第19話『セシル、一つだけ、お願いがあるの』(リヴィアナ視点)
(リヴィアナ視点)
セシルと共に、隠れながらスタンロイツ帝国へ来た私たちは、集めて来たお金で小さな家を借り、二人で生活をしていた。
ニネットとリリアーヌの二人は、セシルが穏やかな時間を過ごせる様にと、世界の視線を集める為に、遠い場所で冒険者生活をしている。
もう二度と会えないとしても、セシルの為に生きたいと願った二人が出した結論だ。
またいつか会えるとセシルを騙して。
「外は酷い事になってるわ。うー、寒い、寒い」
「おかえりなさい。リヴィ。温かいお茶が入ってますよ。暖炉の前にどうぞ」
「ありがと。吹雪なんて最悪ね」
そして私は、皆の手紙を偽造し、スタンロイツ皇帝から貰って来たフリをして、セシルに手紙を渡す。
「はい。いつもの」
「ありがとうございます。ちゃんと全員分ありますか?」
「当然でしょ。アンタがしつこく言うから、向こうで何度も確認したわよ」
「えへへ。ありがとうございまーす」
セシルは嬉しそうに微笑みながら手紙を大事そうに抱きしめて暖炉の前に置かれた椅子の前に行く。
まるで子供の様に慌ただしく座ると、膝を抱えながら一つずつ丁寧に読むのだった。
あれから、セシルの見た目は何も変わっていない。
私が一つ年をとっても、セシルの見た目には何も変化が無い。
一つ体が不調を訴える旅に感じるのは恐怖だ。
いつか私が死んでしまった時、セシルは一気に全てを失う事になってしまう。
それがただ、怖かった。
「んー。ふふ」
「どうしたの? 何か面白い事でも書いてあった?」
「はい! なんとニナがリリィと一緒にこーんなに大きな蛇を倒したという事で、英雄と呼ばれる様になったとか」
「ふぅーん。あの子たちも中々やるわね」
「後は、ヘンリー君が結婚したとか、ライリー君はモテモテで、二人の女の子に迫られてるとか、面白い話でいっぱいです!」
「それは良かったわ」
私は軋む体でお茶を飲みながら、セシルの反応に安堵の息を漏らした。
どうやら今回も喜んでもらえた様だ。
セシルが喜ぶような手紙を書く事は中々大変で、いつもセシルの反応が気になってしまう。
「でも、そろそろ終わりにしないと駄目かもしれないですね」
「……どうしたの? 何かあった?」
「ううん。ただ……無理させてるかなって」
「向こうだって手紙が届いたらきっと嬉しいわよ?」
「そうかな」
「そうよ」
「でも……リヴィも大変でしょ?」
静かに、透き通る様な目で見つめられた私は、一瞬動きを止めそうになったが、何とか気合で体を動かす。
「確かにこんな雪の時は大変だけどね。大した事ないわよ。たまには運動もしないとなまっちゃうしね」
「……なら、私が代わりに受け取りに行こうか?」
「バカ言わないで。今世界中が聖女様を探してるのよ。自分から出て行ってどうするの」
「まぁ、そう……だよね」
「そうよ。バカ言ってないで返事でも書きなさいな」
「……うん、分かった」
セシルは大人しく髪とペンを持ってきて、手紙を書き始めた。
その姿を見ながら私はバレない様に内心でホッとため息を吐く。
セシルはたまに酷く勘が良い時があるのだ。
気を付けないと私が書いているとバレるかもしれない。
それだけは何があっても絶対にだめだ。
そう、それだけは……っ!
「うっ……」
「リヴィ!!」
それは、何の前触れもなくやって来た。
胸を突き刺すような痛み。
いや、締め付ける様な痛みか。
分からないが、うまく息をする事が出来ない。
「リヴィ!! しっかりして!! リヴィ!!」
「……っ、せし、る」
「お願い! 目を開けて! リヴィ!」
「そん、な……なきそうな、こえ、ださないで」
「リヴィ!!」
私は体に抱き着きながら、おそらくは癒しの魔法を使っているであろうセシルに笑いかけようとした。
それが上手く出来たかは分からない。
分からないが、セシルの声は落ち着きを取り戻していった様に思う。
「……せしる?」
「私は、ここに居るよ。リヴィ。ここに、いる」
「そう、良かった」
「うん。だから安心して、何も怖くないから」
「……」
「リヴィ?」
「聞こえてるわ」
私は、少しずつだが痛みが和らいで行くのを感じながらも、一つの終わりを感じていた。
私の命の終わりを……。
「セシル、一つだけ、お願いがあるの」
「何? 何でも聞くよ。何でも言って」
「ふっ、ふふ、何でも、なんて言っちゃ駄目よ。世界には悪い人が、いっぱいいるんだから」
「分かってるよ。だから、私はリヴィのお願いだけ、何でも聞くの」
「そう……なら、良いわ」
「うん」
「セシル。私の書庫に、貴女からもらった日記帳があるの」
「日記帳?」
「そう、前に貴女がくれたでしょう?」
「……うん」
「あれを、貴女に、あげるわ」
「駄目だよ! リヴィ! 日記は他の人に見せちゃ駄目なんだよ!」
「良いじゃない。どうせ私は」
「死なない!! リヴィは、まだ、死なないよ!!」
「……セシル」
「だって、私、魔法使いなんだよ! 魔法使いは何でも出来るんだ! 何でも! なんでも!!」
顔にポタポタと水滴が落ちてくる。
きっとセシルがまた泣いているのだろう。
しかし、私から急速に奪われてゆく力はもはや腕一つ上げる事も難しかった。
「セシル、私は、もう……」
「そ、そうだ! そうだよ! リヴィ! ほら、前に海が見たいって言ってたじゃない! 私ね、海の場所が分かったんだ。流れていく川の位置から、海のある方角が分かるの!」
「……うみ?」
「海! そう! 海だよ! 見てみたいって言ってたでしょ!」
セシルはすっかり細くなってしまった私の体を抱き上げて、雪が強く降っている家の外へ向かった。
「ユニコーン! 来て! おねがい!!」
「っ!? セシル様! リヴィアナ様!」
「いかん! セシル様を御止めしろ!!」
目を開く事も出来ない私は周囲の声から、セシルが何やら暴走している事を察するが、指一つ動かず、止める事も出来ない。
そして、ふわりと浮き上がる様な感覚の後、ヴェルクモント王国から来てくれていた騎士達の動揺する声と共に、私たちは勢いよく走り始めた。
「お願い、ユニコーン。海へ、海へ行って……! 海を見れば、リヴィも元気になるから!」
「セシル、ダメよ。スタンロイツを離れたら、手紙が」
「もう良い!! もう良いんだよ!!」
もはや何もセシルを止める為の言葉にはならず、セシルは私を強く抱きしめたまま吹雪の中を何処かへ向かう。
しかし、ゴウゴウと鳴り響く強い風の中に居ても、私の体は暖炉に居た時と変わらず温かいままなのであった。
おそらくはセシルの魔法が私を守っているのだろう。
そして、どれだけ長い間走っていたのだろうか。
気が付いたら私は深く眠っていたらしく、眠る前よりも幾分か楽になった体で目を覚ました。
温かい。
冷たい風と雪が吹き荒れるスタンロイツとは違い、この場所はポカポカと温かい様だった。
何故だろうかと目を開くと……目の前にはどこまでも広がる広大な湖が広がっていた。
体を起こし、動こうとすると、セシルが強く抱きしめていた為動くことは出来ないが、何度か抜け出そうとしていた事でセシルも目を覚まし、私は自由に動けるようになる。
「……リヴィ、動いて大丈夫なの?」
「少しならね」
「無理しちゃだめだよ」
セシルは泣きそうな顔で私の腕に縋りつくと、そのまま私を支えてその湖の方へ歩き始めた。
「リヴィ。随分と時間が掛かっちゃったけど、ここが海だよ」
「……これが?」
遠い昔、セシルが話していた夢の様な話が頭の中に蘇る。
『えと、海っていうのは、こう……ね? ざばーん、ざばーんって波がくる場所で』
確かに、その海なる場所は水の塊が私たちが居る場所に向かって押し寄せてきている場所だった。
『あー、波っていうのは。水がこう砂浜に来る事で』
足元には柔らかい砂で出来た地面がどこまでも広がっている。
……知らない内に私は死していたのだろうか。
でも、なら何故セシルもここに?
「これが海ですよ。リヴィ」
理由は分からないけど、私は海を見ながら、あぁ……と言葉を落とし、涙を流すのだった。