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群青に沈む─Sink in the ultramarin─

作者: 花都

 腕時計の曲がった針は22時をとっくに超えて、ハイ気味のままで友達に手を振る。

 またねの声は途中で墜ちて、あたしはひとり、濃ゆくなってく墨汁の中を泳ぐ。

 無責任な街灯が強調する、ほとんど黒い藍色は重い。なのに吸い込むとすごく軽い。それがなんだか、変な感じ。

 土日を跨ぎかけた電車は寝転べるくらい席が空いているけど、見向きもしないで端に立った。ぽつりぽつり、見える乗客はどこか半透明。

 ここにいない乗客。ここにいない私。

 ここはきっと海の底。


 水に沈んだ砂浜を、扉のない列車がかき分けていく。

 頬を撫でる水流が心地いい。


 四角い箱ががたがた揺れて止まったから、手を開いて足をついて、歩むように泳ぎ出る。

 平泳ぎ、結局最後まで出来なかったんだよね。

 

 息をする。

 

 扉のサッシをスローで飛び越え、乗り降りの客も跳び越えて少し(そら)に浮く。意味もなく、身体をひねって(あぶく)を避ける。

 

 息をする。今はなんだか、空気が憎い。

 

 膝頭におでこをつけて、爪先を伸ばして宙返り。

 息をする。泡が鳴る。

 伸ばした右爪先を地面に。

 

 息をする。


 水の底では酸素がうすい。

 私の肺はまだ小さい。

 私の身体はもう大きい。


 身体が大人になっちゃったから、もう大人になるしかないの、分かるでしょ?

 いつまでもぐずってちゃいけないのよ。酸素を喰べなさい。


 地面を蹴って伸び上がって。見上げたはずの水面はどこにも。

 

 駅のホームからとんっと跳んで、錐揉みに一回転して道路へ出る。

 赤いテールランプが体に刺さる。

 大きなくらげが何体か、紅色の絵の具をにじませたように街灯を流れている。

 

 夏らしい光景。私には関係ない。


 人のいない通りで一人、髪を泳がせて優雅にたなびいて。

 すごくすごく静かな水底は、微かに幽かに流れている。ゆらゆら揺らぎはしても、汗だくになって頑張る気なんてない。

 私はふわっと舞い上がって、ドルフィンキックでくるりと回る。伸ばした指がしなやかに振れて、肩も背も脚もなめらかに替えていく。

 

 息をする。口を目いっぱいあけてお腹まで。

 アーティスティックに半回転。輪になるほど背を反らせて、・・・体が軽い。


 どこまでも行ける気がして。

 どこまで行っても同じ景色で。

 小さな小さな天球で、唄って踊って1人で旋回(まわ)る。

 

 月明かりが青白くて。さっきよりひと回り大きなくらげのうちで、同じ色にともる街灯がきれい。


 膝下を縦に割って、右爪先で撥ねて。

 跳ぶ。進む。

 あたしじゃありえないくらい綺麗に、なよ竹をしならせて水を打つ。

 両脚跳びをまねて、思い出したように宙返りして。プールの授業でやったとき、いつも鼻が痛くなったっけ。

 

 行く先の淡い群青から、二本足の狼がだらだらと歩いてくる。

 毛むくじゃらの腕が無関心に、けれどたしかに私を、骨のないこの身をからめとるみたく喉へ伸びてきて、そのくせ寸前でふわっと透ける。霧散する。

 私はそれを知っていたみたいに、当たっても気にしないみたいに、知らんぷりしてそのまま進んだ。

 振り返るように斜め前へ、だけどその気はさらさらなくて。


 

 少しずつゆっくり、けれど確かに世界はねじれていく。


 

 気づいたのが今なだけで、ほんとは初めからそうだったのかも。

 平行でも垂直でもない、だけど決して交わらないねじれの世界。

 

 小さな泡がすうっと昇って、なんだかやけにざわついて。広い広い海は、ほんとはちいさなスノウドームだったりして。

 どこまで行っても変わらない世界。

 ほんとはどこへも行けてないのかも。この景色は、ただの印刷(プリント)された蜃気楼かも。空の向こうに宇宙はなくて、厚いガラスが嗤ってるのかも。

 

 まあ別に。なんでもいいや。

 誰も私に気づかない、私もなにも気づかない。「関係ない」で満ちみちた、永遠に重ならない世界だから。


 同じ景色を、てくてく、てくてく。


 別にいい。目的地なんて夢にもないよ。

 今はただ、綺麗で汚い夜の海を、溺れて沈んで全身で食べたいだけ。

 決して綺麗でもないこの身を海に、食わせたいだけ。この青で浄められ(穢れ)たいだけ。

 たとえなだれこむ群青に、現し身を奪われるとしても。

 

 インクが水に溶けていくみたいに、指先の青が手のひらに広がる。


 幼稚園のときかいた絵は、どれもまっくろなクレヨンでふとくふとく線をひいて、「わたし」と「せかい」を切りわけてあったっけ。

 パレットのひと部屋にとなりあった水彩絵の具の色に、境界なんてあるわけないのに。

 私はせかいで、せかいは私。

 親和性の高い私たちに、初めから輪郭なんてありえないのにね。子どもってときどき、へんなことするよね。


 

 この蒼が愛しくても、抱きしめる腕ももう蒼い。

 この蒼が憎くても、踏みつける脚もとっくに蒼い。

「―――ふふふっ」

 言えなかった言葉は蒼い。大きらいだったこの身は蒼い。ろくに愛せなかった心も、どろどろした憎しみ、嫉妬、そんなものばかり吐き出した口も、ぜんぶぜんぶ何もかも蒼い。

 蒼い。小さな小さな私のすべて。


 最高。

 私はもういないんだ。私は海で、海は私。

 何もかも一つだ。ミキサーにかけられたフルーツみたいに、色々が混ざり合って別ものになった。どろどろになった果物なんかに、誰が何を期待するって言うの。


 あたしは揺れる。あたしは波うつ。

 光るくらげをふうわり揺らして、あてなく泳ぐ小さな魚にキスをする。

 届かなかった初恋や、話しかけられないまま引っ越していったクラスメイトや、仲直りできずに卒業した友達なんかにしたいように。

 誰もひとりぼっちじゃないよ。見えないけれど、あたしがいるよ。肌を流れる海を感じる?揺蕩う夜に触れられる?

 心配しないで。みんな私の子どもだよ。()はみんなが大好きだから。今度は私が、みんなみーんな愛してあげる。



 どれくらい経っただろう。

 

 みんな愛せると思ってた。

 みんなみんな愛してた。

 でも私、すっごく不器用だったみたい。

 昔、友達のいなかった私に話しかけてくれたあの子が妬ましい。気立てがよくて、ピアノが上手で、茶目っ気たっぷりに笑うあの子。

 

 いいなあ。私もあの子になりたかった。

 

 そしたら誰も、こんな目に合わせやしなかった。

 私だって、こんなことには。


 ぽこぽこと泡が湧く。

 くらげが腕をからめて、青い水の色が映った脚がどこかから引き出される。


 ずるずる、ずるずる。


 どこか青白い私は、またゆったり海底を歩く。

 また同じ結果が来るんじゃないかって。

 次に現れるのはあの子じゃないかって。

「知ってること」と「受け入れること」は、似ているようでいてぜんぜん違うでしょう?


 初めから、ぜーんぶ知ってはいたんだよ?


 こうなることも。



 現れた私の口が、げほげほ咳こむ。

 嗚咽するくらい激しいけれど、体はほとんど体勢を変えない。


 

 息がくるしい。


 帰らなきゃ。帰りたくもないまちへ。

 

 昼も夜もない海の底で、朝も夕もなく踊っていたいけれど。


 帰らなきゃ。

 

 うまく息ができない。水にとけた墨がいやにまとわりつく。

 

 帰らなきゃ。

 

 何のために?

 

 帰らなきゃ。帰らなきゃ。


 

 ――帰らなきゃ。


 

 私はマーメイドじゃない。


 背中から、水がざあっと引いて行く。


 私はくらげじゃない。


 風が体温を引っ手繰る。海の端、私を生かした水の際は、すごい勢いで行手に消えて。


 知ってた。ほんとは知ってたよ。


 でも、

 海に、未練はないんだね。

 海は、水は、いきものじゃないから。


 崩れる。濡れに濡れた長い髪、骨のない体、立っていられるわけがない。

 流れ仏の柔い体が、濡れたアスファルトに染みて行く。

 

 瞬けど星もない。

 あるのはどこまでも深い青、紺色の空。


 

 群青色のアスファルト。

 


 ――Sink In The Ultramarine ――


 

 小さな狭い私の喉が、泣き出しそうにひゅっと鳴って。続く嗚咽は胸にも来ない。

 泣きたい、泣きそう。

 泣く力すらないくせに。


 破れたゴムまりみたいな肌を、水滴が一筋伝う。

 汗か、水か。

 

 それとも――。



 

 ――ああ。願わくば、次の世は。


 

 まっ白な光のドレープが輝く、美しい朝であるように。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

初めまして、花都です。


昔、付き合ってた人に「花都はパラレルワールドの住人だよね」と言われたのがきっかけで、この話が生まれました。


ただ好きなものに囲まれて哲学してただけなのでよく分からない仕上がりになってると思いますが、いっとき不思議な気分になってもらえたらいいなって思います。


ではまた次回作でお会いしましょう。

作者ももう少し、マシなものが書けてると思いますので。

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