2:過去とは今日限りでさよならだ
「な、なんですか!」
「どこに行くんだよ」
「どこにって……分からないわ。ただ、ここがどこかもよく分からないから。外の景色でも見て見ようかと……」
すると鬼畜イケメンはふうっと小さく息を吐くと。
「落ち着けよ。ここがどこだかちゃんと話すから。それにお前、結局、何も食っていないだろう?」
そう指摘された瞬間。
猛烈な空腹を再認識した。
確かにこの空腹のまま飛び出しても。
ここがどこであるかもわからない。次にまともな食事にいつありつけるかも不明。
ならば。
席に戻り、自分で作った料理を口に運ぶ。
それが今すべきことと理解した。
私が席に戻ると、鬼畜イケメンは安堵の表情で対面の席に腰を下ろす。
「お前はかなり上流から流されてきたのだと思う。俺が見つけたのはローレヌ付近だった」
「ローレヌ!?」
ローレヌは、私が突き落とされた場所から馬車で1時間近く下った場所。そんなに流されていたのかと驚愕する。同時にその辺りがどんな場所だったか考えることになった。
確か広大な森があって、狩りをするので有名。でも村はあったかしら……?
「でも、ここはローレヌじゃない」
「え!? もしやローレヌから王都へ戻ったのですか?」
すると鬼畜イケメンは「違う」と首を振る。
「ここはザロックの森だ」
「ザロックの森……?」
え、どこかしら?
さっぱり分からない。
すると鬼畜イケメンが宙にむかい、左手を上げたと思ったら。その手には巻物が握られている。まるでマジックを見ているようで、驚いていると。鬼畜イケメンはするすると巻物を開いた。それは地図。
自身の食べ終わった料理の皿をテーブルの端に寄せると、地図をぐいっと広げた。
「お前がいたのが、ここだろう。王都の国境沿い。で、ザロックの森はここ」
「はあああああ!?」
地図の縮尺がどうなっているか分からない。
だが、私が発見されたローレヌから今いるザロックの森は……徹夜で馬車を走らせても丸二日はかかりそうだ。つまり王都から遥か北方の地。こんな場所にどうやって……。しかも地図を見る限り。そして指が置かれた場所を見る限り。ここは……森の中。
東西南北見渡す限りの森。
一番近い村は……。
村。え、村はあるのかしら?
森を抜けた先、南に見えるのは河。森の北は海に面している。森の東は隣国に接していた。
「俺の魔法でここまで来た」
魔法で、馬車で丸二日かかる距離を移動……。
どうやらこの目の前にいる鬼畜イケメンは、相当な魔法の使い手のようで。
それは分かったけれど。
え、どうしたらいいのかしら……?
この後の自分の人生計画が全くたたない。
とんでもない場所にいて、私は身一つの状態。
断罪された時、兄と弟の進言もあり、両親は……私と縁を切る形になっている。縁を切っていなくても、国外追放を受けた身。両親を頼ることはできない。
これからどうやって生きていけばいいのだろうか……。
自分が身一つのぼっちであると気づき、呆然としてしまう。すると私の髪を、鬼畜イケメンがくしゃっと撫でる。
「心配するな。この飯を食ったらここから出て行け、なんて言うつもりはないから」
その言葉には複雑な気持ちになる。
行く当てはない。
だから居場所があるのはとても助かる。
でも……。
「で、これはもういいよな?」
鬼畜イケメンが私の腕からブレスレットをはずしていた。魔法で、あっという間に。正直、ブレスレットはどうでもいい。問題なのは、この鬼畜イケメンといても大丈夫なのか、ということ。
「なんだ、このブレスレット、大切なのか? どう考えても」
「違います。確かにしばらくこの家に置いていただくなら、対価としてこのブレスレットを渡すことに迷いはありません。……ただ」
この男を信じていいのかしら? 何かと対価ばかり求める危険な男なのでは?
「……その目、その顔。せっかくの美貌が台無しだぞ」
「……」
「俺は対価さえ払ってもらえれば、それ以上は何もしない。なにせ客になるのだからな。それに俺は全裸にも近いお前を拾った。そして傷を癒した。でも手は出していない。これからも出すつもりはない。安心しろ」
信じていいのだろうか。
いや……信じるしかない。この状況では。
「……分かりました。自分がいる場所も理解したので、正直、あなたを信じるしかありません。そして……確かにあなたはその……全裸にも近い状態で傷だらけの私を拾っても何もしなかったのですから。それでしばらく置いていただけるということですので、まずは名前を聞いてもいいですか?」
私が何を言い出すのかと、なんだか構えていたようだったが。
こう質問すると、鬼畜イケメンの顔は綺麗な笑顔になった。
ホント、こうしていると美貌のイケメンなのに。
「俺の名前はアンディだ。そのまま呼び捨てで呼んでもらって構わない。ファミリーネームは……忘れた。こんな森の中だから、そんなものなくてもいいよな。それで、お嬢ちゃんの名前は?」
「分かりました。ではアンディと呼ばせていただきます。私はナタリー・ミラー。伯爵家の令嬢……でした。とある高貴な身分の方の婚約者だったのですが、濡れ衣を着せられ、断罪されて……。その結果、鞭を打たれ、そして」
「もういいよ、ナタリー」
「え……」
アンディはとんでもなく穏やかな笑顔を浮かべ、私を見る。
「ここには、伯爵令嬢だったナタリーはいない。ここにいるのはただのナタリーだから。過去とは今日限りでさよならだ。新しい人生を今日から歩いて行くんだよ。ただのナタリーとして」
鬼畜のように思えるのに。
アンディはさっきからちょいちょいイイ人になる。
何なんだろう。本当に不思議。
「それでは新生ナタリー。昼飯を食べ終わったなら。次は夕食の準備だ」
「!? 今、食べたばかりなのに!?」
「食材は家で待っていても空から降ってくるわけではない。調達しに行くんだよ」