
「……なんで俺に言うんだよ?」
「だって、そこにジークがいたから」
「そこにいたから、って俺は山じゃないんだよ。毎回毎回俺を引っ張り込むの、ほんとやめてくれる?」
「でも現状の正確な理解と把握のためには、第三者の客観的な視点が必要だと思うの」
「すごくもっともらしいこと言ってるけど、これはルイーズと兄上の問題だろう? 俺には関係ないし、興味もない」
「そんなこと言わずに、幼馴染のよしみで協力してよ。お願いします、ジーク大先生!」
「はあ? なんで俺が……」
呆れ顔で眉をひそめながらも、ジークは学園内のカフェの窓際へと視線を移す。
そこに座っていたのは、生徒会のメンバーと思われる数人の上級生だった。
見目麗しく精悍な王太子クレメンス殿下を中心に、眉目秀麗かつ容姿端麗、頭脳明晰な錚々たるメンバーが談笑している。
その中に、オズヴァルド様もいた。
漆黒の髪に明るいミントグリーン色の瞳をしたオズヴァルド様が浮かべる柔和な笑みに見惚れる暇もなく、その隣でこれまた優雅に微笑む令嬢が視界に入る。
――――パウラ・カールソン侯爵令嬢。
生徒会副会長を務める才媛で、見るからに「仕事できます!」的な雰囲気を纏うクールビューティー。クレメンス殿下やほかの生徒会メンバーからの信頼も厚く、学園の誰もが憧れる才色兼備なご令嬢。
でもどことなく、なんとなく、微妙にパウラ様とオズヴァルド様の距離が近い。
数人で談笑しているし、ぱっと見はそれほど気にはならないけど、それでもじっくり観察していると二人のただならぬ関係性が透けて見える。たびたび二人でこっそりと微笑み合い、控えめながらもパウラ様からのボディタッチもしょっちゅうで、オズヴァルド様がパウラ様にそっと耳打ちする場面すらあったのだから。
「ルイーズ」
不意に声がして、見上げるとジークが心配そうな顔を覗かせている。
「そんな泣きそうな顔するなよ」
「……え?」
「あんなの、たまたまだろ? 気にするな」
そう言って、ジークは私をカフェから連れ出し、さびれた裏庭のほうへと歩いていく。
ジークは、オズヴァルド様の二つ年下の弟である。つまりは私と同い年で、本名はジークヴァルド。
同い年の幼馴染は愛想がなくて、ぶっきら棒で、そしてわりと容赦がない。幼い頃はそんなジークを近寄りがたいと感じていたし、だから性格が真逆のオズヴァルド様と一緒にいる時間が多かったと思う。でもジークとはなぜか中等部からずっと同じクラスということもあって、何かと接点が多い。
私が初めてオズヴァルド様の心変わりの噂を耳にしたときも、ジークは面倒くさそうな顔をしながら話を聞いてくれた。
「そんなの、ただの噂だろ? 気にしなくていいんじゃないの?」
ジークがあっさり断言してくれたときには「そうだよね!」なんて明るく返すことができたけど、こうも頻繁にあの二人の仲睦まじげな姿を目撃してしまうと、噂に立ち向かう元気なんてどんどんなくなってしまう。
オズヴァルド様の心変わりは、もはや明白だった。
あれでパウラ様のことはなんとも思ってない、とか言われたら、それはそれで結構引く。ドン引きである。
だってオズヴァルド様の瞳には、見たこともない甘やかな熱が宿っていたんだもの。私には向けたことのないうっとりとした視線を目の当たりにした瞬間、嫌でもわかってしまったんだもの。
今のオズヴァルド様の心の中に、私はいない。
その事実をまざまざと見せつけられて、そのうえさっきの二人の光景が否応なしに何度も何度も自動再生されて、頭の中がどんどん真っ黒に塗りつぶされていく。
胸の奥がじくじくじくじくと痛み出し、まるで昏い海の底に落ちていくような感覚に陥って、やがて呼吸すらもままならなくなって――――。
「ルイーズ」
名前を呼ばれてハッとして、顔を上げるとさっきと同じように心配そうな顔をするジークと目が合った。
「……とりあえず、なんか食べたら?」
「え?」
「午後も授業はあるんだし、『腹が減っては戦はできぬ』って言うしさ」
そう言って、ジークは無表情のままカフェで買ったサンドウィッチの包みを差し出す。
「あ……」
「いいから、食べなよ」
ひとまず素直に受け取って、口に運んでみたけど味なんてほとんどしない。おいしいと思えない。
無言で咀嚼し続ける私を眺めながら、ジークは素知らぬ顔で口を開く。
「そんなに気にすることないんじゃないの? 生徒会で新入生歓迎会を開くから、その準備で忙しくてたまたま一緒にいただけで――」
「そんなわけないでしょ」
珍しく気遣いを見せる幼馴染の言葉を遮って、私はぴしゃりと言い放つ。
「オズヴァルド様とパウラ様、まるで恋人同士みたいだったじゃない。誰も気づかなくたって、ずっとオズヴァルド様だけを見てきた私にはわかるもの。オズヴァルド様にとって、パウラ様は特別なのよ」
「そうだとしても、兄上と正式に婚約しているのはルイーズなんだし、婚約解消の話が出ているわけでもないだろう?」
「でも今のままじゃ、私たちの婚約だってどうなるか……」
その救い難い可能性に突如思い至って、私は愕然とした。
もしも、オズヴァルド様の心変わりを理由に婚約解消の話が浮上したら――――?
それは、それだけは、絶対にイヤ。
そんな絶望的な未来なんて、想像したくない。考えたくない。ダメよダメ、絶対にダメ。
断固、阻止すべきよ。
だって、どうしても、何があっても、大好きなオズヴァルド様を失いたくないんだもの……!
「……決めたわ、私」
真っすぐにジークを見据えて、私は拳を高く掲げる。
「どんな手を使ってでも、オズヴァルド様の気持ちを取り戻してみせるわ!」
全23話ほどの予定です。
今日から毎日投稿していきます(今日はもう一話投稿します)。
よろしくお願いします!