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4、空に浮かぶ入道雲と恋煩い

「屋上にでも行くか」

「先生学習したね。守代連先生は陽の光を浴びたいと申しています」


 俺のぼそっとした呟きにも奈月は機嫌よく嫌味のように反応した。


「あぁ……暑いのは嫌だな、止めとくか」

「ダメです! 少しは身体を動かさないと、不規則な生活は身体に毒ですよ!」

「耳元で大声を出すな、唾が飛んでるぞ」

「先生が悪いんですっ!」

「分かった分かった……喫煙のためだ、付き合ってやるよ」

「もう……不健康なことばっかり好きなんだから」


 煙草を吸わないと落ち着かない気持ちになり、俺は美術道具を一旦片づけた。


 普段はここで吸うことが多いが美術品が汚れてしまうのは望むところではない。俺はわざわざ移動するのが面倒というのもあるが、この絵の具の匂いが染みついたこの場所で吸う煙草が背徳感があるからか分からないが、たまらなく好きなのだが。


 奈月からも小言を言われてしまうので、最近は出来るだけ屋上の喫煙所で吸うようにしている。


 俺が黒いシャツの上に白衣を羽織って美術準備室を出ると、当たり前のように奈月が横に付いてくる。


「おい、部活はどうした?」

「うん? あたしは後から入った新参者だから、二年生がしっかりやってるよ。それでなくても、もう五時前だよ」

「そうか……」

 

 キャンバスに向かう時は時計を見ないようにしている。もちろんエアコンを付けて窓も閉める。


 時間という概念から出来うる限り引き離した状態で描くようにしている俺は、集中し始めると余計に時間感覚を失う。今も現在時刻を完全に見失ったまま奈月と一緒にいる自分がいた。


「お腹空いてないですか?」

「あぁ」

「本当に不健康ですね」


 朝食も抜いて車で通勤してきたから、食事を最後に摂ったのは昨日の晩だ。

 そう考えると少しばかり空腹感を感じるようになった。人間という生き物は実に貪欲かつ単純だ。



「すっかり夏ですね」



 屋上に出ると、今更な気がするが奈月が俺を見て言った。


 まだ日が落ちるには早い。一面に広がる青空に照り付ける太陽、蒸し暑いこの場所に長時間いるのが毒だとよく分かる居心地の悪さだ。


 日陰のベンチに座り、煙草を吹かす。白い煙が白い雲を目指して溶けるように昇っていく 

 度し難いものをキャンバスに描いていたせいで淀んだ瘴気に苛まれたからだろうか、まだ気が早いにも関わらず夕闇に続く黄昏時のように、心がゆっくりと精神世界の奥へと行きたがっているようだった。


「先生、好きです」


 恥ずかしいことを口にするときだけ慎ましい距離を取る奈月の言葉が俺の心に優しく触れた。深淵に向かおうとしかけていた俺をこっちの世界に引き戻す奈月の声。俺は引き寄せられるように奈月の顔を見てしまう。


 同じベンチに座り空を見上げていた奈月がハニカム笑顔で少女の目をして見てきているのが横目にも分かった。俺が欲情して襲い掛かって来ないことを分かって言っている。どこまでも残酷なくらいに純真可憐なのだ、彼女は。


 どうしてこんなことになったのか、俺には婚約者がいるというのに。

 時々考えたくなくなるどうしようもなく不毛なことを、何故だか俺はまた思い出したくなった。

 

 記憶の扉が開かれる。


 封じ込めては開かれる秘密が隠された扉。


 周りはどこにでもありそうな扉をしているのに、一つだけ花飾りの施された金のドアノブがついた可愛らしい木造扉をしている。


 俺の意思に呼応してゆっくりと開かれた扉の先へと引き込められていく。


 その先で時空を超えて閉じ込められた過去の思い出を呼び起こしてくれるのだった。

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